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第27話 死に神 白鳥礫と鬼

 齢数百年にして政に関わり強大な巫術を使う不老不死の巫術師、玄雨雫。自称、日の本の国の神。

 そして、欧米諸国を支配する多国籍企業ファイブラインズのCEO、アリス・ゴールドスミス。彼女もまた自称、西洋の女神。

 新たに玄雨純となった灯。その灯と雫と前に、再び死に神白鳥礫が現れた。

■死に神からの願い事


「婚儀の際のお願いの件で御座いますね」

 境内の礫に向かって、雫が良く通る声で言う。

 純の婚儀の時、現れた彩雲。願い事有り、という意味の玄雨の古い貼付。雫はそれに承った、と虹で返した。

「ぁあ、相変わらず、玄雨(くろさめ)は察しが良いねぇ」

 そう言うと、(つぶて)は灯を見た。

「そこの娘を貸して欲しいのさぁ」

 雫は少しだけ、怪訝な顔をした。

 自分への依頼だと思っていた。それに、灯はまだ精神的な意味で幼い。純の時以上に師匠として弟子を守る、という意識が働いたのだ。

「事の次第によります」

 礫は、少し微笑んだ。

「説明するよぅ。東雲(しののめ)はしばらく鬼祓いはお休みなのさぁ。新婚早々コキ使うのは、流石に宜しくないからねぇ。なんだかんだ言っても、東雲が鬼祓い師としちゃ、一番腕が立つから、少々人手不足なのさぁ」

