エピソードブラス・アマテラス神皇国・戦国無双・萌将伝 決戦っ!!三度ヶ原の戦いっ!! 2
マギアンティア世界統一暦・1555年・6月10日・午前9時15分頃・マギアンティア世界・中央世界第一文明圏・ユーラシアン大陸東側・アマテラス列島地方・アマテラス神皇国・中部甲州地方・武田大名王家国・武田大名王家本拠地・武田大名王家領・甲斐国・甲府盆地地方・甲府市・躑躅ヶ崎館・謁見の間にて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
マギアンティア世界・中央世界第一文明圏・ユーラシアン大陸の北部全土7割を支配して居る列強国たるゲルニアン帝国は、間も無くユーラシアン大陸南部地方を統一せんと着々と準備体制を整えつつあった。
その間の準備期間の時間稼ぎ工作として、キリヤ公国と繋がりある二か国に対して使者を送り付け、キリヤ公国の振る舞いを何とかして欲しいと言い放つ。
ゲルニアン帝国は長きに渡って小賢しい策謀を巡らしながら、マギアンティア世界・中央世界第一文明圏・ユーラシアン大陸の武力平定を企む。
しかしながら、ユーラシアン大陸東側・アマテラス列島地方・アマテラス神皇国でもキリヤ公国の建国に始まり、続くナデシコ地方自治州区がキリヤ公国との連合国締結により、キリヤ公国連合国のへの体制移行した影響は、大きく受けていた。
アマテラス神皇国地方では、伊達家・上杉家・毛利家らがキリヤ公国連合国との接触した事から、キリヤ公国連合国の国力・軍事力・経済力の高さを知る事に成った。
そうした理由から、キリヤ公国連合国と連合国政権を組むと言う、一大決断を下す事にも繋がって居た。
アマテラス神皇国地方は、甲斐国を本拠地とする大名王家、武田家は、物語始まる10年前の岡ヶ狭間の戦いに措いて、今川義本が織田・和紗・信長に討たれた事により戦死。
武田家・北条家・今川家らが、それぞれの理由で相争って居た事を解消し、各々目的と敵対勢力と戦う為に編み出された苦肉の同盟国計画である甲相駿三国同盟は、それから暫くして松平家が、織田家人質時代の時に幼馴染みと成った織田・和紗・信長と同盟を結んだ事から、今の内に今川家を叩けるだけが、叩こうと遠江国へと侵攻を開始。
その頃の遠江国は今川義本が死んだ影響で、親今川派と独立国人衆達との諍いが絶えない群雄割拠と成ってしまう。
その影響は隣国であり、今川家の本土領土である駿河国にも波及して居た事から、次第に今川家は崩壊を始め、各地で内乱が勃発してしまう。
アマテラス神皇国地方・北条家当主である北条・九江・早雲の妹の一人たる三女で、武田家・北条家・今川家等が相互同盟条約として結んだ甲相駿三国同盟の証として、北条家から今川義本の元へと嫁いで来た今川(北条)早紀姫は、娘であり、跡取りでもあった今川・鞠華・氏真と共に事態の収集を図ろうとするが上手く行かなかった。
そんな中で、武田家当主である武田・春夜・信玄は、混乱する駿河国を今川家が治めて行くのは不可能と判断し、駿河国へと侵攻を決めた事により、突如として武田軍が北側から入り込んで来た。
それに合わせて、北条家当主である北条・九江・早雲は、武田家が同盟条約を破り、駿河国を独占して治めようとするのを阻止しようと、沼津・三島・裾野へと北条軍を派遣。
混乱して居る駿河国の中で、何時敵に成るのかさえ判らない領主達から妹と姪っ子を救おう、一隊を駿府に派遣し、そのまま保護する事に成った。
その後、武田家は沼津・三島・裾野の三地域を北条家に譲る代わりに、旧主と成った今川家の駿河国からの退去勧告を求めて来た。
