おしょくじ
ちょっと長いけど、切り所がわからんかった
ぜんぜん、大丈夫じゃなかったよ。だって、みんな消えちゃったんだ。
俺は夢の内容を思い出しながら、数日振りに医務室の天井を見ていた。カーテンの隙間から朝日が差し込まれている。どうやら俺は、あのまま朝まで気絶していたようだ。
「啓二、起きたの?」
聞き覚えのある声を聞いて、びくりと肩を震わせる。昨日の出来事を思い出して、また肩を二度三度と震わせる。
「茜さんでございますか?」
「なんで他人行儀なのよ」
ベッドに備え付けられた椅子に腰を下ろして、茜は胡散臭そうに俺を見ながら、手には一冊の本が開いている。そして茜の足元を見て、罪悪感しか浮かばなかった。
「ごめん」
「そ。啓二、あのあと何があったか覚えている?」
「その後があったのか!」
「私を見た後に、いきなり後ろに飛んで倒れたのよ。みんな心配してた」
茜が指差すと、傍らに静香が寝息を立ててベッドの脇に寄りかかっているのを見つけた。肩には毛布を掛けられて、寝顔はとても安らかだ。
「静香ちゃんが、ずっと涙目で私に謝るものだから、逆に私が何かしちゃった気分よ。どうしようか迷ってたのに、啓二はなぜか気絶してるし」
「なぜかって、ホークに殴られたからだろ」
「ホーク? 何であいつの名前が出るの?」
え、だってあんな大声で俺を殴りつけてたじゃないか。
もしかして、俺だけに見える間合いで殴ってきたのか……まさかな。
「怒ってないのか?」
「怒ってる」
ですよね。
さすがに口も利きたくないというわけではなさそうだが、今後の昼食くらいは覚悟したほうがいいのかもしれない。
「だって、静香ちゃんが本当に涙目で、啓二が気絶したのを見て彼女まで気絶しちゃったのよ。おかげでシャワー浴びたばかりなのに、汗かいちゃった」
「そこですか」
俺が言いたいのは、そこじゃないんだけど。
「の、覗いたことは怒ってないのか?」
「驚いたわよ。でも静香ちゃんがずっと私に謝って朝が来て……もういい」
目を閉じてため息を突く茜の顔色は、すこし疲れている。
「静香ちゃんは気絶したり起きたり、それでまた寝ちゃったり。昨日は疲れたでしょうに、本当にいい子よね」
寝ている静香を、茜は優しく撫でている。撫でられた静香はさらに蕩けるような顔つきになって、それを見た茜もやさしく笑い返す。
「静香は将来、貧乏くじを引くというか、苦労しそうだよな」
「なら今くらいは、私達がなんとかしないとね」
そう言うと、茜は隣にあるベッドに潜り込んで、もぞもぞと動きながらこっちに寝返った。
「塒に帰るのも面倒だし、ここで寝るわ。さすがに徹夜はもういや」
「今度があったら、俺が徹夜するよ」
「そ」
男の俺がいるのもかまわず、茜はそのまま目を閉じて寝てしまった。顔には出ていなかったが、相当眠かったらしい。
にしても茜は肝がすわっているというか、どんな理由でも覗きなんてすれば口も聞いてくれないかと思っていた。器の大きさに感謝するしかない。
「ごめんな」
とりあえずいろいろな意味をこめて、もはや聞いていないであろう寝顔に俺はささやく。その寝顔が少しだけ微笑ましくて、気がつくと、俺はずっと茜の寝顔を見ていたようだ。
もしかしたら俺は、茜に惹かれているのかもしれない。俺と違った考えを持って、俺よりもずっと強い、彼女のことを。
「啓二さん?」
そして入れ替わりのように静香が目を開いた。寝惚け眼をこすりつつ、俺を視界に捕らえる。
「啓二さん!」
「大声はよせ、茜が寝てる」
はっとなって静香は両手で口を押さえる。そしてそっと茜を見て、目を瞑ったままの状態に、静香はほっと一息ついた。
「気絶したまま起きなくて、啓二さん、健康状態的には大丈夫なんですか?」
俺にも聞こえないような小声で、静香は俺の安否を問う。俺は寝ぼけ顔の静香を起こしてみようと、少し悪戯心を出してみる。
「大丈夫じゃなかったら、どうする?」
「……わたしにできる謝罪なら、なんでもします。三回周ってワンと叫べと言われても、靴を舐めろと命令されても」
「いや、ごめん。うれしいけど全然元気だからさ」
あれから朝の準備もそこそこに、今日は案内もかねて静香と一緒に開演前のピエールランド探索を始めた。静香もいるということで、そこまで広くない開発途中のエリアへと向う。
「不思議なところですね。なんだか、寂しくなります」
「でも、今日はなんとなく少ないな」
街頭を見渡して、軽い気持ちでそう呟いた。昨日来た静香に言ってもわからないだろうが、今日はそこまで広く孤独を感じなかった。静香と歩いているからだろうか。
俺は思う。
おそらくこの孤独感が、ピエールランド人気の秘密であり、人を引き寄せている原因だ。
