第10話 巫術師 玄雨雫と星
齢数百年にして政に関わり強大な巫術を使う不老不死の巫女、玄雨雫。自称、日の本の国の神。
そして、欧米諸国を支配する多国籍企業ファイブラインズのCEO、アリス・ゴールドスミス。彼女もまた自称、西洋の女神。
中学2年生の神峰純は、こともあろうか雫が趣味で営む骨董屋一六堂に入って行った事から、二人に神の資質を見抜かれ、女神、玄雨純になった。
アリスは、セリスという少女を雫の弟子に頼むと、帰っていった。セリスを指導する純。セリスが基本的な気脈霊脈の操作を覚えた頃、ある天体が地球に近づいてきた。
■ダイダロス接近
『やっぱり、あの天体、小惑星「ダイダロス」は、地球に衝突するのね〜』
雫が占った結果を聞いたアリスは、非常に危機的な事を、お気楽モードでこう言った。
『アリスの嫌な予感は、正しかった』
『ダイダロスちゃん、迷宮じゃなくて、混迷を作りにやって来ちゃったのね〜』
小惑星には、ギリシア神話に出てくる迷宮を造った工芸の名人の名前が何故か付けられていた。
ダイダロスが地球に近づいてきている事は、NASAを始め、各国の小惑星観測チームが報告していたが、衝突コースをとる可能性は、5%と、普通より相当高いものの、衝突する、という事は、ほとんどない、と報じられていた。
なんとなく嫌な予感のしたアリスは、衝突するかを雫に占ってもらったのだ。
アリスの「嫌な予感」は、ちょっとした裏付けがあるようだった。
衝突した場合の被害のシミュレーション結果を見るアリスの表情は、お気楽モードから真剣なまなざしに変わって行った。
『隕石で恐竜が滅んだ、という説があるけど〜、少なくとも、それくらいの影響が地球に起こりそうね〜』
それって、人類滅亡レベルじゃん!
リンクから漏れてくる会話の余りの非日常さに、玄雨神社の稽古場でセリスを指導している純の手が止まる。
『た、大変なコトじゃないですか〜』
『そうね〜。ホントは全員で、こっちの作戦室に来て欲しいんだけど、ダイダロスが来るまでには、まだ、時間があるから、資料もろもろは、純くんが、雫に例の目で見せてあげるとして」
例の目と言うのは、純が視たものを他の人にも伝えられる術の事だ。
『純くん、今からセリスを連れて、こっちに来てくれる。雫、いいよね〜』
雫は、占いに使った扇を仕舞いながら、稽古場にいる純とセリスに言った。
『純、頼む。もし、必要なら、躊躇無く、私を連れに戻って来い』
雫が日本を離れれば、世界秩序を保つための霊脈とのリンクが途切れ、経済活動への影響、紛争、犯罪の増加、果ては天変地異が起こる。だが、すでに事態は天変地異の段階にある。
純は、「空の穴」を開け、セリスと手を繋ぎ飛び込むと、アリスの執務室に出る。
「作戦室にいくわよ〜」
三人は作戦室に行くと、テーブル型PCにダイダロスの詳細データを見せた。
純はそれを「目合わせの術」で、雫にも見せる。
肉声とリンクを使った会議が始まった。
『迎撃、とかって出来ないんですか?』
と純が聞くと、アリスが既に検討したプランの一覧を表示させて見せた。
核ミサイルに因る迎撃、映画になったような工作チームを送って爆破するプランなどが表示させた。
どれも成功確率が低かった。
仮にダイダロスが数千の破片に分裂しても、そのどれかが地球に衝突すれば、多大な被害が出ると予測される程、ダイダロスは大きな質量を持っていた。
それぞれのプランを雫が占ったが、やはり、地球との衝突は避けられない、という結果になった。
作戦室の空気が重たくなっていく。純の手を握るセリスの手に力が入った。純が握り返す。
だが。
方法はあるか、という占いに、「ある」という結果が出る。
その時、純は思い出した、というよりも、追体験した。
純の乗る宇宙船を吹き飛ばしたアフリカから吹き上がった霊脈。
象徴としての奉られた太鼓が蓄えた霊脈が、純を見つけて、会いたさに放出した相当な量の霊脈の流れを。
「『龍巻きくん』が蓄えた霊脈を、アフリカの霊脈みたいにして、ダイダロスにぶつけたら」
アリスの目が光った。
『それ、良さそう。どう雫ぅ?』
