エピソードブラス・アマテラス神皇国・戦国無双・萌将伝・新納院・高城の戦いっ!!孤高忠義臣っ!!山田・理安・有信の戦いっ!!4
マギアンティア世界統一暦・1555年・11月12日・午後13時41分頃・マギアンティア世界・中央世界第一文明圏・ユーラシアン大陸東側・アマテラス列島地方・九州島地方・島津家領・南九州地方・木城地方・木城南部地方・木城高山・島津軍・日向国支城・山田・理安・有信守将拠点城・新納院・高城・九州統一平定南東方面征伐連合国軍・九州統一平定南東方面征伐連合国軍本陣所・北東部・森城村・アマテラス大日太陽神殿・森城村社殿・羽柴家重臣軍師・竹中家・竹中軍・竹中・半那・治重本陣所にて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
続いて現れたのは、島津家との戦の最前線にして、戦時当事者国の一人でもある豊後国大名王家・大友家当主・豊後国・大分地方・大分城主・大友・須江・奏麟も到着。
指定された席へと着くと、その次に現れた思わぬ顔立ちの人物が現れた事に驚いてしまう。
「晴賢殿?陶晴賢殿は有りませんかっ?!生きて居られたのですか?しかし、如何して此処に?」と声を荒げてしまう大友・須江。
そんな驚き声を上げてしまった相手とは、毛利独立自治安芸藩王国の旗下小国大名王家でもある備前国・岡山平野地方領・岡山市・岡山城主・宇喜多直家であった。
彼は遊撃戦部隊の総指揮を任されて居り、毛利軍の別働隊と伊東家・相良家を中心とした、小国大名王家や国人衆と言った諸勢力軍と供に、この戦に参戦をして居るのであった。
そんな宇喜多直家の顔付きを大友・須江が見て、驚いてしまったのは何故かと言うとだ。
それもその筈、宇喜多直家の顔立ちは、実家は、家具の生産量日本一を誇る福岡県大川市で婚礼家具などを製造する木工所を営んで居る家に産まれ、俺は夢を食って生きていく!と豪語して上京する。
しかしながらその人物は、それだけはやって行けなかったので、芸能界では俳優もやり始め、著名な俳優仲間同士からボスの愛称でも親しまれて居り、数々のテレビドラマや時代劇ドラマにも出演経験の有る福岡県でも代表的な男性芸能人とそっくりかも知れない風貌の顔付きをして居た。
「陶晴賢?ああ、基就殿にも、最初にお会いした時に、その様な事を言われたな。」
「まぁ、この俺は、晴賢殿には、一度も会った事は無いが、最近では秀良殿と秀長殿の姉妹二人揃って、二人の姉上のお子である。甥っ子殿に間違われ、この度の戦では、信長殿からは、堺市の豪商の商会である納屋の今井宗久殿にも間違われた。」
「くくくくくっ!!その様な出来事が立て続けに目の当たりしてしまうと、世の中の世間と言うものには、実に狭い物だと感じさせられた。」
「何せ、この様な悪相を持った輩が、世の中に4人も居たと言うのだからな。実に滑稽な話も有るものだな。あははははははははっ!!」と高笑いをする直家。
「えええぇぇぇっ!!???人違いですって!?いいえ、確かに私は・・・3度ほどお会いして居るのに、間違う筈は・・・・・それに、厳島の戦いの前にも確かにお会いして居るのに、何故、間違うのかしら・・・・・・・」
厳島の戦い。
アマテラス神皇国地方の毛利家と大内家との抗争による中津国地方を覇権を巡っての大戦では有ったが、陶晴賢は毛利基就の罠や挑発に掛かり、討ち死にをして居た。
万が一に備えて、大内家の養子に入って居た大友・須江の妹である大内・寿美香・義長を実家へと預けていた。