寂しさが人を呼び、呼ばれた人間はその中で傍らの友人を大切に思える。ただ歩いているだけで、幸せを感じるのだ。ピエールランドは俺達人間に、邪な優越感を与えてくれる。
俺達人間はある意味で、この場所を見下している。一人のピエールランドを嘲笑って楽しんでいるのだ。その嘲笑いの根源にある、ピエロという暗闇を知らないまま。
「あの、啓二さん。あれはなんでしょう」
静香の言葉で我に返ると、自然と足が出向いたのかもしれない。あの時計塔がある開発地域の、更に奥まで来ていた。しかも、静香が指差すその先には、見慣れない大きな物体が見えた。
「たしかになんだろうな、あれ」
「啓二さんも知らないんですか?」
言い合わせるまでもなく、俺と静香はその新しい建造物へと向かっていく。するとそこには、ドーム上の天井が大きく聳え、壁には星型の塗装がされている。
新しく作られた、ピエールランドのアトラクションのようだ。準備中の看板も立っている。
「プラネタリウムって書いてあります」
「またコアなのが増えたな」
考えてみれば、ここは開発区域なのだ。ぽっと出で遊具が増えても不思議ではない。
「あ、おい勝手に行くなって」
俺が入口で思慮に耽っていると、静香は俺を置いて、早くもそのプラネタリウムに足を踏み入れてしまう。うかつに行動するのは危ない気がするのだが。
待つわけにも行かず、俺も一緒に入っていく。ドームの中は真っ暗で、ホール一杯に座椅子が並んでいる。静香はそのホールには目もくれずに、どんどん奥の方へ、関係者以外立ち入り禁止と書いてある扉にまで入っていく。
「静香って、案外ずうずうしいのか?」
やんちゃな子を追いかける感覚とは、こういうものだろうか。
「わー!」
なかで、なにやら悲鳴のような声が聞こえた。もしや、静香に何かあったのか。
「どうしたー!」
「こたつです!」
こたつ?
とりあえず、悪いことがあったわけではなさそうだ。俺は一足遅く、関係者専用の扉に入る。
するとそこには、和室があった。
「すごいです、和室です!」
「ああ、和室だ。ジャポンだ」
入口には下駄箱とマットが敷いてある。奥のほうには調理場まで見える。畳で敷かれた床の真ん中には、先ほど静香の叫んだこたつが聳えていた。なんだここは、なぜプラネタリウムの内部に和室があるんだ。
俺が唖然として部屋を眺めていると、静香はトコトコと躊躇いもなく和室に入っていく。
「おい、怪しいからあんま近づくな」
「あ、はい」
俺の言うとおりこたつの前で立ち止まるものの、静香はどこかそわそわしていた。俺はかまわずこたつを捲り、中を覗く。
「ど、どうですか?」
「どうって言われても、こたつだ」
別に、怪しいところがあるわけではない。
「あの、このこたつに、入ってもいいですか?」
「ん、悪くはないだろうが……入るのか?」
さすがにピエロも、こんなところで俺達を殺しはしないだろう。炬燵に罠を張ったところで、奴には何にも楽しみにもならないはずだ。
「とうぅ!」
「うおあ!」
すると静香は、意外にも活発な動きで、スライディングするようにこたつの中に入っていった。全身まで入らず、両足はこたつの外に、そして反対側には、静香の手と顔だけが飛び出していた。こたつを甲羅にした、亀のような状態だ。
「えへへ」
そして亀のような静香の顔はとても、朗らかだった。
「わたし、こたつが大好きなんです」
「なにがあった、なんか変だぞ」
「はい、夏でも隠れる場所があると癒されるというか、閉鎖間がわたしの心を収めてくれるというか、ほらたまに心がキュンってなるときは、心を締め付けるような閉鎖間がそうさせているんだと思います。心を暖かく包み込むようなこたつはエデンです」
静香はとてもうれしそうな顔で、こたつのすばらしさだけを語っている。俺には半分くらいしか理解できないが、そういう性癖もあるのだろう。
一向にこたつから出てこない静香を横目に、俺は奥のほうも見てみる。
どうやら奥のほうに寝室まであるようで、ここはプラネタリウム兼一世帯という雰囲気だ。
「また変なのができたもんだ」
これも、ピエロが作り出したのだろうか。
にしては、あいつの考えとは違うような気がする。どちらかといえば――
「啓二さん、わたし考えました」
するすると、這い蹲るようにこたつから出て行く静香が、元気よく俺のことを見ていた。
「なにをだ?」
「ここで、みんなと食事会をしましょう!」
静香の顔は、新しいことに挑戦する子供のように、可愛かった。
みんなとの、食事。
俺はよく茜と昼食を共にするが、鳩さんはたまに来ない時があったり、ホークにいたっては何を食べているのか解らない。
というよりも、ピエールランドの被害者全員が集合した姿を、俺は見たことがない。
ただ静香は、昨日のお礼がしたいから、みんなを呼んで感謝をしめしたいだけなのだろう。
