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今、愛美の頭の中を実況中継するとすれば、核兵器のボタンが手違いでぽちっとおされてしまった混乱と絶望、そして怒りが存在した。

 憤怒。

 言葉としては知っていたが、きっと、こういうことを言うんだろう。

 胸の中に湧き上がる激しい怒りに目眩がする。

 鼻の穴を通り抜けるような爽快さのあとに頭が真っ白になって胃のむかつきから吐き気がくる。今すぐに怒りから叫びだしたくなるが、それを二パーセントほど残っていた理性が大学の食堂という場所を考えて押しとどめた。

 自分がすごく損な性格だと思うのは、こういうときだ。

 怒りがあるのにぶちまけられない。

 愛美は人前で、あんまり感情を出すことをしない子だ。怒りにしろ、悲しみにしろ、自分の心を暴露することが怖いのだ。それが自分の弱みをさらけ出してしまうようで、滑稽で恥ずかしく思う。

 愛美は折角作ったお弁当を一人で食べるために庭に出てきた。太陽は、愛美の心とは裏腹にきらきらと輝いて、この大地に慈愛を降り注いでいる。

 食べたくない。

 愛美は庭にあるベンチの一つに腰掛けてため息をついて、自分を落ち着けようとした。なんでこんなにも激しく感情が揺さぶられているのかわからない。

 英田にとって自分ってなんだろう。

 デートをして、手をつないで、ああ、けど、昨日、電話では自分は優先されなかった。それがしこりになって愛美の心をじくじくと追い詰める。

 いやだ、――いやだ、いやだっ!

 愛美の心は叫んだ。

 英田にだっていろいろと都合がある――けど、一番に思ってもらえなきゃ、いや。

 愛美は自分の考えに、震えて泣きそうになった。

 へんだ。

 今までだって、一番じゃないときはいくらだってあった。

地味で、目立たない愛美は、みんなにとっては、ああ、いればちょっとだけ安心。そんなタイプ。それでいいじゃないかと自分だって思っていた。

 我侭になってる。

 愛美は拳を握り締めた。

 英田を探そう。

 それで、あの女性のことを聞こう。きっと英田なら、こんな気持ちも笑って、人の不幸は蜜の味とか言ってくれるはずだ。そうに違いない。そうじゃないと自分が壊れてしまいそうで愛美は怖かった。

 立ち上がった拍子にお弁当が落ちて、愛美は慌てて拾い上げた。

 中身はきっと大丈夫と言い訳をして、すぐに食堂に行こうと思った。きっと英田は自分を探してくれているはずだ。ああ、そうだ携帯電話!

 いつもは存在そのものを忘れてしまっているものだが、こういうときに使わずにいつ使うのか。

 愛美は急いで電源をいれて、英田が勝手に登録した電話番号をおす。

 ダースベーダーの絶望と支配の大量音楽が後ろからしたのに愛美は驚いてふりかえった。

 英田がいた。

 英田の腕の中に、あのいやな女がいて、唇を重ねていた。

 愛美はダースベータベーを心から呪った。

ダースベーダーじゃなくてもいいじゃない。この絶望をあらわすのは

 きっと自分か神様に呪われているんだ。神様は私が嫌いなんだ。

 携帯電話を切って愛美は逃げ出した。


「愛美?」

 英田が携帯電話を取り出し、相手の名を確認して呟いたとき、ひとつだけ空いたベンチにはお弁当と愛美の荷物が置かれてあった。


《》


 走るのは嫌いだ。

 小学生のとき、マラソン大会があって秋になると走らされていたが、愛美はいつも最下位で、みんなの同情の視線を浴びながら、ゴールしていた。

 走るときは、いつもいやな思い出しかない。

 愛美は息を切らして走りながら、しゃくりあげた。

 泣きたい。

 もう、本当に泣きたい。

 英田さんの馬鹿、馬鹿、馬鹿っ!


 英田にいい噂がないことぐらい知っていた。

くるわ、くるわ、恐ろしき生き伝説の数々に愛美は本当に驚いて、怖くて、それでも英田が手をひいてくれれば気にしないと思った。自分にとって噂よりも目の前にいる英田が全てだった。


 くやしい。


 愛美はしゃくりあげて、下唇をかみ締めた。泣きたくない。自分がこんなにも負けず嫌いだとは愛美は知らなかった。それくらいに頑固に、愛美は泣くまいとした。瞳にたまった涙が流れ落ちる前に手で乱暴にこすり、息を吐いて落ち着くようにする。

