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キリヤ公国英雄戦記物語  作者: 伊達教宗
第10章 アマテラス神皇国・戦国無双・萌将伝・新納院・高城の戦いっ!!
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エピソードブラス・アマテラス神皇国・戦国無双・萌将伝・新納院・高城の戦いっ!!孤高忠義臣っ!!山田・理安・有信の戦いっ!!5 

マギアンティア世界統一暦・1555年・11月15日・午後13時37分頃・マギアンティア世界・中央世界第一文明圏・ユーラシアン大陸東側・アマテラス列島地方・九州島地方・島津家領・南九州地方・木城地方・木城南部地方・木城高山・島津軍・日向国支城・山田・理安・有信守将拠点城・新納院・高城周辺地域にて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 キリヤ公国連合国によるアマテラス九州平定征伐戦が開始され、キリヤ公国連合国を中心としたアマテラス九州平定征伐連合国軍と島津大名王家国の島津軍との戦争は既に終盤戦に入りつつあった。



 既にアマテラス北九州地方では、雫ヶ岳・田原坂の戦いに措いて、島津大名王家軍の総司令である姫侍大将・島津・弘美・義広が率いる島津軍を打ち破った。


 その作戦指揮を執ったのは、キリヤ公国連合国軍の総司令部からアマテラス九州平定征伐連合国軍・先鋒軍司令官付参謀総長を拝命し、羽柴家の軍師にして、播磨国州の秀才と謳われし黒田・雫・隆孝。



 雫ヶ岳・田原坂の戦いに勝利したアマテラス九州平定征伐連合国軍は、雫ヶ岳・田原坂丘陵地帯を越えると肥後国の中心地であり、北肥後の重要な拠点城である隈本城と隈本市の制圧戦を開始。


 島津・弘美・義広が率いる島津軍・15万人の内、生き残りは10万人と成るが、隈本城と隈本市から退去し、本国領地である薩摩国へと引き上げるべく、経由地であり、甲斐氏が守って居る人吉市と人吉城へと撤退を始めて居る。



 キリヤ公国連合国軍との決着が付きつつある中で、キリヤ公国連合国軍・参謀本部は、大友家領から南の街道沿いに在る各地の拠点への抑えが薄い事を懸念し、それら地域と城塞群の奪還と島津家側に下って居る国人衆らの拠点の落とすべく、遊撃戦部隊を編成する事を決定。


小丸川の戦いで、島津・衣恵与・家久軍5千人を打ち破り、日向国・日向市・日向港及び日向城を掌握したキリヤ公国連合国軍は、更に南下して九州統一平定征伐連合国軍の東部地方制圧軍と南部地方制圧軍・遊撃戦部隊である遊撃戦連合国軍らと合流し、その名称を九州統一平定南東方面征伐連合国軍と変え、最終到達目標地点である島津家の東本領地、大隅国の国境線へと進軍して行く。


 アマテラス北九州地方での島津軍とキリヤ公国連合国軍との決着が付きつつある中で、島津家は徐々に追い詰められ始めて居た。


 そんな中で、九州統一平定南東方面征伐連合国軍・司令官・竹中・半那・治重の3000人を中心とした連合国軍は、島津・衣恵与・家久が前線拠点城として居た、新納院・高城を包囲。


 味方を逃すべく、新納院・高城に籠城を決めた、島津家の姫武将である山田・理安・有信は、10万人以上もの軍勢を誇る九州統一平定南東方面征伐連合国軍を山田軍だけの手勢、山田家のベテラン将兵達・・・・それも、たった1400人で迎え撃つ態勢を整えていた。


 九州統一平定南東方面征伐連合国軍としての編成は以下の通りと成って居る。


 アマテラス織田自治神皇国・美濃国・不破郡・垂井地方・垂井町・菩提山城主及び摂津国池田地方・池田町・池田城城代・九州統一平定南東方面征伐連合国軍・司令官・竹中・半那・治重・3000人。


 アマテラス織田自治神皇国・伊勢国・北伊勢地方・安濃津市・安濃津城主・丹羽・米実・永秀・アマテラス織田自治神皇国海軍・揚陸艦隊20隻艦隊司令官(臨時)アマテラス織田自治神皇国陸軍・3000人(丹羽家軍)