日本にいる雫がリンク越しで答えた。
『アフリカの霊脈自体は、宇宙船を破壊していない。破壊したのは、吹き上がった太鼓の皮の破片だ。そのままだと、核攻撃と変わらないはずだ』
だめか。また重たい空気が作戦室に流れ初めそうになった。
『だが、その霊脈を使い、風の技に変えて行えば、破壊する事なく少し軌道を変える事は出来ると思う』
風の技。
気脈を飛ばし、風のように物体を動かす巫術。
『雫さん、風の技って、空気がないと使えないんじゃないんですか?』
純の質問に答えて、雫は説明した。
風の技は、空気を動かして、風を作るところから、その名が付き、その使い方が一般的だが、物質を動かす、という事では、直接対象の物体に風の技の気脈を当てる事で動かす事ができる、と。
『アリス、「龍巻きくん」にどれくらいの霊脈が溜まっているか、純に視せてくれ。それで、どれくらいの風の技の力が出せるか、占ってみる』
アリスたちは、「龍巻きくん」つまり、アリスの会社の敷地内を流れる龍脈から、霊脈を巻き取り、力場に保存する装置の所へ移った。
始めて視る膨大で高密度の霊脈、その荘厳な眺めに、セリスは圧倒された。
アリスも、また、視てみたいな〜、と心の中でちょっと思ったが、今はそれどころじゃない、と切り替える。
『どう、雫ぅ。これと同じ量の霊脈が、対になった方にもあるから、この二倍ある、という事になるけど〜』
龍脈を河とすれば、その川岸の両側に一対の「龍巻きくん」は配置され、稼働している。
雫は純を通して視た霊脈を元に、発生させる事ができる風の技の力の量を、占いを使い割り出した。
その運動エネルギー量を、アリスに伝える。
熱量に換算すると、検討したプランの核攻撃の数値に比べ、2ケタは小さい。
『核攻撃と違うのは、その運動エネルギー全部を、ダイダロスの軌道を変えるベクトルとして使える、という事だ』
アリスはその数値をサーバントリンクに伝え、ダイダロスの軌道を変えて衝突回避出来るかと、いつまでに行えば良いかを計算させた。
『雫ぅ、一週間後が、タイムリミット。そこで、計算したベクトルにダイダロスを動かせれば、衝突は回避出来るわ〜』
『こちらでも占って見た。事成らば、吉と出た』
『よ〜し、じゃあ、作戦名は「迷宮脱出大作戦」よ〜。雫ぅ、作戦の詳細、もう考えてあるんでしょ?」
アリスに促されて、雫はリンク経由で言った。
『その作戦を行うには、風の技を行える術者で膨大な霊脈をすべて「風」にかえる術者が二人、そして、風の向きを調整する術者が一人、必要だ』
そう言うと、雫は少し目を閉じた。
『アリス、これからセリスに風の技を教える。純と二人で二つの風を起し、それを私がダイダロスに導く。その時、純は私の「目」に成って欲しい』
『判ったわ』
そう言うとアリスは、セリスと目線を合わせるためにしゃがんで、両手を取った。
「セリス。これからまた、日本に戻ったら、とても厳しい修業をしなくちゃいけないと思う。がんばれる?」
セリスの顔に少し、できるかな、という思いが過った。
純がセリスの肩に手を置くと、ちょっと純を見た後、「うん。セリスがんばる!」と元気な声を出した。
「純くん、セリスをお願いね」
そう言うと、アリスはセリスを抱擁した。
■必要な修業
今までは、セリスの修業は、純が指導していた。指導する事で純の能力向上が図れるからだ。
だが、膨大な霊脈を風の技に変える事を教えるには、時が足りない。
それに、純もそんな事はした事が無い。
雫は、まずセリスに、風の技を教えた。
その後、セリスに心象による霊脈の操作を教えた。
心象つまりイメージによる霊脈の操作をセリスが習得する際、純にセリスと共に舞い、巫術でセリスに身体感覚を伝え、習得が容易なるようにサポートするように指示した。
「目合わせの術」、視た物を他の人に視せる能力を持つ純のサポート能力は、非常に高く、その効果もあって、セリスは瞬く間に上達し、「無しの扇」を使える域に達した。
純は、指導する力に優れている。
雫はそう思った。
セリスが心象での霊脈操作にある程度熟達すると、次は、雫の指示で同時に風を起す練習が行われた。
