ようじょゆうかい
夢を見続けて早数日。俺にとって、内容を忘れることのない夢はもう慣れっこだった。
最近の夢は、ピエロに襲われる以前の記憶が、大半を占めている。
最初に見たピエロの夢は、おそらく記憶のない時間の中でもっとも明確に残った時間なのかもしれない。あの無力なまま食べられていく、二人の姉妹のことを悔やんでいるのだ。
「また昼寝?」
そこでふと、隣から声がかかる。
「ああ、つい。昨日は夜中遅くまで探索したからかも」
「だから、夜は危ないのよ。ピエロに会ったらどうするの」
俺に細い人差し指の腹を見せて、茜は隣から俺に説教をしていた。
ここは、いつもの寂れたジェットコースターエリア。平日でも祝日でも混雑しているピエールランドには、俺たち被誘拐者の空間といえる場所はここしかなかった。
「……今度から、気をつける」
「本当かしら」
茜は疑いを含めた眼差しで、俺を見ていた。信用されてないのは、俺の責任だろう。
鷹野さんを茜と呼ぶようになって数日、暦は七月二十五日。
あれから、ピエロに対抗するような手段は一向に見つからない。もしかしたらないのではないのかと疑うくらい、何の成果もない。
俺はその事実から逃げるように、昨日も夜遅くまで探索を続けていた。
「なら、今日は私もついていく」
「それは……困る」
ただ、この数日で茜との会話することが格段に多くなった。必ず昼食には会うことになるし、一緒に探索したこともあった。
今日も昼食を食べるためにこのベンチで早めに待っていたのだが、つい寝てしまったようだ。
「困るのって、後ろめたいことがあるからじゃない?」
「すいません」
茜にとって、俺はとても頼りない後輩のようなものなのだろうか、仲良くなったのはいいが、少しおせっかいが過ぎたりもする。
前に世話好きとからかってみたら、茜は自分が持ってきたサンドウィッチを一人で全部食べてしまうこともあった。
あの日、茜と一緒に夕焼けを見てからだ。いったい彼女に、どんな心境の変化があったのだろう。いや、もしかしたらこれが茜本来の性格なのかもしれない。
「わかったよ、じゃあ今日は無理もしないし、茜と一緒に行こう」
「そ」
口げんかで勝てる気はしないので、結局俺のほうが折れる。そっけない返事だが、あれはあれで茜は機嫌がいいことが表情に出ている。
会話もそこそこに、茜はいつも通りバスケットからサンドウィッチを取り出す。
「今日の味は?」
「梅干」
サンドウィッチの中身の話だ。
「梅干だって! 昨日の生わかめより悪くなってるじゃないか」
「挑戦よ」
実のところ、茜は料理がからっきしらしく、サンドウィッチしか作れない。
もちろん普通のサンドウィッチを作ることは出来る。しかも美味しい。だからまかせっきりだったのだけど、ちょうど一昨日あたりからこんな奇抜なサンドが出てき始めた。
理由は、俺自身いつ言ったのかもわからない。ちょっと違った味が食べてみたいという台詞を、茜がずっと覚えているからだそうだ。
「食べないの?」
「いや、食べます。おいしそうです」
もちろん、言いだしっぺの俺が食べないわけがない。
口に入れると、なんともいえない味わいがする。なんというか、まちがった風情を感じる。
「うん、たぶん美味しい。でも、たまには普通のを食べたいです」
「そ。じゃあ明日からは普通にする」
奇抜なデザインはちょうど三日目。さすがに飽きたのだろうか。ちなみに初日は青ネギ。
こんなくだらない昼食のひと時も、昔の俺にはなかった出来事だ。素直に楽しかった。
茜の横顔を見る。小さな口でパクパクと食べているその姿を眺めるのも、俺の日課の一つになっていた。しかも、今日はなんだがいつもと表情が違うような気がする。
自然と、俺は茜の視線を追って、その先に見つめるものを探す。すると、この数日では見たことのないものに出会った。
「へえ、珍しいんじゃないのか。ここに人が来るなんて」
俺は少し驚いて、茜に同意を求めてみる。だけどその表情は固まったまま、サンドウィッチを食べる口も止まっていた。
「茜も驚いたのか?」
「あの子……」
俺にかまいもしないで、茜はその人のいる方向へと歩き出した。
あわてて俺もそれを追い、すでにその人の眼前にまで歩いた茜は、見下ろすようにその迷い込んだ一人の少女に向かって、強い目で睨んだ。
「あなた、一回もアトラクションに乗ってないわよね?」
