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「僕はね、宇宙人なんだよ」

 酔っ払いの言うことは、真面目に聞いてはいけない。

 そんなことを愛美は思い出していた。

 酔っ払いのいうことは、半分も聞かずに、適当に相槌をうっておくのが一番だ。そんなことを酔っ払った父をなだめすかしながら母は言っていた。

 愛美も、そんな母に習って、聞き流すつもりだった。相手の手には薄いきれいな紫色の液体がなみなみと注がれたコップがある。それが、なんとかというカクテル(名前は知らない)というものだということは、注文する際に聞いていた。

 カクテルは、ジュースみたいなのに、かなりアルコールが強いと聞いたことがある。もしかしなくても、彼は酔っているのかもしれない。いや、自分のことを宇宙人と言うのだから、確実に酔っているだろう。

「宇宙のバルルン星から来たんだ」

 にっこりと笑顔。やはり酔っ払っているに違いない。


 だが、そのとき、愛美は知らなかったのだ。

 この話している相手が、大学でも口から生まれた子ではないかという程の口の悪さを誇る唯我独尊の変人でありながらその美貌には女性から男性までうっとりさせることで有名である英田偲であることを、不運にもまったく知らなかったのだ。

 名前だけであれば、大学内に出回っている。

英田の起こした事件は、有名である。まず、入学から、すでに八年を過ぎても卒業せずに長々と居座り続け、教授たちの胃痛、十円はげの原因となり、また美人をかたっぱしからふりまくった原因というのが、実は男性が好きだ云念……大学生活を地味であるが、自分としては充実させたい愛美としては、噂を聞いただけで裸足で逃げ出したい相手だ。

 関わりあうことなど、きっとないと思っていた相手ということを露知らず今、話しているのだ。

 周りは飲み会と聞けば必ずやってくる厄介者を、彼を知らぬ者に押し付け……いわば生贄にして自分たちは平和に楽しもうとしているのだ。


 そもそも、愛美は人というものが苦手だ。三つ編みの髪型、服は明るい色を選んで着ているが、どうしても地味ぽい。服が地味になるのは着ている人間のせいだろうと痛烈な言葉を母に言われた。親の贔屓目をもってしても愛美は地味だ。

 人が苦手、騒がしいのも苦手。その上で人の多い場に出れば、その場の時を止める。というのが今まで愛美が参加した飲み会にいた者たちの意見だ。

 愛美が何か言えば、それが本人の意図したところでないにしろ、誰もが一瞬、口を噤んでしまう。

絡みづらいし、相手をするのも苦労する――という人種なのだ。

 そういうところを愛美自身も気がついていた。

大学に入って飲み会に誘われたのははじめのころだけで、今ではもうあえて誘おうという物好きもいなければ、行きたいとも思わない。

 何が楽しくて生きているのかと疑問に思われそうだが、愛美自身は地味に生きるこそが目標なのだから人とは本当に十人いれば、十色。

 そんな愛美が昼間に強引に飲み会に誘われたのだ。無論、はじめは断った。だが、しつこく言われると、ついつい頷いてしまった。

すっぽかしてしまえばいいものを律儀にも来てしまったのだ。

 これが、愛美を英田の体のよい生贄とすることなど、まったく知らずに。


「いいかい。僕はね、宇宙の王子なんだよ。だから、君たちのような下々を相手にするということは稀なんだよ。君たちならば、悲鳴をあげてお悔やみしなくてはならないほどのものなんだ」

「はぁ」

 宇宙の王子は奇抜だ。また君たちというのは、愛美以外の者にもいっているようだ。―――けど、私しか聞いてない。

 その上、なぜ悲鳴をあげてお悔やみを言うのだろうか? この場合は、喜びに叫ぶではないのか?

 いろいろとつっこみたいところはあったが、すらすらとしゃべりつづける相手に愛美はなす術もなく聞いているしかなかった。

 周りを見て助けを求めようとするが、座敷をひとつ貸しきった部屋には大きな長テーブルがひとつあり、そこに料理が並んでいる。そして縦に一列という風に腰掛けているのだが、気がついたら、愛美は英田と共に孤立していた。他の者たちは、可哀想な羊の犠牲を払っている分、楽しめというかんじで、王様ゲームなどしている。

