伝説の巨獣
魔女たちは攻めあぐねていた。いや、確実に敗北しつつあった。
その敵は、タラスク、もしくはタラスコヌスと呼ばれる伝説的な巨獣であった。全身角が生え、分厚い甲羅をもつトカゲのような姿をし、六本足で、後ろ四本の足で身体を支え立ち上がることができ、前二本の足は腕として使うこともできた。大きさも段違いであり、その身体は小山ほどもあった。
一時代に一匹しかいない、とまで言われるこの巨獣に立ち向かうことになったのは、とある冒険者が偶然その居場所にぶち当たったからであった。タラスクは長いまどろみの中にあったが、一旦目覚めると、その住処の周りの生物をことごとく喰らいつくすと言われていた。そのため、王はその駆除を魔女に依頼したのだ。
魔女たちは迷宮の中に足を踏み入れ、多くのモンスターを倒しながら、タラスクが眠る鍾乳洞へとたどり着いた。魔女がその場に着いた時、タラスクは目を覚ましていた。四つの眼で辺りを睥睨し、目覚めと共に感じた飢えを少しでも満たすことができる生き物がすぐそこにいることに気づき、威嚇の咆哮をあげた。
銃声が響く。金色の薬莢が飛び、タラスクの皮膚に火花が散る。グレネードが炸裂し、爆炎と爆風が辺りを駆ける。
しかし、タラスクは無傷だった。魔女は対戦車兵器による攻撃を命じた。AT-4がつるべ撃ちに叩きこまれる。しかし、その攻撃も全く効かなかった。
魔女はタラスクの伝説を甘く見ていた事を悔やんでいた。それは「あらゆる武器の攻撃は、タラスクを傷つけることができない」という一文であった。魔女は、鋼を知らなかった頃の話だろうと、それを軽視したのだ。
「どうします?」
ボルトの顔にも焦りがあった。手にしたライフルもショットガンも、ただの荷物になっているのだ。手榴弾もまったく効果がない。AT-4もすでに全弾撃ち放っていた。
魔女は考えていた。このままでは撤退するしかなかった。しかし、AT-4でも傷つけられないとなれば、たとえビーストを持ち出しても勝てる保証はなかった。
そんな中で一人気を吐いていたのはラチェットであった。ラチェットの動甲冑が装備する、魔力を帯びた大剣だけが、タラスクの表皮に傷をつけることができたのだ。しかし、タラスクの巨体の前には、それも小さな傷でしかなかった。
レンチとナットも不安げな顔をしている。今まで無敵の快進撃を誇った北の森の魔女が敗北する。それは、魔女の眷族たちに大きなショックを与えていた。積み上げられた自信が、音を立てて崩れていく。それが驕りであった事は、魔女が一番理解していた。
タラスクは、何度も飛び掛かってくる動甲冑を鬱陶しそうに見、前足を振り上げ、攻撃する。ラチェットはそれをかわし、執拗に攻撃をくりかえした。しかし、その奮戦も、全くの無駄であるように見えた。
「──撤退する」
魔女は苦渋の決断をした。プライドになぞ構っている暇はなかった。敗北を認め、逃げ帰り、改めて対策を練るしかない。
魔女の声にボルトたちはほっと息を吐いた。このまま戦うのは無意味だとわかっていたからだった。
「ラチェット、一旦引くよ」
『i,copy』
魔女は発煙手榴弾を投げるように命じた。ボルトたちはそれらを用意し、次々とタラスクに向かって投げつけた。鍾乳洞に煙が充満し。視界を奪う。魔女たちはラチェットを後衛にして、その場を離れた。
「これからどうするんです?」
鍾乳洞から迷宮へと撤退し、そこで休憩を取ることにした。座り込んだボルトが魔女に聞く。
「仕切り直すしかないさね。今回は甘く見過ぎていた」
