第26話 巫術師 玄雨雫の涙
齢数百年にして政に関わり強大な巫術を使う不老不死の巫術師、玄雨雫。自称、日の本の国の神。
そして、欧米諸国を支配する多国籍企業ファイブラインズのCEO、アリス・ゴールドスミス。彼女もまた自称、西洋の女神。
中学2年生の神峰純は、こともあろうに雫が趣味で営む骨董屋一六堂に入って行った事から、二人に神の資質を見抜かれ、女神、玄雨純となった。
その純と春喜の婚儀の後、雫は灯と一六堂を訪れた。だが。雫の様子はいつもと違っていた。
■雫の想い
「客か。売り物なら無いぞ」
灯は、本来ならその声を、懐かしいものとして、そして、玄雨純の代替わり、最後の儀式として聞くものと察していた。
だが、灯も、そして、アリスでさえ、雫の悲しみに気がついていなかった。
この、悲しみに満ちた、雫の声を聞くまでは。
雫自身、その時が来るまで、全く気がついていなかったのだから。
雫は神として、人との別れを数多く体験し、乗り越えてきた。
今回、純は死ぬ訳では無い。神から人へと戻るだけだ。
だから、悲しい事は無い。
そう、雫は思っていた。
だが。
違った。
神と神の別れは、人とのそれとは、大きく異なっていたのだ。
仲間の一人が、リンクから外れる。
かつて、純が大気圏で消えた時、リンクが途切れた。
その時、雫は酷く狼狽した。
想えば、それ以上の事となると、気づいても良かったのだ。
そう判っていれば、心の準備が出来た。
純が、人に戻り、リンクから消えた時は、まだ、目の前に純がいた。
渡した木彫りの蛙で、話はできる、そう思っていた。
そして、灯を次の純として、迎え入れるため、初めて純と出会った一六堂に来た時、雫は気がついた。
もう、純とリンクしていないと。
自慢の弟子で。
いや。
雫にとっては、実の娘のようにさえ想っていた純が、もうリンクの中に居ない、と。
そう想っていた事さえ、リンクの中に居ないと気がついて、知ったのだ。
だから。
「客か。売り物なら無いぞ」
そういう雫の声音は、悲しみ満ち、酷く震えたものとなった。
■アリス
アリスも異常に気がついた。
しまった。
雫はこうしてリンクが切れた事、今まで無かった。
いつも通りだと想ってたけど、そうじゃなかった。
アリスは想い出した。
初めて、サーバントが死んだ時の事を。
アリスとサーバントもリンクを形成する。
そしてサーバントにも寿命が有る。
初めてサーバントが死んだ時、アリスは酷く悲しみ、苦しんだ。
それはまるで、心の一部に、そのサーバントとの思い出が有った分だけの、穴が開いたように感じる程に。
アリスは、それを繰り返し、耐性と乗り越える心を培っていった。
だけど、雫はそうじゃない。
これが初めての別れ。
それも。
アリスも気がついていた。
雫がどれほど純を大切に思ってきたか。
見てれば判るわよ。
本当に保護者だったもの。
本当の親子みたいだったもの。
その別れ。
アリスの実利的な心は、この後どうしたら良いかを、考えていた。
そして、既に、最善策は講じられている事に気がついた。
頼んだわよ、灯ちゃん。
■灯
灯は、雫の声の異常に気がつくと同時に、店の奥に駆けていた。
店の奥に、巫女装束で、ぼう然と立ちすくんでいる雫の姿を捕らえた。
灯は雫に抱きついた。
早く、早く、早く!
灯は祈った。
早くリンクが形成されて、と。
神の資質が純から灯に移った。
純はリンクから外れる。
そしてすぐに、灯がリンクされる。
だが、事はそう簡単では無かった。
かつて純が一六堂で雫と出会った時、既に純に神の資質はしっかり根付いていた。
アリスの代替わりの時は、神の資質は、「前のアリスの死」という強い圧力とでも言ったもので、速やかに次のアリスに定着する。
だが、純から灯への神の資質の移り変わりは、全く違っていた。
神の資質が、灯に根付くまで、リンクは形成されない。
灯は、自分の中の神の資質を、東雲の眼で、鬼を見る眼で見た。
そして、母、純の中にある、神の資質、鬼の痕跡を見た時を想い出した。
その違いが判った。
まだ、気脈に馴染んでいない!
