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キリヤ公国英雄戦記物語  作者: 伊達教宗
第2章 少年王、家臣団をスカウトする編
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キリヤ公国建国史 第10回 キリヤ公国とアマテラス戦国覇王・織田・和紗・信長と織田大名王家っ!! 織田・和紗の野望・平庵京上洛平定戦記編っ!!!

 マギアンティア世界統一暦・1545年・6月7日・岡ヶ狭間山・岡ヶ狭間盆地で繰り広げられた後の岡ヶ狭間の戦いと呼ばれる戦いは、織田・和紗・信長が率いる織田軍に軍配が上がる事で決着が付けられた。




 同年のマギアンティア世界統一暦・1545年の7月1日に、僅か一月で三河国を平定して見せた松平・千代・元康と清州城で講和を為し、清州同盟条約に調印。


 これにより松平家は三河国より東側へと向かい、織田家は尾張国より西へと向かう事が交わされ、何か有れば助け合う事が確認されたのだった。


 この同盟の裏には知多半島を治めて居る国人領主家である水野家、その当主である水野信元が仲介役と成って居るが、実質的には彼の妹で、松平・千代・元康の母親である於大の方の働きかけも有ったからだった。



 同年7月中旬から松平家は東三国から、飯尾連龍が今川家を見限って松平家に付くの報せを受け、曳馬城へと向かう。


 織田家では、織田・和紗が美濃国・道三派の諸将と国人衆らに対して、帰蝶姫とその弟たちらの呼びかけ、反逆者である斎藤義竜に対して、一気に攻勢を駆け寄ようとするが、美濃三人衆の安藤守就が、妹婿である竹中重元と供に斎藤義竜に寝返った事により、美濃攻めが困難と成ってしまう。


安藤守就と竹中重元の二人が寝返ったのは、家族を人質に取られたからであった。


しかしながら、同年13月の半ばに義竜が卒中により病死。


僅か31歳と言う若さでの急死で、その後を継いだのは、16歳の斎藤龍興。


その隙を付いて和紗は、美濃国へと攻め居るが、これも失敗してしまう。



 後に豊臣独立自治大公藩国を建国する豊臣(羽柴)・陽菜・秀良の軍師と成った、竹中・半那・治重が、織田家との戦いで負傷した事により急遽、竹中軍の指揮を執る事に成ったが、これは世間にも知られて居ない天才児で、僅か14歳と言う当主交代では有ったが、思わぬ苦戦を強いる和紗。


 織田家と斎藤家の戦いは、膠着状態に陥ってしまう。


 しかしながら、翌年の3月に、竹中・半那は、叔父である安藤守就がと供に稲葉山城を占拠。


 僅か30人で乗っ取ったと言う前代未聞の落城劇と成ったが、竹中・半那は、人質解放を目的としただけで、龍興からは地位と財産を奪う積りも無く、放蕩三昧に耽る龍興を諌める為にやったと言って、稲葉山城を龍興に変換して居る。



これにより竹中家と安藤家は西美濃の在領地へと退去し、中立を宣言してしまう。


 一方の和沙は、稲葉山城を攻略しようと、揖斐川と長良川に挟まれ、稲葉山城から見て南東部に在る墨俣と言う中州地方に目を付けた。



 此処に城を打ち建てれば、稲葉山城に攻め易いと考え、先ず本拠地を清州城から小牧山城へと移し、其処から墨俣に城造りを柴田・佐久間・林・丹羽らに命じるが何れも失敗に終わった。



 此処で登場するのが、彼の有名な木下・陽菜こと、後の豊臣(羽柴)・陽菜・秀良が、墨俣築城に名乗りを上げた。


 陽菜に由れば、築城軍は3000人と職人が300人・移送関係者は500人。下準備に一週間。切り出し準備に25日。資材移動準備には三日。築城には一夜で築けると言い切り、それを実行する。