今川(北条)早紀姫と今川・鞠華の母娘二人は、これも戦国時世の習いだから致し方無いと、実家である北条家へと退去。
伊豆国の修善寺城へと移る事に成る。
これにより駿河国の9割5分の国土を手にした武田家当主である武田・春夜・信玄は、今度は南信濃へと侵攻を開始。
数年掛けて諏訪家を始めとする各地の小大名王家や国人衆を傘下に収めて行く。
そして、その更に後には、北信濃の覇権を巡って村上家・真田家と激闘を繰り広げ、遂には上杉憲政から足柄幕府・関東甲信越地方管領職を譲り受けた事により、新たな関東管領に就任する事に成った上杉・剣信・輝清と、北信濃・松代地方に在る川中島地域で繰り広げられた川中島の戦いへと向かって行く事に成る。
だがしかし、キリヤ公国連合国がアマテラス神皇国地方へと現れた事により、武田家の運命はガラリと変わり行く切っ掛けと成る話が此処から始まる。
後に三度ヶ原の戦いと呼ばれる戦いの始まりは、武田・春夜・信玄がアマテラス神皇国地方の天下統一を本格的に推し進める第一歩でもあった。
その始まりは、今は徳川と名乗り始めた徳川・千代・家康こと、旧名松平・千代・元康は、遠江国を丁寧に治め、遠江国の国人衆や旧今川家の家臣達から絶大な信頼関係を築き上げていた名君として歩み始めてから5年が経過した頃である。
武田家当主である武田・春夜・信玄は、天下統一に向けて新たな計画を進める為に、甲府市・躑躅ヶ崎館・謁見の間に武田家臣団を各地から呼び出していた。
謁見の間に居並んだ武田家臣団たちらは、当主である武田・春夜にを上座に頂き座り、一同が揃うと当主に一礼をして評定衆会議が開催される。
その武田家臣団は以下の通りと成って居る。
武田・春夜・信玄 (たけだ・はるよ・しんげん)
初登場時では26歳。未来では29歳。
甲斐国の虎と称される大名王で、アマテラス神皇国地方・甲斐国・武田氏第18代当主・武田信虎の次女。
先代武田家当主であった武田信虎は、跡目争いに措いて姫武将だと婿取りが面倒な事になり兼ねないと言う考えの持ち主で、そんな理由から武田・春夜よりも4年早く生まれていた長女・武田絹姫を武田家の将来を見据えて、諏訪家の嫁入りを決め、続く武田・春夜・信玄と武田・夏夜・信繫は双子姉妹として産まれ、 その後の子供たちも何の因果なのか、全てが姫と成ってしまう。
その事に危機感を抱いた信虎は、武田家に連なる親戚関係に在る家々の何れかの男子を養子に迎えようと画策する。
しかしながら、元服を迎えた武田・春夜・信玄と武田・夏夜・信繫は双子姉妹を始めとする娘達は、父からの自分達への余りにも酷い扱いに嫌気が差し、父信虎を駿府の太原雪斎と図って、追放処分にする事にした。
その結果、アマテラス神皇国地方・甲斐国・武田氏第19代当主と成る事に成った武田・春夜・信玄は、妹達と自分をお館様と仰ぐ若き家臣達ともに新しい武田家を築く事に成った。
前髪を右わけにして居るショートヘアーと小柄な体型をした美少女だが、年頃は20代半ばほどで、双子姉妹の三女・武田・夏夜・信繫は妹とに当たる。
性格は勝気でツンデレさんであり、権謀術数を駆使する方を好む陰険な一面もある人物で、感性で動いて考える戦バカで脳筋タイプの上杉・剣信とは反りが合わず、信濃国を巡っては、松代地方の川中島で信濃川を挟んでの大戦。
川中島の戦いを5度も殺り合う喧嘩をする仲である。
上杉・剣信は、人義と正義の為に、北信濃の国人衆達を助けようとする考えなのに対して、武田・春夜は利益と打算的考えから南信濃国の国人衆達を従えて北信濃へと侵攻する事を第一と考えて居る。
そんな二人の国力は互角で、武将と兵力も同じである事から決着が付かないまま引き分けに終わり、家臣達からは上杉家との戦は割に合わないと言われて、両家は渋々停戦条約を締結するのに至る。
