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第3話 巫術師 玄雨雫と修業

 齢数百年にして政に関わり強大な巫術を使う不老不死の巫女、玄雨雫。自称、日の本の国の神。

 そして、欧米諸国を支配する多国籍企業ファイブラインズのCEO、アリス・ゴールドスミス。人ならぬ者。彼女もまた自称、西洋の女神。

 中学2年生の神峰純は、こともあろうか雫が趣味で営む骨董屋一六堂に入って行った事から、二人に神の資質を見抜かれた。そして雫の弟子となった純の運命はどう変わって行くのか。

■アリス、壊れる


『アリス、純の修業の事で重要な話がある』

 執務室のアリスは、いつもと違う雫の口調に嫌な予感を覚えた。

『なになに〜。脅かしっこはなしよ〜』

 口調はいつもの能天気モードだが、ちょっと額に汗が滲んでいる。

玄雨流(くろさめりゅう)巫術(ふじゅつ)の修業の一つに、肌合わせの儀というのがある』

 アリスは、自分の嫌な予感が的中しつつある事を、嫌な気持ちで感じた。

 は、肌合わせ、聞くからにイヤらしい響きがあるじゃないの!

『言葉の響きから、Hな感じがするんだけど〜まさかね〜〜』

 冷静な口調で雫は続ける。

『多分、アリスの想像に近いと、思う』

 これがアニメなら、ブッと鼻血を出してのけ反るアリスが出てきそうなくらいの衝撃をアリスは受けた。

『儀の説明をする』

 お構いなしに雫は続ける。

 雫ったら、玄雨神社に戻ったら、初めて会った頃の雫に戻ってる気がするのは、ワタシだけ?とアリスは思った。

『師匠の気脈の流れと弟子の気脈の流れを循環させる事で、弟子の気脈の向上を図る修業だ』

 おろおろと、いや、おそるおそるアリスは尋ねた。

『あの〜〜、それって、やっぱり』

『そうだ。裸になって抱き合う儀式だ』

 私の雫が、私の雫が、純くんとは言え、他の人と裸で抱き合うなんて〜〜!!

