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第1話 巫術師 玄雨雫と恋

■物語について


 この物語は、私たちがいるこの「時の線」とは、少々異なる「時の線」の物語。

 ああ、「時の線」は、この物語で出てくる用語でございましたね。 

 古いSFファンの方なら、パラレルワールド。最近のアニメファンの方なら、世界線、と言った方が通りが宜しいかも知れません。 

 多少、意味合いは異なっているとは存じますが。

■プロローグ


「客か。売り物なら無いぞ」

 奥の方からぶっきらぼうな声がした。

「へ?」

 ボクは思わず、間抜けな声を出してしまった。

 お店なのに売り物がない? 声の感じからすると若い女の人みたいだけど、この物言いは、おかしくない?

 祖父が骨董品好きだった関係で、そういうお店周りをするのが好きになったボクは、ちょっと出かけた先で、この一六堂という、五階建てのビルの一階にある骨董店を見つけた。そして、その扉を開けたら、さっきの言葉が飛んできたんだ。

 そう言えば、扉にぶら下がっていた「水曜営業」ってのもおかしいよ。1週間に1日だけの営業!?

「ここは、ほぼ、買い取り専門だ」

「ほぼ?」

「特定メンバーにのみの通信販売だ」

 なるほど、そういう店なのか。でも面白そうなものがいっぱいだよ。

「あのぅ、見ていっても良いですか」

「見せるだけだ。欲しくなっても売らない。万引きしたら警察には通報せず、ここで私が折檻する」

 相変わらず、若い女の人の声なのに、ぶっきらぼうな言葉。それに、言ってる事がなんか変だよ。「折檻」て、今どき使わないよ。そんなの。

「ま、万引きなんかしませんよ。ボク」

 その後を続けようとしたら、また、奥から声が飛んできた。

「ああ、判ってる。お前は真面目な中学二年生だ。視れば判る」

 え? ここ、陳列棚の裏だから、奥からじゃ見えないんじゃないのかな?

 確かにボクは中学二年生で、よく真面目な子って、言われるけど。だけど、真面目な子って、あんまり良い評価じゃないよね。

 見たって言ったけど、マジックミラーとか、防犯カメラとかがあるのかな。

 見渡したけれど、そんなものはどこにも見当たらないなあ。

「防犯システムは無いぞ。私自身が防犯装置みたいなものだから不要だ」

 どういう理屈なの!? とても勘のいい人なのかな。それとも耳が良いのかも。

 店の奥の方から、国会質疑特有の質問者の名前を呼ぶ間延びした声と、毒づくその人の声が聞こえてきた。

『世代重ねるたびに、劣化がすぎるぞ、新政府の政治家ども。此奴の曽祖父が占って欲しいと泣いついて来たのを思い出した。曾孫の枕元に立てと、占ってやるべきだった』

『雫ぅ、相変わらず手厳しいわね〜。今お店?』

『ああ、中学生が見物してる』

『ふ〜ん。追い返さないなんてめずらしい〜。機嫌が良いんだね〜』

『さっきまではな。アリス』

 何だか良く判らない会話が奥の方から、だと思うんだけど、聞こえてくる。ハンズフリーで電話でもしてるのかな。

 でも、言ってる内容が微妙に変だな。国会中継見て、突っ込んでるみたいだけど…。

 あれ? 今、陳列台の蛙の焼き物の目が動いた気がしたんだけど。そんなコト無いよね。5センチくらいの蛙の焼き物。他にも木彫りの蛙とか、蛙が結構あるなぁ。

 木彫りの蛙を見ていたら、その隣の鍬の刃に気がついた。

 鍬の刃って、骨董品にしては珍しい品だな。長い間使い込んだのか、鍬の歯は随分すり減ってて短くなっていた。

 ボクはその鍬をよく見ようとして、うっかり触って落としてしまった。

 慌てて拾う。

「すみません。飾ってあった鍬を落としちゃいました」

「鍬だと? まさか」

 ガタッと音がして、陳列棚の左側から顔を出したのは、あの声の人だった。

 やっぱり若い女の人で、きれいな長い今どき珍しい黒い髪をポニーテールにして、真っ赤な年代物の品の良い櫛を刺している。

 白いセーターに黒いパンツ、薄い黄色のベルトを締めて、何故か足袋に緑色の鼻緒の下駄を履いている。

 綺麗な人だな。と見とれていると、女の人は目を見開いたら、顔が真っ青になっていく。どうしたの!

