今日は入学式です。4
およそ一時間後、刀剣科の生徒全員が第一訓練場に集合したところで、田端の口から授業終了が告げられた。
刀剣科の生徒は、ペナルティ組か合格組か問わず、見渡す限り全員が疲弊していた。
悠兎も天を仰いで必死に酸素を貪っていた。
「……次は、魔法か」
呼吸の合間から、悠兎は必死に声を出す。
地面に胡坐をかいて座り呼吸を整える愁香は、返事はせずにポケットから一枚のプリントを取り出した。
それは、授業開始直前に担任の智慧からもらった、各生徒の実技授業の行き先が書かれてあったプリントだった。
着替えたにもかかわらず、今日の予定が書かれたプリントを持ち歩いていた愁香に悠兎は感心するが、それを表情に出すほどの気力はなく、無表情のままそのプリントを受け取って確認した。
それによれば、悠兎の所属する火属性は第一訓練場、つまりここで授業をおこなうとの事だった。
移動しなくて済むのは嬉しかったが、やはりそれを喜ぶほどの気力は残っていなかった。
「……風属性は第一闘技場。十悟、あんたは第三訓練場よ」
悠兎からプリントを返してもらった愁香は、それぞれの行き先を読み上げる。
「……分かった。」
よそ風で擦れ合う草の音にも掻き消されてしまいそうなほど小さい声で十悟は返事をする。
もともと体力に自信のない彼には、この授業は悠兎以上に厳しかっただろう。
「第三訓練場なんてどこにあるかわかるのか?」
「地図があるから。」
そう言って十悟はポケットからプリントを少しだけのぞかせた。
「次も田端先生みたいな人だと困るから、早めに行くわ。ほら、行くわよ」
「……うん。」
立ち上がった愁香の手を借りて、十悟も立ち上がる。
2人は力無い足取りで、他の刀剣科生徒たちと同じ校舎の方角へと向かって歩き始めた。
「頑張れよ!!」
深呼吸するのも辛い中、悠兎は肺に目一杯空気を吸い込んで叫んだ。
愁香と十悟は振り返り、腕を重そうに頭上まで上げて、手を振り返した。
時間が経つにつれ、第一訓練場に生徒たちが集まってきた。
彼らの様子からして、どうやら武器戦闘の授業で一番厳しかったのは刀剣科だったらしい。
彼らと刀剣科生徒の疲弊の具合は、一目で判るほど違っていた。
授業開始のチャイムが鳴った時には、100名程度の生徒がプレハブ前に集まって教師の登場を待っていた。
チャイムが鳴り終わる前に教官室のドアが開かれ、そこから男女8人の教師が現れた。
彼らは階段を下りると、生徒たちと向かい合うように立つ。
一番先頭を歩いていた40代ぐらいで顔立ちの良い男が、背後で手を組んでから口を開く。
「諸君、おはよう。私は馬場という。火属性科の主任を任された者だ」
見た目だけでなく、声も渋い教師だった。
田端と年齢は近いように見えるが、田端よりもずっと女子生徒から人気がありそうだ。
「授業を始める前に、いくつか確認する事がある。まず、この中で中級魔法を発動させる事が出来る者は挙手せよ」
馬場の突然の質問に、生徒は困惑する。
僅かの間沈黙が訪れた後、やがて悠兎を含む該当者が手を上げる。
「23名か、今年は悪くない。さて、次に移る。魔法を発動する際には魔力を消費する。お前たちが高難易度の魔法を発動させる事のできない理由は複数挙げられるが、そのうちの一つに魔力不足がある。ここで質問だ。そこの君、答えてくれ。魔力の量を増加させるためには、どうすれば良いと思う?」
馬場は目の前の一人を指名した。
「自分の限界まで魔力を使い切り続ける、ですか?」
「そうだな。魔力も酷使してやらなければ伸びはしないな。小学生でも知っている知識だが、お前たちには今年一年間でこれを改めて理解してもらう」
悠兎は心の中で「やっぱり」と呟いて身震いした。
魔法戦闘の主任が言いたい事は、つまり毎日魔力を限界まで消費する、ということだった。
田端の授業を体験してある程度の覚悟はしていたが、実際に宣言されると逃避したい気持ちが少なからず湧き上がってきた。
「進級するまでに、お前たち全員が中級魔法を発動できるようになる事が、私たちの目標だ。その為にはどんな状況でも諦めない強い精神が必要だ。魔法は精神面が特に深く関わってくる。217年も前に、それはすでに証明されている」