 世に言う、木下・陽菜によるアマテラス墨俣一夜城である。


 和紗も成功すれば墨俣地方と墨俣城は切り取りにしても構わないと言い。


 それから一月と数日が過ぎたある日の事・・・・下準備を整え、三河国経由で信濃国の南西部である木曽地方の木曽山脈へと入ると、墨俣城の建築材料を切り出して行く陽菜達らは、僅か三日で設計図通りに木材を切り出して、加工を終えて行く。


 それを筏船に組んで、南信濃地方の国衆である木曽家の旗を掲げると、木曾川から次々と美濃国の方面へと漕ぎ出す。


 その日の24時ごろには、墨俣城を開始。


 翌朝の8時頃には、稲葉山城の龍興らを始めとする家臣団らは、度肝を抜かれ、あんぐりとした口を開いた間抜け面を晒す事に成った。



 その間抜け面に拍車を掛けたのは、陽菜たちが墨俣城一夜城作戦を進めて居る真っ最中に、和紗は小牧山城から陽動作戦を展開。


 更には松平家に援兵を要請し、本多・八重・忠勝と石川・数実・和正、それに 榊原・康江・康政と渡辺・華絵・守綱らを派遣させ、更に戦場を引っ搔き回してやった事で、敵の油断を誘う事に成った。 


 墨俣城を建てた事で稲葉山城の攻略が成ったと見た和紗は、稲葉山城への総攻撃を開始する。


 だがしかし、稲葉山城も斎藤龍興らと家臣団らも、そう簡単には負けられないと奮戦し、和紗らは膠着状態に陥ってしまう。


 一方の松平家は、遠江国へと進軍し、曳馬城の飯尾連龍を味方に引き入れ、今川家に渋々従って居た遠江国の国人衆らを味方に引き入れて行く。


 その頃の今川家は、三国同盟を組んでいた武田家と接触を始めた武田家派閥の今川家の直臣衆と国人衆らが武田・春夜・信玄に、今川家の跡取り娘である今川・鞠華・氏真の後見人を頼もうとするが、今川家の崩壊を免れないと考えて居た武田・春夜は、遠江国を国境にするのならば、松平家とは戦をしないと言う事で松平家と手を組む事に成った。


 武田家の精強さを知って居た松平・千代は、駿河国への侵攻を諦め、遠江国の内政と防備体勢に専念する事にした。



 其の頃の北条家は、武田家の駿河国への保護領にすると言う名目での侵攻を聞き付けると、慌ててアマテラス神皇国地方・北条家当主である北条・九江・早雲は、妹である今川(北条)早紀姫を助けに行こうと軍勢を派遣するが、伊豆国の北西部で、駿河にやって来た武田軍と睨み合いに成ってしまった。



 そして、当事者である今川・鞠華は、北駿河地方の家臣団と国人衆の反乱と箱根山と伊豆国からの北条軍の侵攻を聞き付け、父親の死が親戚たちの遺産相続と後見人争いに成ってしまったと危惧し、それならばと幼馴染みでもある徳川・千代の元へと駆けこみ、自身を保護して欲しいと頭を下げたのであった。



 松平家の遠江平定と武田家の駿河平定、北条家の駿河一部割譲編入で東側の混乱は収まった事を聞いた和紗は焦って居た。


 稲葉山城を目前としながらも未だに稲葉山城が落ちて居ないからだった。


 其処で誰か稲葉山城を攻略できる者は居ないのか?と織田家臣団に言うが誰も居ない。


 だがその頃、木下・陽菜は西美濃の関ケ原から南東部に位置する栗原山城に居ました。


 其処に居たのは、菩提山城を妹である竹中・茂乃・重矩に譲り、無理矢理に従わなければ成らなかったと言え、自身は主君を騙し討ちにした城を奪い取ったと言った竹中・半那・治重は、隠居して栗原山城に引き篭り、もう自分には出番が無いと乱世の世の中を憂いながらも何も出来ないと諦めて居ました。


 そんな所に陽菜は、突然にやって来て、其処で是非とも織田家の味方に成って欲しいと頼み込みますが、二度も断り、3度目にお味方の県は諦めましたと言われ、せめて稲葉山城の攻略を教えて欲しいと頼む。


