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キリヤ公国英雄戦記物語  作者: 伊達教宗
第2章 少年王、家臣団をスカウトする編
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キリヤ公国建国史 第20回 キリヤ公国と伊達・藤枝・政実の奥州王への即位と奥州動乱事件っ!!  

 マギアンティア世界統一暦・1555年・6月25日と言う日は、キリヤ公国・公王都キリヤ市・キリヤ城中央棟・謁見の間にて、キリヤ公国連合国に加盟する事に成った伊達大名王家と毛利大名王家の二家からの外交官がやって来て居ましたが、時を同じくして、アマテラス神皇国地方の奥州地方で大きな動きが起ころうとして居ました。



 アマテラス神皇国の本州島の東北地方、その最北端の最果てに在る九戸地方で、南部大名家領にして、その親族一族である九戸一族が治めて居る地域。


 その九戸一族の当主である九戸正恒くのへまさひさは、野心的な性格の持ち主で、主家であり、南部一族総領家たる南部本家に取って代わり、下剋上を画策を図ろうとして居た。


 それらに付いての回顧録は、生き残った旧九戸家臣団の者達からの聞き取り取材により、以下の通りと成って居る。


「何?最上殿が、この俺を支援してくれるとな?」


「はい。此度の義光様の目的は、南部家・羽州地域の統治している大名王家を打倒をし、伊達家に負けない国土を手にする事に御座います。」


「それに津軽家の津軽信胤さまも、この度の恭兵に、ご同調を為さるとの事。」


 最上義光が使者として九戸家へと派遣した伝令官は、主の命じられたままに、九戸正恒を勧誘して居ました。


「何っ!?去年に謀反を起こして、かつては南部領だった津軽地方を分捕った信胤も南部家を打倒に動くか?それは面白いっ!」


「ふふ、最上殿も存外、野心家だな?」


「姪御がキリヤ公国連合国への臣従するべく、御礼の挨拶の為に、キリヤ公国本国に上洛に向かった後に、最上殿や俺の様な者を始めとする者達に、南部・小国大名王・国人衆と言った勢力を一掃し、伊達家と対抗する勢力拡大を目論む企てを考えるとはな。」


 因みに此処での御礼の挨拶とは、臣下の礼の事で、嚙み砕いて言えば、「今日から貴方様のご家来に成るので、如何か宜しくお願い致します。」と言った意味に当たる。






伊達・政実は、数日中には、キリヤ公国連合国本国のキリヤ公国・公王都キリヤ市へと上洛し、キリヤ城にて勇治に拝謁する予定と成って居た。


 その隙を狙って政実の母方の叔父に当たる最上義光が、何やら企んで居る様だった。


「九戸様のご返答は如何に・・・・・・」


「そんなのは決まって居ろう。この俺れも立つぞっ!これは南部本家を打倒する千載一遇の好機だからな。」


「此方としても大歓迎な企てと言う物だ。その事に付いて、是非とも最上殿には良しなにな?」


「ははっ!畏まりまして御座います。」



 返答を聞いた使者は、足早に去って行きました。



「ぐはははははっ!これで奥陸奥の領土は、全て俺の物だっ!!」


「他の土地ことなんぞ、知った事か!」


「後は織田にでも臣従して置けばっ!あのキリヤ公国連合国とか言う成り上がりの小僧に攻め入られる言われは無い。」


「最上殿も、そう考えての企てなのだろうな。ぐははははははははははははははははっ!!!」




 最上義光の野望とは、アマテラス神皇国地方・奥州地方・西側地域の羽前国と羽後国を合わせた羽州地方全域を我が物とする事であった。


 その為には、伊達家が2代前の当主である晴宗の時代に手に入れ、本拠地とした羽前国・米沢地方を手に入れる必要が有りました。


 その為に、17年前に伊達家へと嫁いだ義光の妹である伊達良姫の事で、伊達家を乗っ取る様にと画策。そう兄に言われて嫁いだ良姫は、いい加減、義光のシスコンぶりに壁々として居るので、サッサと嫁いで逆に悪さをさせない様にしなさいと父親の義守に言われた事を優先したそうです。