 鬼祓いの手伝いの依頼。

 確かに灯は「鬼」が見える。それに「鬼除き」も木札に鬼を封じる事もできる筈。玄雨流巫術にも熟達している。適任ではある。

 だが。

 雫は、泣き虫の灯の姿を思い出していた。反面、灯の成長に良いかも知れないとも思っていた。

「どうする、灯?」

 雫は灯に優しく声をかけた。

 灯ちょっとだけ思案したが、すぐに返事をした。

「判りました。お父さんとお母さんの役に立てるんですね。ボクお手伝いしたいです」

「助かるよぅ。その子は東雲の直系。鬼も見えるからねぇ。その上、玄雨流巫術の使い手だぁ。鬼祓いにはうってつけだと、見てたんだよぅ」

 雫が推察した通り、礫も灯をそう評価していたのだった。

「判りました、礫殿。ただ、その子はまだ、代替わりして間も無い。くれぐれも」

 雫は少しばかり念を押すように語気を強めた。

「承知しているよぅ。危ない目には合わせないさぁ。暫くウチで寝泊まりしてもらうけど、良いかい?」

 灯は雫を見た。その顔は、不安そうだった。

 純と離れたばかり。一緒に寝て良いと言って、まだ、一晩しか経っていない。

「申し訳ない礫殿。この子はまだ幼い。この子も『空の穴』が使える故、そちらの用事が終ったら、毎日、こちらに戻して頂きたい」

 その言葉を聞いて、灯はほっとした表情に変わった。雫は灯を見詰めると、優しく言った。

「灯。毎日、帰ってくるのを待っているから、安心してお手伝いしてきなさい」

 礫がふぅん、という顔をした。

「灯、と呼んでいるんだねぇ。ぁあ、確かに純ちゃんが二人だと面倒な話だ。じゃぁあたしも灯と呼ぶよぅ。良いかい?」

 どうやら礫は純の事を純ちゃんと呼び、すでに仲よくなっているようだ。

「はい、礫さん」

 雫が小さく咳払いをした。

「礫殿。二つお願いが」

「なんだぃ?」

「灯が居る所では、煙草はお控え頂きたいと」

 礫は灯をじっと見詰めた。

「成程、この子はまだ小さいからねぇ」

 礫は灯の本当の年を見取ったようだった。

「もう一つ、くれぐれも灯を春喜と純に会う事の無いようにして頂きたい」

 礫は少々判じかねるような顔をした。

「承諾したよぅ。大事な事なんだろうねぇ。親と合わせないように、と言うのは、なかなか重い約定だ」

 礫は灯の目を見詰めると尋ねた。

「それで良いんだろぅ?」

 灯はこくりと頷いた。

「礫殿、鬼祓いのお手伝いなら、灯に持たせるものが御座います。暫しお待ちを」

 雫は舞い舞台奥に消えた。戻ってきた時には、その手に何枚かの木札が載ったお盆を持っていた。

「灯、これを」

 灯は木札を受け取ると、巫女装束の懐に仕舞った。

「じゃ、行こうかねぇ。東雲のお休みはあと1週間だ。その間だけ、頼むよぅ」

「では、灯。夜見(よみ)に無しの扇を成すとしよう」

 と雫が「空の穴」で夜見へと移ろう様に灯に言う。だが、それを礫が止めた。

「たまには、あたしの術で飛んでみるのも、いいだろぅ?」

 灯が心配そうな顔で雫を見ると、雫は大丈夫だよ、という笑みで返した。

 礫は灯の手を取った。カン、と高い音が聞こえた気がした。

 灯は自分の身体が軽くなったように感じた。

「雫さん、行ってきます」

 雫がその声を聞いた時には、二人の姿は消え、上空に光る球体が小さくなっていく所だった。

「行っておいで。灯。帰りを待っているよ」

 雫は小さくそう呟いた。


■灯、空を飛ぶ


「こんな風なんですね」

 礫と手を繋ぎ、飛翔する灯が礫に言った。

「ぁあ、空を飛ぶ、と聞くと、横に移動すると思うだろうが、実際は上に跳んで、下に降りるだけなんだよぅ」

「ここ、相当高いんじゃないですか」

 夕闇が迫る空。灯の瞳に、丸みを帯びた地平線が映った。

「まだ空気がある所だねぇ。その上にも飛べるけど、空気が無くなると流石に面倒だからねぇ」

 周辺の空気毎移動してるため、高速で移動していても二人は普通に会話出来ていた。

 ぶるっと灯が身震いした。

「寒いかぃ?」

「少し」

「熱が逃げていくからねぇ。なるべく寒くならないようにしよう」

 灯は周りの空気が少し暖くなるのを感じた。

「飛びながら、熱を操るのは、少々厄介でねぇ。今はそうでもないが、急ぐ時、同時にやるのは苦手だよぅ」

 いつの間にか降下を始めた事に、灯は気がついた。

 地面が大きくなっていく。

「あの、礫さん」

「なんだぃ?」

「礫さんの巫術、教わっても良いですか」

 礫は少し思案顔になった。

「巫術にどん欲なのは悪くない。けど、お前の師匠は、玄雨だろう。勝手に他の術者に教えを請うのは、あまり良くないねぇ」

 灯はがっかりと当時に、身を縮めた。

 雫さんに悪い事をしちゃった。

「まぁ、お前があたしの術を間近で見て、勝手に覚えてしまっても、あたしは気にしないねぇ」

 え?