馬場の言葉のとおり、魔法はメンタルな部分と深い関係がある。
簡単な例を挙げれば、精神が穏やかな時よりも、興奮している時の方が、魔力の出力は大きくなるのだ。
その他にも、『武器錬成』と呼ばれる特殊な魔法を発動させる際にも精神が関係するので、彼の言葉は決して根性論などではないのだ。
「早速授業を開始したいところだが、その前に最後の質問だ。この中に下級魔法を発動させられない生徒は何人いる?」
今度は十数名が申し訳なさそうに手を挙げた。
その数の多さに悠兎は改めて驚いたが、しかし馬場は特に気にした様子もなく話を続けた。
「井間先生は彼らの指導を。あまり離されても追い付けなくなるので、二週間でお願いできますか?」
「やってみせますよ。さぁ、君たちはこっちへ来なさい。君たちには下級魔法のフロームを習得してもらいます」
手を挙げた生徒は井間と呼ばれた教師に連れられて訓練場の隅へと離れていった。
それを見届けた馬場は残った生徒の方を向き直ると、深く息を吸い込んでから口を開いた。
「全員一定の間隔をとれ!! 下級魔法を展開させろ!! ただし発動はさせるな。魔法陣を構築したまま維持させるんだ!!」
突如声を張り上げた馬場に、魔法属性の生徒たちは肩を跳ね上がらせて驚いた。
すぐさま言われたとおりに魔法陣を展開させると、それを確認した馬場が再び息を吸い込む。
「準備は良いか?! まずは十分間展開し続けてもらう!!」
「――よし、そこまで!! もう時間か、早いな。しばらくは基礎練習を続けるので、各自しっかりと休息を取るように。では解散」
馬場により授業終了が告げられると、数十名の生徒が気を失ったように地面に倒れ込んだ。
今日一日を終えて悠兎はふたつ分かったことがある。
一つ、この学校に入学する生徒は実力はそれほどまででもない事。
愁香はなんとなく感じ取っていたようだが、創立三年目にしてトリカ国内トップクラスの平均ギルドランク、四年目にはトリカ学校選抜大会二位の実績を持つ高校の新入生は、普通の高校生レベルの生徒がほとんどだった。
二つ、授業内容が他の学校の比ではない事。
十中八九、この事が奇跡とも呼べる成績へと繋がっているのだろう。
田端といい馬場といい、教師陣が非常に有能な指導者ばかりだった。
彼らのあのスパルタ指導なら、たった5年の歴史で何百名もの即戦力生徒を輩出したのも納得がいく。
悠兎は疲労でしばらく立ち上がれなかったが、しかしそれは悠兎に限った事ではなかった。
何十人もの生徒がその場に座り込んで下を向くか、大の字になってすでに暗くなった空を虚ろな目で眺めていた。
この授業で医務室送りにされた生徒数は18人。
その数字さえも、田端の授業の前では少なく見えている事に気付くと、悠兎は思わず笑いがこぼれてしまった。
黒に限りなく近い青色をした空では、数え切れないほどの星がチカチカと輝いており、片手では半分も覆い隠せないほど大きな月が、太陽の代わりに姿を現していた。
時折、月の上を蛇のような飛行型モンスターの群れが通るシルエットが見える。
「……さみぃ。帰らなきゃ」
春の夜風はまだ冷たかった。
無駄とも思えるほど長い帰り道を思い出すと、悠兎はため息をついた。
しかし、帰らなければどうしようもない。
授業が終わり騒然としている校舎へと戻り、悠兎は自分のクラスへと帰って行った。
「ただいま~」
帰りのホームルームを終えた後、悠兎はトイレに行ってから寮まで戻ってきた。
部屋のドアをゆっくりと開けると、リビングの方から何やら炒めている音が聞こえてきた。
「ただいま」
「おかえり。すぐできるから。」
悠兎がキッチンを覗くと、十悟がエプロン姿で今日買った食材を使って肉野菜炒めをつくっていた。
「そういや今日野菜炒めって言ってたな」
「うん。これ運んで。」
十悟が火を止めて大皿に肉野菜炒めを盛り付け、こちらに差し出してきた。
それを受け取ってテーブルに運んだ悠兎は、ソファに腰掛け、テレビをつけてバラエティ番組を映した。