この時も、純の身体感覚をセリスに伝える巫術が、有効だった。
雫の指示で、純が行い、ほぼ同時にセリスが行うという段階にすぐに至った。
だが、完全に一致させるのは、難しい。どうしても、僅かに時間の差で、セリスが遅れてしまう。
雫は、少し思案すると、リンク経由でアリスに言った。
『アリス、純に話す段階だと、私は思う』
少しの間が空いた後、アリスの返事が届いた。
『そうね。……純くん、純くんだけで、私の所に来て。直接話したい事があるの』
雫は、純に近づくと、ゆっくりと抱きしめた。
「純、女神にも抗えぬ運命がある。アリスが話す時、この事を思い出して欲しい」
そう言うと、純を離した。
純が見た雫の顔は、真剣さと、そして、優しさと、ほんの少し、哀しそうな感じを漂わせていた。
純は、雫に言葉の意味を問いたかった。だが、それは、アリスの話しを聞けば判る、と察し黙った。
純は「空の穴」を開けると、アリスの元に向かった。
■アリスの秘密
アリスの執務室に着くと、アリスは純をアリスの休憩室に誘った。
そこは、まるでプラネタリウムのような半球型の天井を持った真っ白な部屋で、リクライニングできる椅子が一つと、その隣に、後から設置されたと思われる、同じような椅子がもうひとつあった。
アリスがサーバントリンクに指示すると、休憩室に海辺の景色が映り、波の音、時折、ウミネコの鳴き声が聞こえてきた。爽やかな夏の昼の景色だ。
執務に疲れたアリスが、リラックスするために用意された、高精度のヴァーチャル環境だった。
アリスは椅子に座ると、純にも座るように促し、純が座ると、話し始めた。
「あのね、純くん。純くんにセリスの事を話す時が来たと、雫が判断した。私もそう思う。これから、大事な事を話すから、良く聞いて欲しいの」
波の音が響く。微かに風が吹いて、アリスの髪をそよがせる。
「セリスはね、養女だけど。血のつながりがある。私が卵子を提供して、別の女性に産んで育ててもらった、私の子供なの。執務が忙し過ぎて、子育てが出来なかった。でも、子供は必要だった。だから、産んで、育ててもらって、数年前に養女にしたの。ようやく、あたしのことを『ママ』って言ってくれるようになったわ」
そう言うアリスの頬を、一筋の涙が流れ落ちた。
まるで死んだ子供の事を話しているみたいだ。純は妙な思いを持った。
「まだ、話していなかった事。あたしが死んで、生まれ変わること。どうやって記憶を受け継ぐか、受け継いだら、どうなるか」
純の心がざわついてきた。アリスが話す内容が、なんとなく良くない事だと感じた。
「アリスが死ぬと、その子孫の内、もっとも若い女性が、次のアリスになる。新しいアリスは、前のアリスの記憶とサーバントを引き継ぐ代わり、もとの人格を失い、前のアリスと同じになる」
アリスは、淡々と言った。アリスが目を閉じると、また、一筋の涙が、前通った涙の跡をつたった。
純は自分の頭が痺れるのを感じた。
それって。
「そう。私が死ぬと、セリスが次のアリスになる。そして、今のセリスの人格は、失われる」
波の音が響く。
純は、雫が言った言葉を思い出した。「女神にも抗えぬ運命がある」
「あ、アリスさんが死ぬと、セリスちゃんは、居なくなっちゃうって、ことですか」
純は動揺した。
「ひどい母親だと思う。産みもしない。子育てもしない。揚げ句に身体を乗っ取って、呪い殺してしまうなんて」
そこまで言うと、アリスは両手で顔を覆うと、泣き始めた。肩が震えている。
「あの子達、人格が消えていく時、決まって『ありがとう』って言うのよ」
それを聞くのがとても辛い、哀しい。
アリスは両手を顔の前から、膝に移した。
「雫は死ねない呪い。あたしは、子供を取り殺す呪い」
波の音が響く。
「純くん、あたしが死んで、セリスがアリスになっても、新しいアリスと、セリスと同じように仲良くしてあげてね」
この時になって、純はある事に気がついた。
「アリスさん、それって」
アリスは純の目を見詰めると、言った。
「あたしは進行性の癌なの。多分、あと1ヶ月くらいで死ぬわ」
波の音が響いた。
