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とうぼうのいっぽ

 鳩さんは、ここに兄と一緒に来て誘拐された。なら何故、兄はここにいないのか。最初に考えたのは、すでに兄はピエロに食べられてしまったということ。でもそれを認めたら、ホークと一緒で、鳩さんも一度ピエロの食事から逃れたことになる。

 しかし、ホークの記憶の中に、鳩さんのことなど一度も出てこない。

 ホークの記憶を思い出すと、解らないことが一つある。

 誰が、前回の食事で最初に食べられたのか。

 記憶にある二人の人間ではない。食事が始まったことを焦り。逃げ回るのを俺は知っている。

 もしかしたら、食事が始まる日、二人とは別に最初に食べられた被害者がいるのではないのか。その被害者を、ホークは忘れてしまったのではないのか。

 鳩さんが前回行われたピエロの食事で最初に食べられて、帰ってきているのではないのか。


 鳩さんだけは、ピエールランドの中でも、何か特別な人間だとしたら。


 俺は離れにあるジェットコースターを、鳩さんの心の象徴とは思えなかった。なぜなら鳩さんは、我を持って孤立することよりも、仮面を持って集団に入っていく人間だからだ。

 だが彼女は、ジェットコースターをどこか特別な目で見る。

 そもそも、ジェットコースターにだけピエールランド共通の雰囲気がないのだ。まるでただの、普通の遊園地のアトラクション。

 鳩さんの心は、むしろ仮面に包まれたものだ。

 自分を道化と煽り、人の嘲笑へと誘う。その油断を利用して、人を自分の中に引き込んでいく本質は、ピエロそのもの。


「鳩さんのアトラクションは、ピエロだったんだな」


 ピエロの大きな体躯の顔には不釣合いな、あの鳩さんの顔があった。

 静香も俺から聞いて知っていたはずだが、実際に見ると驚きが隠せないようだ。


「なん……で」

「羽鳩らいおん。PABATO・LION。P・L。ピエール。ほんとうに、ピエロらしいくだらないギャグだ」


 腕も背中もボロボロで、俺は倒れこんだまま鳩さんを見上げる。鳩さんの体はピエロの巨体に包み込まれていて、どうやら動けないようだ。


「鳩は……あたしは……!」

「クッキャアアアアアアアッ!」


 突然、静香の持っていたピエロの仮面がうめき声を上げる。仮面は紫色の光を帯び、残されたピエロの巨体は黒い霧になって鳩さんを解放する。

 霧から取り出された鳩さんは倒れ、残された霧は静香に向かっていく。


「静香!」

「ひっ!」


 俺は倒れた体を擦るようにして静香へと飛び掛る。無理矢理、静香から仮面を奪い取った。

 手にもつ仮面はさらに強く光り、黒い霧は俺を包み込む。

 すると、俺の視界は真っ白に変わって、突然霧が晴れるように、どこか別の場所にいた。


「どこだ……ここ?」

「ピエロの、体内だよ」


 鳩さんの、声がした。

 その空間は壁も遮蔽物も何もなく、白く平面だけの空っぽな世界だった。ただそこにひとり、鳩さんが膝を抱えて座っているのを除いて。


「鳩さん」

「こんちには、というよりも、こんばんはよね」


 どこか排他的な目をこちらに向けて、鳩さんはかれそうな声を口から漏らす。


「ピエロの体内って、どういうことだ?」

「コウイウコト!」


 鳩さんと俺の間を遮るように、ピエロが現れた。


「ボクが出テクルトキハネ、ハトチャンにはココにいてモラッテルのヨ!」

「鳩さんが夜に出かけるのは、お前がいるからだったんだな」

「アタロー!」


 俺はピエロよりも、その先にいる鳩さんに目を向ける。鳩さんはピエロに隠れるようにして、俺を避けていた。


「鳩さん……」

「ごめんね。教えてあげたかったんだけど、あたしの記憶はほとんど消されてるから」

「ボクはアトラクション! 職業はキオクをぶっぱなすコト、嫌ナコトはワスレマショウ!」


