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キリヤ公国英雄戦記物語  作者: 伊達教宗
第1章 少年王とキリヤ公国建国創生記編
24/321

登場人物設定一覧 7 メイン国家キャラ編

島津独立自治・新薩摩自治藩王国 


島津・久実・義久 初登場時では25歳 未来では28歳。 


 島津家第16代当主にして、その美貌は西南国随一にして、誠の大将の器と謳われる長女。さらさらしたロングストレートヘアーのニコニコ笑顔の爆乳のお姉さん。身内での通称は久姉ぇ。


 優れた外交手腕と統治能力を有しており、世界の名だたる列強国のゲルニアン帝国も笑顔で平然と使い捨てにする程の実力者。多分、借金してもタダでは起き上がらないし、平気で踏み倒す事も厭わない危ない性格でショタコンでもあり年下少年がどストライクの性癖を持って居る人。




島津大名王家を大きく発展させ、攻め入り従属をさせた竜珠王国のショウ・ユンを人質と言う形で、取り込み。


 何れはユンとの子供を身籠る事で、島津家を本物の王族にして竜珠王国を乗っ取ろうと企むが、アマテラス神皇国・九州地方平定征伐戦でキリヤ公国連合国に救出されキリヤ公国連合国に敗戦。



 その後はアマテラス神皇国・九州地方平定征伐戦で敗戦国と成った島津家の幹部家臣団と島津家第16代当主にして、その美貌は西南国随一にして、誠の大将の器と謳われる長女と言われた、島津・久実・義久が遠島流刑罰に処され、同地に移り済んだ。


 その後はキリヤ公国連合国のキリヤ公国本国領の拡大に伴い、島津家はキリヤ公国と桐谷勇治の直臣と成る条件付きで大名王家に復帰すると、久実は勇治旗下の直臣藩王として復帰し、絶対に裏切らない証を立てる為に勇治の側室として操を捧げ、永遠の忠誠を誓うのであった。



島津・弘美・義広 初登場時では23歳 未来では26歳


 武勇名高き鬼島津と言われし人物として知られた島津家の次女。セミロングヘアーをした島津家随一の背丈、170センチを有するがややお胸が残念だがCカップくらいは有する女性で、脳筋頭のツンデレさん。


 ボディスタイルは、戦場と道場で鍛え上げられ来た成果がクッキリ各所の筋肉量の多さで如実に現れた体型を持って居る。



 しかし、彼女は戦と勝負ごと以外からきしな戦バカだが、トンデモない博打うちのバカで、勝負ごとだけは小利口な厄介なタイプの人。身内での通称は弘姉ぇ又は弘と呼ばれて居る


 キリヤ公国連合国と織田による島津家討伐が行われた九州地方戦役により島津家の滅亡後は、キリヤ公国連合国・国防総省と足柄・一輝・宗輝国防大臣預かりにして、中将扱い。


 キリヤ公国近衛軍付きの軍団長と成るが、キリヤ公国連合国のキリヤ公国本国領の拡大に伴い、島津家はキリヤ公国と桐谷勇治の直臣と成る条件付きで大名王家に復帰すると、島津家の総司令官へと復帰した。


 後に島津家4姉妹の中で、側室として勇治に二番目に嫁いで行った直臣の一人として知られるようになった。



島津・利美・歳久 初登場時では19歳 未来では21歳


 その才智は天下に轟くと期待されて居る冷血なる軍師で島津家の三女。毒台詞を平気で捨て吐く冷血漢な性格で、家臣達の一部では堪らないらしい。


 小柄な背丈と体型を気にして居り、背丈は155センチでバストはCカップ。どんな相手にも容赦の無い罵声と罵倒を浴びせ、悪魔の様な作戦を立てる軍師でも在る。


身内での通称は利姉ぇ又は利と呼ばれて居る。


 キリヤ公国連合国と織田による島津家討伐が行われた九州地方戦役により島津家が滅亡後は、キリヤ公国連合国・国防総省と足柄・一輝・宗輝国防大臣預かりにして、キリヤ公国近衛軍付きの参謀佐官と成るが、キリヤ公国連合国のキリヤ公国本国領の拡大に伴い、島津家はキリヤ公国と桐谷勇治の直臣と成る条件付きで大名王家に復帰すると、島津家の参謀長として島津家に復帰した。


 後に島津家4姉妹の中で、側室として勇治に最初に嫁いで行った直臣の一人として知られるようになった。


島津・衣恵与・家久 初登場時では15歳 未来では18歳


 島津家内の将兵に最も人気を誇るみんなの妹と言われている四女で元気っ子タイプの女の子。


 武勇と統率力に長けた能力を有して居るが、彼女だけは側室の子で、家内では昔から特別扱いをされて居た為に、疎外感を感じて過ごしてたが、姉妹仲はとても良い。


 ツインテールの髪型とツルペタで小柄な体型が一部の人達に大人気らしい。身内での通称は衣恵ちゃん又は衣恵。



 キリヤ公国連合国と織田による島津家討伐が行われた九州地方戦役により島津家が滅亡後は、遠島追放処分にさたれ姉の久実の世話役として同行し、リュウキュウ島諸島地方のオキナワ島へと向かう。


 その後同地で暫く過ごすが、キリヤ公国連合国のキリヤ公国本国領の拡大に伴い、島津家はキリヤ公国と桐谷勇治の直臣と成る条件付きで大名王家に復帰すると、島津家の第一軍団長として島津家に復帰する。


 居城は日向国南部地方の一つで、元々島津家領でもあった穆佐院地方・穆佐院・高城むかさいん・たかじょう


山田・理安・有信 初登場時では23歳 未来では26歳 通称名・理安りあん


 幼少期の頃より近習の一人として島津家へと使える事に成り、その仕官先には、アマテラス地方の剣技の一つであるアマテラス薩摩示現流を得意とする事から、島津家の先代当主である島津貴久の近習として召し抱えられる事に成った。


 その後、元服した後に、貴久から英才教育を受けて居た事も有って、武術・戦術に長けて居る事から、次いで仕官先と成ったのは、武術に長け将来は勇将と成ると見られて居た次女である島津・弘美・義広に付け家老として仕える事に成った。 


 その風貌は身長169センチで、サラサラしたボブショートヘアースタイルのクールビューティーだが、笑うと笑顔の素敵なスタイル抜群のお姉さん。


 所謂、天才タイプと言うより努力する秀才タイプな性格で、頑固で真面目な一面を持ち合わせて居る為か、戦場では一貫して主家からの命令を優先してしまう事が多く。


 その為に、キリヤ公国連合国軍によるアマテラス九州平定征伐戦が行われた当時の日向国・新納院・高城の防衛を担って居たが、再三に渡る降伏勧告を拒否。


 城を枕に最後まで戦う言い切って居たが、 島津家当主である島津・久実がキリヤ公国連合国と桐谷勇治に降伏。


 序で島津・弘美から新納院・高城の開城命令と降伏命令の伝令官が現れた事により、ようやくキリヤ公国連合国・中央政府の降伏を受け入れた。


 アマテラス九州平定征伐戦の戦後は、キリヤ公国連合国・国防総省と足柄・一輝・宗輝国防大臣預かりにして、キリヤ公国近衛軍付きの軍団長と成った島津・弘美・義広の後を追い掛けて、キリヤ公国本国軍に仕官。


