番外編・ビューティ・ドゥ・ローズ
見た瞬間、ああなんて田舎臭さのある子だろうって思ったわけだ。
失礼な話だけど、誰かのカモになるだろうな。そんな感じの子だったわけだ。
立花真澄がバイセクショナルで、来る者は拒まず主義者であることは付き合いが半年、いや一週間もあればわかることだ。
冷静といえばいいのか、はたまたこれを冷酷というべきか。
来る者は拒まないが、去る者は追わない。むしろ、淡白であるから、一週間と同じ人間と付き合うということは難しい。そもそも、男だったら妊娠しないからという理由で、年下の男の子と付き合いはしたが、その日の朝方にハッテン場に行ったことがばれて口論になってしまい、年下の男の初心さは新鮮で可愛いと思っていたが、あんまりにもうるさいのがめんどうで、別れてしまった。
別れた代価として、パンチ一つ。こういうのも若さだ。
「立花くん、そのうち、刺されると思うよ」
飲み客である樹はしみじみと言った。
立花が、流れ的にバーテンになってしまった店のママ――マッチョなオカマの本名は五郎の相手である。
高校時代から、ずっと一緒で十年に及ぶ片思いからはじまった大恋愛の末に今や周囲も認める全てを知りつくした恋人同士だ。
「自分、普段はタチのほうなんですけど、いい男がいたら、ネコになってもいいですよ」
「そういう意味の刺すじゃなくてさ」
樹が苦笑いを漏らした。
「わかってますよ。まぁせいぜい、背には気をつけておきます」
「君も、そろそろちゃんと恋人を作ったら?」
「めんどうですね。男同士でも中々にめんどうですし、女はもっとめんどう」
「ひどいな。男同士だって純情はある。十年も一緒にいて、夫婦みたいなカップルも」
「ええ。そうですね。けど、ああいうのなんていうんでしょう」
ここから先は言葉にしたら、きっと人格を疑われてしまうので言わないほうが懸命だろう。
十年もたった一人の相手と一緒にいる――気持ち悪いことこの上ない。夫婦というものは空気というが、空気になるほど傍にいることに意味があるとも思えない。
前に付き合っていた男は言ったけ――お前は、心が寂しい人間なんだ。ってね、じゃあ、男を漁るお前はなんだ。こんちくしょう。何も知らない人間に知ったかぶりされるのはむかつく。気持ち悪い。
なにかに執着するということは、滑稽だ。情けなく、気持ちが悪い。
「または、なにかはまるとかないの」
「はまるねぇ」
「そうだよ。君バーテンなんだから、そのうちオリジナルでも作ってみたら? ママが喜ぶよ」
「いつも最後はママにいきつくんですね」
「愛してますから」
「羨ましい」
立花にとって、愛美は本当に地味な女の子だ。英田がいなければ出会うことも、目にとめることだってしなかった。
キスはしたが、自分のようなものではたいした意味はない。――筈だった。
「あ、立花さん」
「真澄ね」
にっこりと笑って立花は愛美を出迎えた。愛美は緊張しているのか、背筋を伸ばして苦笑いした。
その表情が、そこそこに可愛いと思えた。素直に可愛いとは認めないのは自分のへそ曲がりなところだと思う。
「はいって」
「はい」
愛美はにこにこと笑いながらスーパーの袋を片手に部屋にはいってくる。その姿が中々に勇ましい。
というのも、今まで立花の周りに料理のできる人間なんてものはいなかった。
「あの、立花さん、キッチンは」
「真澄って呼んでくれない? 苗字で、さんづけって苦手だから」
その言葉に愛美は口ごもって大きく頷いた。
律儀な子。――立花は心の中で苦笑いした。先日迷惑をかけたということでお詫びがしたいというのに断ったが、どうしてもというので、手料理をご馳走になるという御願いをした。
愛美は一も二もなく喜んだが、こんなことが英田に知られたら、それこそ修羅場だろうに――立花はくすくすと笑ってしまった。
「真澄さん?」
「ああ、気にしないで」
まぁ、この子は、きっと深くは考えてないし、感じてないんだろうね。それが少しだけ胸を尖った針となって刺す。
「ええっと、肉じゃがと大根のお吸い物ですけどいいですか?」
「うん。嫌いなものはないから。あとキッチンはてきとーに使って、僕、料理しないから」
「はい」
愛美はにこにこと笑う。
ん、まぁ、可愛いほう。
そこで立花は己の評価に笑った。――なにを意地になってるだろうね、私は。
肉じゃがと大根のおすいものが並ぶテーブルの横で愛美は早速帰り支度を開始する。
「一緒に食べない?」
愛美はきょとんとした顔で目を瞬かせている。
「一人で食べるのも味気ないし」
「はぁ……いいですよ」
愛美の良い点と悪い点をいうならば根が単純で鈍感なところ。おかげでなんの疑いもない愛美と立花は食事を楽しむことが出来た。愛美の作った料理は絶品だった。
