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キリヤ公国英雄戦記物語  作者: 伊達教宗
第2章 少年王、家臣団をスカウトする編
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キリヤ公国建国史 第18回 キリヤ公国とアマテラス神皇国地方・天下統一っ!! 6

 マギアンティア世界統一暦・1555年・6月15日の事です。


 マギアンティア世界統一暦・1555年・6月25日に四国島地方を統一平定した織田家。



 それとは時間差が有ったが、武田家や北条家らにも相次いで動きがあった。


 北条家は南関東地方の独立大名王家や国人衆領主らから、キリヤ公国本国へと移民して、キリヤ公国本国政府に仕官するから、土地と城を始めとする様々な物を買い取り、居残った民達や武士たちの面倒を見て欲しいと言う交渉が有ったので、両家らは、戦をせずに土地と城と領民が手に入ると言うの為らば、安いものだとして、キリヤ公国本国政府からの仲介交渉も有った事から、これらの交渉を承諾する事にした。


 その中でも武田家は、アマテラス神皇国の中部地方に在る信濃国を・・・中でも北信濃地方を買い取る形で、引き取る事にしました。



 此処は決まった大名王家が統治をして居ない国人衆達がひしめき合う土地柄で、北信濃を上杉家側に付く国人衆勢力と武田家側に付いて居る南信濃の国人衆勢力が南北線上に別れて戦い合って居た所でした。






それらの争いの集大成と言うのが、世に言う川中島の戦いでした。




 5回ほど戦い合った武田家と上杉家は、毎回3万人同士の戦いで出た死者は、両軍を合わせると死者が4000人と言う引き分けに終って居ました。




 その後は上野国を巡っても争い、両家の戦いは泥沼の様相を呈してしまって居ました。




 そんな戦ばかりの日々に終止符が打たれる事に成ったのです。




 その日に、越後の龍・・・または軍神と謳われ恐れられ敬われて居る上杉・剣信・輝清は、北信濃と上野国の国人衆達と共に武田家と和議に至る事と成った出来事が有りました




 その仲介者とは、アマテラス皇国足柄幕府将軍王朝一三代目の足柄・一輝・宗輝でした。




 足柄・一輝は、キリヤ公国連合国の公王である桐谷勇治に国防大臣に成って欲しいと請われ、キリヤ公国本国へと向かう序でに、アマテラス皇国足柄幕府将軍王朝の直臣や所縁の在る大名王家、又は誘いを掛けた大名王家や国人衆達等と共にキリヤ公国本国へと渡海をする事にして居ました。




 その日は、その集大成であり、足柄・一輝は、顔馴染みや文通相手である者達を迎えに行こうと、アマテラス神皇国の首都である皇都・平庵京を出発し、細川・藤夜・悠斎を筆頭する足柄家の家臣達と共に東へと向かうのでした。 




 皇都・平庵京を出発した一行は、大和国の柳生郷で、柳生・冬香・十兵衛と合流。




 其処から美濃国を経由して武田家の本拠地である甲府市へと入り、一泊して 甲斐国の虎と称される大名王で武田・春夜・信玄と共に真田家の治めている信濃国・上田郷へと向かうのでした。




 其処では上杉・剣信と北信濃と上野国の国人衆達が居並び、この地方に関わる一大会議か開かれる事に成りました。




「これより北信濃地方領・上野国に関わる国人衆、上杉家・武田家の和議と領国売却承認の起請文を交わす。」




「仲介役はアマテラス皇国足柄幕府将軍王朝一三代目にして、元将軍王の足柄・一輝・宗輝が見届ける。」




「それと、少しでも不埒な真似をすれば、加嶋神道流の開祖にして、アマテラス皇国で一番の剣豪としてられて居る我が師たる塚原・伝江・朴伝の弟子である柳生・冬香・十兵衛と上泉・伊澄・信綱の二人が叩きっ切るので、その積りで居る様にっ!!」と足柄・一輝はニヤリと不敵な笑みを浮かべながら言う。






