終わらせてあげましょう~『あまりにも長い大河小説』を断ち切るために、詩神は作家の命の糸を~
「正直な話……『幻想帝国』、続きを読みたい?」
あまりにも唐突にそう訊かれ、僕は言葉を失った。どういう意味だろう。この国一番の作家の、今でも続く大河小説……『幻想帝国』の続きを読みたいか訊ねるなんて!
「――当然ですよ! 先生はもう次巻の準備を進めてらっしゃる、編集者としても一読者としても、僕は心底楽しみで……!」
「嘘ね」
ばきりと言葉を圧しつけて、となりを歩く少女は笑う。絹の白いワンピース、胸に抱く『幻想帝国』の最新刊、いったい何なんだこの少女は? あまりといえばあまりにも……!!
「失礼ですよ、先生に! だいたい何です、あなたは先生の大ファンなんじゃないですか? その一冊にぜひサインが欲しいというから、僕はあなたを特別に先生のお屋敷まで……!!」
「あら、嫌なら良いのよ? 風に乗ってひとりで行くから」
……少し、頭がおかしいのか。そうしてもしやストーカーか? もうネットや何かで調べて、先生のお屋敷を知っているのか。これはいけない、今すぐ警察に通報を……!
「分かってるわ、今あなたの考えてること……でも、あなたにもうひとつ訊いて良い? 面白いかしら、最近の『幻想帝国』は?」
「――当然ですよ! あれは先生の最高傑作、誰もが認める名作ですよ!!」
「十年前まで。帝国の建国者の『初代主人公』が亡くなって、二代目に代替わりしてからは、めっきり面白くなくなった……」
「……それは、一部の人はそう言ってるかも知らんが、今でも熱心なファンはいますよ! 彼らが続きを待っている……!!」
「惰性でね。二代目の主人公は心から優しく、『救世主』とたたえられて初めはそれなりにファンもいた。でも最近はどう? 彼はとっくに独裁者に堕しているわ。周辺の国を殺戮、略奪で征服し、植民地化して自国の宗教や身なり、食文化まで圧しつけて……それで『文明化』と称して善人気取りでいるのよ、正直言って吐き気がするわ」
「――じゃあ、もう読まなければ良いじゃないですか?」
「そうはいかないの、根を絶たなければね」
ぐっと息を呑む僕の肩へ白い手を触れ、少女は青い目でこちらを見上げる。その一瞬、青いはずのその瞳が血のように赤くなった気がした。
「あなたたち編集者も悪いのよ。作家が最高の終わりを書き上げ、『これで完璧』と満足したその瞬間に『先生、次回の構想は?』ですもの。人気があれば、金を稼げれば、いつまでだって続けさせる気なのよ、あなたたちは……」
――そうかもしれない。もうけと言う目算がなかったと言えば噓になる。編集部の意向だった、続きをうながしたのは他ならぬこの僕だった。でも、僕は一読者として、誰よりも望んでいたのだ――『幻想帝国』の続きを、もっともっと読みたいと。
僕の内面を読み取ったように、少女は深くうなずいた。一瞬赤く見えた瞳は、もうどうみても海のような青色だった。
「そう。その気持ちは分かる、私もファンだったもの……でももうだめよ、誰かが終わらせてあげないと。このままだと連載はあと二十年続く、そのひどすぎる展開にみんなが見捨てて、世界じゅうのほとんどすべての読者を失い、『幻想帝国』は未完で終わるの……作者が睡眠薬を飲んで、自らの死を選んでね」
僕ののどがごくりと鳴った。何なんだ、何者なんだ、この少女は?
「――詩神よ」
一言ささやいて微笑して、少女の姿はかき消えた。ざあっと大きな風が吹いた。今の出来事が信じられずに、僕は何度もまばたいた。
――働きすぎの幻覚か。今回の先生の原稿を受け取ったら、病院にかかって診察結果という『免状』でももらって休みを取るか……冗談交じりに考えながら、先生のお屋敷についてインターフォンを押した。
二回。三回。先生は出てこなかった。この広いお屋敷に先生はおひとりで暮らしている。お寝みになっているのだろうか……あれだけ精力的に活動なさっている先生が、今日に限ってお昼寝を?
まさか、あの少女が? もしやあの子が本当に詩神で、先生を憐れんでその生命に区切りをつけに? 風に乗って僕より早くこのお屋敷を訪れて、先生の命の糸を断ち切りに? ……はは。まさか。まさか……、
「せんせい……――先生!! 先生!!」
僕は玄関で叫び出した。狂ったようにインターフォンを連打した。それでも先生は出てこなかった。屋敷の中からは、こちりとも音がしなかった。
とうとう僕はおしまいに警察に連絡し、しばらく後に立ち入りで、先生の死亡が確認された。愛用の万年筆を握りしめたまま、ゴブラン織りのカーペットに倒れて亡くなっていたらしい。
心臓発作だった。
事件性はまったくないと、ほどなく明らかにされた。
……そして、今。『幻想帝国』は伝説となった。作家の死後十年を経て、今年の夏にリメイク映画が公開される。展開としては『初代主人公』の建国者が亡くなるパートまで。続きを出す意向はないと、監督がすでに明言している。
『幻想帝国』の続きを読みたいという思いと、読めなくて良かったという想いが、十年経った今でも僕の中で混じり合って渦巻いている。
僕は端末で『大作映画化』のニュースを見ながら、ふっと自室の本棚へ目を走らせる。
『幻想帝国』、全百十三巻(未完)の単行本がずらりと肩を並べ、威風堂々とそびえていた。
(完)