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キリヤ公国英雄戦記物語  作者: 伊達教宗
第7章 少年王と魔王織田・和紗・信長との対峙とアイヌル民族解放血盟団の反乱の終焉編
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エピソードブラス・アマテラス神皇国・戦国無双・萌将伝 大公立志伝っ!立身出世への旅立ちっ! 13

マギアンティア世界・中央世界第一文明圏・ユーラシアン大陸東側・アマテラス列島地方・アマテラス神皇国・東海地方・駿河国・駿府市・駿府城館にて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



マギアンティア世界統一暦・1545年・4月18日。



 この日、駿河国・遠江国・三河国を支配統治する大名王家の今川家の当主である今川義本は、傘下にある家臣団と国衆達を駿河国の州都、駿府市・駿府城館へと完全武装をさせた姿格好で参集させた。





 一方の美濃国では銃声と怒号が飛び交う戦場と化して居た。


 斎藤義竜は、今川家の今川義本と太原雪斎から支援を受ける決断を下し、十分な物資の集積準備と道三に反目して居る国人衆や美濃国守護大名王であった土岐頼純の旧臣勢力を取り込みつつ美濃国の実権と居城である稲葉山城を我が物にせんと反乱を巻き起こした。


 美濃北東部地方と東美濃地方に根を張る国人衆は、道三の考える先進的な政策は、革新過ぎてしまって居る故に、旧態依然の体制下に在る領主達には不利益な面が多く在ったので、大きな不満を抱えて居た。


 更には織田・和紗・信長と言う奇才・天才と言うべき者の味方をする事すら理解できないとも考えて居り、今川義本と太原雪斎らの裏工作も功を奏した事で、不満と言う導火線に火が点く事は容易な事であったのであった。


 其処に各地に散らばって惨めな暮らしをして居た土岐頼純の旧臣勢力も、かつて道三にコテンパンに打ちのめされた恨みを返さんと二つ返事で美濃国のクーデターに参加してしまう要因と成って居た。


 特に美濃北東部地方と東美濃地方に根を張る国人衆と浪人と成ってしまった土岐頼純の旧臣勢力達は、道三を討てば我が世の春を取り戻せると奮起する。


 義竜軍の大将を命じられた斎藤飛騨守秀成と副将の日根野弘就らは、稲葉山城の半分程度を乗っ取った所で本格的な反乱の狼煙を立ち上げた。



 今この時、美濃国内は斎藤家傘下の者達同士の内戦状態へと突入し、内戦の真っ最中。


 織田家も内戦を終えたばかりなので、今この時に両家に攻め掛かれば、簡単に討ち滅ぼせる事だろうと今川義本と太原雪斎の二人は考えていた。


(いよいよ義本様は、天下に号令を命ずるべく、皇都・平庵京へと上洛を為されるのね。)と言うのは、遠江国の東部・中部地域に在る頭陀寺地方を治める松下・佳代・之綱。


かつて木下陽菜を庇護し、家臣として取り立て、その面倒を見た人物である。


この日、彼女は国人衆達の一人として、駿府城へと鎧武者の姿で駆けつけて居た。



 そんな今川家の軍団の重臣を始めとする者達が集まった中で、今川義本は宣言する。


「これより、我が今川家は、荒れ狂うアマテラス神皇国を平穏且つ、泰平へと誘う為に、皇都・平庵京へと上洛する。」


「都に居わす、足柄室町幕府将軍王朝と第13代足柄幕府将軍王・足柄・一輝・宗輝さまをお助けし、アマテラスを統一せんっ!!」


「「「「「「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」」」」」」」」」」


 参集した武将達は、雄叫びを上げる。


 遂に今川家が、今川義本の名の下に、天下統一をする時が来たのだと、大いに興奮をしてしまうのであった。


「沈まれっ!!!」と太原雪斎が言うと、一堂には静まった。


「その栄えある先鋒軍を三河国の国衆である松平・千代・元康に命じる。」


「ははっ!!ありがたき幸せに御座いますっ!!!」


「今川家の先陣として、恥じぬ働きをしてご覧に居れますっ!!!」


 松平・千代・元康は、表情を一つ変えずに、淡々と今川義本の命に従う。


 松平・千代・元康。


 後の時代では徳川・千代・家康と名乗る人物で、旧姓は松平・千代・元康と名乗って居たが、織田・和紗・信長が岡ヶ狭間の戦いで、今川軍の軍勢5万6千人を僅か三千人の手勢を以ってして、今川軍の本陣を奇襲攻撃する。


 その後、千代はこの混乱に乗じて今川家から独立大名王として独立し、その名も新たな決意と今川家から独立し、決意を新たにしたと言う意思表示をするべく、その名を徳川・千代・家康と改める。


 今川家から独立した徳川家は、今川家に半ば傀儡占拠されて居た三河国を掌握し、実権を取り戻す事に成功する。


 更に武田家と今川家領の分割攻略の密約を交わして、遠江国を分捕り占拠して、遠江国を傘下に収めて行くのであった。


 三河国・遠江国を治める大名王家の当主。


 優れた家臣団に囲まれ、武田・北条を相手に奮戦して居ると言う。


 織田家の同盟者にして、半ば従属に近い扱い立場だがれっきとした大名王家である。


 徳川四天王と呼ばれる猛将達を始めたとした三河軍団は武田軍団に引けは取らないと言われて居る。


「語尾にですぅ」と付ける気弱者タイプの性格をして居るが実は腹黒い性格をしているとか。


 背がやや低い眼鏡しているロングヘアーで、小柄な体型スタイルをしている事から豆タヌキとも言われて居る。


 更にはキリヤ公国連合国内に措いては、大弯亜大陸の北側半分を国土して徳川家に委任統治させる事と成った自治藩王国たる徳川独立自治東照大公藩国の初代大公藩王と成った人物と成る。