 どうしよう。

 愛美は頭から血がひくのを感じ取った。

「いいかい? 僕ほどの高貴な……こら、こっちをちゃんと見て、話を聞かないか」

「はい」

 慌てて英田を見る。

 そもそも、名前だって知らない相手と話すなんて、いやだ。どうして明日香ちゃんも、綾ちゃんも助けてくれないのだろう。

 自分が犠牲にされたことなど露程にも知らぬ愛美は心の中で助けを求めて、助けてくれぬ友を詰った。

 それに、この飲み会は参加費に千円も支払わなくてはいけないのだが、愛美は参加費の元をまったくとれていなかった。

美味しそうな料理はあるし、注文も自由であるが、愛美は目の前にいるマシンガントークを続ける英田のために食べたいものを食べることもできなければ、注文ひとつできずにただひたすらにオレンジシュースを飲んでいた。

「こら、英田、そろそろそのトークはやめろ」

 ぽか。

 音とすれば、そんな音が出るような軽い拳が英田の上に落ちた。

 愛美は、驚いて顔をあげると、天井ぎりぎりほどの身長の高さを誇る巨人が目の前にあらわれたのだ。

 ――殺される!

 ヤクザよろしく強面なつり目に太い眉、またスポーツ刈りされた黒々とした髪。白いポロシャツとズボンという姿だが、愛美にはその身長とたくましい肉体とまた怖い顔だけで十分な恐怖だ。

「痛いな。飯田君よ、僕が必死で宇宙の王たるいい演説をしているというのに。下々よ、頭をさげるがいい」

「頭を下げるのはお前だろう。英田、この子が困ってるだろう……えーっと」

 飯田智久は眉を寄せて、知らぬ相手を凝視する――睨まれる!

 既に愛美の頭はパニックの限界は超えていた。

飯田としては、ただ顔を見て名前を思い出そうとしていただけなのだが……その目の迫力は、まさに愛美の心臓を軽く止めた。

 愛美が、ふらっと後ろへと下がるのに英田と飯田が同時に声をあげた。

「あっ」「おい」


 ごんっ。

 思いっきり後ろの柱に頭をぶつけた。それは、もう素晴らしく頭部に響く音だった。


「いたぁ」

 涙目になって愛美は自分の打った頭をなでながらも、片手でしっかりと死守したオレンジジュースを見た。コップはあるが、中身はない。まだ半分までしか飲んでなかった。ふと見れば、服に中身がぶちまけられていた。

 後ろに転げたのだから、引力法則よろしくの当然の結果だ。

「ぷっ」「くっ」

 ほぼ同時に噴出す声がして、愛美は、はっとして顔をあげた。

痛いし、恥ずかしいし、服が台無しになって泣きたいやらの真っ赤。

 それに

「く、くくくっ、ははは……・いや、これは宇宙からみても傑作のタイミングだ」

「こら、英田、笑うな。く、あははは」

 ひどい。二人とも……こ、この二人のせいなのに。

 ここで気が強い女であれば、怒鳴るなり、詰るなりしていたはずだ。だが愛美は気が強くない。また機転も効かない。こういうことで共に笑う心の広さやらもなく、泣かないように唇を噛みしめているしかない。

「ほら、僕のハンカチを貸してあげよう。この優しさに心から感謝してつかいたまえ」

 ハンカチが投げよこされた。

 なんだが、馬鹿にされている。

 愛美は、そうは思ったが口を噤ませて、ハンカチで濡れた服を拭いた。といっても濡れてしまった服は、拭いたところでよくなるということはない。

 これでも、人に誘われるなんて中々ないことだから愛美としては奮発していい服を着たのだ。

 その服が、実は、この集まりの中では、一番ダサいにしても、愛美としてはお洒落をしたつもりだ。

 あーあ、気にいっていたのに。

 愛美は、濡れて皮膚まで冷たくなって薄っすらと透けてしまった服を見て憂鬱になった。こうなると、どんどんぬかるみにはまっていく。それは、まさに泥沼の中にはいってしまったかのように。

 やっぱりこんなところにくるべきじゃなかった。なによりも、よくも知らない相手に笑われてしまったのも顔から火が出る程に恥かしい。

「よし、君は僕の下僕にしよう。日々尽くすがいい」

「へっ」

 愛美は、ぶつぶつと憂鬱を呟いていたのに、彼が言ったことをまったく聞いていなかった。


 お開きになったのは、九時だ。これから二次会というが、この時間だけでも辟易している愛美に、元々は生贄として呼び寄せただけということでお役御免ということで誰も二次会のカラオケに誘いをかけてこなかった。

 ということで、愛美は帰る事にした。

 誘ってくれた友達ぐらい、ばいばいと手をふりたかったが、既に次のカラオケに頭がいっぱいで盛り上がって人の迷惑かえりみずに騒いで行ってしまった。残されてしまって愛美は、はやく帰ろうと思った。