 配属先は島津・弘美の直営軍の一隊を預かる武将と成って居たが、島津家はキリヤ公国と桐谷勇治の直臣と成る条件付きで大名王家に復帰すると、山田・理安は島津家の武将へと復帰した。



家紋は六つ星の紋所。



伊集院・幸枝・忠棟いじゅういん・さちえ・ただむね 初登場時では23歳 未来では26歳 通称名・幸枝


 薩摩国・薩摩半島北側・日置地方・伊集院町・大田地区にある一宇治城を本拠地とする伊集院家の当主で、幼少期の頃より近習の一人として島津家へと使える事に成り、主に勉学意欲に優れた人物であった事から、島津貴久の近習文官として仕え、その後は島津・久実・義久の筆頭家老職に就任。


 島津家の政務・外交対策の一切を取り仕切って居たが、島津家の武力によって大隅国・日向国・肥後国・肥前国・天草諸島・天城諸島と言った国土の拡大に成功した所までは、島津家4姉妹のやり方に賛成をして居たが、其処から竜珠王国、龍造寺家、大友家を屈服させて行く、九州島地方の制覇と織田と対峙、独自に島津王国を築こうとする事には大反対をして居た。


 主君である島津・久実が、竜珠王国りゅうきゅうおうこくの皇太子であるショウ・ユンを見初めてから、全ての歯車が狂いだした。

 

 島津・久実と言う人物は、実はショタコンでもあり、年下少年が、どストライクの性癖を持って居た事から、13歳に成ったばかりのショウ・ユンをじっくりと自分色に染め上げて、自分自身以外の女性に目を向かない性格へと誘導しようと試みる事を企み始めた。


 年下好きの島津家の総大将である島津・久実・義久は、その大将としての辣腕振りと美貌を駆使して、竜珠王国の乗っ取り計画を企てて居た。


 そんな性癖を拗らせ、更には島津家の王国を築くと言う企みも合わさった事で、島津家と島津・久実は、暴走を始めてしまった。



 更には龍造寺・隆美・信隆を唐津城攻防戦で討ち取った事で、残るは大友家を叩き潰せば、九州島地方に口を出して来るのは織田家だけと成る。


 しかしながら、それは思わぬ展開へと転ぶ事で頓挫を迎えてしまう事に成った。


 それは唐津城攻防戦で討ち取った筈の龍造寺・隆美・信隆が、北九州島地方沖で漂流中の所を桐谷勇治とキリヤ公国連合国に救われた事で、状況が一変してしまう。


 龍造寺・隆美が、盟主王である桐谷勇治に頭を下げ、事の次第を聞き、訴えを起こした事で、キリヤ公国連合国中央政府とアマテラス織田自治神皇国・将軍王政府は、島津大名王家に降伏勧告または、外交交渉に応じる事を要請。


 その二つの条件に応じなければ、島津大名王家を征伐対象と見なし、全軍を以って討伐軍を差し向けると宣言に至った。


 島津家4姉妹と家臣団は、これに対して徹底抗戦を唱え、勝てないと分かっては居るが、せめて武威を示して、良くて引き分けか、たった一度の戦勝を持っての講和条約の締結を目的として軍事作戦を展開。



 しかしながら、これには隠居所の先代当主や島津家家臣団らは反発し、一部の家臣団たちも、島津家を潰す気かと反対をして居るが、大多数を占めている徹底抗戦派閥を止める事は叶わず、キリヤ公国連合国と開戦し、アマテラス織田自治神皇国も、本国政府が宣戦布告を出す前に、島津家に宣戦布告と成った。



 島津家筆頭家老である伊集院・幸枝・忠棟は、当初から織田家とキリヤ公国連合国との開戦は反対をしており、危惧して居た通り、島津家は四方から包囲され、大軍に取り囲まれてしまう。


 これを島津家・本拠地である薩摩国・鹿児嶋市・鶴山城で、入って来た情報を元にした敵味方の区別を配置した兵将棋絵地図を見渡し、一月は持たないだろうと見込む。


 彼女は先代当主である貴久の下へ向かい、独自にキリヤ公国連合国との和平を模索する事に成り、戦後にはその事を高く評価され、キリヤ公国連合国・国防総省預かりの武将として少将扱いで、旧島津軍を率いる島津・弘美・義広の部下の一人と成って居る。


 その後島津家は、キリヤ公国と桐谷勇治の直臣と成る条件付きで大名王家に復帰すると、伊集院・幸枝は島津家の武将へと復帰した。


 その風貌は身長172センチで、サラサラしたロングストレートヘアーの温和で笑顔の素敵な爆乳のお姉さんタイプの性格で、とても気が回り、気立て通い人物として知られて居るが、切れ者過ぎて権利を独り占めしてしまうと、誤解をされがち。






島津貴久 初登場時どは45歳 未来では48歳


 アマテラス神皇国地方・薩摩国・大隅国を支配する島津家の第15代当主で、物語の開始時点では、島津・久実・島津・弘美・島津・利美・島津・衣恵与と言った4姉妹に実権を取られて隠居をさせられて居る。


 隠居後は、居城の留守を預かりつつも娘達の軍事・政務には一切の口を挟む事をして居ない。


 その風貌はやや背の高い無精ひげのイケメンタイプのおじさんで、何事も娘達を可愛がる娘大好き至上主義の親バカだが、軍事・政務ともにそつなくこなす天才と言う側面を持ち併せて居り、無難な大名王家の運営統治を心掛けて居る。


 それらの才能は、全て子供達へと受け継がれて居るせいか、娘達が成人する事に勃発した薩摩国内乱を平定した際に、その実権を奪われてしまう事にもなった。




 有馬豊氏 初登場時では30歳 未来では33歳


 アマテラス神皇国・肥前国・島原半島地方・島原・島原城を拠点とする小大名王家で、相良家・龍造寺家・大友家と言った諸勢力の力を巧みに使いながら生き残って居た小国領主家だったが、豊氏の代に成ると、島津家4姉妹によるアマテラス神皇国・九州地方の制覇計画が持つ上がる。


 島原の有馬家は、有馬豊氏の父である有馬晴信の代に成ってからは、龍造寺家の傘下に入って居た。


 しかしながら島津4姉妹の勢いは、龍造寺家・大友家をも凌ぐと見た豊氏は、龍造寺・隆信のやり方にも付いて行けないと感じて居た所に降って湧いた島津家三女の島津・利美から調略の誘いに残る事にした。



 この時、毛利家はキリヤ公国連合国へと加盟し、アマテラス神皇国内での内戦状態に対して中立を宣言。


 九州地方の豊前国と筑後国を領して居たが、それ以上の国土拡大を行わないととした為に、九州地方の覇権争いは大友家・龍造寺家・島津家の三家とどちらかに付くのかで争う小大名王家達による三代勢力での代理戦争の様相を呈して居た。


