らすとばとる
「啓二さん! 啓二さん!」
目を開くと、静香が目の前で涙を流していた。
「俺は、帰れたのか」
あの、心から生まれた世界から目覚め、俺は現実のピエールランドへと帰ってきた。右手にはピエロだった仮面を持ち、左手には歪に曲がった小指が痛覚を刺激し続けていた。
「よかった……また目を覚まさないのかと思いました」
「そういえば、静香の目の前では気絶してばっかりだったな」
冷や汗をかいた俺の顔で、精一杯笑ってみせる。
心配掛けっぱなしだ。静香にはいつも気苦労を持たせてしまうな。
「うぅ……」
そして俺が目覚めるのと同時に、隣で眠っていた鳩さんもゆっくりと瞼を開いた。
「鳩さん!」
静香は慌しく、俺と鳩さんの間を行ったりきたりしている。一人残されていた静香は気が気でなかったのだろう。
「静香ちゃん……静香ちゃん! 鳩だよー!」
「く、苦しいです」
鳩さんはそんな静香を全力で抱きしめて、静香を苦しめている。
「静香も鳩さんも、感動の再開はかまわないが、少し手を貸してくれないか?」
身体のあちこちが痛み、立つのにも一苦労だ。度重なる体力勝負が、俺の体を酷似し続けたせいだ。節々から痛みが伝わり、歩くのが辛い。
でも、ここで休むわけには行かない。
「啓君、こんどは何か考えがあるの?」
「さすがにお手上げだ。正体ネタは効かないだろうし」
「え、まだ終わってないんですか!」
いそいそと、二人が俺の肩を支えて俺が立ち上がる。もしここで転んだら、二度と立ち上がれないかもしれない。
「今度は茜が、ピエロにされちまった」
俺は片手に持つ、ピエロの仮面を睨む。
「そんな、茜さんが」
「なに、俺が何とかして見せるさ」
動きの鈍い体に鞭打って、俺は突き進む。
「あいつは、ピエロは絶対あそこにるだろうからな」
俺は重い頭を上げて、夜の暗闇に紛れ見えない、時計塔の方角に視線を向けた。
「に、人形です!」
そこに、今まで成りを潜めていたのか、人形達がこぞってこちらに向かってくる。
「ホークが、やられたからだ」
今まで食い止めていた障害物が消えて、本来の敵に向けて進軍したのだ。
俺は、かろうじて走れるか、そのまま倒れるか程度の体力しかない。
「すまない、情けなくて。二人だけでも逃がしてやりたかったんだが」
「なにいってるのさ!」
「ぜ、全然平気です!」
二人は俺を引きずりながら、時計塔とは反対方向へ走り出す。
解りきったことだが、俺を引っ張って逃げるには無理がある。
「俺を置いてでも逃げるんだ!」
「馬鹿いわないでください! 逃げられるわけないじゃないですか!」
「鳩は敬君に許してもらわないといけないからね、死んでもらうと困るよー」
必死で俺を守ろうとする静香に、この場を和らげようと軽口を言う鳩さん。でも、もうこのままじゃ――
「ホォオオオオオオオク!」
「キャプテン・ホーク!」
まるで泥の中を駆け巡るように、人形の集団からホークが現れる。体中は血だらけで、仮面も付けてない。
「ホーくん! 生きてたんだね!」
「ホークさん! 初めて顔を見ました」
ホークは俺達の前に出て、ふらふらの背中を見せる。その姿は、どんなにボロボロでも、鉄壁の要塞を味方に付けた如く、俺達に安心を与えた。
「雑魚は任せろと……言ったはずだ!」
「ったく、だったらもっとうまくやってくれよ」
ホークは体中傷だらけだ。俺以上かもしれない。
「ホーくん、体は大ジョブなの?」
「風穴開いたところで、動けないわけではあるまい」
倒れた後にも、人形にやられたのだろう。わき腹の大きな傷のほかにも、両手両足から血がどくどくと流れている。
それでも、ホークは俺達を守るために戦う。人形は、なお進軍を続けている。
「このままだと! ホークさんが死んじゃいます!」
俺達は詰み将棋のように、ドンドンと追い詰められていく。逃げ場がない。
「ホークもういい、やめろ!」
「断る!」
ホークは四方から襲い掛かる敵に対して、俺達をかばうように攻撃を受けた。
「ホーク!」
「わしは……俺は! 後悔を背負うつもりはない!」
「やめて!」
鳩さんも、ホークを止めようと躍起になる。ホークは俺達の制止をかわすこともできずに、掴みかかった俺達を引きずりながら、人形達に攻撃しようとして――
「……」
「……ホーク?」
「止まった」
止まった?