だが、集まるのだろうか。
俺は静香とともに、開園したピエールランドを探索していた。
今日も初々しいデートのカップルや、女性グループの姦しい話し声。孫に釣られててんてこ舞いでも笑顔が耐えない老夫婦。かわらず、幸せと楽しみを同居させたような彼等を見ていると、どこかうらやましさを覚える。
「啓二さん、大人っぽい目をしています」
「いや、ちょっとな。アダルトな気分だった」
だが同時に、初めほど一人を感じることはなかった。
茜も探索についてきてくれたり、たまに鳩さんと遭遇してからかわれたりもする。今だって、隣には顔を赤くした静香がきょろきょろと落ち着きがない。
「アダルト……わたしが本当の意味を知らないとでもお思いですか!」
「なにか、静香はアダルトの意味を勘違いしてないか?」
静香はそっぽを向いて、ぷんぷんと赤い頬を膨らませる。別にからかったわけじゃないんだが。こんなやりとりを俺は、ほほえましく思う。
「さっきも思いましたが、啓二さんはいじわるです」
「いじわるするのは、静香が可愛いからさ」
「そ、そうなんですか!」
うまく、不機嫌をかわせたようだ。すこしギザだが、俺にしてはうまいことを言った。
機嫌を治せばおとなしいもので、唐突に俺の手をつないだまま黙り込んだ。もじもじしているのも、静香らしいといえばらしい。
「啓君すごいこと言うねー。もう口下手お兄さんは卒業かなー」
「鳩さんか」
「お、おおはようございます」
たまたま近くを通りかかったらしく、俺達のやり取りを見ていた鳩さんが声をかけてくれた。理由はわからないが、被誘拐者同士が広いピエールランドの中にあっても遭遇率はとても高い。
おそらく、俺達はこのランドの雰囲気から、自然と同じような場所を歩くようになっているのかもしれない。
「丁度良かった。鳩さんを探してたんだ」
「むぅ、怪我じゃなさそうだね。鳩を舐めるように見回して何をする気だね?」
「お、お食事のお誘いです!」
「お食事……食べる方の?」
そうじゃないなら、鳩さんは一体何のお食事を想像したんだ。
静香はどうにも説明が下手なので、俺が変わりに鳩さんに伝える。鳩さんは俺の話をコクコクと頷きながら、最後には笑ってくれた。
「一緒に食べるなら、おっけーだよ!」
「さ、さんきゅーです!」
静香が緊張の面持ちで言葉を待ち、鳩さんはその顔を笑顔に変える。さすがにここで断るような人間はそうそういないだろうに、静香はやけに心配性だ。
「で、お昼ご飯はなにをつくるのかな?」
「お鍋にしようと思います。もしかして、苦手なものですか? ごめんなさい」
「苦手なっしんぐ! ちなみに好きなのはキャベツね」
鍋か。季節外れの気もするが、作るのと食材探しは簡単だ。人を囲んで食べることもできるし、案外悪くはない案だな。
「にしても、鍋なんてあったのか?」
「はい! 棚の中に可愛いのがありました!」
「もしコンロがなかったら鳩がもってくるよー」
「医務室にはあるのかよ」
てんやわんやで、二人が食材やらメニューやらを話し合う。二人とも料理ができるようだ。鳩さんはキャベツしか見たことないが、静香は家で作っていたのだと、話していた覚えがある。
「そういえば鳩さん、ホークはどこにいるかわかる?」
「ホーくんも誘うんだったら。たぶん、呼べば出てくる思うよ」
「呼べばって……どこのヒーローだよ」
「ホーークさーーん!」
純粋にその言葉を受け取って、静香が遠吠えみたいにホークを呼ぶ。
「いたいけな少女の声が聞こえる、助けて欲しいと呼ぶ声がする。何の御用かな少女よ」
「本当に来るのか」
手近な外灯の上で、ホークは俺達を見下ろしていた。
「いたいけな少女じゃないです。静香って言いますよろしくです」
静香は背が小さいせいか、体をかなり仰け反らせ、爪先立ちでホークを一生懸命見ていた。
「降りろよ」
「静香君。すまない、まだやることが残っているのだ」
「おい、俺を無視してないか?」
俺がそう言うと、睨むようにホークが俺のことを見下していた。
「ふん! 言葉だけの謝罪などで、彼女の心を癒せたと思っているのか貴様は?」
「なんのことだ?」
「馬鹿者が」
そっぽを向き、俺を見下したまま、憐れな鶏を見るかのように鼻で笑われた。
あのシャワー室でのことも少し追求しなければと思ったが。はぐらかされそうなのでやめた。
「それで、どうしたのだ?」
「あ、あの」
「お食事会だよー」
「むむ!」
鳩さんが身振り手振りで楽しそうに話しているのに対し、ホークは哀愁をこめた背中で言葉を聞き入れる。そのギャップがなんというか、シュールだ。
そういえば鳩さんとホークの二人が対面しているのは初めて見た。案外仲がいいようだ。
「よかろう」
