第一話 『交錯』
そこは横浜スタジアムの上空だ。空にいるべきではない物体がそこにあった。
「ウラノス!」
私は黒いIS2100―。人工知能搭載戦闘機のなかでそう叫んだ。
今、画面越しに移る異端の男こそが私の親を殺した敵だ。
「刺客かい?まぁ、世界からすれば僕が敵の方か…」
ウラノスは男の癖に長い髪を風に靡かせて、こちらを見る。
その黒い目に、慈愛という信念も、和解という選択もないと書かれてある。
「物騒な武器だね…いや、機械そのものが不愉快だけど…」
ウラノスは黒いローブを剥いで、動きやすそうな衣装に切り替えてこちらを睨んだ。
「久々に、楽しませてくれるんだろうなァ!」
ウラノスがものすごい勢いでこちらへ接近してくる。
『紫音、まずは様子見ね?』
龍を模ったヘルメットの部分から相棒の梨華の声が聞こえてくる。
「分かってる…」
今すぐに倒してしまいたい気は山々だが、いきなりな行動に出てこちらがやられてもダメだ。
ウラノスの出現頻度は他のラムダ解放軍のメンバーより低い。
今回を逃したら親の仇の機会はもうないかもしれない。
ウラノスは私の機体へ近づいてくる。これは好機だ。反撃に出れば一攫千金かもしれない。
「お前、臭うな…あの時殺し損ねた女か」
ウラノスは花を嗅ぐようなしぐさをしてこちらにいかつい睨みの視線を向けてくる。
「お生憎様。あなたは私が殺す!親の仇だ!」
私は親の復讐の念も込めて、右のレバーを押した。
私の身長の何倍もある剣が振られ、ウラノスは後ずさってそれを回避した。
「いきなり攻撃か…いいねェあの意気地なしの父親とは大違いだ」
「家族を侮辱するなッ!」
もう一度レバーを思いっきり押し、剣がさっきより素早く振られる。
その剣はしっかりとウラノスの腹を斬り裂いた。血液がスタジアムの上空に舞う。
『ねぇ紫音。攻撃は待てって言ったよね?』
梨華に忠告されたようだが、耳にその言葉は入ってこなかった。
ウラノスは攻撃を受けて怯んでいる。今の隙に叩きこめば―。
「梨華!ダブルスマッシュ!」
『何言ってんの⁉開始早々ダブルスマッシュって…』
ダブルスマッシュは機体のエネルギーの大半を持って行かれるが、止めを指す大きな技が撃てる。
『ダメだよ。まだ相手は策を残してる』
梨華がそう言い終わった直後だった。
ウラノスの流血がいきなり止まり、斬られたはずの皮膚が再生された。
ウラノスは元の肉体を取り戻し、拳を握りしめた。
『ほら、やっぱあいつに考えなしに攻撃しない方がいいよ』
―黙れ。
相手は確実に弱ってきている。あそこで梨華がダブルスマッシュの技を承諾していれば―。
ダブルスマッシュの使用は二人の合意が必要で、先程梨華はそれの不許可にした。
全部、梨華のせいで―。
「肉体の再生か…ならッ、斬りつければいい!」
私はレバーを縦横無尽に動かし、ウラノスの体を木端微塵に斬り裂こうとしたが―。
「遅いッ!」
ウラノスは私の機体のアームを足場にして、高くへ舞い上がった。
いつのまにかウラノスの右手が筋肉でムキムキになっている。
奴は肉体の再生をしているのではなく、筋肉を再生、増強しているのだ。
「そっちの女も気になるなァ!」
梨華の機体はウラノスの筋肉パンチを正面から受けた。
機体のとウラノスの拳の間に結界が張られたが、梨華の機体は持たなかった。
梨華の機体はそのままウラノスのパンチに負けて、スタジアムのモニターに打ち付けられた。
「チッ…」
役立たず。梨華はまだ何もしてないのに、攻撃だけ喰らって。
ただ、奴のパンチは緊急保護結界を超える力を持っている。
「どんな顔だか見てみたいなァ!中のお嬢さん!」
ウラノスは梨華の機体の頭部を思いっきり殴る。
そして―。
梨華の機体の頭部。龍のヘルメットが完全に壊された。
それは梨華自身への攻撃が可能になったことを意味する。
「金髪か。いい趣味してるな…」
今のウラノスは梨華に夢中になっているはずだ。
だから、私はウラノスの背後に音を立てずに回り込んで剣で不意打ちを討つ。
ウラノスの背中から鮮血が舞った。その血は梨華と私の機体を真っ赤に染め上げる。私の黒い機体は目だたないが。
「不意打ちィ…趣味が悪いですねェ!感心しねぇよ!」
ウラノスは梨華からこちらへと視線を映し、思いっきりフルスイングをかましてくる。
私は左のレバーを引いて、盾を展開したが間に合わなかった。
盾は捥ぎ取れ、私の機体は無防備になる。
そしてウラノスはそのまま、私の機体の腹部を思いっきり殴打した。
その痛みはAiを介して、私の腹に直接伝わってくる。
「―ッ!」
黒い機体が音を立てて歪んでいく。長くは持たないだろう。