 うおおおおおおお〜〜〜〜〜〜!!!! 声にならない声をアリスは発すると、机の上のブランデーの瓶を思いっきり床に叩きつけた。

 ブランデーの瓶は砕け散り、執務室中に芳醇な香りが立ち上る。

 イメージ的には、頭から湯気をあげているアリスがぴったりな状況である。

 物音に驚いた警備のサーバントが執務室のドア開け、入ってきた。拳銃を構えている。

 執務室の状況を見て、銃を収めると、見なかったふりをして戻って行った。

 良く気のつくサーバントで、アリスは助かった。

 まあ、頭から湯気を出したようなアリスが、真っ赤になって肩を怒らせ、息をはあはあしていれば、誰でも部屋から出て行くものでは、ある。正直、相当怖い。

『落ち着いたか?』

 爆弾投げ込んだ本人が、さらっと言った。

 キッと顔を上げると、アリスは口をピクピクさせながら言う。リンクなので喋りはしないのだが。

『し、雫ぅ。その話、弟子入りの時、してない、よね』

『無論だ。してない』

 ぐあああああ〜〜〜〜〜!!!アリスは頭を抱えた。

『し、雫ぅ。私の気持ち、判るぅ』

『後から知るよりも、と思って今、伝えている』

『そ、それ、ぜっぜっ絶対やらないと、イケナイの!!」

『儀は行わなくては、修業にならない』

 アリスは、泣きだした。大泣きしている。こんなに壊れるアリスは、この数百年の中で、おそらく、無い。

『うええ〜〜〜〜ん。雫のばかぁ〜〜〜〜』

 しばらく、非常に気詰まりな空気が、多分、米国のファイブラインズ社のCEOアリス・ゴールドスミスの執務室と、日本の山奥の玄雨神社の稽古場に流れた、はずだ。

『で、ここからが本題なのだが、聞いてもらえるか。アリス』

 え、何? これだけの破壊力の爆弾投げ込んどいて、その上何かあるの。もう何この展開。やだ、あたし。

 こうなりゃヤケクソよ。

『聞くわよ!雫』

 なんとなく咳払いの気配がした。

『その儀なのだが、純の神への昇格の儀の後に、三人で行う事を提案したい』

 さ、三人でって。ナニソレ。

 アリスの中で、何かが弾けた。思考が一瞬停止して、すぐに回復する。

『今、一度に二つの提案したでしょ。それ、ルール違反よ、雫』

『判った。その件は謝る。しかし、これは両方の承諾が無いと、成立しない。そうでないと、純の神への昇格が出来ない』

 アリスは、はっと気がついた。神が三人、いや三柱になると言う事は。

 仲間が増えた嬉しさで、その事をすっかり忘れてた!!

 いや、本来ならそれは気がつくアリスだったが、雫の発熱事件、純のコード3の発動と、インタラプトイベント満載で、実務が溜まりに溜まり、そんな事を考えている暇が無かったのだ。

『つまり、同じ事、なのね』

『そういう事だ。…で、アリスはいつ、こっちに来られる?』

 アリスは、気がついた。あれ? これって、デートの口実を探す初々しい感じがぷんぷんするんですけど。

 仕返しだ!よし、弄っちゃおう。

『雫の発熱と、コード3に関わるもろもろの手続きで、2週間分くらいタスクが溜まってしまったの。消化するには、私の最大速度でも、一月半はかかるわ。その後ね」

 どうだ!うろたえろぉ雫ぅ!!!

『そうか、そうなると、前の話に戻るのだが』

 え、イヤな予感再び。

『肌合わせの儀を行わないと、修業が止まってしまう段階まで、あと二週間くらいだ。仕方ない、こちら単独で進めさせてもらいたい』

 いや〜〜〜〜〜〜〜!!!物凄い爆弾投げ返してきた〜〜!!

 アリスは机の上のブランデーを床に叩きつけようとして、ブランデーが無いのに気がついた。

 さっき投げつけたわ、ソレ!※@*※@*!!!

 アリスは心の中で、言葉にならない叫び声を上げた。

『大丈夫か、アリス』

 はあはあ。肩を怒らせ、息が荒い。

『大丈夫なワケ、ないでしょう!! あたし泣きたい』

『もう泣いていると、占いに出ている』

 ナニ!

 あ、雫、この話する前に、占いで相当戦略立ててんのね。としたら、本当に行けるタイミングも突き止めてる。

 アリスはサーバントリンクを呼びだして、タスクの確認をする。

 あ、二週間で終る。というか、行くくらいの時間が作れる。

 待てよ、ヘリポートの方は。

『ヘリポートの工事の進捗は、現場の人に聞くと、やはり二週間後だそうだ』

 雫ぅ〜、リンク以外で心読むのは反則よ〜。

『気にするな、アリス』

 は〜、そう言えば一滴の時に懲りたんじゃなかったっけ。雫相手に心理戦やろうとか、最大級の無駄だってこと。

 あれ?突っ込んでこないわ?

 なんで?

『ただ、道の方は途中までしか出来ないらしい。だからその』

 ん? なんだか様子がおかしいぞ。

『純にも説明する必要もあるから、初めて会った時のように』

 アリスは、ピンときた。

 そうか!そう言えば、暫くちゃんと会ってないし、場所もあそこだ、あの時を再現したいんだ!

『皆まで言うな〜!!判った〜〜〜〜!!それに今まで私の心をもてあそんだ事も、全部許してあげる!!二週間後ね。行く!!絶対行く!!例え大統領の葬儀が入っても必ず行く!!』

 この後、アリスが出発するまでの間、要人の警護が重要になったのは間違いない。

『それは大丈夫だ。何も起こらないと占いに出た。心配だから一滴にも占わせたが、同じ結果だ』

 雫、そうとう事前準備したのね。一滴まで動員するなんて。

 一滴。

 …あ!