一人の少女は、小さくて、孤独に見えた。
「ひっ! ごめんなさい! わたしが何か悪いことを」
「ごめんなさい、すこし怖かったわね」
茜の眼光に押されてか、少女はおどおどとした口調で謝りだした。
その少女は、俺はおろか茜よりもずっと小さく、まるで少女と子供の中間地点にいるような幼い女の子だった。
セミロングの綺麗な髪の毛に、左上を可愛く丁髷のように縛っている。顔は整って人形のように可愛いものの、目がおどおどしているせいか印象はおとなしめで、どこか影も感じる。言っちゃ悪いだろうが、幸の薄そうな顔とはこんなものなのだろうか。
「いえ! わたしが勝手に怖がっただけです。むしろお二人の邪魔をしていないかと」
「大丈夫よ、邪魔じゃないから」
どこまでも謙虚な少女に、茜がすかさずフォローをしている。
さて、どうしたものか。
少女はまだ落ち着きを取り戻せていないようで、周りをきょろきょろしている。茜は落ち着くのを待っているのか、さっきよりもやわらかい目つきで少女を見ていた。
ここは、俺が何か言ったほうがいいのだろうか。
「あのさ、美味しい物あげるから、お兄さん達とお話ししないか?」
「ひっ!」
するとどうだろう。少女はさらに怯えて、茜にいたっては目を細めて俺に軽蔑の視線を送る。
「啓二、怪しい」
「あやしいって?」
「ごめんね、別に連れ去って悪いことする人じゃないから、安心して」
なだめるように、優しい声だった。女性にしか出来ない、母性のこもった声というのは、こんなとき役に立つのだろう。
その言葉に少し落ち着いたのか、少女は二度三度深呼吸をしてから、茜を見る。
「はい、もう大丈夫です」
「そ。私の名前は鷹野茜、呼び方は茜でいいわ。あなたの名前は?」
「わ、わたしの名前はおおとり、鳳静香です。あでもわたしはお前でもあんたでも何と呼んでもかまいませんので覚えてもらわなくても……でも出来れば静香と呼んでほしいです」
「静香ちゃん?」
「はい! なんでしょう茜お姉さん!」
とてもうれしそうな、返事ですね。
「じゃあ俺は、静香でいいのか?」
「は、はい。大丈夫です」
その静香に怖がられているのは、気のせいだろうか。
「俺の名前は、鳥乃啓二だ。啓二でいい」
「静香ちゃん。それよりも、最初の質問を聞いてもいい?」
「は、はい。アトラクションのことですね」
静香は俺の名前と茜の質問に、二度頷く。
「えっと、まだ乗ってないです。ごめんなさい」
「そ。あなたは迷子なの?」
「は、はい! 何で知っているんですか?」
静香は何度も驚いて見せて、俺を混乱させる。俺達からしてみれば、静香の状態はきわめて危険だ。深刻な表情を隠せない茜が、その事実を物語っている。
彼女は、もしかしたらピエロに誘拐されてしまうかもしれない。
ピエロは、孤独な人間をピエールランドから見つけて、誘拐する。その判別方法として、アトラクションに一度も乗らないという制約があると言っていた。
あぶなかった。もし俺らに見つからなければ、静香は誘拐されていたはずだ。
「じゃあ、どっかのアトラクションに乗らないとな」
「な、なんでですか?」
「あ、それは……」
なにか、適当な理由でもつけて静香を乗せなければ。
そう思った矢先、茜が俺の肩を叩き、俺を止めた。
「それよりも、迷子なら私たちが、両親を探してあげる」
「え、いいのですか?」
「ピエールランドに、迷子センターはないから」
そこに疑問を投げかけようとしたら、茜に片手で口を塞がれる。俺は先にアトラクションに乗るべきだと思ったのだが。
「訳があるの」
茜が耳元で俺だけに聞こえるよう言った。
それよりも俺は、口に指が当たるのと耳に息がかかるのがとても恥ずかしくて、うれしいけどその手をどけなければと考えていて、
「わお! なんか今日はいっぱいだね、そしていけない香りがするねー」
鳩さんの声が、俺の行動をストップさせた。茜も同じように、塞いだ手を下げる。
「ひっ!」
そして、静香はその大きな声に驚いている。
「あれ、鳩は邪魔者かな?」
「そんなことないわ。鳩さん、ちょっとその子……静香ちゃんの相手してくれる?」
「サー! こんにちは初めましてごきげんよう、鳩だよ! キャベツ食べる?」
無言の空気を振り払うように出てきた鳩さんは、今度は静香を文字通り振り回す。
