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そうぐう

 いやな夢だったなあ。

 人の夢は不思議なものだ。何のために見ているのかもわからない。どちらにせよ、どうでもいい夢ばかりなのだけれど。


「目覚めが悪い」


 開口一番に愚痴が出るほど、俺の夢はひどいものだった。なにせ見ず知らずの女の子が、おばけに食べられている夢なんて。現実で見たら、まさに夢に出るような――


「……あれ?」


 そこで俺は不思議と、辺りをきょろきょろと視線を迷わせる。

 夢の内容ばかりに頭がいって、周りの状況を顧みるのが遅れてしまった。


「ここ……どこ?」


 目を覚ましたら。俺は知らない場所にいた。

 夜なのか、上空には星が散りばめられている。そして下はコンクリートの地面。俺はこの地面に寝ていたようだった。

 さらに辺りを見回して、傍らに鞄があるのに気づく。どこか見覚えがあるのは、たぶん俺の鞄だからだ。迷わず鞄を開けて、中に自分の免許証を見つける。

 名前、鳥乃啓二。年齢は十八歳。ドライヤーで乾かすのが面倒で、あまり伸ばさない髪、その髪では覆いきれないどこか積極性のなさそうな顔が、免許証に張られている。さらに顔写真以外の事実を告げるなら、全国平均よりも少し下の身長体重度量くらいなものだ。

 鞄を片手に抱え、周囲の状況を再確認する。こういう不測の事態ほど、下手に動けなくて冷静になれるのは本当らしい。

その場所は統一感のある赤い洋風の建物が立ち並び、その一軒につき一つの割合で、道を照らす街灯が俺の周りを明るくしていた。夜のためあまり遠くは見えないが、見える範囲でもかなり長い通りのよう。下を見れば公道とは思えないほど滑らかな地面。きれいな街並みだった。

どうみても、日本には見えない。

でも、どこか見覚えがあるような――


「……あ」


 そこで、俺は気づいた。鞄をあさり、一冊のガイドブックを手に取る。冊子にはでかでかと、かわいいフォントでひとつのタイトルが書いてあった。


「ピエール……ランド」


 ピエールランド。敷地面積百二十万平方メートル。入場料二千円で園内のアトラクションはすべて遊ぶことができ、平日でも人が多く、一日の平均入場者数約八万人以上という、世界でも指折りの人気を誇るテーマパークらしい。

 そして、そのガイドブックの隅っこにある街エリアの写真と、今いる場所の雰囲気を重ね合わせた。そっくりだ。

 状況の確認。俺はそのピエールランドに、夜になるまで倒れていたのだ。

 だんだんと、思い出してきた。

 俺は今日、高校最後の思い出旅行に、このピエールランドを訪れる予定だったのだ。

 卒業前の高校で最後の思い出を作ろう。ということで教員側が企画した、近場の小旅行。ピエールランドに俺は行ったことがないが、クラスのほとんどが一度は行ったことがあるようで、不気味なまでに喜んでいたのを覚えている。どれだけすごいのだろうと少しの期待もあった。

 そして今日、二月二十五日。初ピエールの俺は送迎バスの中で、少しの不安と期待をもって、一人バスの車窓を眺めていた。

 一人眺めていたのは、俺に友達がいないから。

 そして、そのバスでピエールランドに着いたことまでは覚えている。

 そこから先が、思い出せない。

 バスで気絶して、クラスの悪ふざけでここに運び込まれでもしたのだろうか。


「わからん、携帯は……圏外?」


 とりあえず歩いて、人でも探そう。そして道を聞こう。夜の遊園地を一人、歩くことにした。

ここは二月の終わりにしては空気がやけに暖かい。統一された洋風オブジェの概観は、どこか不思議な力まで感じる。物に魂が宿るというのを信じるのは、こういう時なのだろうか。

 ふと、ピエールランドの再現した街並みを見渡しながら、俺は人が一人もいないことに気づく。道の上にも、建物の中にも、人を感じなかった。


「なんだか、寂しい場所だ」


 俺は自然と、その空間から人を探すように視線を動かした。

 閉園時間が過ぎ去ったとしても、誰かいると踏んでいた俺の考えは浅はかだったのか。少しの不安が、頭をよぎる。


「誰か、誰かいないのか!」


 俺は大声で、自分がここにいることを誇示した。でも、誰も見えない。

 街全体が、俺を無視しているような錯覚を覚えた。今の自分は、綺麗な街並みを一面に抱え、その中心に立っている。でも、俺が綺麗になったわけじゃない。

 道を尋ねる以前に、俺はこの場所が怖くなった。

 俺がまるで、世界の中で汚いもののように見えて……いた!