その後は、織田・和紗・信長が岡ヶ狭間の戦いで、今川軍の軍勢5万6千人を僅か三千人の手勢を以ってして、今川軍の本陣を奇襲攻撃する。
この戦いで今川義本は討ち死にし、今川家は没落してしまう。
今川家の隆盛に限りが見えたと見た山本・晴幸・勘助は、今川家の新当主と成った今川・鞠華・氏真が治め始めた駿河国に攻め掛かり、今川・鞠華を駿河国から追い出し同地を奪い取る。
更には勘助の献策で北信濃から去ると言う村上・真田・長野等と言った国衆諸氏から領地を買い入れ、信濃国・上野国を手中に収め、アマテラス神皇国の首都の在る山城国・皇都・平庵京に武田菱の旗を立てようと奮起する。
三度ヶ原の戦いを皮切りに始まった織田家のアマテラス織田自治神皇国とその宗主国であるキリヤ公国連合国との本格的な戦争へと突入する。
長鹿野ヶ原の戦い。信濃・甲斐平定征伐戦。小田原城攻防戦と転戦するが、最後は対峙していた上杉・剣信の勧めで主君である武田・春夜は、川越城でキリヤ公国連合国に降伏。
暫くは上杉家預かりとされ、春夜は剣信のキリヤ公国の首都・公王都キリヤ市の屋敷に居候と成る。
その後戦後の処罰として、アマテラス神皇国地方の追放処分とされるが、アマテラス神皇国・九州地方平定征伐戦とアマテラス神皇国統一平定戦の論功行賞と戦時処罰の最終決定がキリヤ公国連合国中央政府と加盟国から通知が来る。
その通知で武田家がキリヤ公国の直臣と成る事が通知され、武田独立自治新甲斐国藩王国の建国が決定された。
この事はライバルであり、親友同士の様な関係に在る上杉・剣信と上杉家の働きで、武田家と武田・春夜・信玄と言う人材をホコリを被せるには惜しい人材であると弁明したという。
武田家保有兵力は凡そ25万人で、武田・春夜・信玄の直轄軍と旗本軍を合わせた保有兵力は、5万人と成って居る。
但し、本拠地である甲斐国だけに限って言えば、1万1千人に過ぎない。
武田・夏夜・信繫 (たけだ・かよ・のぶしげ)
初登場時では26歳。未来では28歳。
アマテラス神皇国地方・甲斐国・武田氏第18代当主・武田信虎の三女に当たり、その見姿と言うと、前髪を左わけにして居るショートヘアーと小柄な体型をした美少女だが、年頃は20代半ばほどで、武田・春夜とは双子姉妹の姉に当たり、その影武者の役目も担って居る。
姉と違って大人しい性格で、何かと姉を立てて、彼女は一歩退いた位置から意見を言う控えめな性格をして居る。
先代武田家当主であった武田信虎は、跡目争いに措いて姫武将だと婿取りが面倒な事になり兼ねないと言う考えの持ち主で、そんな理由から武田・春夜よりも4年早く生まれていた長女・武田絹姫を武田家の将来を見据えて、諏訪家の嫁入りを決め、続く武田・春夜・信玄と武田・夏夜・信繫は双子姉妹として産まれ、 その後の子供たちも何の因果なのか、全てが姫と成ってしまう。
その事に危機感を抱いた信虎は、武田家に連なる親戚関係に在る家々の何れかの男子を養子に迎えようと画策する。
しかしながら、元服を迎えた武田・春夜・信玄と武田・夏夜・信繫は双子姉妹を始めとする娘達は、父からの自分達への余りにも酷い扱いに嫌気が差し、父信虎を駿府の太原雪斎と図って、追放処分にする事にした。
その結果、アマテラス神皇国地方・甲斐国・武田氏第19代当主と成る事に成った武田・春夜・信玄は、妹達と自分をお館様と仰ぐ若き家臣達ともに新しい武田家を築く事に成った。
直轄兵力は8000人。
武田・寿和・勝頼 (たけだ・よしかず・かつより)
初登場時では15歳。未来では18歳。