魔女はチームを見た。レンチは銃を支えにして、肩を落としている。ナットは天井を見上げて黙っている。ラチェットはじっとタラスクがいるであろう向こうを見つめていた。
──まずい。
このままでは士気を損ねる。下手をすると、帰り道で、つまらない敵にも敗北するかもしれない。魔女も一抹の不安を感じていた。しかし、それを顔に出すことはなかった。
「さて。一息ついたら、帰り支度だ。ボルトが先頭。ラチェットは後衛を任せる」
「了解」
ボルトがM4を抱える。ふっと息を吐き、周りを見回す。
「何、落ち込んでるんだ。たまには負けることもあるさ」
ボルトが魔女の代わりに言った。
「今回は相手が悪すぎた。なにせ、相手はこの世に一匹しかいないという、伝説の怪物だ。初顔合わせで倒せるわけはないんだ」
ボルトの言葉に、レンチがそれもそうか、という顔をする。ナットは兄には全面的な信頼をおいている。大きくうなずき、M32を構えなおす。
「巨獣には野獣をぶつけるまでだ」
ボルトは魔女に顔を向け、小さくうなずく。魔女はよくやったと、無言で返事をする。
一行は出口へ向かって歩き出した。倒した怪物たちの死体に、それを掃除する小さな生物たちが群がっている。強い生物も、いつかはそれより弱い生物の餌になる時がやってくるのだ。それは自然の摂理であり、自分たちもその中にいるのだ、とボルトは思った。
迷宮の外に出る。夕暮れを迎えつつある空が上にあった。ボルトは大きく息を吐いた。
「それじゃあ、帰……」
振り返ったボルトはそれを見た。どこから這い出してきたのか、迷宮の入口がある丘の上に、タラスクの姿があった。
タラスクは咆哮をあげた。ボルトは絶望を感じた。自分たちはここで死ぬんだ、と思った。
停まっているHMMWVまでの距離を測る。そこにたどり着き、エンジンをかけるまでの間に、タラスクはここに達するだろう。
「レンチ! エンジンを掛けろ!」
ボルトはM4を構えると、無駄と知りながらタラスクに向かっていった。その姿を見た魔女もM14を構えて進む。
銃声が響き、タラスクの頭部に命中弾の火花が散る。タラスクはそれらを意に介さず、巨体に似合わない身のこなしで、するすると丘を下ってくる。ラチェットが大剣と盾を構える。
「ラチェットは車を守れ!」
ラチェットは一瞬戸惑った。タラスクを傷つけられる武器を持っているのは自分だけなのに、と。しかし、魔女の命令は聞かねばならない。退がり、HMMWVの前に立つ。
レンチは運転席につくと、キーをひねった。
「ああ、こういう時に限って!」
エンジンがなかなか始動しない。レンチは焦った。イグニッションを無茶苦茶に何度も回したいと思ったが、そんなことはしてはならないと、頭の中の冷静な自分が言っていた。
タラスクが近づいてくる。弾倉を替え、無駄だとわかっていながら銃撃を続ける。
そんな二人の後ろで、ナットは何度も大きく息を吐いていた。重大な決断をする時だった。ナットはグレネーダーを捨て、チェストリグから40㎜弾や手榴弾を抜き出し、ザックへと放り込んだ。そしてザックを左手で持ち上げると、右手にCS手榴弾を一つ持った。そして、走った。
「お、おい! ナット!」
ボルトの脇をすり抜け、ナットはタラスクに向かって走った。口から威嚇の咆哮を上げ、一心に足を進める。
タラスクは餌が向こうから来たと、頭を下げ口を大きく開けた。ナットは地面を蹴り、牙にかけられないように身体を丸めると、自らタラスクの口の中に飛び込んだ。まるで聖マルタの絵画のようだ、と魔女は思った。
「ナーット!!」
ボルトが叫ぶ。タラスクは口を閉じる。喉が動き、ナットが飲み込まれたことがわかった。