「それなら、玄雨の顔も立つし、お前が師匠から叱られる事も無いだろぅ」

 どうだい?という感じで礫は灯に顔を向けた。

 灯は、こくん、と頷いた。

「そろそろ着くよぅ。着地の時、衝撃は無いけどねぇ、慣れないと少し眩暈がするかも知れないねぇ」

 そう礫が言い終わると、夜見の前の路地に音も無く着地した。

 灯は少しだけよろめいた。転ばないように礫が繋いだ手をしっかりと握る。

「大丈夫かぃ?」

 灯は礫の方を向くと、「はい」と頷いた。


■夜見


 灯が着いたのは、礫が営んでいる店、夜見が入っているビルの屋上だった。

「流石に、いきなり通りに人が現れたら、おかしいからねぇ。ヘリポートみたいなものさぁ」

 空飛ぶ死に神のヘリポート、みたいなもの、らしい。

 ビルの屋上から、階下に下りていくエレベータの中で、表示を見た灯が言った。

「このビルも五階建てなんですね」

「このビルも?」

「雫さんがやっていた一六堂っていう骨董店のビルも五階建てだったんです」

「ふぅん。偶然の一致だねぇ。けれど、五と言う数字は、玄雨の者には縁があっても仕方ないかねぇ」

 地下一階に着いた。

「お前は初めてだろうけど、知っているかぃ?」

 エレベータの扉が開くと、通りからの階段を降りた所、夜見の扉の隣の場所が見えた。

「はい。お母さんから代替わりして、記憶を受け継ぎました。あ…でも…」

 灯の記憶は、父である春喜が関係している所は欠損している。そこは純が譲り渡さなかったからだ。

 そのため、夜見の場所は知っていても、その場所で行われた春喜のプロポーズを、灯は知らない。

「お前の禁忌、かぃ? 親と会えないのも、禁忌だからなんだろぅ?」

「…はい…」

 礫が扉を開けて中に灯を招き入れる。

「適当に座っておくれよぅ。ちょっと空気を入れ替えるからねぇ」

 礫が換気扇を回した。そして手首を返すと、換気扇とは別の空気の流れが生じた。

「煙草の匂いが染みついてるからねぇ。吐き出してるのさぁ」

 あ、雫さんとの約束。

「まぁ、あたしも煙草を吸うのは、嗜みみたいなものだからねぇ。無くても困らない」

 カウンター席にちょこんと座った灯に、カウンター越しに礫は話しかけた。カウンターに両肘を付くと、灯に顔を近づけた。

「なんでしょう」

 スツールのぶら下がる形の灯の足が、ぎゅっと縮まった。

「そう、畏まらなくても良いよぅ」

 ちょっと待ってな、そう言うと礫は、手早くロングドリンクを作った。

 ロンググラスにジュースが入っており、ストローが刺さっている。

「はいよぅ」

「あ、ありがとうございます」

 灯が口を付ける。オレンジジュースだった。

「おまえ、あたしが怖いかい?」

 え?

 灯は考えた。礫さんは死に神だけど、お母さんの守り神。死に神になる前の礫さんは、きっと怖い。ボクなんてすぐに殺されて血を吸われてたかも。でも…。

「怖くない、です」

「じゃぁ、緊張するかい?」

「…そうかも…」

「正直だねぇ」

 礫はふっと笑った。

「あ、あの。ボク、たぶん相当人見知りなんだと思います。今まで、あ、お母さんの記憶はあるけど、ボク自身の記憶は、その、そんなに長くなくて…」

「さっき気脈を読んだら、お前は、産まれて一月も経ってないみたいだったねぇ」

 そうかもしれない。

「どうも、とてつもない役目を負ってるように思えるよぅ」

 礫はカウンター越しに灯に顔を近づけた。

 灯は、礫に自分の代替わりの事を話した方が良いと思った。

「やがてお母さんが子供を産みます。その内の一人がボクなんです。時を戻って、今に来たんです。そしてお母さんの記憶を受け継いで、玄雨純になりました。だから…」

「東雲と会えない、か」

 礫は父親と会えない理由を理解した。記憶を共有する母と娘。その父親との危うい関係。

「けど、純ちゃんと会うのも禁忌なのはなんでだい?」

「ボクまだ幼いから、お母さんに会うと、お母さんの記憶に飲み込まれちゃうんです。そうすると…」

「東雲の事も流れ込んでくる、か」

 礫は、優しい笑みを浮かべた。

「お前も東雲の女方だ。あたしが守ってやるよぅ。心配はいらない」

 スツールの下の縮んでいた灯の足から余計な力が抜けた。

「泣き虫だねぇ」

 え。

 その言葉で、灯は自分の目に涙が滲んでいるのに気がついた。

「ご、ごめんなさい。…あ、ありがとうございます。…礫さん」

「ぃいよう」

 灯の頭を撫でると、礫は顔を灯から少し離した。

「さて、仕事の話をしても良いかぃ?」

「はい」


■鬼祓い


「まずは、あたしと一緒に『鬼祓い』をしに行くんだけどねぇ。この国の偉そうにしてる死にかけの爺さんの所へ。鬼を持ってきた木札に封じてごらんよぅ。やり方は、お前の母親が東雲にやってたのと大体同じさぁ。あれより、ずっと簡単だから。まぁ無いとは思うけど、何かあったら、あたしもこっそり手伝うからさぁ」

 灯はこくん、と頷いた。

「で、明日からなんだけどねぇ。次からは、明日来る奴らと組んで、鬼祓いをしてもらいたいんだよぅ。あんまりあたしが表立ってるのは、おかしいからねぇ。表向きは、あたしは鬼祓い師との繋ぎだからさぁ」

 灯はちょっと緊張した。

 明日来る人って。

「悪い奴らじゃないよぅ。まぁ、あんまり良い奴でも無いんだけどねぇ。灯に悪さをする奴じゃない事だけは大丈夫だよぅ」

 灯がほっとする気配を発すると、礫がおかしそうに言った。

「玄雨流巫術の使い手にしては、ほんとに人見知りだねぇ。正直、お前に悪さ出来る奴なんて、世の中にそうそういやしないよぅ。まぁ、そういう意味じゃなくても、悪さはしないさぁ。小さい女の子に甘い奴らだからねぇ」