俺と茜はその二人から少しはなれたところまできて、ひとまず深呼吸。
「丁度いいわね。静香ちゃんは鳩さんに任せて、啓二に言っておきたいことがあるの。この、ピエールランドのルールについて」
「ルール? そんなものがあったのか」
「本当は、最初にピエロ本人が勝手に喋るのだけど、啓二は私が途中で追い払ったから」
もしかして、あの時やたら質問に答えてくれたのは、そのことに対しても責任を持っていたりしたからなのだろうか。
「あれか、一回もアトラクションに乗らないでっていう話も」
「そ。全部ピエロからの受け売り」
だから、初めて話を聞いたとき、あの疑わない自分に変な顔をしたのか。遅れて納得する。
「たしかに、私は乗らないで誘拐された人間だけど、あなたがそうとは限らないじゃない」
「もしかして、嘘もあるってことか?」
「それもあるけど、今一番怖いのは私たちがいるのにアトラクションに乗せてくれるかね」
「あ、そうか」
俺たちと一緒にいるような人間を、無視人形がアトラクションに乗せてくれるとは限らない。
「静香一人で乗ってもらうってのは?」
「無理。明確な時間はわからないのだけど、園内で私たちと関わった人間も、少し時間が経っただけで私たちのことを忘れるから」
神妙な声で茜は俺に説明していく。
そうだ、誘拐犯とその関係者以外の人が、俺達のことを忘れるという呪いがあったのだ。
「静香がアトラクションに並んでいる間に、俺達のことを忘れるかも?」
「ただでさえ一人で乗れなんて疑い深い状況なのに、忘れてしまえば、迷子の子が素直に遊んだりはしない。あと人形のいない準備中のアトラクションには、行っても意味がない」
だいたいのアトラクションは遊ぶのにも平均で十分ほど並ぶ。都合よくその間まで覚えていてくれると思えるかと言われれば、それは否だった。
「前にSOSの紙を一般の人に渡したこともあったけど、五分もしないうちにその人は紙を無くしていたわ。園外に紙飛行機で飛ばしても、消えちゃうし」
他人に助けを求めてもだめ。茜も、ここから脱出するために様々なことをしていたのだ。経験で言えば、探索だけをしていた俺とは雲泥の差だろう。
「私は、あの子の両親を探すのが一番いいと思う。孤独じゃないのなら、事実上ピエロに誘拐されるはずもないから」
茜は一度、静香のほうを振り向いて言った。
「わかった。探すのはいいけど、方法がなんともいえないな」
「そうね、両親の写真があればいいのだけど」
手分けして探しても、見つかるのかが心配だった。ピエールランドは想像以上に広いのだ。
「でも、確立は低くないわ。だって、迷子なら親だって静香ちゃんを捜すから」
「とりあえず、どの辺ではぐれたのかを聞いて場所を絞る程度ってことか」
あまり良い提案とはいえないが、それくらいしか思いつかなかった。
「やほー」
そして丁度良く、それとも話が解決するタイミングを狙ったのだろうか、鳩さんが静香を連れてこっちに来ていた。
「この子が迷子なんでしょ? 私も協力するよ」
「ご、ごめんなさい。私なんかのために」
俯いて、静香はまた申し訳なさそうな顔をする。茜はそれを咎めることもなく、俯いた頭にやさしく手を置いて、微笑んだ。
「まずは、はぐれた場所を教えて」
「は、はい!」
俺もあれくらい出来たらなあ……。
静香は目的地へと、トコトコと慌てるように先走る。危なっかしい足つきは転んだりしないか心配だ。と思ったら背後で転ばないように見守っている鳩さんがいた。
「啓二、遅れないで」
そして俺といえば、人のことばかり見て出遅れしまった。茜が引き返してきている。
なさけない。俺もしっかりしないと。
「は、鳩さんはすごいです。何でそんなことが解るんですか!」
「ふふん、静香ちゃんのスリーサイズくらい地球が回っていること以上に簡単な事実なのだ」
「そりゃすごいな。ガリレオが天国で歯軋りしてるかもしれないぞ」
歩いている間も、鳩さんは静香ちゃんを心配させないためか、ずっと話しかけている。茜さんは入っていないが、彼女達は姦しかった。
俺も、さっきから会話に参加しようとはしているものの、どうにも入りづらい。
「どうしたの啓君。さっきから静香ちゃんを見る目がギラついているよ」
「あ、いや」
入りづらいというか、俺自身が入りにくくしていた。