「あたしが死んだら、セリスが次のアリスになるけど、まだ、小さいから、しばらくは会社の対外的な執務は、サーバントが引き継ぐ。でも、意思決定はその代のアリスが行う必要がある。だから、あたしが死んだら、セリスは純くんとも、なかなか会えなくなる。あたしと雫みたいに」
純は、アリスの告白が心にしみ込むのに、時間がかかった。
でも、どうしようも無い事なんだ、と、純は思い込もうとした。
「ダイダロスのこと。純くんとセリスの技の同時性が問題になってるって、雫からのレポート読んだ」
純は急に現実的な世界に引き戻された。目の前の危機。
「作戦を決めた時、あたしは雫と純くんとセリスがリンクする必要があると思った。だから、サーバントにした」
女神化してから伸びてきた純の髪を風がそよがせる。
「だから、セリスはあたしを通じて、雫や純くんとリンク出来る。同時性の問題は、それで解決出来るはず」
アリスは、ふっと息を吐きだした。罪を告白するように。
「あたしが血を吸うと、吸われたものはサーバントになる。身体を乗っ取る前に、血まで吸って、ほんとうに酷い母親」
そう言うと、アリスは立ち上がった。
「あたしの話はこれでおしまい」
純はアリスを見上げた。
「アリスさん、ボク、あの…」
アリスは少し無理して笑ったみたいな顔になった。
「ありがとう、純くん。無理しないで。人も女神も出来る事をやるだけ。純くん、セリスの事、お願い」
そう言うと、アリスは休憩室を出ていった。
締めつけられるような想いを胸に覚えた純は、休憩室に投影された空を見上げた。夏の雲、日差しが眩しかった。
■雫、話す
「空の穴」で純は日本に戻った。
「雫さん、あの」
「純、混乱するのは判る。それに聞きたい事も。だが、今はダイダロスが先だ」
雫はそう言うと、修業の再開を指示した。
雫の指示が純に、アリスを介してセリスに伝わるようになると、程なく同時に行えるようになった。
次の段階は、実際に「龍巻きくん」が蓄えた霊脈のごく一部を使い、同時に風を起す、という段階になった。
ほぼ、本番のリハーサルに近い。蓄えた霊脈全部を使う機会は一度きりだからだ。
純とセリスは米国に行くと、それぞれ、対になった「龍巻きくん」の所に行った。
今回のテストで風にする霊脈は、分離された小さな力場に保存されている。
『純、私の合図で、霊脈を風に変えて真上に打ち上げて欲しい』
純は、分離され、力場に閉じこめられている霊脈に意識を集中した。
『今だ』
雫の合図で、「風」に変えて上空に撃ち出す。
まとめて言えば、それだけの事だが、実際にはそう簡単な事では無い。
純とセリスは、「風」に変える為の舞いを舞う。
純が地球に落下した時、リンク越しで舞いを伝えたように、雫は純とアリスに伝え、アリスはそれをそのままサーバントであるセリスに流す。
龍脈の対岸に設置された「龍巻きくん」の中で、純とセリスは、タイミングが完全にシンクロした舞いを舞った。
舞い終ると、力場に閉じこめられた霊脈が「風」に変わり、上空に打ち出される。
純は、セリスの気脈を感じ取り、セリスも同時に行えた事を知った。
作戦室でアリスは、テーブル型PCの画像を見ていた。
「空の穴」を通って、純がアリスの隣に現れた。テーブルPCの画像を視ると、それを「目合わせの術」で、日本の雫に視せた。
打ち上げられた二つの「風」となった霊脈は、純の目を通して視た雫の操作で、一つにまとまると、アリスの会社が所有する通信衛星の一つのにあたり、その軌道を変えた。
予定通りの軌道に修正された事を確認すると、アリスは伝えた。
『「迷宮脱出大作戦」事前準備完了〜。明後日、作戦開始。それまで各自お休み〜」
純は「空の穴」で独り日本に戻った。
雫が稽古場で座布団を敷いて座っている。雫の前に座布団があった。純はその座布団に座った。
純が聞こうとすると、それより先に、雫が口を開いた。
「私からも、話す事がある」
純は黙って聞く方が良いと思った。
きっと大事な話しなんだ。
「どうして、セリスを弟子にしたかについてだ」