 ピエロは腕を広げて、自分の頭をぐちゃぐちゃにかき回しながら言った。

 記憶消去。これがピエロの能力であり、鳩さんのアトラクションなのだ。


「でも消せる範囲は、結構限られてるんだろ?」

「センサクはイヤン♪」


 ピエロの嘲笑は、仮面の裏からでも見て取れた。

 先程とは違い、ピエロは一切俺に攻撃のそぶりすら見せない。俺をからかっているとも考えられるが、どうも腑に落ちない。


「啓君、心配しなくてもいいよ。ここは心の世界だから、ある意味ここにいる全員が触れあえない、ピエロみたいな状態なの」


 鳩さんが、かすれた声で俺に呟いた。その手をピエロの体に当てて、その手がすり抜けて貫通するところを俺に見せる。


「敬君があたしの記憶を返してくれたから、元の世界にいたピエロは触れるようになったの」

「記憶だって?」

「あたしが、このピエロを作り出した理由はね、消しちゃった記憶が関係してるの」


 鳩さんは膝をさらに強く抱え、震える体と唇をかくすように縮こまった。


「ここがまだ『ピエールランド』じゃなかったとき、ただの遊園地だったときに、あたしと兄さんはここに来たの。ここはね、本当は誰も来ないような寂れた遊園地だったんだよ、土地だって、昔大量殺戮があったくらいの、曰くつきの安い土地を使った所なんだよ」

「曰くつき?」

「兄さんから聞いたから信じてなかったけど、実際に彼が出たの」


 鳩さんはピエロを指差す。ピエロは不気味に肩を震わせて、沈黙を守っていた。


「兄さんと別れたきっかけは、迷子なんかじゃない。ジェットコースターがね、整備不良が原因で脱線して、兄さんは事故死したの」


 鳩さんの言葉が、だんだんと小さくなっていく。

 鳩さんはいままで、何を思ってジェットコースターを見ていたのか。


「あたしはね、兄さんがバラバラになるのを隣で見てたの。一緒に乗ったジェットコースターで、顔に血がかかるくらい近くで、兄さんの破片をずっと見てた。それどころか、前も後ろもみんな死んでいて、あたしの顔に当たったのが兄さんのかすらわからなかった。あたしは、その事故でたった一人生き残った人間なの」


 鳩さんの震えは声に伝わり、そのときの恐怖を克明に語っていた。

 それは本当に偶然だったのだろう。どんなにひどい飛行機事故などでも、乗客がたったひとり生き残る奇跡がある。その悪運に、たまたま鳩さんは恵まれたのだ。


「血も破片も、変な臭いもたくさんした。医者志望だったから血には慣れてたけど、兄さんの破片には、気が狂いそうになった。信じられなかったの」


 鳩さんは俺に、家族さえいればそれでいいと、他人とのかかわりをどこか二番煎じのような目で見ていた。だがそれは反動的に、家族への愛が強いということだ。

 その鳩さんがもし、大切にしていた家族を失ったら。


「前も言ったけど、あたしは静香ちゃんや茜ちゃんみたいな複雑な事情を持ってもいないし、円満な普通の家族だったの。でもね、だから目の前で起こったことが信じられなかった」


 血の海に囲まれて、人の肉塊にうずもれた人間は、普通ならどう思うか。


「忘れてしまいたいと、思ったの」


 それは誰もが考える、逃避というよりも、救いを求める心だ。


「鳩さんはそれが、叶ったのか」

「うん。たくさんの血と肉の破片を取り込んで、彼が現れたんだ」


 鳩さんはピエロを、指差した。ピエロはそれを見て、鳩さんに手を振った。


「ヤホー」

「だからね、わたしが皆を食べていたも同然なんだよ」


 話が終わっても、鳩さんの震えは止まらない。

 鳩さんの願いがピエロを生み出し、ピエロは人を求めた。鳩さんは、その媒介になったのだ。自分の記憶を消すという願いを受け入れる代わりに。


「ボクはね、ニンゲンガ食べちゃうくらい大好キナンダ。大小矮小沢山イッパイ! ムカシハ何もしなくても人が死ンダンダケドネ。今ノ世間は甘くナーイ! ダカラ、ボクはピエールランドを作ッタンダ」


