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苦手な方はご注意ください。

道徳に模範解答が

作者: 橋島微茄子

大学入試に【道徳】が追加された。

国語・地理歴史・公民・数学・理科・外国語、そして道徳。

現在、共通テストはこの7教科から成る。


「なんで、俺の代から、なんだ」


手に持った受験票には『10109』といった、人間を番号で呼ぶ無機質な数字の羅列が記載されている。

間違いなく、橋ヶ迫(はしがさこ)良太(りょうた)という名前もある。


「あと、1年、違えば」


張り紙には、『10109』の数字が記載されていない。


頭が痛くなり、吐き気がしてきた。

少しでも新鮮な空気を吸おうと、マスクを顎まで下げる。


第1次学力試験、とある教科以外は7割近くまで取れた。

道徳だけ、38点だった。


手元の紙に『10109』が、ある。

向こうの紙に『10109』が、ない。


ふと、とある問題を思い出す。


『問、友が命の危険に瀕している時は助けなければならない』


俺は間髪入れずに○を選んだ。

正解は☓だった。


有名予備校の模範解答にはこう書いてあった。

『友でなくても救う必要がある』


なんて馬鹿らしい問題なんだ。

自動車学科試験でも、もう少しましな問題を出す。


道徳は暗記科目と化した。

そもそも学問なのか?


みんな同じような正義感を抱くようになった。

それは正義なのか?


取り残された異常者には、低能の烙印が押される。

異常?


道徳に模範解答がある方が、よっぽど異常だろうに。


ここで下呂を撒き散らすことは道徳的に不正解なのか?


誰か教えてくれ。


誰が?


誰が『正しいこと』を教えられるんだよ。


マスクを外したのに息苦しさは解消されず、肺が空気を拒む。







滑り止めで出願した第2志望の私立大学は、共通テストの結果から『数学・物理・英語』の3教科だけで受験することができた。

これら3つのテストは全て70点以上を取ることができたため、難なく合格した。


国公立大学二次試験中期と後期の結果は不合格。

浪人も考えたが、もう心が折れた。


俺は社会に適応できない。

それを突きつけられた気がして、逃げた。


そんなことをぼんやり考えていると、大学新入生ガイダンスが終わったらしい。

担当教授がひと通り話を終え、教室から出ていった。

履修登録や、部活、サークルの話など、色々していた気もするが、全く頭に入ってこなかった。


ひとまず今日はこれで終わりだ。

実家から大学までは約1時間半かかるため、今朝の起床時間は6時半だった。

それでやっと9時前に間に合う。


久しぶりに早起きしたせいで、少し眠気がする。


今日は初日ということもあり、午前だけで終わった。

早く帰って昼寝でもしよう。


カバンを手に持ち、教室を出た。


「ねえ!」


突然、後ろから女性の声が聞こえる。

新入生がぞろぞろと廊下に出ている今、誰が誰に対して声をかけているかなどわからない。


ただ、自分ではないだろうと思い意に介さず、前を向いたまま歩き続けた。


すると、後方から右手の二の腕を掴まれた。


「え」


突然のことに驚き、少し重心が崩れる。


そこでやっと振り向いたが、視線の先には見知らぬ顔があった。


どこか不安げにこちらを見つめる、小柄な女性だった。

身長は150cmほどだが、存在感が薄いわけではなかった。

ボーイッシュな服装をしていることもあるだろうが、1番目を惹かれるのはその髪だろう。

紫のメッシュが入ったミディアムのウルフカットで、美しいツヤがあった。


「わ、私、高校のころ、同じクラスだったんだけど、分かる?」

「……ああ!」


こんな派手な髪色したやつ知らんが。

というか、まず名を名乗れよ。


「お、覚えてる!?」

「ああ、ああ……」

「ど、どっち……?」


向こうは俺のことを知ってるのに、こっちは覚えてないってのは失礼か。

どうにかごまかす必要がある。


「ああ! あの……な! あれな! その節はどうも!」

「さては覚えてないね!」


さすがに無理があるか。


「いやいや、まさか……それじゃ! またな!」


こういうときは逃げの1手だ。

急いで帰路につこうと、足を動かし始める。


「ちょ、ちょっと待って!」

「おっ……と」


すると、小走りで目の前まで回り込まれた。


「ほら! 高3の時同じクラスだったじゃん!」

「……んん、わからん!」


どうしようもないときは、素直に認めるしかない。


「あかりだよ! 高岸(たかぎし)あかり!」

「ああ~!」

「やっと分かったか!」


高岸……高岸あかり?


