エピソードブラス・アマテラス神皇国・戦国無双・萌将伝 決戦っ!!三度ヶ原の戦いっ!! 3
マギアンティア世界統一暦・1555年・6月18日・午前9時15分頃・マギアンティア世界・中央世界第一文明圏・ユーラシアン大陸東側・アマテラス列島地方・アマテラス神皇国・中部甲州地方・武田大名王家国・武田大名王家本拠地・武田大名王家領・甲斐国・甲府盆地地方・甲府市・躑躅ヶ崎館・謁見の間にて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
会議は当主補佐でも在る武田・春夜の双子の妹たる武田・夏夜・信繫が話を始める所から進められて行く。
「さて、上杉・剣信・輝清殿がキリヤ公国へと仕官する為に、ご隠居なされ、上杉家との和睦が為り、当面の敵は織田家・徳川家呑みと成った。」
「後背は北条家に任せ、我らはいよいよ皇都・平庵京に我らが武田菱の御旗を立て、アマテラス神皇国地方の天下統一と言う大号令を発するべく。」
「行動を起こすっ!!」
「よっしゃーっ!!お館っ!!いよいよやるんだな?」と言うのは、山県・虎三・昌景と言う姫武将だ。
通称は虎三と読む。武田軍団に措いて、侵略する事を火の如くとは、山県・虎三・昌景事を指して居る武田四天王の一人。
彼女が武田軍団の先鋒軍を務めて以来、駿河国・信濃国・飛騨国・上野国を含め、各地を転戦。
その相手には、各地の国人衆達を筆頭に、旧今川軍を始め、徳川軍や上杉軍との戦いでも一歩も退く事無く戦い続けて居た。
その強さは武田騎兵軍団による突撃戦術であり、山県・虎三が先陣を切って槍と大弓を射放ち敵軍を食い破る事が、武田軍の必勝法であった。
その見姿は、艶やかなロングヘアースタイルで、だぜが口癖な男口調をし、性格はやや大雑把な性格をして居る。
背丈と女性らしい身体を持った170センチの女性で、ややスレンダーな身体付きだが、バストサイズは美乳スタイルである。
「お館様、10年越しの日願成就がようやく・・・・」と言うのは、 、馬場・春香・春信と言う姫武将。
武田家の筆頭家老にして、武田四天王の一人であり、軍部統括大将。実質的に武田軍の総指揮を取って居る姫武将で、豪快で大らかで決断に富んで居る人物。
武田軍団・四天王の旗印でも在る風林火山の中で、水色布地に風の字を旗印にし、敵軍や進軍地への素早い行軍を得意として居る。
ウェーブが掛かったロングヘアースタイルと175センチの身長で、巨乳持ち。しかしながら、武将としての整った格闘技センスを持った筋肉力を持ち合わせて居るが、少しも女性的なボデイスタイルを崩して居ない身体付き。
一人称は拙で、とても年寄り臭い口調で話し、豪快で大らかで決断に富んで居る性格をして居る。
この二人は、武田家切っての武闘派であり、武田四天王の山県・虎三・昌景と馬場・春香・春信の二人が、本格的にアマテラス神皇国の都へと軍勢を推し進める事に気合十分と言った感じに張り切って居た。
「ですが、お館様。天下取りをおやりに成られると言う事は、キリヤ公国に関わりの無い地域諸国を除いた地域へと攻め入る事にも成ります。」
「今現在のアマテラス神皇国内での勢力図は、伊達家・上杉家・毛利家らがキリヤ公国と連合政権体制への参加を表明し、我らを含めた大名王家に中立と独立自治国家建国を宣言して居り、これらに迂闊に戦を仕掛けると言う事は、キリヤ公国にアマテラス神皇国地方への介入する口実に成りまする。」
「此処は織田家・徳川家連合国を当面の敵とし、続けて三好家・長宗我部家と言った織田家と同盟を組んで居る大名王家を打ち倒して行く事に成るかと思われます。」
「其処で先ず手始めに攻め入る最適な拠点は、徳川領の東の要地である二俣城と犬井城と思われます。」
「我らは3年前にかなり時間を掛けて、難攻不落と名高い高天神城を落として居ります。」
「その高天神城を侵攻作戦の拠点として使用し、徳川家傘下の遠江国の国人衆を討ち破り、最近になって主力家臣団に入ったと言う井伊家を討ち破る。」
