第30話 巫術師 玄雨純と始まり
齢数百年にして政に関わり強大な巫術を使う不老不死の巫術師、玄雨雫。自称、日の本の国の神。
そして、欧米諸国を支配する多国籍企業ファイブラインズのCEO、アリス・ゴールドスミス。彼女もまた自称、西洋の女神。
アリスは、ベネットに、舞いを見せて欲しいと願った。
■安寧の舞い
アリスは、ベネットの乗る車いすを舞い舞台中央境内側に移動させた。舞い舞台中央奥には、上手側に雫、下手側に灯が立ち、舞う準備を整え終えていた。
「灯」
雫の言葉に灯は頷くと、目に霊脈を吸い込み、それをベネットの目に飛ばした。
ベネットの見ている世界が、急に変わった。
「ぉお」
ベネットが感嘆の声を上げた。
「これが巫術師が視ている世界よ。ベネット」
「アリスさまが巫術師と成られてから、視覚情報データとしては知っておりましたが、直接見ると、何と申しますか、まったく異なるものと、実感致します」
揺らめき漂う青白い光、霊脈。そして、舞い舞台中央の雫と灯から立ち上る気脈の柱。
ベネットは視線を自分の身体に向けた。
灯が視たものと同じものを、ベネットは自分の身体に視た。
ベネットの表情が少し曇った。
アリスは再び、ベネットの左腕をそっと触った。
その感触に気がつき、ベネットはアリスに視線を向けた。
「最期の最期で、自分の死を見詰める事になって、ごめんなさい」
アリスの顔は悲しそうに、すこし歪んでいた。
ベネットは、薄く笑みを作ると、穏やかな目でアリスを見た。
「アリスさま、とうに覚悟はできております。それに、最期にお役に立てるなら、何の悔いもありません」
「……ベネット……」
アリスは、ベネットに微笑み返すと、舞い舞台奥の二人に向かい、舞いの開始の合図を送った。
「では」
雫が扇を開き、正面に向ける。少し遅れて灯が同じ所作をする。
二人の舞いが始まった。
漂っていた霊脈が、意志を持ったかのように、二人の周りに集まっていく。
雫と灯が、片足を軸に緩やかに回転する。
それに同調するように、周りの霊脈も回転しながら、二人の所へと吸い寄せられていく。
集まる霊脈は、やがて大きな円筒状の流れの渦を形成していく。
社殿を貫く二本の霊脈の柱。
アリスは、ベネットの手が震えている事に気がついた。
ベネットの顔に視線を移すと、ベネットが泣いている事に気がついた。ベネットの口も僅かに震えていた。
ベネットはアリスの視線に気がつくと、小さい声で言った。
「荘厳で御座います。魂が震えております」
アリスは無言で頷いた。
雫と灯が回転を止める。だが、霊脈の流れで形作られた円筒、社殿を貫く柱はそのまま保たれている。
雫は扇をベネットに向ける。霊脈の流れの一部が、ベネットに向かい、緩やかに流れていく。
灯も同じ所作をする。同様に、霊脈の流れの一部が、緩やかに流れていく。
雫と灯は、再び緩やかな回転を始めた。
霊脈の柱の下部の流れが、舞い舞台の表面を通じて、四方八方に流れていく。
ベネットは、自分の足下を流れていく、霊脈を視た。
「そうよ。これが、雫が日本中に張り巡らせた安寧の霊脈へと流れ込んで、世に安寧を届けているのよ」
ベネットは、視線を二人の舞いに戻した。
「荘厳で、美しく、そして、心安らかになる、舞いでございますね」
■アリスの願い
雫と灯の舞いが終り、二人が舞い始めの位置に戻った。
雫と、側にいたアリスは、それを知っていたが、灯はまだ気がついていなかった。
舞い終り、灯はベネットを視た。
「……ベネット、さん……」
ベネットの身体には、気脈が無くなっていた。
アリスが、灯に向かって、ゆっくりと、静かに頚を縦に振った。
「亡くなったわ」
アリスの両頬を、涙が伝わっていく。
灯は、初めて視る人の死に、心が固くなるのを感じた。
「灯」
雫が、灯に優しく声をかけた。
と同時に灯は、身体が温かくなるのを感じた。
灯が雫の方に顔を向けると、雫が灯に気脈を流し込んでいるのが判った。