「どいつもこいつも‥可愛くねぇなァ!」
ウラノスの振り落とした拳は、モニターで倒れていた梨華の機体を潰した。
『パートナー反応の消滅を確認』
私のヘルメットの画面に文字が映し出され、女性の声と警告音が鳴った。
機体の中の照明が正常を意味する青から、危険を意味するオレンジへと色を変える。
「後はお前だよォ!」
初めてのパートナー反応消滅に呆気に取られていた私はウラノスの攻撃を回避できなかった。
奴の拳が私の頭部のヘルメットの部分に直撃し、ヘルメット内部の画面に亀裂が入る。
『not signal not signal』
機内の照明は赤色に変わって、点滅し始めた。
取り敢えず、相手に攻撃を加えなくては。
そう思った私は思いっきり右のレバーを押す。
しかし、さっきよりも明らかに重い。そして、上限までレバーを押しても剣が振られる様子は無い。
『error error error』
エラー。亀裂の入った液晶画面には英語でそう表示される。
「動いてッ!相手を倒してッ!」
どれだけ重いレバーを押しても剣は振られないし、攻撃もしてくれない。
『プログラムを承認できません』
何故日本語表記になったかは不明だが、どうやらAI側が攻撃を受け付けないらしい。
恐らくさっきの頭部打撃の攻撃で、システムエラーを起こしたのだろう。
「動けよッ!なんで…あ」
目の前からまた拳が迫ってくる。盾は無い。剣もない。私に抗う術は残されていなかった。
拳はヘルメットに直撃し、私の目の前にあった画面は木端微塵に砕けた。
そのまま機体はスタジアムの地面へと落下し、土埃に包まれた。
『IS2100の全プログラムを終了します』
女性の声を聞きながら、私の意識は彼方へと消えて行った。
目を開けて一番最初に感じたのは強い消毒の匂いだ。
「病院?」
目が覚めたら私は病室に寝かされていた。
この終焉都市に医療機関が整っている訳が無いので、恐らく政府反乱軍の本部だろう。
「はぁ…」
結局、ウラノスを倒すことは出来なかった。あの後どうなったのだろうか。
病室に窓はない。ベッドもこの部屋に私が寝ているのしかない。
換気扇の回る音だけが病室に響いていた。
「起きたか?」
ノックもせずに入ってきたのは鶴岡指令だった。
「あの後、ウラノスはどうなったんですか?」
起き上がろうとしたが、ウラノスに腹を殴られて腹筋に力が入らなかった。
「起き上がらなくても構わん。お前への任務は半年ほど来ないだろうな…」
「は?なんでッ!」
勢いでベットから立ち上がったが、痛みは無かった。
「お前は今回の敗因が分からないのか?」
指令にそう言われて初めて気が付いた。
私はずっと梨華の指示を無視していた。梨華はずっと最前の方法で倒そうと指示していたのに。
「私の…独断行動ですね…」
鶴岡指令は頷いて、換気扇の近くでタバコに火をつけた。
「確かにお前の復讐の気持ちも分からんでもない。私だって娘を失っているからな…だが、職務に私情を持ってきてはいかん」
鶴岡指令の口から白い煙が立ち上る。それは換気扇に吸い込まれていく。
「梨華は?」
「次の任務に向かったさ」
私の呟きに、鶴岡指令は何の感情も込めずに返した。
それが一番辛かった。これは鶴岡指令からの罰だろうか。
「お前はしばらく謹慎処分だ。二度と独断行動をとるな。お前は梨華以外との奴と連携が取れないんだから」
鶴岡指令はタバコの火を消してポケットに手を突っ込んで病室から出て行った。
「最後に、相棒は『お大事に』だってよ」
鶴岡指令はこちらを向かずに閉まっていくドアの数秒の間にその事実を伝えた。
―泣いた。ただ泣いた。
私は梨華のことを無視して、梨華に傷を負わせてしまったのに。
梨華は私を見捨ててはくれなかった。
「なんで…ウラノス…」
これ以上考えても無駄だと勝手に思い込んで、結局その日は寝ることにした。
二日間。私は謹慎が終わるまで病室で大人しくしていた。
変わらない景色、鼻を突く消毒の匂い。
変化があるのは毎回のご飯だけだ。
独断行動による謹慎から二日経った夜の出来事だった。
「入るぞ!」
知らない男の人の声が聞こえて、私は跳び起きた。
時刻は午前3時。真夜中だ。
入ってきた男は若くて、派遣調査員の迷彩服を着ていた。
「どうしたんですか?」
男は結構汗をかいていて、急いでここへ来たようだ。
「急げ!説明は後だ。歩けるか?」
私は頷いて立ち上がった。二日も経っているので、体中の痛みは消えていた。
「歩けるなら、地下に逃げろ!もうここは安全じゃない」
男はそれだけ言って、次の病室へと走って行った。
ただ事ではないようだ。
私は取り敢えず地下室に向かって走った。