「お前、すぐ帰れ。もう店じまいだ。は、早く帰れ」

「あ、あのう、コレ」

「いいから、帰れ!」

 背中を押されるように、追い出されてしまった。内側のカーテンが引かれて、照明が消えた。

 気がつくと、ボクは拾った鍬の刃を手に持ったままだった。


■雫、熱を出す


 私は、急いで少年を追いだすと、ふらつく身体を何とか動かして、店の奥の部屋まで来た。

 寝室は、骨董店の上の階にある。だが、とてもそこまで行けそうもなかったからだ。

 全身に鉛が詰まったように感じる。

 気力を振り絞って扇を一振りした。

 押し入れから、布団が滑り出し、なんとか寝床の形が整った。

 飛ばした気脈が乱れている。巫術が雑になっている。おかしい。

 何とか布団に入ると、次第に何も考えられなくなっていった。


■アリス、あわてて渡日す


 ファイブラインズ社の専用機の豪華な椅子にもたれ掛かっていても、アリス・ゴールドスミスは全くリラックス出来なかった。

 世界各地を市場とする重要な多国籍企業の株をかなりの比率で持ち、それらの多国籍企業を実質上支配しているのが、アリスがCEOを勤めるファイブラインズ社だ。彼女は社の株の95%を所有している。

 豪華な金髪のロングをアップにして、ビジネススーツに身を包み、一寸の隙もない。

 プロポーションはモデル並で、はっとする美貌の持ち主だ。

 彼女がこれほどの支配力を持った理由は、彼女が人ならぬ者だからだ。

 自称、西洋の女神。

 経済と軍事で世界を支配している。

「株価は許容範囲を超えての変動、犯罪数前日比の大幅増加。もう影響が出始めてる」

 そう呟くと、アリスは客室乗務員にワインを注文した。

「ま、着くまでには時間があるし、原因不明だから、対処の手も打てない。これが解決しないと、他の案件にも手が付けられない。それに、これ以上の緊急事態は多分、無い。つまり、ある意味、あたしのお休みタ〜イム♡」