 アリスはニヤリとした。私の仕返しは、一滴ちゃんがやってくれるか、やっちゃったんだ〜〜。

『分かったわ。詳しい日程は、後で送るから。…でも、一言いっていいかしら?』

 アリスは初めて、リンクの向こうで雫が弱っているのが判った。

『アリスが言いたい一言は判る。「一滴、やっておしまい!」だろう。それは既に一滴が承知している』

 うぷぷぷぷ。あったり〜♡

 アリスは、心の中で笑ったのに、つい、手を口に沿えてしまう。

『それと、来る時に純の医学的検査の資料を持ってきて欲しい。例の件もその時に説明する必要がある』

 別の爆弾、ではないが、大きい案件が来た。アリスは冷静さを取り戻した。根っからのビジネスウーマンである。

『あの件ね。そうか、確かに伝えないと、いろいろ拙いわね。分かった、資料作って持ってく』

『忙しいのに、済まない』

 少し間が空く。なんだか、もじもじしている雰囲気がアリスに伝わった。

『ええと、来てくれるの、嬉しい、ありがとうアリス』

 相当照れてる雫の声が聞こえてきた。

 これだ! これが一滴の仕業だ!ありがとう一滴、君は最高だ!

 アリスは思わず両拳を握りしめ、ガッツポーズを取ってしまった。

 そのあと、一滴が言わせた事とは言え、雫の言葉がじわじわ、来た。じわじわが血液に乗って全身に行き渡る。

『では、忙しい中、失礼する』

 まるで、雫は電話のようにリンクでの会話を打ち切った。

 執務室の外で警備するサーバントは、中から漏れでる雰囲気がくるくると変わるので、気が気ではなかった。

 がちゃっ。執務室のドアが開くと、緩み切った顔のアリスがスキップしながら出てきた。

「執務室の掃除、よろしくね〜〜♡ ちょっと休憩してくるから〜〜♪」

 スキップしながら去って行くアリスを見ながら、アリスの喜びが伝播して、自分も少し嬉しくなったサーバントであった。


「話終りました? 雫さん」

 耳を塞いでいた純が、雫に尋ねた。

 アリスと二人きりで話がしたいからと、純にリンクから外れてもらっていたのだ。

 まだ、イメージが上手く出来ない純は、耳を塞ぐという身体感覚を使って、遮断する方法を取っていたのだ。

「もういいぞ。純」

 耳から手を外すと、アリスの鼻歌が聞こえてきた。

 なんだったんだろう。

 雫を見ると、背を向けている。微かに見える耳の先が少し赤くなっているような気がした。

 純は、見てはいけないものを見ている事に気がついて、ささっと目をそらすと、「そ、掃除してきます」と言って逃げ出した。

 雫は、一滴に心の声で言った。

(い、言ったぞ。一滴、約束守れよ)

 一滴の心の声が雫に届く。

(はい雫さま。私の占い通りだったでございましょう。 これで私を夢に視る事なんてありません。夢に見るのは負い目と言う…)

(分かった、知っている、というか、お前の知っている事は私も知っている! 下がれ、一滴)

(承知しました雫さま。ご用の際はなんなりとぉ)

 と、語尾をやや伸ばして一滴の気配は消えた。

 気がつくと、雫も純がしていたように、両耳を手で塞いでいた事に気がつき、慌てて手を下ろした。

 一滴になんて、相談しなければ良かった!と雫は思った。


■アリス、奮闘す


 にやついたアリスの顔は、休憩後には元のビジネス然とした顔に戻り、雫に会えるという最上級のモチベーションの効果で、執務の処理スピードは、嫌が上にも速まって行く。

 元々神である彼女は数時間の睡眠で残り全部働いても、何の支障もないほどの精神力と体力を持っているのに加えて、それにジェットエンジンを搭載したような状態が、今のアリスである。

