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キリヤ公国英雄戦記物語  作者: 伊達教宗
第2章 少年王、家臣団をスカウトする編
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キリヤ公国建国史 第21回 キリヤ公国と伊達・藤枝・政実の奥州王への即位と奥州動乱事件っ!! 2

 マギアンティア世界統一暦・1555年・7月2日・午前11時10分頃の事でした。




羽前国の大名王である最上義光の誘いを受けた九戸正恒は、六千人の兵を率いて、居城たる九戸城を出立し、その軍勢を南へと進軍を開始。


 主家である南部家を討ち果たし、三日月の丸くなるまで南部領とまで謳われた奥州北部地域を支配下に置く南部家領の国主に成ろうと下剋上を画策し、居城たる九戸城にて蜂起しました。



 正恒は野心家的な性格で、長きに渡る乱世の時代の影響で、とても弱って居る南部本家の下に居る事が、とても気に食わなかった。


 九戸家は南部家の一族一つであり、南部家一族の中でも、一・二を争う軍事力と国土を持って居る国人衆の1人である。


 それが最上義光の悪企みの誘いを受けると、二つ返事で了承する事を決断します。



 その見返りは、南部家の領土の切り取り放題と伊達家と関わりない領土をお互いに切り取り放題とする事でした。



 同じく最上義光の誘いで蜂起した津軽・乃為・信胤も、羽後国の土地の切り取り放題と南部家の殲滅すると言う事で、手を組む条件として手を打った。


 津軽乃為は、元々津軽地方の民達の困窮を如何にかしたいと考え、南部家へと物流網交易での売上が取られて行く事に腹を立て、その事を理由に独立したい、津軽地方の土地は、自分達だけでやって行きたいと思って居た事から、1年前に独立を果たして居た。


 そして、この度の南部領・羽後国等への挙兵蜂起に加わり、津軽家の安寧の為にも、徹底的に南部家を潰すと言う決断します


 しかしながら、津軽家と津軽地方を含めて、南部家の各地方の税収や各地方の権益の殆んどを九戸正恒と九戸一族らによって牛耳られており、その事が南部家領内の民達らの収益を下げ、飢饉に陥って居た原因であり、それらの真実を誰も気が付かず、知らなかった。


 その為、津軽乃為と津軽家は、九戸正恒と九戸一族らに騙され、更には最上義光にすら騙されて居る事に気が付いたのは、盛岡城下の戦いが終わってからだったと言う。




 これで最上一派の連合軍は、伊達家・南部家・羽後国の諸大名連合は、北と南から包囲する事に成功し、伊達家・南部家・羽後国の諸大名連合は、南北から包囲されてしまう事にも成って居た。


 だが、最上一派の連合軍は、一つの大きな間違いを犯して居た。



 それはキリヤ公国連合国と勇治が、最上義光の悪行を見逃すか、如何かである。


 その結果は実に単純な答えと成ってしまう。


 これには通信設備と装置の有無の差が、ハッキリと出て居る事から来るものであった。


 キリヤ公国連合国に、助けを求めた反最上を掲げる諸大名連合の救援要請を受けると、キリヤ公国連合国宗主王であるキリヤ公国の公王・桐谷勇治は、助けを求める者は拒まず、立ち去る者は追わず・・・・なーんて考えが在るから、彼はあっさりと援軍を出すとの答えを出てしまう事に成ってしまう。



 そんな事にも成って居るとも全く知らない九戸正恒は、九戸軍の全軍を率いての総掛かりを以ってして、盛岡城を包囲し、総攻撃を仕掛けて居たのであった。



其処へ突如として、彼の下へと急報が届けられる。


「も、ももっ申し上げますっ!」


「ん??? 突然、どうしのだ?」


「はっ、九戸城が陥落したとの報せが、先ほど入りまして御座います。」


「なっなっなっ、ななっ、何いいぃぃっ!?落ちただとっ!?何故だっ!?何時なんだっ!?」


 己が居城が落ちたとの報せを聞いた九戸正恒は、取り乱した挙句に大パニックと成ってしまう。



「それに付いてですが、何でも南部家が伊達家に使者を送って駆け込ませ、伊達家に救援を求めたらしく。」


「南部家に救援を求められた伊達家は、即決で援軍を決めたとの事です。」


「更には伊達家が出兵を決めた事で、キリヤ公国連合国の宗主国であるキリヤ公国本国軍が、伊達家への加担を決め、キリヤ公国本国から我が九戸軍への攻撃命令を命じたキリヤ公国連合国・ナデシコ自治統合海軍艦隊が、九戸城への総攻撃を開始。」