 それは何故かと聞くと、和紗が掲げるアマテラスの天下を統一する事が目的であると言い切り、何よりも無き道三さまの為にも早く美濃国を平穏にしたいと言い切った事で半那は、隠居庵を出る事を決意する。


 和紗の居る小牧山城へと出仕した半那は、稲葉山城攻略に力を貸せと命じられるが、それを断り、木下陽菜の元で為らば稲葉山城を攻略してみせましょうと言う。


 和紗は、半那が自分自身の家来に成るのでは無く、陽菜の家来に成ると切り出し、それを聞いた和紗は、半那めは・・・サルの下に付くと申すのか?と面白がった。


 陽菜は、予想外の事にビックリし、どう答えたら良いのかが分からずオロオロとして居たと言う。


和紗は、その事を了承し、稲葉山城の攻略方法を問い質す。


 今は殆んど使われなくなった、稲葉山城の東側に在る岩戸の獣道ならば、一の丸近くの曲輪に出られると答えたと言う。


 それを聞いた和紗は、直ぐに陽菜に命じて、稲葉山城に奇襲攻撃を仕掛けさせ、作戦は深夜に行われ、翌朝の午前8時に総攻撃を開始。


 その日のお昼頃には落城させて居る。


 この戦いで斎藤龍興ら一党らは、長良川から脱出し、伊勢を経由して何処かへと落ち延びて行ったと言う。


 稲葉山城を落城させた和紗は、小牧山城から帰蝶姫を始めとする道三らの遺児らを呼び寄せて、改めて城内に屋敷を与えた。


 同時に稲葉山城と井ノ口市の名を大華天帝国・クーロンに在った岐阜山と言う山に城を打ち建て、其処から王朝を起こした事にあやかって岐阜と名付けた。


 これは義父の城、義父の町と洒落た名前が由来と成って居て、師であり義父であった道三への感謝が滲み出て居る名と言える。


 此処に岡ヶ狭間の戦いに端を発した、美濃国・尾張国・三河国・遠江国・駿河国を始めとする各東海地方の混乱は収まり、各地方の大名王家に由って、混乱してしまった各国州は再統一されたのであった。


 その後の和紗は、岐阜城と岐阜市を起点にして、美濃国・尾張国の統治に専念し、それまでの戦乱で荒廃した国内を再興させ、兵力の再編に専念する。



 一方の松平家では、三河国・遠江国を平定し、飛躍の時を迎えた大名王家として独立。


 飯尾氏・井伊氏・朝比奈氏・岡部氏・松下氏と言った遠江国の旧今川家の家臣団と国人衆らを取り込み、今川家の跡取り娘である今川・鞠華・氏真の後見人・・・・庇護者として城下に屋敷を与え、対武田家に対する備えを開始。


 2カ国を得た記念として、家名も松平から先祖の出である上野国・新田郷・徳川地方の地名と、同地を治めて居た人物である新田・義家から家の字を取って、徳川千代・家康と名乗る事に成った。


 この頃から和紗は、アマテラス神皇国足柄幕府将軍王朝一三代目将軍王・足柄・一輝・宗輝と文通を交わしながら、アマテラス神皇国地方の天下統一を絶対にやり遂げたいから力を貸して欲しい幾度も書状を送り合って居る。


 最初の頃は、何所にでも居る様な欲深な大名王家の当主かと思って、話半分と聞き流して居た足柄・一輝だったが、次第に本気である事を感じとり、本気でやるならば、皇都・平庵京に上洛軍を来させて見せろと挑発染みた文章を送り込む。



 その文章が届く頃、近江国の北部、北近江地方の小谷地方・小谷城を本拠地とする浅井家と同盟を計画。


しかしながら、良い返事が貰えずに居たが、足柄幕府将軍王朝政権に措いて大名王家筆頭の地位に遭った大名王家の武将、細川元晴が、新しい世の中を自分自身の意のままに成る様にする為、一輝を暗殺し、従姉妹の足柄・栄花・義栄を擁立させようと皇都・平庵京と足柄将軍王御所殿を襲撃する事件、足柄将軍王御所殿の乱が勃発する。