 タスクが瞬く間に消化されて行き、通常のプロジェクトでは、多分、いや、絶対に生じない、前倒しのリスケジュールが何度も繰り返される。

 爆音を上げてタスクを処理して行くアリスは良いのだが、スケジュール管理を行っているサーバントの方がダウンし、一時的な人員配置の調整などが生じ、アリスが詰めた時間が、結局元に戻る、という事態が生じるに到って、アリスは反省する。

「スケジュールは守らないといけない!例え速く終ってしまうとしても!もし速く終るようにするなら、それによって生じる負荷でのクリティカルチェーンを把握し、事前対処が重要です」とサーバントリンクに記録した。

 反省のしどころが、組織により負荷をかけている気がするが。

 きっと、日本から戻ったら、本格的な組織改革に取り組むに違いない。

 ビジネスの鬼は恐ろしい。


■純、修業する


 一方、玄雨神社での純の修業の方は、実に淡々と進んで行く。

 日が昇れば、起き、稽古をし、遅めの朝食を二人で作り、食べ、稽古をし、日が沈むと夕食を二人で作り、食べ、風呂に入り、寝る。

 夕食後、時折、雫はお酒を嗜む事がある。

 しんと静まり返った山奥の玄雨神社で、花鳥風月を愛でながら、雫は純米原酒に羊羹という、常人なら糖尿病になる組合せで、つかの間の時間を過ごす。お茶と和菓子で、純も付き合っている。

 一度、純は雫に尋ねた事がある。

「お酒に羊羹って、合うんですか?」

「日本酒は発酵度数が高い。辛めの酒は、甘いものが合う。ウィスキーとチョコレートなどがそうだ」

 あ、そうか。と純は思った。和菓子を切って食べる。

「昔からの作り方をする店が少なくなった。良い品が手に入り難い」

 雫は少し哀しそうに杯に口を付けた。


 食事の習慣は、雫が生まれた頃の一日二食となっている。

 一日二食と聞いて、純はちょっと不安になったが、同調の効果もあり、特に不自由はなかった。

 稽古の中には、古い巫術の本を読む事も含まれている為、昔の本の読み方を覚える必要があったが、純に書道のたしなみが有った為、和とじの古い書物をすらすら読めるようになるまで、それ程時間はかからなかった。

 舞いの稽古が終わり、気脈の操り方を覚える段階になる。

 この段階で、稽古は夜に行われるようになった。気脈零脈を見やすくするためだ。

「気脈と霊脈は、基本は同じ。同じ血液でも、静脈と動脈と言うようなもの。身体の外にあるものを霊脈。身体の中にあるものを気脈という。身体から出て行ったものも、しばらくの間は気脈と言う」

 雫はそう言うと、立って純に視せた。

 雫の足下から、青白い光が上ると、それは、身体の周りを巡り、扇に達し、扇から外へと流れて行った。そして、流れて行った途中で空気に解けるように消えて行った。

「視えたか」との問いに「青白い光が見えました」と答える純。

「身体に沿って動いた青白い光が気脈だ。そして、この辺りにうっすらと漂ったり集まったりしているのが、霊脈だ」

 と扇で虚空の一点を指し示す雫。

「視えるか?」

 必死に視ようと目に力を込める純だったが、何も見えない。

「…視えません」

 ふっ、と口元を緩めると、雫は言った。

「視ようと力を込めるほど、視えなくなる。むしろぼんやりと全体を眺めるようにした方が良い。視点を動かさず、眺めるようにすると視える」

 視点を動かさずにいるのは、人の本能に逆らう動作なので、純は初め少してこずっていたが、やがてコツが分かると、視える世界が少しずつ違って行く事に気がついた。

 場所によって、景色がゆらゆらと揺らめいたり、ぼおっとした青白い光が漂ったりするのが、視界の外側に感じるようになった。そこを視て見ようと視点を動かすと、それらはたちまち視えなくなる。

