湖に居た金魚
朱色が水中でひらひら揺れるのを、硝子越しに見たことがある。何度も。
家族に金魚の趣味があったので、人より幾らか金魚は見慣れている。丸い小さな金魚鉢にそう何匹も入れてはいけないとか、この鱗の色は高価だとか。鰓病の金魚を琺瑯の洗面器に隔離して、水に塩を入れてやるとか。水替えや水温の調整など、見た目以上に手間をかけていたように思う。
人魚は金魚を見たことがあると言う。
「此処で?」
つまり、金魚を湖に放した輩が居る。彼女はその知らない誰かを悪者扱いするのに抵抗があるのか「いつやって来たかは知らないけど」と言った。「快適そうに泳いでいたわ。まっすぐ一直線に」
飼育下ではできないことを持ち出して、彼女は金魚の幸福を語った。そんな非難めいた声を出したつもりも、そもそも義憤に駆られている訳でもないのだが、何故そんなに擁護しているのだろう。
仕方なく、「余りいいことじゃないなぁ」と言った。彼女は不満そうだ。水槽で飼われているなんて可哀相、とは思っていないだろうに。
「どうして?」
「生態系に影響を与えかねないとか、色々な理由で」
「そんなわけないわ。すぐいなくなったもの」
だろうね、と私は言った。野生の魚に比べて、余りにも捕食しやすいだろう。深く潜らないだろうから、鳥かな、と思う。
「どんな金魚だった?」
「どんな?」彼女は首を傾げた。金魚は金魚でしょう、とばかりに。「ふつうの金魚だったわ。薄い紅色の、三角っぽいかたちの」
恐らく、彼女は(そして人魚という存在は)金魚についてそう詳しくない。観賞魚だからね、色んなのがいるんだよ、と言うと、ふうん、と彼女は興味がなさそうに返事した。そしてその声音のまま「見てみたいわ」と彼女は言った。今度写真を持ってくるよ、と苦笑すると、それで手を打ってあげましょう、とばかりに彼女は頷いた。
「その金魚、きみは飼わなかったのかい」
「そんなことしないわ。世話が大変だもの」
私は笑って、そうだね、と答えた。やはり可哀相とは言わない。
水中の生きものが水中の生きものを飼う大変さはしかし、想像が難しいけれど。




