第35話 時の守り神 玄雨灯の外
齢数百年にして政に関わり強大な巫術を使う不老不死の巫術師、玄雨雫。自称、日の本の国の神。
そして、欧米諸国を支配する多国籍企業ファイブラインズのCEO、アリス・ゴールドスミス。彼女もまた自称、西洋の女神。
純誕生の秘密を灯は語った。その灯にも新たな運命が訪れる。
■二十三人の灯
「私たちから、お話しなければならない事があります」
灯の口から、灯のようで、それでいて少し異なった声音が聞こえてきた。
「私たち」…灯ちゃんなら「ボク」って言うはず。
アリスは灯の一人称の変化を聞き逃さなかった。
それは、雫も同じだった。
「あなたは、二十三人の灯、なのですね」
「はい、雫さん。私たち二十三人の灯から、二つお願いがあり、最後に残った灯の口を借りてお話しています」
雫は灯を見詰めると、暫し黙った後、口を開いた。
「大事な、お話なのですね」
灯は頷いた。
「はい。最後の灯が話した通り、私たちは現身を失い、時の狭間に薄く漂う気脈として存在しています」
灯はアリスの方に悲しそうな顔を向けた。
「雫さんが帝と結ばれ、枝分かれした時の線。そのアリスさんがとても苦しんでいます」
灯は再び雫に視線を戻した。
「私たちだけでは、その時の線のアリスさんの苦しみを和らげる事ができません。現身が」
「無い為ですね」
灯の言葉の後を雫が続けた。
「はい。その時の線のアリスさんを助ける為、また、時の線を守護する為、最後の灯の現身を私たちの依り代とさせて頂きたいのです」
灯は淡々と語った。アリスはその意味を知るや、緊張した面持ちに変わった。
雫はその意味を言った。
「そうなると、灯はいなくなる」
「はい」
「…灯自身は、どう考えているか、知りたい」
「これからお話するのは、私たちと最後の灯が話し合った事です。灯は、現身を失う代わり、双子の妹の東雲光の中で六年間眠ります。そして、光と灯はゆっくりと融合し、六年が過ぎた時、再び玄雨純として、この神社に戻ります」
「東雲光は、その話、承知しているのか」
やや厳しい口調で雫が問うた。
「灯はこちらに戻る前、光と話し、同意を得ました。光と灯はもともと一卵性双生児。二人が共に居たいと思うのは当然の事」
雫は灯の表情にくらい陰が落ちたのを見た。そしてその意味を知った。
それは二十三人の灯も同じはず。しかし彼女達の時の線では地球は焼き払われ、光も灯も生まれない。しかし、時の女神である二十三人の灯は、残った。残ってしまったのだ。
一人残るその悲しみは計り知れないだろうという事を。
そして、雫は二十三人の灯が現身を失った理由を察した。現身の内に巻き起こる起こる悲しみの痛み。胸の痛み。それを収めるために、そうなったのだと。
しかし、今、二十三人の灯は現身を欲している。別の世界のアリスの為に。己が苦しみよりもそれを慮って。
しかし、雫は一つの問をしなくてはならなかった。
「東雲純は、それを承知したのか」
純を思うが故、雫のその言葉は鋭かった。
灯は暫し黙る。しかし、再び淡々と語り出す。
「純お母さんを思う雫さんの気持ちは、実の娘である私たちも同じです。ですが、雫さん。これは、神が成す事。残念ながら、人が関わる事は叶いません」
雫は衝撃を受けた。純が女神になると決めた時、雫は両親の承諾など求めなかった事を、突きつけられる形となったからだ。
それと同時に雫は、灯の言葉とは裏腹に母を思いやる思いを押し殺している胸の重さを聞いた気がした。
「雫さん。時の狭間を漂う私たちは、この時の線の先で起こる一つの祝福について承知しています」
雫は黙って聞く。
「東雲純は、天寿を全うし、穏やかに亡くなります」
雫は、灯の言葉が、その言葉が誰の為に語られているかを、感じ取った
「その時、ある奇跡が起こります。老ベネットが成したいと思った事。死後も自分の人格を残す技」
雫もアリスも気がついた。灯が何を言おうとしているかに。
「東雲純の人格は、玄雨純となった光の中に宿ります。そして、三代目玄雨純である光から、初代玄雨純に戻り、再び、この玄雨神社へ、母である玄雨雫の元に帰って参ります」
淡々と語りながらも、灯の両目からは涙が流れ落ちていた。
「その時、灯は本当に母純と会う事になるのです」
■願い
雫は考えていた。
灯は光と元の一人に戻りたいと思っていた、という言葉を。
その想いは、二十三人の灯も同じはず。
だが。
二十三人の灯たちの世界は焼き尽くされ、その願いは決して叶わない。
時の神にも似た力を持つと想うが故、淡々とした口調を傲慢なものと感じてしまうが、実は、灯のままなのだと、雫は考えるに至った。
「ご承知いただけるでしょうか」
受け入れなければ成らない事とも判ってはいた。だが、雫は灯と過ごした七年間を思い逡巡する。
「灯が光の中で眠っている間、灯とのリンクは細く、弱くなりますが、切れて無くなりはしません。それは、最後の灯と、私たち二十三人の灯の願いです」
灯の言葉の調子が、淡々としたものから変わり、その声音は少しばかり震えていた。