「その後に、浜松城を方位する事で、織田家・徳川家連合国の同盟すら破綻にしてご覧に居れましょう。」と手堅い戦略を高説するのは、内藤・凜乃・昌秀と言う姫武将である。
内藤・凜乃・昌秀は、流石は動かざる事は山の如しと言う武田軍団・四天王の旗印でも在る風林火山の中で、白色の布地に山の文字を書かれた旗印を掲げた武田四天王の一人である。
手堅い意見を堂々と言ってのけ居るが、状況次第では一戦も止む負えず言う副将らしい意見を述べていた。
「流石は動かざる事は山の如しと言う内藤・凜乃ね。確か貴女は、3年前に東遠江国の国人衆の筆頭格である松下・佳代・之綱を討ち破って、頭陀寺地方・頭陀寺町を手にして居たわね。」
「はい。しかしながら、流石は遠江国の出来人と謳われるだけ有ります。」
「今川家没落期の遠江国の混乱して只中を上手く立ち回り、生き残った手腕は只物では在りませんでした。」
「そのせいで、彼の者は自領地から家臣団と民達を引き連れて、西へと逃げて行きました。」
松下・佳代は、3年前に高天神城の戦いに措ける別働隊として、東遠江国人衆軍として徳川軍傘下の一軍として懸命に武田軍と戦って居たが、高天神城の陥落と野戦での内藤軍との戦いに敗れて、自領地へと帰国。
武田軍の松下家自領地への侵攻が確実だと判断した彼女は、徳川家本領地である三河国へと退却を決めて素早く退いて見せたのである。
今はかつての家来であった羽柴・陽菜・秀良に乞われて、羽柴家の家臣と成って居た。
その遠江国国人衆時代の手腕には、アマテラス神皇国諸国の間では、定評があるらしく。
今では松下・佳代・之綱の事を遠江国の出来人と謳われる様に成って居たのであった。
高天神城の陥落と共に、東遠江領の頭陀寺地方・頭陀寺町を含めた五郡地域は武田家領と成って居た。
「橋頭堡を手に入れた事は、今後の我々にとって、有利な戦局を維持し続けて行くのに必要不可欠な事です。」
「凜乃の手堅い戦略には何時も助けられて居ます。」
「勿体ないお言葉です。」と話を締め括る武田・春夜。
「さて、話は逸れましたが、皇都・平庵京への上洛するのに当たり、目下の障害的な敵たるのは徳川家。その本拠地の一つである浜松城は、東に天竜川。西に浜名湖。南に遠州灘と言う海が開けて居る要所。」
「浜松城の包囲する事は、容易に出来るが、取り囲み難い地形にある土地柄。」
「それに加えて、浜松城の城下町は、第二の城郭とも言うべき造りに成って居り、これを攻め落とすのは難しい。」
「今の徳川軍は、遠江国に1万5千人。三河国に1万5千人。合計で3万人余りが居ますが、三河国の守りも考えると成ると、徳川遠江領国軍の全力が、我らと対峙する事に成ります。」
「お館様。徳川軍は、野戦を最も得意として居り、尚且つお家芸とまで謳われるのが、三河武士軍団と言う豪傑揃いの軍勢。」
「彼の姉川の戦いでは朝倉軍3万人を相手に、2万2千人で戦って居た徳川軍は、敵より少ない兵数であるのにも関わらず善戦し、これを討ち破って居ます。」
「当時のアマテラス神皇国諸国の情勢下で、我らは上杉家と争って居た中で、全軍に近い兵力を押し出して居ますが、家康に取っては賭けにも等しい兵力だった筈です。」
「徳川軍を相手取った場合は、その兵力が例え寡兵で有っても侮る事は命取りにも成り兼ねません。」と戦に関する高説を論ずる者は、高坂・春日・昌信と言う人物で、武田四天王内では最年少であり、武田家軍師である山本・晴幸・勘助の弟子でも在る姫武将である。
武田家内とアマテラス神皇国諸国内からは、武田四天王の逃げの春日と言われ、逃げるのが得意のでは無く、情報収集と撤退戦術。
ゲリラ戦術に防衛戦術、奇襲攻撃を得意として居る事に由来する。
小柄な体系とショートカットヘアースタイルの小柄な姫武将で、性格は控えめで大人しいが、意地の悪い戦術を得意として居る。
そんな性格のせいか彼女が最も得意として居るのが鉄砲と弓でと言った遠距離の武器を居る為か、武田軍内では珍しく弓兵部隊や火縄銃部隊を多く活用して居る人物。