どういうことだと、俺がホークに聞こうとする前に、その真意に俺は気づく。
人形達が、攻撃をやめて俺達を見ようともしない。
まるで、ピエールランドの店員だったときの、人形達みたいだ。
「これって」
「……助かったんでしょうか?」
その瞬間、ホークがばたりと地面に倒れこんだ。あまりにも派手な倒れ方だったので、体を打ってないか心配になるくらいだ。
「この程度で倒れるとは、わしもなまったものだ」
「してやったり見たいなニヒル顔で冗談言ってないでー早く休む!」
「……鳩? なぜだ……生き返ったのか?」
もう体が限界なのか、ホークと鳩さんがかみ合わない会話をしている。というよりか、鳩さんに今更気づいたようだ。
「まてよ鳩さん、もしかして人形を操れるのか?」
「え、なんで?」
「元、ピエロ」
俺が指摘したのに感化されて、鳩さんが人形達に命令をしてみる。すると、鳩さんの言うとおりに、動いたり止まったりを繰り返した。
「便利なの手に入れちゃったねー」
利用できると知るや否や、鳩さんは次々と人形に指示を出して、ホークを介抱している。
「これなら、ホーくんを助けられるかも!」
「す、すごいです」
静香がパチパチと拍手して、それに応じる鳩さん。
ホークは助かるようだ。銃弾を体に受けて、怪力人形にリンチを受けても、生き残った。
後悔をしたくないか。
よくよく考えれば、ホークにはシアターの記憶があったんだ。俺以上に、心には強い後悔が体を縛っていたに違いない。
後悔したくないのなら、戦なければならない。
人形達が慌しく動く中、俺はその人形達を横目に――
「……行くのか?」
その場を去ろうとして、背中にホークの声がかかる。振り返ると、倒れたまま首だけをこちらに向けて、俺を見送っている。
「行くに決まってる」
「茜のためにか?」
「自分のためだ。俺は茜のことが好きなんだ」
俺の目を、茜の父は真正面から睨みつける。引きつった口元を開いて、俺に笑って見せた。
「勝手にしろ。ふられてこい」
「余計なお世話だよ」
それにしても、こいつの顔は思っていた以上に茜に似ている。規律を感じるほど整った顔に、線の細い輪郭。本当に子持ちなのかこいつは。
「イケメンって、憎たらしいな」
「情けない男は、殴りたくなる」
「啓二さん!」
今度は静香が、俺に気づいたのか走ってくる。
「ボロボロの俺が言うのもなんだが、足手纏いだ。鳩さんとここにいてくれ」
「……なら絶対に、死なないで! 帰ってきて!」
「当たり前だ」
俺は静香の横を通り過ぎて、鳩さんの前に出る。
「これ、包帯一つ貰っていくな。ホークのことは、二人に任せた」
「啓君は、死んじゃダメだよ。もし死んだら、許してもらうために追いかけるからね」
「大ジョブさ。俺は……死なない」
それぞれの激励を受けて、俺の背中はまた一歩前に出る。追い風はとても、暖かい。
でもまだ、足りない。あと一人、ここに居るはずだからだ。
それから一度も振り返らずに、俺は時計塔へと走り出した。
俺は、一度だって止まらずに、ピエールランドの中を走り続ける。
今止まってしまったら、俺はそのまま倒れてしまうような気がした。
『REDRUM! ボクはココダヨ、コッチダヨ!』
ピエロが、園内放送で俺を呼んでいた。言われなくても、場所なんて解っている。
時計塔は、茜がピエロになった影響なのか、その姿の半分が崩れかかっていた。
『REDRUM! ナニシテアソブ? 道具はタクサン命はヒトツ! ボクミッツ!』