 アマテラス織田自治神皇国海軍・揚陸艦隊20隻艦隊司令官


 土佐国大名王家・長宗我部家当主・浦戸城主・長宗我部・智華・元親・陸戦隊・3000人 



 土佐吉良家当主・長宗我部家先代当主・長宗我部・国枝・国親の次女・アマテラス神皇国地方・土佐国・吾川郡・吉良地方・吉良町・吉良城主・吉良・京・親実・1200人。


 長宗我部海軍艦隊・巡洋艦浦戸・巡洋艦6隻・駆逐艦10隻・輸送艦隊8隻。



 長宗我部家先代当主・長宗我部・国枝・国親の三女・香宗我部家当主・土佐国・香美郡・香美地方・香美町・香宗城主・香宗我部・香美・親奏・1500人。


 長宗我部家先代当主・長宗我部・国枝・国親・300人。


 豊後国大名王家・大友家当主・豊後国・大分地方・大分城主・大友・須江・奏麟・4000人。


 キリヤ公国連合国・アマテラス九州平定征伐連合国軍第九連合国軍・奥州独立自治王国・伊達本隊軍総司令官・伊達・成美・実重・2000人。


 キリヤ公国連合国・アマテラス九州平定征伐連合国軍第九連合国軍・奥州独立自治王国・伊達本隊軍・副司令官・鬼庭・真礼・綱元・1500人。


 奥州独立自治王国・磐城国州知事・奥州独立自治王国旗下軍・陸奥国州軍・小高市・駐屯地・相馬中村城・磐城国州総司令官・相馬・妙澄・義胤大佐・騎馬隊500人・歩兵隊1200人。


 キリヤ公国連合国・アマテラス九州平定征伐連合国軍第九連合国軍・奥州独立自治王国・伊達本隊軍・奥州独立自治王国軍及び外務省・外交武官兼務・大内・定子・定綱大佐・槍歩兵軍500人


 キリヤ公国連合国・アマテラス九州平定征伐連合国軍第九連合国軍・奥州独立自治王国・伊達本隊軍・奥州独立自治王国軍及び外務省・外交武官兼務・片平・渚・親綱大佐・銃歩兵軍500人。 