 コツが分かってきた。

「掴めたようだな」

 こころなし、雫も嬉しそうだった。

「では、先程の扇から気脈を飛ばすのをもう一度行う故、霊脈を視る遣りようで視てみよ」

 全く違って視えた。

 雫の足下の稽古場の下の方からぼんやりとした青白い光が集まって行くのが感じられ、雫の外側にもぼんやりとした青白い光を放つ気体の集まりが、揺らめいているのを、純は視て取った。

 さらに、雫の身体の中のあちこちにも、ぼんやりとした青白い光を放つ気体が、大小様々に視て取れた。

「身体の中で幽かに光っているのも気脈だが、これは操っていない気脈。それを集めて使う方法だが、これは最後の手段。万が一、霊脈が尽きた時のものだ」

 と言って、動かしてみせる。

 霊脈を足から入れるのを止め、身体の中のぼんやりとした気脈を、少し集め扇に先に乗せた。蛍のようだった。

「ここは、霊脈に満ちている故、身体から気脈を取り出しても、周りから容易く取り入れる事が出来る。大事ない。だが、霊脈が枯れている所でか様な事をすると、疲れて動けなくなる」

 気をつけろ、と雫は結んだ。


 ある程度、純が気脈、霊脈を動かせるようになった頃、ちょうど約束の二週間が過ぎた。


■約束の日


 その日、見慣れない垂直離着陸機が、玄雨神社の上空を通過すると、出来たばかりのヘリポートに着陸した。雫がアリスに頼んだように、そこにヘリポートがある事など、空から見なければ、おそらく誰にも判らないだろう。

 その後、妙な音が聞こえてきた。

 まるで時代劇で聞こえる、あの馬が走ってくる音にそっくりだった。

 雫と純は、稽古場ではなく、神社中央奥の部屋にいた。昔、雫が時の権力者と会う時に使った部屋だ。

 蹄の音は、階段の下で消えると、足音が響いてきた。

 中央右手の来客用の玄関で、バタバタと靴を脱ぐ音が聞こえてくる。

 さらにバタバタと足音が響く。

 襖が激しく左右に開くと、凄い勢いで乗馬服を着たアリスが飛び出してきた。大ジャンプだ。

「雫ぅ〜〜〜〜!!! 会いたかったよ〜〜〜〜!!」

 違うだろ、ソコ。あの時は、飛び込んでこなかったぞ、アリス!