 げらげらと、それは笑いというよりも、鳩さんを突き落とす攻撃だ。

 鳩さんは追い詰められて、心をすり減らしている。


「でも、嫌だって思っても、あたしの記憶は戻らないし、ピエロだって消えないの」

「ソレハキミが、ボクを欲しがるからサ」

「なら、お前がいらなくなればいい」


 俺は小指の骨が折れたはずの、自分の左手を見る。この世界の仕組みか、その手には骨折の形跡がなくなっていて、まるで健康そのものだった。

 俺はその手を、鳩さんの目の前に差し出した。


「啓君、ここでは、ほかの人に触れないんだよ」

「鳩さんが、ピエロに触れないだけだろ。俺に触れないとは限らない」


 鳩さんは俺の手をただ見るだけで、動こうとはしなかった。


「ワカルサ、サワレナイヨ!」

「黙れ、そのふざけた口を二度と開けるな」


 俺は差し伸べたその手を、引っ込めることはしなかった。鳩さんが掴むのを、待っていた。


「鳩さんがどれくらいの罪悪感を持っているかは知らない。ピエロに食べられた人は、もう戻ってこないのだから」


 慰めや同情で、俺は言葉を取り繕ったりはできなかった。それは、鳩さんの境遇を体験した人間にしか、できないからだ。


「あは、最低だよね、あたしは」

「ああ、消えた人間は誰も、鳩さんを許さないかもしれない」

「じゃあ、どうすればいいのよ! あたしはどうすれば、許されるの!」


 俺の責め苦に、鳩さんは嗚咽を漏らして俺に怒鳴りつける。

 俺は鳩さんを、傷つけていた。


「許されないさ。死んだ人間は喋らない。何も思わない。なら、許すはずがないじゃないか。鳩さんが自分を許して自己満足するしかないよ」

「そんなの、できるわけないよ……」


 鳩さんの心は、壊れる一歩手前まで来ている。


「それに俺だって、このピエールランドの被害者だ。俺も、鳩さんを許さない。だから――」


 俺はその割れかけた心を、鈍器で殴るように、言葉を投げかける。

 そして、その割れた破片の一つを、


「だから、まず鳩さんは俺に許しを請うんだ」


 俺は、その左手に乗せたかった。


「……え?」


 鳩さんは一度顔を上げて、俺の左手を見る。


「死んだ人間は許さない。だったら、まずは生きている人間に許してもらうくらいしかできないだろ。俺だって、ピエールランドの被害者だ」

「でも」

「鳩さんは、被害者全員に許してもらいたいんだろ? だったら、俺にも許してもらわないとダメじゃないか。それとも、消えた人間以外は許してもらう必要がないのか?」


 鳩さんは、ぶんぶんと首を振った。

 俺は自分勝手だ。死んだ彼等から逃げる道を、鳩さんに提示しているのだから。

 鳩さんは全員に許してもらいたい。だったら、俺が許さなければ、死んだ人間にまで手が回ることがないのだ。全員の最初である、この俺が許さない限りは。

 消えていった人達は、俺を恨むかもしれない。

 なら、恨めばいい。俺はそれを覚悟して、この言葉を紡いだのだ。


「啓……くん」

「なんだ?」

「どうしたら、許してくれるの?」


 鳩さんは、救いを求めるような目で、俺を見つめていた。

 俺はその言葉を突き放すように、手を差し伸べるように、口を開いた。


「そうだな……まずは死ぬな。ピエロを捨てろ。俺の言葉を全部、受け入れろ」

「……うん、努力する。あたしの罪を、敬君が許してくれるまで」


 鳩さんは手を差し伸べて、俺の手を……掴んだ!