 能天気特盛な独り言をアリスは言った。だが、その顔は強ばっている。

「何が起こったのよ」雫、待ってて。すぐ行くから。


 アリスが心配する雫。

 それは、齢数百年にして政に関わり強大な巫術を使う不老不死の巫女、玄雨雫。

 自称、日の本の国の神。

 二人の邂逅は、日本開国の頃に遡る。

 アリスは数百年を費やし同族を探していた。

 日本に不老不死の巫女がいる、という手がかりを掴むと、列強を操り日本を開国させ、見つけ出したのが、雫だった。

 それ以来、親友で盟友、自分の命よりも相手の事が大事という間柄だ。

 二人の間には、心を結ぶリンクが形成されており、いつでも会話が出来る。

 そのリンクが途切れてしまった。

 リンクが切れるという事は、雫の不調を意味する。

 雫の体調次第で、株価は乱高下、犯罪は増加、事によっては天変地異さえ起こりかねない。

 雫は巫術をもって、世界の秩序を支えている神なのだから。


 専用機が日本のとある空港に着いた。アリスは急いでタラップを降りると、今度は、米軍のヘリに乗り込んだ。

 ヘリは、またとある地方都市のヘリポートに着陸すると、出迎えている黒塗りの大型高級車にアリスは飛び乗る。

 雫が趣味でやっている骨董店一六堂の場所を決める時、最短で行けるように設定したのは正解だったわ♡と、少しだけアリスの気持ちは楽になった。

 黒塗りの車が一六堂の前に付くと、アリスは転げるように店の扉の前に走って行く。

「水曜営業」の札の下がった一六堂の扉に鍵を差し込む。急いで中に入る。

 中は真っ暗だったが、何にもぶつからずに、奥の部屋の戸を開けると、布団に入った人影がアリスの瞳に映った。


■雫、固まる


「雫、どうしたの!」

 慌てて部屋に入り声を上ずらせながら、アリスは雫に尋ねた。

 雫はその声で目を覚ましたが、まだ、眠りから完全に覚めていない。頭が朦朧としていた。

「アリスか。リンク出来ず、すまない」

 雫は上半身を起し、アリスの方を向いた。すると、アリスの目が見開かれて行く。

「雫! 若返りの時期じゃないでしょう! 少なくとも八才は巻き戻ってるわよ!」

 雫は、「んぁ?」と間抜けな声を出すと、近くにおいてある手鏡を取ってのぞき込んだ。

 そこには先日、少年を追いだした20代半ばの女性の姿ではなく、10代後半から終り頃の女性の姿が映っていた。

 それを見て、雫は少し眉をひそめると、のんびりと言った。

「良くないな、これは。貫録が無い」

 こんなに心配させて、急いで来たのに!

「そういう問題じゃないでしょう! 昨日から秩序係数が大幅に低下して、株価や犯罪数に影響が出てるのよ」

「すまない。熱が出たからだ」

 熱を出した?

 雫の言葉に、アリスのいらだちは立ち消えた。不老不死の雫が熱を出した、という異常事態に気がついたからだ。

「雫、熱出すなんて、何年ぶり?」

「前に熱を出したのは、たぶん三百年は、前と思う」

 雫はぼやけた頭を働かせてそう言った。

「そう言えば、よくいつもの上の階の寝室じゃなくて、ここだと判ったな。アリス」

 アリスは、じっと雫の瞳をのぞき込むと、心配で仕方のないのよ、という顔をした。

「雫の事なら、なんでも知ってるんだから。当然でしょ。それで、何が起こったの?」

「ほら、知らない事がある、アリス」

 寝ぼけた雫に、うっかり足下をすくわれて、アリスはつい、心配の余り声を荒げてしまった。

「あのね、雫、あたしは、雫の事、本ッ気で心配してるんだからね。こんなに心配になったのって、太平洋戦争中くらいよ!」

 雫はアリスを怒らせた事より、心配させた事が痛かった。

「すまない。あの時も体調が悪かったな」

 雫の謝罪の言葉に、怒り過ぎたとアリスは気が付いた。照れ隠しにふざけて言う。

「あ〜あ、いつからあたしは雫の保護者になったのかなぁ」

「おまえの国々がこの国を占領した時からだろう」

 頭がぼんやりしてきた雫は、普段なら上手く返す所を、妙に真面目に質問に答えてしまった。

 やっぱり雫の様子がおかしい。いつもなら、こんな反応、絶対しない。

 アリスは、異常事態を再認識した。

「今はその話止めましょう。何があったの?」

 雫は昨日の事を思い出そうとした。まるで霧の中で物を探すような感じを覚えた。

「昨日、客が来た。で、顔を見たら、ふらふらし始めて、寝込んだ」

 あのリンクで会話してる時の客か、とアリスは思い出した。

 気になる。

「どんな客?」

「真面目そうな中学二年生の男子。女装しても似合いそうな美形」

 アリスの脳裏に、雫の体調とは別の不安が芽生えた。

「何故、顔を見たら、熱が出たの?」

 アリスは出来るだけ、優しく聞いた。だが、何故か、口の端が痙攣していた。

「分からない。見た時、衝撃受けた。慌てて追い返した。寝込んだ。熱が出た」

 なんですって! 顔を見ただけで、雫がショックを受ける! 追い返す!

 アリスの不安は、大きく育って行った。

 何かを思い出したのか、雫は急にしっかりとした口調になった。

「彼奴が『彦』の鍬を持ったまま、追い返してしまった」

 雫は重々しく、まゆ根を寄せて言った。

「拙い」

 雫はまた、寝ぼけた口調に戻った。

「思い出したら、また熱が出てきた」

 アリスは、自分の不安が何に起因するか、冷静に調べる事にした。

 骨董店に入るんだから、趣味は骨董ね。雫と趣味が合う。趣味の合う美形の少年。顔を見るとショックを受けて、思い出だしても熱が出る。年齢差の帳尻を合わせるように、急に若返った雫。

 この条件を使い、アリスは自分の人生経験を、膨大にして豊富な人生経験を検索し、たどり着いた一つの結論に、アリスは打ちのめされた。

 アリスは、自分の頭がくらくらして来るのを覚えた。


 雫が、その美形の中学二年生に恋をした。

 あたしがこんなに、雫の事が好きなのに〜〜!!!