 雫の眉がぴくぴくと動いた。

 雫はあの日を再現し、純に説明したかった。

 ふっ、と軽く息を吐きだすと、雫は仕方ないな、というしぐさで立ち上がった。

 そこに、アリスが抱きついてくる。抱き合うはずが、体躯の差が大き過ぎて、単なるタックルになってしまい、二人揃って倒れると、畳の上をしばらく滑べって行く。

 その様子を目を丸くして、ぽかんと視ている純。

 なんなんだ、コレ。

 誰でもそう思う感想を純は持った。

 あ、そういう場合じゃないと気がつくと、二人に近づいて行く。

「大丈夫ですか、雫さん! アリスさん!」

 二人は動かない。

 アリスの下から、雫の声が聞こえてくる。

「く、苦しい。アリス、どけ」

 アリスは言う事を聞かない。

「いやだ。ずっと待ってたんだから。今日が来るの」

 雫がそっと言った。

「おい、純が見ているぞ。順番が違う」

 ぱっと凄い勢いでアリスが雫から離れる。

「ごめん、ごめん。早く雫の所に行きたくて、勢いつき過ぎちゃった〜〜。あははは」

 巫女装束の襟を直しながら、フンと雫が鼻から息を噴きだした。怒っている。

「まったく、台無しだ。あの時は、きちんと襖を開けて、そこに正座して、挨拶して、近づいてきたら、あっ」

 雫の口は、アリスの口に塞がれて、雫は何も喋る事が出来なくなった。

「やめろアリス!本気で怒るぞ!」

 なんとかアリスから離れた雫がアリスに怒鳴る。

「あの時も、最後はこうなりましたあ〜。それに、私が抱きついて、抱き返してくれたのは、雫じゃない」

 歯がみする雫の顔が少しずつ怒りで赤くなって行く。

「ああ、確かにそうだ。だが、純が固まってるぞ!」

 アリスがそっと、恐る恐ると言った方がいいのか、首を回すと、目を見開いて、口元を右こぶしで隠すようにした、純が、確かに固まっていた。

「ええいもう!ゆっくり話そうと思っていたのだが、仕方ない。純、はっきり言う。私とアリスはそういう関係だ!」

 きゃあ、とアリスが囃し立てた。

「雫のカミングアウト〜〜〜!」

 雫は、ギリッと青白い眼光を発しながら、アリスの方を見た。

「ちゃかすなアリス!」

 本当は殴ってしまいたいのを我慢しているのか、雫の両拳がプルプルと振るえているの見て、流石のアリスも反省する。

「…ごめん、雫。でもほんとに会いたかったんだよ〜」

 しょんぼりしたアリスが、上目遣いで、身長差があるので、実際は違うが、そんな感じで言った。

「黙れアリス! もういい! それより純だ」

 さっきにもまして固まったいる。石化呪文かけられた勇者のようだ。

 雫は、純の前に正座すると、頭を下げた。

「お詫びする。大変申し訳ないまねをしてしまった」

 雫はギロリとアリスを睨むと、アリスも同じように正座して、頭を下げた。

「すみません。ごめん、純くん。許して」

 純は少しずつ身体が温かくなってきたのに気がついた。

 足下を視ると、両手を突いて頭を下げている雫の手元から、気脈が流れ、畳を伝い、純の足から身体に流れ込んでいるのが視えた。

 少し力を抜いて、純が言った。

「頭上げてください。雫さん、アリスさん。女神さま二柱に頭を下げられたままだと、ボクに天罰下りそうです」

 良かった、と、心の中で呟いて、雫が頭を上げた。

 少し遅れて、アリスも頭を上げる。

 さて、どうしたものか、雫が思案していると、純が聞いてきた。

「あの、さっきから言ってる『あの時』って何ですか?」

 ふっと力を抜いて、雫が言おうとする。が、アリスが先にその口を開く。

「あたしは、数百年に渡って、同族を探していたの。その時、日の本の国に、扇で突風を起し、敵軍を退け、不老不死の巫女がいるという文献をみつけた。嬉しかった。でも、文献の真偽が判らない。日の本の国に行って確かめたかったけど、その時この国は鎖国していて、出来なかった。もちろん、強引な方法を取れば、入国する事は出来るかもしれないけど、探すとなると、難しい」

 ふっと息を吐くアリスの間を、雫が繋いだ。

「それで、アリスは、列強を使い、日の本の国を開国に追い込む策を錬り、実行した。その結果どうなったかは、歴史の通りだ。そして、充分な準備をして、アリスはこの国に来た。不老不死の巫女の話を新政府に聞いたが、いっこうに判らない。上手く行かない。そしてたどり着いたのが、徳川家最後の将軍職、慶喜公だ」

 いきなり歴史の授業のような展開に、純が戸惑っていると、続きをアリスが話し始めた。

「古い話を知りそうな人物という意味じゃないけれど、明治政府より江戸幕府の方が、可能性があるかもと思って、で、最後の将軍に会ったのよ。あ、私が会った事や、列強動かした事なんか、絶対歴史の授業じゃ出てこないから。私の会社も、ネットで調べても絶対出てこないのとおんなじ。大事な情報は、簡単に見つからないのよ〜」