 奥州独立自治王国旗下軍


 第十六連合国軍・陸奥・羽前・羽後国州連合国軍。


 奥州独立自治王国・陸奥国州知事・奥州独立自治王国旗下軍・陸奥国州軍・弘前市・弘前城駐屯地・陸奥国州軍総司令官・南部直信少将・2000人。


 奥州独立自治王国・陸後国州・花巻市・花巻城・奥州独立自治王国旗下軍・陸後国州軍・花巻城駐屯地軍団長・北部・愛・親信大佐・500人。


 奥州独立自治王国・羽後国州知事・奥州独立自治王国旗下軍・羽後国州軍・秋田市・出羽湊城駐屯地・羽後国州軍総司令官・安東季愛中佐・2000人。



 奥州独立自治王国・羽前国州知事・奥州独立自治王国旗下軍・羽前国州軍・山形市・山形城駐屯地・羽後国州軍総司令官・最上義康中佐・2000人



 奥州独立自治王国・羽後国州・角館市・角館城・奥州独立自治王国旗下軍・羽後国州軍・角館城駐屯地軍団長・戸沢安盛少佐・1000人



 奥州独立自治王国・羽後国州・横手市・横手城・奥州独立自治王国旗下軍・羽後国州軍・横手城駐屯地軍団長・小野寺道義少佐・1000人


 奥州独立自治王国・羽後国州・六郷町・六郷城・奥州独立自治王国旗下軍・羽後国州軍・六郷城駐屯地軍団長・六郷乗政少佐・1000人


 奥州独立自治王国・羽後国州・仁賀保村・仁賀保城・山根館主・奥州独立自治王国旗下軍・羽後国州軍・仁賀保城駐屯地軍団長・仁賀保挙誠少佐・500人



 奥州独立自治王国・羽後国州・寒河江村・寒河江城・奥州独立自治王国旗下軍・羽後国州軍・寒河江城駐屯地軍団長・寒河江基隆少佐・500人


 奥州独立自治王国・羽後国州・矢島村・新荘館・矢島城・奥州独立自治王国旗下軍・羽後国州軍・矢島城駐屯地軍団長・矢島満安少佐・500人


 奥州独立自治王国・羽後国州・本堂村・本堂城・奥州独立自治王国旗下軍・羽後国州軍・本堂城駐屯地軍団長・本堂忠親少佐・500人






フェリス侯爵独立自治領国軍・司令官・ライチェル・フェリス・3000人。


 メイルシュルフラッド独立自治公国軍・司令官・アルペジオ・ハインライン・2500人。


 織田家所属・羽柴家与力姫侍武将・淡路国・洲本市・洲本城主・仙石・久深・秀久・3000人。


 阿波国・讃岐国・徳島城主・三好・慶香・長慶・3000人。


 讃岐国・高松城主・十河一存・3000人。


 伊予国東部・湯築城主・河野通直・3000人。



 羽柴家家臣・長浜領・長浜城代家老職・松下・佳代・之綱・3000人。


 近江国・羽柴家長浜領与力・横山城主・城代与力大将・山内・伊右衛門・一豊 三千人。


 山内家・長女・山内・伊右衛門・一豊の妹・山内・千草・康豊(一豊補佐武将)護衛隊・200人。


 近江国・羽柴家長浜領与力・虎御前郷・虎御前町・虎御前山城主・城代与力大将・中村・孫平次・一氏・1800人。


 近江国・羽柴家長浜領与力・小谷町・小谷城主・城代与力大将・美濃攻略戦・堀尾・茂助・吉晴・2500人。 



 備前国・和気地方領・和気町・天神山城主・浦上宗景・3000人。

 

 備前国・岡山平野地方領・岡山市・岡山城主・宇喜多直家・5000人。

 

 播磨国・龍野地方領・龍野町・龍野城主・赤松広秀・1500人。

 

 日向国・北日向地方領・日向市・日向城主・伊東義祐・3000人。

 

 肥後国・南肥後・人吉市・人吉城主・相良・晴陽・義陽・3000人。



 元駿河国大名王家・現今川家当主・徳川家嘱託客武将・今川・鞠華・氏真・3000人


 今川軍旗下・岡部隊・岡部・七未・正綱・500人。


 今川軍旗下・朝比奈隊・朝比奈・保美・泰勝・500人 


 織田家・近江国・佐和山領・佐和山城主・浅井・真心・長政・1500人。


 織田家・美濃国・揖斐郡地方・揖斐川町・曽根城主・稲葉・福・貞通・1000人。


 織田家・美濃国・揖斐郡地方・揖斐川町・稲葉家先代当主・稲葉・一徹・良道・200人。


 

 越前国・越前大野朝倉家当主・大野地方・大野町・大野城主・朝倉・育美・景鏡・1500人。


 キリヤ公国連合国軍・キリヤ公国本国軍・第一雑賀銃歩兵軍団・雑賀孫一団長(大佐)3000人。


 キリヤ公国連合国軍・キリヤ公国本国軍・第二雑賀銃歩兵軍団・雑賀さやか団長(中佐)3000人 



 キリヤ公国連合国軍・キリヤ公国本国軍・キリヤ公国陸軍・第一機甲機械化軍団・小田・春奈・冶氏団長(大佐)


 歩兵3000人・機械科車両300両(KRY74式戦車を含めた各種戦闘車両と輸送トラック・燃料タンクローリーなど・・・・・)3000人。



島津家第15代当主・現島津大名王家先代当主隠居人・島津貴久・500人。



 島津荘しまづのしょう


 アマテラス神皇国地方・島津大名王家の発祥地で、歴代の幕府王朝が認めた永世中立地方と定められた、島津家の隠居所と成って居る荘園の一つで、お米や作物を含めた石高は15万石と言われており、贅沢さえしなければ、のんびりと暮らして行ける内陸部の土地と成って居る。


志布志荘園


 島津家の隠居所と成って居る荘園の一つで、お米や作物を含めた石高は15万石と言われており、贅沢さえしなければ、のんびりと暮らして行ける土地と成って居て、内陸部に在る島津荘しまづのしょうとは違い、港と砂浜海岸が広がって居る立地を生かした別荘地と成って居る。



アマテラス織田自治神皇国海軍艦隊・長宗我部軍艦隊・ビクトリナ独立自治共和国統合軍・第二艦隊から成る連合艦隊。



 第二艦隊・旗艦・アーク級2番艦・機動兵器空母ベルダン・マーグ。 

         


