神代と神薙
この国には神様が住んでいる。それは文字通り、私達が暮らすこの街で生活しているということ。ほとんどの者がその姿が見えないだけで、神様は今日も私達のすぐ隣にいるのだ。
* * *
「ここが国立神子養成学校か。ついにここまできたんだな」
ここにくるまでの日々を思い返すと感慨深い。十数年の人生にしてはかなり色濃い日々を送ってきたと自分でも思う。けれど幾多の困難を乗り越えてようやくここまで辿り着いた。神代になるための第一歩が、今日から始まるのだ。
「カンナ、校門の前で突っ立ってどうしたの?」
私の肩をたたいたのは、幼馴染の右京サクラ。顔にかかった黒髪を耳にかける仕草は、同性の私でも見惚れてしまいそうになるくらい華がある。道行くここの学生さんたちも、サクラに目を奪われている。着物とセーラー服が融合したような和の制服を完璧に着こなす姿はまさに大和撫子だ。
「今日からここに通うんだと思うと、なんか感動しちゃって」
「ここに入学するために、カンナは人一倍苦労したものね。おもに学力面で」
「そうなんだよ! 受験の時は大変お世話になりました」
「あれくらい当然よ。あたし達の仲じゃない」
「わが友よっ……!」
「おーいそこの新入生二人ー、早くしないと入学式に遅れるぞ」
「今いきます!」
入学式に遅れるなんて洒落にならない。サクラと小走りで入学式が行われる講堂に向かうと、そこはこれから入学式があるとは思えないくらいガラガラだった。確か入学式には在校生も参加するはずなんだけど、上級生はみたところ十数人くらいしかいない。
学年は女子の制服ならリボン、男子の制服なら襟に入ったラインの数で分かる。私たち一年生は白線が一本、二年生は二本、三年生は三本。線の本数がそのまま学年を表しているため、パッと見てすぐに学年を識別できるのだ。ちなみに女子の制服は上はセーラー服と巫女の服をかけあわせたようなデザインだ。白がメインで胸元には臙脂色のリボン、スカートは足首までの紺の袴。男子の制服は上は学ランと着物をかけ合わせたようなデザインで、下は袴だ。色は上下ともに藍色。ちなみにここの制服は人生で一度は着てみたいと言わしめるくらい人気があり、私服で街に出るとちょっとした騒ぎになる。まあ全寮制な上に生活に必要な物は全て学校の敷地内にある売店などで手に入れることができるため、街へ行くことは早々ないんだけどね。
「神子が年々減ってるっていう話は本当だったんだね」
講堂内にいた先生の指示に従って新入生の輪の中に入りながらそう囁くと、サクラは「そうみたいね。でもまさかここまでとは思わなかったわ」と軽く周囲を見渡す。
「入試の時は教室いっぱいに受験生がいたのにね」
「名前を書けば受かるって話は嘘だったのかしらね」
と、そこで一人の着物を着た暗い茶髪の男性が壇上に上がりマイクの前に立った。
「みなさん、おはようございます。これより入学式を始めます。私はこの国立神子養成学校の理事長を務めている十六夜チハヤです。今年は五人もの新入生を迎え入れられたこと、非常に嬉しく思います。みなさんが歩もうとしている道は平坦なものではありませんが、誰からも感謝される尊いものです。どうか胸を張って進んでください。以上で入学式を終わります。このあとは各クラスの担任の先生の指示に従って移動してください」
「じゃあ一年生は俺についてきてー」
どこからともなく現れた、深い赤の目が印象的な黒髪をざっくばらんに切った担任と思われる先生は、緩い指示を出し歩き出す。ついていくと、講堂からは結構離れた一つの教室に辿り着く。私を含め五人しかいない一年生が全員着席したことを確認すると、教壇に立った先生は手に持ったチョークを黒板に走らせた。
「俺は今日から君たちを受け持つことになった鴇刀イオリです。早速ですが、君たちに聞いておきたいことがあります。この中で、神薙志望は手ぇあげてー」
そこで驚くべきことが起きた。私以外の四人全員が真っ直ぐに手をあげたのだ。
「なるほどなるほど。じゃあ次に、神代志望は挙手」
「……はい」
おずおずと手をあげると、鴇刀先生は「はいありがとー」と言って教壇を降りた。そして何故か私の方へと歩いてくる。嫌な予感は見事にあたり、鴇刀先生は私の席の前で足を止めた。そっと顔をあげると、にこりとどこか薄っぺらい笑顔が浮かべられる。