武田軍団・四天王の旗印でも在る風林火山の中で、黄緑色の布地に林の文字が掛かれた旗印を掲げて、撤退戦術やゲリラ戦術に防衛戦術、奇襲攻撃を得意として居る。
その為、動き易く、奇襲攻撃に長けた弓兵部隊や火縄銃部隊を中心とした鉄砲と弓でと言った遠距離攻撃主体とした武器を多く活用して居る。
現在はキリヤ公国本国政府へと仕官した真田氏・村上氏らが北信濃地方から退去した地域を治めるべく、海津城へと入場し、北信濃・海津城代として国主を務めて居る。
「春日の申す通りです。お館様。」
「寡兵の兵力でも精強な徳川軍を如何にして、打ち倒すのか?それを春日と共に考え居りましたが、此処は浜松城の北に位置する三度ヶ原と言う丘陵盆地を利用するのが最上の一手と思われまする。」と言うのは、山本・晴幸・勘助と言う人物。
20歳の時に武者修行の旅に出てアマテラス神皇国内の諸国を流浪し、見聞を広める旅をしていた事が在る。
その時に兵法を会得して、城取り(築城術)や陣取り(戦法)を極めたと言う。
10年前に武田家に逗留して居た時に、武田・春夜・信玄から父親の信虎の執政が余りに横暴だからと、武田家の政権簒奪をするから手伝って欲しいと三顧の礼で迎えられ、武田家の軍師と成った。
その後は武田・春夜と共に岡ヶ狭間の戦いで討ち死にした今川義本の領地である駿河国と遠江国の2カ国を徳川家と分割攻略する約定を交わして侵攻したり。
信濃国の攻略や主らしい主の居ない飛騨国を取ったり、北信濃と上野国を売り払うを話を持って来たりと様々な献策を武田・春夜に勧めて居る。
身長165の小柄な体型とボブロングヘアースタイルで、ショートポニーテールをしているヘアースタイル。
右目に眼帯をした片目の鋭い眼光を放つクールビューティーな姫武将で、淡々と真面目に仕事をこなす性格をして居る。
地球世界の因みに孫子の御旗である風林火山に似たような旗を武田軍の全軍に掲げる様にと武田・春夜へと勧めたのは、山本・晴幸であると言われて居る。
「流石は我が武田家切っての軍師と、その一番弟子ですね。」
「ですが、わざわざ浜松城の北側に在る三度ヶ原と言う丘陵盆地を利用するのは合点が行きませんね。」
「我らが浜松城を攻めれば、家康は織田・信長の援軍を頼り、それらが来るまでは籠城戦をして、耐え抜く方が無難だと考えるのは、必然だと思います。」
「その通り、ですがお館様。それでは面白くは有りませぬ。」
「面白く無い?」
「はい。如何成らば野戦を得意として居る徳川軍をたった一度の戦いで討ち破り、遠江国を我が手に収めるのが手っ取り早いと言う物。」
「・・・・確かに、晴幸。其処まで貴女が言うからには、何やら秘策が在る様ね?」
「無論、取って置きの秘策をご用意して御座います。」
「軍師山本・晴幸・勘助の秘策を是非とも聞かせてくれるかしら?」
「ははっ!!」
「それではわが必勝の秘策をご披露致します。」
「手始め我が軍は、高天神城から4手に別れ、浜松城を牽制しながら西へと向かいます。」
「その内一隊は北部の犬居城を攻め込み、続け様に一隊で二俣城を包囲。」
「残る2部隊は、南周りに浜松城を牽制。」
「じわりじわりと浜松城を威圧しながら一定の距離を保ち、北部の犬居城と二俣城が、落ちて行くの待ちます。」
「犬居城は力攻めでも十分に落とせますが、二俣城の抵抗は激しい物に成るでしょうが、其処は想定済み。」
「二俣城の最も強みは、天竜川を天然の堀としながらも、豊富な水が何時でも手に居られる事に有ります。」
「確かに・・・・我々が城攻めに措いて、最も得意として居るのは、井戸止めと言う戦術。」
「甲斐国の豊富な金銀高山で培った工夫の金堀技術で、地下水の流れを遮断する事で敵の飲み水を絶ち、どの様な城でさえも降伏させて来たわ。」
「ですが二俣城を含めた水に恵まれた城には、その様な手口での戦術効果は出来ないでしょうね。」