まぁ、その結果は言わずもがな。
このマギアンティア世界も地球系世界も混じって居るので、アマテラス神皇国地方も、地球型日系国家と言う事も在ってか、地球世界の日本国の歴史と似た様な結果に終わり、今日に至って居るので、実際に陶晴賢と会った事の在る大友・須江が、直家の事を見て、丸で亡霊を見て居るかの様に驚いてしまうのも無理も無い。
そんなやり取りが終ると、次に現れたのは、元駿河国大名王家・現今川家当主・徳川家嘱託客武将・今川・鞠華・氏真。
フェリス侯爵独立自治領国軍・司令官・ライチェル・フェリスとメイルシュルフラッド独立自治公国軍・司令官・アルペジオ・ハインライン。
最後に陣所へと入って来たのは、越前国・越前大野朝倉家当主・大野地方・大野町・大野城主・朝倉・育美・景鏡と織田家・近江国・佐和山領・佐和山城主・浅井・真心・長政の二人であった。
最期の諸将の来着が終ったと見ると、半那は作戦会議を始めようと立ち上がった時である。
其処に「申し上げます。」と更なる招かれざる来訪者が現れたらしい。
「今度は何方でしょうか?」と半那は、後方の総司令部に命じられ、追加派遣された部隊指揮官の参着者が、着任の挨拶にやって来たと察し、誰かと聞き返した。
「はっ!!それが・・・・・・・」
「はて、私は何か聞く事を間違いましたか?私としては、追加派遣されたお味方が、着任のご挨拶に、やって来たと思ったのですが・・・・・」
「それが・・・その・・・島津家第15代当主・現島津大名王家、先代当主隠居人・島津貴久殿と島津家・筆頭家老の伊集院・幸枝・忠棟殿が、この本陣近くに、それぞれ手勢500人を引き連れて現れ、治重さまと会談の席を設けて頂きたいとの事です。」
「島津家の先代当主と筆頭家老のお二人が、この時期に揃って、敵方である連合国軍の本陣所に現れたのですか?」
「恐らくは、独自にキリヤ公国との和平交渉を求めるのが目的かと・・・・・・」
「恐らくは、その通りなのでしょうね。」
「分かりました。お二人を此処へとお通しをして下さい。それとキリヤ公国本国の外務大臣・結城殿と国防大臣の宗輝さまにも、この事をお報せをして下さい。」
「事はキリヤ公国本国。延いてはキリヤ公国連合国とアマテラス織田自治神皇国に取って、重大な外交ごとに当たります。本国政府や我らが将軍王で在らせられる和紗様らの許可なく勝手に決めて良い事ではありません。」
「一方面軍の司令官に過ぎない私だけで扱うのも憚られますので、一旦は私で預かり、ご裁定の程はキリヤ公国本国政府と和紗様にお任せを致しましょう。」
「ははっ!!畏まりました。」と竹中家の武将の一人が下がると、島津貴久と伊集院・幸枝・忠棟の二人を呼び出しに向かった。
島津貴久とは?
アマテラス神皇国地方・薩摩国・大隅国を支配する島津家の第15代当主で、物語の開始時点では、島津・久実・島津・弘美・島津・利美・島津・衣恵与と言った4姉妹に実権を取られて隠居をさせられて居る。
隠居後は、居城の留守を預かりつつも娘達の軍事・政務には一切の口を挟む事をして居ない。
その風貌はやや背の高い無精ひげのイケメンタイプのおじさんで、何事も娘達を可愛がる娘大好き至上主義の親バカだが、軍事・政務ともにそつなくこなす天才と言う側面を持ち併せて居り、無難な大名王家の運営統治を心掛けて居る。
それらの才能は、全て子供達へと受け継がれて居るせいか、娘達が成人する事に勃発した薩摩国内乱を平定した際に、その実権を奪われてしまう事にもなった。
伊集院・幸枝・忠棟とは?