 見つけた、人だ。

 不安を拭い捨てるように、建物の陰に人影を見つけ、その元に駆け寄っていく。

 動かないものが立ち並ぶ中で、動く人はたちまち俺の視界に入ってきた。


「あの、待って!」


 声をかける。ただ少し遠かったのか、言葉は届かなかった。

 いやだ、逃げないでくれ。

 俺はすがるように、這い蹲るようにして、その影を追った。

 まるで、この人を見逃してしまえば、二度と人に会えなくなってしまうかのように。いや、見逃しなんてしない。俺は、諦めきれない。

 そして、見つけたのだ。


 街の中で、俺は同じ誰かを見つけた。その人は、女の子だった。


 この場所に立ち並ぶ建物は素敵で怖いけど、女の子からは綺麗という印象のほかにも、どこか親近感のようなものがあった。

 女の子の年齢は俺と同じくらいだろうか、流れるような長髪と、そろえられた前髪から覗くつり目の双眸は、整っているせいか規律のような厳しさを感じさせ、逆に細身の体からは、か弱さを感じた。

 彼女も俺同様、建物に囲まれている。だが両足は、しっかりと街に足をつけて歩いていた。

 彼女が、振り向いた。

 俺の気配に、気づいたのかもしれない。

 助かった……。

 いま鏡を見れば、俺はガラスの靴によって王子様に見つけてもらったシンデレラの顔くらいにはなっているだろう。

 彼女と目が合う。俺のことを、意識の中に置いたようだ。


「あの、俺は鳥乃啓二っていいます」


 こういうとき、どういうことを言えばいいのかわからくて、つい自己紹介。


「……」

「……あの」


 彼女は俺を見たまま、何もしゃべらなかった。もしかして、台詞が滑ったのかもしれない。

 そう思った直後、彼女は突然驚愕の表情に目を開き、すばやく俺の手をつかんだ。もちろん俺は、びっくりした。


「え?」

「あなた、いつからここにいたの?」


 俺はいきなりの握手に戸惑いながら、彼女の輝く眼差しに答える。


「えっと、わからないです」

「……開園時間からいたとしたら、十時間は越えている」


 彼女は自分の顎に手を当て、一人でぶつぶつ喋りながら、何か思慮にふけている。


「もしもし?」

「死にたくないなら、ついてきて」


 言い終わるよりも前に、彼女は走り出した。もちろん、手をつかんだままの俺も、引っ張られるように走り出した。


「うぇ!」


 は、速い。そして力持ち。その細い腕とは思えないほどの力で、半ば浮くようにして俺の足は知らない方向へと進み続けていた。

 外灯を横切り、道をけって、事情を聞こうとして俺が口を開いたら舌を噛んだ。

 そしてまもなく、彼女がその足を止めて、目の前に大きな門の聳える大広間に出た。

 ここも、見たことがある。


「ここって、ピエールランドの入り口じゃないか」

「……」


 息切れを抑えながら彼女に聞くが、返事なし。

 俺を背後に引っ込めて、彼女は入り口付近を物陰から覗き込む。何かを警戒しているようだ。

 そしてすぐに、彼女はあきらめたようにため息をついた。


「……遅かった」

「遅い?」


 俺も彼女に倣い、ランドの入り口に視線を配ってみる。そこには、いくら探しても見つからなかった、ピエールランドの係員が大勢いた。

 ああ、ここにいたのか。だから今までどこにも人が見当たらなかったんだな。


「ごめんなさい」


 安心した俺とは逆に、彼女はその整った顔に陰を射し、少し残念そうだった。


「なんで、謝るんですか?」

「……」


 彼女の反応は少し目を合わせるだけ。先程とはうってかわって、とても素っ気無かった。


「と、とりあえずありがとう。入り口がわかれば、あとは自分で帰れますから」

「……」


 彼女は、俺の声を聞いているのかどうかもわからない。まるで、この数秒間で俺が彼女にとっての背景になってしまったみたいだ。すこし、近づきがたい。

 逃げるようにして、俺は入り口に向かっていった。

 たぶん入場券はポケットに入っている。それにお土産用の財布も鞄にあるから、帰る分の交通費には困らない。あとは、近くの駅がどこにあるかだ。