「ああぁ……あ?」

「お! さてはまだ思い出してないな!」

「いや、聞き覚えはあるんだが……」


こんな明るいやつだったか?

もっと、辛気臭いオーラを放っていたような。

人違いだろうか。


「わたしは良太君のこと忘れてなかったのに……」

「その言い方ちょっと良心が痛むな」

「うぅ……なんだか寂しいや」


本当に俺の知っている高岸なのか?


「高岸あかり……黒髪ロングでメガネかけてた?」

「ああ、そうそう! 思い出したか!」

「いや、雰囲気変わりすぎだろ」

「え~? そう?」


こんな派手な感じだったか?

もっと暗くて陰気なやつだった気がする。


コンタクトにして髪染めて、か。

人間はここまで変わるんだな。


「大学デビューここに極まれリ……」

「なんかその言い方腹立つなあ」

「いやいや……いい意味で、いい意味で」

「いい意味ならいいか……」


いいんだ……。


「結構思い出してきた?」

「思い出すも何も、俺たちほとんど喋ったことないだろ」


授業や何かしらの行事のときに軽く話したことはある気がする。

後は、なんだか暗い目をしていたことくらいしか覚えていない。

少なくとも、こんな天真爛漫な明るい目ではなかった。


「あはは、まあ、そうだね」

「意外と……なんか、こう、元気なやつだったんだな」


明るい、と言おうとしたが、暗いやつだと思ってたなんて怒られかねないと思い、言葉を飲み込んだ。


「んー……たしかに、高校のころは物静かな感じだったかな?」

「ああ、そうだよな」


それなら俺の知っている高岸だ。


大学デビューって性格まで変わるのか?