崩れかかる時計塔の上空には、薄暗い雲のようなものが張り付いている。
『キミはダレ? アノ子ダレ? 死ぬのコレシヌボクピエロ! ピエとピエルとピとピとピエロ! ボク達五人はピエピエルピピピエロオオオオオオゥウッ!』
時計塔の壁に手を付ける。エレベーターは壊れていて、上るには階段を使うしかなかった。
「ここまできて、また体力勝負かよ」
俺はつくづく、鍛えられていない自分の身体に情けなさを覚える。だけど今は、そんなこと考えた所でどうにもならない。
「やってやるさ」
一度は上ったことのある階段だ。崩れかけていようが、こんなものは朝飯前と言ってやる。
俺は、階段の一段目に足を掛けた。手すりに掴まり、俺の身体を引っ張るように身体を押し上げていく。途方もない高さの、ただ上を見ていた。
途中で、階段の一部が崩れ落ちて、足元をすくわれる。それでも、俺は倒れない。
ここまで来るのに、どれだけ苦労したと思っている。
静香だって、俺より小さいくせに、勇気を振り絞ってピエロに立ち向かった。あんなに小さい身体で、俺を奮い立たせてくれたんだ。俺が、ここで倒れてはいけない。
半分くらい進んだのだろうか、屋上はまだ遠く、かすかな影しか見えない。終わりの見えない迷路に、迷い込んだみたいだ。だけど、ここには必ずゴールがある。
鳩さんは俺よりずっと合理的で、頭もいい。そんな鳩さんが、ここで消えていった人たちへの追憶を決意して、俺との契約を結んだ。終わりのない贖罪を選んだ鳩さんがいるのに、終着点の見える俺が、ここで足踏みをしてはいけない。
屋上が見えてきた。そこにはピエロと、茜がいるはずだ。
まだ茜を失っちゃいない、俺が取り戻す。
大切なものを失ってなお、ホークは戦うことやめたりはしなかった。もし俺なら、絶対に耐えられない。だったら、俺はあがいてあがいて、這い蹲ってでも、そこにあるものを維持するしかないのだ。
俺の足が、屋上の床を踏んだ。
「ヨウコソ、オニイサン!」
その目に映るのは、夜の暗闇と、ゲラゲラと笑い声を上げているピエロと、そのピエロの横でいつも通りの姿をした、茜がいた。なにかに縛られているのだろうか、両手を挙げて、なにかに貼り付けられたように、身体が硬直していた。
「まるで、囚われのお姫様だな」
「アタリー! ショウヒンはボクの愛ダヨ」
俺は視線を、ピエロから茜に変える。どうやら意識はあるようだ。
「茜」
「……啓二」
「心配することはない。ホークは、茜の父さんは生きてるよ」
「……ホー……ク?」
茜はおそらく、ホークが父だという記憶が、消されている。
「そこにいろよ、こんなピエロ俺が――」
「スキアリィ!」
ピエロから目を離していたせいだ。ピエロは身体から出した大きなテレビを、俺に投げつけてきた。顔面に当たり、俺の視界が砂嵐で覆われる。
茜はその一部始終を見ていた。すると虚ろだった目は徐々に光を取り戻し、俺を見つけた。
「啓二……なにしにきたのよ! 状況がわかってるの!」
「なに、こんくらい平気だ、よ!」
俺はすかさず、ピエロに拳で殴りかかる。しかし、ピエロはその拳にタイミングを合わせるようにして、ハサミの先端を拳に刺し込んだ。
「つぅ!」
「ダイニダァア!」
苦痛で拳を引っ込めたところに、ピエロの体から出てきた金槌が俺の太股を打ち落とした。
「啓二!」
「なに……だいじょ……」
脚が痙攣を起こして、俺はその場に前のめりで倒れる。