「人が死ぬは、定め。それは悲しい。だが、一番悲しんでいるのは、アリスだよ」
雫は灯に、この舞いのもう一つの目的を話した。
「サーバントが死ぬと、アリスも、私が純とのリンクが切れた時のように、とても深く悲しむ。親しかったサーバントならば尚のこと。どれ程のものかは、純とのリンクが切れて、初めて知った。深い悲しみと身をもって判った」
灯も判った。灯も純の声が、母の声が聞こえなくなって、とても寂しく、悲しくなったのだから。
「ベネットもそれを知っていた。だから、最期に舞いを視たいという願いと共に、アリスの悲しみを少なくする方法を、最期にその身を持って、行ったのだ」
灯は思い出した。ベネットに向けて、投じた霊脈の流れ。
「ベネットは、巫術研究のトップ。セリスの人格が消えなかった一つの理由に霊脈が絡んでいる、と当たりを付け、自分の死後も、その記憶、あわよくば人格をサーバントリンクに残せるのでは、と自らの身を、その死を使い、実験したのだ。アリスの悲しみを少なくするために」
アリスは、ベネットの左手に、自分の手を添えた。
「この子はね。この子がずっと小さい頃から、あたしのサーバントだったの。あたしは何度か代替わりしたけど、ずっとあたしを見守って、尽くしてくれた」
「アリス」
「雫、実験は失敗よ。サーバントリンクにはベネットは留まれなかったわ」
「そうか」
「でもね、心に穴が開いた感じはしない。最期に、本当に最期にベネットがあたしの願いを叶えてくれたのね。ベネットを失っても、心に穴が開くのは嫌だっていう、あたしの願いを」
「……アリスさん……」
「悲しくない訳じゃないけど、苦しくはない。それにね、人格がサーバントリンクに残ったら、死んだ後もあたしにこき使われるじゃない」
そう言うと、アリスはベネットの左手に乗せた手を優しく動かした。
「今までさんざん尽くしてくれたんだもの。お休みなさい。ベネット。ありがとう」
■偶像
その夜、共に床についた灯が雫に言った。
「今日のアリスさん、感じが違ってましたね」
「ああ。だが、あれが本当のアリスだ。弱く、怖がりで、優しい。いつもの傍若無人振りは、身を守る為の仮面だ」
灯は、アリスが帰る時、「空の穴」に入る前に言った一言を思い出していた。
「灯ちゃんにベネットを会わせてあげたかったの。あなたを大切に思ってる人は、あなたが知らない所にも沢山いるって、知って欲しかったから。時の女神さまは、ラボのサーバントのアイドルなのよ」
だとしたら、お父さん、アリスさんのサーバントさん達に恨まれたんじゃ。
ちょっと勘違い的な感想を灯は思った。
「だが」
灯の思索は、雫の声で中断した。
「ベネット殿の人格がサーバントリンクに残ったら、こき使われるというのは本当だろう」
死んだ後もアリスにこき使われるベネットを想像して、灯はちょっとかわいそうになった。
「ベネット殿はそれも含めて、承知していたのだろう」
アリスという我が侭な姫に尽くすナイト。
なんとなく、灯はそう思った。
「雫さんはベネットさんとどんな議論をしてたんですか?」
「いろいろだが、面白かったのは宇宙の始まりについて、だ」
「ビッグバン、ですか?」
「ベネット殿は、ビッグバン説。わたしは、そうだな、循環説とでも言うもの。宇宙は初めからそこに有り、永遠に続く。膨張と収縮はその間の振動に過ぎない、という物だ」
「雫さんの説、なんとなく判ります」
雫が灯の方を見た。
「時を遡った時、他の時の線だと思うものを感じたんです。どの線もずっと伸びているんですけど、すこし湾曲してる感じがしたんです。もしかしたら、大きな円なのかも、って」
「時の女神が、ラボのサーバントのアイドルという道理が判った。純や灯の成す事は、新しい示唆に溢れている。常に学説が仮説であり、新しい真実の前に崩れ去る運命だと、事実を持って突きつけるからだ」
ええと、それって。
「あの、雫さん。それってアイドルじゃなくて、嫌われ者、ってコトじゃないですか?」
