おにぎり戦士とスリの少年
「さ、財布がなーいっ!?」
グレースの叫び声が辺りに響き渡る。
「えー、なんでぇっ!?ちゃんと入れといたはずなのに!やっちゃったー!!」
これはまずい。
このままじゃ『勇者、魔王討伐の旅一日目で財布を盗まれる!』みたいなおバカでしかない新聞が出来上がってしまうじゃないか。
それがフリージアに伝わりシャロさんにバカくそ笑われる……みたいな流れが容易に想像できてしまうぞ?
「おい、あそこだぞ。」
「んあっ?」
人だかりの向こうで、フード姿の子どもがスルリと駆けていく。その手には見慣れた革財布。
「待っ_____わっ!?」
グレースがとっさに走り出しかけた瞬間、戦士に袖をつかまれた。
「少し待っていろ。」
戦士の姿が視界から消える。
「えっ!?」
先ほどまで座っていたはずなのに。
一瞬で姿が消えたのではないかと錯覚してしまうほどの速さだった。
「ぎゃーーっ!!はーなーせーー!!」
「離すわけないだろ。」
戦士は、右手に丸太のようにスリ少年を抱え、左手にグレースの財布を握っている。
「……お、お見事……!」
まさに圧巻。
魅せられてしまったグレースは、そう言うしかなかった。
「めっちゃくちゃ速いじゃん!!よっ、動ける筋肉!」
「……お前の財布が今誰の手にあるのかをよく考えて発言しろよ。」
「あっ、ごめんなさいごめんなさい……」
無事に財布を受け取り、「うわー!よかったあ!マイスイート財布ーー!!!!」などと騒ぎまくるグレースを横目に、スリ少年と戦士の間には重たい空気が流れていた。
「おれをどうする気だよ!」
「決まってるだろ、護衛騎士に報告させてもらう。盗みをしたんだから、当然だろう。」
両者見つめ合う。
そんな中、またもや空気を読まないグレースが茶々を入れてきた。
「えっ、ちょっと待ってくれよ。その子、まだ幼いじゃないか!」
「はあ?幼いも何もあるか、こいつは……って、話聞けよ!!」
グレースは戦士の話を聞きもせず、少年に近づき、目線に合わせてしゃがみ込んだ。
「君。どうして財布を盗んだのかな?」
「……は?」
少年と戦士の顔が歪む。
「お前に離す必要ねーだろ!さっさと消えろよ、オッドアイ野郎!」
戦士が「こら、消えろなんか言うな!」と言葉使いを注意するが、グレースはそれを牽制した。
……この少年、ボロボロだ。
全身傷だらけの上に、身体は痩せ細っている。被っているフードもツギハギで____正直、まともな環境で暮らしているとは思えない。
「言いたくないなら構わない。代わりに、これを貰ってくれるかな?」
「「!?」」
少年の手のひらに置かれたのは、数枚の銀貨。
「お、おい金髪、一体何考えて………」
「これはわたしの自己満さ。戦士さんよ、少年を話してやってくれ。」
「……」
戦士は困惑した様子で少年を下ろした。まあ、戦士より困惑しているのは少年のようだけど。
「じゃあね、少年。この件は無かったことにしたげるから。心優しきお姉さんに感謝するんだぞ!」
ぽんぽん、と頭を撫でて立ち去ろうとしたグレースの袖を、少年が掴んだ。
「……あ、あの!」
「おわっ」
「……ありがとう、ござい、ます……」
気まずそうな少年の表情。
それを見たグレースは幸せそうに口角を上げて、「どういたしまして」と答えた。
◇ ◇ ◇
「……おい」
「ん?」
少年が走り去っていくのを見届けると、今度は戦士に話しかけられた。
「なんであいつに、銀貨をやった?」
「……別に、お義父さんの超絶お節介が似ちゃっただけだよ。」
太陽はゆっくりと海の向こうへ沈み、辺りを暗闇に染める。
グレースは戦士に向かって笑っていたのに、どこか遠くを見ているような気がしてならなかった。