 足柄・一輝が先に述べたように、今日は北信濃地方寮・上野国に関わる国人衆達が一堂に会して、宿敵である武田家と和睦し、己が領国を武田家に売り払う会談が開かれて居た。




 武田家に抵抗して居た勢力は、決して負けて居たり、降伏をしたい訳では無く。




 狭い領国を守って死闘を繰り広げるよりも、キリヤ公国連合国が公募して居る移民と仕官公募に応募して、平和でやりがいのある職に就く方が良いんじゃないのか?みたいな感じで上杉・剣信と足柄・一輝らの誘いに乗る事にしたのです。




 今なら即戦力で希望の部署にも就ける可能性が高いと言われれば、これはもう行くっきゃないね見たいな感じに成るも頷けてしまうと言うものです。




 そんな訳で、武田家はアマテラス通貨の大判金貨で、5億両を・・・・日本円で50億円相当するお金を支払う事で、決着を着けたのでした。




 武田家は甲斐国内の多数ある金山からは60億両(日本円で600億円)もの収入が入って来るので、5億両程度は、はした金に過ぎないと言ってポンと支払って居たのでした。




 これには武田家の軍師として知られて居る山本・晴幸・勘助の献策が有ったからだったとの記録が残って居ます。


 上杉家・武田家の和議と領国売却承認の合意書である起請文へとサインを並んでして居た上杉・剣信・輝清と武田・春夜・信玄の二人は、何所か淋しい雰囲気と顔立ちであったとの記録が残って居ます。


 二人が書き終わると、両勢力に付く国人衆達も書印を書き記し、最後に足柄・一輝が見届けたと言う書印を書くと、合意書の完成と成ったのです。


「これで上杉家・武田家、それに分かれて争う国人衆達らとの和議が成立した事を此処に宣言する。」




「この事は、確かに足柄・一輝・宗輝が見届けた。」




「この文章は上杉家・武田家。そして、キリヤ公国連合国中央政府が、それぞれ保管して置く事とする。」




「何か不服、不都合なことが在ればキリヤ公国連合国中央政府と桐谷勇治陛下が仲裁に入る事と成って居る。」と告げる足柄・一輝。




 この二家の仲裁には、アマテラス皇国足柄幕府将軍王朝一三代目にして、元将軍王の足柄・一輝だけで無く、キリヤ公国連合国も仲裁に入って居ました。




 その方が混乱も少なく成るとの意見が足柄・一輝から出て居たので、武田・春夜と上杉・剣信の二人は、これを受け入れたのです。




 因みに新当主である上杉景勝は、北信濃と上野国の国仕置きは、叔母上に一任するとして居ます。




 多くの武将達が拍手をするなかで、武田・春夜と上杉・剣信の二人は何処か淋しそうな顔つきをして居ました。




その日の夜の事。




 武田・春夜と上杉・剣信の二人は、別れを惜しんで酒を酌み交わして、別れを惜しんで居たと、武田家・上杉家領家の年代記に書かれて居る事は、歴史家や歴史学者には良く知られて居る事実と成って居ます。


 其処で上杉・剣信は、戦を止めて、家臣団ごと桐谷勇治に仕えれば良い、話ならば自分が付けるからと誘ったと言うが、これが後に、アマテラス神皇国地方・武田家討伐戦の際に滅亡した武田家を救う一言に成るとはと、歴史家の間では感慨深い史実と成って居ます。


 此処での講和条約にて、アマテラス皇国足柄幕府将軍王朝一三代目にして、元将軍王の足柄・一輝・宗輝の仲介で、真田家・村上家を中心とした北信濃国・上野国の小大名王家・国人領主家らは、家臣団・領民達らを引き連れて、キリヤ公国本国領内とナデシコ地方領へと移民して行く事に成ったのです。


 そんな行列を砥石城の二の丸矢倉から眺め見て居た武田・春夜、ライバルである上杉・剣信を見送り、涙目で居たとの記録が残って居ます。


 他にも房総半島の里見家、下総国の結城家、上野国の長野家と上泉家、大和国・柳生地方の柳生家・常陸国・筑波小田地方の小田家、紀伊国・雑賀地方の雑賀一族と雑賀衆を中心とした鉄砲傭兵団と言った面々が、続々とキリヤ公国本国政府に仕官しようと、各地の港から渡海をして行くのでした。


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