武田・春夜・信玄の姪っ子で、父は信濃国・諏訪地方を治めていた諏訪頼重で、母親はその妻であった武田絹姫と言い、武田・春夜の姉に当たる人物。
先代武田家当主であった武田信虎は、跡目争いに措いて姫武将だと婿取りが面倒な事になり兼ねないと言う考えの持ち主で、そんな理由から武田・春夜よりも4年早く生まれていた長女・武田絹姫を武田家の将来を見据えて、諏訪家の嫁入りを決め、続く武田・春夜・信玄と武田・夏夜・信繫は双子姉妹として産まれ、 その後の子供たちも何の因果なのか、全てが姫と成ってしまう。
その事に危機感を抱いた信虎は、武田家に連なる親戚関係に在る家々の何れかの男子を養子に迎えようと画策する。
しかしながら、元服を迎えた武田・春夜・信玄と武田・夏夜・信繫は双子姉妹を始めとする娘達は、父からの自分達への余りにも酷い扱いに嫌気が差し、父信虎を駿府の太原雪斎と図って、追放処分にする事にした。
その結果、アマテラス神皇国地方・甲斐国・武田氏第19代当主と成る事に成った武田・春夜・信玄は、妹達と自分をお館様と仰ぐ若き家臣達ともに新しい武田家を築く事に成った。
そんな経緯から姪っ子の武田・寿和・勝頼には、とある負い目が有った。
それは武田家の領土拡大計画の一旦で、信濃国を版図に加え様とする為に、隣国である信濃国・諏訪地方を治めていた諏訪頼重との戦に成ってしまう。
その事で武田・春夜は、父である諏訪頼重は討ち取られ、母の武田絹姫と娘である武田・寿和と共に実家へと出戻りと成ってしまう。
そんな理由がある事から、姪っ子には強く怒れない事が悩みの種と成って居た。
そんな武田・寿和は、正々堂々とした武勇を好む性格で、甲斐国の武田家で雇われて居た歩き巫女とも呼ばれる甲斐稲荷隠密衆を率いて居た鎌田葛葉とは犬猿の仲として武田家臣団の間では有名な事柄である。
武田・寿和と考えての違いから内紛のトラブルを起こしてしまい、其れが元で鎌田葛葉と甲斐稲荷隠密衆達等は、祖国から逃げ延びて来た来た際に助けてくれた武田家には恩義が有った。
そして、長きに渡り武田家に尽くして働いて来たのに、待遇と扱いが悪く何ったと言って、出て行ってしまった。
この事に武田・春夜は、流石に姪っ子である武田・寿和を叱り付けた。
しかしながら、出て行ってしまった鎌田葛葉と甲斐稲荷隠密衆達ら呼び戻す事は適ない。
何故なら彼女たちは、再就職先にキリヤ公国と桐谷勇治の下へと行く事に成ってしまったからだ。
そんな多少の我が儘な所は在るが、真っ直ぐ過ぎる性格から融通の利かない頑固者から来るもので、悪い娘では無い。
武田家一門と言う事で、武田家直轄領地の知行地から出せる保有兵力は3000人と成って居る。
武田・陸深・信廉 (たけだ・むつみ・のぶかど)
初登場時では24歳。未来では27歳。
アマテラス神皇国地方・甲斐国・武田氏第18代当主・武田信虎の4女。
ショートヘアースタイルの気優しい風貌の顔付きで、やや大人しめな口調で話す女子で、背丈はやや高い163センチで、ややスレンダーな身体付きだが凹凸の在る女性らしいボデイスタイルを持って居る。
好戦的な性格の多い武田一族の中でも書道や水墨画、お茶に華道、そして読書を好む文芸肌の人物で、主に内政を得意として居るが、戦略と戦術眼に長けた参謀的な一面を持って居る。
大将旗は、水色下地の武田菱と水色下地に風林火山の金箔字旗
本拠地は南信濃の飯田城と飯田市を拠点とし、甲斐国・桜井群が本領地で、その地に館を構えて居る。
保有兵力は8000人だが、秋山・繁美・虎繁と木曽・真理・義昌を含めた南信濃衆の兵力を含めると4万人は居ると言う。
一条・涼香・信龍 初登場時では22歳。未来では25歳。