弾けるように灯は雫から離れると、一瞬思案する。そして、短い舞いを一差し舞う。
それは、灯の持つ神の資質の持つ想いと、自分の気脈が同調するように、想いが同じになるように調整する舞いだった。
灯の身体が、一瞬、ふわっと輝いた。
雫は目を閉じ、その心で、リンクの中のかつて純が居た場所、純が居なくなって空白になってしまった場所、悲しみの原因の場所、その場所を見詰めていた。
こんなに悲しいなら、純を嫁に出すのではなかった。
こんなに苦しいなら、純と出会わなければ良かった。
雫が、そんな想いを抱きそうになる直前。
その、空白の場所に、純が現れた。
「…純…」
「ただいま、雫さん」
雫は目を開けた。
宙に浮いて、自分に抱きついている巫女装束の小さな女の子の姿が、雫の瞳に映った。
「遅くなって、悲しませちゃって、ごめんなさい。雫さん」
雫は、巫女装束の少女を抱きしめた。
「おかえり、純」
目から涙がこぼれ落ちた。
「ボク達の再会に、涙はおかしいですよ。雫さん」
雫は、巫女装束の小さな女の子を見詰めた。口元に小さな笑みが浮かんでいた。
「これは嬉し泣きだ」
そう言うと、雫は再び巫女装束の小さな女の子を抱きしめた。
「有り難う。純」
いつもの雫に戻っていた。
雫が抱きしめる力を緩めると、灯は、すっと一六堂の床に下りた。
■灯からのお願い
灯が口を開いた。
「あ、あの」
純らしくない口調に、雫は気がついた。
これは灯だ。
「お、お願いが、あるんです」
雫は優しく灯を見詰めた。
「なんだ、灯」
「…もう、お母さんの声が聞こえないんです」
灯の顔は今にも泣きそうになっていた。
「さっきまで、雫さんが心配で気が付かなかったけど、もう聞こえないんです。ボク、ボク…」
雫は、その聞こえなくなった理由と、灯が何を言いたいか、判った。
すっ、と微笑むと言った。
「灯、灯の時は、灯は私の娘だ。私の事を、雫母さん、と呼んで良い」
それを聞くと、灯の顔はくしゃくしゃになった。
叱られた子供のような泣き声をあげると、雫の足下にしがみついた。
そして、雫の目を見詰めた。
雫は優しく見つめ返すと、灯が言って欲しい一言を言った。
「今晩から、私の布団で一緒に寝よう。純がしていたように」
灯は、こくん、頷いた。
「では、灯。玄雨神社に戻ろう」
雫は無しの扇を玄雨神社に作った。
「はい。雫さん」
「空の穴」の舞いを舞う、灯を見ながら、雫は小さく呟いた。
「おかえり、純。ありがとう、灯」
■雫の間
一緒に布団に入ると、灯はやがて寝てしまったが、雫はまだ、目が冴えていた。
『やっぱり純くんね。いざと言う時の瞬発力は流石だわ』
アリスがリンクで雫に話しかけてきた。
『あのまま雫が悲しんでたら、世界が滅んじゃう所だったよ〜』
『心配かけた。灯のお陰で助かった。危うく、我を忘れる所だった』
『純くんと、一六堂で初めて出会うと、雫は毎回、いろいろあるわね』
『確かにそうだな、アリス』
初めて会った時は、『彦』が発動し、そして今回の出来事。
『それにしても、灯ちゃんがお母さんの声が聞こえなくなったって』
『理由は判っている。たぶん、純が春喜とキスした』
『え、それだけで!』
『春喜に手出しは成らぬと、きつく言ったのは、そのためだ。純と灯のリンクは、普通の親子より、細い』
『細い?』
『時を戻ってきたため、産んでいない親子関係だからか。気脈の繋がりが、そう、儚い』
『そうか。代替わりの儀を行って、ますます細くなっていたんだね。だから』
『アリス、灯の本当の年、幾つだと想う?』
『え? 現れた時、二才くらいだって、聞いたけど』
『時を遡って来ているから、正確な所は判らないが、おそらく、あの子を純は産んでいない』
『産んでいないって、だって、親子でしょう?』
『産まれる直前に、時を超えてきた。おそらく、時の流れの中で二才まで身体が成長したのだろう』
『産まれてない、…そうか。だから霊脈の胎盤が…』
『そうだ。現れた時、精神的にはおそらく産まれたばかりと大差ない。そこに、今は純の記憶が有る』
『しっかりしていたり、泣き虫だったりするの、しょうがないのね』
『今度、アリスの所に行ったら、アリスも灯のお母さんになって欲しい。あの子は、実の母と離れて、それこそ』
そこでいったん、雫は言葉を区切った。
『純がリンクはか離れて、悲しんだ私と同じくらい、そういう思いをしている』
『自分がそういう悲しい時、雫のために、何が出来るか考えて、行ったのね』
『そうだ、アリス。とても良い子だ』
雫は隣で寝ている灯の課を見た。
『だから頼む』
『万事アリスにお任せあれ。あたしも、あの子のママになってあげるわ』
『じゃあセリスは、お姉さんになってあげる!』
『セリスも頼む』
リンクでの会話を止めた。雫は灯の顔を見ていた。
すやすやと眠っている灯が、小さく寝言を言った。
「お母さん」
■アリスお母さん
『純くん、ちょっとこっちに来てくれる』