 襲撃された張本人であるアマテラス神皇国足柄幕府将軍王朝一三代目将軍王・足柄・一輝・宗輝は、兼ねてから天下統一にやる気が有ると豪語して居た織田・和紗に救援を求めていた矢先の襲撃事件であった。 


その裏で暗躍をして居た黒幕なのが、荒んだ世の中に嫌気が差して居た松永・真澄・久秀が、何もかも滅茶苦茶にしてやろうと目論んで居たからだと言うのだから質が悪すぎると言えるだろう。


 三好家に与するフリをしながらも、三好・慶香の率いる勢力軍勢と細川勢力軍とが、機内で壮絶な戦いを繰り広げさせられ様に暗躍をして居たのである。


 真澄は、巧みにその両者の間を手玉に取り、首都の皇都・平庵京・足柄将軍王御所殿を両軍に襲わせたのである。



 細川と三好の両者の目的は、アマテラス皇国足柄幕府将軍王朝一三代目の足柄・一輝・宗輝の身柄の確保であった。


 それに乗じて真澄は、新しい世の中を自分自身の意のままに成る様にする為、一輝を暗殺し、従姉妹の足柄・栄花・義栄を擁立させようと目論んで居た。


 

 だが、一輝は寸での所で塚原・伝江・朴伝を始めとする味方に助けられた。


 そして、兼ねてから助けると言って来て居た織田・和紗の元へと脱出。


 関ケ原の不破の関所で保護し、岐阜城で対面。


 和紗は、大義名分を得た事により、進軍路周辺地域に居る大名王家・国人衆らに檄文を送り付けた。



 その中で浅井家では、自分の姉弟・姉妹たちの中でも次女である市姫を浅井家の三代目嫡男である浅井・真琴・長政に人質として嫁に出す事に成る。


 和紗は足柄家将軍王家13代目将軍王・足柄・一輝・宗輝の名を使って朝倉家・浅井家・六角家らに上洛平定戦に参陣し、足柄家将軍王家を意のまま操って細川家の天下を築こうと目論む細川元晴と大名王家同盟連合を征伐するから軍の派遣を要請するとの使者が来る。


 祖父・父である浅井亮政・久政親子は、傲慢と偏見から織田家の要請を無視する事を決めこんで居たが、足柄家将軍王家13代目将軍王・足柄・一輝・宗輝の名を無視するのは良くないと二人に訴え、自分に従う3000人の軍勢と供に、南近江国地方を治める六角家の本拠地である観音寺山城攻めに参戦。


 義理の姉である和紗と面会し、その自由な生き方に憧れを抱く事に成る。


 その際に誰にも女である事を悟られまいと男装して居た長政は、和紗に一目で、女だろうと見抜かれてしまう。


 その時の長政は、稲妻に撃ち抜かれたかのような衝撃を受けてしまい、彼女は義姉上に一生付いて行くと心決め、市を実の妹の様に大事する誓ったと言うが、此処からが彼女の不幸の始まりと成ってしまう。


 朝倉家も家老の一人であある山崎吉家の進言により、参戦を決めるが、成り上がりの和紗の事が気に入らないと言う不平不満を言う物も多く、これが姉川の戦いへと発展して行く事に成る。


 織田軍を筆頭にして、徳川軍・浅井軍・朽木軍・若狭武田軍・筒井軍の連合軍が一斉に山城国に在るアマテラス神皇国の首都・平庵京へと進軍。


 元晴と戦った新生足柄幕府王朝政権上洛平定連合軍は、三好家・松永家を下し、山城国・北西部に位置して居る将軍山城へと落ちて行く。 


 元晴は機会を見て、本拠地である丹波国・亀山城へと退却し、態勢を整える積りで居たが、同地ににて討ち取られたと言う。



 一輝は、新生足柄幕府王朝政権上洛平定連合軍上洛平定連合軍の手を借りて、首都の皇都・平庵京を奪還したのだった。


これが世に言う足柄将軍王御所殿の乱と言われる政権戦争の顛末であった。



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