「君は東寺さんだったかな?」
「童子です」
「そうそう。童子さんは、なんで神代になりたいのかな。みたところ神様とは仮契約もしてないみたいだけど」
そこで小さく吹き出す音がした。まるでまだ仮契約もしてねーの? といわんばかりに。たぶんここにいる私以外の四人はすでになにかしらの神様と仮契約が済んでいて、その力を借りることができるのだろう。けれど私は彼のせいで幼い頃から神様にはことごとく嫌われたり敬遠されてきた。その結果、神様との仮契約すらしていない状態で入学することになったというわけだ。
「入学した段階で仮契約が済んでいない子には初めて会ったよ。あ、決して馬鹿にしてるわけじゃないよ? ただなんでかなーって純粋に疑問に思っただけ」
「私が神代になりたい理由は、自分が戦闘には向いていないと自負しているからです」
「自分は弱いって分かってるんだ? だから消去法で神代を選んだと」
「そうです」
「ふーん、なるほどねぇ」
意味深にそう呟いた鴇刀先生は、教壇へと戻るとさっき書いた自分の名前を消して一つの円グラフを書いた。
「この学校に入学してくるのはみんな総じて神様を視ることができる神子だ。その内、九割以上は悪鬼や悪妖を退治・封印するのを専門とする神薙を目指す。なんで雨乞いや火起こしなどの、人々の生活を助ける神代が一割にも満たないのかというと、神代は現時点で飽和状態にあるというのが一つ。神薙と違って神代は命の心配もないし定着率が高いからね。もう一つは、神薙はよほどの無能でない限りなることができるからだ。理由は人の出入りが激しいから。それだけ激務であるってことなんだけど、神薙を目指せばまず食いっぱぐれることはない。なんにも知らない世間様からは花形、なんて持て囃されることも多い。つまり神薙になること自体は楽なんだよ。ここを卒業すれば自動的になれるといってもいい。でも神代はそうもいかない。目指しても人が足りてるってことであぶれる可能性がある。そうなればここでの三年間は水の泡だ。なのにあえて厳しい神代を目指すんだね、童子さん」
「はい」
私は神薙には向いていない。いや、もっといえば神薙になるべきではない。幼い頃のあの事故が原因で、そのことを嫌というほど実感した。だから私は、なんとしてでも神代を目指す。たとえ彼が反対したとしても。
「決意は固いみたいだね。でも俺としては一人でも多くの神薙を育てて楽したいから、神薙に向いていると判断したらそっちに転向してもらうからそのつもりで」
「……分かりました」
楽したいと聞こえた気がしたけど、空耳ということにしておこう。つまり神薙の適性がないと卒業まで思い込ませられればこっちの勝ちだ。大丈夫、難しいことじゃない。これまでもやってきたことだから。
「じゃあ初日ということで、自己紹介といこう。んじゃ、窓際の君から横にいこうかな。名前と、仮契約なり契約してる神様がいれば教えてほしいな。あとはご自由にどうぞ」
鴇刀先生に指名されてすくっと立ち上がったのは、金髪が印象的なつり目の男の子。
「篝タカオミ。蛇の神と仮契約してる。以上」
「今時の子はドライだねぇ。まあ良しとしよう。はい次」
音もなく席を立ったのは、中性的な顔立ちのサクラにも負けないくらい綺麗な腰まである黒髪の美人な男の子。かなり背が高い。百八十は余裕でありそうだ。
「暁ミヤビです。天狗の神様と仮契約しています。よろしくお願いします」
「礼儀正しくて大変よろしい。次いこうか」
盛大に音を立てて椅子を引き腰を上げたのは、綺麗なミルクティー色の髪のどこかけだるげな雰囲気の男の子。
「物部フジ。狐の神様と仮契約してまーす。よろしくするつもりはいまのところないかな」
「仲良くする気全くないねぇ。まあいいけど。次ー」
静かに席を立ったサクラは、誰もが見惚れるような完璧な笑顔を浮かべた。
「右京サクラです。狼の神様と仮契約しています。三年間よろしくお願いします」
「はいよろしく。次で最後だね。それじゃあ張り切ってどうぞ」
若干プレッシャーを与えられたような気がしないでもないが、まあいいか。立ち上がると、四人の視線が集まるのが分かった。
