エピソードブラス・アマテラス神皇国・戦国無双・萌将伝・新納院・高城の戦いっ!!孤高忠義臣っ!!山田・理安・有信の戦いっ!!15
マギアンティア世界統一暦・1555年・11月20日・午前11時58分頃・マギアンティア世界・中央世界第一文明圏・ユーラシアン大陸東側・アマテラス列島地方・九州島地方・島津家領・南九州地方・日向国・木城地方・木城南部地方・木城高山・島津軍・日向国支城・山田・理安・有信守将拠点城・新納院・高城周辺地域・キリヤ公国連合国加盟諸国軍・各本陣所にて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
西と南の方角から、大胆にもキリヤ公国連合国・九州統一平定南東方面征伐連合国軍に、攻め掛かろうとする小勢の軍勢が、勇ましい雄叫びと供に現れたのである。
そんな勇ましい軍勢こと、島津家残党軍とも言える島津・衣恵与・家久軍が仕掛けた突撃隊の動きは、意外にも奇襲攻撃と成ってしまう。
この奇襲に対して、差し詰め不味い状況に成ってしまった軍勢は以下の通りと成って居た。
羽柴家家臣・長浜領・長浜城代家老職・松下・佳代・之綱・3000人。
近江国・羽柴家長浜領与力・横山城主・城代与力大将・山内・伊右衛門・一豊 三千人。
山内家・長女・山内・伊右衛門・一豊の妹・山内・千草・康豊(一豊補佐武将)護衛隊・200人。
近江国・羽柴家長浜領与力・虎御前郷・虎御前町・虎御前山城主・城代与力大将・中村・孫平次・一氏・1800人。
近江国・羽柴家長浜領与力・小谷町・小谷城主・城代与力大将・美濃攻略戦・堀尾・茂助・吉晴・2500人。
備前国・和気地方領・和気町・天神山城主・浦上宗景・3000人。
備前国・岡山平野地方領・岡山市・岡山城主・宇喜多直家・5000人。
播磨国・龍野地方領・龍野町・龍野城主赤松広秀・1500人。
日向国・北日向地方領・日向市・日向城主伊東義祐・3000人。
肥後国・南肥後・人吉市・人吉城主・相良・晴陽・義陽・3000人。
元駿河国大名王家・現今川家当主・徳川家嘱託客武将・今川・鞠華・氏真・3000人
今川軍旗下・岡部隊・岡部・七未・正綱・500人。
今川軍旗下・朝比奈隊・朝比奈・保美・泰勝・500人
西側から仕掛けてやって来て居り、タイミング良く居合わせた島津・衣恵与とは、口裏合わせをした訳でも無かった、甲斐宗運が率いる甲斐軍・500人。
南側から現れたのは、島津・衣恵与・家久軍の三千人にて、此方も独自の判断で攻め懸け来ていた。
両軍共に、それぞれ虚を突いた形で、包囲作戦をして居た、キリヤ公国連合国軍の加盟諸国の君主軍に迫った。
中でも甲斐宗運が率いる甲斐軍500人と交戦する事に成ってしまったのが、毛利軍・別働遊撃戦部隊を中心としたキリヤ公国連合国・九州統一平定南東方面征伐連合国軍・別働遊撃戦部隊が守って居る西側陣所であった。
その司令官を任せられて居た、宇喜多直家は、思わぬ奇襲攻撃の痛快無比な攻め手口である事に、思わず笑い出してしまった。
「フハハハハハっ!!!これだから戦は面白いっ!!!甲斐の老い耄れめっ!!この大戦の負けが、決定付けられた状況下で、大胆にも奇襲突撃を仕掛けて来るのかっ!?」
「掃部っ!!思い切りの良い老い耄れに遅れを取るなよっ!!!」
「ははっ!!者共っ!迎え討てええええええぇぇぇぇぇーーーーーーっ!!」
「「「「「おおおおおぉぉぉぉぉぉーーーーーーーっ!!」」」」」
「「「「「おおおおおぉぉぉぉぉぉーーーーーーーっ!!」」」」」
「「「「「おおおおおぉぉぉぉぉぉーーーーーーーっ!!」」」」」
宇喜多家の家老職で、主力軍武将である明石・掃部・全登が宇喜多軍の指揮を執りつつ、味方にも檄を飛ばし、甲斐軍を迎え討つっ!!!