翌日、舞い舞台で、雫と稽古していた灯に、アリスがリンクで声をかけてきた。
『あれ? アリスさん。灯ちゃんて呼ぶんじゃないんですか?』
『いいのよ。やっぱりキミは純くん。灯ちゃんでもあるけどね』
灯が雫を見ると、雫は優しく頷いていた。
灯は空の穴を成すと、アリスの執務室に飛んだ。
灯が現れると、アリスが言った。
「あのね、灯ちゃん」
今度は灯ちゃん、だ。変なの。
「昨日、雫に頼まれたの。あたしも、そうした方がいいと思うから、そうするね」
いきなりアリスは灯に抱きついた。
だいたい身長が同じだから、小さい子がふざけているようにも見える。
「アリスも、灯ちゃんのお母さん。ママになってあげる。アリスお母さん、って呼んでいいよ」
くるりとセリスに変わった。
「セリスは、お姉ちゃんになってあげる!」
灯は暫し動きが止まった。そして、うわ〜〜ん、と泣き出す。しばらく嗚咽が続いて、それが収った。
すっとアリスに戻ると、灯を放した。
「ご、ごめんなさい。アリスさん。急に泣き出して。ボク、ボク」
「判ってるわ。泣きたい時は、嬉しい時でも、悲しい時でも、好きなだけ泣きなさい」
そう言うと、アリスは灯の頭を撫でた。
「…ありがとう…アリスお母さん」
「そう呼ばれるの、なんか、いいわね」
くるり、とセリスが出てきた。
「ママ、喜んでる!」
「セリスお姉ちゃん…ありがとう」
「セリス、今度の純お姉ちゃんも、大好き!」
セリスは灯をぎゅっと抱きしめて、ぱっと放した。
「もう、お友達ね!」
セリスの言葉に、灯は「うん!」と元気よく応えた。
■空の穴
すっとアリスに代わると、少し真面目な顔をした。
「ところで、純くん。これから作戦室に行くわよ」
ん? なんだか、この展開、前にも有ったような。
灯の顔にそれが出たのか、アリスがニッと笑った。
「ホントに記憶が移ってるのね。そう、『空の門』の時と同じ展開よ」
二人は作戦室に移動した。
これまた、いつの間にか、アリスは子供サイズの白衣に着替えて、マッドサイエンティストな雰囲気を醸し出す。
「雫に良いとこ取られたくないから、先に言うね。灯ちゃんが、雫押し出したの、こういう事かと、推理したの」
テーブル型PCに、CG画像が表示された。
「空の穴」と二人の人物。一人は空の穴に向き、もう一人はその後ろで、前の人を押す。
前の人物に後ろの人物の手形が付き、前の人が「空の穴」に触れ、「空の穴」と触れた人物が消える。
「今の手形が、灯ちゃんの気脈ね」
灯は、こくんと頷いた。
「『空の穴』を造った術者の気脈が付いていれば、その人は術者同様に移動出来る」
テーブル型PCに、もう一つの「空の穴」から現れた人物が表示された。そこには先程の手形は付いていない。
「そして、移動と同時に、付いていた灯ちゃんの気脈も消える」
灯はじっと、テーブル型PCを見詰めていた。
「これは仮説なんだけど、『空の穴』って、造った人の気脈が付いた何かを持っていたら、無事に抜けられるんじゃない?」
テーブル型PCに、術者の手形が付いた四角い物体を持った人物が、「空の穴」で移動する様子が表示された。
灯は思った。
前の時もそうだったけど、自分がやったコト、こんな風に説明されるのって、妙な気持ち。
前の時、というのは、結果的に「空の門」が出来てしまった、「空の穴」の実験の時、やはりアリスが純に説明した時の事だ。
『名推理だ、アリス』
リンクの雫の声で、アリスがふふん、という得意顔になった。
「やっぱりね! と言う事は、灯ちゃんの気脈を封じた木札を持っていたら、灯ちゃんに押してもらわなくても、『空の穴』抜けられる、と、アリスは推論するわ!」
灯がなるほど、という顔になった。
と言う事は。
その先を、灯が言いそうになる。
『灯、ここはアリスお母さんに、花を持たせてあげよう』
子供っぽく、実に子供っぽく、拳を握り、肩を怒らせ、アリスが文句を言った。
「って、雫ぅ。それじゃ、雫も灯ちゃんも判ってるってコト! あたしバカみたいじゃない!」
が、すぐに、したり顔になると、にいと笑った。
「ここまでは、二人も判ってる通り、例の『集霊くん』と『貯霊くん』で、『空の穴』を固定して、木札で移動。という実験。でもね」
そう言うと、テーブル型PCの上に乗っていた、高さ30センチ、幅30センチ、長さ60センチくらいの箱を持ち上げた。
すると、銀色の円筒が二つ現れた。円筒の上の面は、斜めになっている。
「これね、『合霊くん』。前の『集霊くん』と『貯霊くん』の合体版。その上、ご神体直した時のデータ使って、霊脈の貯蔵密度を大幅に高めた高性能小型版!」
アリスは円筒の一つを手に取る。小さいとは言っても、直径が20センチくらいはあるため、両手で持っている。
「これの上に『空の穴』を造れば、ずっと維持出来るのよ! で、これを、一六堂に置いておけば、純くん、あ、お嫁に行った純くん、灯ちゃんに会いに来れるでしょ!」
灯の顔が輝いた。
お母さんに会える!