 アリスの両目が、ギラリと光った。

 その様子を見て、雫はけげんな顔をした。

「どうしたの? アリス? 目が怖いよ?」

 その少年の話が出てから、言葉遣いも少し変わってきたわよ。雫ぅ〜〜〜!!

 アリスは、ゆっくりと、雫に聞いたつもりだったが、微妙に音声が震えていた。

「ねえ…雫。…ちょっと聞きたいんだけど…」

 熱で寝ぼけたような雫の頭でも、流石にアリスのただ事とならぬ雰囲気を感じ取ったのか、こくり、と頷いた。

 アリスは、直球に聞いて、打ち返された時の自分のダメージを考え、外堀から埋める作戦に出た。

「その少年見て、どう思った?」

「美形だった」

 普段の雫なら、アリスの意図をくみ取り、余裕で危機回避する。

 だが、再度熱が出て上手く考えられなった雫は、見たままを言って、アリスの地雷を踏んだ。炸裂する。

「雫! その少年に恋しちゃったんじゃないでしょうね!」

 アリスのいきなりの怒気に雫は戸惑った。そして、アリスの発した言葉が染みこんでいくと、雫の心の底の何かが弾けた。

「こい? 恋! まさか!!」

 雫は驚いて立ち上がった。そして、自分がそんな事をした事に気がついて、狼狽えた。

 怪しい!

 その行動が、アリスの怒りの炎へ燃料投下、という事態を招いた。

「どうなのよ!その少年に恋してるの、してないの!」

 疑るアリスが畳みかけた。

「恋、恋、恋!私が、恋を!」

 目を見開き、頭を抱え、同じ言葉を何度か繰り返すと、雫は固まって動かなくなった。

 誤魔化そうったってダメよ。雫!

 アリスは、怖い目でじっと雫を見詰めた。

 だが、雫は固まったままだ。

 何の反応も無い。

 固まった雫とそれを睨むアリス。時が止まったような、重苦しい時間が過ぎていく。

 部屋の壁に掛けてある振り子時計のカチ、カチという音が異様に大きく響く。

 動かぬ雫に、アリスの心がざわめき出した。

 …あれ…? なんか様子、おかしくない?

 やがて、アリスの怒りは萎れ、代わりに不安が顔を出して来た。

 どうしよう。熱が出だけで、あれだけ世界に影響がでたのよ。

 このまま雫が固まったままだと、世界が滅びちゃうかも。

 そんな事より、あたしの雫が、こんなになったままなんて、嫌だよ〜〜〜!

 アリスは両手で顔を覆った。

「どうしよう」

 何か閃いた。思い出した。

 こういう時の非常手段。


■一滴、登場


 アリスは雫の耳元に口を近づけると、小声で呟いた。

「一滴をここへ」

 雫が、何かが切れるようにすとんと座ると、すう、と様子が変わって行く。そして雫の口が動いた。

 淡々とした声がその口から零れた。

「なにかご用でしょうか。アリスさま」

 アリスは、慌てて一滴に助けを求めた。

「一滴、雫が『恋』にまつわるトラウマで問題を抱えたの。お願い、助けて」

 一滴は、表情を変えずに言った。

「雫さまの状態をご確認致します」

 一滴は目を閉じた。アリスはしばらく待った。

 それにしては、長い。

「どうしたの?一滴」

 まさか、一滴でもダメ!?

 世界は滅亡なの!