「まて、下僕よ」

「へっ」

 ふりかえると、英田が立っていた。なぜか立っているのにポーズを決めている。それが似合っているから、またすごい。そして、その横には飯田が立っていた。

 なんで、どうして、ここにいるのだろう。

 愛美は、驚いて目をぱっちくりさせた。

「さぁ下僕よ、主を満足させるがよい。主の帰り道をつき従うがよい!」

「こら、英田……俺らは、電車の都合で帰ることにしてる。……君も帰るのか?」

 飯田は、ここで、自分が、この英田に憐れにも見初められてしまった相手の名前を知らない事に気がついた。

「あ、はい」

「じゃあ、俺達と帰らないか? このまま一人ってわけにはいかないだろう?」

「え、あの」

 いきなりそんなこと言われても、愛美は困り果てておどおどとして返事を濁した。こういう時、なんといいかえせばいいのかわからないのだ。断ったら、やはり怒るだろうし。言葉に甘えるにしても知らない相手に甘えていいのだろうかという謙虚さを持っていた。

「こーらー、従者は主と一緒に帰るものだ。付き従い、主の身を護るのだ」

「え、ええっ」

「英田、やめろ。……ええっと、名前、知らないんだが」

「愛美です」

 俯き加減に小声で言うのに飯田は頷いた。

「俺は、飯田、こいつは、知ってるだろうが英田だ。」

 飯田の自己紹介に俯いたまま愛美は眉を寄せた。

 英田とは、あの英田だろうか。あの数々の生き伝説を作り出した?

「あ、あの」

「帰り道は違うのか? だが、やっぱり夜は危ないからな。せめてタクシーを拾うまでは」

「しゃらーぷ。飯田よ、貴様は、高貴な私をさしおいて」

「あー、はいはい。うるさい。愛美さん、気にしないで」

「あ、私、駅から帰るんですけど」

 駅ながら同じ道のりだ。

「じゃあ、帰ろうか」

「あ、あの」

「送るよ。男としてはね」

 飯田の言葉に愛美は、断る言葉を捜そうとした。なんだか、このまま飯田に送るふりをして、実は飯田は悪い人で自分は売られたり、はたまた殺されたりするんじゃないかという失礼な想像をしてしまった。

「さー、かえるぞ。下僕!」

 断ろうとした言葉を口からようやく出そうとしたのに英田の腕が愛美の首をとって歩き出した。

「あぐっ」

 首が軽く絞まった。それと一緒に断りの言葉も飲み込んでしまった。

「こら、英田」

「高貴な私と帰れることをありがたく思うがいい、愚民たちよ!」

「はうっ」

 とてもではないが、ありがたいとは思えない。

 愛美はひきずられ、首が絞まらないためにも歩くしかなかった。


 駅までは、十分たらず歩けばつく。

 電車に乗って、二つ過ぎた駅で降りる。驚いたことに英田も飯田も同じ方向らしい。愛美は、眉を寄せた。

「お二人とも、どこに住んでるんですか?」

「ああ、井上寮」

 答えたのは、飯田だ。

 井上寮と聞いて、愛美は納得した。

 愛美は、女子のみで作られた寮で暮らしている。マンションのようなつくりで、警備は万全という売り出しであり、部屋に越してきたその日にもう生活できる最低限の環境が整えられ、パソコンも常備されてインターネット使えるのだ。

 内気である愛美は、一人暮らしする事に憧れはしていても、恐いものは恐いと思っていた。両親も――特に父は、愛美を心配して、多少は値が張っても安全を優先して、この寮にいれてくれた。

 それに対して井上寮とは、安い・ボロイ・汚いという三つのフレーズがついている寮で、建てられたのは、戦後か、戦前かという微妙なところである。どちらかということははっきりしていない。

 ただきっと、地震があったら、確実に壊れる建物ナンバーワンではある。二階建てで、平屋のような造りだ。部屋は一つにトイレは共同。風呂は近くの銭湯が無料で入れる。その分、家賃は安い。が、ゴキブリが出るとか、ユーレイが出るとか、痴漢がいるとか、とにかくいい事は聞かない。