 そのアマテラス神皇国・九州三国志の争いは、ある日突然終わりの時代を迎えようとして居た。


 織田家がキリヤ公国連合国にアマテラス織田自治神皇国を建国し、キリヤ公国連合国の登録ナンバーでは7番目の加盟国と成る事が決定されると、状況が一変してしまう。



 キリヤ公国連合国と織田による島津家討伐が行われた九州地方戦役が開始されると、有馬家は島津・利美を支援しつつもも利美からは、嬉野平原の戦いで島津軍が敗戦したら、預けて居た島津軍の精鋭達2万と共にギリギリまで戦ったら、頃合いを見て、降伏する様に言われて居た。


 有馬豊氏は利美の言われるがままに、時期を見てキリヤ公国連合国軍に降伏。島原城を開城し、キリヤ公国連合国の監視下に置かれ、九州地方戦役には九州地方からの追放処分とされ、リュウキュウ島諸島地方のオキナワ島とへ遠島される。


 その後同地で暫く過ごすが、キリヤ公国連合国のキリヤ公国本国領の拡大に伴い、島津家はキリヤ公国と桐谷勇治の直臣と成る条件付きで大名王家に復帰すると、島津家の家臣団の一人として武将に復帰した。



その他勢力とキリヤ公国連合国勢力下の諸勢力に付いて・・・・・・・・・・・・・


 阿蘇惟光 初登場時では35歳 未来では38歳


 アマテラス神皇国・九州地方・肥後国・阿蘇地方を治める阿蘇館邸を拠点として居る神主系統の小大名王家の家柄である阿蘇家の当主であり、阿蘇神宮の宮司をしている人物。


 元来阿蘇神宮の管理をして居る家柄で在る為、九州地方の諸勢力とは中立を貫いて居たが、キリヤ公国連合国と織田による島津家討伐が行われた九州地方戦役が開始されると、戦火で焼け出されり、戦火から逃れて来た人々の為に阿蘇神宮前の肥後国避難所管理本部としてキリヤ公国連合国に貸し出している。


 九州地方に太平の時代が訪れると、織田家に持って居た所領を差し出して、今後の阿蘇家は阿蘇神宮の宮司としてやって行く事を宣言し、織田家・キリヤ公国・大友家・毛利家などから寄付金を貰って、神宮の運営に専念して行く事と成る。


相良独立自治・人吉支藩王国


相良・晴陽・義陽 初登場時では23歳 未来では26歳


 アマテラス神皇国・九州地方・肥後国・人吉地方・人吉城を拠点として治める小大名王家の当主の姫武将。


 背丈が高く女性らしいボデイスタイルを持ちつつ、ショートカットヘアースタイルの男装令嬢と言った感じのお姉さんタイプの風貌をもつ女性で、先祖代々肥後国の北東部の甲斐地方の甲斐家と助け合って居たが、その甲斐家が島津家に敗れると今度は相良家領へと攻め入る。


 この戦いで相良・晴陽は人吉城と両国を失い、大友家へと落ち延びたが、織田家がキリヤ公国連合国にアマテラス織田自治神皇国を建国し、キリヤ公国連合国の登録ナンバーでは7番目の加盟国と成る事が決定されると、状況が一変する。



 キリヤ公国連合国と織田による島津家討伐が行われた九州地方戦役が開始されると、相良・晴陽は人吉地方から逃げ延びて来ていた家臣団と共に、キリヤ公国連合国軍として参戦し、肥後国の奪還作戦に尽力し、故郷の領主に復帰する。


 九州地方戦役に相良家は、キリヤ公国連合国の直臣として取り立てられ、男爵位を賜り、相良独立自治人吉支藩王国を建国する。

 公王都キリヤ市の中央政府の近衛近習衆官僚の地位に付いて、勇治の優秀な補佐官の一人と成る。


役職名は、キリヤ公国・公王執務官邸・キリヤ公国・公王執務官邸官房庁・秘書補佐官と言う役職で、略称名は官房秘書補佐官と成って居る。



相良・頼子・頼房 初登場時では20歳 未来では23歳


 相良・晴陽・義陽の妹で、相良家の一族・姫武将の一人。


 やや小柄で巨乳ボデイスタイルを持ち、ボブロングヘアースタイル人懐こい元気で明るい感じのお姉さんタイプの風貌をもつ女性。


 彼女の産まれた相良家は、先祖代々肥後国の北東部の甲斐地方の甲斐家と助け合って居たが、その甲斐家が島津家に敗れると今度は相良家領へと攻め入る。


 この戦いで姉であり相良家当主であった相良・晴陽は人吉城と両国を失い、頼子も、姉と供に大友家へと落ち延びたが、織田家がキリヤ公国連合国にアマテラス織田自治神皇国を建国し、キリヤ公国連合国の登録ナンバーでは7番目の加盟国と成る事が決定されると、状況が一変する。



 キリヤ公国連合国と織田による島津家討伐が行われた九州地方戦役が開始されると、相良・晴陽と頼子の姉妹等は、人吉地方から逃げ延びて来ていた家臣団と共に、大友家内でキリヤ公国連合国軍として挙兵参戦し、肥後国の奪還作戦に尽力し、故郷の領主に復帰する。


 九州地方戦役後に相良家は、キリヤ公国連合国の直臣として取り立てられ、男爵位を賜る。


 同時に相良独立自治人吉支藩王国を建国し、公王都キリヤ市の中央政府の近衛近習衆官僚の地位に付いて、晴陽は勇治の優秀な補佐官の一人と成り、頼子も騎士爵位を貰って、キリヤ公国連合国中央政府の官僚の一人と成った。


キリヤ公国・公王執務官邸・キリヤ公国・公王執務官邸官房庁・一等秘書官僚


甲斐宗運 50歳 死亡


 甲斐家は肥後国南部地方の甲斐地方・御船郷地域・御船城を本拠地とする国人衆一家の一つで、そのルーツを辿ると源氏鎌倉将軍王朝政権の御家人一家でもある。


 先祖代々相良家と助け合って来た家柄だったが、甲斐宗運の代に成ると、相良家の姉妹の父親であり、先代当主である相良晴広が病死。


 甲斐宗運は、先代当主である相良晴広の遺言どおり、跡目争いを避ける為に、跡取り娘である長女の相良・晴陽・義陽に相良家の跡目を継がせ、人吉城と人吉領を与え、八代城と八代領を次女の相良・頼子・頼房に与え、姉を支える様にと言い残して居る。 


 しかしながら、相良晴広が余りにも早い急死だった事も有り、人吉領や八代領の引継ぎや若い二人の領主としての勉強期間が必要だった事から、姉妹は甲斐宗運が良いと言うまでは、人吉で領主としての勉強と経験を積む事に励む事に成った。


 その期間の間の八代領の政務は、甲斐宗運と相良家重臣たちで話し合って決めた代官を派遣し、暫らくの間は様子を見る事に成った。



 だがしかし、それから程なくして、島津家内では島津・久実・島津・弘美・島津・利美・島津・衣恵与と言った4姉妹たちが、父親であり島津家当主であった、島津貴久が握って居た島津家の実権を奪い取り、隠居をさせられてしまった。