「お館様の仰って居られる通り、二俣城にも井戸は有りますが、最も特筆すべきなのは、天竜川からの水なのです。」
「流石の貴女でも天竜川の水を止める事は不可能でしょうね?」
「はっはっはっはっはっ、お館様は、実に意地の悪い事を仰られますな。」
「ですが、其処は人間としての知恵と創意工夫を発揮すれば造作も無き事。」
「川の水が止められないの為らば、汲めない様にするだけのこと。」
「この為に北遠江の山間に在る犬居城を落とし、その近隣地域の木々を伐採して筏を組み上げ、天竜川に流して、二俣城周辺の川を埋め尽くしてやれば、あら不思議。」
「二俣城の天竜川の水汲み場は、一滴の水も汲めぬと言う訳であります。」
「「「「「「「おおっ!!」」」」」」」
「流石はお師匠さま。」
「軍師殿の発想は、相変わらず卓越している。」
「犬居城なんて、浜松城から遠すぎる城を奪いに行く理由が、これで合点が行ったんだぜっ!!」
「手堅い戦略、感服する。」
武田四天王達等は、それぞれ軍師、山本・晴幸・勘助の秘策の凄さに、只々感じ入るばかりであった。
「まぁまぁ、まだ仕上げを申しては居りませんよ。」これらの城を落としたとならば、家康は黙って居ない筈です。」
「其処で我らは全軍を三度ヶ原近くに集結させ、浜松城を攻めると見せかけて、岡崎城へと向かいます。」
「・・・・・と見せかけて、貴女の事だから、浜松城と家康らを無視した事に怒り心頭と成り、腹を立て、怒り狂った徳川軍を三度ヶ原に誘い出すのね?」
「流石はお館様、良く分かっていらっしゃる。」
「これで遠江攻めの方針の大体が決まりね。」
「皆の者っ!!今月中には、高天神城に軍勢を集結させ、二俣城と犬居城を落とすのよっ!!」
「「「「「「ははっ!!」」」」」」」
こうして武田家は、アマテラス神皇国の天下を掴むべく、本格的な軍事行動を起こす。
その第一歩とも言うべき徳川家領の遠江国を攻めるべく、準備に取り掛かる事に成るのだが、この戦いが後に、とんでもない事へと発展するのは、何とも不憫で成らない。
その原因がキリヤ公国と桐谷勇治である事は、言うまでも無いだろう。
マギアンティア世界統一暦・1555年・6月21日・午前9時15分頃・マギアンティア世界・中央世界第一文明圏・ユーラシアン大陸東側・アマテラス列島地方・アマテラス神皇国・中部東海地方・遠江国・徳川大名王家国・徳川大名王家・大名王家本拠地・徳川大名王家領・遠江国・浜松市・浜松城・謁見の間にて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
三河国から始まった徳川・千代・家康の躍進は、遠江国への国土拡大に留まってしまっては居るが、その二カ国領土には精兵3万人徳川軍が守りを固め、時には織田・和紗・信長の要請に応え、遠方への遠征軍として戦果を上げる強さをアマテラス神皇国の各大名王家諸国に見せ付けていた。
三河国統一平定戦・遠江国遠征統一平定戦・皇都・平庵京上洛戦・山崎の戦い(アマテラス神皇国足柄幕府将軍王朝復興支援戦)・金ヶ崎の戦い・姉川の戦いと言った、様々な戦に打ち勝ち、アマテラス神皇国に徳川家在りと言われまでに多く躍進し、三河武士軍団を打ち負かす事は困難を極めると謳われて居た。
そんな徳川家を率いる徳川・千代は、遠江国東方方面のを占拠し続けて居る武田家の動きが活発に成り始めて居る事を各方面の直臣と国人衆と言った領主達から聞かされて居る。
「・・・・各方面からの報告を聞く限り、この武田家の動き、如何やら近々、我が徳川家を本気で叩き潰す積りで来る前準備をして居ると見て間違い無いでしょうねぇ~」と呟くのは、徳川家の筆頭家老にして、徳川四天王と呼ばれる精鋭武将の一人にして筆頭武将でも在る酒井・継美・忠次と言う姫武将であった。
何時もニコニコ笑顔して居る笑顔が優しい性格とエビの様な2本の前髪のアホ毛とエビの尻尾の様な三つ編みロングヘアーポニーテールをしたお姉さん。