アマテラス神皇国地方・甲斐国・武田氏第18代当主・武田信虎の5女。
肩まであるボブロングヘアースタイルとボサボサの髪質が特徴的で、でやがると言う妙ちくりんで生意気な口調で話すタイプの女の子。
背丈はやや低くスレンダーなボデイスタイルだが、そこそこな凹凸がある身体付きをして居るが、とても弾力性のある撓やかな身体付きで、武芸に秀でた才能を持った肉体である。
大将旗の旗印は、黒地に白の入った一条下がり藤紋と黄色の布地に武田菱紋。
本拠地は甲斐国・上野城で、八代郡を本領として居るが、今川家滅亡後の駿河国の司令官と国主を任され、駿府城代も務めて居る。
保有兵力は3万人から3万7千人。
馬場・春香・春信 初登場時では28歳。未来では31歳。
武田家の筆頭家老にして、武田四天王の一人であり、軍部統括大将。実質的に武田軍の総指揮を取って居る姫武将で、豪快で大らかで決断に富んでいる人物。
信濃国・甲斐国・駿河国を取り、首都の在る山代国・皇都・平庵京に武田菱の旗を立てようと奮起する主君である武田・春夜・信玄を傍らで支え続けた。
ウェーブが掛かったロングヘアースタイルと175センチの身長で、巨乳持ち。しかしながら、武将としての整った格闘技センスを持った筋肉力を持ち合わせて居るが、少しも女性的なボデイスタイルを崩して居ない身体付き。
一人称は拙で、とても年寄り臭い口調で話し、豪快で大らかで決断に富んで居る性格をして居る。
武田軍団・四天王の旗印でも在る風林火山の中で、水色布地に風の字を旗印にし、敵軍や進軍地への素早い行軍を得意として居る。
又の名を不死身の馬場と称されし勇猛果敢な名将としても知らて居る。
甲斐国・白州郡地方に館を構え、その周辺一帯を領地として居る。
保有兵力は1万4千人から1万7千人。
山県・虎三・昌景 初登場時では25歳。未来では28歳。
通称は虎三と読む。武田軍団に措いて、侵略する事を火の如くとは、山県・虎三・昌景事を指して居る武田四天王の一人。
彼女が武田軍団の先鋒軍を務めて以来、駿河国・信濃国・飛騨国・上野国を含め、織田家領や上杉軍との戦いでも一歩も退く事無く戦い続けて居た。
その強さは武田騎兵軍団による突撃戦術であり、山県・虎三が先陣を切って槍と大弓を射放ち敵軍を食い破る事が、武田軍の必勝法であった。
その見姿は、艶やかなロングヘアースタイルで、だぜが口癖な男口調をし、性格はやや大雑把な性格をして居る。
背丈と女性らしい身体を持った170センチの女性で、ややスレンダーな身体付きだが、バストサイズは美乳スタイルである。
武田軍団・四天王の旗印でも在る風林火山の中で、朱色布地に火の黒色文字で書かれたを旗印にし、火の如く果敢に攻め入る事を得意として居る。
その精兵は赤備えと呼ばれ、真紅に染まった軍勢は最強軍団と言われて居るが、それに倣って似た様な赤備えをする軍勢が居るが本家は武田家である。
真田家と争って居た佐久郡と佐久地方の佐久城館を本拠地とするが、真田家が上田・砥石地方を退去後は、上田城と小諸城等に拠点を移して居る。
保有兵力は、1万5千人から2万3千人。
内藤・凜乃・昌秀 初登場時では26歳。未来では29歳。
通称名は凜乃で、動かざる事は山の如しと言う武田軍団・四天王の旗印でも在る風林火山の中で、白色の布地に山の文字を書かれた旗印を掲げた武田四天王の一人にして、武田・春夜に天下に並ぶもの無しの副将と言わしめた姫武将。
武田・春夜・信玄が当主の座に付いて以来、主な代表的な戦争に全て参加し、常に武功を立てていたが、武田・春夜からは一度として感状をもらうことが無かった。
