前編
「山田、って何?」
「……っ」
きっと要は知らない。要の言葉が、どれだけ私の心臓を鷲掴みしていたかなんて。
いつもの学校。いつもの放課後。後はいつもみたいに帰るだけ……って時に、いつもと同じじゃない事が私の身に降りかかった。
「……好きなんだ。付き合ってくれたら嬉しい」
部活や委員会であっという間に皆いなくなって。ちらほら残ってた子が友達に呼ばれて出ていくと、教室に残っていたのは私と山田君だけだった。
挨拶をして帰るだけだったのに、急に腕を掴まれて。びっくりして振り返ったら顔を真っ赤にした山田君がいた。
「や、山田君?」
「急にごめん。こんな風に二人きりになれるなんてチャンスだと思ったらつい、さ。……ははっ。だからって告白なんて自分でもびっくり」
告、白? 告白、なんて。初めてだ。
理解した途端、ぼって音が出るくらい顏が真っ赤に燃えた。熱くて、熱くてたまらない。
「え、な、なん、で。本気?」
「本気に決まってる。急で信じられないかもしれないけど、ずっと好きだった。園田さ、日曜日いつもサクラウメに行ってるだろ?」
「え……」
サクラウメ。花の名前だけど別に花屋さんって訳じゃない。サクラウメはデイサービスをやってる老人施設で、ボランティアを募集してるのを知って思い切って応募した。
職員さんみたいな仕事は出来ないけど、利用者のおじいちゃん、おばあちゃんと一緒にお話をしたり遊んだりしてる内に楽しくてあっという間に時間が過ぎてしまう。なんで、知ってるの?
「……やっべえ。真っ赤になって不思議そーにしてる園田めっちゃ可愛い」
「っ!? な、なに言って、そ、そそんな事より! なんで、知ってるの」
可愛い、なんて言われた事なんてない。嬉しいよりも何よりもなんだかひたすら恥ずかしくてすごいカミカミになって更に焦る。こんなの、どうしたらいいの。
「あれ? え。なに俺、心の声口から出てた? ぶっは。くくっ。いや~、園田の動揺してる姿とかかなりレアだしすげえ可愛いし相当舞い上がってるわ、俺」
「……ちょっと」
「くくくっ。ごめん。本心だから許して」
「……もういいから」
山田君は笑いながら謝ってくれたけど。確かにこんなにテンパるなんて本当、らしくない。それに恥ずかしいセリフが心の声とか本心から、とか。さらに私の何かが抉られるからやめてお願い。
「スタッフにさ、宇野千紗っているだろ? 年離れてるけどあれ、俺の姉貴なんだ」
「え。宇野さんと姉弟なの」
宇野さんはボランティアを始めてすぐの頃、戸惑う私に丁寧に仕事を教えてくれて、慣れた今でも気にかけてくれる優しい介護士さん。今年24歳って言っていたから、私達とは7歳離れてる。ご結婚されてるから別姓なのか。
「結婚しても実家近いからってしょっちゅう帰って来るんだよ。姉貴」
「そう……」
「その度に、すごい良い子が毎週ボランティアで来てくれてるっていつも言うんだ。園田の事だって知らずにそれ聞いてて気になりだしてさ。で、写真が決定打」
「写真?」
「そ。レクリエーション? ての? なんか遊んでる園田の写真見せて貰ったんだ。内緒だよっつって。そしたら園田、心から楽しい! って全力の顔で笑っててさ。すげえびっくりした。普段学校じゃ、あそこまで笑わないし冷めてるヤツだと思ってたからさ。気付いたら、完全に落ちてた」
「……」
「いつもさりげなく学級委員の仕事助けてやってたり、取れかかったボタンさっと直してやってたりとか、他にも理由はあるけど……。一番は、やっぱ俺にもあの笑顔見せて欲しいって思う」
「……」
「好きだよ」
なんで誰も教室に来ないんだろう。って、つい、思ってしまった。
逃げないで、ちゃんと、返事しなくちゃいけないのに。
山田君の目はまっすぐで、真剣に想ってくれてるのが伝わってきた。
だから、つらい。せっかく気持ち伝えてくれたのに、傷付けることになる。
けど、私は応えてあげられない。それが、さっきから頭にチラつくあいつの顔のせいで分かってしまった。
「…………ごめんなさい」
たっぷり時間をかけて、気持ちが伝わるようにと想いを込めて、頭を下げた。
こんな平凡で、愛想がなくて、貴方に好きを返してあげられない私を。
好きになってくれて本当にありがとう。
「……うん。そっか。……分かった。……しゃあないよな、うん。こればっかは」
想いが伝わったのか、良い人なのか。眉間に皺を寄せた山田君が無理やり笑ってくれる。
本当に、私。なんであいつなんだろう。
「すぐは無理だけどさ、普通に友達……クラスメイトとしてさ、仲良くしてくれよな」
「……うん。もちろん」
「サンキュ! 俺、やっぱお前好きになって良かったよ。聞いてくれてありがとな」
「……ごめ、」
言いかけて、激しく首を振った。
「ありがとう」
「おう。じゃあな」
最後は私を見ないで、山田君は帰っていった。
しばらくは動けなかったけれど、いつまでもそうしていたって仕方がない。
体を叱咤してなんとか歩く家への帰り道、ずっと考えていたのは山田君への感謝とあいつの事だった。
高校は別の学校に分かれたけれど、家が隣同士で、同い年で、昔からずっと一緒に育ってきた要。
山田君の言葉を聞いて、消しても消しても頭に浮かんできたのはそんな幼馴染の仏頂面だった。