 そんな井上寮は、愛美の住む立派な最新型の寮の横である。今にも倒れそうな木製の寮と、マンションのような建物が二つ並ぶと、実にぼろさが際立ってしまう。

 だから、同じ方向。

 そうは思っても愛美は、なにもいう言葉が見つからずにただ歩く事にした。

 空を見ると紺碧の夜空に星が輝いている。

「星、こんなところでも見えるんだ」

 都会にきて一番はじめに驚いたことは、空気がひどく汚れているということだ。おかげで、来た時は喉が痛くて、たまらなかった。それでも住んでいれば慣れてしまう。だが、たまに空を見て星が見えないのは寂しい。

 今日は珍しく星が見えている。

「む、これは、すごいな」

 英田が声をあげて、空を見ている。

「見ろ、あれが私の星だぞ」

「へっ」

「銀河第三惑星のナショラルド・ファルコンド星だ」

「はい?」

 英田が指差している先を愛美は眉を寄せて見る。

「前は、星はファンファンとかいってなかったか?」

「そうだったか?」

「いつも星の名前が変わっているぞ。お前」

 呆れたように飯田が英田を睨んだ。目つきが鋭いのでただ見ているだけでも睨んでいるという表現になってしまう。

 愛美は、びくっと肩を震わせた。

「こらこら、飯田、我が下僕が恐がっているじゃないか」

 飯田が困ったように眉間を寄せて――それすら怒っているように見えるのだが――愛美を見た。

 飯田は、自分の顔が恐い事はよく知っていた。それが無意識にも人を怯えさせてしまうということも心得ていた。

 愛美は、飯田の視線を受けておっかなびっくり、あとは申し訳なくて俯いてしまった。そうすると、飯田の深い溜息を聞いて、ますます愛美は申し訳ない気持ちに陥る。

「仕方ないといえば仕方ないが、別に怒っているわけじゃないから、恐がらなくてもいい」

「あ、はい」

「生まれつき、恐ろしいものというものは、恐ろしいのだ」

 ずけずけと英田は飯田のコンプレックスであろう顔つきの悪さを非難する。

 恐いものは恐いが、なにもそこまで言わなくてもいいような……愛美は、無言で視線を二人に向けつつ思った。

 二人の仲は、深いものなのか、英田がなにかいったとしても飯田は受け流している。そんな二人は、なんとなくだが、いいなっと愛美に思わせてくれた。

 寮のアーチ型の入り口が見えてきたのに愛美は二人を見て頭をさげた。

「ありがとうございました」

 それだけ言って、くるっと体の向きをかえて走って寮に逃げ込んだ。

 もう、二度と、関わりあいになりませんように!


 愛美は、とにかく自分の中にある平穏が保ちたかった。

 だが、そうもいかないことは、翌日に判明する。


 翌日の昼食は、大学の食堂でとろうとることにした。愛美は、いつもは食費節約としてお弁当を作るのだが、昨日は興奮したのか中々寝付くことができなくて寝坊してしまったので作り損ねた。大学の食堂は、実はいうと安くてうまくて、量が多いことで有名だ。学生の心強い味方に今日は頼る事にしたのだ。

 と、不意に甲高い高笑いが聞えてきた。なんだろうと思えば肩を叩かれた。

「待っていたぞ、下僕!」

「ひぃ」

 肩を震わせて、ふりかえると英田がいた。

「さぁ、昼を食べようじゃないか」

 甲高い声が人の視線を集めて、愛美は恥かしくて俯いてしまったが、当の英田は気にしないらしい。なんとも優雅なポーズをとったりしている。それがまたさまになるからすごい。

「また迷惑かけているのか……ああ、君は、昨日の、愛美さん」

 飯田が眉を寄せて寄って来ると、愛美を見た。愛美は慌てて頭をさげた。

「よし、昼食だぞ。昼食、王子は、今日は日替わり定食にしよう! おばちゃん、日替わり大盛三つ! 下僕の食事も主人が頼む、なんといい主人なんだ、私は!」

「ええっ」

 勝手に決められた上に自画自賛しているので愛美としては、なにかしら文句をいうべきなのだが、その文句というものが思いつかない。

「お前……愛美さん、いい?」

「あ、はい」

 頷いて、愛美は愛想良く笑っておいた。

 注文した日替わり定食大盛は、大盛というだけあって本当に大盛りだった。

 更に本日の日替わりはカツ定食で、厚い肉厚にどんぶりいっぱいのごはん。貧乏学生ならば喜ぶべきなのだが、愛美としては残さずどうやって食べようかということで苦労して、半分ほど残してしまった。英田も飯田も、さすが男子できれいに平らげてしまった