その宇喜多軍の後衛陣営として配置に付いて居た、播磨国・龍野地方領・龍野町・龍野城主の赤松広秀が率いる軍勢1500人から成る赤松軍は、甲斐軍と真正面から激突する事に成ってしまった。
赤松軍は、キリヤ公国連合国・九州統一平定南東方面征伐連合国軍・別働遊撃戦部隊の後衛陣営の見張り役で、主に西側街道からの軍勢に備えつつ、肥後国と肥後国の中心都市である隈本市へと進攻するキリヤ公国連合国軍西側との連絡と偵察を担って居た。
だがしかし、間の悪い事に、赤松軍は丁度、見張り交代する時刻に成った時点での奇襲攻撃であった為に、不意を突かれてしまった形と成った様である。
「うわわっ!!不味いっ!もっ、者共っ!迎え討てっ!!!」
「「「「「おおおおおぉぉぉぉぉぉーーーーーーーっ!!」」」」」
「「「「「おおおおおぉぉぉぉぉぉーーーーーーーっ!!」」」」」
「「「「「おおおおおぉぉぉぉぉぉーーーーーーーっ!!」」」」」
足軽軍500人が、甲斐軍の騎馬隊・武士隊・足軽隊と言った軍勢と激突する。
甲斐宗運が率いて居る甲斐軍の500人の内、200名もの騎馬隊が突出して攻勢を仕掛けて来て居た。
「肝っ玉の小さいっ!若造がっ!其処を退けえええええぇぇぇぇぇーーーーーーいいっっ!!」と、声高な叫び声を上げながら、甲斐宗運は、赤松軍の本陣所の中央を大胆にも突破を図った。
「ぐはっ!!」
赤松広秀は、赤松軍本陣所のど真ん中へと、中央突破を図った、甲斐宗運の槍に叩き飛ばされてしまう。
「殿おおおおおぉぉぉぉぉぉーーーーーーーっ!!」と叫ぶ近習や家老たちは、本陣所で甲斐宗運と槍を交えながらも、叩き飛ばされた主を抱き抱えながら、機転を利かせ、甲斐軍を素通りさせる事にした。
これによって赤松軍・1500人は瓦解をしてしまい、立て直しに15分ほど掛かってしまうが、キリヤ公国連合国・九州統一平定南東方面征伐連合国軍の司令官である竹中・半那・治重から指揮権を預かった、長宗我部・国枝・国親から入った無線通信により、距離を取って後退を命じられる。
続いて防備を固めて居るのは、備前国・和気地方領・和気町・天神山城主・浦上宗景・3000人と日向国・北日向地方領・日向市・日向城主伊東義祐・3000人であった。
甲斐軍の違い鷹の羽門の軍旗がはためき、その軍勢が鋒矢の陣を為して、浦上軍の檜扇紋の軍旗と伊東軍の庵木瓜の軍旗の群れへと突っ込んで行く。
「宗景殿っ!!相手は、あの肥後国・甲斐の鬼っ!!」
「承知して居る。相手に取って不足無しっ!!」
「者共っ!!」
「赤松軍の二の舞い成ること能わずっ!!」
「両軍っ!!足軽槍隊っ!!構えっ!!」
「前へえええええぇぇぇぇぇーーーーーーっ!!」
「「「「「「「「「「おおおおおぉぉぉぉぉぉーーーーーーーっ!!」」」」」」」」」」
「「「「「「「「「「おおおおおぉぉぉぉぉぉーーーーーーーっ!!」」」」」」」」」」
「「「「「「「「「「おおおおおぉぉぉぉぉぉーーーーーーーっ!!」」」」」」」」」」
「「「「「「「「「「おおおおおぉぉぉぉぉぉーーーーーーーっ!!」」」」」」」」」」
「「「「「「「「「「おおおおおぉぉぉぉぉぉーーーーーーーっ!!」」」」」」」」」」
「法螺貝をならせええええええぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
「ブオオオォォォーーーーーーっ!!ブオオオオオオオォォォォォォォーーーーーーーーーーーーっ!!ブオオオォォォーーーーーーっ!!ブオオオオオオオォォォォォォォーーーーーーーーーーーーっ!!ブオオオォォォーーーーーーっ!!ブオオオオオオオォォォォォォォーーーーーーーーーーーーっ!!」と法螺貝が鳴り響きながら、浦上・伊東連合部隊は、500人の甲斐軍を迎え討とうと、勇往邁進をして行くのであった。
足軽兵士隊による槍衾がズラリと構えるが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「笑止っ!!」と言い放った甲斐宗運は、腰に引っ掛け持って来て居た弓を取り出し、狙い定めた地点へと幾つもの矢を放つ。
「「「「「ぐわああああああぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーっ!!」」」」」
甲斐宗運が放った強弓による矢じりは、数十人づつ、足軽兵士を吹き飛ばす。
「今じゃっ!!突っ込めえええええぇぇぇぇぇーーーーーーっ!!」
「「「「「おおおおおぉぉぉぉぉぉーーーーーーーっ!!」」」」」
「「「「「おおおおおぉぉぉぉぉぉーーーーーーーっ!!」」」」」
「「「「「おおおおおぉぉぉぉぉぉーーーーーーーっ!!」」」」」
甲斐宗運は、浦上・伊東連合部隊の中央を堂々と突破する。
「くっ!!防げなかったかっ!!」と浦上宗景は、呟くが相手が悪かったと思い、自軍の被害を減らす事にするべく、甲斐軍に道を開く事にした。
「流石は肥後国の豪勇・宗運殿。見事なりっ!!」と伊東義祐は、自身の負け戦で戦った、威風堂々した戦ぶりに、敵たる甲斐宗運の事を褒め称えた。
浦上・伊東連合部隊を蹴散らした甲斐宗運は、尚も新納院・高城を目指して突き進んで行くのであった。