物部くんはよろしくするつもりはないと言っていたけれど、その視線はしっかりとこっちを向いている。けれどその目はまるで嘲笑うように薄く細められている。たぶんさっき吹き出したのは物部くんだろう。
けれどそんなの全然痛くない。これよりもひどい目を束になって向けられたあの日のことを思えば、こんなの可愛いものだ。
「童子カンナです。仮契約も契約もしていません。よろしくお願いします」
「よろしく。これで全員だね。じゃあ今日はここまで。寮とか店の説明は受けてると思うから、各自解散。明日からは八時半には席に着いているように」
鴇刀先生が出ていくと、あとを追うように物部くんも早々に教室を後にした。篝くんと暁くんもそれぞれいなくなり、教室には私とサクラだけになった。
「個性豊かなクラスメイトだったわね。これからどうなるのかしら」
唇に手を当てて微笑むサクラは、明日から始まる日々に胸を躍らせているようにみえる。
かくいう私も、楽しみで仕方ない。ここに入るために、これまでずっと努力してきたから。
「寮に帰りましょうか」
「そうだね」
* * *
「おはよう諸君。今日は記念すべき一回目の授業ということで、神様についてやっていきましょう。じゃあ物部くん、神様とはなんですか」
「それは概念的な質問ですか? それともこの世界にいる神様についてですか?」
「どっちでもいいよ」
昨日から思っていたけど、鴇刀先生は真面目な人ではなさそうだ。ほどよく、いやかなり緩い。でもこの学校にいるから神薙か神代であることは確かだ。
えー、と声に困惑を乗せる物部くん。私が指名されたとしたら、きっと同じ反応をしただろう。
「じゃあ後者で。神様とは、雨を降らせたり作物を実らせたりと僕たちの生活を手助けしたり、人間にあだなす妖怪なんかを退治・封印する時に力を貸してくれる存在です」
「大正解。君、勉強嫌いそうにみえて意外と真面目なんだね。じゃあ今度はー、右京さん。高位の神様について説明して」
「はい。神様には階級があり、人型に近いほど位が高くなります。その中でも高位にいるのは鬼、狐、狼、天狗、龍、蛇の神様です」
「んー、ギリギリ及第点ってところかな。高位の六神の中にも更に順位があるんだけど、そのことについて知ってる人ー?」
鴇刀先生が期待するようにみんなの顔をみるけど、手はあがらない。
「まあ普段生活してて会えるような存在じゃないからね。六神の中には、それぞれ一柱ずつ名前を持っている神様がいます。彼らの外見は人間と同じだから、中には人と間違えるやつもいる。鬼は雷電、狐は玉藻、狼は久遠、天狗は鞍馬、龍は千歳、蛇は遠呂智。彼らはそれぞれの種族を統率する長であり、伝説を体現するような存在だ。生きてる内に一度でも会えたらラッキーくらいの神様だよ。仮契約をするような神様はまず名前はない。仮であっても契約する場合には名前があれば名乗るのが決まりだからね」
名前のある神様がいる。そんな話は今まで一度も聞いたことがない。他のみんなも初耳だったらしく、興味深そうに鴇刀先生の話に耳を傾けている。
「歴史上には名前のある神様と契約を結んだ人間もいたみたいだよ。有名どころでいくと安倍晴明、後鳥羽上皇、菅原道真あたりかな。今でこそ神化して神様だけど、彼らは元々妖怪だ。まかり間違って妖怪落ちする可能性も捨てきれない。もし悪妖になるようなことがあれば、元神様だったとしても退治・封印の対象になる。そこだけはよく覚えておくように」
鴇刀先生が退出すると物部くんはスマホをいじり始め、暁くんは教科書を開き、篝くんは机に突っ伏した。物憂げに窓の外を見つめているサクラに話しかけようとしたところで、彼の声がした。
『退屈そうだね』
頭の中に直接響いてくる声は、私にしか聞こえない。心の中で話せばその声は彼に届く。私の中に棲んでいる彼は、いつもこうして気まぐれに話しかけてくる。昔はよくうっかり声に出して返事をしては周囲に変な目で見られたりもした。今はもうそんな失敗はしない。かれこれ十年くらいの月日をともにしていれば、必然的に互いの思考回路は読めてくるから。
『それはあなたの方でしょ』
『君はいつになったらマルファスと呼んでくれるのかな』
『気が向いたらね』