それは「内藤・凜乃ほどの弓取りともなれば、常人を抜く働きがあってしかるべし」と評して敢えて一通の感状も出さなかったと言う。
対して内藤・凜乃は、「合戦は大将の軍配に従ってこそ勝利を得るもので、悪戯に個人の手柄に拘る事など小さな事ですっ!」と感状を貰って居ない事など気にもかけなかったという。
これは武田・春夜と内藤・凜乃との信頼関係の厚さを示すものであると後世に伝わって居るが、実は違う。
実は内藤・凜乃・昌秀と言う姫武将は、とても影が薄いと言われるほど、武田家内では存在感が無いと言われて居た。
だがしかし、武田軍の主な合戦に措いて、縁の下の力持ち的な働きを見せて居る。
その見姿とは、背格好は160センチで特に目立った身体付きをして居ないが、可愛らしい笑顔で三つ編み団子と三つ編みのツインテールまヘアースタイル。
柔らかい口調で話すご近所のお姉さんタイプ。
武田軍団・四天王の旗印でも在る風林火山の中で、白色の布地に山の文字を書かれた旗印を掲げて、補給部隊や速やかな陣地造成に長けて居り、その働きは妖精がやって居るのではと言われる位に影が薄いが、武田家に居なくては成らない存在と言われて居る。
キリヤ公国本国政府へと仕官した長野・業乃・正則を始めとする者達が退去した上野国を治めるべく、箕輪城へと入城し、上野国主代理として上州衆を指揮下に措いて居る。
保有兵力・1万8千人から2万5千人。
高坂・春日・昌信 初登場時では23歳。未来では26歳。
武田四天王の一人で、通称は春日と読む。
武田四天王内では最年少で、武田家軍師である山本・晴幸・勘助の弟子でも在る姫武将。
武田家内とアマテラス神皇国諸国内からは、武田四天王の逃げの春日と言われ、逃げるのが得意のでは無く、情報収集と撤退戦術。
ゲリラ戦術に防衛戦術、奇襲攻撃を得意として居る事に由来する。
小柄な体系とショートカットヘアースタイルの小柄な姫武将で、性格は控えめで大人しいが、意地の悪い戦術を得意として居る。
そんな性格のせいか彼女が最も得意として居るのが鉄砲と弓でと言った遠距離の武器を居る為か、武田軍内では珍しく弓兵部隊や火縄銃部隊を多く活用して居る人物。
武田軍団・四天王の旗印でも在る風林火山の中で、黄緑色の布地に林の文字が掛かれた旗印を掲げて、撤退戦術やゲリラ戦術に防衛戦術、奇襲攻撃を得意として居る。
その為、動き易く、奇襲攻撃に長けた弓兵部隊や火縄銃部隊を中心とした鉄砲と弓でと言った遠距離攻撃主体とした武器を多く活用して居る。
キリヤ公国本国政府へと仕官した真田氏・村上氏らが北信濃地方から退去した地域を治めるべく、海津城へと入場し、北信濃・海津城代として国主を務めて居る。
保有兵力は1万3千人から2万2千人前後。
山本・晴幸・勘助 初登場時では35歳。未来では38歳。
20歳の時に武者修行の旅に出てアマテラス神皇国内の諸国を流浪し、見聞を広める旅をしていた事が在る。
その時に兵法を会得して、城取り(築城術)や陣取り(戦法)を極めたと言う。
10年前に武田家に逗留して居た時に、武田・春夜・信玄から父親の信虎の執政が余りに横暴だからと、武田家の政権簒奪をするから手伝って欲しいと三顧の礼で迎えられ、武田家の軍師と成った。
その後は武田・春夜と共に岡ヶ狭間の戦いで討ち死にした今川義本の領地である駿河国と遠江国の2カ国を徳川家と分割攻略する約定を交わして侵攻したり。
信濃国の攻略や主らしい主の居ない飛騨国を取ったり、北信濃と上野国を売り払うを話を持って来たりと様々な献策を武田・春夜に勧めて居る。
身長165の小柄な体型とボブロングヘアースタイルで、ショートポニーテールをしているヘアースタイル。