■会えない理由
だが、その輝きは、すぐに消え、少し悲しそうな表情に変わった。
「ありがとう。アリスお母さん。ボクのために、考えてくれて…でも…でも…」
灯は涙ぐんでいた。小さな嗚咽で言葉が続かない。
『アリス。灯の為にありがとう。だが、灯は純に合う事は出来ない』
「えっ、何で! 春ちゃんに会わなければ良いんじゃないの!」
灯の嗚咽が収まった。
「…ボク、まだ、だめなんです。ボクだけの記憶が足りないし、まだ、心がしっかりしてないから。もし、お母さんに会ったら、お母さんの記憶に飲み込まれちゃうんです。そしたら、お父さんの事も流れ込んできて…」
アリスも判った。
アリスは灯を抱きしめた。アリスも少し涙ぐんでいる。
「ごめんね。灯ちゃん」
なんて悲しい代替わりなの。大好きな母親と別れて、いえ、違うわ。隠れていなくっちゃいけないなんて。
「…でも、アリスさん。ずっと会えない訳じゃないんです。ボクが成長して、自我がしっかりしていったら、会っても大丈夫になると思うんです」
灯はアリスから少し離れた。
「そしたら、使わせてください。それまでは、アリスさんが雫さんに会うのに使ってください」
灯はそう言うと、アリスにお辞儀をした。
「…灯ちゃん」
雫が良い子って言う訳、判る。ほんとに良い子。
「判ったわ。それまでは、あたしが雫と会うのに使わせてもらうわ」
アリスはちょっと間を置くと少し大きな声で言った。
「じゃあ、使う前に、最終テスト、開始よ! 灯ちゃん、これを玄雨神社に置いてきて。そしたら、灯ちゃんの気脈を封じた木札持って、こっちに戻ってきて!」
アリスがてきぱきと指示を出した。
灯は「合霊くん」を持って、玄雨神社に戻り、灯の気脈を封じた木札を持って、アリスの元へ。
木札を渡すと、「空の穴」舞いを舞う。
「空の穴」は、斜めになった「合霊くん」の上の面に接するように現れた。
「最終テスト開始!」
アリスは木札をモルモットが入ったケージに入れると、ケージを「空の穴」に押し込んだ。
ケージは消えた。
『アリス、こちらの「空の穴」から、ケージが出てきた。実験は成功だ』
『流石に今度は、別の時代の人は出てこなかったわね〜』
「じゃあ、灯ちゃん、『空の穴』の再セット、お願いね」
灯は再び「空の穴」を成す。
「これで、行きはあたしだけで雫に会いに行ける。ありがとう」
そう言うと、アリスは灯の頬にキスした。
「代替わりしても、やっぱり純くんは、あたしの女神さま。そして灯ちゃんは、あたしの大事な娘」
アリスは、再び灯を抱きしめた。
「…アリスお母さん…」
灯の目に、少しだけ涙が滲んだ。
■死に神、再び
「おかえり。灯」
実験が終り、灯が「空の穴」で玄雨神社舞い舞台前の境内に戻ると、雫が優しく声をかけた。
「ただいま、雫さん」
舞い舞台に上がった灯は、雫が静かに微笑んで、境内を見詰めているのに気がついた。
そして灯も、境内に人の気配がするのに気がついた。
灯が振り向くと、そこには死に神白鳥礫が立っていた。
「ぃよぅ、玄雨ぇ。話が有って来たよぅ」




