皮膚の実験
「人間は」と人魚は話し出す。「酸素があっても、水中では長く生きていられないでしょう」
そうだよ、と私は答える。
「実はね」と彼女は密やかに語る。「人魚の肌も、ずっとは水にたえられないの」
全く知らない話だった。本当かい、と尋ねると、彼女は全てを知っていると言わんばかりに頷く。
「特にあたまがね、やわらかい皮膚だから」
もっとも、と悪戯めいて人魚は話す。人間よりはずっと、水に浸かっていても問題ないのよ。やっぱり水のいきものだから、と。
「でも、それじゃあ大変だろう」
大丈夫よ、と彼女は笑った。私を安心させるように、手のひらを重ねる。
「大抵は、皮膚がだめになる前に他の理由でしぬから」
「病気かい」
「怪我と寿命が多いかしら」
少なくとも、それくらいの期間は水に浸かっていても大丈夫なの、と彼女は説明した。人魚は特に厚い皮膚をしているようには見えず、触れた感触も人間とそう差はないように感じる。彼女に関しては少し薄いようにすら思えるが、そういえば、血管が透けていない。
「それに、すこし乾かせばしばらくは大丈夫になるの」
再生してるのかしら、と理屈は分かっていないらしい声だった。
「だから人魚は水面から顔をだすの」
そうそう、あなたも気をつけてね、と彼女は私の手首を掴んだ。
「海の人魚は、時折、人間を海にひきずりこむでしょう」
歌で誘き寄せて、と彼女は己の唇を指差す。余り赤くはない唇を。
うん、と私は頷いた。勿論、その実例は聞いたことがない。
「あれはね、食べるためでも一緒に暮らすためでもなくて、実験するためなの」
「実験?」
「そう、実験」
何の実験でしょう、と彼女の目が愉しげに問いかける。大して考えることなく私が首を傾げると、彼女はあっさり話を再開した。
「自分たちとすこし似ている生き物が、どれくらい水の中で生きていけるのか」
ふふふ、と彼女は笑った。もしかしたら怪談をしている自覚があるのかもしれない。
「一年くらいかしら、いやいや半月くらいかも。十年近く生きるのではないかしら」
私は意図が分かったしるしに苦笑した。彼女は大袈裟に溜息を吐いて、続きを話す。
「まさか、こんなにすぐに死んでしまうなんて!」
「呼吸ができないからね」
「そう、海のものは知らないの。人間が、水中では息ができないなんて」
こんなに似ている生き物なのに、と彼女はわざとらしく嘆いてみせる。ということは、やはり、人魚の鰓は上半身にあるのだろうか。
「てっきり肌がぼろぼろになって死ぬと思った生き物がすぐに窒息死しちゃうんだから、海のものたちは大あわて」
あ、大抵は複数犯よ、と彼女は付け加えた。だろうね、と私は返した。賭けをしているようだし。
「そこからはあんまり、よくない話になるわ」と人魚は悲しそうに言った。悲しくはないだろうけれど。「魚たちが食べようとして、ああまだ駄目よと止めて、でも結局、人間の死体に用はないからほうっておいて、それでおしまい」
「陸に返してはくれないのかな」
「ずいぶん遠いもの。近くにちょうどいい島でもあったら、置いとくかもしれないけれど」
ひどいでしょう、と彼女は締め括る。それから、
「安心して」
と、芯のある、慈愛に満ちた声音で言った。
「湖のいきものは、人間が水中で呼吸ができないことも、すぐに死んでしまうことも知ってるから」
ほっと私は息を吐いてみせる。ああ良かった、と胸を撫で下ろすと、彼女ははしゃぐように笑った。