「普通の心理の者ならそうだろう。だが、真実の探究者にとっては、新しい真実をもたらしてくれるものは、ありがたい大切な存在なんだよ」
アイドル、偶像。
あ、そうか。日本のアイドルって意味じゃなくて、偶像って意味だったんだ。
灯は自分の勘違いな想像が、ちょっと恥ずかしくなった。
そうだよね。ポスター張ったり、ペンライト振ったりとかじゃないよね。
でも。
大切に思ってくれている人達がいるんだ。ボクの事。ボクの知らない所で。
灯は自分の心に、暖いものが流れてくるのを感じた。
「アイドル、という意味では、崇拝されているのは本当らしい。ラボには玄雨神社の社があって、そこには純と灯の写真が奉納されているんだそうだ」
あれ? ボクの変な想像に近づいてる気がする。
「今日も新たな発見がありますように、と願をかけていると、アリスから聞いた」
まあ、女神だから、そういうのもアリなのかな。
「社作る時、アリスさん、なんであたしじゃないのよ〜、って言いませんでした?」
「言わなかったそうだ。『あたしの女神さまなんだから、しょうがないか〜』と言ったそうだ」
灯は、自分がファイブラインズ社公認の女神になっている事に少しばかり当惑した。
「ボク、ちょっと恥ずかしいです」
「大丈夫だ。灯はいつも通りしていれば良い」
それに。
雫は思った。
灯の自我は急速に強くなっている。
近い内に、純と会っても大丈夫になる。
そうなって欲しい、と雫は思った。
■ベネットの遺産
『灯ちゃん、ちょっとこっちに来てくれる?』
アリスが灯を呼んだ。ベネットが亡くなって、二日後の事だった。
アリスの執務室に着くと、アリスは一つの箱を灯に手渡した。
「これ、ベネットの遺品を整理したら出てきたの。時の女神用試作品、とあるの」
灯は箱を受け取った。灯の両手に収まるほどのそれほど大きくない、固い紙製の箱。
灯が箱を開けると、中にはヘアバンドの様なものと、何かのアドレスが書かれた紙片が入っていた。
アリスは紙片に書かれたアドレスを見ると、自分の神様専用PCにそのアドレスを打ち込んだ。
「やっぱりウチのサーバ専用のアドレスだったわ。見て」
そこには、ヘアバンドの様なものの説明が書かれていた。
視知の術の記録装置、試作1号機。
どうやら、時の女神が行う、視知の術、未来や時には過去を視る能力、その能力で視たものを記録する為の装置、というもののようだ。
「留意点があるわね。対象物体が小さい場合、ノイズで検出出来ない可能性が高い。実験対象としては対象物体のサイズを天体クラスとした方が、良い」
「ほんとに試作品の1号機、なんですね」
「天体クラスかぁ。地球を視ても、地球の一部かどうかとか、区別つけるの、厄介そうよね」
灯もそうだと思った。
宇宙船から視れば別だろうけど。
「そうなると、月とか太陽とかになりますよね。手っ取り早く実験出来るの」
「そうね。じゃあ、これ持って帰って、太陽視てみて。あ、サングラスがかけるの忘れないでね」
アリスからサングラスを受け取ると、試作品を持って、灯は玄雨神社に飛んだ。
舞い舞台では、リンクでだいたいの事を知っていた雫が、灯に声をかけた。
「それが、ベネット殿の遺品か」
「はい。早速試してみます」
灯はサングラスをかけると、取り扱いのページに表示されたように、それをヘアバンドのように、髪に装着した。
幽かな震動音がして、ヘアバンドの両端に緑色の小さな光が点灯した。
『アリスさん、じゃ、太陽を視てみます』
灯は目に霊脈を吸い込むと、太陽を視た。
太陽はいつも通りに視えた。だが、少しすると、太陽が爆発したように視えた。サングラスをしていても、眩しい光が溢れ、そして。
「灯!!」
雫は灯が太陽の方に顔を向けたと思ったら、急に膝を突き、崩れ落ちるのを舞い舞台の上から見るやいなや、風で灯が地面に打ち付けられるのを防いだ。
■前兆
灯を自分の部屋の布団に寝かせた後、アリスがリンクで話しかけてきた。