「あのときはちょっと、クールキャラを目指してたから」

「クールキャラは目指してなるものではないだろ」


そういう作為的な性格から最も遠いと思うのだが。

それに、高校の頃に見た、他者を拒絶した目は人工的なものとは到底思えなかった。

今は、目よりも髪に視線がいく。

あの黒く吸い込まれるような目だけは、鮮明に覚えている。


「それにしても、知ってる人がいてよかったよ~」

「まあ、新しい環境ってのは不安だよな」

「それに、高校のころから良太くんと、いつか喋ってみたいな~って思ってたんだよ」


どういう意味だろう。


「じゃあ高校の時に声かけてくれ」

「いや、その時はクールキャラだったから」

「今は見る影もないな……大学デビューってやつか?」

「大学デビューは背伸びのことでしょ? 私のこれは本当の私になっただけだから!」


大学デビューも偽りというわけでもないと思うが……。


「まあ、せっかく大学も一緒になったし、よろしく!」

「ああ、俺も知り合いほとんどいないし、よろしくな」

「ほとんどって、他にもいるの?」

「1人な、違う学科に加藤(かとう)英一(えいいち)ってやつがいて……俺の中学のころの友達、高校も俺らと一緒だぞ」


高岸が目を見開いている。


「知ってる! わたし、高1のころ同じクラスだった!」


それは知らなかった。


「へえ、そうだったんだ。あいつが機械工学科にいる。確か、道徳の成績が良くて、指定校推薦か何かで入ったんだっけな」

「いいね! 今度みんなでどっか遊びに行こうよ!」

「ああ、そうだな」


会話が一段落したと思い、一度息を大きく吐いた。

あの不合格の発表以来、ふと息継ぎのようなものが必要になった。

少し、落ち着くための、息継ぎ。


「どうしたの? もしかして体調悪い?」


少し、どきりとしてしまう。


「いや、ちょっと眠いだけだ。長期休みで生活習慣がぐちゃぐちゃになっててな」

「あはは! わたしも! 今日起きるのつらかった!」


十分元気そうに見えるが。


「まあ、今日はもう帰って寝ようかな」

「おーけーおーけー! 引き止めてごめんね!」

「いや、気にしないでくれ。今度適当にメンツ集めて飲みにでも行こう」

「そうだね~、ってお~い! 未成年飲酒はだめだよ! 道徳的に!」


ああ、20歳になるまでお酒は飲みたくないタイプか。


「はは……そうだな。道徳的に、な」

「そうだよ~、法律は守らないと!」


また、ふと、息が苦しくなり、大きく息を吐いた。

息継ぎのタイミングが早くなる。



その後、途中まで一緒に帰り、連絡先を交換した。







ガイダンスから1週間がたち、授業が始まった。


大学でも道徳の授業がある。

しかも必修だ。


なぜ大学生になってまで、こんなものを学ばなくてはならないんだ。


集中しきれず、ぼんやりとスクリーンを見ている。

ふと視線を周囲に向けた。


色んな大学生がしっかりと顔を上げ、教授の話に聞き入っている。

いつも数学の授業などでは寝ているか、出席すらしていないような奴らも、真面目に講義を受け、板書を取っていた。


後ろの方も見てみると、高岸と目が合った。

小さく手をふっている。


軽く会釈をし、前を向いた。


俺は周りの人間と同じく真剣に講義を受ける気にはなれなかった。

ノートパソコンを壁にし、小説を開く。


ただ時間が過ぎるのを待っていた。



授業が終わると高岸がこっちにきた。


「ちょっと良太~、授業中に本読んでたでしょ~」

「今読んでる本がいいところでな」

「高い学費払ってるんだから、講義は真面目に受けないともったいないよ~」


無為な時間を過ごす方がもったいないのでは?