 泣いたりしない。

 息を切らしながら愛美は、ようやく周りを見た。走ってきたはいいが、いったい、自分はどこに来てしまったのだろう。

 大学の門を抜けたところは覚えているが

「ここ、どこ」

 帰りは、どうしようかと思い、定期をまさぐる。

「あ、あれ」

 愛美の顔から血の気がひいた。

 定期がない。

 大学に――荷物、お弁当と一緒に忘れてきたみたい。

 どうしよう。もし、変な人が拾ったら、お金とか全部だめになるのかしら。

 今すぐにでも大学に引き返したいと思ったが、足がとまった。

 英田がいるところに帰りたくない。

 意地とプライドが愛美の足を重くした。相手が英田でなければ、きっとなにも気にすることなく大学に行けて、さっさと自分の家に戻って、愚痴愚痴と文句でも、嫌味でも、悪口でも言って終わるだろう。

 英田は、愛美にとってあまりにも大きな存在になっていた。

「どうしよう」

 愛美は下唇をかみ締めて、少しだけ迷ったあとに息を吐いて、よしっと漏らした。

「帰ろう」

 お金はやっぱり大切だ。定期がないと困る。携帯電話だって、かばんの中だし。言い訳しながらポケットのなかをまさぐると一枚の紙が入っていた。

立花真澄の名前と電話番号が書かれていた名刺。

英田が連れて行ってくれた店のバーテンが渡してくれたものだ。ポケットの中に入れて忘れていたらしい。

延々と悩みながら駅の近くまで歩いて公衆電話にいまある全財産の二十円をいれて電話のボタンをおした。

 悔しさに涙が溢れてくる。

 自分がこんなにもばかで、救いがたいなんて、今まで知りもしなかった。知りたくもなかった。

《はい、もしもし?》

 英田とは違うテノールを聞いて愛美はしゃくりあげた。

「あ、あの」

《もしかして君、愛美ちゃん? ……どうしたの?》

 優しい声に用件を伝えようと思ったが、舌がからまって、うまく動かない。

《とりあえず、今、どこ》

 察しよく応対してくれる真澄の声に愛美は、駅前であることを告げた。そのとたんにコインが落ちる音がして、電話は切れた。

 最悪だ。

 愛美は持っていた受話器を置いて、じくじくと泣いた。きっと今の自分は迷惑だろうと思いながら、どこにいけばいいのかもわからずに壁にもたれかかって愛美は途方にくれた。


「愛美ちゃん」

 肩が触れられて、愛美は驚いて顔をあげた。

「やっぱり、愛美ちゃんだね、俺だよ……ああ、前に店に着たときは仕事服だからわからないかな?」

 心がごちゃごちゃになっている愛美には、この相手が誰なのかよくわからなかった。

「ほら、英田さんが連れてきた店で」

「あ、あ、あの」

「立花真澄、改めて自己紹介するよ。どうかしたの? 駅の名前聞いたから、もしかしたらっておもったけど」

 真澄の言葉に愛美の我慢は、ぶちきれた。

「うぇん」

 子供のような声を漏らして泣き出したのに真澄は驚いたように目を見開き、愛美の肩を抱いた。優しい抱擁は愛美の心を優しく包み込んでくれた。

しゃくりあげ泣く愛美に対して真澄は周りにいる野次馬根性丸出しの周囲の目にため息をついた。

「とりあえず、喫茶店にはいらない?」


 真澄に連れられた喫茶店で愛美は洟をすすって、コーヒーを睨んでいた。ようやく涙は止まってくれた。おかげで、あとはもう心の中にある鬱憤を吐き出すだけとなった。

真澄は根気強くコーヒーを飲みながら話すように促し、愛美は全部、ぶちまけた。おかげで少しは気持ちが落ち着いてきた。

「そう、そんなことが」

「私、英田さんのこと何も知らない」

「あの人は謎の人だからね」

「真澄さんは、何か知ってるんですか?」

「知ってるよ。あの人の後輩の一人だし。……知ったら、きっと君はますます泣くと思うよ」

「教えてください」

 愛美の言葉に真澄はやんわりと笑った。人の心を包み込むような笑い方だ。

「泣かない?」

「な、泣くかもしれません」

 拳はもう震えている。

 知りたくない、英田の過去なんて、きっとろくなことはない、きっと傷つく。

「じゃあ、だめ」

 真澄のあっさりとした言葉は愛美の心を救った。知りたくないことを教えない人は優しい。だが、その優しさにすがっているわけにはいかない。

「知りたいんです」

「なら、デートしようか」

「へっ」

 突然の誘いに愛美は目を瞬かせた。

「交換条件」

「あ、あの、真澄さん」

「どうする」

 真澄の目が悪戯ぽく愛美を見つめてくる。愛美は下唇をかみ締めた。この人は私で遊んでるんだ。