『灯ちゃん、大丈夫、雫。試作1号機の情報は、こちらのサーバに送信する様になってたから、今、解析中なんだけど。なんだか嫌な予感がする』
雫は眠っている灯の髪を撫でた。
『ああ。まるで東雲の鬼の集積の時を思い出す。アリス、灯は眠っているだけだ。気脈に大きな乱れは無い』
『良かった。灯ちゃんが倒れたりした時、行きは良いけど、帰りで灯ちゃんに負担かけたくないから、今度、合霊くんのセット、もう一組用意しようと思う。ほんとはあたしもそっちに行きたいから』
固定化した「空の穴」で行きは灯の手助け無しでも移動出来るが、帰りは灯に送ってもらうか、「空の穴」を再セットしてもらわなければならない。帰り用の固定化された「空の穴」があれば、いつでもアリスは往復出来る。
『それが良いかも知れぬ』
アリスが灯を心配する気持ちもよく判る。雫はそう思った。
その日、灯は目を覚まさなかった。
『雫! 雫の神様専用PCに情報送った。大変な事が記録されてたわ!』
翌日の朝、アリスがリンクで連絡してきた。
舞い舞台の雫は、リンクのアリスの声を聞くと、急いで自分の部屋に戻った。
灯はまだ眠っていた。
雫は文机の上のノート型神様専用PCを起動した。
アリスからのメールを開くと、「これを見て!」と書かれたリンク先をクリックする。
映像が再生された。
それを見ると雫の顔に、緊張と驚きが入り交じった表情が広がっていった。汗が滲む。
『これは、アリス』
『試作1号機からのデータを解析して、映像化したもの。プロセスにエラーが無いか、三回確かめた。確かよ』
『他の科学的データは』
『兆候が無いとは言えない。だけど、時の女神の視知の術よ。外れる事は、無いと思う』
『今のまま、何の手も打たなければ』
『そうね。すでに検討を始めたけど、あまりに途方もない、攻撃よ。攻撃って言っていいかどうか判らないけど……』
『……確かに。自然の驚異、と言っても、規模が大き過ぎる。ダイダロスがおもちゃに思える』
雫の言葉が、アリスの戦略家としての心に響いた。
『……ダイダロス。……そうか! 雫、運命の分岐点、時の線を移動する仮説!』
『そうか! あれを応用すれば、位置関係が変わって、防げるかも知れぬ!』
「だめ、です」
雫は、急に聞こえた肉声に、アリスとのリンクの会話から引き戻された。声のする方を見ると、布団から灯が上体を起そうとしている所だった。
「灯!」
「すみません。その作戦、だめです。その未来から、戻ってきました」
灯は、上体を起そうとする努力を止めた。
「……ごめんなさい……もう少しだけ、眠ります……」
灯はまた眠りに落ちた。
■記録された大惨事
『灯ちゃん、今』
『戻ってきた、と言った』
『策の是非はともかく、事が起こるのは間違いない』
『そうね』
『灯が起きるのを待とう』
リンク越しに、アリスが頷く雰囲気が伝わってきた。
雫が文机の上の、神様専用PCのモニタの映像に視線を戻した。
そこには、太陽から放射された巨大な炎、フレアが、地球に到達し、地上のすべてを焼き払っている映像だった。
「スーパーソーラーストームが、地球を襲う未来」
ぽつり、と雫は口に出していた。
リンク越しに、その言葉がアリスに伝わったの雫には判った。
『雫、できる限り、情報を集める。もし、原因が特定出来たら、それを取り除けば、回避出来るかも知れない』
『アリス頼む。灯が起きたら、こちらに来て欲しい。灯の話を直接聞こう』
『判ったわ』
その日の夕方近く、灯は目を覚ました。空が夕焼けに染まろうとしていた。
「灯、目覚めたか」
灯は上体を起すと、自分の気脈を探った。
「はい。もう大丈夫です。……状況は、良くないですけど……」
『アリス、灯が起きた。来てくれ』
「灯、舞い舞台に行こう」
■三柱会談
舞い舞台に女神御柱が揃った。座布団を敷き、それぞれ座っている。
「災厄、の事はもうご存知ですよね」
「承知しているよ、灯」
アリスも頷いた。