 そんな企みを何年もの月日を虎視眈々と狙って居た義光は、遂にその機会が回って来たと喜ぶ出来事が有りました。



 それは姪っ子の伊達政実が、キリヤ公国本国へと上洛して居る間に、何所に臣従するかの意思を鮮明にして居ない大名王家の領土を我が物とする事でした。


 また、アマテラス神皇国・北陸地方・越後国を治めていた大名王であった、上杉・剣信・輝清が居なくなった事も要因の一つに挙げられます。


 何故ならば、上杉家は羽前国西側の庄内地方を治めて居たからでした。 


 越後の軍神又は越後の龍とも称されるアマテラス神皇国地方でも代表的な姫武将の一人で、彼女が参戦する戦は無敵に近いと称されるほどに厄介な存在として恐れられて居たからでした。


 そんな障害が居なくなった状況下で、最上軍を如何にして、素早く軍勢を攻略目的地へと派遣して、勝負を決しなければ成らなかったのです。


 その為に、九戸家・津軽家と言った独立大名王家と手を組んで、旗幟鮮明をして居ない大名王家の領土の切り取り勝手の分かち合いの誓詞を交わして、挙兵する事を決めたのでした。


 津軽家が津軽地方と羽後国の北部や南部量の東北地域を狙い、九戸家は南部家領の殆んどを掌握する事にし、最上義光は羽州と伊達家領の収奪を目論んで居ました。


 この事が奥州王・伊達・藤枝・政実の誕生と奥州独立自治王国の誕生に繋がる事に成ったのです。




 マギアンティア世界統一暦・1555年・6月26日・午前8時15分頃の事です。



 後に・・・・奥州動乱事件と呼ばれた騒乱は・・・・・旧南部家の家臣だった津軽地方領主であり、津軽家当主である津軽・乃為・信胤の挙兵により始まったと公式記録に書かれて居ます。




 津軽地方を切り取りにし、二年前に南部家から下剋上を成し遂げた津軽・乃為・信胤は、南部家を討ち果たすべく、羽後ルートからの盛岡城へと進軍かる道の戦線を担当し、その進軍路に在る町や城を最上や九戸との挙兵する条件の約定として、切り取り放題と言う約束を取り付けた事で、挙兵を決意したのです。


「時は来たっ!!」


「津軽の民と津軽の大地の安寧の為にっ!!重税を課した元主家たる南部家を打倒せんっ!!」


「津軽の兵達よっ!今こそ立ち上がれえええええぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーっ!!!」


「「「「「うおおおおおぉぉぉぉぉーーーーーっ!!」」」」」


 津軽地方は南部家の一部の諸侯や九戸に近いしい者達が、水増しした税金を吸い取られてせいで、そのツケを長年の間、津軽の民達が苦しみ悩まされ続けて居た。


 その代官や諸侯を打倒し、津軽家を津軽大名王家として下剋上を成し遂げたのが、津軽・乃為・信胤だった。



 しかしながら、彼女は九戸一族の一部が、重税に加担して居る事情を知らなかったのです。


 この騒動の原因は、南部家を・・・南部家の国土領を私物化しようと目論んで、軍備増強と私腹を肥やそうとして居た九戸正恒であったのですが、津軽・乃為が真実を知ったのは、キリヤ公国連合国が、この騒乱に介入し、挙兵軍らを鎮圧した後と成ってからでした。



 それぞれの目的を達成する為に最上・九戸らに利用されて居るとは知らない乃為は、苦しみに喘いで居る己が故郷の為に、津軽軍を進発させて行く事に成ります。





奥州動乱事件


 最上義光が計画した領土拡大計画のこと、伊達・政実がキリヤ公国連合国へと臣従するべく、キリヤ公国本国へと渡海する留守を狙って、今だ独立し続けて居るアマテラス皇国東北地方の周辺地域の小国の大名王家や国人衆達の領土を攻め取らんと画策。


 津軽・九戸を仲間に引き入れるが、攻められた南部家を中心とした周辺地域の大名王家や国人衆達が伊達家に救援が求められると、キリヤ公国が参戦を決定し、制圧軍が結成する事で、侵攻軍を制圧。


 津軽家は降伏し、キリヤ公国へと臣従。九戸軍は全滅してしまい、居残った最上軍と当主である最上義光の捕らえられて、強制隠居の上で幽閉させられてしまった。


 これを契機に政実は奥州王の位称号を勇治から送られると、国名を奥州独立自治王国として国家を再編し、アマテラス神皇国の東北地方地域を治める独立自治国家を建国した。


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