ピエロはその隙を逃さず、俺の頭部が、角材のようなもので思いっ切り殴られた。
「シェイクシェイク!」
頭を何度も、殴っては叩きつけられる。ピエロは俺を、死なない程度にいたぶっている。
「もうやめて!」
一体身体のどこを、そして何回殴られたのかも解らなくなって、ピエロの攻撃が止んだ。茜の悲鳴が、どこか遠くで聞こえる。
「ケイクンケイクン、オキテルンダロウ?」
「……」
ピエロの言うとおり、俺はまだ起きている。あんなことをした俺をただ殺すわけが無いだろうと、そんなことはわかっていた。
「キミはホント、面白い子ダネ! ボクに一回ダケ勝ッチャッタ! デモココマデダヨネ」
「……」
「啓二! いや、いや!」
茜が俺から目を逸らし、ピエロの声を少しでも遮ろうとする。
ピエロは十分俺を痛めつけた。見えない鬱憤も、これでスッキリしただろう。
「サイゴハどうしてホシイ? ドウシテ死にたい? シニタシニタニニタタイ!」
ピエロは懐から取り出したチェンソーや刀を見せ付けて、俺に選ばせようとしている。
俺はそこで、今持てる最後の力を振り絞って顔を上げ、ピエロを睨みつけた。
「言っておくが……な。俺はお前に一度勝ってるんだ」
「んン?」
「刃物や鈍器なんかじゃ、俺は死なない」
ピエロは俺の言葉に一瞬止まって、それから弾けるように笑い出した。
「良いよイイよイイヨォオオ……! キミってタノシイネ! そんなキミに、俺もプレゼントしたかったところダヨ! ボクが直接、食ベタゲルゥウ!」
「啓二、なに考えてるのよ! 死んじゃうのよ!」
俺がまだ口を開けることに一安心したのだろう。今一度俺を見る目が、怒鳴り声に変わった。
ほんとうに、茜はおせっかいだ。大好きだよ。
「茜、前にも言ったろ。君がすぐに諦めるからさ」
俺はそんな罵声に励まされて、まだ戦えるような気がした。
燃料タンクも決壊したような俺の身体が、少しずつ立ち上がる。
「だから俺は、諦めの悪い人間なろうと思う」
ピエロと正面で向き合い。俺はその場で両手を広げ、ピエロの攻撃を待ち構えた。
それがスタートと判断したのか、ピエロは大きく息を吸って、
「イタダキマァアアアアアス!」
ピエロの身体から、噴き出すような暗闇が放たれて、俺に向かってくる。闇は目に終えないような速さで、俺を食べようと這いずり回る。
「なあ、ピエール・ピエロ」
「ピ?」
「お前って、ショートケーキをイチゴから食べるタイプだろ」
ピエロが俺の身体を抉ろうと捻り出した暗闇は、俺のお腹にあった洋服と、その中に巻かれていた包帯を貫いて――
ピエロの仮面を食べて、止まっていた。
包帯の中に縛り付けて隠した、笑いの仮面。
それは鳩さんがピエロとして顔を隠し、俺を心の世界に引きずり込んだ。あの仮面。
ピエロが鳩さんから離れても、消えずに残ったそれを、包帯で腹に巻きつけて、待っていた。
ピエロは、アトラクションを食べることができる。
ならば自分自身も、ピエロだって食べられるのではないか。
「エ、エ……エ?」
「俺はずっと待っていた。お前が、俺を食べようとするのを」
俺が初めてホークの夢を見た時、ピエロは人間の身体で一番、お腹が美味しいと言っていた。
「ドド……ジ……テ?」
「お前がいくらふざけた奴だろうが、これだけは確信があったからだ」
好物なら、ピエロは必ず最初にお腹を狙う。
「自分の楽しみは、なによりも優先する……って」