「戻ってくる前の未来で、行った事と、その結果をお話します」
灯の目は、少し暗かった。
「龍巻きくんに蓄えた霊脈を放出して、時の線を移動する、という作戦自体は成功し、太陽からの直撃は免れました」
龍巻きくん。アリスの会社の地下を流れる巨大な霊脈の河、龍脈から僅かずつ霊脈を巻き取り蓄積する装置。小惑星ダイダロスが地球にぶつかるのを防ぐ為、その霊脈を風に変えてダイダロスにぶつけようとした時、運命の分岐点が生じ、ダイダロスは、地球衝突コースから、月衝突コースにその位置を変えた。
そして、それは大量の霊脈の移動による、時の線の移動、という事が分かっている。
その原理を利用して、スーパーソーラーストームの地球直撃を防ごうという作戦が行われた未来。
灯はその未来から戻ってきた。
「作戦の成功を、視知の術で視ました。……だけど……だけど……そしたら……」
灯は両手で顔を覆うと、嗚咽を漏らした。やがて声を上げて泣き始めた。
雫もアリスも、灯が泣きやむのを待った。
灯は泣き虫だったが、鬼祓い師との交流で急速に自我が成長し、あまり泣かなくなっていた。
その灯が、泣いている。
灯の嗚咽が収まっていった。顔を覆っていた手が、両膝の上に置かれた。
「視知の術でその時の先が視えたんです。……お母さんが……ボクと光を死産する未来が視えました」
場の空気が凍りついた。
雫の顎の筋肉が引き絞られている。アリスは息を呑んだまま固まっている。
「……光は、ボクの双子の妹です……時の女神は、その時の線での因果関係と関係なく、存在出来ます……でも、でも、ボクには耐えられなかった」
灯は再び嗚咽を漏らした。
それを知った時、泣き崩れたであろう灯の姿が、雫とアリスの脳裏に、ありありと浮かんだ。
「その未来の雫さんが、ご神体の霊脈を使って、時を巻き戻し、再度試したら良い、とボクを送り出しました」
灯は少し黙った。涙が膝の上に置かれた手の甲の上に落ちていく。両手は袴を握りしめていた。
「三度、試しました」
灯は下を向いた。
雫もアリスも、どうなったか判った。
アリスが息を吸った。
「灯ちゃん、あたし、地球が救われても、灯ちゃんが苦しむ未来なんて、そんなの欲しくないよ」
雫が僅かに灯の方に身体を近づけた。
「灯。灯が苦しむのは、灯が産まれず、光が死ぬ事だけではあるまい。そうなれば、純は」
下を向いた顔を上げた。
「お母さんが……悲しむ姿も視ました」
灯の右手は、胸元に置かれ、まるでそこが痛むかのように震えていた。
「灯。純は二度、この世界を救った。その純が、そしてその娘の灯が、悲しみ苦しむ未来など、私も欲しくない」
灯は胸を押さえていた手を膝に戻すと、再び袴を掴んだ。
「ありがとうございます。アリスさん、雫さん」
「悲しい思いを、三回もしたのね」
アリスは立ち上がると、灯を抱きしめた。
雫もまた立上がり、二人を抱きしめた。
二人に抱きしめられた灯が嗚咽を漏らした。
だが、今度の嗚咽は前のものと違っているのを、雫もアリスも気がついていた。
灯の嗚咽が収まると、雫は自分の座布団に座った。
アリスは灯を放すと、頭を撫でてから、自分の座布団に座った。
■時の女神
雫は両手を相対する袖にいれる形で腕を組んだ。
「おそらく、時の女神の代替わりは、まだ完全には終っていない。その間の時の線に関わる出来事は、時の女神の代替わりを阻害する。そういう事だろう」
「つまり」
アリスが雫に尋ねた答えを、灯が言った。
「光が産まれるまでの間に、時の線の移動が起こると、ボクは産まれないんです」
アリスが溜息をついた。
本当に大変な代替わりなのね。持つ力が大きい分、背負い込む苦労も相応、なのね。
「スーパーソーラーストームが起こる、原因は判らなかったの?」
「未来のアリスさんも、掴めなかったみたいです。それに、次は上手くいくと、同じ作戦を繰り返してしました」
「だが、三度試して、灯は悟った。自分の運命を」