 アリスが冷や汗をかき始める寸前、一滴が目を開け、話し始めた。

「雫さまに、完全に眠って頂きました。ご警護含め、よろしくお願いたします」

「わかったわ。ここに来る時に用意してたから大丈夫」

 雫が完全に眠ると言う事は、世界中の秩序の自然回復力が一時的とはいえ大幅に低下するという事。アリスはサーバントにトップレベルの警戒の指示を出した。

 骨董店の前に止められていた黒塗りの車の中、これまた黒ずくめで、黒メガネをかけたガードマン然としたお兄さん達が、弾倉の銃弾を薬室に送り込み、銃撃戦の準備から始まり、スクランブル発進する戦闘機、空母の移動、原潜の核ミサイル発射コード解除と、世界終末時計はキューバ危機と同程度になった。

「雫さまの恋の相手と間違えられたのは、美形の中学二年生ですね」

「そう」

 と、アリスは頷いた。

「その子に恋したの!って問い詰めたら」

「雫さまがお固まりになった」

 一滴は、いったん目を閉じ、すぐに目を開けた。

「判りました。アリスさまのご推察の通り、雫さまに『恋』という言葉にまつわるトラウマがございました」

 ですが、と一滴は続けた。

「それだけで雫さまが固まるとは思えません。他に何かご存知の事をお教えください」

 そうか。

 アリスは、事の発端である、リンクが切れた所から、熱を出して寝ぼけたような雫の状態を、一滴に話した。

「昨日から、ですね。承知致しました」

 そう言うと、一滴はまた目を閉じた。

 目を開けた一滴の眉間には、しわが寄っていた。

「アリスさま、重大なトラウマが発動しておりました。『彦』です」

 アリスは息を飲んだ。

 『彦』の鍬だ。

 大抵の事は、何でも話してくれる雫が、あの『彦』の鍬の事だけは、絶対に話さない。

 アリスの顔色が変わった。

「調べられないの、一滴」

 アリスの問いに、一滴はまた目を閉じる。

 目を開けた一滴は、扇を取り出すと、広げて畳の上に置いた。一滴が柏手を叩く。すると扇がひとりでに立上がり、風に舞うようにくるくると回転し、ぱたり、と倒れた。一滴はその様子を、鋭い目でじいっと見ていた。

 一滴は、それを数回、繰り返した。

 扇を仕舞うと、一滴はアリスに言った。

「『彦』ですが、申し訳ありません。防壁が固く、雫さまでないと読めないようになっておりました。ただ、相当昔の出来事に起因する、重大なトラウマである事だけは、判りました。幸いな事に、解決方法も」

 解決方法! やった〜〜!!

「で、どうするの!」

 アリスの問いに、一滴は、少々嫌な笑みで返した。

「アリスさまの罪を、雫さまに謝罪して頂きます」

 あたしの罪ですって。

「まず、アリスさまは、雫さまが恋などしていないにも関わらず、既に重度のトラウマで苦しんでいる雫さまに対して、新たに恋のトラウマを発動させ、耐え切れなくなった雫さまを固めてしまいました」

 その罪です、と言う一滴の目は鋭く光っていた。

「え〜と、それってしないと」

「世界が滅亡するやも知れません」

 と、一滴はゆっくりと言った。

「第七艦隊をもってしても、雫さまには傷一つ負わせられないと、アリスさまはおっしゃいました。その雫さまをこの状態に追い込んだのは、他ならぬアリスさまではございませんか!」

 アリスは、自分の為すべき事を知った。思い知らされた。

「やりま〜す。雫を疑った事、『恋』というトラウマを発動させちゃった事、きちんと謝りま〜す」

 しょげ返るアリス。だが一滴は更に不吉な事を言う。

「ですが、それは、第一段階」

 アリスは、一六堂に来て何回目になるのか、数えるのを止めた不安を覚えた。

「肝心の『彦』のトラウマが残っております。ただ、トラウマは解除出来ませんが、症状は解消出来ます」

 え!