彼、マルファスは私が五歳の時にとある古書を開いたことで私に取り憑いた意識だけの存在だ。体は今も世界のどこかに封印されているらしい。彼を封印した人物が復活を避けるために意識を体から引き剥がして別々に封印したのだそうな。うっかり意識の方の封印を解いてしまったのが五歳の私で、結果まんまと憑りつかれたというわけだ。
『さっきまでいた男はなかなか骨がありそうだな』
『鴇刀先生のこと?』
『ああ。恐らく高位の神と契約を交わしている。名のある神だったりしたら傑作だな』
『傑作だなって、本当にそうだったとしたら笑えないよ。色々な意味で』
『もしそうなら、一度やり合ってみたいところだ』
『色々と被害をこうむるのは私なんだから、絶対やめてね』
『善処するよ』
私が頑なに彼の名前を呼ばないのは、マルファスとは口に出すだけで神子協会に拘束されるレベルのやばい存在だからだ。その内授業でその名前を聞くことになるに違いない。
「……ナ。カンナ!」
「どうしたのサクラ?」
呼ばれてそっちに顔を向けると、サクラが慌てた様子で黒板を指さす。なんだろうと思いながら前を向くと、鴇刀先生がにっこり笑っていた。それはもう素晴らしい笑顔で。
「童子さん、今授業中。始まったことにも気付いてなかったみたいだけど、一体どこまで意識を飛ばしてたのかな?」
「……すみません」
「俺の授業なんて聞かなくても余裕ってことだよね。そんな優秀な童子さんに質問です。神様と敵対する種族は悪魔ですが、悪魔退治の際に使われる祝詞の終わりはなんでしょうか?」
悪魔退治の祝詞か。これまで彼を追い出すために何度唱えてきたか分からない。全てを唱えると十五分かかるといわれている祝詞は、全文頭の中に入っている。でも素直に答えたら馬鹿じゃないって勘づかれる可能性がある。そうなればこれまで積み重ねてきた努力が水の泡だ。ここは適当に答えておこう。
「えっと……般若心経です」
「それお経だね。不正解。次からはちゃんと授業を聞くように。じゃあ次に、神様の、そして神子の敵である悪魔の名前についてやろうかね。名前持ちの悪魔はかなりいるから、ツートップを篝くんに答えてもらおうかな」
「俺かよ。えっと、一番目がサタンで、二番目は知りません」
「そうだよね。俺も神子になるまでは二番目の名前までは知らなかったよ。っていうより知ってたら問題なんだよ。存在が危険すぎるが故に、その名前は公式の書物からことごとく消されてきた。名前を呼ぶだけで復活する、なんて迷信があるくらいだ。ここの図書館の禁書を漁ればもしかしたら出てくるかもしれないけどね。それくらい危険な存在ってわけ。悪魔の王と呼び声の高いサタン。その副官といわれている悪魔の名前は、マルファスといいます。彼は封印される寸前までサタンの下についていたらしいけど、その実力はサタンにも匹敵するほどだった、なんていう説もある」
マルファス。名前持ちの悪魔であり、サタンの副官。そして私の中に棲んでいる。この秘密は死ぬまで隠し通さなければならない。悪魔をその身に飼っているなんて知られようものなら、日本に数人しかいないといわれている神薙の中でも飛び抜けて優秀な神凪によって即殺されるだろうから。
「昔は悪魔がその辺にうようよいたらしいけど、ここ数百年はめっきりその姿を現してない。サタンが表舞台から姿を消して、副官であるマルファスを失ったからだろうね。指導者が姿を消せば、それに付き従っていた小物も引っ込まざるを得ない。ちなみに悪魔の強さは神薙が普段相手している悪鬼・悪妖の比じゃない。名前のない悪魔でも、場合によっては神凪が出張るくらいだったらしいよ。運よく名前持ちに遭遇でもしたら、死を覚悟した方がいいだろうねー」
そんな世間話みたいなノリで言われても……。その災厄の権化のような悪魔に取り憑かれている身としては、どう反応すれば良いのやら。
「じゃあ、この授業はここまで」
まさか彼がそんな危険な存在だったとはなあ。
『ようやく僕の偉大さに気付いたようだね』
『絶対話しかけてくると思ったよ』
『少しは僕を敬う気になったかい?』
『悪魔を崇拝する決まありません』
『崇拝しろとまではいってないけどね』
「カンナ、食堂にいきましょう」
「あっ、うん!」
サクラに返事をしてから、私はまだなにか話しかけてくるマルファスの声に聞こえないふりをして食堂へ向かうべく席を立った。