やはり人の手作りだから。――いや、それいうとレストランだってそうだ。
「一緒に食べる相手がいるからかな」
「えっ」
「愛美ちゃんは、料理うまいね」
「自炊してますから」
「偉いね。僕なんか、大概はコンビニだよ。さすがに二年つづけると体に悪くなるけど、手間が省けるし」
「お金ありませんから」
「学生時代はね、ビンボーだからね。知り合いの学生は、水で三日は生きれるとか豪語していたよ」
「うわぁ」
愛美が眉を寄せて笑う。困ったような、それでもちょっと面白がっている顔だ。
「こういう家庭料理はあんまり縁がないしね」
「えっ」
「母は料理をしない人だったんだ」
「どうして」
「んー、自分のきれいな手が、痛むと困るからだってさ」
にっことり笑顔で立花は言った。このせりふは、立花が小さいときに母が微笑みを浮かべて言った言葉だった。
母は、家事の一切をしなかった。おかげさまで、一生分の家事やらを子供時代にしたせいで、今ではずいぶんとずぼらになってしまった。
「母はね、手のタレントさんだったんだ」
「手のタレント?」
「そう。CMでたまに手だけでてるのあるでしょう? 手が商売道具だったからね、だから手に悪いことは一切しないんだ」
愛美は感心した顔で、目をぱちぱちと瞬かせた。
「ああいうのもタレントさんがいるんだ」
「いるよ」
「あ、だから、立花さんの手もきれいなんですね」
「きれい?」
「はい。立花さんの手ってきれいですよ。細いし、ピアノとかしてるのかと思った」
「残念。ピアノとか特にしてないよ」
両手をあげて茶化してみせたのに愛美が朗らかに笑った。その笑みは中々に可愛かった。
ほとんど食べ終わったのに立花は立ち上がった。
「お礼にカクテルを作ってあげるよ」
「え、けど、これは私がお礼だから」
「うん。だから、お礼として僕のカクテルを飲んでくれる?」
「は、はい」
よかった。ここに最低限のものがあって。
バーテンになるというときは、師となるバーテンダーにシェイカーを渡されて、石を持ってふる練習をさせられた。そのときのものがまだ残っていた。
愛美には何が合うか。仕事でもないのに考えて、立花は手を動かした。その動きに愛美の視線があった。
かわいい。
愛美は出来上がった青い液体を見て歓喜の悲鳴をあげた。アオイサンゴショウだ。その名前のとおりに美しいカクテルで、甘口で女の子向け。ただし、アルコール度は三十三もある。ミントの味が濃いので、人の好みもわかれてしまうが、愛美は気にしない風でカクテルを飲んでいる。
愛美が気に入るということは計算していた。そして、酔っ払うことも立花は予想していた。
「うがぁー、明日はやすみだぁぁ」
そんな声をあげて、ばたっと倒れてしまった。どうやらアルコールがききすぎたらしい。
愛美を抱き上げてそのままベッドに寝かせる。紳士的な行動だ。
「面白いね、君は」
愛美の頬を指でくすぐり、髪をなでた直後に携帯電話が鳴った。それも大音量な上に、なぜか地獄の黙示録。こんなセンスは英田だろうと立花は察して苦笑いしながら携帯電話をとった。
「ハーイ」
『なんで、お前がでているんだ。立花』
「ここにいますから」
『愛美は』
「酔いつぶれて寝てますよ」
『十分、いや、五分でいく。それまで愛美に一メートル以内近づくな。いいな!』
「まるで人を強姦魔の如くいわないでくださいよ」
『うるさい。変態』
「偏見は、ママにも怒られたでしょう。あ、そろそろ、携帯切りますね。うるさいので電源もきっておきますから、早く来てくださいね」
英田が叫んでいるのを無視して携帯電話を切り、電源もきっておく。
まったく、タイミングのいい男だ。英田は、時々妙に野生のカンが鋭いところがあって、昔から苦手だった。
「まったく、いやになるね」
たぶん、英田のことだ。五分でくるだろう。言ったことは、なにがあろうとも実行する男だ。ため息をついて寝ている愛美を見て、ポケットから煙草をとりだして一本、口にくわえて、ライターを探す。
「そういえば、煙草、嫌いだったよね?」
口ら銜えていた煙草を手の中で握りつぶして苦笑いする。
「きっと、殴られるんだろうな。あの人は手がはやいから」
呟いて、立花はいいことを思いついた。たぶん、愛美であれば、ひっかかる悪戯だ。
「ぐーで殴られるのと、蹴りと一本背負いのどれがいい。選ばしてやる」
英田の言葉に立花は玄関の前に立ったまま苦笑いした。
「出来れば、全部やめてください」
「そうか。全部がいいか」
「愛美ちゃんが起きますよ」
英田は口ごもって拳をおろした。愛美、さまさまだ。それも英田の服装をみると、仕事から直接きたらしい。着替えもせずに。