そして鳩さんが話し終わると同時に、ホークはその精悍な声をさらに格好つけて言った。
「ご好意に、感謝です」
「うむ! 礼を言うのはわしのほうだ。かような食事に誘われるとは、光栄の至りである。必ず昼食には間に合わせよう!」
まるで忍者が去るみたいに、ホークは影も形もなく消えた。本当に超人じみてはいるが、あれでピエロに勝てないらしい。ピエロに勝つには、力以前の問題がああるのだろうか。
「あとは茜さんです」
「ああ、茜は俺が誘っておくよ。そろそろ食材調達しないと、時間がないんじゃないのか?」
おそらく食材はピエールランドから探すのだし、あちこち歩き回るのは時間がかかりすぎてしまう。それに探すのはあと一人、しかも茜なら大体の居場所は見当がつく。
「あ、鳩も料理手伝うよー」
「何かやってたんじゃないのか?」
「大ジョブ。どうせ探索しても見つからなそうだしねー」
どうやら鳩さんも、このピエールランドの抜け道を探していたようだ。これだけの日数と、人数を使って探しても、見つからないということは――
「ああ、じゃあ頼む」
俺は首を振って、考えるのをやめた。
「あら、早いのね」
「いや、早すぎるって」
早くも目的の人物を見つけてしまう。茜はあのジェットコースターのベンチに腰掛けていた。
茜は基本的に集合場所で遅刻したりはしないが、そこまで早く来るというよりも、時間ぴったりに到着するタイプの人間だ。
「今日私が早いのは……偶然よ」
「まあいいや」
「そ。どうでもいいのね」
あれ、なんか今ので機嫌が悪くなった気がする。さっきまではどっちかというと機嫌よさそうだったのに。やっぱり、昨日の事を引きずっているのだろうか。
「でも、啓二だって早いじゃない」
「今日はわけありなんだ」
「急いで食べる?」
「いや逆。静香がさ、食事会しようって言ってるんだ」
そこで俺は、ここ一連の流れを説明する。
「夕食なの?」
「いや、昼食だよ」
「……そ」
なんだか、この場に重たい空気が流れる。
どういうことだ。静香が努力しているんだから、こういうとき真っ先に手助けや協力をしてくれそうなのに。どうしてか気が乗ってなさそう。
もしや、俺が誘ったから?
本当にあのときの事を怒っているのかもしれない。これは早く何とかしなければ。少なくとも、静香との食事会には連れて行かねばなるまい。
「いいわ。行く」
「……え?」
「静香ちゃんが頑張っているなら、私も協力したい」
静香の頑張りを応援する。ということが決め手だったらしく、何とか了承してくれたようだ。
「だったら早速だけど、その場所へ案内するよ」
俺は促すようにして、ベンチから立ち上がる。だが逆に、茜が席を立とうとしない。
「……どうしたんだ?」
「そのかわり」
「そのかわり?」
茜は俺の手をとり、強引に同じベンチに座らせられる。何か話したいことがあるのだろうか。
「……」
「……」
ただ黙って、十分位してから茜は立ち上がった。
食材集めは思っていたほど難航しなかったようだ。俺と茜が和室に入るころには、もうキッチンで調理を始めた少女二人が見えた。もちろん、鳩さんと静香のことだ。
「準備完了です! あとはホークさんを待つだけです」
「鳩は驚いたよー。静香ちゃん出汁まで自作するんだもん」
「すごいな、静香ならいい嫁さんになれるよ」
「きょ、恐縮です」
茜はここに来てからというもの、どうしてか調理場で立ち往生していた。どうやら、何か奥にあるものをじっと見てため息をついている。少し、様子を見るべきだろうか。
「どうしたんだよ」
と、席を立ちかけて――
「勝手な進入、痛み入る!」
ホークが丁度、俺達の和室に入ってきた。
「でたなキャプテン・ホーク! 鳩のこたつ城にのうのうと侵入してくるとはいい度胸よ!」
「マントの赤は獄炎の証! 家電なんぞでわしの心を燃やすことなど愚の骨頂!」
「お、おのれキャプテン・ホーク!」
「静香は会話に乗らなくていいんだよ」
「そ、そうなんですか!」
「なにやってるのよ……」
ホークと鳩さんがよくわからない冗談を言い合っているうちに、茜がコンロと一緒に鍋を運んできた。すると誰が決めたわけでもなく、俺達は自然と会話を止めて、沈黙を守る。
ようやく、全員が揃った。
横から静香、茜、鳩さんに、回って左側にホーク。食卓をみんなで囲んでいる。
「み、みなさん」
そのとき、隣にいた静香がこたつから出てきて勢いよく立ち上がる。俺達は一斉に、意識を静香のほうへ集中する。
「ご、ごめんなさい」
ガクリと、俺達全員で一斉にコケた。そんな様子を傍から見えていた静香は、何が起きたのかとあわて始める。
「違うだろうが!」
最初に、俺が突っ込んだ。
「静香のためにやったんだ。感謝してもらわないとな」
「あ……はい、ありがとうございます!」