「財布とか忘れてきちゃったんでしょ?」

「は、はい。けど」

「さぁおいで」

 立ち上がった真澄の差し出した手を愛美はじっと見つめていた。そして一人で立ち上がった。

「私、そんな風に意地悪されたくありません」

「愛美ちゃん?」

「だって、私は」

 英田さんと付き合ってる。

 そういおうとして自信がちっともなかった。だって、英田は自分と付き合ってるのに別の人と触れ合っていた。

「だから、仕返ししよう」

「仕返し?」

「俺と付き合えばいいよ」

 真澄は携帯電話を取り出すとどこかに連絡をとりはじめた。三回のコールでようやくつながったらしい。

「あ、英田さん? 愛美ちゃん、いただきましたから」

 笑顔でおそろしいことをさらっと告げて携帯電話を切った。それもご丁寧にも電源から。

「あ、あの、真澄さん」

「外で待ってて、会計済ますから」

 愛美は頷いて、外に出て空を見て、はっと我に返った。今、真澄はとんでもないことを英田に告げていなかったか。先の、確か「英田」と言っていたはずだ。

 どうしよう。

 愛美は顔から血の気がひいた。

「お待たせ、さて行こうか。愛美ちゃん」

「ま、真澄さん、あの」

「ここから少し歩いたところに店があるんだ。時間が惜しいから、ともかく行こうか」

 手を引かれて愛美は口ごもった。

 真澄の手は優しく自分を歩かせてくれる。英田はいつも前ばかり歩いて、自分が追いつくように必死だった。

「はい」

 愛美は真澄の手を握り締めて頷いた。


 真澄の連れて来てくれたシンプルな色合いの店に愛美は足がすくんだ。

 だって、お化粧してないし、目は泣いて赤いし、服だってださいし。

「真澄、久しいな」

 店の奥から現れたすらりとした背丈の男性は、朗らかに笑った。そうすると、なんとも魅力的だ。

 年齢は、三十代はいっているであろうが、髪の毛は軽くウェーブがかかっており、目は細く、顎のラインはすっきりとしいて洒落た雰囲気がある。

「ええ。お久しぶりです。すいませんけど、この子のこと頼めますか? 服から全部改良しちゃってください」

「へ」

 真澄が笑顔でとんでもないことを告げたのに愛美は震えた。

 まさにライオンに睨まれたウサギよろしく、身長では頭一つ分も高い男性にじろじろと見られて愛美は緊張して、うつむいてしまった。

 すると、顎に手がやられた。――なんともきれいな指先は顎を持ち上げ、愛美に上を向けさせる。そうすると、男性と目が合ってしまい、愛美は顔を赤くした。

「ふぅん、原石か。顔のつくりはまぁ平凡だが、メイクと髪型でかわるだろう。おい、真澄、どこで見つけた、こんな可愛いの」

 嬉々として語る男性に対して真澄は一癖も二癖もありそうな笑みを絶やさない。

「内緒です。とりあえず、お金は払いますから、徹底的にやっちゃってください」

「ふぅん、燃えるね、そういわれると」

「え、え? あの、私」

 できれば、逃げたい。

 愛美がじりじりと逃げ腰なのに、腰がひかれて愛美は男性の腕の中にすっぽりと収められる形となった。

「逃げないでくれ。せっかくの原石。俺は君のような子を可愛くさせるのが仕事でね、とりあえず、その重々しい黒髪をどうにかするか」

「あ、あの髪は」

 慌てて愛美は自分の髪を両手で押さえた。

「き、きらないでください。染めたりとかも」

「だめなのか。うーん……じゃあ、とりあえずいろいろと髪型をかえてみるか。よーし、おい本田、手伝え」

 男性は愛美の髪をいじれないことに対して多少の不満を漏らしたが、すぐに新しい玩具を与えられた子供のように嬉々とした笑顔を浮かべて店の奥へと愛美をひっぱっていく。

「はーい、店長」

 白のブラウスに麻の上着をきた、ホスト風の男性が元気良く返事をして安楽椅子の準備を始めていた。

「とりあえず、可愛い髪形、よろしくな」

 ぽんっと愛美を椅子に座らせて男性――店長の言葉に本田はにっこりと笑った。

「はーい。えーと、愛美ちゃん? よろしく、俺、本田ね、怖がらなくてもかわいーくしてあげるから。俺も店長もさ、なんか、こう、いじりがいありそーなのがすっごく好きなんだよ」

 目の前にある大きな鏡から自分の後ろで真澄がにこにこと笑っているのを見て愛美は声をあげたくなった。

 真澄さんのばかー!


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