 今の彼女は、その後の運命を決める人生の分岐路に立って居た。 



 先陣を命じられた松平・千代に引き続き、今川家傘下に在る各地の家臣団と国衆達等は、続々と行軍順位を拝命して行く。


「義本様。以上を持ちまして、行軍の順列の組合せの発表を終了を致しまする。」


「ご苦労であった。雪斎。」


「いざっ!!出陣っ!!」


「「「「「「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」」」」」」」」」」駿府城館に集まった将兵達は、怒号の声を張り上げ、その手で次代の時代を創らんとする先兵である事を大いに興奮して居た。



時はマギアンティア世界統一暦・1545年・4月18日。


 午前10時30分頃の事である。


 今川義本が率いるアマテラス神皇国平定軍たる皇都・平庵京へと上洛軍は、駿府城館を出陣したとある。


 駿府城館と駿府市、その周辺の地域に散らばる5万6千人から成る軍勢は、細長い列を連なり、ゆっくりと東海道を西へと突き進むのであった。



マギアンティア世界・中央世界第一文明圏・ユーラシアン大陸東側・アマテラス列島地方・アマテラス神皇国・尾張国・岡ヶ狭間地方・岡ヶ狭間村・尾張・三河街道付近地域にて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


マギアンティア世界統一暦・1545年・5月14日。


 この日、遂に織田家と今川家は、全面戦争へと突入した。



 アマテラス神皇国平定を目指す今川家は、その障害と成り得る斉藤道三を息子の義龍に討たせ、隣国同盟者である織田・和紗の支援を失わせた事で、駿河国から山城国へと通じる街道筋の国々の大名王家や国衆達を一掃しようと画策する。



 マギアンティア世界統一暦・1545年・4月18日に、駿府市を出発した今川軍は、4月23日に先鋒隊たる松平・千代・元康が、曳馬城(後の浜松城)に到着。


 二日遅れでやって来た本隊のを経由して、4月27日には岡崎城へと到着する。


 更に三日遅れでやった来た本隊に岡崎城を任せると、今川軍の先鋒隊である1万8千人を織田家の尾張国の国境付近に陣地を築き、翌月の5月1日から頻繁に尾張国内を偵察活動を繰り返していた。



 今川軍の先鋒隊を任された岡部元信勢・6千人。朝比奈泰朝勢・6千人。松平・千代・元康勢・6千人。 


 この三人らは、鳴海城と品野城から東側の僅か3キロ地点に陣を構えた。



 そんな先鋒隊から15キロほど離れていた付近に陣屋を構えて居たのは、遠江国の国人衆達であった。



 その中でも頭陀寺地方を領地に持つ松下・佳代・之綱や井伊谷地方を治める井伊直盛と言った二人が取り纏め役を命じられて居た。


「佳代殿。」


「直盛殿か、如何なされた。」


「間も無く先鋒隊が織田方の出城へと戦を仕掛けるとのこと。」


「その陣立てには、松平殿が大高城への通路と補給路の確保に伴い。鷲津砦・丸根砦を落とし、大高城への道を確保。」


「尾張・三河の国境南西地域の安全路の守備を担うとのこと。」



「続いて岡部元信殿は、品野城を攻め、続けて中島砦をせめて鳴海城への道筋を確保し、残る朝比奈泰朝殿は鷲津砦と丸根砦の東方を通り、敵からの援兵と補強通路の遮断を行うとの報せが来ておる。」



「それで我らは遠江国勢は?」


「義本様と共に岡崎城へと向かい。その後は織田方の尾張国との国境の拠点が落ちて、情勢が落ち着いたら進軍と言う事に成る聞いた。」


「総攻めの際は、我らにも出番が在るだろう。」


「分かりました。お報せして下さりかたじけない。早速、東遠江国衆達にも知らせて置きます。」


 佳代は、直盛の顔を久しぶりに見た為か、その跡取り娘である万千代、後の徳川四天王とも称される井伊・直虎・直政「この当時8歳」の事を思い出し、その近況を聞いて見たくなった。


 松下家と井伊家は同じく遠江国の領国である事から、度々国衆達の集会で会う事が多く、佳代も井伊谷地方を幾度も訪れていた。


 井伊・直虎と成る万千代の事も赤ん坊だった頃から可愛がって居た事も在り、妹の様に接して居た。

 


「直盛殿。そう言えば娘さん。万千代殿はお元気ですか?暫くお顔を耳に行っては居ないのですが?」


「ああ、元気でやっとるよ。元気過ぎて困るお転婆娘に成って居るがね。」


「偶には佳代姉さまに、お会いしたいとも言って居る。この上洛戦が終った会いに行ってやって欲しい。」


「はい。伺わせて頂きます。」


 直盛にそう答えた佳代は、その日を楽しみにし、この大戦に生きて手柄を上げて、凱旋する事を新たにするのであった。



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