静香が謝るような要素なんて、一つもないんだ。
こうして俺達が、全員揃ったも静香が計画したからこそ。俺達は初めて一丸となったのだ。
「うむ」
ホークが、何か納得した声音で頷く。
「わほー、みんなシャイで困るよねー」
鳩さんは早くも、割り箸に手をつけている。
「そ」
そして茜はどこか満足そうに、そっけない一言。
「「「「「いただきます」」」」」
合わせようとしたわけではないのに、皆一様に同じ言葉で始まった。
鍋は夏に食べるものとしては熱すぎるけど、悪くはなかった。煮立ったキャベツや、申し訳程度に入っている豚肉もそう、悪くない。
久しぶりに食べた。囲んで食べる鍋だ。
「静香ちゃんおいしいよー」
「えへへ」
「ああ、おいしい」
俺が笑顔で、静香の料理をほめる。静香は隣にいるので、ついでに頭も撫でてやる。
「……どうしたんだ、茜?」
するとどうしてか、茜の視線がこちらに向いた気がした。気のせいかもしれないが、心配もあってどことなく話題を振った。
すると静香は、俺と目を合わせたのを確認して、ぼそりと呟いた。
「……ロリコン」
「え?」
「なに!」
「なんだってー!」
茜はそっぽを向き、入れ替わりで鳩さんとホークが俺を睨みつけた。
「貴様、やはりそうだったのか!」
「おいまて、なにがやはりだよ。そんなこと一言も言ってないぞ」
「『いじわるするのは、静香が可愛いからさ』『静香ならいい嫁さんになれるよ』これら二つのキーワードが意味する答えとは!」
ホークと鳩さんが、二人して俺をいじめてくる。
「俺をからかうのはかまわないが、それじゃあ静香が困るだろうが」
「うれしゅうございます……ぽっ」
「なん……だと……!」
なぜそこで、頬を赤らめて畏まるんだ。
それからずっと、食べている間は事欠かず騒がしかった。軽く冗談も混ぜつつ、各々の持つ欺瞞や吐露をこれでもかとぶつけながら、馬鹿騒ぎは続いていた。
それはもう騒がしく、そしてあっけなく食事会は終わりを告げて、皆がいつも通りのピエールパークへと戻っていく。片付けも終わり、和室には寝ている静香と、キッチンの中をうろうろする俺の二人しかいなかった。
「すぅ」
静香はこたつの中に体をうずめ、頭と素足だけが見える格好ですやすやと寝息を立てている。
どうやら準備と片付けに疲れたようで、静香は皆が帰っていくと同時に眠りこけてしまった。俺は静香を待っていたのだが、眠ってしまっては起こしようがない。
「気楽なもんだよな」
寝顔を覗き込んでやろうとも思ったが、先程のロリコン疑惑を思い出してやめた。
そろそろ、俺もここから出て行かなくては。
「時間は、限られてるんだからな」
ピエロに、彼女たちを渡すわけには行かないのだ。
「……あり?」
と、俺がキッチンから上がろうとしたときに、不意に見覚えのあるものを見つけた。
「これ、茜のバスケットじゃないか」
いつも昼食のサンドウィッチを入れて、ジェットコースターの下で一緒に食べる。俺には感慨深い食事のお供だ。持ち帰るのを忘れたのだろうか。
そういえば、昼には茜が片手に持っているのが当たり前で、このバスケットはそこまで気にしなかった。開けてみると、ものの見事なサンドウィッチが数個入っている。
「こりゃ、わるいことしたな」
もしや、昼食だと言った時に変な顔をしたのは、こいつのせいだったのかもしれない。
たしかに、食べ物がもったいないわな。
「案外けち臭い所もあるもんだな」
だから、機嫌が悪かったのか。さっきまで悩んでいた自分が少しおかしくて、笑ってしまう。
ここにおいておくのも悪いので、このまま返しにいくか。サンドは夜飯にでもすればいい。
「鳥乃啓二よ」
「キャプテン・ホーク。なんでいるんだよ」
「そんなことはどうでもいい」
上に登るものがない今、和室で対面するホークは俺の後ろにいた。ただホークは背が高いのもあって、見下ろされているのは変わらない。
ホークがふいに、茜のバスケットを指差す。
「食べろ」
「いや、お腹一杯なんだが」
ホークは食事会のときも、仮面をとらなかった。仮面に付いているくちばしの中に、長い箸を突っ込んで、食べていた猛者だ。
「食べろといっている」
「食えないから」
「気合で何とかせんか!」
なんだこいつは、ホークはいつも俺に説教するようにして、俺を正しい道に導こうとする。だが今回ばかりは、わけもわからず食べることを共用してくる。
すこしの反抗心に燃えて、食べる気など起きなかった。
「口に入れろ」
「断る」
「食べろ!」
「断じて断る!」
「二度も言うのか貴様……ならかまわん、啓二は食べずともよい」
どうやら、さすがのホークも諦めたようだ。拳法のような構えを取り――
「無理矢理貴様の胃袋に押し込むまでよ!」
「まて、なんでそうなる!」