だから俺は、手に入れたピエロの仮面を包帯でお腹に貼り付けて、ずっと待っていた。逆転のチャンスを、俺は逃さなかった。
「欲張りな奴だよお前は。食べ過ぎて、自分を食っちまうんだからな」
「アヒ、アヒャヒャ……………………ァ?」
「最後の飯は、美味かったろ?」
ピエロが崩れていく。体の一部である仮面を食べて、ピエロはそれに吸い寄せられるように、全身が暗闇に飲まれていく。たたらを踏むピエロの身体は、屋上の手摺を乗り越えて、地面へと落下していく。
断末魔も無く、命乞いもない。あっけないほど簡単に、ピエロは消えていく。
俺はその様子を、ただ見ていることしかできなかった。
「やっ……た」
ふらつく身体を手摺で支えながら。俺は茜に笑いかける。
だが、茜の返事を待つ前に、時計塔の揺れが、今まで以上に大きくなる。
「だめか、やっぱり崩れちまう」
下を見ると、崩れた階段が瓦礫になって地面に横たわっている。ここで、俺達は立ち往生だ。
ピエロが消えても、時計塔は本来の姿に戻ることは無かった。むしろ、崩れかけた塔が魔法の支えを失い。完全に倒れる寸前だった。
足元も覚束無い屋上で俺はまた、茜に視線を向けた。
「サンドウィッチ、美味しかった」
「本当に……馬鹿らしいわね」
涙のたまった瞳を隠すためなのか、茜は俺と目を合わせようとしない。
茜はやはり諦めが早いようだ。諦め半分で今の状況を受け止めている。
「私を助けに来て、私も啓二も死んじゃったら意味が無いじゃない」
「死ぬとしたら、茜だって一緒だろ?」
もし崩れれば、俺達の命はないだろう。これだけの高さから落ちれば、どうなるか位解る。
俺は西側の手すりに掴まって、茜は東側の手摺に掴まって、互いを見やる。
「なんできたのよ」
「俺が決めたからだ」
けれど、俺達が目を合わせることは無かった。茜がこっちを見てくれない。
おそらく、茜は責任を感じているのだ。何故ピエロの媒介に成ってしまったのか解らなくても、俺をここに呼んだことに、罪の意識を持っている。
罪の意識なら、俺のほうがずっとあるのに。
「ごめんな、茜をその……あの時押し倒して」
「今は関係ないでしょ」
うまく、言葉が見つからなかった。
こんな時にも、俺は緊張して上手い言葉を見つけることができない。だからか、気持ちの進むままに、俺は言葉を選んでいた。
「俺はさ、五ヶ月前にあった思い出旅行のときに、ピエールランドに行かなかったんだ」
話す内容が決まらなくて、かろうじて思い立った話は、俺の空白の記憶だった。
「俺は高校のときも、これといった友達グループに入れなかった。一人で行って何になるんだろうって思って、入口まで来たのに電車で帰っちまったんだ」
それは大きな挫折ではなく、ゆるやかな後悔だった。
「それから大学に入って、この夏になっても友達がいなかった。そんな時だったよ、荷物を整理していたら、思い出旅行のときに使うはずだったピエールランドの入場券を見つけたんだ」
あのときの後悔が、追いかけてきたのだと思った。
「どうせだからさ、行ってみることにしたんだ、一人で。行ってみれば、楽しめるんじゃないかと思って。でも結局は、なんであの時行かなかったんだって、後悔してばっかりだった」
そして、俺は後悔のうちにホークのアトラクションを見つけて、普通のアトラクションに乗れないまま、誘拐された。過去に縛られた俺が、過去を見るアトラクションに惹かれたのだ。
行動できなかった後悔が、ピエールランドに行ったことで浮き彫りになった。