「すいません、どいてください」


 立ち止まっている係員達を潜り抜け、改札口のようなピエールランドの出口へと渡り歩く、この場所も、すこしばかり幻想的な雰囲気が漂っている。

いや、少しばかりか、あの一人でいた街道のような感覚そのものだ。

こんなに、人がいるのに。

 そこで、目の前の障害物に、思考がいったん途切れた。


「あ、すみません」


 改札口を通せんぼするように、一人の係員が道を塞いでいた。こちらに背中を向けていて、もしや俺に気づいていないのだろうか。

 気づいてもらえるように、俺はその人の肩に手を置いて、


「あの、どいてもらって――」


 後ろに、突き飛ばされた。


「いたっ!」


 改札口から少し下がった、コンクリートの地面に尻餅をつく。

 柔道のような受け流しではなく、力任せの力でこちらを押し出したのだ。意識すると、アバラのあたりがひりひりする。


「な、なにをするんだ!」


 俺は突き飛ばされた苛立ちをそのまま乗せて、職員を睨む。

 対する職員は、背中を向けたまま俺のほうを向いていた。

 ……背中を向けたまま?


「……え?」


 一瞬、意味がわからなかった。だけど、すぐにその理由がわかった。

 首が、百八十度曲がっていたのだ。


「キキ……」


 不気味なかなきり音を鳴らして、その職員はふざけるように、今度は三百六十度回転してみせる。ぐるぐると、首が回っていた。


「人……形」


 そう、人形だった。見た目も雰囲気も人間そっくりな、人間を真似た人形。

 いつの間にか、周囲は俺を囲むように人形が並んでいた。さっきまでいた係員は、すべて人形だったのだ。それは何をするわけでもなく、ガラスのような瞳をこちらに見せ付けていた。

 数多の視線が、俺を見定めるように見つめている。まだ何もしていないのに、それでも、それでも何か言いようのない恐怖が、そこにはあった。


「……」


 俺は黙っていた。口が開かなかった。


「カチ……カチ……」


 そして、この沈黙を破るように人形達から音が聞こえ始める。

 ブリキの口を上下させて、カスタネットのような、弾いた音を出していた。


「……カチカチ」

「カチカチカチカチ」


 そして自然と周りがそれにならって、同じように音を鳴らす。

 その音は、リズムも何もなく口を上下させ、ただカチカチとなり続ける。

 まるで、周り中の人形全員が、俺を見て笑っているようだった。


「な、なんだよ」

「カチカチカチ」

「おまえらは、いったい」

「カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカ」


 笑い声は、まるで風に乗るように、俺の耳を犯していた。まるで、頭のなかに少しずつ針を入れて、人の頭を壊すように。

 俺は涌き出る頭痛を押さえようと、両手で耳を塞ぐ。それでも、音からは逃げられない。


「痛い。やめろ……やめてくれ!」


 頭が、自分の意思とは無関係に悲鳴を上げている。また声を出そうにも、どこにも届かない。口が開かない。俺は自然と、助けを求めていた。

 誰か、誰か俺を――


「一名サマ誘拐、オメデートウゥ!」


 そのときだ。俺の消え入りそうだった意識が、吊り上げられるように戻ってきた。

 だけれど、俺はそれ以上に深い、底なし沼にはまったような錯角を、この声に覚えた。

 それはこの声を、どこかで聞いたことがあるからだろうか。


「ユウカイは解ける融解ジャナイよ! ボクと友達になったキネンのプレゼント。ウレシクテ涙が出るだろう? でもオメメは出ちゃダメヨ!」


 俺の目の前には、暗闇を包むようにして、一人の何かがいた。

 そいつはゆうに体長二メートルを超えるかもしれない体格に、子供たちがパーティで着飾るような、原色をむちゃくちゃに貼り付けたような色合いのツナギ、子供の落書きをそのまま形にしたような帽子。そして顔には、不気味に口が裂けた、笑いの仮面をつけている。