純は思いもしなかった。セリスと仲よくなって、そんな疑問、僅かにあっても消えてしまっていた。
でも、雫さんは、よほどの事が無いと、弟子をとらない。
「私は純の行く末を占った。ちょうど、望が私の行く末を占ったように」
望さん。雫さんの事を我が子のように想った雫さんの師匠で、雫さんの初めての弟子。
「純が近い将来、死ぬ、と出た」
また、頭が痺れた。
「ただ、回避できるとも出た。私はその回避方法を占った。出たのは、巫術師が三人いる、という事だった」
も、もしかして。
「純が考えている通り。ダイダロスに対処するには、巫術師が三人いる。二人では出来ない。その時は、ダイダロスの事とは思わなかったが。巫術師があと一人、必要だ。そこで、私はアリスに相談した。事が事だけに、純には内緒で」
純は思った。
今聞いても、死ぬと出た占いの話は、頭を痺れさせる。内緒にするのは当たり前だ。
「そこで、アリスはセリスを巫術師にして欲しい、と頼んできた。次のアリスが巫術師になれば、アリスとしても好都合、という事もあるが」
雫は純の目をじっと、しかし、優しくみつめた。
「セリスに良い友達を作ってあげたい、と。純なら、セリスの良い友達になってくれるから、と」
純は、セリスとの修業や、純が舞いを舞った後、目を輝かせ、手を叩いて喜ぶセリスの姿、「純お姉ちゃん」と慕ってくるセリスの事を思い返した。
今まで黙っていた純が口を開いた。
「セリスちゃん、消えてしまうんですよね」
「今、アリスは、セリスと一緒に過ごしている。もし、作戦が失敗したら、親子で過ごすのは、これが最期になるからと」
一呼吸置くと、雫は言った。
「純にはつらい思いをさせた。妹のように慕ってくれるセリスと別れねばならない」
だが、と雫は続けた。
「アリスは、実の娘との別れを、何度も何度も、数え切れないくらい繰り返してきた」
でも、と純の心が反発する。
「神になれば、人よりも永く生きる。女神となった純の、これが初めての人との別れだ」
純は、背筋に何か電気のようなものが流れたのを感じた。
「昇格の儀」の前に、人との別れについて、聞かされた話だ。
そして、純はそれを受け入れて、神になった。
「女神にも、どうしようもない事が、あるんですね」
雫は少し下を向くと、頷いた。
純は肩を落とした。
■作戦開始!
アリスの命名した「迷宮脱出大作戦」の迷宮。純の心は、迷宮にとらわれていた。
セリスちゃんが居なくなる。アリスさんが死んで。
どうしようもない事は判っていても、心は堂々巡りする。
純は、作戦までの間を、舞いを舞って、気を落ち着かせようとした。だが、心は迷走するばかりだった。
しかし、作戦当日になると、不思議と心は静まっていた。
雫は、純の目を見て、純の心から、迷いが消えている事を見て取った。
純は、「空の穴」を開けると、「今出来る事をやってきます」と言って、消えた。
雫は扇を広げると、舞い舞台の中央に進んだ。
「純。私も私の遣るべき事をやる。『風』で必ず、軌道を変える」
純が執務室に着くと、しゃがんだアリスがセリスを優しく抱きしめている所だった。
暖い気持ちが通い合ってる、と純は感じた。
「純お姉ちゃんが来たわ、セリス。がんばってきてね」
そう言うと、アリスはセリスを離した。
「うん。ママ。セリスがんばってくる」
セリスは頬を紅潮させて、元気よく言った。
「純くん、セリスをお願い。頼んだわよ。地球の未来」
アリスは、立ち上がるとまっすぐに純を見詰めた。その瞳は澄んでいた。
純は、ふっと頬の緊張を解くと、笑顔を作った。
「任せてください。アリスさん。出来る事をしてきます」
そう言うと、セリスと手を繋いで、執務室を出ていった。
「頼んだわよ」
執務室のドアが閉まった後、アリスは呟いた。
作戦は、リハーサル通りに進んだ。
雫の合図で、純とセリスが対になった「龍巻きくん」の霊脈全部を風に変えて上空に打ち上げた。
心象での霊脈操作を充分に行えるようになっていた二人には、リハーサルの時の小さい力場の霊脈も、巨大な「龍巻きくん」の力場の霊脈も、同じように扱えた。