 島津家の実権を握った四姉妹は、本国領内を纏め上げ、九州島地方統一を目指した動き出した。


 その結果、甲斐家と相良家は、隣国だった事も有り、突然島津軍に攻められてしまう。


 その後、相良姉妹らは大友家を頼って大分市へと逃れ、在領地を離れられない甲斐宗運は、渋々島津家の命令で、居残って居た相良家残党家臣団を追い出すべく、相良家領へと攻め入って相良家を追い散らした。


 そして、相良家当主であった相良・晴陽と、その妹の頼子も、姉と供に大友家へと落ち延びて行ったが、織田家がキリヤ公国連合国にアマテラス織田自治神皇国を建国し、キリヤ公国連合国の登録ナンバーでは7番目の加盟国と成る事が決定されると、状況が一変する。


 キリヤ公国連合国と織田による島津家討伐が行われた九州地方戦役が開始されると、相良・晴陽と頼子の姉妹等は、人吉地方から逃げ延びて来ていた家臣団と共に、大友家内でキリヤ公国連合国軍として挙兵参戦し、肥後国の奪還作戦に尽力し、故郷の領主に復帰する。



 この時に新納院・高城の戦いで甲斐宗運は討ち取られ、盟約を破った事を詫びながら息を引き取った。


 その際、息子達の事をくれぐれも頼むと言い、相良姉妹は了承したと言う。


 その後の甲斐家は相良家の家臣として加わる事と成った。


斎藤家


斉藤道三 54歳 物語本編の時点では、既に死亡。


武士に成る前は商人をして居た事で有名なアマテラス地方の戦国武将。


 アマテラス神皇国の美濃国を下剋上をする事で、僅か一代で一国を統一平定して見せて美濃のマムシと諸国から恐れられた奇才の人物として知られる。

 美濃国守護大名王家であった土岐頼純を傀儡とする事で、美濃国の国人衆達を巧みに抱き込んで政権を我が物とし、絶大な権力を手にして居た。


 だが、その事を面白く思わなかった土岐頼純は、守護大名王家として権威を傘にして、織田家当主である織田信秀と越前国の守護大名王家である朝倉義景と手を組んで、総勢8万人もの軍勢を使って稲葉山城を攻めさせた。


 稲葉山城にまで迫った土岐軍・織田軍・朝倉軍から成る連合軍らは、稲葉山城下町の井ノ口市内で、斉藤道三軍の7千人の軍勢の待ち伏せ奇襲攻撃を喰らってしまう。


 この戦いに措いて斉藤道三は、戦いに勝利するも、織田家の跡取り娘であった織田・和紗・信長の待ち伏せ奇襲攻撃を喰らった所で、撤退する。


 戦後には守護大名王家であった土岐頼純を美濃国より追放処分とし、織田家とは当主信秀が病に倒れ、大垣城周辺地域の返還と引き換えに、跡取り娘の和紗の後見人と成る事を条件として講和条約を結ぶ。


 道三は揖斐川での戦いで見せた和紗の異才を天下随一の天才虚け姫と称して、彼女の後見人として支える事に成る。


だがしかし、、それを快く思わない嫡男である斉藤義竜と対立してしまう。


 岡ヶ狭間の戦いの数か月前の事、両者の対立は深まり、和紗の事をバカだと思って居る美濃国人衆達の反乱も在って、道三は長良川の戦いで敗戦し、その川で討ち死にと成ってしまう。


 後年、和紗は実父信秀と義父道三らの立派な墓を建てる事に成る。


 特に美濃国攻めで勝ち取った稲葉山城と井ノ口町の改名の際に付けた岐阜城と岐阜市の名前の由来として、義父の城、義父の町と洒落た名前が由来と成って、師であり義父であった道三への感謝が滲み出て居る名と言え、挙句の果てには勇治か貰った撫子級戦艦の一つに道三と名付けて居る。


 その風貌は、大柄な身体に半分以下の禿げ頭で、口回りから揉み上げに至るまで白いお鬚を蓄えて居る。


その顔つきは松〇弘〇に似ているかも知れない。


堀田道空 50歳


 斉藤道三の腹心として知られて居る人物で、事あるごとに道三と話し合って居ると言う。


 その風貌は、チョッと小太りな身体付きと白髪交じりのちょんまげ頭で、顔つきは、著名な俳優として知られて居る長〇裕〇さんとそっくりさんな感じの人物であった。





斉藤義竜  31歳 物語本編の時点では、既に死亡。


 斉藤道三の嫡男で、ちょっと大柄な体形を持った人物で、とても厳つい風貌の顔付きをして居る。


 領国経営は家臣が第一と考えている節があり、強い当主こそが家臣達に一番に好かれるとの思想から、目の前の事ばかりにきを取られがちに成る傾向が強い性格。


 そんな性格から父親である道三と対立し、美濃国の7割の国人衆を言葉巧みに味方に付ける事で、長良川の戦いに勝利する。


 たがその後に岡ヶ狭間の戦いに措いて、今川義本に勝利した織田・和紗・信長に美濃国を攻められるが、数年間は持ち堪え見せる。


 義竜は信長など恐れるに足りないと言い放って、国政を意のままにする政策を続け、酒浸りに成り女色に染まる毎日が始まる。


 だが、そんな時に西美濃の竹中・半那・治重は、30名ほどの手勢で稲葉山城を攻め取ると言う大事件が起こる。 


 竹中・半那は直ぐに城を返却したが、油断して居ると簡単に城を攻め取られると警告して、美濃国と近江国の国境の山中へと隠棲してしまう。


 それから暫くして、木下・陽菜・秀良が一夜にして墨俣城を築城すると、形勢は織田方に傾き、義達のやり方に愛想が尽きて居た国人衆達は、道三様の後継者は、織田・和紗・信長様であると口々に叫び、次々と和紗に寝返る。


 とうとう稲葉山城を落とされた義竜は、朝倉家へと逃れて行くのであったが、それから更に数年後のこと。


 朝倉家に身を寄せていた義竜は、小谷城の戦いの前哨戦である大獄山城の戦いに破れた朝倉軍の撤退戦の中で討ち死にしたと言う。



明智光安  40歳


 明智・十華・光秀は、14歳の時に父である明智光綱が領内争い事を鎮める為に、出陣した合戦での手傷が元で、破傷風を患って病死してしまう。


 その後、明智家の家督は、父の弟である明智光安が、明智家の家督相続をし、明智・十華は、道三の旗本の一人として仕える事に成った。


 ・・・・・と言うよりは、先代の当主の長女が、代替わりしたばかりの明智家内に留まり居続けるて居るのは、明智一族内としては、権力争いや諍いの元であるとして、体裁良く外へと追い出されたと言える処置もであった。


 その明智光安の風貌の顔付きは、ドジでコミカルな役を演じたり、時にはシリアスな演技を得意とする役者としても知られる俳優の西○雅○氏と良く似て居たりする。

 