右目に眼帯をした片目の鋭い眼光を放つクールビューティーな姫武将で、淡々と真面目に仕事をこなす性格をしている。
地球世界の因みに孫子の御旗である風林火山に似たような旗を武田軍の全軍に掲げる様にと武田・春夜へと勧めたのは、山本・晴幸である。
旗下の保有兵力は、4千500人から8000人。
秋山・繁美・虎繁
信濃国・南信濃地方・大嶋城と伊那郡領を本拠地とする武田家に仕える姫武将で、とても誠実で生真面目な人物。
戦に措いては知略を巡らし、あらゆる手段を用いて戦うが、事が終ったら例えそれが一介の兵士で在れ、大名王であれ相手の健闘を称えて、無下には扱いは絶対にしないと言う。
例えそれが主君に逆らう結果に成ろうとも、その信義だけは曲げないのが信条として居る。
その見姿は、ベリーショートのクールビューティーな顔付きを持った女性で、男性と見間違われる事もある顔だちをして居るが、ややスレンダー身体付き持ちながらも女性らしいボデイスタイルをして居る人物。
織田・和紗・信長の命令で、美濃の国人の遠山景任の養女として、織田家の一族から養子に出された遠山津夜子からは、男に間違われ、夜伽をされる覚悟で抱き付かれたが、自分は女だと身をもって示し、それからは親友と成ったが・・・・後にお互いの容姿に惹かれ合う事に成り、同性愛に目覚めた二人は、レズ関係を築いてしまう。
また、捕虜として捕らえた人物であり、織田家から遠山家の養子と成って居た遠山津夜子の事は、武田・夏夜に願い出て助命と遠山家の面倒を秋山家が見る事する事に成った。
木曽・真理・義昌 初登場時では35歳。未来では38歳。
信虎から見て4男に当たる弟の武田信種を婿養子に向かえて居た人物で、武田姉妹から見れば義理の叔母に当たる親族衆の一人。
信濃国・南信濃地方・木曾福島城と福島町を本拠地とする国人衆の姫武将で、とても老獪な人物と知られる女国主。
南信濃の最大勢力の国人衆であり、木曾地方の地の利を生かした戦いなら絶対な負けをしない事から、先代の武田家当主である武田信虎の代から厄介な人物として見られて居た。
そう言った理由から信虎は、婿養子を差し出す事で、木曽家を武田家一門の傘下に置く事で南信濃を手に入れようとしたのであった。
気性の荒い性格で、山で仕留めたクマやイノシシ、シカ等の骨や皮を材料素材にして作った鎧兜や衣服を身に纏った背の高い偉丈夫な大女で、怒らせるととても怖い人柄だが、心を許した相手にはとことん礼儀を尽くすと言う。
その見姿は、180センチの長身と鍛え上げられた筋肉体型のボデイスタイルを有して居る巨乳と大きなヒップラインが魅力的で、ボニーテール風のボサボサの癖っ毛ヘアースタイルとツリ目の顔立ちが特徴的な人物。
夫に迎えた武田信種は、大人しい人物だったが、武芸百般と言うべき文武両道を重んじた人柄で、特にこれと言った束縛する性格では無かったので、二人は気が合う夫婦関係を築くが、武田信種は、腹痛が下で31歳で病死してしまう。
後にこれがコレラでは無いかと言う話を知ったのは、木曽家がキリヤ公国連合国の傘下に収まってからであった。
穴山・梅林・信君 初登場時では35歳。未来では38歳。
信虎から見て三男に当たる弟の武田信政を婿養子に向かえて居た人物で、武田姉妹から見れば義理の叔母に当たる親族衆の一人であった。
非常に頭の切れる人物で、自家と自分が生き残る為なら何でもする御仁で、武田信虎の暴走が顕著に成って来た際には、姪っ子である武田姉妹達等に協力して、信虎を駿河国へと追い出す手引きの手伝いをして居た。
一条・涼香の後見人でもあり、駿河国を治める為の補佐を任されて居た。
現在は武田家の中立派閥の中核にも成って居る一人である。