 ここに来て、初めての朗報に、アリスの心に日の光が差し、瞳が輝いた。

「ショック療法です。『彦』のトラウマに別のトラウマをぶつければ、一時雫さまが大混乱致しますが、混乱で『彦』の発動条件が初期化されます」

 あれ?それって。

 一つの疑問が沸き上がり、それをアリスは一滴に尋ねた。

「もしかして、あたしの踏んだ『恋』は、ショック療法になる、とでも言うつもり?」

「大正解ですぅ、アリスさまぁ」

 一滴が天真爛漫な笑みを浮かべた。

 しまった。思い出した。前に雫が言ってたっけ。「しずく」と言う字は、雫と滴の二つがあって、私の裏面の一部、という意味で「一滴」と名付けたけれど、後から考えると「乾坤一擲」の一擲と音が同じだから、「一滴」を使うのは大ばくちだって。上手く行っても、使った側にも痛手があるかもと。

 さすが巫術の使い手で占いの達人、すっかり読まれてたよ。いたた。

 怒る気も失せて、がっくりとするアリスを、一滴は面白そうに見つめた。

「『彦』のトラウマと違い、『恋』のトラウマは、原因を聞いてあげると効果的です」

 もうすっかり一滴の毒気に当てられたアリスは、素直な口をきくしかなかった。

「判りました〜。聞きま〜す」

「私が消えて、雫さまがお戻りなりましたら、すぐに謝罪すれば、『彦』も含めて万事全快します」

 アリスがやった〜〜と言いそうになる寸前、一滴が恐ろしい事を言い出した。

「『彦』のトラウマを踏んだ少年が、あと一時間でやって参ります」

 アリスの動きが固まった。

「その少年の動向を占った結果です。私の占いの精度は雫さまとほぼ同じ。短期的な範囲で条件が良ければ、雫さまを上回ります。少年の件は確実です」

 なんですって〜〜〜!

 キラリとアリスの目が光った。アリスは手っ取り早い解決策を思いついたのだ。

 アリスは雫の為なら何でもする。その為に何度も歴史に残るほど、世界に干渉してきた。

 それを制するかのように、一滴が言った。

「アリスさま、その少年の暗殺は更にまずい事態を引き起こす可能性が高いです。『彦』を調べた際、『死』と近い位置にありました。『死』は雫さまがもっとも嫌われていらっしゃる事。その少年が死にますと、占った所、私の手に負えない事態となる、と出ました」

 一滴の手に負えない状態ですって!!

 もうこうなったら、一滴の策にすがるしかない。アリスは観念した。

「で、どうすればいいの?」

 一滴は、答えた。 

「その少年との再度の邂逅に、アリスさまもご同席頂き、雫さまを助けて頂きたい。これは私の願いでもあります」

 毒気の無い一滴の言葉に、アリスはちょっと驚いた。

「一滴、あなた意外といい子なのね」

「さて、どうでしょう。では、占いの結果を含めての策ですが、これは雫さまには秘密です」

 アリスはこくりと頷く。

「わかったわ」


■雫、回復する


 アリスは胸をなで下ろした。

 一滴から雫に戻った後、一滴言う通り『恋』について雫に謝罪したら、雫のパニックも発熱も収まった。

「私とした事が、恋と言われて血迷うとは」

 アリスは面目無さそうに、雫に謝罪の言葉を口にした。

「雫、ごめんね」

「もう言うな。それと、疑うな、アリス」

 雫はそう言うと、かなり険悪な目でアリスを睨んだ。

「もう言わない。雫の事疑わない」

 そう言うとアリスはオーバーにしょんぼりした。

「でも、なんでそんなに恋が嫌いなの?」

「占いをやると、かなりの割合で恋の占いになる。それを聞かされるのも、占った結果を言うのも、嫌で仕方なかった。だが、一番の原因は、朝廷占い方になった初めの頃の事。自分の色事とうとうと語り、私が赤くなるのを見て愉しむ輩がいた事だ! それも何度も何度もだ! 今、思い出しても腹が立つ!」

 そんな事があったんだ。

「雫をからかうなんて、途方もない命知らずね。ある意味尊敬できるかも」

 その頃の雫だったら、初々しいだろうな〜、弄ってみたいな〜、というのが顔に出たのか、ギリッと雫に睨まれて、アリスはぺろっと舌を出して誤魔化した。

「で、どうしたの?」

「詳しい事は省く。策を錬って、帝に文を書いた。そしたら、そやつ遠方に飛ばされた。スッとした。そういう訳で『恋』という言葉が嫌になった。それをアリスに言われ、血迷った」

