第15話 どっち?
「はあ・・・」
「武上さん。元気出してください」
「寿々菜さん・・・ありがとうございます。でも、和彦に頼らず僕がもっと早く気づいていれば・・・
いや、和彦に頼ったつもりはないんですが」
そう言いながら、武上は肩を落とした。
ここは、S駅近くの高級マンション・・・の1室。
水沼の家だ。
もっとも既に、その家の主はこの世にはいない。
「水沼さん・・・死んじゃったんですか?」
「はい。ここは8階ですからね。飛び降りれば助かりません」
昨日・・・いや、正確には今日、3人であの高速バスに乗り、
Tホテルから30分きっかりでS駅に着くという事を実地検証し、喜んでいた矢先、
水沼が自殺したという連絡が武上の上司の三山から入った。
そして、仕事だという和彦を置いて(一体どういう生活をしているのやら)、
寿々菜と武上で駆けつけたのだ。
さっきまで、水沼のアリバイが崩れて喜んでいた武上だったが、
一気に地獄に叩き落された気分だ。
もっとも、何故か和彦と寿々菜は、最初からすっきりした様子ではなかったが・・・
「武上さん。これを」
鑑識の人間が1枚の紙を差し出した。
そこにはプリントされた文字で、
自分が妻の真紀子を殺したということ、
高速バスを使って、TホテルからS駅に行き、アリバイ工作をしたということが書かれていた。
遺書と言うより、詫び状のような感じだ。
「これはどこに?」
「机の上です。パソコンで打ってプリントアウトしたみたいですね」
「パソコン?」
寿々菜には、武上の疑問がすぐにわかった。
「武上さん。それは不自然じゃないです。水沼さんは、自分は字が汚いからって、
ちょっとしたメモ以外はいつもパソコンで打ってたんです」
「そうなんですか」
でも、だからこそ他の人間が水沼さんの振りをして打つこともできますけどね、
と、言いかけて寿々菜はやめた。
「なんだ。水沼夫妻は仲良く天国か」
「社長!」
相変わらず飄々とした門野が姿を現した。
「一方は地獄かもしれませんけどね」
「地獄?」
武上はさっきの紙を門野に見せた。
「ほう。じゃあ、真紀子を殺したのはやっぱり水沼か」
「そのようです」
「で、水沼は自殺?」
「はい。申し訳ありません。もう少し早く分かっていれば・・・」
「自業自得だろ」
「そうですが」
門野の淡々とした調子のお陰で、何故か武上も調子が戻って来た。
「そう、自殺です・・・でも、どうしてだろ」
「武上さん?何かおかしいんですか?」
「僕達が水沼のアリバイが嘘だと気づいたのはさっきです。だから水沼はそんなこと知らないはずです。
それなのに、どうして水沼は自殺しようと思ったんでしょう?」
「この紙に書いてある通りじゃないですか?『罪の意識に耐えられなくなった』って」
「そんなタマじゃない」
「そんなタマじゃないでしょう」
門野と武上がハモッた。
「い、いえ」
武上が咳払いする。
「取調べの時の感じだと・・・とても自殺するような人間には見えなかったもので」
それは寿々菜にも納得できた。
妻が殺された直後に別の女とホテルに行くくらいの男だ。
死んでも自殺しよう(?)とは思わなさそうだ。
門野も頷く。
「自殺するくらいなら会社の金を着服して逃げるだろうな、あいつなら。
真紀子の保険金すら受け取らないまま死ぬなんて、らしくない」
「・・・」
死んだ人間を悪く言うのはどうかと・・・と、武上は思ったが、これも自業自得だろう。
それに水沼は自殺ではないという決め手も今のところなさそうだ。
「他殺の可能性がないか、丁寧に調べてください」
武上は鑑識にそう言う他なかった。
「申し訳ありませんでした」
水沼の死から数日後。
三山と武上が揃って門野プロダクションの社長室へやってきた。
まだ捜査は終わっていないものの、門野に水沼の自殺を侘びに来たのだ。
もちろん、水沼の死自体は警察の責任ではないが、
もう少し早く真紀子の事件を解決できていれば、水沼を自殺させずにすんだかもしれない、