 ここが男と女の違いというものだ。

「で、今宵は、演劇部の飲み会にいこうと思うのだが、どうだ」

「へっ」

「また、お前は」

「下僕、今宵は、七時に駅前だぞ。よいな」

「え、ええ? た、他人の飲み会にいくんですか?」

「愛美さん、これは、こいつの迷惑な趣味なんだ」

 飯田の言葉に愛美は曖昧に頷いておいた。それに対して、英田は憤然と言い返す。

「なにを言う、高貴な私が出ることによってそのサークルの飲み会は、名誉たることなのだぞ」

「飲み会の飲み代を踏み倒しているやつがいう台詞か」

「なんだと? 飯田よ、私がいつ踏み倒した」

「常に踏み倒しているだろう。俺のところに苦情が殺到しているぞ」

「私は、ちゃんと金は払っているぞ」

「喰っているものの差だな」

 飯田はしみじみと言い返した。

 ブラック・ホールの胃袋を持つ男。それが英田の別名でもある。とにかくサークルなどの飲み会では、みんなでワリカンにするのだが、英田がいる飲み会では、それではみんなが英田に奢ってしまったといっても過言ではないのだ。

 それほどに英田は食べて、呑む。

 だが、当の英田にそのことで言い寄れば、平然と意味不明な言葉で煙にまかれるのを知っている周りは、英田の連れ合いである飯田に文句をいうのである。

「では、今宵は、七時だぞ」

「えっ、けど」

 特に予定はないが、飲み会なんて、もうこりごりだ。

「もし、いなかったら、星から兵を派遣して、お前を連れ去って解剖するぞ」

「え、ええ」

 現実味ない脅し文句だが、愛美は恐くて震えてしまった。


 指定された七時に駅で待っていると、英田と飯田に合流した。

どこでどうやって仕入れたのか演劇部の飲み会がある「よりみき」まで来た。和風の店内の奥側を貸しきってのなかに三人ほど、違う人間がいたとしても人は気にしないようだ。

 中にはいってしまえば、あとはこちらのものとして飲み、食べる。

 愛美は、いいのだろうかと思いながらも場慣れした英田と飯田にならって食べた。不意に視線をあげて、愛美は驚いた。

 ――石田くん

 石田が、目の前に飛び込んできたのだ。

 困った。

 石田は、愛美が人生において、お付き合いしたような関係の人だ。なんで、それほどに曖昧かといえば、二股というものを――いや、正確にいうと五股だった。

 石田は、その見た目のよさに女性は、寄って来る。そんな石田とデートらしきものをした。それで、愛美としては、立派なデートだったし、恋人といってもさしつかえないと思っていたが、石田にとってはたいしたことではなかったらしい。デートは数回したが、別の女の子達に手をだしているというのをきいて、愛美は悩んで、熱を出して、もう石田とは関わらないようにしようと決めたのだ。

 その石田がここにいるというのは、――そういえば、演劇とかしているときいた気がする。

 体が冷たい物が走るのがわかった。

 口をぱくぱくと動かして、何か食べているが、味がまったくしない。石田のことが気になって、気になってたまらないのだ。不躾でない程度に見るが石田は気がつかずに笑っていた。


「そういえば、お前今年で、どれだけの相手と付き合ったの?」

「五十人くらいかな? あ、それでさ、内気系はやっぱ、だめだわ。あのさ、なんか、目立たないやつと付き合ったの。そいつ、デートしただけで彼女気取り。もう、すごいのよ」