 そう言った後、思い出したように雫は言った。

「一滴が言っていた。『雫さまの仕返しは、私が過分に致しましたので、どうぞアリスさまをお責めにならぬよう』と」

 雫はアリスをじっと見て優しく聞いた。

「そうだったのか、アリス?」

 アリスが、ちょっと恥ずかしそうに、こくん、と頷いた。

「一滴がおそらく、無礼をした。すまなかった、アリス」

 あれは、もろ刃の剣だ、と雫は続けた。

 確かに良く切れる。

 アリスも思った。ホントにこっちも切られちゃうけどね〜。

 雫は、アリスを見詰めると、言った。

「いろいろ有ったが、熱も下がった。これもアリスが来てくれたお陰だ」

 アリスに向かい、頭を下げる。

「ありがとう」

 滅多に聞かない、雫からの感謝の言葉に、アリスは舞い上がった。

 ひゃっほ〜雫ぅ〜〜!

 アリスが雫に抱きつこうとした、その時。


「あの〜」

 骨董店の扉の向こうから、呼ぶ声が聞こえた。

 来た。アリスは身構えた。


■少年、到着する


 アリスは一滴の言葉を思い出すと、骨董店の入り口に向かおうとした。

「雫さまは、『彦』の鍬を見ても、あのような動揺は致しません。とすれば、今回の動揺の原因は、『彦』の鍬とあの少年を同時に目にした事となります。少年は『彦』の鍬を返しに来ますから、アリスさまは、少年から『彦』の鍬を取り上げて、雫さまの目の届かない所にお仕舞いください」

 ところが、元気になった雫が、「自分が出る」と行こうとする。

「昨日来た中学二年生だ」

 これは拙い。

 アリスは慌てて言い繕った。

「ダメよ雫。年が八つは巻き戻ってるんだから、とても説明できないわよ。それに病み上がり。ここはあたしが対応するから、休んでて」

 判ったアリス、と雫は納得した。

「とにかく寝てて、骨董の事とか分からない事とか出てきたら、リンクで聞くから」

 雫が布団に戻ろうとするのを確認すると、とにかく急いでい入り口に向かった。

 なんでこんなに危機が続くのよ!