 灯の目が興味を示した。

「それは、明日のお楽しみさ」

 礫がそう言った時、表通りに、車の止まる音が聞こえてきた。

「どうやら、死にかけの爺の迎えが来たようだよぅ」


 礫と灯は店を出ると、階段を上った。

 通りには、見るからに、そう、見るからに会社の重役とか、国の偉い人が乗るような黒塗りの大型車が止まっており、その車のドアの前には、黒目がね黒ずくめの男が一人立っていた。

 アリスさんの、みたい。

 灯はそう思った。

 でも、何か違うな。なんだか品が無い、感じ。

 灯が感じ取った通り、同じ黒ずくめでもアリスのそれより、少々柄が悪い様子だった。高圧的な雰囲気がある。

 礫が近づくと、男は車のドアを開け、灯を一別する。

「こちらの方は?」

「ぁあ、今日入りたての鬼祓い師だよぅ。腕はあたしが保証する。なにぶん入り立てだから、今日はあたしも同席させてもらうよぅ」

「畏まりました」

 礫に続いて、灯が乗る。男は、ドアを閉めると助手席に乗り込んだ。

 黒塗りの大型車は緩やかに発車した。

 灯は自分が緊張してくるのを感じた。


■ダイスと木札


 灯が礫を見ると、胸の辺りに気脈の丸い円盤が出来ており、それに、前の二人から伸びる線が繋がっている。

 あれ? これって。

 灯が礫の顔見ると、すっと微笑んで、そっと、水晶で出来たダイスを渡した。

 灯がそれを受け取った途端。

『そうだよぅ。玄雨流の読心の術、の型違いさぁ』

 礫の心の声が聞こえた。

『あいつら、灯があんまり小さいから、みくびってやがるよぅ。神様を見かけで判断するなんざ、流石に薬の付け所がないねぇ。まぁ陰山の爺の手下だから、こんなものかねぇ』

 辛辣である。

 灯もちょっと苦笑してしまった。お陰で灯の緊張が解けた。

『それを持ってたら、あたしに話しかけられるし、あたしの声が聞こえるから、何か有ったら呼べば飛んでいくからねぇ、そう言って、純ちゃんにも持たせてあるよぅ』

 文字通り、飛んで来るのである。正義の死に神が。

『あ、じゃあ。これ、お渡しします』

 灯は巫女装束の懐から、木札を取り出すと、礫に渡した。

『それを持って話したら、同じようにボクにも礫さんの声が聞こえます』

『玄雨の紋入りの木札だねぇ。ありがたく頂いておくよぅ』

 二人が声も出さずに微笑み合っているのがバックミラーに映る。運転席の男はその様子を怪訝な表情で見ていた。


 車はやがて、郊外の豪邸に入っていった。


■鬼祓いの儀


「ただいま! 雫さん」

 その夜、やや遅い時間に灯は玄雨神社に戻ってきた。

 灯の元気な様子に、雫の顔が綻んだ。

「おかえり。灯」

 雫は既に入浴と食事を済ませていたので、灯に風呂に入るように言った。

 灯が風呂から上がると、食事の用意が出来ていた。

 灯はいつもより多く食べた。黙々と食べる様子を雫は嬉しそうに見ていた。

 二人が寝床に入ると、灯は今日有った事を、雫に話し始めた。

 雫も大体の所はリンクを通じて知ってはいたが、灯から直接話を聞きたいと思っていた。

「礫さんと、車に乗って着いた先、お父さんに鬼を憑けるのを見せた家だったらしいんです。豪邸ですね。個人の家でこの神社と同じかそれより大きいくらいでしたから。その豪邸の奥の座敷に寝込んでる老人がいたんです」