 ひょっとしたら「黙れっ!!小童あああぁぁぁーーーーっ!!!」と言った感じの怒鳴り声を叫ぶかも知れない雰囲気が在る顔付きをして居る。


土岐頼純


物語開始の10年前に美濃国の守護大名王家の当主だった人物。

 先代の頃から仕えていた斉藤道三の力を背景に美濃国を纏めようとするが、実権は常に道三の手に在った為、それを何とかしようと道三に反旗を翻す。


 だがしかし、織田家・朝倉家からの援軍を使っての稲葉山城への総攻撃に失敗し、逃げる途中で捕縛され、美濃国から追放処分とされ、その後の行方は分からない。





今川家


今川・鞠華・氏真  過去編では8歳。初登場時では18歳。未来では23歳


 彼女の事を語るのには先ず、話は10年前のことを語る必要性が在るだろう。

 鞠華の父親である今川義本が、アマテラス神皇国の天下の覇権を取ろうと都である山城国・平庵京を目指して織田家領である尾張国へと侵攻したが、当時16歳であった織田・和紗・信長が岡ヶ狭間の戦いで、今川軍の軍勢5万6千人を僅か三千人の手勢を以ってして、今川軍の本陣を奇襲攻撃する。


 この戦いで今川義本は討ち死にし、今川家は没落してしまう。


 次期当主である筈の今川・鞠華・氏真は、三国同盟を組んでいた筈の武田・春夜・信玄と北条・九江・早雲らに裏切られ、また三河国では従属支配して居た徳川家が今川義本は討ち死にと知ると織田家へと寝返り、瞬く間に遠江国・駿河国は両家に取られてしまう。



 その後は幼少時代に共に太原雪斎の下で学んだ幼馴染みである徳川・千代・家康に家来で良いから助けてと嘆願し、以後は徳川家の庇護下に措かれる。 


 後にキリヤ公国連合国と織田による島津家討伐が行われた九州地方戦役を経るとアマテラス神皇国の古都である平庵京よりも素晴らしいと言う公王都キリヤ市に住みたく成ったらしく、徳川家公邸の屋敷守番として移り住み、その後はちゃっかりとキリヤ公国の官僚に収まった。


 アマテラス神皇国足柄幕府将軍王朝・足柄家の庶流一族のアマテラス神皇国地方・今川家12代当主で、艶やかな黒髪のロングヘアーを靡かせた顔立ちの綺麗な姫武将で、おーっほっほっほっと言う高笑いが特徴的なお嬢様口癖の女の子。


 何かと金が無い事を忌々しいと言って居るが、類い稀なる幸運の持ち主で、どんな博打を打っても必ず当てる程に運が良く、そのせいか死にそうな目に遭ってもちゃっかりと生き残る図太さを持ち合わせて居る。


 そのせいか、自前で稼いだ軍資金で500人から千人程度の軍隊を招集する事が可能で、時たま徳川家の加勢に出向いて、報奨金を稼いで居ると言う。


 因みに先の将軍王である足柄・一輝とは、足柄家から枝分かれした遠縁の親戚関係在ると共に、義姉妹を結んだ母親同士の子である為、義理の従姉妹同士に当たる。


朝比奈・保美・泰勝 過去編では14歳。初登場時では24歳。未来では27歳。


 今川・鞠華・氏真が幼い時から面倒を見て来た人物で、今川家に代々使えて来た家柄の姫武将。

 

 没落した今川・鞠華が大名王家では無くなっても、見放したらどうなるのか分かって居る為、仕方なく仕えて居る苦労人のお姉さん。


 眼鏡を掛けた黒髪のロングヘアースタイルの生真面目そうな顔付きをしたお姉さんで、穏やかな苦労人大部な人。

 

でも実は政務・軍務に措いて結構凄腕な所が在る人。


岡部・七未・正綱 過去編では14歳。初登場時では24歳。未来では27歳。


 朝比奈・保美・泰勝と同じく、今川・鞠華・氏真が幼い時から面倒を見て来た人物で、今川家に代々使えて来た家柄の姫武将。


 没落した今川・鞠華が大名王家では無くなっても、見放したらどうなるのか分かって居る為、渋々仕方なく仕えて居る苦労して居る武人さん。


 少々気の強い性格をして居るらしく、頭脳派の朝比奈・保美とは違って、生活費を稼ぐ為に、徳川家の戦へと出掛けて、陣借りをしてお金を稼いで居る姫武将。


 槍兵軍や歩兵軍、それに騎兵軍を率いる実力を持ち合わせて居るらしい。


 ショートカットヘアースタイルのツリ目の顔立ちに、大柄な身体付きをして居り、性格はややがさつで無頓着物な性格をして居る。


 朝比奈・保美・泰勝とは幼馴染みで親友同士。



今川(北条)早紀姫 初登場時では36歳。未来で39歳



 アマテラス神皇国地方・北条家当主である北条・九江・早雲の妹の一人たる三女で、武田家・北条家・今川家等が相互同盟条約として結んだ甲相駿三国同盟の証として、北条家から今川義本の元へと嫁いで来た今川(北条)早紀姫とは、義理の親戚関係であり、初めての挨拶をした時からお互いに気が合う事から、義姉妹を結び贈り物と文通をし合う親友関係にある。


 キリっとして居てとても凛々しい顔立ちとサッパリとした性格で、ロングヘアーと白の上着と藍色の袴姿がとても良く似合う熟女美女な未亡人。


 夫である義本が死んだのは、利口で間抜けな雪斎と共に悪巧みが過ぎたのが敗因と切って捨てて居るし、仇である織田・和紗・信長には、「何て利口で良い女の子なのっ!!これでは義本が首を取られるのは当然のことだ」と溺愛する変わり者。


 そんな二人は、初対面をして以来、酒を酌み交わす中で、実に話の分かる二人目の母親であると和紗に謂わしめた人物と成った。


 その娘である今川・鞠華・氏真と義妹を結んだ足利・阿子・義晴の娘である足柄・一輝・宗輝の二人は、母親との関係が在るの為に、義理の従姉妹同士に当たる。






今川義本  45歳 死亡


 物語始まる10年前の岡ヶ狭間の戦いで、非業の戦死を遂げてしまった人物としてアマテラス神皇国地方では名の知れた人物。

 東海地方随一弓取り武将とも言われた今川義本は、アマテラス神皇国の天下統一と言う野望を胸に、武田・北条と同盟条約を結んでアマテラス神皇国の皇都・平庵京と足柄家将軍王家を助ける名目とする上洛軍を結成。


 駿河国の今川軍本隊を最後方にして、先鋒軍の当時、松平・千代・元康と名乗って居た徳川・千代・家康を先鋒軍とし、遠江国・国衆軍を次鋒軍とした派遣した。



 だが此処で今川家に不幸な転機が訪れてしまう。


 それは当時16歳であった織田・和紗・信長が岡ヶ狭間の戦いで、今川軍の軍勢5万6千人を僅か三千人の手勢を以ってして、今川軍の本陣を奇襲攻撃する。


 この戦いで今川義本は討ち死にし、今川家は没落して大名王家としての今川家は滅んでしまうしまうのであった。


 出陣に至るまでの手配りが上手く長い為に、出立での腰の立ち上がりが重く遅い事から又の名を駿府の穴熊とも言われて居る。



朝比奈泰朝 過去編では30歳。初登場時では40歳。未来では43歳


 今川家の譜代家臣の一人で遠江国の掛川城の城主にして、3万石を治めていた朝比奈家の当主である。


 代々今川家に仕えて居たが、物語始まる10年前の岡ヶ狭間の戦い事で御家がひっくり返るほどの大変事に見舞われてしまう。


 東海地方随一弓取り武将とも言われた今川義本は、アマテラス神皇国の天下統一と言う野望を胸に、武田・北条と同盟条約を結んでアマテラス神皇国の皇都・平庵京と足柄家将軍王家を助ける名目とする上洛軍を結成。