いつからか私にはいつも仏頂面で憎まれ口ばかりだったけれど、家に一人きりの私を気遣って、割と平気だったのに大雨と雷の嵐の中びしょ濡れになって来てくれた事もあった。
冷たい言い方する時は逆に心配してくれてる時だって分かっていたし、根が優しい事を知っていたから、傍に居るだけで心地よかった。
近すぎて、気付かなかった。あいつに彼女ができた時も、いつの間にか別れていた時も、何故か胸が痛んでいたのに。
きっとあの時、私は、要のイチバンになれる女の子に嫉妬して胸が痛かった。いつか来る別れがこわくなって、無意識に気持ちに蓋をした弱さが胸を刺した。
確かに、家族のような関係でも十分幸せだった。要のお父さんもお母さんも、娘の様に接してくれる。
でも、山田君がくれた好きって気持ちは、私の要への好きって気持ちを動かした。この気持ちをぶつけるのは、こわい。でも、もう別れをこわがるばかりじゃ駄目だ。別れから始まる新しい関係もきっとある。
山田君に返してあげられなかった分も、まっすぐ、要に。
好きだよって、伝えたい。
「おじゃまします」
「いらっしゃい澄香ちゃん」
「手伝います」
いつもの様に要の家で夕食を作るお手伝い。今日はエビチリですか。
お父さんは出張でいつも家を空けているし、お母さんは小さい頃に居なくなってしまったけれど、要や、要のお父さん、お母さん――幸恵母さんが居てくれるから寂しくはない。
「……澄香ちゃん、何かあった?」
「え?」
「何となく、ね」
エビの背ワタを取りながら、幸恵母さんが優しく聞いてきてくれた。
どうして、分かるんだろう。
あれだけ決意して要の家まで来たのに、ふいに訳の分からない胸のもやもやが気持ちにストップをかけてきて、どうしたらいいか分からなくなって焦っていた。
当の母親に話していいのか、一瞬迷って、口を開く。
「……今日、私を好きだって言ってくれる人がいて。彼のおかげで、私にも好きだって気持ちを伝えたい人がいる事に気付けたんです。ちゃんと、お断りしてきました」
「……」
幸恵母さんは柔らかく微笑みながら静かに話を聞いてくれていた。
「すごくまっすぐに、気持ちを伝えてくれたんです。私も、あんな風にできたらって思いました。でも……」
「……どうしたの?」
「私、応えてあげられないのに、どこかで嬉しい、なんて思ったんです。胸に響いて離れなくて。その事がどうしてもどこか閊えてるんです。こんな気持ちで、山田君みたいにまっすぐに好きなんて言えるのかなって……」
山田君の想いが、心に残ってしまっている。
勢いでここまで来たけれど、こんな私が要に何て言えるだろう。
「素敵な人に想って貰ったのね」
「……! はい」
笑顔の幸恵母さんの言葉に力強く頷く。山田君のおかげで、要への気持ちに向き合えたんだから。
「大丈夫よ。澄香ちゃんの想いは、ちゃんと澄香ちゃんの中にあるんでしょう? それなら、貴女には貴女ができる事をするのが大切なんじゃないかしら」
「私にできること……?」
「相手の男の子の気持ち、嬉しいのは当たり前の事よ。後ろめたいのかもしれないけれど、きちんと断ったのだから罪悪感は必要ないわ。寧ろ、その子の言葉が心に残っているなら、それはそれだけ貴女が想って貰えた証なのだから、貴女自身の為にも、大切にしてあげなさい。そうしたら、きっとこれからも色んな事で背中を押してくれると思うわ」
「そう、なの?」
思わず、普段お世話になっているからと忘れないようにしていた敬語が抜ける。
罪悪感。それが、この、気持ちにストップをかけていた胸のもやもやの正体。でも、このまま要を想っても良いの?
「澄香ちゃんは澄香ちゃんよ。まずは自分の気持ち、しっかり見つめて、どうしたいのか、どうしたくないのか、考えてみて? 想いを強く思ったら、きっとその山田君みたいに、ちゃんとまっすぐに伝わるわよ」
幸恵母さんはもう一度澄香ちゃんなら大丈夫よ、と言って料理に集中し始めた。それを見て、話を聞いてくれたお礼をして私も手元に集中した。背中を押して貰えてすっと肩の力が抜けたおかげか、作業はすごく捗った。
「要。帰ったらただいまくらいは言いなさい。ご飯だって呼んでも中々降りてこないし……」
「……」
いつの間にか帰っていた要が、今日はいつにもまして仏頂面でお夕飯を食べている。
どうして、よりによって今日このタイミングでこんなに機嫌が悪いの……。
せっかく幸恵母さんに貰った勇気がしぼんでしまいそうだ。
「澄。まだ夕飯食べ終わらないの? 俺が降りてこないからって、先に食べ始めてたよね。なのに遅すぎ」
「ご、ごめん」
「謝るくらいなら早く食べてさっさと帰ってよ。いつまで居る気?」
「こらっ! 要!」
今日の要は本当に機嫌が悪い。いつも素っ気ない言い方ばかりだったけれど、ここまで冷たい声なんて今までになかった。学校で、何かあった? 私が、気付かない間に何かしていた?
「ごちそうさまでした」
「澄香ちゃん……。要、どうしたって言うの」
「……母さんは黙ってて」
せっかく美味しくできたけど、食事はもう喉を通らなかった。
昨日までは普通だったはずなのに、こんな追い払う様にされたら告白どころじゃない。
幸恵母さんと要の言い合う声も耳に入らず、私は手早く食器を片づけると引き止める幸恵母さんに頭を下げて急いで自宅に戻った。
読んで下さりありがとうございます。後編へ続く!
全国の山田姓の男性の方へ重ねてお詫び申し上げます。