『こいつだよ。死にそうなのは』

 広い座敷の中央で豪華な布団に寝ている老人は、憔悴し切っていた。

『改心した悪党?』

『ぁあ、そうとう悪夢を見たようだねぇ。まぁ、あたしのに比べりゃ、大した事ないけどねぇ』

 礫さんのと同じ悪夢見たら、普通の人なら1日で干からびちゃうよ。

 礫の悪夢。礫が殺した巫術師の視点で礫に殺される夢。礫でさえ、死にたくなるほどの悪夢。

 二人は臥せっている老人の左側の枕元に近い位置に座った。

 反対側には、車で助手席に乗り込んだ男と運転した男が座った。

『じゃあ、灯。頼むよぅ』

 灯は礫に頷くと、すっと立ち上がった。

「では、これより鬼祓いの儀を執り行いまする」

 黒ずくめの男達が、ぎょっとするように灯を見た。

 今まで小さい女の子だと思っていた者から、凛とし、威厳の有る声音(こわね)が溢れ出たからだ。

『ぁははは。人でさえ見た目で判断しちゃ間違うのに、神様相手にやるからさぁ。狼狽えてるよぅ』

『礫さん、人が悪いです』

 灯は懐から木札を取り出すと、臥せった老人の胸元に置いた。

「これより、『鬼』を取り出し、これなる木札に封印致しまする」

 灯はそう言うと、老人、また、その周りにいる黒ずくめの男達に鋭い視線を走らせた。

「決して身動きなさいませぬよう」

 老人も、黒ずくめの男も身を固めた。

 灯は扇をとり出すと、舞いを舞う。

 霊脈に乱れが生じ、その波及効果で電流に多少の揺らぎが生じた。

 部屋を照す照明が揺らいだ。

 臥せった老人と黒ずくめの男が何事かと、身じろぎする。

 素早く、そして、射ぬくように灯が言う。

「動きませぬよう」

『ぁはは。灯も相当人が悪いじゃないかぃ? 別に動いたって関係ないだろぅに』

『いいんです。ボクは莫迦にされても良いですけど、玄雨流が莫迦にされたままにしては置けませんもの』

『道理だねぇ』

 さらに灯が短い舞いを舞うと、灯と礫の目には、臥せった老人から鬼が出てきたのが見えた。

 灯はそれを認めると、水平に持った扇を静かに下に下ろす所作をした。

 鬼は木札に流れ込んでいく。

 すっと、両足を揃えると、灯は両手で扇を閉じた。

「鬼祓いの儀、終りに御座います」


「その後、また黒塗りの車で、礫さんのお店に送られたんですけど、助手席の黒ずくめの人。ちらりとも振り返りませんでした。礫さんが言うには、そうとうビビってるよぅ、って言ってました」

「灯も人が悪いな。だが、式には重みが必要なのは事実」

「礫さんもそう言ってました。鬼を祓っても、祓われた、と思わないと同じ悪夢を見るらしいって」

「真実に偽薬のプラシーボ効果」

「ですね。雫さん」

 効くと思って呑むと偽薬、つまり偽の薬も効果を現すのがプラシーボ効果。

 真実の技の効果を高める為の効果としてそれを使った、という事を言っているようだ。

 そうしている内、灯は寝てしまった。

 たった一日だが、ずいぶんと逞しくなった気がする。

 雫はそう思った。

 沢山の人と会ったのが良かったのかも知れぬ。

 灯に必要なのは、灯としての経験。

 雫は、今回の鬼祓いが、灯の成長の助けになると思った。


 これもまた、礫殿のご祝儀なのかも知れぬ。


 翌日の夕闇迫る頃、灯は「空の穴」で夜見へと飛んだ。


白猫(しろねこ)


 灯が夜見に現れると、カウンター席に居た細身で丸いメガネをかけた男が、目を見開いて灯を見ていた。

 カウンターの中の礫が、その様子を面白そうに見ている。

「ほらねぇ。驚くだろうぅ」

「聞いていたとしても、これは、驚きますよ。存外の怪異です」

「灯、こっちへおいで。紹介するよぅ」

 礫に呼ばれて、灯は男の隣に座った。

「こっちの娘は灯。時の女神、玄雨純さ。まぁ、灯と呼ぶと良いよ。女神の事はさっき説明したろ?」

 と、礫が男に灯を紹介した。

「で、灯。この男が今日、お前と一緒に鬼祓いをする白猫さ」

「白猫?」

 痩身長身。180センチは超える男の人が白猫って、妙なあだ名。

「ぁあ、名前が金白(かねしろ)(かのえ)っていうんだよぅ。物の見事に五行の『金』にハマってるからねぇ。四聖獣なら、白虎になるはずだけど、あたしも名前で言えば『金』、で、あたしよりお酒が弱いから、虎から一つ下がって白猫、という訳さぁ」