 駿河国の今川軍本隊を最後方にして、先鋒軍の当時、松平・千代・元康と名乗って居た徳川・千代・家康を先鋒軍とし、遠江国・国衆軍を次鋒軍とした派遣した。



 だが此処で今川家に不幸な転機が訪れてしまう。


 それは当時16歳であった織田・和紗・信長が岡ヶ狭間の戦いで、今川軍の軍勢5万6千人を僅か三千人の手勢を以ってして、今川軍の本陣を奇襲攻撃する。


 この戦いで今川義本は討ち死にし、今川家は没落して大名王家としての今川家は滅んでしまうしまうのであった。



 その後は今川家の跡取り娘であった今川・鞠華・氏真を庇護しながら各地を転戦するが、徳川家と武田家らの今川家領国への大侵攻により、今川家は崩壊。

  

 遂には次期当主である筈の今川・鞠華・氏真は、三国同盟を組んでいた筈の北条・九江・早雲すらも裏切られた事により、その全てを失う。



 その後は幼少時代に共に太原雪斎の下で学んだ幼馴染みである徳川・千代・家康に家来で良いから助けてと嘆願し、以後は徳川家の庇護下に措かれる。 


 後に娘である朝比奈・保美・泰勝達等の人力により、今川家はキリヤ公国本国内で御家を再興し、親子ともにキリヤ公国の官僚に収まった。



岡部元信 過去編では30歳。初登場時では40歳。未来では43歳


 駿河国の西部・岡部地方・朝日山城を本拠地とする一族の当主で、代々今川家に仕えて居たが、物語始まる10年前の岡ヶ狭間の戦い事で御家がひっくり返るほどの大変事に見舞われてしまう。


 東海地方随一弓取り武将とも言われた今川義本は、アマテラス神皇国の天下統一と言う野望を胸に、武田・北条と同盟条約を結んでアマテラス神皇国の皇都・平庵京と足柄家将軍王家を助ける名目とする上洛軍を結成。


 駿河国の今川軍本隊を最後方にして、先鋒軍の当時、松平・千代・元康と名乗って居た徳川・千代・家康を先鋒軍とし、遠江国・国衆軍を次鋒軍とした派遣した。



 だが此処で今川家に不幸な転機が訪れてしまう。


 それは当時16歳であった織田・和紗・信長が岡ヶ狭間の戦いで、今川軍の軍勢5万6千人を僅か三千人の手勢を以ってして、今川軍の本陣を奇襲攻撃する。


 この戦いで今川義本は討ち死にし、今川家は没落して大名王家としての今川家は滅んでしまうしまうのであった。



 その後は今川家の跡取り娘であった今川・鞠華・氏真を庇護しながら各地を転戦するが、徳川家と武田家らの今川家領国への大侵攻により、今川家は崩壊。

  

 遂には次期当主である筈の今川・鞠華・氏真は、三国同盟を組んでいた筈の北条・九江・早雲すらも裏切られた事により、その全てを失う。



 その後は幼少時代に共に太原雪斎の下で学んだ幼馴染みである徳川・千代・家康に家来で良いから助けてと嘆願し、以後は徳川家の庇護下に措かれる。 


 後に娘である岡部・七未・正綱達等の人力により、今川家はキリヤ公国本国内で御家を再興し、親子ともにキリヤ公国の官僚に収まった。





浅井家




浅井・真心・長政 過去編では15歳。初登場時は25歳。未来では28歳


男性としての名は、浅井・真琴・長政。


 浅井久政の嫡子で、浅井大名王家の三代目の次期当主として、厳しく育てられた過去を持った姫武将。


しかしながら、浅井亮政・久政親子とは姫武将と言う風習を毛嫌いして居た。


 それ故に武家の家に生を受けし者で在るの為らば、当然の事ながら跡取りと成るべきなのは、すべからく男子であるべきと言う偏見持って居た為、男装の麗人とも言うべき美貌を持った女性としてこの世に生を受けた長政を男子として育てて居たので、アマテラス神皇国内では長政の事は美男子と見られて居た。


 そんな生き方をさせられてきたが故に、それしか生き方を知らなかった浅井・真心は、とある人物との出会いで父親達から押し付けられた生き方を否定する事に成る。


それが織田・和紗・信長であった。



 織田・和紗・信長が尾張国・美濃国を制覇し、足柄将軍王御所殿の乱に措いて首都の皇都・平庵京を脱出した足柄家将軍王家を保護した事により、始まった織田家・アマテラス神皇国地方統一平定計画。


 その計画として浅井家に接近して来た和紗は、自分の姉弟・姉妹たちの中でも次女である市姫を浅井家の三代目嫡男である浅井・真琴・長政に人質として嫁に出す事に成る。


 和紗は足柄家将軍王家13代目将軍王・足柄・一輝・宗輝の名を使って朝倉家・浅井家・六角家らに上洛平定戦に参陣し、足柄家将軍王家を意のまま操って細川家の天下を築こうと目論む細川元晴と大名王家同盟連合を征伐するから軍の派遣を要請するとの使者が来る。


 祖父・父である浅井亮政・久政親子は、傲慢と偏見から織田家の要請を無視する事を決めこんで居たが、足柄家将軍王家13代目将軍王・足柄・一輝・宗輝の名を無視するのは良くないと二人に訴え、自分に従う3000人の軍勢と供に、南近江国地方を治める六角家の本拠地である観音寺山城攻めに参戦。


 義理の姉である和紗と面会し、その自由な生き方に憧れを抱く事に成る。


 その際に誰にも女である事を悟られまいと男装して居た長政は、和紗に一目で、女だろうと見抜かれてしまう。


 その時の長政は、稲妻に撃ち抜かれたかのような衝撃を受けてしまい、彼女は義姉上に一生付いて行くと心決め、市を実の妹の様に大事する誓ったと言うが、此処からが彼女の不幸の始まりと成ってしまう。


 四国・機内の覇者へと登り詰め様として居た三好・慶香・長慶を下し、その主家である細川元晴の野望を打ち砕いて、その首を討ち取る事に成功を収めた織田・和紗・信長の勢いは止まらず、その勢力図は畿内に一円に広がりを見せて居た。


 そんな中で和紗は、朝倉家・当主である朝倉義景と浅井亮政・久政親子らに対して、足柄家将軍王家13代目将軍王・足柄・一輝・宗輝に対して年賀の挨拶をしに上洛せよとの命を足柄・一輝の名で下させた。