「噂に聞くに、巨大鉄船戦艦隊による一斉砲撃で、四半時も経たずに、一瞬にして塵と消えました。」


「なっなっ、ななっ何だとっ!・・・・・・・」


「報告うううぅぅぅーーーーーーっ!!!」


「盛岡市から南に12キロに在る徳丹城にて、伊達軍と北部軍、それにナデシコ自治統合陸軍等が現れ、我らを真正面から攻め入る仕度をして居るとの報せが、偵察中の物見からの報告が、先ほど入って参りましたっ!!!」


「南部家への伊達軍の援軍の総大将は、独眼竜の右目と言われる片倉・喜多・影綱との事です。」


「うぬぬっ!おのれえええええぇぇぇぇぇーーーーーーーっ!!」



 正恒は自分の今の状況では、完全に詰んだと悟った。


 だが、他の戦線が如何にか成ればとの考えがあり、居城を失った彼は、盛岡城を落とし、其処から更に最上領へと落ち延びるしかか、逃げ道は無かった。


 万が一、南部本家軍を放置して逃げれば、追撃して来るのは目に見えるからだった。



盛岡城下の戦い



 アマテラス神皇国・東方地方・奥州郡全域でキリヤ公国連合国の非加盟地域の大名王家・国人衆らが起こした大乱である奥州動乱事件を発端に発した内戦の一つ。


 主に盛岡城下とその周辺で、キリヤ公国連合国軍・伊達・南部連合軍と九戸正恒とが戦った南部家領内の内戦の事である。


 この戦いで最上・九戸・津軽勢力側は、各々の目的を達成する為に進軍して居たが、伊達家とキリヤ公国連合国に保護を求めた反最上・九戸・津軽勢力側の大名王家・国人衆らは、キリヤ公国連合国の援兵を得た事で反転攻勢をへと出る事と成った。


 その結果、津軽地方の大名王である津軽・乃為・信胤は、敵対勢力の情勢の異変を知ってキリヤ公国連合国に降伏し、敵側に寝返りをしてしまう。


 津軽が寝返った事で、盛岡城下町で南部直信と戦って居た九戸正恒は、各地から入って来る彼に取って、情勢不利な報せから如何にかして脱するべく、死中に活を求めるべく盛岡城を落として、最上義光の元へと逃げ出そう目論むが、この時には既に大勢は決して居た。 


 南部直信軍は、伊達軍の援軍が到着し、ナデシコ自治統合陸軍が北側から、寝返った津軽軍が北西方向から攻め掛かり、進退が窮まった九戸正恒は、やけくそに成って津軽・乃為と戦い討ち死にしてしまう。




 陸奥国・南西地方紛争


 最上義光の誘いで蜂起した津軽・乃為・信胤は、羽後国の土地の切り取り放題と南部家の殲滅すると言う事で、手を組む条件として味方し、羽後国北部と陸後国地方北西部地方の切り取りを目指した戦いの事を指して居る。


 津軽乃為は、元々津軽地方の民達の困窮を如何にかしたいと考え、南部家へと物流網交易での売上が取られて行く事に腹を立て、その事を理由に独立したい、津軽地方の土地は、自分達だけでやって行きたいと思って居た事から、1年前に独立を果たして居た。


 そして、この度の南部領・羽後国等への挙兵蜂起に加わり、津軽家の安寧の為にも、徹底的に南部家を潰すと言う決断をしたのだった


 これにより津軽乃為は、羽後国・秋田地方の安東季愛。角館地方の戸沢安盛。横手地方の小野寺道義。仙北地方・六郷地方の六郷乗政と言った諸勢力を討伐し、勢力圏と領土拡大を目指す事にした。


 しかしながら、大館城へと進軍して居る途上の津軽乃為にも、弘前城と青森城の留守居役から両城が陥落したとの報せを寄こした事により、自身が思い描いて居た計画が失敗に終わったと悟り、キリヤ公国連合国中央政府と桐谷勇治に降伏する事に成った為、安東季愛・戸沢安盛 小野寺道義 六郷乗政らの6500人と戦争する事無く撤退。



 これ以降は、北海島国・松前地方の大名王家、松前忠邦が率いる松前軍とキリヤ公国連合国・ナデシコ自治統合陸軍を合わせて六千人と合流し、盛岡城の戦いに参戦する事に成った。


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