「何かするのは、いつだってできる。でも、先延ばしにした分だけ、何もしなかった昨日を後悔するんだ。そのままにしたら、いつか何もできなくなる」
「……啓二?」
だから、俺は目の前にいる茜に後悔しないよう。
今、言葉を紡ぐのだ。
「茜。俺は、君が好きだ」
誰よりも自分に厳しく、自らの手で困難へと手を伸ばす強い人。そして俺のような情けない人にも手を差し伸べてくれるような世話好きだ。そんな茜に俺は、惚れてしまったのだ。
恥ずかしくて、茜を見ることができない。
だけど目を背けたら、返事を聞くことも、その表情を見ることもできない。
俺はまっすぐと、茜の答えを待った。
「こんなときに……なに考えてるのよ……」
こんなときでも、茜は俺の情けなさを思ってため息をついた。
時計塔の崩れる音が、一層大きくなる。さっきよりも多くの破片が、地面へと落下していく。
「茜はいつも周りとか、状況を気にしすぎだよ。もっと単純に、俺に返事をくれないか?」
茜はちらちらと、横目で俺を何度か見ている。俺の言葉を、真剣に受け止めてくれるのだ。
「……なんで、そんなこと言うの」
「好きだからだ」
「私のことが?」
「愛している」
どうしてか、まだ茜は一歩踏み出してはくれない。
この感情を断って、俺を傷つけるのが恐いのだろうか。それとも――
「もうひとつ、茜は一人で気負いすぎだ。俺を励ましてばかりで、もっと俺に弱音を吐いてほしい。俺は、茜が思っているよりも少しだけ、逞しいんだ」
俺は崩れそうな足に鞭打って、手摺から手を離し、両足で強く立ち上がる。そして両手を広げて、茜を待った。
「だから、もし茜に辛いことがあるなら、俺の元に倒れて来い。全部、受け止めてやる」
それが、最期の皮切りだったのかもしれない。
茜は何かを決意したように目を閉じて、開いた瞳は俺を映し出す。そして振動に揺れる時計塔の屋上をものともせず、俺の元へ駆け寄って――
「本当に、嘘ばっかり。倒れそうじゃない」
「倒れないよ」
茜の身体を支えにして、俺達は抱き合うように支えあった。
俺の胸にうずくまる茜は、どんな表情をしているのだろう。
「私はね、啓二と始めて時計塔で話したとき、不思議な気持ちだった。私と違う考えがあって、それを聞いたら私の悩みがちっぽけなものに見えて、そんな啓二に、私は興味が湧いたの」
茜が、俺との思い出を反芻させる。
あの夕焼けから、茜は俺と仲良くなって、俺を知ろうという興味が、茜を友達にした。
「それで、世話の焼ける弟みたいなあなたが、静香ちゃんのことを想って、私と対立した。あの時は本当に驚いたのよ。正しいと思って行動したことが、まったく見当違いのときだってある。それを教えられて、啓二は情けないんじゃない。私とは違った、別の強さがあるんだって。嫉妬もあったし、少し……惹かれた」
それで、嫌な奴か。
いままで優しい人間と言われたことはあったけれど、嫌な奴といわれたのは初めてだった。それなのに、今まで言われたどんなほめ言葉よりも、俺は心地よかった。
「腕時計、嬉しかった。同じのを何度も見たことがあるのに、私が付けているのだけが特別な気がして、それを見る度に、啓二のことを考えてた」
茜の抱く力が、いっそうと強くなる。
俺はそれが嬉しくて、茜の返事を、ずっと待った。
「私も、好き」
俺達のいる時計塔の屋上が、重力に負けて傾いた。
星空へ手を伸ばすことのなくなった時計塔は、地面に落ちていく。