巨大な二つの「風」と化した霊脈が、上空に上がる。リハーサルと同じように、純は「空の穴」で作戦室に移動すると、テーブルPC越しに「風」を視て、それを雫に視せた。
雫は、二つの巨大な「風」を一つにまとめると、それをダイダロスに向かって動かす。
リハーサルどおりに作戦が進んだその時、純は、目の前の「風」が二つにぶれたように感じた。
この感じは。
リンクに固い雫の声が響く。
『運命の分岐点だ』
ダイダロスの軌道を監視していたサーバントが叫んだ。
「ダイダロス、存在位置が変わっています! 進行方向に対して垂直に地球の直径で8つ分」
地球上の全生命を滅ぼすのに充分な質量を持った小惑星の位置が変わった。
「軌道再計算の結果、地球との衝突は回避」
肩透かしを食ったような、そんな安堵を含んだ溜息が作戦室のあちこちで聞こえた。
ふと、気になった純は、テーブル型PCに表示されているダイダロスを視た。
確かに地球を通り過ぎていくダイダロス。
だが、その先でダイダロスが別の天体に衝突するのが視えた。
「ダイダロスが月にぶつかる!」
純は無意識に「視知の術」を使い、地球を通り過ぎたダイダロスが、月に衝突する未来を視たのだ。
純の声を聞くと、アリスは素早く指示した。
「ダイダロスと月の衝突回避限界時間、修正ベクトルを計算!急いで!」
純は、「視知の術」を続け、衝突後の未来を視た。
ダイダロスが月と衝突すると、月の一部を破壊し、残りの大部分の軌道を大きく変える。
もはや地球の衛星ではなくなった月は地球を離れていく。
月が無くなった反動で、地球で大地震が多発する。
だが、大きな問題はそれでは無かった。
純が、震える声で言った。
「地球が、凍りついていく」
地球は、絶妙な公転軌道によって、生命の有る惑星になった。少し太陽に近ければ、金星のような灼熱地獄になり、少し太陽から遠ければ、火星のように冷たい惑星となってもおかしくなかった。
ハビタブルゾーン。そういう奇跡のような公転軌道だった。
地球の公転軌道は、月の質量を含んで安定していた。
その月が失われる。
地球の公転軌道は変わり、火星の軌道に近づいてしまう。
その結果、太陽から受ける熱量が大幅に減り、地球は凍りついていく。
ダイダロスが月に衝突すれば、地球に衝突したのと同じくらいの大災厄を引き起こす。
そうなると、純は「視知の術」で知ったのだ。
「月衝突回避のためのダイダロスの軌道修正リミットは約15分!」
衝突回避のための計算を行ったサーバントが叫んだ。
ダイダロスと月の衝突を防がないと!
純は叫んだ。
『雫さん、ダイダロスを視ます。そこに風を』
雫の眉間にしわが寄った。苦り切ったリンクの声が戻って来た。
『遠過ぎる。到達までに時がかかる』
間に合わない!
作戦室の空気が凍りついていった。
これから引き起こる大惨事のイメージが作戦室の全員の脳裏に浮かぶ。
月の重力で僅かに持ち上げられていた地殻が、月の重力を失い大規模な地殻変動を起す。
それから生じる大地震。
そして、地球の公転軌道が変わり、凍りついていく地球。
ダイダロスが地球に衝突するほど劇的では無いものの、太陽からの熱を失い、次第に地球の生命の循環は損なわれ、そして、死滅していく。
誰も生き残れない。
作戦室に向かうセリスは、アリスからのリンクで災厄の事を知った。
『ママ、作戦失敗しちゃったの?』
『心配しないで。今、考えてるから』
『あと少しでそっちに着くよ。セリスもママのお手伝いする!』
『ありがとう、セリス。ママもがんばるからね』
だが、そう言うアリスも、打つ手が簡単に見つからない事を知っている。
せめて雫だけでも、雫と純くんだけでも助ける方法は無いかと、考えた。
だが。
自分だけ助かって、喜ぶような雫じゃないわね。
何か策は無いか、アリスは必死に考え続けた。
それは雫も同じだった。
何か方法は無いか、玄雨流巫術のすべてを動員して、何か出来る事は無いかと、考え続けた。
最後の最後まで、諦める分けには行かぬ!
必ず、打つ手はある!
玄雨神社、舞い舞台に正座した雫の額に滲む汗が、ゆっくりと流れていった。
ボクにやれる事、きっと何かあるはずなんだ!