 だんだんと普段のアリスに戻って行く。

 こほん、と咳払いして、雫が続けた。

「慶喜公とは、とある件で文のやり取りをした事がある。もちろん、公は将軍職に着くにあたり、この神社を訪れ、私と会っている。だから、アリスが、不老不死の巫女と問えば、玄雨神社の玄雨雫、と答えただろう。そして、アリスを連れて、ここに来た。公と挨拶をし、公が帰られた後、待っていたアリスが、きちんと障子を開けて、そこ」

 と扇で示す。

「に座って、私に礼をし、丁寧に口上を述べた。そして、目を見た。私もアリスの目を視た。そしたらだ、いきなり抱きついてきた。驚いた」

 雫はむすっと黙り込んだ。

 アリスが話し始めた。が、どうも様子がおかしい。

「アリスは、アリスは、ずっと一人だった。何百年も、何百年も。必死に探した。同族を。仲間を。そして見つけたのよ! 目を見たら判った。この人が探していた仲間だって。同族の一人だって。嬉しかった。気がついたら、抱きしめていた」

 肩を震わせて、下を向いているアリス。畳に、涙の跡が付いていく。

 ふっと顔を上げると、右にいる雫に優しく抱きついた。雫は怒らない。すっと畳の上で身体の向きを変えると、アリスを優しく抱きしめた。

「そう。こんな感じだった。温かかった。嬉しかった」

 いつもの能天気なアリスからは、想像も出来ない、弱さをさらけ出したアリスだった。

 見れば、雫の目も潤んでいる。

 「私も嬉しかった。この世に同じものがいるとは思っていなかった。いや、思っていた。いて欲しいと。いつも、私の周りの人は次々に死んでいく。立派な人も、尊い人も。そして、私だけが取り残されていく。だから私も、アリスの目を見た時、判った。いや、感じたのだ。この人は、私と同じなのだと。人の目は、溜まった哀しみを映す。永く生きればそれだけ深い哀しみが溜まる。アリスの目を見て、私と同じ目だと、思った」

 雫は、ふっと抱きしめる力を緩めると、アリスから少し離れ、純の方に向き直った。

 すっと雫の背筋が伸びた気がした。

「ここまでの修業、見事であった。よく上達した、純。そなたの神としての資質、神と成るに足ると、玄雨雫は、巫術玄雨流当主として、いや、日の本の神として認める」

 アリスも身体の向きを純の方に向けた。が、まだ顔は下を向いている。

「ごめんね。純くん。見苦しいトコみせちゃって。ここで、この同じ場所で、雫があの時と同じ巫女装束でいるの見たら、もう、堪え切れなくて」

 アリスは、しばらく肩を震わせていた。

 顔を上げると言った。

「私、アリス・ゴールドスミス、ファイブラインズ社CEOとしてではなく、西洋の女神として、純くんを人から神に昇格する事を認めます」

 なります、と純が口にしそうになる直前、雫が厳しい口調で言う。

「純、神になると言う事の意味を説明する。少々感傷的な気分が多い状態だ。説明を聞いて、統べてに得心が行った場合のみ、神となる事を承諾すべし」

 純は、言いそうになった言葉を飲み込んだ。

「まず、どのような神になるかは、成ってみないと判らない。私のように不老不死になるか、あるいは、アリスのようになるか、不老不死の辛さは、先程、私が述べた通りだ。アリスの辛さはアリス自ら話してもらう事として、共通する問題がある」

 アリスが、口を開いた。

「私たち、血を飲むの」


■神の正体


 純は頭が痺れた。考えられない。

 雫が話す。

「その話の前に、純。実は君の性、正確には性別について、君の認識と身体に食い違いがある」

 えっ、と純が顔をあげる。

「純、君は、正確な意味では、男性ではない」

 言っている意味がしみ込むのに、数秒かかった。

「え〜〜〜〜〜!!!」

 玄雨神社御神体拝礼の間の空気が純の驚きの声で振動した。


 ひとしきり純の叫び声が収まった後、雫は何事もなかったかのように話を続けた。

「アリスの会社の医学検査の結果判明した所、君の体内に、女性器一式が胎児のサイズで存在する事が判った。同様に頭蓋内にも、吸収されかなり小さくなってはいるが、別の固体の脳細胞の固まりが見つかった。どうやら君は二卵性双生児で片方の女の胎児を取り込んだようだ」