どうしてか、納得のいかない感情を静香に向けているような気がしてならない。しかも静香は暇さえあればずっと怯えているような子なので、下手に会話で怖がらせたくなかったのだ。
「えっと、啓二さんですよね」
さすがに空気を察したのか、静香が果敢にも話しかけてくる。
「覚えてくれてたのか」
「はい、わたし人に自己紹介されるのなんて久しぶりで、忘れたりはしません」
その気持ち、痛いほど解る。それはとても、悲しいことなんだ。
「え、あのあの」
「大ジョブだよー。啓君は見た目こんなんだけれど、心は静香ちゃんと同じで繊細だから」
「フォローになってないよ鳩さん」
「なつかしいよねー。啓君と初めて会ったのは、デパートのバーゲンセールで同じ服を引っ張り合っているのに気づいたときからさ」
「ローカルですねー」
「そんなホームコメディみたいな出会いじゃなかっただろ」
「……」
茜は俺たちの会話を聞いているのかいないのか、まったく話に入ってこない。たぶん、周囲を警戒しているのだろう。人形は俺たちを無視しているが、干渉してこないとも限らない。
だけど、そんな心配も杞憂だったかのように静香につられるまま目的地に到着した。
しかしまた、そこで心配とは別に疑問が湧き出てくる。
「ここって……入口だよな?」
「はい、そうですけど」
歯切れの悪い答え方だが、静香が嘘をついているようには見えない。
入口で迷子になった。まさか、入ってすぐにはぐれてしまったのだろうか。
「静香ちゃん。何時ごろから、はぐれたの?」
「えっと、開園時間すぐに……」
「まて、今午後一時過ぎだぞ」
ピエールランドの開園時間は、午前八時だ。それまで四時間以上もの間、静香は迷子だったということになる。
普通ならこんな年の子が、冷静でいられるのだろうか。おどおどしてはいるが、静香はそこまで慌てているようには見えない。
茜もすこし疑問に思ったのか、俺に無言で眼を合わせてきた。
「じゃあ鳩は別行動にするねー」
そこに、鳩さんがマイペースな声で話しかけてくる。
「え、どうすんだよ。静香の両親の顔なんてわからないだろ?」
「たぶん大ジョブ、私けっこう人の顔見るから、もしや静香ちゃんの両親は血が繋がってなかったりする?」
「い、いえ。正真正銘の両親です。写真はなくてごめんなさい」
お辞儀をする静香の頭に、鳩さんは片手でぽんぽんと二回触れる。あれは鳩さんなりの慰めなのだろうか。
「顔見りゃ解るって、それ本当なのか?」
「だいたい、静香ちゃんに大勢付き添ったってそこまで意味ないよー」
「そ。私と啓二は静香ちゃんに付き添うから、見つかったら連絡して。ここに集合するから」
そう言うと茜は、ピエールランドのお土産にあるつがいのブザーを鳴らす玩具を鳩さんに渡す。ちなみに俺達の携帯電話は、関連記憶の消去とともに解約されていた。
「それ電波範囲とか、大丈夫なのか?」
「トランシーバーと同じくらい」
『ピーピーピー!』
鳩さんがボタンを押すと、警報機のような高音がその小さな玩具から吐き出される。
「うんオッケ! じゃあ行くねー」
玩具をすばやい動作でポケットに入れ、そそくさと鳩さんは人混みの中へ消えてしまう。
さて、ここから俺はどうすればいいのか考えてみる。
茜は心配なのか、小さくため息をついて鳩さんが向かった方向へ視線を向ける。そしてその後で、また俺と目を合わせた。
「にしても、まさか入口ではぐれたとは」
しかも開園時間すぐにだ。丁度入口のラッシュにもまれたのかもしれない。だけどこの子の冷静さはどういうことだろう。
「あの、すいません」
「なんで、謝るんだ?」
「わたしのような不束者がご迷惑を……」
「……啓二」
いや、何もしてないよ。
茜は俺が悪いことをした子供を攻めるような眼で見る。何だか解らないけど、ごめんなさい。
「行動よ。考えても、始まらない」
茜はそう言って、今度は静香に振り返った。
もしかして、俺が静香を疑っているのに対して、二人は反応したのだろうか。静香は疑わせる自分に、茜は疑う俺に。
たしかに、今やることは静香の詮索じゃない。助けることだ。
「そうだよな、考えても始まらない、よし!」
気合を入れて、気分を一掃する。考えるのは大切だが、行動をおろそかにはしたくない。
「静香」
「は、はい!」
「俺が両親に会わせてあげるからね、安心して俺に付いて来るんだ」
「ひっ!」
「……怪しい」
俺を怖がっているようだけど、気にしない。