徳川・千代とは父方の従姉妹同士であり、知略と危険察知に長け、やや怪しからんバストを有して居る美人さんでもある。
織田・和紗・信長からは背に目が在るが如しは、酒井成りと言わしめた、攻・守・知と言った三拍子揃った出来るお姉さんであった。
「むむっ!三年前に高天神城と東遠江領の頭陀寺地方・頭陀寺町を含めた五郡地域を取られて以来、我が徳川家は武田家との戦は一進一退の五分の戦いに持ち込んで居るとは言いたいですが・・・・・」
「はぁ~、流石の三河武士でも騎馬隊と精強な甲州兵に加えて、山本・晴幸・勘助を始めとする軍師知将を揃え、猛将を多数抱えて居る武田家を相手取るには、少々兵力差と練度が違い過ぎるですうっ!!」
「そうですね。家には不死身の馬場と称されし勇猛果敢な名将としても知らて居る馬場・春香・春信殿。」
「武田軍団に措いて、侵略する事を火の如くと謳われる山県・虎三・昌景殿を始めとする猛将を相手に出来る武将は、八重だけですものね。」
「それと千代様。これも噂話で聞いたのですが、武田家には、狐の獣人族の忍び集団であり、その頭領である鎌田葛葉と甲斐稲荷隠密衆と言う元々居た忍び衆達が、キリヤ公国へと仕官しに、武田家から出て行ったらしいようなのです。」
「詳しい事は分かり兼ねますが、何でも信玄殿の姪っ子である。武田・寿和・勝頼殿がひと騒動を起こした事が起因して居る様なのです。」
「何んとっ!噂に聞く歩き巫女とも称されたる化け忍術の達人集団がキリヤ公国へと出て行ったしまったですかっ!?」
武田家には、狐の獣人族の忍び集団であり、聞く歩き巫女とも称されたる化け忍術の達人集団。
その頭領である鎌田葛葉と甲斐稲荷隠密衆と言う元々居た忍び衆達が居た。
武田・寿和・勝頼 と考えての違いから内紛のトラブルを起こしてしまい、其れが元で鎌田葛葉と甲斐稲荷隠密衆達等は、祖国から逃げ延びて来た来た際に助けてくれた武田家には恩義が有った。
そして、長きに渡り武田家に尽くして働いて来たのに、待遇と扱いが悪く成ったと言って、出て行ってしまった。
この事に武田・春夜は、流石に姪っ子である武田・寿和を叱り付けた。
しかしながら、出て行ってしまった鎌田葛葉と甲斐稲荷隠密衆達ら呼び戻す事は適ない。
何故なら彼女たちは、再就職先にキリヤ公国と桐谷勇治の下へと行く事に成ってしまったからだ。
これは武田家と敵対勢力と成って居る一部の敵対勢力には、まことしやかに囁かれて居る様であった。
「何れにしても、武田家の諜報能力が下がったと言う事には成りますね?」
「ですが、千代様。山本・晴幸・勘助殿と高坂・春日・昌信殿らの軍師師弟がガッチリと手を組んで知略を巡らせて居るのと、その配下の中には忍び衆も少なからず居るとの事です。」
「油断は成りませんね~」
「ううっ!!困ったですうっ!継美と八重の二人は、我が徳川家で、武田家の武将達に対抗が出来る数少ない武将達なですが、如何せん若い世代ばかりな為か経験不足が否めないですぅっ!」
「千代様。此処は致し方ありません。信長様に更なる援軍を要請しましょう。まだ金ヶ崎の戦いや姉川の戦いでの貸し借りを含めて、援軍を送った事による功績を口実する貸しが、まだまだ残って居ます。」
「それに今の織田家は、キリヤ公国のアマテラス神皇国地方への電撃来航による騒動の影響で、四国平定統一が為され、毛利家とは停戦和議と成る運び。」
「九州地方では島津家が何やら企んで居るとの噂は有りますが、今は大友家を筆頭にした織田家方の大名王家連合で如何にか成るでしょう。」
「今、徳川家に倒れられた一番に困るのは信長様の筈です。此処は妹分らしく、姉様である信長様に甘えん坊の所を見せて見るのも一興と思います。」
「はぁ~、和紗姉さまにおねだりをすると、後で高く付きそうなのが怖いですけど、此処は背に腹は代えられないですぅ。」・・・・・てな事に成り、徳川・千代・家康は、来るべき武田家のとの決戦に備えて、織田・和紗・信長に援軍を求める事にしたのであった。