幼少期の頃より近習の一人として島津家へと使える事に成り、主に勉学意欲に優れた人物であった事から、島津貴久の近習文官として仕え、その後は島津・久実・義久の筆頭家老職に就任。
島津家の政務・外交対策の一切を取り仕切って居たが、島津家の 武力によって大隅国・日向国・肥後国・肥前国・天草諸島・天城諸島と言った国土の拡大に成功した所までは、島津家4姉妹のやり方に賛成をして居た。
しかしながら彼女は、其処から竜珠王国、龍造寺家、大友家を屈服させて行く、九州島地方の制覇を成し遂げ、織田と対峙をしながら迂闊に攻め入られ無い様にするべく、織田家の西進を防ぐ為に、独自に島津王国を築こうとする事には大反対をして居た。
その風貌は身長172センチで、サラサラしたロングストレートヘアーの温和で笑顔の素敵な爆乳のお姉さんタイプの性格で、とても気が回り、気立て通い人物として知られて居るが、切れ者過ぎて権利を独り占めしてしまうと、誤解をされちだと言う。
貴久は、幼少期の頃より近習の一人として付き合いのある姫武将の一人、伊集院・幸枝と伊集院家の護衛を伴って、アマテラス大日太陽神殿・森城村社殿の社殿を本陣所として居る竹中軍と九州統一平定南東方面征伐連合国軍の総本陣へと現れる。
「先ずは、桐谷勇治陛下。そして新将軍王と成られた織田・和紗・信長公。並びにキリヤ公国連合国とその同盟諸国の国家元首どのを含めた、あらゆる方々に対し、我が娘達と島津家家臣一同が、多大なご迷惑をお掛けしている事をお詫び申し上げます。」と貴久は、頭を下げると伊集院・幸枝と護衛隊の者らも頭を下げて詫びる。
貴久は、余り調子に乗って多方面に戦を仕掛けると、終いには収集が付かなく成り、四面死歌と成って、トンデモナイ事に成ると諫言を娘達にはして居たが、竜珠王国を支配下に置き、九州島地方の離島諸島を手に収め。
外国との貿易体制から得られた外貨を元に、莫大な軍資金を手にした事で、徐々にその歯車が暴走をし始めて行った事が、この度の島津家・亡国危機を招いてしまった結果だと見て居た。
因みに四面死歌とは、 意味は四面楚歌と似たような意味のことわざのことで、四方を敵に回すと如何にもならなく成る様の事を指して居る大華天帝国・クーロンのことわざの事である。
貴久は、どの様に形でも良いから、島津家を生き残らせ、娘達の処罰を少しでも軽くさせようと竹中家の陣所へと駆け込みをして来たのであった。
「貴久殿。先ずは、お席へどうぞ。」と竹中・半那は詫びる二人を用意させた席へと誘う。
半那に勧められた貴久達らは、入って来た先に広げられて居る置き盾をテーブルにした形で、その周囲に床几が置かれて居る中で、入り口から一番の手前に置かれて居た床几に座って行く。
「貴久殿。今日、此処に来られた理由は、島津家とご息女方の助命でしょうか?」
「・・・・はい。誠に勝手な言い分とは分かっては居ります。しかしながら、全てはこの父親である私にも責任を感じて居ります。」
「ですので、娘達のこれ以上の愚行を戒め、生き残った3姉妹の命ばかりは救いたく参った次第です。」
「・・・・と言いますと、貴方がたの方には、既に嬉野合戦で、島津・利美・歳久殿が討ち死にをしたとの報せが入って居るのですか?」と半那は聞き返す。
「はい。誠に残念ながら、この度の大戦にて、わたしは大事な娘の一人を失いました。」
「ですので、これ以上の娘達と将兵達の犠牲は、何としても回避せねばと・・・・・」と言い掛けた時である。
「貴久殿。安心なされよ。島津・歳久殿は、生きて居られる。今は勇治陛下のお召し軍艦に乗って居られ、勇治陛下からの覚えも目出度い。」
「そんな勇治陛下は、島津・歳久殿を家臣に迎えたいと仰って居られる。」と三好・慶香は、貴久の余りの狼狽振りに、心を痛めたのか、今は終戦に向けての外交上の理由から、機密事項と成って居た、利美が生きて居る事を告げた。