 げらげらと笑う声が愛美に聞えてきた。

 嫌と言うほどに神経を集中させる。

「つきまとわれて、ストーカーかと思ったよ」

 愛美の手は震えた。

 自分は、本当に石田と付き合っていると思ったのだ。

 なんだか、ひどく惨めな気持ちで、愛美は下唇を噛み締めると、傍にある黄色の飲み物に手を伸ばした。

 それがビールだということを今の愛美には判断できず、一気に飲んだのだ。


「この、さいてぃおとこぉぉぉ」

 呂律がまわりきっていない声が響いて、一瞬、騒ぎが静まった。

 真っ赤な顔をして仁王立ちした愛美は、石田を睨みつけて指差した。

「てめぇなんざぁ、しにゃれー」

 言い切れていないのに石田はさも迷惑げに眉を寄せた。

「なんなんだよ。おたく……あ、思い出した。こいつだよ。ストーカー、なんだよ。まじでストーカー、警察に電話しろよ」

「んだとぉ、ひとのじゅんじょおをふみにじりやがって」

 酔っていて呂律がまわらないままに怒鳴りながら愛美の目からぽろぽろと涙が溢れた。

恋人が出来て、これから漫画や小説で読んだことみたいにすごく楽しい経験をできると思っていた。なんで、こんなやつに私はファースト・キスをあげてしまったのだろうか

「ちょっと、やめなよ」

 周りが困り顔をして愛美を座らせようとするが、愛美は身をよじってその手をふりほどき、ビールの酒瓶を片手に握り締めた。

 これで、殴ろう。

 それだけを考えて大きく腕をふりあげる。

「げっ」

 石田の顔が恐怖に慄いた。

「白羽取り」

 ばしっと英田の手が伸ばされた。片膝をついてちゃんと刀をとるポーズをとっているが、それは見事にすかだった。

 ごん。

 思いっきり瓶が英田の頭に当たった。

「はひぃ」

 愛美は、思いっきり打ちつけた音をきいて酔いが冷めた。

 自分は、なんてことをしてしまったのだろうか。

「く、なかなかだぞ。下僕」

 痛みを我慢しながら英田は立ち上がり、不適に笑った。思いっきりかっこわるいが、こうするとなぜかかっこいいというのが不思議だ

「石田」

「へっ」

 呼ばれてふりかえった石田はふっとんだ。

 飯田が殴った左手を軽くふって立ち上がると、財布から一万をとってテーブルにおいた。

「迷惑かけたな」

 それだけいうと愛美の肩をとってひきずる。

「この酒瓶はいただいていくぞ!」

 高笑いをしながら英田が愛美のもう片方の肩をとって玄関までひきずった。


 帰り道で、愛美はなんと言えばいいのかわからなくてしょぼくれていた。

 どうして、あんなことをしてしまったのか。

 幸いか、不幸か、愛美は、自分が酔っている間にしてしまったことをはっきりと覚えていた。そして、冷静になれば、なるほどに顔から血の気が音をたててひいていく。

 ああ、なんてことをしてしまったんだろう!

「うーん、最近の酒瓶はなかなかにかたいようだ。あと少しで、私の頭が割れる所だったぞ」

 店からとってきた酒瓶を片手に英田は言うのに愛美は申し訳なくて、泣けてきた。

「う、ううっ」

「泣くな。下僕、仇は、この強面がとったぞ」

「お前がなかせたんだろう。……愛美さん、お節介かとおもったけど、俺が殴っておいたから、いいだろう?」

 泣きじゃくりながら愛美は、うんっと頷きながら、やっぱり泣けてきた。

 二人に迷惑をかけてしまった。

 英田は自分をとめてくれたし、飯田は殴ってくれた。

「ごめんなさぃ」

「愛美さん」

「わたしみたいな、しらない子のせいで、ふたりとも、すいません」

「くだらないことをいうな。下僕よ」

 ふんっと英田は笑うと酒瓶を持つ手を天へとかかげだ。

 その日も珍しくも星がみえた。

「下僕の不手際は、主の役目。この王子にまかせろ」

「英田さん」

「それに知らないのは、当たり前だろう。私は、宇宙人なのだぞ? だが、こうして巡り合ったのだから、知り合いになって、互いに理解しあえるチャンスがあるということだ。よいか? 下僕」

「あ、はぁ」

「よし。よいか? ならば、もう銀河宇宙規模では、耳糞並にささないことで悩むな」

「耳糞ですか」

 愛美は眉を寄せた。

「そうだ。いちいちくだらないことで悩むな。銀河規模にたとえれば、本当に小さなことだ。よいか?この銀河は、何億という星があるのだぞ? それからすれば、地球の人類のことなぞ小さなことだ」

「はぁ」

 意味はわからないが、人に納得させてしまう力を英田は持っている。

「また、わからないことを」

「ふん、わからないのは、お前が猿だからだろう」

「人類は、みな猿だ」

「ふん」

 二人のやりとりをみて愛美はくすっと笑った。

「じゃあ、英田さん、英田さんは、どうして、この地球にきたんですか? 何億も星はあるのに」

「ん? いい質問だ。下僕……円盤から見た地球が、あんまり青かったからさ」

 英田の不適な笑みに愛美は目を瞬かせた。

「あんまり青くて、きれいで、ついついきてしまったのさ。この惑星は、なかなかに面白い」

 英田の目が自分を見るのに、なんだか頬が火照る。

「そうだ。ブルータス、お前もか! お前も青い星が好きだったのか」

「英田、それ、意味、違うぞ」

「ははははは」

 高笑いをあげる英田に愛美は口元をほころばせて、二人について歩いた。


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