「最後の灯も、私たち二十三人の灯も、雫さんの事が大好きです。代替わりの時のように悲しませたくありません」
純から灯に代替わりする時、純のリンクが切れ、雫は狼狽え、悲しんだ。その事を気にかけている、と灯は言っているのだった。
雫の雰囲気が変わった。心が決まったのだ。
「承知した。神の時の尺度からすれば、六年など大した事では無い。それに」
そう言うと雫はアリスの方を見た。
「私にはアリスがいる。そして灯が帰ってきて、やがて純も帰ってくるのなら」
雫は灯の方に視線を戻した。
「玄雨雫、喜んで灯を送り出そう」
良いな、アリス。と言うように雫はアリスの方を見た。
「アリスは雫の考えに賛成。それに、その時の線のアリスを救ってくれるんだもの。反対のしようが無いじゃない」
「一つの時の線の苦しみは、他の時の線にも及びます。私たちは時の守護者として、それを防ぎたいのです」
そのために、と灯は続けた。
「お二人に、とある書状、いえ、文を書いて欲しいのです」
灯はその文について、雫とアリスに話した。
雫はなるほど、という顔をし、アリスもその手があったか、と合点した。
「もう一つのお願いですが」
灯がそう言うと、急に雰囲気が変わった。
雫はまるでそれを、灯が初めて現れた頃の、まだ泣き虫だった頃の灯の様に感じた。
「私たちに、ある名前を付けて頂きたいのです」
灯は少し黙った。まるで、少しだけ勇気を集めるため、というように。そして、口を開いた。
「私たちはもはや玄雨純ではありません。玄雨灯、という名をいただけないでしょうか」
雫は首肯した。そして良く通る声で告げた。
「二十三人の灯たち。灯の現身を依り代とし、その名を玄雨灯と、玄雨神社当主、玄雨雫が名付ける」
灯の顔が輝いた。
「そうね。それに二つ名もいるわね」
アリスが告げた。
「時の守り神、玄雨灯」
雫が優しく微笑む。
「アリスの意匠の趣味にしては、格段の出来栄えだ」
「あたしのネーミングセンスは、いつも最高ですぅ」
■灯との別れ
「一度、灯から離れます」
灯はそう言うと、すうっと、雰囲気が変わった。
「…あ、あの…雫さん、アリスさん」
「怒ってなどいないよ。灯。暫しの別れだ」
「灯ちゃん、次に会う時も、灯ちゃんでいいのかな?」
「はい。…でも、時々、光とも呼んでください」
「ならば、光、の方が良いだろう。玄雨灯のためにも」
灯は清々しそうな顔をした。
「そうですね。灯たちのためにも、光の為にも、それが一番良いって、ボクも思います」
「灯」
そう言うと、雫は折り畳まれた紙、玄雨灯が頼んだ文を、手渡した。
「灯ちゃん」
アリスも、こちらは如何にも手紙、という風情のものを灯に手渡した。
「それでは、雫さん、アリスさん。暫しのお別れです。ボク、六年間お二人と過ごせて幸せでした」
「灯、それでは今生の別れの挨拶だ。六年後、そうか、つまり、東雲光が小学校を卒業する頃」
「あたし達は、また会える」
「はい。それまで、暫しのお別れです」
「行っておいで、灯」
「待ってるからね。灯ちゃん」
灯とのリンクが急に弱くなったのを、雫とアリスは感じた。
アリスは雫の手に自分の手を重ねた。
「大丈夫だ。アリス。心の準備は出来ている」
アリスは良かった、というように頷いた。
灯の雰囲気が変わった。
「それでは、別の時の線のアリスさんを助けに参ります」
「よろしく頼む。玄雨灯」
「もう一人のあたしを助けてあげてね。時の守り神」
「はい」
そう声が聞こえた時、灯の姿は消えていた。
■もう一人のアリス
ニューヨークにあるゴールドスミス社の社長室では、車いすの老女が執務を行っていた。
老女の名はアリス・ゴールドスミス。
別の時の線のアリスだった。
目を閉じ、サーバントリンクに指示を出している。
社長室室の中央に、人の気配がする。
アリスはその気配を察し、目を開けると、社長室中央を見た。
そこには、巫女装束に身を包んだ一人の少女の姿があった。
ドアが開いた音はしなかった。
それに、外には警備のサーバントがいる。
忽然と現れた少女に、アリスは一瞬動揺した。
しかし、少女を見詰めるうちに、心は穏やかなものに変わっていった。
この少女には、害意は無い。
『この声が聞こえますね?』
少女は口を閉ざしたまま、アリスに語りかけた。
『私は玄雨雫の使い。あなたが会う事が叶わなかった不老不死の巫女の使いです』
この時の線のアリスも、不老不死の巫女の巻物を得ると、日本を開国させた。
だが、雫はいない。甚だしい落胆を胸にこの時の線のアリスは日本を去った。
『玄雨雫と出会った、別の時の線のアリスさんからの手紙を、お持ち致しました』
少女は、懐から一通の手紙を取り出すと、老女の前の机に置いた。
『どうぞお読みください。別の時の線のアリスさんも、あなたの事を心配しています』
少女はそう告げると、現れた時のように忽然と消えた。
老女はその出来事よりも、自分の頬が涙で濡れている事の方に驚いていた。
■もう一人の礫
夜見で、ダイスを振った白酉礫は、その出目を読むと、眉をひそめた。
なにやら怪しいことでも起こりそうじゃないかぃ?