「利美さまが、生きて居られるのですか?」と伊集院・幸枝は、思わず立ち上がって、島津・利美が生きて居る事を知り、喜びの言葉を叫んでしまった。
「その通りです。本当は戦後処理の時に情報公開をする予定でしたのに、慶香殿は勝手な事を為される。」
「丹羽殿、申し訳ない。娘さんを想う余り、此処まで狼狽されて居るとなると、ついついね。」
丹羽・米実は、機密情報を勝手に漏らした三好・慶香を窘めるが、悲しみくれてしまって居る父親の姿に同情してしまった故に事として、これ以上彼女には、特に何も言う事は無いとする事にした。
「それは朗報でした。早速、久実さまにっ!!」と言い掛けた時である。
「伊集院殿っ!!それはもう少しだけ、待っては頂きます。」と、朝倉・育美は、キリッとして目つきで物を言う。
「何故・・・そうですか、久美さまを封じ込める為なのですね?」と、その意図を悟った伊集院・幸枝。
其処に付いては、流石は島津家筆頭家老職を務める人物であると言えて、彼女は島津家内でも、とても気が回り、気立て通い人物として知られて居るが、切れ者過ぎて居る事から、疎まれる事も多い人物として知られても居た。
それ故に、キリヤ公国連合国の主要人物たちや軍部が、どの様な思惑を張り巡らして居るのかを瞬時に悟ってしまったようであった。
「幸枝。悪い事ばかりでは無い。利美は生きて居たのだ。それも勇治陛下に気に入られて居るとの話だ。これで島津家も安泰と言う物。」
「竹中殿。それを知る事が出来ただけでも、此処に来た甲斐があったと言う物。」
「この貴久、その恩義に報いる為にも、勇治陛下の恩為に一働きを致したい。何なりとお申し付けください。」
「わたくしも、勇治陛下の為に働き、島津家のご助命をお願い致します。」と二人は頭を下げる。
それは島津家を生き残らせるべく、少しでもキリヤ公国の為に働いて居るとアピールをするためであった。
「まぁまぁ、お二人とも、そう頭ばかりをお下げに成らないで下さい。」と国枝は、二人の事を見かねて、一言助け船を出した。
「半那殿。如何でしょうか?此処はお二人に、新納院・高城攻めに加わって貰い。」
「新納院・高城に立て籠もって居ると見られる。山田・理安・有信殿に降伏するように説得をして貰うのは、如何でしょうか?」
「某も国親殿の進言は、とても良い意見かと思いまする。死兵と化した寡兵に対して、下手に総力戦を挑むより、説得をする事で、知恵ある先達者たちや若者たちを生かす。」
「これは勇治陛下のご治世に措ける。ご方針にも叶う事にも成りますぞ。」と稲葉一徹も九州統一平定南東方面征伐連合国軍付き顧問として、戦で決するのは同にも成らない時である事を論する意見を述べていた。
「何でしたら、この某と国親殿。それに貴久殿らで、山田殿を説得を試みると言うのは如何だろうか?」
「おおっ!!隠居人同士が説得をしにやって来たと言うのならば、理安も嫌でも私たちに会わざる負えない筈と成ります。流石は稲葉一徹殿っ!!」
「ほう、島津のご隠居殿は、某のことを知って居られるか?」
「このわたしと同じような年頃のであり、しかも音に聞こえし、優れた勇士のお方なのです。お噂はかねがね、この遠き九州島地方にも聞こえて居りましたので・・・・・・」
「それは嬉しい。成らば尚更、生き急いで居る若者を救わねば為らぬな。」
「半那殿、ご裁断を・・・・・」と国枝は、半那に軍議と会談で出た意見の集約裁定を促した。
「良いでしょう。お三方と島津家筆頭家老殿の4名に、新納院・高城の主将、山田・理安・有信殿に、我らに降伏するように説得をして貰いましょう。」と半那は決断するのであった。
その日の夜、島津家第15代当主・現島津大名王家、先代当主隠居人・島津貴久殿と島津家・筆頭家老の伊集院・幸枝・忠棟。
長宗我部・国枝・国親と稲葉・一徹・良通の4名らは、新納院・高城の主将、山田・理安・有信殿に降伏するように説得するべく、使者として新納院・高城へと登城する事に成るのであった。