 その姿はまるで、おとぎ話の絵本に出てくるような、道化師のようだった。

 道化師の姿を認めたとたん、周りから喝采がわいた。人形たちが、拍手をしているのだ。


「コレは、ボクのお人形さん! キミもボクの、お人形さん!」


 長い両手を広げ、指を刺したまま道化師は片足を軸にくるくると回転する。そして最後に、道化師の両指は俺の両目数センチ前で止まった。


「だ、誰だよ! お前」

「ウゥーン失礼だねキミ。ヒトの名前を聞くトキニハ、まず……誰から名乗るんダッケ!」


 その声に乗って、人形たちも騒ぎ立てる。

 道化師は、その喝采に対して満足そうに両手を広げる。


「でもイイヨ、ボクはシッテル。親しき仲にもレイギアリ! クチはツツシまないとバチがアたっちゃう。キモチイイヨネ!」

「なんだよお前、なんなんだよ!」

「サアミンナ! ボクのことを応援して、パワーをためるんだ! そうしないとゴレンジャーはカイジンに勝てなくナッチャウワ!」

「ピエ?」

「ピエ?」


 人形たちが、お互いの顔を合わせながら、何かをつぶやいている。


「んんー? キコエナーイ、ハイ死ンダ!」


 その言葉を皮切りに、人形が何体か崩れ落ちた。一瞬にして、ばらばらになる。

 また人形たちが顔を見合わせると、今度は大声を張り上げて、叫びだす。


「ピエ!」

「ピエル!」

「ピ!」

「ピ!」

「ピエロオオオオオオオオオゥウウウウ! ピエール・ピエロ!」


 鼓膜が破れるような怒声を後ろ盾に、そいつは自分のことをピエロと名乗った。


「サァ! これでキミはボクとイッシンドウタイ! ナカムツマジク壊そう!」


 とりあえず、俺にはこいつがやばいものだというのはわかった。人形たちも、例外じゃない。

 こんなやつに、礼儀なんていらない。


「ふざけんな、ピエロだか何だか知らないが、俺は仲睦まじくする気はないよ。そこをどけ」

「ムリムーリ、ムリむーし! だからキミは、ボクにユウカイされたんだって。ピエール・ピエロのモノナノ!」


 誘拐……本当にこのピエロの言うことはわけがわからない。

 それにピエールって、このテーマパークの名前じゃないか。


「……帰る」


 俺はお構いなしに、ピエロを横切って歩く。人形が改札に留まっているから、どうしようか。

 そう思っていると、足元で何か水っぽい感触がした。


「……え?」


 いや、足元よりか、自分のお腹から、何か湿っぽいものが――


「おヘソちょうだい♪」


 ボクのお腹に、ささくれのような引っ掛かりを感じる。これは、俺のちょうどへその辺りが、ささくれのように裂かれていたから。

 湿っぽさは、俺のお腹から。水のしたたりも、俺のお腹から。


「あ、ああ!」


 気づいてから、俺はお腹をかばうように倒れこんだ。

 切られた。お腹を、切られた。血が出ている。

 なんで、何でこんなことに。


「……いっつも、ヒトリナンダ」


 そのとき、耳元でささやくように、ピエロの声が聞こえた。

 俺は冷や汗と、荒い息のせいで反応することもできず。ただ耳に届く声を受け入れていた。


「ひどいよね、チュウガクのトキにイッカイ失敗したダケなんだよ。ボクはワルクナイのに、そこからボクの人生は転落ダイボウラク! ダレモ、だれもタスケチャクレナイ」

「やめろ……」


 なんで、知ってるんだ。

 なんで、俺のお腹はこんなに痛いんだ。


「ウウン、デモイインダ。ボクにはシュミモあるし、ショウライにアンテイだってあるハズ! ダレモキヅツケタクナイ、ヒトリモイイヨネ!」


 体中から汗という汗が流れていく、血と汗の違いがわからなくなる。俺はもしかしたら、体中から血を流しているのかもしれない。

 だって、そうじゃないか。

 だって、だって――


「ダッテボクは――」

「やめなさい」