「まあ、俺の学費は親が払ってるから、問題ないかな」

「そういう話じゃないでしょ~、もう」

「道徳は苦手なんだよな」

「なればこそ! しっかりと受けないと! 道徳は大切だよ」


道徳が大切なことは知っている。

同時に、価値観を押し付けることが悪だということも知っているだけだ。


「わたしね、最初は道徳が大学受験に追加されるって話聞いて、めんどうくさいなって思ったんだ」


高岸が目の前に座り、何かを話し始めた。


「ああ、俺もそうだ」

「でもね、勉強を進めるうちに、大事なものが見えてきたんだよ」

「大事なもの?」

「人生の指針、みたいなものかな」


他者から与えられた指針、ね……。


「……それで?」

「それを見つけたおかげでね、昔よりも迷わなくなったんだよ。自分の選択に自信を持てるようになった、とも言うかな」

「自信……」

「こういった判断が正解だよって教えてもらうことで、不安がなくなるんだよ」


そっちの方がよっぽど不安だ。


「それがきっかけで、こんなに変わったのか?」

「そう! 髪染めようと決心したのも、自分に自信がついたから」

「……まあ、そういう人もいるだろうね」

「良太くんもわかるでしょ、自分の選択に責任を持ちたくないときがあるってこと」


俺は何も答えなかった。

ただ、高岸の目を見つめる。

綺麗で、明るい目だ。


「道徳を学んで損はないよ」

「……後でレジェメは読んどくよ」

「そうしときな~」


今日の講義はもうこれで終わりだ。


「じゃあ、俺はそろそろ帰るわ」

「あ、もしかして今日暇?」


要件を述べずに暇かどうか確認するのやめてほしいな……。


「まあ、特に用事はないけど」

「じゃあこのあとどっか遊びに行かない? 夜からバイトなんだけど、それまで時間を潰したいんだよね」


帰ってもやることなんて、小説を読むくらいか。

さっきの会話から、こいつに興味が湧いてきた。


「あ~、いいよ」

「やった! どこ行く?」

「バイト先どこ?」

「札駅近くのアパレル!」


おしゃれなところで働いているな。


「じゃあとりあえず札駅の方まで行くか」


札幌駅に無いものは無い。


「そうだね!」


なんでもあってなんにもない、そんな空っぽの街だ。

俺たちにはちょうどいい気がした。







大学から札幌駅まではバスとJRを乗り継ぎやってきた。


今日は1~4限まで授業があったせいで少し疲れがある。

それでひとまずカフェに入り、休憩することにした。


俺たちは、店の奥まったところの端に向かい合っている。

高岸が手前のイスで、俺が壁側のソファに座った。


「メニューにスチームミルクなんてあるんだ」

「書いてはないんだけど、裏メニューみたいな」


スターバックスに来たときはいつもこれを飲んでいる。

はちみつを追加することで、ホットミルクの味がより一層優しくなる。


高岸は「へ~」と言葉を漏らして、新作のレモンフラペチーノを飲んでいた。


「新作どう?」


特段興味がある訳では無いが、インスタにさっき撮った写真をあげながらなんとなく訊いてみた。


「おいしいよ!」

「それは良かった……おれ、いっつもこれ注文するんだよな」


3割ほど飲んだカップを、左手で軽く持ち上げふらふらと揺らす。


「保守的な人間だね~」

「保守って表現、政治思想みたいで嫌だな……」


何にも挑戦しなければ、何も失わない。

いつだってそれが俺の信条だった。


「たまにはチャレンジしなきゃ駄目だよ?」

「それで不味かったら嫌だろ? いつも通りの選択が1番だ」


人生に変化なんて必要ない。


「でも、美味しいかもしれないよ?」


突然こちらに乗り出して、レモンフラペチーノを突き出してくる。

一瞬服の胸元部分がたるんで中が見えそうになり、視線を右手に持っているスマホへと向ける。


「……かもな、でも俺、酸っぱいの苦手なんだよね、それ、レモンでしょ?」

「普通に甘いよ、ほら、飲んでみて」


ここで断るのも意気地がないように思い、受け取った。

飲んで見ると、爽やかで、のどに引っかかっていたものをすべて洗い流してくれるような爽快感があった。