と思うと、やはり個人的にも一言侘びておきたいのだろう。
部屋の中には、二人の刑事と門野の他に、
寿々菜、和彦、景子、それに秘書の山崎がいた。
「気にするな。元々は真紀子を殺した水沼が悪い」
「はい」
社長の門野がそう言うなら、警察はそれ以上謝る必要もない。
三山と武上はホッとした。
「しかし、和彦。お前の推理も大したものだな。水沼が生きていれば特番を組みたいところだったが・・・」
「あれ?組まないのかよ?」
門野がしたり顔で頷いた。
「犯人のインタビューが取れないなら、インパクトは激減だ。
下手をすれば、和彦が水沼を死に追いやったなどという意見も出かねないからな」
「ふーん」
「あの・・・では、失礼します。まだ事後処理が色々ありますので」
三山と武上が腰を上げようとした時。
「ちょい待ち」
和彦がそれを制した。
「せっかく何回もTホテルに足運んだりしたのに、約束の特番もないんじゃ割りに合わない」
「合わないと言っても・・・」
「犯人が生きてりゃいいんだろ?」
「え?」
その場の全員がそれぞれに顔を見合わせた。
「でも、水沼は死んだんだぞ?」
武上が言う。
「水沼はな」
「水沼が犯人じゃないって言うのか?」
「いや」
和彦は1拍置いて付け加えた。
「実行犯は水沼だ」
寿々菜は無意識に目を瞑った。
言わないで、和彦さん!
「・・・他に共犯者がいる、と?」
「無理なんだよな」
「え?」
「武上。お前が言ったんだぞ?人を殺したら返り血を浴びるから、着替えたりしないといけないって」
「・・・言った」
武上は要領を得ない。
「1時半に景子と真紀子が電話で話した直後、真紀子は夫の水沼をベッドに誘い、もしくは誘われ、
寝室に行く。そして・・・」
和彦は携帯を取り出し、ナイフに見立てて寿々菜の左胸を刺した。
寿々菜はようやく目を開き、思わず「うっ」とか言ってみる。
「お。ちょっとは上達したんじゃねーの?ま、それはさて置き。ベッドの上で真紀子を刺し、
着替えるか、あらかじめ着ていたコートを脱ぐかして、急いで部屋を出る」
「ふむ」
「あんまり全力で走ったら目立つだろうけど、そこそこ急いでエレベーターで1階に下り、
ホテルを出て裏手の小道を登って高速のバス停へ行く。さて問題です。
水沼が乗ったバスは何時のだ?」
「1時・・・40分。水沼の遺書にもそれに乗ったと書いてあった」
「実際、2時15分にはS駅にいたんだから、1時40分のバスに乗ったんだろうな。
って、乗れるか?人を殺して、23階から1階まで下りて、バス停に行く。10分しかないんだぞ」
「・・・確かに」
「1時半きっかりに部屋を飛び出せば、間に合うだろうけどな」
三山が腕を組む。
武上は渋い顔で訊ねた。
「何が言いたいんだ?」
「1時半には、既に真紀子は殺されていて、水沼はいつでも部屋から出られる状態だったんだよ」
「でも、真紀子は1時半に八代さんからの電話に出てる」
「証拠は?」
「八代さんの携帯には発信履歴が、水沼真紀子の携帯には受信履歴があった」
「履歴だけだろ。会話したって証拠はない」
「だって、それは八代さんが・・・」
言いかけて、武上は景子を見た。
三山と門野、山崎の視線も同じ方向を向く。
寿々菜だけは、和彦から目を離さない。
そして、景子は・・・何事もなかったように、前を向いたまま和彦の次の言葉を待っていた。
「寿々菜。寿々菜は景子が真紀子と携帯で話しているのを見てるな?」
「・・・はい」
「でも、景子が切れた携帯に向かって一人で話していたってことはわからなかったんだ」
「・・・そうか!水沼真紀子の死亡推定時刻は1時から2時だ!
1時半には既に殺されていて、水沼俊夫が八代さんからの電話を取ってすぐに切り、
部屋を出たんだ!」
「景子は、その時水沼が真紀子を殺したのを知り、水沼をかばって一人芝居をしてやった。もしくは」
ずっと三山と武上に向かって話していた和彦が、
ようやく景子の方を見た。
「最初から、水沼が真紀子を殺したのを知っていた、か」