「どうだった?」
悠兎が座ってすぐに、十悟がお盆を持ちながらキッチンから出てきた。
「地獄だよあんなん。医務室に行った奴が15人以上いる。そっちは?」
「こっちは21人いた。僕も授業終了と同時に気絶して、医務室に運ばれそうになったよ。」
悠兎は苦笑いを浮かべながらご飯とみそ汁を受け取った。
向かい合うように、低反発クッションに座る十悟。
「いただきます」
「いただきます。」
悠兎はさっそく野菜炒めに箸を伸ばした。
「うん、美味い!!」
「なら良かった。」
孤児院では愁香たち女性陣が料理をやっていたのだが、冬休みに十悟は寮生活を考えて愁香から料理を習っていた。
その成果はあったようで、野菜炒めは孤児院を思い出す味付けだった。
「あっははは」
テレビに映るバラエティ番組が可笑しくて悠兎は思いっきり笑ってしまう。
静かな食卓というものを、2人は今日初めて体験していた。
孤児院では、悠兎は常に歳下の子供たちとおかずを巡って争っていた。
それだけに、おかずを取られる心配をする事なく自分の見たいテレビ番組を楽しめるという事は、非常に新鮮だった。
自分が食べた分だけしか減らない自分の皿のおかずを眺めながら、改めて悠兎は寮生活の素晴らしさを噛みしめていた。
立春を迎えてからひと月が経ったとはいえ、夜の厳しい冷え込みは未だに冬の面影を残していた。
地面で蕾を綺麗に開かせた花たちは、きっと日中の暖かさに騙されたと後悔しているだろう。
一日で最も気温の低下する夜明け前、白い息を吐き出しながら、砂色のマントに全身を包んだナギは、木製の重厚な門の前で立ち尽くしていた。
門の左右には高さ3m程度の漆喰の白壁がどこまでも伸びており、この壁を囲うように広葉樹林は広がっている。
やがて門の向こうから砂利を踏む音が聞こえてきた。
それに気付いたナギは、足音が門のすぐ向こうで止まったと同時に口を開いた。
「なんの為に連絡入れたと思ってんのさ。こっちは眠ぃんだよ」
マント越しのくぐもった声は聞き取り辛かっただろうが、苛立ちが込められている事に相手は気付いただろう。
返事が帰ってくるより先に、ナギの背丈の倍はあろうかという門が、耳障りな音を立てて開いた。
「それについては謝ろう。そしてご苦労だった。中に入ってくれ。遅れた理由について話す。あんたなら喜んでくれる話だ」
そこに立っていたのは白髪が目立ち始めた壮年の男性だった。
門の古風な外観には似合わない、高級なスーツに身を包んでいる。
彼の右手には黒革製のアタッシュケースが握られている。
「へぇ。でもそれより先にそいつを渡してちょーだいよ」
「ああそうだな。ほら、ナギ。今回の報酬だ」
スーツ姿の男は頷くと、右手のそれを差し出した。
ナギはマントの間から手を伸ばし、それを受け取る。
ずしりと手に伝わってくるのは、3年は遊んで暮らせるだけの金の重みだった。
家主が門を再度施錠してから、2人は豪邸へと続く砂利の敷き詰められた道を歩き始めた。
「それで、どうだった?」
歩きながら、家主はナギに尋ねる。
「ん、よゆーよ。俺を止めれるほどの警備じゃねぇ。寝首をかっ裂いてきたさ」
「そうか。それで先程の話なんだが、実はお前に依頼したい人がいてな。その方を中に待たせてあるので、今から会って欲しいのだが」
「あまり暇じゃねぇんだ。会ってやっても良いが、面倒な話なら断るぜ?」
「お前ならきっと喜んで引き受けるほどの報酬額だ」
その言葉を聞いたナギは「へぇ」と声を漏らした。
2人が正面玄関から靴を脱いで豪邸の中に入ると、家主は奥へと向かって進んでいった。
様々な骨董品が目につく廊下を何度も曲がりながら進んでいき、案内された先は、六畳間の和室だった。
部屋の中心には長方形の座卓がひとつ置かれており、それ以外には床の間に掛け軸と大きな壺があるだけの簡素な部屋。
そしてそこには、白い無精髭を蓄えた初老の男性が座っていた。
彼の羽織っているローブは古風なこの空間からは浮いていたが、この屋敷に劣らぬほどの高級感を漂わせていた。
家主の男はローブ姿の男の隣に座ると、ナギにも座るように促す。