そして、甘かった。


ゆっくりとカップを机の上に置き、薄く息を吐く。

高岸は黙ってこちらを見ている。


少しの沈黙のあと、「ちょっと酸っぱいかな」と伝えた。


「そう? 結構甘いと思うんだけど」

「でも、そうだな……美味しいよ」

「それは良かった!」


高岸は、にこにことした顔でレモンフラペチーノを手に取り、また飲みだした。


関節キスとやらは気にしないのだろうか。

まあ、もう大学生だしな、そんなのどうでもいいのだろう。


かくいう俺は、なんだか気まずさを感じて、スマホを見ていた。


友達のストーリーを眺めていると、ラインの通知音が鳴った。

加藤英一、というアカウント名がバナーに表示される。


『今、札駅?』


さっきあげたインスタの写真を見たのか。

ストーリーの閲覧者の部分を開くと、英一のアカウントがあった。


『そうだよ』


すぐ既読が付き、『俺も札駅にいる』と返信が来た。


『運命だね』


雑な返答をした。


『会わない? ちょっと、行きたいところがあって』


今からか? 急なやつだな。

あのストーリーを見たなら、俺が誰かといることも知っていると思うのだが。

なんなら、高岸の手も写っていた。

女子と2人で遊んでいるときに、呼び出してくるほど空気の読めないやつではなかったはずだが……。

急用か何かだろうか。


「……英一と、知り合いなんだっけ」

「ん? そうだよ?」


俺も今、高岸に急なやつと思われてるのかもな。


「英一も近くにいるらしくて、どっか行かないかって」

「それ、私も行っていいやつ?」

「高岸がいいなら」


友達に呼ばれたからじゃあね、とは言えないだろう。

人の心がなさすぎる。


「いいよいいよ! 行こう!」


良いんだ……。

陽キャは怖いな。


「チャレンジ精神旺盛なやつだ」

「人に言ったのに、自分ができないなんて情けないでしょう?」


ああ、ただのかっこいいやつか。


「お前、昔からそんなにクールなやつだったのか」


俺の中の記憶にある高岸は、もっと物静かで、人との関わりを断っているようなやつなのだが。


「言ったでしょ、変わったって」


高岸は、自慢げに右手で髪をさっと耳元にかけた。


「綺麗な髪だね」

「でしょ!? 気に入ってるんだ」


道徳科目が追加されたことで、救われている人もいるんだ。

いつまでもうじうじしてはいられない。


この息苦しさを断ち切ろうと、俺は残っていたミルクを一気に飲み干した。


「お、いい飲みっぷりだね」

「高岸も飲み終わったか?」

「うん」

「じゃあ、行こうか」


英一と札駅で会うときは、いつも同じ場所で落ち合っている。


『いいよ』とだけラインを返しておけば、向こうもその場所にいるだろう。


俺とあいつの関係に、多くの言葉は必要ない。


俺たちはカップを片付け、店を後にした。







俺たちはエスカレーターの下降側に乗っている。


「んで、どこ向かってるの?」


後ろを振り返ると、高岸が小首を傾げていいた。


「妙夢」

「みょーむ?」


先程とは逆側に首を傾げている。


「南口の方にある白い変なオブジェクト」

「あれ妙夢っていうんだ……」


エスカレーターを降り、少し歩くと妙夢が見えてくる。

すると、既に加藤はすでにそこにいて、スマホをいじっていた。


後方から近づき、声をかける。


「あれ、お兄さんかっこいいね、ホストとか興味無い?」

「興味あるって言ったらどうなんの?」


英一はスマホをしまい、苦笑いしながらこちらを向く。


「これからみんなでホストに行く」

「じゃあ興味無いかな……」


そうか……いつか行ってみたい気もするがな。


「だってよ」

「え〜、加藤くん行きたくないの?」


すると、加藤は少し驚いた顔をした。


「え、あかりじゃん」

「やほ!  おひさ」

「あれ、もしかしてデート中とかだったか? 邪魔したか」


よくひと目で高岸あかりだとわかったな。


「いや、今からキャバクラ行こうとしてて」

「バイトまで暇だったから、2人でぶらぶらしてただけだよ!」

「ああ、じゃあ良かった」


なんか俺無視されてないか……?