純もまた、必死に考えていた。
純は心に風が吹いたような気がした。そして、既視感を覚えた。
宇宙からの落下中に「空の穴」を舞った時のように。
純の脳裏に、何かが煌めいた。
『雫さん、ダイダロスの前に、「無しの扇」を作って!』
雫はそれが正解だと、好手だと直感した。そして理由も聞かず、「無しの扇」を作った。
『出来たぞ、純!』
テーブルPCの映像越しに、純はダイダロスの前のある、「無しの扇」を視た。
すぐに、純は舞った。「空の穴」の舞いを。舞い終ったが、「空の穴」は作戦室には現れなかった。
現れたのは。
「風」の前と、もう一つは、ダイダロスの前にある、「無しの扇」の近くだった。
純は、テーブルPCの画像越しに「風」と「空の穴」、ダイダロスとその前の「空の穴」を雫に視せる。
『判った。純』
アリスは既に自分のやるべき事を知り、そして行っていた。
「純くん、修正ベクトルを表示したわ。雫に視せてあげて」
純は、テーブル型PCに表示された数値と図を視る。それを雫が読み取る。
雫は、「風」を「空の穴」に触れさせた。
すると、「風」はダイダロスの前に出現する。
必ず成す!
雫は純から送られる心象の中にいた。ダイダロスの前の「風」の後ろにいる心象の雫。その雫が扇を振る。
すると、「風」がダイダロスに向けて動き出す。
「風」は、ダイダロスに当る。
一瞬、作戦室と玄雨神社舞い舞台の空気が引き締まった。
直後。
「ダイダロスの移動ベクトル変化。軌道再計算。衝突コースから外れました!」
作戦室に歓声が湧き上がった。
アリスは純に抱きつくと、「純くん、あなたって!!」とキスの嵐。
駆けつけてきたセリスは、純に飛びついた。
「純お姉ちゃん! すごい!」
アリスがリンクで、一部始終をセリスに伝えていたのだ。
玄雨神社では、舞い舞台に正座した雫が、満足そうに微笑んでいた。
■代替わり
ダイダロスは無事通り過ぎていった。
元から、衝突コースとは報道されていなかったため、世界中の人々は、危機があった事さえ知らなかった。
「女神の仕事は、『事』を起す事じゃなくて、『事』を収める事。意外と大変で、地味な仕事なのよね〜」
純へのキスの嵐が収まった後、純が聞いたアリスの言葉だった。
大事を小事に、小事を無事に。
純は、この時、どうしてアリスがあれ程忙しいのか判った。
世界中で起こる、「事」を未然に防いだり、収めたりしているからだ。
世界に大きく干渉はしていなくても、細やかに、繊細に、細かいタイミングで干渉し続ける。
「これも全部、雫のためなのよ〜」
前に聞いたような事をアリスが言うのを聞いて、純はアリスが何故そうしているかを知った。
雫は、死を感じる事を極端に嫌う。純はその理由を知っている。
巫術で、気脈で、人の死を感じることは、単に映像で見るのとは違う。その人の思いも知る事になるから。
「セリスを一緒に連れていって」
純が日本に戻ろうとすると、アリスがそう言ってきた。アリスはセリスに「お茶をお願い」と遠ざけた。
アリスは、純の目を見詰めた。
「雫に占ってもらったら、私にはもうそんなに時間が無いみたい。あの子には、元気なママと覚えておいて欲しいの」
普通の人間なら、親の死に目には会いたいと思う。
だけど。
死ぬのはアリスさんだけど、消えるのはセリスちゃんなんだ。
消えていく最期の記憶に、元気な姿を残したい。
純は涙を堪えられなくなった。
「アリスさん!」
「ばかね。セリスが戻ってきた時、大好きな純お姉ちゃんが泣いてたら、セリス困って、泣いちゃうよ」
アリスはハンカチを取り出すと、純の涙を拭いた。
そこにセリスが戻って来た。お茶をアリスに手渡すと、「純お姉ちゃん、目が赤いよ」と心配した。
「作戦中、PCの画面とにらめっこだったからだよ〜」とアリスが誤魔化した。
「ふ〜ん」
「セリスちゃん、日本に戻ろうか」
「うん」
純が「空の穴」の舞いを舞うのを、セリスは目を輝かせて見ていた。舞い終ると、純はセリスの手を握った。
「じゃあ、ママ。セリス、また修業してきます」と言って、アリスにお辞儀した。
二人が「空の穴」に消えた後、アリスは小さく、「セリス」と呟くと、倒れた。
二人は「空の穴」を通って、日本の玄雨神社の境内に戻った。舞い舞台の前だ。
純が見ると、舞い舞台に座っている雫が厳しい表情をしていた。
純は何事かと、雫に問おうとしたら、セリスと繋いでいる手が急に重くなった。