 入り口に着くと、問題の少年が隙間からこちらを伺っているのがアリスの目に映った。

 そうか、店に入った時きちんと扉を閉めていなかったから、少年は店が開いていると判って声をかけたのか。

 自分の行動まで一滴の占いに読み込まれたような感じがして、アリスはぞくりとした。

「こんにちは。あのう、昨日来た中学二年生ですけど」

 扉を開けるとアリスは素早く言った。

「はい、知ってるわ」何しに来たのかもね。

 昨日来た中学二年生の少年、神峰純は、急に目の前に現れた金髪美女に、簡単に言うと、ビビった。動きが固まった。

 モデル級のプロポーションの上、身長も百七十五センチでピンヒールを履いているから、百八十五は超える。

 当然、身長百五十二センチの純は見上げる形になった。

『雫と同じくらいの身長ね。いや、雫の方が少し小さいか』

 アリスの心の声が、リンクに漏れた。

『前から言おうと思っていたが、アリス。私が生まれた頃は、普通の範疇だ』

『雫、ごめ〜ん』

「あの〜」

「あ、何のご用かしら?」

 うっかり雫とのリンクを通じての会話で、アリスは少年の事を失念してしまった。

「僕、昨日コレ持ってて、その、そのまま外に出されたもので。お返しに来ました。今日、開いてて良かったです」

 純が『彦』の鍬を取り出すと、アリスは素早く、可能な限り素早くバッグに仕舞った。

「ありがとう。それ雫が大切にしているものなの。返してくれて感謝するわ。あ、自己紹介がまだだったわね。私はアリス」

 習慣でアリスは握手を求めた。

「僕、神峰純です」

 純はおそるおそる手を握った。

 ちっちゃい手。かわいい。

「昨日のお姉さん、雫さんって言うんですか。綺麗な人ですね」

『私の事を綺麗と言っても、先程の様に嫉妬はするな』

『分かった、分かった。お願いだからゆっくり寝てて』

 慌ててアリスはリンクで返事をした。

「あれ、もしかして、ア、アリスさんて、昨日、その、雫さんと電話で話してた人ですか」

「そう、昨日ちょうど君が来た時、…聞こえた?」

 アリスの目に鋭い光が宿り始めた。

「あ、すみません。盗み聞きするつもりは無かったんですけど、大きな音だったので。すみません」

 純はペコリと頭を下げた。

「雫さん、寝てるんですよね。お大事にって伝えてください。昨日、顔が真っ青でしたから。じゃ、ボク、これで帰ります」

 アリスと雫の目が同時に見開かれた。周辺の空気が張りつめて行く。

 帰ろうとする純の前に、黒塗りの車の中から降りてきた、黒ずくめの男達が立ちふさがった。

「緊急事態ですか?アリスさま」

「コード3よ」

 黒ずくめの男達が、ひるんだように、純から少し離れた。

「君、悪いけど、ちょっと店の中に入ってくれないかな。大事な話があるの」

 急に態度の変わったアリスと黒ずくめの男達に囲まれて、純は骨董店の中に入って行った。

 店内には灯が点いていて、腕組みをして仁王立ちした雫が待っていた。

 純は雫の姿を見て、何か少し昨日と違うな、と思った。だが、そういう事ではないなと気がついた。

「あ、そうか。妹さんですね。こんにちは」

『まあ普通そう思うわよね』

 リンクでアリスはそう言った。

『この声が聞こえるか?』

 問いただすように、雫はリンクで少年に聞いた。

「? 聞こえます。あのー、ボク何か失礼な事しましたでしょうか」

 純はつい、丁寧な言葉遣いになった。

 雫が、さらに聞いた。

『口をよく見ろ。動いてるか?』

 初めて純はおかしな事に気がついた。

 なんで、口が動いてないのに、声が聞こえるの!

 常識外の出来事に、純は骨董店を出たいという緊急回避の本能に従った。

 だが、逃げ出そうとして、真後ろにいたアリスとぶつかり尻餅を着いてしまう。

 そんな純を見下ろして、アリスが言った。

「神峰純くん。奥の部屋に行こう」

 このシチュエーションは、絶体絶命の危機のパターンだ!

 純の心は不安でいっぱいになった。

 アリスに促され、純は雫が寝込んでいた部屋に入る。

「お邪魔します」

 ほう。こんな状況なのに、礼儀正しいとは、今どきめずらしい。

 雫が純を観察する。

 昨日は何故動揺した? 今はなんともない。綺麗な顔をしているが、それだけだ。

 それよりも、とアリスが目で催促した。

「昨日は慌てて追い返して悪かった。『彦』の鍬を返してくれて、ありがとう。心から感謝する」

『うわ〜、雫から心から感謝するとか、異例中の異例だわ〜』

 珍しい雫の言葉に、緊急事態にも関わらず、アリスの能天気モードが顔を出した。

『うるさい、アリス』

 純は耐え切れなくなった。

「あの、ここ宇宙人の秘密基地で、あの黒ずくめの人達はメンインブラックで、あなた達は宇宙人で、テレパシーで会話してるとか。この事は誰にも言いませんから、帰してください」

 言葉の後半は涙声になっていた。

「人ならぬ者、という意味では宇宙人と言うのは、当たってはいないが、外れてもいない」

「宇宙からか〜。その可能性は検討しなかったわね〜」

「話しが脱線しているぞ、アリス」

 こほん。咳払いを一つして、アリスは仕切り直した。

「あのね〜。話すと長いから相当端折ると、ここにいる雫は、日の本の国の神さま。ま、女性だから女神さまね。で、あたしは西洋の女神さま、ってこと。口に出さずに話す内容を、人が聞く事なんて出来ないの。普通は」

 雫が後を引き取った。

「聞き取れる者がいるとしたら、その者も、神になる資格を有するものだ」

 言っている意味がしみ込むのに、数秒かかった。

「え〜〜〜〜〜!!!」

 一六堂の空気が純の驚きの声で振動した。

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