「2人は高校のころ同じクラスだったことがあるんだっけ」

「そうそう! 高1のときね!」

「懐かしいな」


ああ、よかった、無視されてなかった。

それに、結構仲良さそうだな。

気まずい空気になる心配はなさそうだ。


「俺と英一は中学の頃は3年間ずっと同じクラスだったのに、高校では1回も同じクラスになれなかったもんな」

「だな、ていうか、今考えたら、俺ら中高大ずっと一緒か」


今気づいたんだ……。


「え〜、すご! マブダチじゃん!」

「おー、マブもマブよ」


雑に返事をし、本題に入る。


「ところで、加藤はどこに行きたいんだ?」

「良太、来週誕生日だろ?」

「ん、ああ、来週の木曜」


微妙に質問の答えになっていない気がするが。

覚えていたんだな。


「それで、誕プレを買いにと思ってな」

「まじか、ありがとな」

「あれ! もしかしてお邪魔なのは私か!」

「まあまあ、せっかくだし、あかりも一緒に行こうぜ」


英一は笑いながら、高岸の横に立つ。

身長差が25cmほどあって、なんだか犯罪臭がする。


「なんなら高岸も俺の誕プレ勝っていいんだぞ」


贈り物なんて何個もらってもいいからな。


「さっきレモンフラペチーノちょっとあげたじゃん! はぴばはぴば!」


雑なやつだなあ。


「まあ、とりあえずついてきてよ」


英一があるき出し、俺たち2人も後ろについていった。


「ここ登って4階のとこ」


そう言って前を促されたので、俺・高岸・英一の順番で乗った。

上にのぼっていく最中、英一が高岸に声をかける。


「それにしても、あかり雰囲気変わったな」

「やっぱそう思う?」

「髪とか、服装とか、あとは喋り方もか」


俺はなんとなく会話には入らなかったが、後ろを振り返り、ぼんやりと2人を眺めていた。


「ちょっと変かな……」


高岸は不安そうに前髪を触りだした。紫が入っている部分だ。


「いや、そっちの方がいいと思うよ」

「え~ほんとに?」


4階にまで行ったところで、エスカレーターを降り、少し先まで歩き立ち止まる。

そこでやっと視線を2人の方に向けると、英一が右の方にある店を指さし、「到着」と言っていた。


視線を向けると、そこは小物などが売っている店だった。

英一が先を歩き出したので、それについて行った。

すると、店内のとある場所で足を止めた。


「これ」


英一がその場にしゃがみ込み、手を伸ばした。

その手がが軽く触れたのは、アクセサリーだった。


「……ネックレスか?」

「そうそう」


少し触ってみると、じゃらじゃらと音を立て軽くゆらめき、光を反射した。

値段を見てみると、2000円弱ほどだった。


「良太、あんまこういうのつけないだろ? 大学生になったわけだし1個くらいあってもいいんじゃないかと思ってな」

「英一……!」

「良太っ!」


英一の目を見つめ、そっと手を重ねる。


高岸が1歩引いた場所で「ん、やっぱこれお邪魔だったか」と言葉を漏らしていた。

やっぱ邪魔だったかもしれん。


「これとかどう?」


そういって見せられたのは、リボンの形をしたネックレスだった。


「いいんじゃない?」


アクセの良し悪しなど分からなかった。


「んー、高岸はどう思う?」


英一は高岸に向かって、アクセを軽く掲げた。


「んー……いいんじゃない?」


高岸は腕を組み、首肯している。


そういえばこいつも高校までは陰キャ生活を送っていた。

こういった陽キャの世界のことはまだあまりわからないのかもしれないな。


「じゃあこれにするか」


英一はそのアクセを()つ取った。


「ん? 2つ?」

「俺も同じの買おうと思ってな」


英一はそう言って、レジへと向かっていった。


「え……!」


お揃い、ということだろう。

思わず胸を抑えてしまった。

世界はこれを恋と呼ぶのだろうか。


高岸は後ろで苦笑いしながら、「おも」と口にしていた。


「さっきもった感じ、軽かったぞ?」

「いや、そういう意味じゃなくて……こう、気持ち的な」


そこまでいって、やっと得心が行った。


「ああ、気持ち的に」

「おそろのネックレスは、なんかこう、マーキングみたいな感じしない? 誰の所有物かはっきりさせるためのもの、みたいな」


まあ、周囲に見えやすくて、お揃いだったら、わかりやすいだろうな。


「まあ別に、男友達なんだし勘違いされることはないだろ」

「ん~、まあそうかも?」

「ほい、買ってきたぞ」


振り向くと、すぐそこには英一がいた。


「ああ、とりあえず店出るか」


すぐ近くにベンチがあったので、そこに腰掛けた。


「はい、ちょっと早いけど、誕生日おめでとう」


店を出てすぐのところで、ネックレスをつけてくれた。


「……ありがとう」


さっきは軽いと思ったが、首につけてみると、以外に重量を感じる。


なんだか、息苦しいような。







大学2年生にもなると、友達も増えてきた。


高岸や英一ともまだ交流がある。

他に男女数人が加わり、1つのグループなようなものになった。

そのグループでダーツやキャンプなど、色々なことをして遊んだ。


そういった長い時間が過ぎれば、人間の関係は変わっていく。


高岸に彼氏ができた。


英一と付き合っているらしい。


めでたいことだ。

英一の方から高岸に告白したと聞いている。


その話を聞いた後日、俺は英一の肩に手をまわし、言い放った。


「おいおい、好きなやつと結ばれてよぉ、随分幸せそうじゃねえか」


だる絡みってやつだ。


加藤は俺の方を向き、苦笑したあとでこう言った。


「これが俺のできる最大限の正解だったんだ」


なぜ大学生は恋愛のことになると詩的な表現を使いたがるのだろうか。

聞いてる側は恥ずかしいからやめてほしいのだが。


でも、これで良かったんだろうな。

このまえ、大学構内で高岸と英一が2人で学食を食べているところを見た。

お互い、隣に座って笑い合っていた。


幸せそうで、よかった。


でも、たまにくるあの感覚。

近くで聞こえる笑い声が、自分のことを笑っているんじゃないかと不安になるあの感覚。