「ベッドで寝てますよ。幸せそうに」
その言葉に英田は立花を押して中に入っていった。
ベッドの上で寝ている愛美を見ると口元をほころばせて、その体を抱き上げた。
「帰る」
「送りましょうか」
「いや、タクシーがあるからいい」
そっけない英田は愛美を、まさに宝ものというよに抱いて行ってしまう。その様子を見て立花はため息をついた。
めんどくさいくて、この上なく気持ち悪いもののはずだ。
「重症だね、僕も」
朝のはやくから呼び出されて、何事かと思えば、別れたはずの女の子だった。その子ともう一人は男。いちいち付き合っている相手の名前までは覚えてないが、まさか、こんなふうに修羅場になるとは。
今までは修羅場なんて作らないようにしてきたのに。今の若い子――いや、自分の目が悪かったわけだ。これでも人を見る目だけはしっかりしているつもりだったのに。ちょっとだけショックだった。
「で、赤ちゃんね」
立花は、うんざりとした。
「堕ろすのにお金がいるの、だから」
「悪いけど、その子は違うよ。私が父親じゃない」
「ひどい、そんな言い方しなくてもいいじゃない」
涙を流し、ハンカチで目元を押さえて必死に耐えている表情を見て立花は皮肉と侮蔑の混ざった笑みを浮かべる。
「私は、種がないんだよ」
「えっ」
「医者に行ってもいいよ? 君がどこの子供を身ごもっているのかは知らないけど、関係ないから」
立花は、別れを心得ていた。相手に付け入られる隙を与えるのはご法度だ。期待をさせ結局は泥沼を作ってしまう。
女を完全に騙しきるほどに立花は器用でもないから一番適切な態度をとったのだ。どこまでも冷たく、執着を断ち切ってしまう。
女の子が涙を溜めた目で見ていたが、立花は席を立ち上がり帰ろうとした。このあとのことは、この子の問題であって自分がかかりあうことではない。
「まてよ、てめぇ」
いきなり声がかけられて驚いたことに、右ストレートパンチが立花を襲った。
不覚。――いつか、刺されるよと樹の言葉は、あながち外れないかもしれない。ただし、刃物ではなくて、パンチだったが。
立花は腫れた右頬を擦りながら、マンションの階段をのぼった。こんな日に限ってエレベーターは止まっている。最悪。――本当に
ドアに手をかけようとすると、勝手に開いた。
「おかえりなさい」
「愛美ちゃん」
「遅かったですね。ごはん作っちゃいましたよ……勝手だったけど、その、忘れ物しちゃったみたいで入りました。それで、前の続きを、その、えっと」
「ああ、愛美ちゃんの時計ね」
本当はわざと隠しておいたのだけど。女の子が使う手。わかりきって手口。けど、君は疑い一つもたない。
「けど、良く入れたね」
「前に合鍵をもらったから……あ、勿論、返します」
慌てる愛美に立花は首を横にふった。
「君が持っていて、いつでも来ていいから」
「立花さん、怪我してるの」
「うん。ちょっとドジちゃった」
苦笑いしながら立花は不意に心が広がるなんともいいがたいものを感じた。らしくない、こんなの自分らしくない。
「はやく消毒しなくちゃ、立花さん」
「ありがとう」
愛美の優しさは自分に向けられている。だが、その優しさは自分が欲しいものではない。それが、たまらなく心を切なくした。これども、待っていてくれたこととで迎えてくれたことが心を締め付け、痛めさせた。
「立花さん?」
はじめてみたとき、愛美は本当に田舎ぽくてああ、きっと騙されやすそうだなっというかんじの子で、タイプではなかった。
花ならタンポポが良く似合う。薔薇みたいな美しさはまったくない。けど、見ていると、心が落ち着くのはどちらだろうか? 美しい薔薇、それともタンポポ?
愛美の笑みはたんぽぽに似ている。そしてそれは薔薇よりも魅力的だった。
めんどうだ。その上に厄介だ。なんといっても英田がいるのだ。馬鹿をみることだってわかっている。期待なんかしてはいけない。希望だってうっすらとある程度。
「あらん、マスミちゃんたら、カクテル作ったの? 仕事でもないのに、めずらしぃー」
「仕事でなくてもカクテルぐらいは作りますよ。ママ」
仕事の前に作った淡いピンク色のカクテルを見てママは太い眉を寄せた。そしてグラスを手にとってまじまじと見ると、軽く口つけた。なんの断りもないことだが、立花は笑ってママの反応をうかがった。
「これ、とってきれいな色だし……あら、味もいいわね。けど、なんていうの? 今度注文してあげる」
「ビューティ・ドゥ・ローズ……オリジナル。甘口のノンアルコールで、これは個人お一人様専用だから」
「なに、それぇ~」
「大切な人のために作ったカクテルなんです」
さぁ長期戦も、めんどうも、厄介なことも、恥も、全ては覚悟の上。