「はい……女神にも避けようの無い運命を……悟りました」
アリスは考え込んだ。
「とすると、灯ちゃんが、スーパーソーラーストームの原因を特定しようとして、視知の術を使った事は無かったのね」
はっ、と灯が顔を上げた。
「すみません。ボク、そこまで気が周りませんでした」
雫が優しく微笑んだ。
「謝る事は無い、灯。灯は打ちのめされていたのだから。気付かなくて当然だよ」
「そうよ。こういう先の先を読むのは、先輩の女神に任せておけばいいのよ」
「そうだ、灯。アリスは悪知恵にかけては、世界一だからな」
「なによ〜。悪知恵って〜。雫ぅ〜」
アリスが頬を膨らませて文句を言っているのを見て、灯に笑顔が戻った。
それを見て、雫も笑顔になった。
「アリスの策、私も賛成だ。アリスの悪知恵は世界一だからな」
「悪知恵でも、英知でも、世界が救われればいいんですぅ〜」
アリスは膨らませた頬を元に戻すと、灯に試作1号機を手渡した。
「少し調整して、空間的に取り入れられる範囲を広げたの。もしかしたら、原因を特定出来るかもしれないと思って」
灯は試作1号機を髪にセットすると、境内に降りた。
少し心配そうに、その様子をアリスが見ていた。
「灯ちゃん、また、倒れるかも知れないわね」
「大丈夫だろう。純も同じ技に熟達していった。灯も時の女神」
雫はアリスを見た。
「泣き出したりしたが、灯がしっかりしてると思わなかったか?」
「……そう言えば、そうね。言葉遣いとか、少し」
「三度、時を巻き戻したのだ。純も成した事の無い業だ」
「そうね、確かに。それに」
「ああ、その度に深い悲しみに出会ってしまった」
「灯ちゃん、強くなったわね」
雫は、アリスが言っている意味を感じ取った。
「ああ。だが、今はスーパーソーラーストームを防ぐ事」
■夕日
そう二人が話している間。
灯は霊脈を目に吸い込むと、いったん目を閉じた。
何が原因で、スーパーソーラーストームが起こるか、起こる未来になるか、それを知りたい。
灯はそう強く願った。
そして、目を開くと、沈む夕日を視た。
灯は自分の頭がくらり、とするのを感じた。
頭に付けた試作1号機に、気脈が少し吸い取られているような感じを受けた。
もしかすると、そういう動作原理だったのかも知れない。
一度目は、それに気付く間も無く意識を失ってしまったが、二度目。しかも、時の女神として三度の時の巻き戻しを行った灯は、意識を失う事は無かった。
急に、灯は自分が宇宙にいる事に気がついた。
これ、視知の術で、未来のその場所の場面を視ている。
灯は燃え盛る太陽を感じ、その方に身体を向けた。
そこに、小さな星。小惑星が落ちていくのが視えた。
小惑星は途中でフレアに焼き尽くされる事も無く、太陽の表面に落ちた。
その直後、太陽の様子が変わった。
フレアの数が増えた。そして。
スーパーソーラーストームが生じた。巨大なフレアが放出された。
それは地球に向かい、地上を焼き払った。
灯の視界が、玄雨神社の境内を朱に染める夕日に戻った。
「アリスさん、もしかしたら、原因が判ったかも知れません!」
アリスは急いで境内に降りると、灯の両肩を掴んだ。灯の目を見詰める。
灯はアリスの目を見て、頚を縦に振った。
アリスは灯をぎゅっと抱きしめた。灯がちょっと苦しいくらい。
そしてぱっと放すと言った。真剣な口調だった。
「灯ちゃん、疲れているとこ悪いけど、あたし急いで社に戻らないと。雫!」
アリスは雫の方を向くと声を張り上げた。
「承知している。既に『無しの扇』を作ってある」
アリスが灯の方に顔を向けると、既に灯が「空の穴」を成していた。
流石ね、この師弟は。息がぴったり。
「アリスさん」
灯はそう言うと、アリスを「空の穴」に押し込んだ。
その後、灯は意識を失ったが、予期していた雫が風を起し、境内に倒れる事なく、舞い舞台に運んだ。
雫は灯を自分の部屋の布団に寝かせると、優しく言った。
「お休み、灯。今度はアリスの番だ」