瞬間、和室の空気が揺れる。まるでホークの気配に怯え震えるかのように。あまりの振動に、棚から皿が落ちる。こたつで寝ている静香は、一向に起きる気配がない。
「寒風流体術、五行開口!」
「ぶべらっ!」
一瞬にして飛び出したバスケットの中身が、俺に向かって一斉に飛び掛る。サンドウィッチはまるで銃弾のように俺の体を貫き、口の中に入っていった。
「なにをしやがる……」
喉はパンに埋もれ、そして生きているかのように胃に潜り込んでいく。胸焼けがしたが、どうやらサンドウィッチは入りきったようだ。
「貴様は、まだわからんのか」
ホークの哀れむように俺を見る目は、まるで谷底から突き落とした虎子を見るの目だった。
「言っている意味がわから……この味は!」
その時だった、まるで胃が舌になったかのように胃の中で広がるサンドの味。この温もりは何だ、まるで俺を包み込むような、大切なものを守るように広がる暖かさは。
「わからんのか、それが、まごころだ」
「これが、まごころ!」
この味は、俺好みを知り尽くしたような味だった。ホークは、それに気づいた俺を見て、立ち上がるよう手を差し伸べる。
「貴様はただもったいないからと、そんな心で茜の機嫌を損ねたと思っているようだが、それは間違いだ。茜が貴様のために作った料理を無碍にしたからこそ、機嫌を損ねていたのだ。貴様のせいではないとわかりつつも、ぶつけようのない憤りを感じてな」
「なら、俺は悪くないじゃないか」
静香の気持ちを無駄にしないために、俺達は昼食を保留にしたんだ。
「馬鹿者があぁ!」
「うぉ!」
「たとえ悪くなくとも、罪は罪だ! 男ならば、心意気を持って女性の心理を読み取れ! そして宇宙よりも広い心を持て、サンドウィッチなど軽く食べ尽くしてしまう程にな!」
そうか、今日ホークと始めて会ったとき『謝るだけでいい』という茜に甘える、俺の軽い考えを怒っていたのだ。男ならば、その茜の心の広さ以上の気概を持てと。
「ああ、キャプテン・ホーク。俺が間違っていたようだ」
「うむ、わかればよし!」
そう言うと満足したのか、マントを翻し和室の奥へと帰っていく。
「お礼は十倍返し! よく肝に銘じるのだな」
「あ、待ってくれ!」
そこから消えようとする影を、俺は直前で呼び止める。
「なんだ?」
「なんで、そこまで力があるのに、ピエロには立ち向かわないんだ?」
あれだけの身体能力があるのなら、ピエロにだって勝てるのではないのか。
「立ち向かってはいる。ただあいつは、わしが戦うことすら適わん」
「どうしてだ?」
「あいつに触れることが、できぬのだ」
そういえば、あの静香の父に変装していたピエロに対して、茜は突き飛ばそうと手を伸ばした。しかしその手は空を突き、触れはしなかった。
「触ることさえできれば銃弾でも何でも対策を練れよう。だが、あいつには攻撃すら何の意味もない。わしが一方的に、食べられるだけだ。わしはずっと、奴に触れる方法を探している」
「なら俺も、ピエロに触れる方法を考えてみるよ」
今まで俺は、このピエールランドから出て行くことばかりを念頭においていた。たしかに、ピエロを倒せば逃げるまでもない。
進展だ。
ピエロの秘密を探る。これもこれで漠然とした行動が定められた。
「かまわんが、ピエロとの接触は避けろ。やつは危険だ」
「わざわざ敵の口に突っ込んだりはしないよ。というか心配してくれるのか」
いつも叱ってばかりのホークが、そんなことを言うなんて。
「当たり前だ」
照れくさかったのか、それだけ言ってホークは和室から出て行った。和室には、静香の寝返りが、布切れのこすれる音だけが響いた。
いや、目を覚ましはしなかったが、静香に少しの変化があった。
「……枕?」
静香の頭に、先程までなかった枕が敷かれている。もしかして、これはホークが乗せたのか。
「これが、まごころということか……」
俺は心を決めて、探索を開始した。途中、ショッピングエリアにでも寄ってみよう。
「啓二」
「今日も一番乗りだな」
「スタートがわからないと、競争にならないわよ」
夕方前の時計塔には、夏なのにつめたい風が吹く。休むとまではいかないが、居心地はよかった。日傘を持ってくれば、太陽もそこまでまぶしくはない。
茜はこの広い場所にいながら、また俺の隣に腰を下ろした。
「こう何日もいると、椅子がほしい」
「啓二がこの前座布団持ってきて、今も時計に引っ掛かってるわね」
「そんなこともあったな」
床に座ると、昨日静香を持ち上げたことによる筋肉痛が、すこし響いた。
ピエールランドを見渡せば、溢れん限りのアトラクションと、それを包み込む孤独の雰囲気。
もしピエロの秘密を探るとしたら、一番に来るのがピエールランドを作った理由だ。ピエロが俺達被害者をあざ笑っているのはわかる。ならなぜ、そのような遊園地を作り出したのか。