「よくも弟を! このクソトカゲがっ!」
ボルトはタラスクに銃撃を加えた。タラスクはそれを気にもせず、喉を鳴らしている。
魔女はふと、タラスクの眼の間にある鼻の穴から煙が漏れていることに気づいた。
「ボルト!」
魔女はM14を持ち上げると、油断なくタラスクに向かって照準した。
タラスクが不意に口を開けた。その口から、独特の刺激臭が漂ってきた。催涙ガスだ。
次の瞬間、タラスクの喉が動き、ナットが吐き出された。胃液だか何かにまみれたナットが地面に転がる。ボルトがそこに駆け寄り、弟を抱き上げた。ナットは兄の方を見ると、ウィンクした。そして、右手を開いてみせた。そこには手榴弾の安全ピンがあった。
ナットの手にザックが無い。魔女はその理由に気づくと、ボルトにナットと一緒に下がるように言った。
タラスクの口の奥から、くぐもった轟音が聞こえた。タラスクの腹が膨らむ。そして、内部から爆ぜた。皮膚が裂け、血しぶきとともに内臓が噴き出る。
その光景を見て、ナットは親指を突き上げて、ニヤリと笑った。
ナットはタラスクの胃袋の中にザックを残してきたのだ。その中には、大量のC4爆薬と、数十発の40㎜グレネードや手榴弾が入っている。しかも、予備として入れてあるホールディングバッグの中には、その数倍の量の爆薬や地雷などが含まれていた。それらが一斉に爆発したのだ。さすがのタラスクも、一つの城を瓦礫に変えてしまうほどの爆発物の、体内での爆発には耐えられなかった。外敵に対する高い防御力が災いし、爆圧が柔らかい下腹部に集中することになったのだ。
タラスクは転がり、断末魔の声をあげ、ジタバタともがいた。
「ラチェット!」
魔女の声にラチェットが躍り出る。大剣を振り上げ、タラスクの噴き出た内臓をずたずたにし、さらに傷を広げ、体内をぐちゃぐちゃにする。
タラスクの頭が上がり、口が大きく開かれる。そこからは血がダラダラと流れだし、地面を濡らしていく。
そして、伝説の巨獣は力尽き、頭が地面に落ちた。びくりびくりと動いていた身体も、しばらくすると動かなくなった。
「勝った……のか……?」
弟を介抱していたボルトは、唖然としてその光景を見ていた。ナットは兄の腕をぽんっと叩き、いたずらが大成功したんだ、という顔をした。
魔女は倒れたタラスクに近づいた。タラスクの四つの眼からは光が失われており、口からは丸太ほどもある舌が突き出ていた。
腹の傷口から、動甲冑が出てくる。その剣には、巨大な心臓が刺し貫かれていた。ラチェットはそれを掲げると、遠くへと投げ捨てた。
魔女の小屋に一行は帰り着いた。ナットは呑まれた時の衝撃で、手足にいくつかの骨折を負っていた。レンチとラチェットが治癒魔法をかけ、勝利への最大の功労者をかいがいしく看病した。
「今朝は……メムが?」
「ああ、そうだよ」
台所に立つ魔女がフライ返しを手に応える。
「ナットほどはうまくできないが……まぁ、喰えない事はないさ」
ボルトはコーヒーの支度をしながら、居間のソファに腰掛けた弟の方を見た。腕を吊り、脚はギプスで固定されている。ナットはその視線に気づいたのか振り返り、笑みを返す。
「まぁ、ナットは仕事続きだったろ? しばらくはお休みだ」
「たしかに。働き過ぎです」
「しかし、わたしらは驕り高ぶりすぎたねぇ。まだまだこの世界には、わたしらがかなわない相手がごろごろしてる」
「ええ。さすがに今回は覚悟を決めましたよ」
「飯が終わったら反省会だ。王国の生物学者にも話を聞きに行こう」
魔女はベーコンエッグを皿に載せ、ボルトへ手渡した。