慌てて純はセリスを見た。
セリスは目を閉じ、倒れかけていた。倒れなかったのは純が手を繋いでいたためだ。セリスの手は、暖かいものの、まるで死体のようだ、と純は思った。
雫が扇を振る。セリスの身体が、純のいる境内から舞い舞台へと運ばれた。セリスはそのまま舞い舞台に横たわる。
純は舞い舞台に上がると、雫に何があったのかと、聞こうとした。先に雫が口を開いた。
「アリスが死んだ」
純は衝撃を受けた。
だって、さっきまであんなに元気に。
「アリスは、鎮痛剤を使って、元気なふりをしていただけだ。ダイダロスを撃退するまで、ほとんど気力で動いていた。役目が終って、瞑った」
そうか。
ダイダロスが、地球を壊しても、壊さなくても、あの日が、作戦の前の日が、親子で過ごす最期の日になるって、知ってたんだ。
純は、溢れる涙を抑え切れなかった。泣く純を見詰めて、雫は言った。
「純。勘違いしている。純が別れたのは、セリスの方だ」
純の嗚咽が止まった。人の死とは違う事を思い出した。
ボクがお別れしたのは、本当は。
純は、眠ったように動かない、セリスをじっと見詰めた。
ぴく、とセリスのまぶたが動いた。
目を覚ましたら、もう、アリスさんになってる。
意外な事に、純の心は静かだった。
既に受け入れていた事を、純は自覚した。
セリスのまぶたが開く。
やがて、セリスが上体を起し、立上がり、純の前に来た。
純はゆっくりと言った。
「お帰りなさい。アリスさん」
純の顔は涙にぬれ、目は赤い。だが、口調はしっかりしていた。
そんな様子をアリスになったセリスは、不思議そうに見た後、こう言った。
「どうして泣いているの? 純お姉ちゃん」
正座していた雫が、片膝をついて立上がりかけた。目を見開いている。
セリスが純から雫に目線を動かすと、こう言った。
「慌てないで、雫。あたしはちゃんと、ここにいるから」
少しだけ間を空けた後、セリスが続けた。
「代替わりは終ったわ」
■奇跡
「あたしの記憶がセリスの中に移ると、今までだったら、セリスの人格は小さくなって、消えていく。その時、ほんのその一瞬、一言二言言葉を交わして、消えていくの。私がごめんね、って言うと、ありがとう、って言うの。そして消えてしまう、私の娘達」
だけど、と雫と純を前にして座ったセリスは、続けた。
「今回は違った。消えていかなかった。一緒にいられるの。あたしたち」
セリスは、胸が詰まったみたいに、涙を堪えているみたいに、震えた。
急に雰囲気が変わった。
「ママ。泣かないで。セリスも悲しくなっちゃう。みんな心配してるよ」
ほんとにセリスちゃんだ!
純は気がついたら、セリスを抱きしめていた。
「苦しいよ。純お姉ちゃん。あ、ママがお話があるって、代わるね」
すっと元の雰囲気に戻ると、話しだした。
「純くん。前にも話したけど、セリスはアリスになった。米国に戻って、執務を行わないといけない。だから、しばらくお別れになるわ」
そうだった。純はもう一つの現実に気がついた。セリスを離した。
「それについて、私から一つ提案がある」
雫が言った。その声音には、どことなく嬉しそうな気配があった。
「アリスが執務を空けるある程度の時間を作れば、その間、純が向こうに行って、セリスの修業を指導出来る。私は、純の目を通して、リンクで純を教えられる」
ただ、と雫は言いよどむ。
「向こうの霊脈の高い場所に、ここと同じ稽古場がいる」
セリスの様子がくるりと変わり、「あ、大丈夫。こことおんなじ建物、ママの会社にあるよ」と言った。
えっと驚く純。ちょっと片方の眉をあげる雫。
またセリスの様子がすっと変わった。
「へっへっへ〜〜。セリスがバラしちゃった〜。前に雫が始動式で米国に来た時、日本に返さない策の一つで用意したの〜。龍脈の近くだから、霊脈はたっぷりよ〜」
純は顔を輝かせると、セリスに抱きついた。いや、アリスにか。
「アリスさん、ありがとう!」
雫の片方の眉がピクピクしている。
「アリス! やはり引き留めを画策していたな!」
「ま〜い〜じゃない。結果オーライだし〜〜」
雫は、はあ、とため息をついた。
純はアリスから離れると、手で涙を拭った。顔から手が離れると、喜びに輝く純の笑顔が表れた。
むすっとした顔の雫の瞳に、その純の顔が映る。
雫の表情が、少し嬉しそうなものに変わっていった。