俺はあれが嫌いだった。


それで、声をかけずに、見なかったフリをして立ち去った。


最近は落ち着いてきたと思っていたのに、また息がしづらくなってきた。


そのうち、息のしかたも忘れてしまうのかもしれない。







大学3年生にもなると、様々なことが変化する。

人間関係だけではない。


高岸は今入院しているらしい。

なんとかがんという病名らしいが、あまり覚えていない。


まだ21歳だというのに、かわいそうだ。


以前、みんなでお見舞いに行った。

周りの人は口を揃えて『がんばれ』と言っていた。


英一も、高岸の手をとり、応援しているだけだった。


それが模範解答なのだろう。


でも俺は、なんだか高岸が寂しそうに見えてしまい、「まあ、あんま無理すんなよ」と伝えた。


おそらくこれは不正解なのだろうな。


でも、最近気づいたことがある。


不正解の方を選んでいるときは、息が喉を通っていく。







大学4年生にもなると、さすがの俺も成長した。


高岸の見舞いに花を持って行き、花瓶にさした。

見舞いのマナーもばっちりだ。


ふとベッドの上に横たわっている高岸を見ると、ニット帽を被っていた。


抗がん剤治療で髪が抜け落ちたのだろう。

あの黒髪ウルフに紫のメッシュが入った綺麗な髪はもう見る影もない。


「大丈夫か?」と尋ねたが、返事はない。

疲れているのだろう。


横のイスに腰掛け、10分ほど一方的に話をした。


最近バイトを始めたこと。

道徳科目に対する不満。

俺が大学の受験に落ちたときの話。

その後、時折呼吸が上手くできなくなるようになってしまったこと。


そして、君が飲ませてくれたレモンフラペチーノの味。

あのときは認めたくなくて、酸っぱいと言ってしまったが、本当は甘かったこと。

それから、君に惹かれ始めていたこと。


ただ独り言のように、いつすべてが終わってもいいように、喋った。


すると、彼女は乾いた唇を動かし、薄く囁いた。


「私の首を締めてほしい」


ああ、よかった。


どうやらすべてが終わるのは今日だったようだ。


俺は軽く頷き、ベッドの上で横たわる高岸の上に乗った。

ここまで着用してきた加藤とのお揃いのネックレスを外し、高岸につけてあげた。


そこで今日はじめて、高岸と目があった。

やっと高校のころの高岸あかりと、大学生になってからの高岸あかりが繋がった。


他者を拒絶するような、そして不幸自慢を湛えたような、見ていて苛立ってくる、そんな目。


「そっちの方がいいよ」


この目の方が綺麗だった。


ネックレスを少し上げ、首元まで持っていった。

そして、その上に手を置く。

喉ではなく、首の血管を抑えつけるように、ゆっくりと力をいれていった。


高岸は目を閉じた。


自殺の原因で最も多いのは、健康問題である。

といったことをどこかのニュースキャスターが言っていた気がする。


眠っている女の子が息をしていないことを確認し、そっと口づけをした。


木の上になる酸っぱいブドウは甘い味がした。


シーツがシワにならないよう、ゆっくりとベッドの上から降りる。

その後、また横に置いてあったイスに腰掛け、一方的な話を再開した。


卒論の話。

第一志望の就職先から内定が出た話。

今度、みんなで卒業旅行に行こうとしてる話。


いろいろなことを伝えた。


1時間くらいたっただろうか、突然ドアがノックされたので「はーい」と声を返した。


ドアを開けて入ってきたのは英一だった。


「お、良太来てたのか」

「うん、今日はバイトも無かったから」


英一はベッドの上にある高岸だったものを眺めた。


「あかり、寝てるのか」


英一は申し訳なさそうに、小声で話始めた。


「うん」


俺は、先程と声のボリュームを変えずに返事をする。

どうせもう起きることはない。


「隣、失礼」


近くにあったイスをこちらに運び、横に座った。

英一が高岸のそばにより、手を握ろうとした。

その指は固く、軽い力では動かすことはできなかったようだ。


加藤は10秒ほど放心状態になり、顔に目を向けた。

高岸の顔が少し青白くなっていることに気づいたのか、首元に手をやった。


そこではじめて、高岸が俺()()のネックレスをつけていることにきづいたのだろう。


「良太がやったのか?」

「うん」


どうしようもないときは、素直に認めるしかない。


加藤が突然俺を殴った。


「なんで、お前は」

「苦しそうにしていたから」


英一が俺の目を見つめていた。

それはどういった表情なのだろうか。


俺は普段、どんな目をしているんだろう。


「なぜ、ネックレスをあかりにつけた」

「君たちの愛を祈って」

「お前は、やっぱり、あかりのことが好きだったんだな」


高岸とは大学生活の4年間で、少なくない時間を一緒に過ごした。

4年も俺と高岸を見ていれば、気付くか。


英一が俺の胸を靴の裏で蹴り飛ばす。


背後にあった棚にぶつかったが、幸い、何かが落ちてくることはなかった。


俺は咳き込んで、肺の活動をなんとか再開させようとしていた。

でもなんだか、いつものような息苦しさは感じない。

だが、声を出すことはできなかった。


「だから、俺は、良太とあかりを離すために」

「なのに、なんでお前は」

「あかりを」

「選んだんだ」


だんだんと、肺の痛みが収まってきた。


息を大きく吸い、大きく吐く。


もう、あの頃の息がしづらい感覚はない。

自由に息ができる。


やっと喋れるようになって、英一に声をかける。


「もちろん君のことも好きだったさ、友達としてな」


中学からの付き合いだ。

10年も一緒にいたんだ、君の気持ちにも気付くさ。


英一はその場にうずくまり、泣き出した。


泣きたいのは俺の方だ。

犯罪者になり、暴力まで振るわれて、踏んだり蹴ったりだな。



その後、俺は捕まった。

異変に気づいた看護師が警察を呼んだらしい。


俺には道徳心が欠けていたのだろうか。


でも、あれが正解のような気も。



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