孤独な人間を探すのなら、テーマパークは効率の悪い餌場だ。
だがもし、ピエールランドそのものが、ピエロの笑う対称だとすれば。
「あのさ、茜はピエールランドのことをどう思っているんだ?」
「そうね。何に見えるかといわれれば、展示会かな」
「やっぱり、そうだよな」
俺のあっさりとした返答に、茜はすぐ俺の考えに合点が言ったらしい。
「でもこれは、予想よ。ピエールランドで『食べられた』人間が、アトラクションとして残り続けるなんて」
「だけどさ、静香が誘拐された次の日に、静香の望んだような場所ができるのはおかしいと思う。プラネタリウムなのはよくわからないが」
準備中のアトラクションに乗っても、ピエールの誘拐には意味がない。それは俺達が孤独から開放されていないからだ。
思えば、ピエールランドには俺達に対応するように、興味を惹く場所が必ず一つは存在する。
「私もね、一番最初にこの時計塔を見た日は、ずっとここで考え事をしたの」
「俺には多分、あのバルーンハウスだ」
そのどれもが、準備中と書かれた看板付だ。
「鳩さんはジェットコースター。だけど、あいつのはわからない」
「ホークのか」
確かに、ホークは普段どこにいるのかもわからない。本当に謎だらけの人物だ。
「だから、私は彼を信用してない」
「信用してないのは、それ以外にも理由がありそうだけどね」
「ないわよ、たぶん。それに私、一度あいつに聞いたのよ。だけど結局、言葉巧みにはぐらかされて何も解らなかった」
俺はこの考えを確信に近づけた。今まであった孤独の雰囲気だって、ピエールランドの被害者と見れば、理由がしっかりとはまるのだ。ホークのことは、確かに疑問だ。
「でも今聞けば、教えてくれるかもよ」
いつ聞いたのかは知らないが、少なくとも今の俺達は前以上の相互理解があると信じられる。
「でも、恐い」
「なにが、恐いんだ?」
「わからない。だけど聞いちゃいけない事だって、解るの」
もしかしたら、それがホークの本質に関わることなのだろうか。ならば、俺はホーク本人に聞くべきかもしれない。茜にできないことなら、俺が代わるべきだ。
茜は珍しく俯いたままじっと、視線は自身の靴を見ている。
「なに、心配するなって」
「そ」
反応が、薄い。
仕方ない。あまり良い雰囲気ではないが、ここで渡すしかなかろう。
「茜」
「なに?」
「プレゼントだ」
俺はポケットから、手のひら大の包装用紙で作られた包みを手渡す。それを受け取った茜は、不思議そうに俺と包みを見返して、また包みに視線が戻る。
多分、茜にサンドウィッチを貰う時の俺は、こんな顔をしているのかもしれない。
「開けてみてくれ」
「これを、私に?」
何度も確認するようにしてから、茜はらしくない手つきで包みを破っていく。
するとそこから出てきたのは、俺がショッピングエリアで選んだ。女性用の腕時計だった。
「なにがいいかなって思ったんだが、渡すなら機能的なほうが使い道ありそうだし」
「私、プレゼントされるようなことしてない」
時計を見つめる目は意外と冷静で、俺的にはちょっとがっかり。
「特に理由なんてないよ、日頃の感謝もあるし、ただ俺が渡したかっただけだ。それでも理由がほしいのなら、今日食べたサンドウィッチが美味しかったってことくらいか」
「え……今日のサンドって」
「ああ、サンドは茜のが一番だ」
俺はできる限りの笑顔で、緊張を隠す。実際問題、いや、渡す前からずっと考えていたことだ。受け取ってくれたとして、喜んでくれるかどうか。
「啓二」
「はい」
「これ、ショッピングエリア七層にある、クロックペンションってお店にあったやつでしょ」
「え?」
茜は俺の渡した、プレゼントの出所を知っていた。
最悪だ……知ってるなんて。せっかく何時間も探し回って、ここには誰も着たことがないだろうという場所まで潜って、さらによさそうなのを厳選したのに。所要時間約三時間。
「啓二、なに変な顔してるのよ」
慌てふためく俺の顔が面白かったのか、茜は少し微笑んで俺を見ている。
「俺を見て笑うのはやめてくれ」
「馬鹿ね、うれしいから笑うのよ」
「なにが?」
「プレゼントが」
箱を開けて、その中に入っている腕時計が出てくる。あまり鬱陶しくないようにと、飾りつけはほとんどない、質素な腕時計を選んだ。
「この箱、啓二が包装したでしょ?」
「ああ、そうだが」
どうせピエロの人形に頼んでも意味がない、人形の隣で見よう見真似のまま包装してみた。
「渡したところで、すぐに破いちゃうのよ」
「かまわないよ、男はあらゆる行動に全力で挑むのさ」
お金も渡さず手に入るものだから、俺なりになにか手心を加えておきたかった。