 しかしながら、先に述べた三名は、尾張の田舎虚け姫の命令なんぞ聞く物かとし、その命令を無視。


 長政は、父達等を説得すると言って居たが、それも叶わず浅井家は南北に別れて分裂してしまう。


これが姉川の戦いへの始まりと成ってしまう。


 浅井亮政・久政親子らは小谷城の北の要地である大嶽山城で挙兵、長政派閥に対して戦を仕掛けて来たが、お互いに一進一退の攻防を繰り返す。


 其処に織田軍の援軍が到着し、長政派閥軍らは佐和山城と横山城へと退きのく事に成功し、浅井亮政・久政親子らは小谷城を掌握する事に成功する。



 その後の両親達らは、瀬田の戦い・比叡山の戦い・姉川の戦いと転戦し、次第に勢いを失い始めた朝倉家・北浅井家同盟は、織田家の連合政権軍に打ち負かされてしまう。



 浅井亮政・久政親子らは小谷城にて自害し、朝倉義景は、越前大野朝倉家の当主である朝倉・育美・景鏡によって自刃に追い込まれてしまう事と成った。



 北浅井家と朝倉家を滅亡させた浅井・真心は、旧領地の大名王家として復権し、和紗の右腕に成るのかと見られて居たが、以外にも祖父・父親達等の不始末は自分の責任と言い切り、旧浅井大名王家領を和紗に引き渡し、自分は織田家の一兵卒から出直すと言ってしまう。


 和紗も義妹の決意表明を汲み取り、それでは俺が困るから、せめて自分の旗下の武将としてやり直せと言って佐和山城1万石の侍大将として取り立てたと言う。



 そんな浅井・真心の見姿とはと言うと、見た目はイケメン風の若い美男子に見えるが、翌々見てみると宝塚風の男装の麗人の様なクールビューティーな美人であり、ボディスタイルも中々の身体つきを持って居る。


 ポニーテール風の黒髪のロングストレートヘアーで結った髪型と整った顔立ちは、男女問わずその美貌に酔いしれてしまう程の美形の持ち主。


 真面目で実直な性格では在るが、臨機応変に対応も可能な考え方を持った性格で、政務・軍務ともに出来る才人でもある。


 義姉妹の契りを交わした和紗の事を尊敬し、敬愛すらもして居る程に心酔して居り、和紗からは生き方の自由と、己が女である誇りと喜びを教わったと言って居る。


 特に和紗と共にキリヤ公国公王の奥閨室後宮おくねやしつこうきゅうへと入れと言われた際には、喜んでお供し、織田家一族衆の一人として勇治の伽役妃と成り、四人の子供に恵まれる事に成った。 



家紋及び軍旗は、三つ盛亀甲に唐花菱

 


朝倉家


朝倉・育美・景鏡  初登場時では30歳。未来では33歳。過去編では25歳。


 越前大野朝倉家の当主で、織田・和紗・信長による越後国平定戦で、降伏して生き残った大野朝倉家の当主である。


 今は越後国・大野城を拠点にしながら、朝倉家残党を纏める実質的に朝倉家を継いで居る姫武将である。


 今は織田家の筆頭家老で、とても強い武人として知られて居る人物で、越前国を中心とした旧織田大名王家・第一軍団・北陸方面軍団を改め、南西北陸方面地方の統括する織田大名王家・第一軍団・南西北陸方面地方軍団の柴田・朱里・勝家の旗下と成って与力武将として働いて居る。 



 彼女はとても真面目で実直なクールビューティーな人柄であり、白いリボンで結ったポニーテール型のショートカットヘアースタイルとキリっとしたツリ目の目元が生えおり。


 鍛えられ整った女性らしいボディスタイルは一見すればほっそりと見えてしまうが、中々の果実を有するバストや一撃でバッサリと相手を斬り倒す剣技を放つ事の出来る筋肉のあるバランスの取れた体型と足腰を持って居た。


家紋及び軍旗は、水色布地に、越前大野朝倉・三ツ盛り木瓜紋。



成田武蔵自治支藩王国 


成田長泰 初登場時では45歳。未来では48歳


アマテラス神皇国・武蔵国北部の埼玉郡領地方を治める地方大名王の一人である成田家の当主。


 代々武蔵国北部の埼玉郡領地方治めて居たが、近年では上杉家・武田家・北条家と目まぐるしく変わる情勢に臨機応変に対応して、成田家を生き残られて来たが、上杉家との同盟手切れと成ると、北条家に従属する。


 しかしながら、アマテラス列島地方戦国時代末期、主家である北条家は、織田家のアマテラス織田自治神皇国と勇治のキリヤ公国連合国とが、回答期限切れと武田家の織田家への宣戦布告により、同盟国である為に最後の決戦に挑む事に成る。


 成田家は、当主である成田長泰が小田原城へと出仕し、裏切らない事を証明する為に居城である忍城を離れる事と成った。


 この戦いで、完全に国土を制圧された北条家は、居城である小田原城と共に降伏。


 川越城を間借りして徹底抗戦をしていた武田家も降伏し、北条家と同盟又は従属して居た国人衆達は続々と降伏するなかで、何を考えたのか成田家は主家が降伏しても徹底抗戦を続けて居た。


 何でも大軍で小城を攻め落とすのが気に入らないと成田家当主代行と成った成田長親が、籠城戦を展開して居たのである。


 それを聞いた当主である成田長泰は、自ら居城である忍城へと戻り、とっと降伏しろと言って成田一族と臣下達を説得して事なきを得たが、成田家は領地没収の改易と成ってしまう。


 その後、娘で在り跡取りであった成田・甲斐・氏長が勇治の愛妾妃兼近衛衆の護衛官入りした事で、成田家は復権し、成田長泰は桐谷公王家とキリヤ公国の直参家臣と成って成田武蔵自治支藩王国を建国した。 



成田・甲斐・氏長 初登場時では18歳。未来では21歳



 成田長泰の長女で成田家の跡取り娘で、超が付くほどのお転婆娘であるが、武芸も教養すら持った才女で、飛び切りの容姿端麗のスタイル抜群の美人姫と評判でもある人物。


 常に薙刀とカタナを指し、弓鉄砲を自在に操れ、兵馬の扱いを得意としながも、卓越した教養を身に着けて居る。


 やや小柄の中肉中背の背丈と身体付きで、黒髪のロングヘアーポニーテールを赤紐で結って居る。


 ツリ目をした気の強い感じの顔立ちをしたツンデレな性格をしている女の子で、初対面の勇治を張り飛ばしたが、逆にそれだけ力が余って居るなら、僕の近衛衆で働かないか?と誘われた。


 戦に大負けして、更には大軍を使って成田家をボコボコにした勇治かとても気に入らない成田・甲斐は、意地でも家来に成りたくないと言い放って、誘いを何度も断るが、どうしても欲しいと頭を下げる勇治に根負けしてまうと同時に、欲しいと言われた事が、貴女と結婚したいとも受け取ってしまい、逆に勇治に惚れ込んでしまうのであった。


 その後、娘で在り跡取りであった成田・甲斐・氏長が勇治の愛妾妃兼近衛衆の護衛官入りした事で、成田家は復権し、成田長泰は桐谷公王家とキリヤ公国の直参家臣と成って成田武蔵自治支藩王国を建国した。 