礫がそう想った時、店の中央に巫女装束に身を包んだ一人の少女が忽然と現れていた。
「玄雨神社当主、玄雨雫の使いが参りました」
礫は目を見開いた。
数百年前、礫がまだ朧と呼ばれていた頃、抜け出した神社の名前だったからだ。
「玄雨神社は、潰えた筈じゃぁなかったのかぃ?」
「別の時の線。別の並行宇宙より参りました。一人の女神を救う為に。一人の死に神を救う為に」
礫は値踏みするように少女を視た。
「お前、ただの巫術師じゃないねぇ。相当な使い手、もはや人の範疇を遥かに超えてるよぅ」
「左様に。私は玄雨灯と申します。時の守り神と称して御座います」
ここに、と少女は懐から文を取り出した。
「玄雨雫より、礫殿あての書状をお持ち致しました。お読みくださいませ」
礫は少女から書状を受け取った。
礫は書状に目を走らせていると、少女の気配が消えた事に気がついた。
「只者じゃないねぇ。それに、この書状の内容も」
礫はふぅっと息を吐き出すと、うっすらと目に涙を浮かべた。
「玄雨神社当主が、あたしの始まりの罪を許す、と書いてあるよぅ」
礫は肩を震わせると、忍び泣いた。
■邂逅
夜見のある地下一階へと繋がるエレベータから、エレベータが下降する音が響いてきた。
客にしては珍しいねぇ。
夜見に来る客は、大抵通りから繋がる階段を使うからだ。
エレベータの扉が開くと、そこには車いすに乗った老女の姿があった。
アリスだ。
礫が手首を返すと、扉が開いた。
「おまえが、死に神の礫、さんなんだね?」
老女は日本語で、礫にそう尋ねた。
「すると、あんたが、西洋の女神のアリス・ゴールドスミスという大悪党かぃ?」
鬼を憑けるに足る大悪党だよぅ。
礫はリザの眼で見て、そう思った。
だが。
さらに深く見詰めると、アリスの抱えている深い悲しみが見て取れた。
書状に書かれていた通りだよぅ。
ならば、罪を許してもらった恩に報いなくっちゃならないねぇ。
「あんたのことは、玄雨の使いからの書状で知ってるよぅ」
「こちらも、おまえの事を、その使いが持ってきた手紙。別の世界のあたしが書いた手紙で知っている」
「この世界の玄雨神社は潰えた。だから」
「あたしは玄雨雫に出会えなかった」
二人はまるで旧知の友に出会ったかのように、緊張を解くと、穏やかに微笑み合った。
「ゆっくりと、友達になってみようかねぇ」
「お互い、たっぷりと時間はある、と聞いているよ」
「酒は呑むかい?」
礫は、カウンターの奥に消えると、日本酒とグラス二つを持って現れた。
「不老不死の巫女には出会えなかったが、不老不死の死に神とは出会えたねぇ」
礫はグラスに日本酒を注ぐと、アリスに手渡した。
「互いの今までの罪に」
アリスはグラスを掲げた。
「献杯、という事だねぇ」
■元の時の線の玄雨神社
玄雨灯が消えた後、やはり、暫し雫はぼう然とした。
判ってはいても、リンクが弱く、細くなるのは悲しい。
雫の手を握るアリスの手に、優しく力が加わる。
アリスから気脈が流れ込んでいく。やがて雫の悲しみは収まっていった。
二人が灯が消えた場所を見詰めていると、境内に人の気配がした。
「行ったんだねぇ」
境内から声がした。礫だった。
「少し間に合わなかったか。でも、お別れはあの時済ませたから、良いんだ」
礫は舞い舞台に上った。
「それより、灯に頼まれた事をしに来たよぅ。玄雨が哀しんでるだろうから、一緒に酒を呑んでやってくれってねぇ」
手に一升瓶を持っている。
礫は雫の隣のアリスに視線を走らせた。
「いよぅ、世界一の大悪党。随分と女っぷりが上がったじゃないかぃ」
アリスは、小さく微笑んだ。
「世界一の大悪党じゃないわ。西洋の女神よ。灯ちゃんから言われたって?」