茜はその腕時計を何度か見た後、俺の目の前で着けてみてくれる。すぐに着用してくれるのは、うれしかった。
「どうだ?」
「シンプルね」
「ざっくり言うんだな」
「でもいい、大切にする」
「ただショップで取ってきただけの市販品だぞ。そこまで言わなくていいさ」
「しょうがないから、大切にする」
笑顔で、妥協された。
時計をつけた右手を夜空へ伸ばして、茜は雲を掴むように手を広げる。何もしゃべらず、見つめるものが靴から時計に代わる。俺も空を見上げて、その時計を見つめた。
しばらく見つめた後、ふと視線を下げて、茜の顔を見やる。
茜はごくたまに見せる、まるで夢を見る少女のような瞳をしていた。俺はその瞳に吸い込まれながら、俺の中で何かの感情が沸き立つ。
どきりと、身体から音が響く。心臓をわしづかみにされたような、心苦しさを背負う。
ああ、もしかして俺は、茜のことが好きなのかもしれない。
それからしばらくして日が落ち、いい雰囲気のまま時計塔を後にした。そして俺はまたピエールランドをぶらぶらと歩き回る作業を再開する。
何も話さないまま終わってしまったが、それでも悪い気はしなかった。
「あ、敬君だ。その鼻を伸ばしたデレデレ顔はいいことがあったね~」
「人の顔見てニヤニヤしてる鳩さんには教えたくないな」
突然背後から現れた鳩さんも俺は慣れっこだ。華麗に攻撃をかわしてみせる。
「わー鳩を蔑ろにする罪は地球より重いよー」
「ロリコンって言われて、俺は宇宙よりも深い傷を負った」
「その傷の先には未知との遭遇もありだね! モノリス!」
鳩さんは本当に終始ニヤニヤしていて、本当に機嫌がよさそうだ。心なしか頭髪のふわふわもいつもより多めだ。
「うれしそうだな」
「そうだよー。今日の楽しかったことを思い出したらね」
「それは、嘘?」
ちょっとからかって、その顔の真意を問う。すると考えようなしぐさをしながら、鳩さんは指示されたわけでもないのに、自分に付けた髪飾りを抜いた。
「うーん微妙。でも久しぶりに家族って感じがしたかな」
いつの間にか、こっちの鳩さんと会話するのも違和感がなくなっていた。どうしてだろうか、こっちのほうが、鳩さんらしいと感じるのだ。
「あたし、元々家族以外はあんまり好きじゃないからね。あたしの交友は狭く深くだから」
「そっか」
「でも、なんだかここにいる皆が家族みたいに見えてくるから、つまらなくはなかったのかな。うん、楽しかったかもね」
鳩さんは素の自分と、ぶりっ子をしている自分のどちらが好きなのだろう。彼女には合理的な本質はあっても、遊びが見えない。この人格のせいで全部、うそ臭く見えてしまうからだ。
「悲しい顔だね、あたしは嫌いじゃないけど、そこでお披露目するものじゃないと思うな」
「あ、すまん」
「あと、あたしのぶりっこ取るの趣味悪い。もしかして楽しい? うん、それは変態さんだ」
「それも謝ります」
からかいもあったけど、本当の答えを聞きたかったというのも本心だ。俺はあの空間を、できるだけ共有したかったのだ。人の真意を探るなんて、俺は本当に変態かもしれない。
「大ジョブだよ、そんなに悩ましい顔しなくても、啓君は変態じゃないよ」
「そうかな?」
「他人を知ろうとするのは、人が弱いからだもん」
鳩さんは両手を腰に当てて、俺の先を歩く。
知らないからこそ、恐怖もある。
たしかに知ろうとするのは、好奇心と、傲慢と、少しの勇気が必要だ。
「傷つけるのは、嫌いなんだけどな」
「それはいい人の特権だけど、損をするね。啓君は傷つけないのと、仲良くなるのを、全部一緒にやりたいんだね。それって、一番難しいよ」
「傷つけなければ、仲良くなれるだろ」
「啓君はダメだなあ、それはうわべの付き合いだけだよ」
鳩さんは指を左右に振って、俺をからかうように言った。
俺には鳩さんの言っていることが、まだよく解らなかった。
「年下の癖に」
俺の悪態を、鳩さんはお決まりの大人な笑顔でごまかす。それで終了だったように、鳩さんはまた髪飾りを付け直した。
「とりあえず、お互いがんばろー!」
おー、と一緒にこぶしを空に向けて突き上げる。
「また、食事会しようね!」
そのまま、鳩さんは夜のピエールランドに溶け込んでいった。
「また、食事会か……」
鳩さんは、自分が思っているよりもこの状態を楽しんでいると思う。家族のような仲間と一緒にすごす、家族とは違う付き合いの空間を尊く感じてくれている。
「おし!」
俺も、別の道を歩き出す。まだピエロが出てくるには、時間がある。探索を続けよう。
俺達は信じていた。皆でここを出ることができる、ハッピーエンドな最高の締めくくりを。
しかし、その希望は明日になって、深い暗闇へ突き落とされる。
鳩さんはこの夜、ピエロに食べられた。