「この世に、そうそう姐さんより、酒が強い男は居ませんよ」

 庚がぼそりと言った。

「ぁははは。そうだねぇ。死に神より酒が強かったら、長生き出来るよぅ」

「冗談に聞こえません」

 また、庚がぼそり、と言った。そして、庚は灯を見詰めると、丁寧に頭を下げた。

「鬼祓い師、鬼斬りの白猫。金白庚です。よろしくお願いします。灯さん」

「…時の女神玄雨純の二代目の灯です。よろしくお願いします」

 灯もぺこりと頭を下げた。

 庚は優しい目で、その様子を見ていたが、急にメガネを外すと、おしぼりで眼を拭った。

「…どうしたんですか」

 灯の問いに、礫が応えた。

「こいつの事を説明しとくよぅ。本人からは言いにくいだろうからねぇ」

 礫は、いいだろぅ?白猫、と庚に聞いた。

 庚はおしぼりで目を押さえたまま、頷いた。

「こいつには娘がいたのさぁ。ちょうど、灯くらいの。かわいそうな事に、トラックに跳ねられて死んだ」

 言いにくい事をざっくりと、礫が言った。

「通学途中に歩道にトラックが突っ込んだんだ。トラックの運転手もその時死んだ。調べで超過勤務と判った。事故を起した運転手もまた、被害者だった」

 礫が真面目な顔をしている。少しばかり目が鋭い。

「人が死ぬのは、道理だが、幼い子供に死に別れた親の苦しみは深い。こいつは荒れて、ほとんど酔いつぶれた様になって、この店に入ってきた」

 庚が、おしぼりを目から離した。

「姐さん。後は自分で言います」

 礫は頷いた。

「私は、この店に来て、この礫さんに身の上を吐き出して、泣いた。泣いても、泣いてもどうしようもない。民事や刑事で何かしたって、娘が帰ってくる訳じゃない。だが、苦しみ、恨みをなんとかしたかった。そう言った。そしたら」

 庚は礫を見た。

「この世の悪党にお灸を据える仕事をしてる。手伝わないかぃ? と誘ったのさ」

 庚はふっと笑った。

「その時は、お灸を据える仕事なのかと思ったら、据えたお灸の後始末だった訳ですけどね」

 礫が薄く笑う。

「嘘は言ってないし、違いも無いだろぅ? 後始末しないと、きちんとお灸が据えられない」

 きっとこの人も、死に神の理を聞いたんだ。

 娘の本当の(かたき)は、そういう者だと。

 灯は思い出していた。礫が言った理を。

「高い地位に有り、その働きを怠り、人民を休らえず、私欲に走る、それを悪党と我は認むる。我、死に神の役目を持って、悪党に鬼を憑ける者なり」

 灯がそう言うと、礫は良く覚えているねぇ、という顔をした。

「灯は物覚えが良いねぇ」

「東雲の娘は、出来がいいんです」

「言うねぇ」

 礫は柔らかい笑みを浮かべた。

「本当に東雲さんの娘さん、なんですね」

「面白いだろぅ? 結婚する前に娘がやってくるなんて。だから、時の女神なのさぁ」

 だけどさぁ、と礫は庚に言った。

「有る意味、この娘も親と別れたばかりなんだよぅ。仔細有って、親とは会えないんだよぅ。父親とも、母親ともねぇ」

 灯の身体がほんの少しだが、ぎゅっと縮まった。

 それを見た庚は、無意識に灯の頭に手を載せると、撫でていた。

 手の感触に気がついた灯が、庚を見た。

 庚は自分がそんな事をした事に気き、手を引っ込めた。

「す、すみません。つい…」

「あ。気にしないでください。…その、嬉しかったです。ありがとうございます」

 少し赤くなりながら、灯は言った。嬉しかったのは本当だった。判ってはいても、納得してはいても、親と会えない事の辛さは、灯の心に突き刺さった棘だった。灯の目には、涙が滲んでいた。

「泣き虫なんだよぅ。灯は。でも、これは嬉し泣きだねぇ」

「もう、からかわないでください。礫さん」

 灯が少し頬を膨らませる。

 その様子を庚は暖い目で見ていた。


「さて、今日の仕事の段取りを説明しようかねぇ」

 礫が本題を切り出した。

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