 そのとき、はっとなって俺の意識が引き戻された。


「やっぱり、こうなるのね」


 俺の意識を目覚めさせてくれたのは、俺を底なし沼のような場所から引き上げたのは、このピエールランドで始めて出会った、あの女の子だった。

 彼女は俺の前に出て、ピエロとの間を挟むように立っていた。

 ピエロは下品な笑いを見せつけながら、彼女を指差した。


「ウン? キミとはアソビタクナイなあ、なんでココにココなの?」

「あなたの人形が通せんぼしてたけれど、やっぱり私を通さないためだったのね」


 彼女の小さな口から軽いため息が漏れる。そして俺を一瞥してから、ビッっとすばやい動作で細い指をピエロの隣に向けた。


「なら、自分の玩具は自分で片付けたら?」


 その指差す先には、先ほど小さい声を出してバラバラにされた、人形たちの残骸があった。

 他の人形たちは、その残骸を避けるように、俺を囲んでいた。つまりは、そのあたりだけ抜け道のように広がっていたのだ。


「オモシロクナーイ。タカノチャン空気ヨメナーイ。カタスノめんどくサーイ」


 言葉はだるそうなのに、どこかけたけたと笑いながら、ピエロは喋っている。ついでに言うと、どこからか出した紙吹雪を彼女にたたきつけている。


「空気は吸うものよ。読めたら文字で前が見えないわね」


 対する彼女は、首をめいいっぱい左右に振り、顔についた紙吹雪を払う。全部を払えず、形のいい鼻のあたりに少し残りつつも、表情は笑っている。

 あんな化け物に対しても怖気づかない。

 それだけで、強い子だと思った。


「ウーン、ツマンナー……イチヌケター!」


 ピエロがそう言うと、暗闇がいっそう深くなって、風がピエロを中心にして巻き上がる。少し目を細めると、ぼやけた視界と一緒にピエロは消えていた。

 そして人形達も、蜘蛛の子を散らすように、にぬけさんぬけと音を出しながら、ちりぢりとなって離れていく。しばらくするとそこには、俺と彼女しかいなかった。

 とりあえず、助かったのだろうか。

 彼女に礼を言わないといけない。わけのわからないサイコ野郎に絡まれて、自分までおかしくなりそうだった。なさけない。


「ありが――」

「ごめんなさい」


 と、お礼をさえぎられてしまった。つくづくなさけなし。


「さっきも聞いたんだけど、なんで謝るんですか?」

「あなたが入り口に向かったと気づいたときには、人形に囲まれてて、助けられなかった。あと敬語じゃなくていい。たぶんだけど、そこまで歳は離れてなさそうだから」


 喋りながら、俺から彼女はぷい、と目を逸らした。なにが後ろめたいのだろうか。


「そうか……えっと、タカノさんで、いいのか?」


 さっきピエロが、彼女のことをそう言ってた気がする。


「鷹は鳥の鷹。野は野沢菜の野」

「じゃあ鷹野さん。謝らなくていいよ。鷹野さんが助けてくれたんだから。ありがとう」

「そ」


 ……あれ?

 照れ隠しでもなんでもなく、ただ鷹野さんは相槌をうっただけだった。というか、俺の話を聞いていたのかどうかも怪しい、その表情。

 いや、見返りとかうれしそうな顔を望んじゃいないけど。

 もしかして目を逸らしたのも、後ろめたいのではなく、どうでもいいのだろうか。


「えっと」

「医務室ね」

「……え?」

「おなか、切られたんでしょ」

「…………あ」

「……」

「痛い! いたいいたい!」


 俺の腹から、思い出すかのように痛みが広がっていく。人は意識しないと腕がふっとんでいることにも気づけないらしいが、あの話は本当だったのか。

 鷹野さんが、無表情のままじーっと俺のことを見ている。


「うそだったの?」

「本当だ!」


 彼女はあくまで冷静に、俺の腹を布の切れ端で圧迫してくれた。


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