 その後をアリスが、いつも間に取り出したのか資料を広げて説明し始めた。

「そうなのよ〜。ウチの検査じゃないと絶対判らないと思うけど、ほら、ココとココ。見つけた時は、ビックリしちゃった。これが拡大図ね。ちまみに、これが、女の赤ちゃんの。ほら、同じでしょ。で、この別の固体の脳細胞は、生きてて、あなたの神経ネットワークにリンクしてる。あなたの意識にも影響を与えてるの」

 純は広げられた資料を、目を皿のようにして見詰めるしかなかった。

 うそでしょう?

「信じられないのも無理はない」

 雫が優しく純を見詰めて、続けた。

「ただ、純が本来は女性である証拠がある」

『この声が聞こえるだろう』

 雫がリンクで純に話した。

『聞こえます。だから、ボクに神になる資格があるって』

「そうだ」

 話すのを肉声に切り替えて、雫は続けた。

「私とアリスは、神の為の資質について、長年、と言う言葉では表せないほど、協議した」

 アリスが話す。

「それでね、判った事があるの。まず、女性であること。もう一つが、さっき言った血を飲む事。ただ、この血を飲むっていうのは、一般に言われる吸血鬼とはかなり違ってて」

 雫が引き取った。

「初潮、生理、月のもの、で出血した時、血を飲みたい、という衝動に見舞われる」

 純は気がついた。雫が少し苦しげである事に。

 それに気付いたアリスが先を引き取った。

「飲む血は、人のものでなくてもいいの。生き血でなくてもかまわない。純くんの性別の話に戻すわね。純くんは、私たちとリンクができてるのに、男性。神の資質についての仮説が間違ってたのかな〜って思ったら、さっきの純くんの身体の事が分かって、それで、純くんの本来の性別は、女性だって分かったの。君の中の女性の脳が私たちとリンクさせてるの」

 雫がもう一つ、と言って話した。

「純、気脈が視えただろう。玄雨神社が女性だけの神社、と言う話は修業の時にした。何故か。女性、しかも、乙女しか玄雨流巫術師になれないからだ。そして、修業し純は才を示した」

 雫が少し厳しい口調になった。

「純が神になると、身体はやがて完全に女性になる。私たちと同じ女神になる」

 少し区切ると、少し優しい口調になった。

「神にならなければ、今のままだ。純、君は今でも半神なんだよ」

 純は怒濤の展開に、目を見張り、口を開いて聞いているしかなかった。

 これだけ、証拠を突きつけられたら、認めるしかない。

 神になると、女性になる。男から女に。

 あ。

 純は気がついた。

 純は、おそるおそるその事を尋ねた。

「と言う事は、神になると」

 その意味を汲んで、雫が言った。

「人としての神峰純は死んだ事になる。もうご両親とも、知り合いとも他人になる。例え会っても、別人だと思われる」

 アリスが優しく言った。

「辛い選択だと思う。だから、きちんと考えて、決めて欲しいの。純くん」

 雫が、固い口調で言った。

 その顔は何時にも増して、辛そうな、そして哀しく、苦しそうだった。

「神になり、女性になると、月のものが来る。出血した時、吸血衝動が起こり、人を襲うかもしれない。その悲劇を知っておいて欲しい」

 アリスは、雫がとても重い事を言おうとしているのに気がついた。

 雫は、すう、と息を細く吸って、言った。


「私は、これから『彦』について話す。良く聞いて欲しい」

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