ラーク級機動兵器空母9隻


イルダス級ミサイル巡洋艦7隻


ミチルダ級ミサイル駆逐艦14隻


ランカウイ級揚陸艦12隻     


ダルト級補給艦が8隻


ウンジン級機雷施設掃海艦7隻


2000年式級潜水艦15隻


2000式級輸送艦10隻




 長宗我部海軍艦隊の巡洋艦浦戸を旗艦とした巡洋艦と駆逐艦を併せた17隻と揚陸艦15隻。



 以上が新納院・高城を包囲作戦を展開して居るキリヤ公国連合国の九州統一平定南東方面征伐連合国軍の概要である。


 そんな軍勢を相手取って居るのは、味方を逃すべく、新納院・高城に籠城を決めた、島津家の姫武将である山田・理安・有信。


その山田・理安を説得しようと、以下の使者が立てられた。


 島津家第15代当主・現島津大名王家、先代当主隠居人・島津貴久と島津家・筆頭家老の伊集院・幸枝・忠棟いじゅういん・さちえ・ただむね


 長宗我部・国枝・国親と稲葉・一徹・良通の4名らは、新納院・高城の主将、山田・理安・有信殿に降伏するように説得するべく、使者として新納院・高城へと登城する事に成るのであった。


「我が方の城の包囲戦を始めて一日が過ぎ、すっかり城は囲まれ、周囲には見渡す限りの大軍勢・・・んん?!」と、とある南東方面を見張る役目に成って居る一人の足軽兵は、見張り櫓から、新納院・高城の南東方面の入口に近付いて来る。


 200名ばかりの部隊を発見する。


「小勢の正面突破?・・・・いや、違う。幾ら何でも、真正面から堂々と城を攻めて来るなんて、あからさま過ぎる。」


「あっ!?あれは白旗か?・・・・と言う事は、何らかの使者か?」


「これは殿にお知らせをせねば・・・・・・」と、足軽兵は、主である山田・理安・有信に、使者がやって来た事を伝令兵に伝えさせるのであった。




 新納院・高城は、南に三財川、北に一ツ瀬川に挟まれた岩戸原の標高60メートルほどの台地の縁辺に建てられ、北側、東側、南側は絶壁で、唯一平地に繋がっている西側には7つもの空掘を設けて在り、そのど真ん中にある木城高山に築かた岡山城である。


 新納院・高城に、キリヤ公国連合国からの使者が現れてから、30分ほどが経ち、城内では慌ただしくなる。


 山田・理安は、取り敢えずは、キリヤ公国連合国側の使者を受け入れる事にし、南東方面の城門を開け、使者たちを受け入れる事にした。


 その南東部方向に在る一本の道に、白旗を掲げて、4つの家紋旗を掲げた一団が、ゆっくりとした足取りで、物々しい雰囲気が漂う新納院・高城へと登って来て居た。



 本丸館に本陣所を置いて居る山田家軍の重臣達と将兵達は、遂に戦かと、騒ぎ出すが、籠城軍の守将大将である山田・理安は、冷静な対応を取って、山田軍の総員に対して、落ち着くようにと呼び掛けて居た。


「・・・・皆の者っ!!落ち着くのだっ!!」


「アレらは、キリヤ公国連合国から、我らと交渉にやって来た使者である。」


「その証拠に、ご先代で在らせられる。島津貴久様と筆頭家老である伊集院・幸枝・忠棟殿の二人の家紋旗が混じって居る。」


「恐らく、貴久様は、我らが犠牲と成って死ぬよう事はせずとも良いと、仰せなのだろう。」


「一先ずは戦には為らない。」


「それに相手は大国のキリヤ公国連合国とその連合加盟諸国から成る連合国各国の使者である。」


「無礼を働けば、それは島津家の家名を貶める事にも繋がる。」


「如何なる仕儀があっても、使者たちらに対する武具を用いての刃傷沙汰を厳禁する。」


「事によっては、島津家を本当に滅ぼしてしまう事にも成るだろう。」


「従って、例え相手が、どの様な意図があって、使者にやって来たのかに関わらず、丁重にお迎えするのだ。」



 籠城軍の守将大将である山田・理安は、冷静な対応を取って、山田軍の総員に対して、何らかの理由で現れやって来た使者に対して無礼を働くことや刃傷沙汰を起こす事を禁じると宣言。


 事によっては、キリヤ公国連合国と島津家とが、総力戦へと発展してしまう事にもなり兼ねず、そんな事態は何としてでも避けねばならないと厳命し、丁重に使者を招き入れる事が出来たのであった。


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