ナギは彼らと机を挟んで向かい合う形で畳の上に腰をおろした。
「紹介しよう。この方はトリカ西部の領主、領主名はレドゥゼ。私の恩人でもある御方だ」
「君の噂は聞いているよ、ナギ。君の腕が業界内でもトップクラスである事も」
家主の紹介を受けて、レドゥゼと紹介された無精髭の男は低い声で言った。
言葉とは裏腹に彼の眼つきは鋭く、ナギという人物を見極めようとしているようだった。
しかしそれに委縮する事なく、ナギは今までと同じ礼を欠いた態度を崩さなかった。
「そいつはどーも。で、話って? こっちはさっき“仕事”を終えたばかりで眠ぃんだよ」
「なるべく手短に済ますつもりだ。まず今回の依頼についてだが、とても規模の大きな話になってくる。今君がこなしてきた暗殺任務が可愛く思えるほどのな。我々は、このトリカという国家を崩壊させようとしている」
レドゥゼの言葉が俄かには理解できず、ナギは一瞬だけ呆けてしまった。
「……へぇ。そいつは随分と壮大な野望だこと」
少々大袈裟に欠伸をして見せてから、ナギは休息を求める脳を必死に働かせた。
トリカ国の南西に位置するレドゥゼ地方を治める彼は、“旧体制派”や“反国王派”と呼ばれる派閥の人物だった。
貴族による支配体制を強化した先代の国王に賛同する者たちであり、貴族の権力を弱め国民による自治化を進めようとする当代の国王に反発する者たちの中でも、特に強硬的な態度をとる者たちを、そう呼ぶのだ。
彼らが目指すのは盤石な貴族体制、より簡単に言ってしまえば、自分の地位の確保だった。
今まで当たり前とされてきた横暴な生活をこれからも続けていく為に、12年前に現国王が即位し身分格差の是正に関する政策を発表した時から、激しく対立しているのだ。
ナギが気になったのは、欲深い初老の男が披露してくれたたいそうな野望ではなく、「我々」と言った点だった。
貴族の約三割が反体制派に含まれるという情報もある。
彼が口にした「我々」の規模がどの程度なのかを推測するのは困難だったが、少なくともトリカという国家を滅亡に追いやれるほどになったのは確かだった。
「で、俺は何をすれば良いの? まさかそれをやれとは言わねぇよな?」
「シナリオは組んである。君には“火を熾こす役”を務めてもらいたい」
「もっと具体的に言ってちょーだい」
「私立獅子鐘魔法学院を破壊しろ。文字通り、運営不能状態にまで追い込め」
レドゥザは力の込められた声で言った。
依頼内容を聞いて、ナギは彼の言う『シナリオ』を瞬時に察した。
平民と貴族の両方が通う魔法高等学校、私立獅子鐘魔法学院。
旧体制派からしてみればこの学校は身分平等の象徴のような忌まわしい存在だった。
この学校を崩壊に追い込む事で、貴族と平民の友好的な関係を築き上げようとする現国王の目論みを破綻させ、身分平等の風潮に歯止めをかける事が出来るとでも考えているのだろう。
貴族たちの強欲さを改めて思い知らされながら、ナギは前代未聞の大案件を受けるべきか悩んでいた。
この依頼がトリカの歴史の分岐点となるのは、疑う余地もなかった。
だが依頼のリスクが計り知れないのも事実。
「……随分と無茶な依頼だな。そんで、あんたらはどれほど用意してるんだ?」
「どの程度成功したかによるが、お前の右隣にあるアタッシュケースの15倍以上は約束しよう」
「ま、そんぐらいは当然必要だろうな。そうだな……」
当初は断るつもりだったナギだが、その気持ちは徐々に変わってきていた。
だがそれは、決して報酬の為ではなかった。
眠気と格闘しながら思案していくうち、この作戦が非常に大きな利益を自分にもたらす事に気付いたのだ。
ナギもまた、腹の中に野望を抱く一人だった。
「その依頼、引き受けてやるよ。ただ、今日はもう眠くてかなわねぇ。一週間後の昼くらいに、ティエラパの東町のはずれにある喫茶店で改めて話し合おうぜ」
「お前の拠点のところか。良いだろう」
「そんじゃ、今日は帰るぜ」
ナギはそう言うと立ち上がり、和室を後にした。
障子を閉める時、思わぬ形で巡り合えた好機を絶対に逃すまいと、心の中で誓った。