 これは契約だ。解除条件が一生を持っても破れないほど強固な、悪魔が遣わしたような呪い。

 鳩さんはまた別の、悪魔の誘いに乗ったのだ。




「ピエロ、お前の負けだな」

「ンー! ボクもビックリ、ハトチャンがまさか逃ゲミチヲ選ぶなんてネ!」

「逃げじゃないだろ、許してもらうために、一歩踏んだんだよ」


 二歩目は、絶対に歩ませないがな。


「コリャ、ボクもマケタネー!」


 ピエロはゲラゲラと下品な笑いをやめないまま、その声はドンドンと大きくなっていく。

 どうしたのだろう、気でも触れたのか、というかこいつに正気なんてあるのだろうか。


「……お前」


 そこで、俺は悟った。

 ピエロが笑うときは、決まってろくでもないときだ。


「ネェ、ジャンケンって知ってる? ボクはシッテル!」

「なにが、言いたいんだ……?」

「アレって、ジャンケンって……三回勝負なんだヨォ!」


 そのとき、ピエロが霧に包まれてどこかに消える。

 三回勝負、子供がジャンケンで負けたときに、いいわけに使う台詞だ。

 どういうことだ、拠り所である鳩さんがいないのに、あいつには――


「まずい! そういうことだったのかよ!」

「啓君、どうしたの?」


 たしかに、鳩さんはもうピエロにならないのかもしれない。だけど俺はまだ見落としていた。


『イッツ! ショオオオオオオタイム!』


 突如スクリーンが姿を現した。そこには大量の人形と戦う、ホークの姿が映し出される。

 ホークはまだ戦い続けていたのだ。そしてその姿は服のあちこちが、格闘の残滓かボロボロになっていて、あの鳥の仮面までもが脱ぎ捨てられていた。


『う……そ……』


 このスクリーンは、ホークの視界でもなければ、ピエロの視界でもない。


『おとう……さん』


 茜の見ているものが、この映像なのだ。茜は、ピエロに操られている。

 どうしてジェットコースターの事故で、父が死んだのだとピエロは茜に言ったのか。

 鳩さんは、死んだ人の記憶を消し去ろうとして、その心の穴をピエロに利用された。

 ピエロは擬似的に、その状況を茜にも作り出していたのだ。若干であれ死んでいたのだと疑問を抱いていた茜は、その心の穴をピエロにのっとられたのだ。


「うまいこと、ピエロが保険を打ってたみたいだな」

「どうするの!」

「あんなまやかしなら、すぐに茜は元に戻るはず」


 そんな擬似的な力では、ピエロを維持することなどできないはずだ。

 でも、なんだろう。不安が拭えない。


『ジャジャーン! コレハなんでショウ!』


 スクリーンを見ている俺達にも見せ付けるように、ピエロは一つの無機質な筒を取り出した。


「拳銃……」

『グレエエエエット! マグナアアアアムゥ!』


 バンと、一発目が放たれる。すると視界の端で、一体の人形が粉々に砕かれた。


「まさか……」

『最終話! タカノチャン、お父さんをブッコロス!』


 二発目は、ホークの近くにいた人形の頭が吹っ飛ぶ。

 ピエロは、茜本人にホークを殺させて、それを否定させる茜の心を作り出して、無理矢理ピエロのアトラクションの主を作ろうとしているのだ。

 異変に気づいたホークが、俺達の方を振り返ろうとしていた。


「駄目だ! 見るんじゃないホーク!」


 叫びも虚しく、ホークが画面と目を合わせる。その一瞬、ホークは驚愕の表情で、固まった。

 茜がそこにいるのと、拳銃を持っていることに、驚きを隠せなかったのだ。

 三発目が、ホークの体に当たった。

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