成田泰季初登場時では43歳。未来では46歳


 成田長泰の弟で成田家一族筆頭頭にして、城代家老を務めて居る人物。 


 アマテラス列島地方戦国時代末期、主家である北条家は、織田家のアマテラス織田自治神皇国と勇治のキリヤ公国連合国とが、回答期限切れと武田家の織田家への宣戦布告により、同盟国である為に最後の決戦に挑む事に成る。


 成田家は、当主である成田長泰が小田原城へと出仕し、裏切らない事を証明する為に居城である忍城を離れる事と成ったが、籠城戦をしている最中に少し前から患って居た病の為に死去してしまう。


 病で死去した成田泰季に変わって城代家老を務める事に成ったのは、領民達からは天下の木偶の無謀様と言われし、成田長親であった。

 



成田長親 初登場時では23歳。未来では26歳


 成田泰季の息子にして、成田家一族の一人で、当主である成田長泰とは叔父と甥の関係で、その娘である成田・甲斐・氏長とは従兄妹同士の間柄。 


 とても領民達から慕われる人物だが、何をしてもドジや間抜け面を晒して、様々な人々からその様を見ての笑いが絶えない事から、領民達から天下の木偶の無謀様と言われて居た。


 アマテラス列島地方戦国時代末期、主家である北条家は、織田家のアマテラス織田自治神皇国と勇治のキリヤ公国連合国とが、回答期限切れと武田家の織田家への宣戦布告により、同盟国である為に最後の決戦に挑む事に成る。


 成田家は、当主である成田長泰が小田原城へと出仕し、裏切らない事を証明する為に居城である忍城を離れる事と成ったが、籠城戦をしている最中に少し前から患って居た病の為に死去してしまう。


 病で死去した成田泰季に変わって城代家老を務める事に成ったのは、領民達からは天下の木偶の無謀様と言われし、成田長親と成ってしまうが、この運命が後にアマテラスの無謀の城と言うベストセラー戦記小説を産む事に成る。


 長親はこの忍城の戦いで、たった三千人の兵力で30万人の軍勢を釘付けにした武将として、幅広く知られる人物と成ってしまうのであった。




成田親泰


成田家の前当主で、第一次関東地方遠征軍・小田原城合戦に措いて、上杉・剣信・輝清に従って小田原城戦へと参加する。


 その際に上杉・剣信は、上杉憲政の養子と成り、足柄幕府・関東甲信越地方管領職を受け継ぐ事に成って居た。


 上杉・剣信は、古式時代から仕来りで、亀岡八幡宮での旧足柄幕府・関東甲信越地方管領職就任式を執り行う事に成り、粛々と儀式は進まれ、晴れて関東管領と成った。


 しかしながら、就任式が終って鎌倉市の若宮大路を由比ヶ浜へと下って練り歩く馬揃え行進の義で、その中で唯一、跪いて居なかったのが成田親泰だった。


 親泰は馬上より馬揃え行列を見守り、憲政と剣信にお辞儀をするが、この行為は無礼であると激怒をしてしまった剣信。



 しかしながら、成田家は第二将軍王朝・藤原家の血筋と流れを引く名門で、祖先は、その家来筋から成りあがった第三将軍王朝・源・頼美・頼朝の父親でもある源義家にも下馬をせず、挨拶を交わしたと言う名誉の家門で在るので、長泰は古例により下馬をしなかったという逸話がある。


 田村将軍王朝を政略結婚で乗っ取った藤原家が第二将軍王朝を築いて、新たな将軍王朝と成ったが、流石の源家でも田村家の血筋が混じった藤原家は仇でもあるが、同時に祖先の血筋も混じって居るので、それに近しい血筋の者たちを蔑ろには出来なかった様である。


 そんな理由から、成田家は代々如何なる地位の人物が相手であっても下馬をしなくて良い事に成って居る。


 しかしながら、これはアマテラス神皇国地方のみの慣習なので、他所ではキチンと下馬するのが礼儀らしい。


 そして、第四将軍王朝・足柄家ですら、成田家には礼儀を尽くすのが慣習であるので、関東地方では成田家を蔑ろにする輩は、礼儀知らずと言われてしまうのである。



 そんな出来事が有った為に、成田親泰は、亀岡八幡宮で行われた関東管領の就任式で長泰が下馬をしなかった事で、剣信に扇で烏帽子を打ち落とされるという恥辱を受けたため、兵を率いて居城である忍城へ戻ってしまった。


 これにより剣信は、憲政に叱責をされ、これが原因で第一次関東地方遠征軍に参加して居た諸侯・国衆達らは、礼儀知らずの剣信には従えないと言われてしまい、遠征軍は瓦解してしまう。





 



正木利英 官職名・丹波守。初登場時では33歳。未来では36歳



 成田家臣にして家老職の一人。羽生城の戦いでは、その恐ろしい迄の強さから漆黒の死神と謳われ、関東諸国の大名王達や国衆達に轟く事に成った功績により、主君成田長泰から栢間に加え郷地と笠原を与えられた。


 忍城の戦いでは、総指揮官として成田軍を率いて、八面六臂の活躍を見せる事に成った。


柴崎敦英 官職名は和泉守。初登場時では33歳。未来では36歳


 成田家家臣にして家老職を務めて居る人物の一人。忍城の戦いでは長野口の主将となり三田加賀守・吉田和泉守以下200人で城郭を守って居た。


 迫りくるキリヤ公国連合国軍の軍勢を、得意の槍でバッタバッタと討ち取り、恐ろしい鬼神とも言われる活躍を見せた。


酒巻靱負 初登場時では33歳。未来では36歳


 成田家家臣にして家老職を務めて居る人物の一人。忍城の戦いでは遊撃部隊を率いて、忍城の城郭を巧み用いて戦う。


 特に火攻めや鉄砲隊による殺し間戦術は、キリヤ公国連合国軍の指揮官達を呻らせたと言う。


アマテラス神皇国地方・和泉国州・堺市商会組合・会合衆


 千・茶々美・利易  年齢・25歳


 魚屋路千里貿易商会ととやせんりぼうえきしょうかいを僅か数年でアマテラス神皇国地方随一の大商会へと躍進させたと言う和泉国州・堺市の豪商で、堺市商会組合・会合衆の商会長を務めて居る人物。


 その人物とは、クールビューティーな釣り目と穏やかな風貌の顔付きと黒髪ロングヘアースタイルで、長身の背丈が映える凹凸のクッキリとしたボデイスタイルを有するお姉さんだった。




 クールビューティーで穏やかな性格とチョットだけ腹黒い商人気質な性格の持ち主だが、とても顔が広く商才ある人物として知られ、織田家がキリヤ公国連合国への加盟の話が来ると聞き付けると、東西南北の貿易航路の要であるカンサイ地方自治州区・州都・オオサカ市への進出に一番乗りをした人物で、このオオサカ市の商人組合も仕切る事も任されて居ると言うやり手なお姉さんである。


 その資産はキリヤ公国連合国の経済長者番付のトップ10の2番にに入り、20パーセント前後の納税率と資産を保有すると言う話である。


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