「ぁあ。ついさっきウチの店に現れて、礫さん、暫しのお別れです、とさ。で、玄雨と酒を呑んでくれ、とねぇ」
雫が礫の方を見た。
「気の利く弟子だ」
礫が静かに笑った。
「ああ、親孝行な良い娘だよぅ」
「礫殿、酒のつまみは、東雲家のお節料理だ。今宵は灯との暫しの別れの宴」
礫は灯が座っていた場所に座ると、その隣に於いてあった風呂敷包みを解いた。そして、蓋を開ける。
「確かに東雲のお節料理だよぅ。中に少々出来の悪いのが混じってるねぇ」
「おそらくそれが灯と光が作ったものだろう」
アリスがぽつりと呟いた。
「時の女神のお節料理ね」
アリスがそう言った時、舞い舞台から流れ星が一つ、流れるのが見えた。
■エピローグ
東雲家に、正しくは東雲純と光に玄雨神社から、光の小学校入学の祝いの荷が届いた。
荷を解くと、中には、手紙と蛙の焼き物が入っていた。
手紙には、これから光が六年間かけて時の女神になる事、そして、その時、灯と一体となっている事などが記されていた。
そして、時の女神となった光は、玄雨神社に戻る、と。
純は驚かなかった。なんとなくそういう予感がしていたからだろう。
春喜と忍は、初め驚いたものの、怪異としては東雲の鬼喰いを遥かにしのぐ女神の理と、光と過ごせる六年間を大切に過ごすと決めた。
弟の青樹は、まだ良く判らない様子だった。
「蛙の焼き物は、魔よけ、のようなものとお思い頂きたい。それは付喪神。いずれ神として目覚めていく光。人の中に神が混じれば、怪異を呼ぶ。その禍事を避けるまじない」
雫からの手紙には、そう書かれていた。
光の目には、焼き物の蛙の背に座る、蕗の葉を持つ蛙に似た仙人の姿が視えていた。
「安寧の巫女」はこれにて完結です。
しかしながら物語は「竜使いの巫女」へと、続いてまいります。
この物語は、2014年に書きあがり、iPhone用のアプリとして配信したものです。noteでも公開しています。
主要なキャラクターが降ってきて、それぞれの個性来歴を箇条書きにしたのが、2013年の11月。
そして、「客か。売り物なら無いぞ」という声が頭の中に鳴り響き、書き綴ったのが「巫術師 玄雨雫と恋」。
物語を細かく決めて書いたものではなく、先がどうなるか、なんとなくは知っているものの、書いている自分自身もどういう顛末になるかよく分からない状態で、書き進めて行きました。
まるでキャラクターを頭の中にインストールして、動作させて、その状況をテキストに起こす、というような印象です。場面によっては、自動書記に近い感覚もありました。
そういう意味で印象深かったのは、純の結婚話の時、父親の亮が雫の説明に異議を唱えた所。
初めは、亮は文句を言わず、雫の話のままに進むはずだったのですが、プログラマで論理的誤謬を看過できない亮が、文句を言わない筈がない、と思い、文句を言う。そして、それに対して雫が回答する、という流れになった時、「さあ、どうする雫さん」と心の中で言うと、自分でも知りもしないような事をすらすらとタイピングして、雫の回答が導き出されて行く。
それはとても奇妙な体験でした。知りたい事を今まさに指先が紡ぎ出していく、という感覚でした。
そんな行き当たりばったりな書き方をしていますのも、この物語を読みたいと思い、書き綴ったのからだと思います。
なんでこんなシチュエーションなの?と思いつつも、指先がキーボードを叩くと、物語が紡がれる。時々「書けば判る」と言われているような気がしていました。
さて、一旦物語が憑いた状態は落ち着くのですが、とある事があり、再びこの物語が取り憑きます。
そして書いたのが、「安寧の巫女」の続編「竜使いの巫女」です。
引き続き、お読みいただけると幸いです。




