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キリヤ公国英雄戦記物語  作者: 伊達教宗
第1章 少年王とキリヤ公国建国創生記編
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国家設定一覧 メイン国家編 8

アマテラス織田自治神皇国 


首都・皇都・近江国州・安土市。政庁中心部居城・安土城


 キリヤ公国連合国への加盟日申請日・マギアンティア世界統一暦・1555年・10月26日・午前12時00分頃。


 キリヤ公国連合国への加盟日・マギアンティア世界統一暦・1555年・11月2日・午後12時00分頃。


織田・和紗・信長が5代目の将軍王朝、織田安土幕府政権を確立した征夷大将軍王として君臨し、国内に生き残った大名王家を従えし後にアマテラス神皇国を統一後を成し遂げた時に建国し、キリヤ公国連合国の加盟国と成る。


 残存するアマテラス神皇国の国土統一後の領土は、南関東地方・東海地方・甲信地方・西北陸地方・中部・近畿地方・四国地方・九州地方と成って居る。



領内の総人口は1850万人で、総軍勢は100万人と言われアマテラス神皇国内では最大兵力と言われて居るが、外様・譜代大名の人口と兵力を合わせると更に増えると見られる。



国旗は、黄色布地に織田木瓜紋と日照後光入ったアマテラス織田自治神皇国旗と成って居るが、別名織田将軍旗とも呼ばれる旗を用いて居る。


 軍旗の本旗は織田木瓜紋だが、副軍旗として永楽通銭旗と派遣軍団の使って居る色合いに織田木瓜紋を用いる事が有る。



 経済主都・大坂市・名古屋市・江戸市・博多市・神戸市・高地市・徳島市・松山市・高松市・長崎市と成って居る。


軍港・三浦市・志摩市・堺市・高知市・鹿児嶋市・佐世保市と成って居る。


 なお、伊達家・上杉家・毛利家の三家は、織田家の傘下には当たらないとされて居る。


 アマテラス織田自治神皇国成立後の生き残った大名王家で、織田家傘下に在るのは、徳川家を筆頭に長宗我部家・松永家・筒井家・山名家・河野家・三好家・十河家・伊東家・阿蘇家・宗家等が傘下に収まったが、後に徳川家・長宗我部家は独立国と成り、松永家はキリヤ公国本国の近衛近習衆に入る事と成った為、大名王家を辞めて行く事と成った。


 また、キリヤ公国連合国と織田による島津家討伐が行われた九州地方戦役を経て、キリヤ公国連合国中央政府の命令で国替えを兼ねた領地移転を命じられ、河野家は長宗我部家の旗下に入り、十河家は仙石家の旗下へと入り、阿蘇家は阿蘇神宮の宮司に収まる事を決めた為、大名王家を辞して居る。


 大友家・龍造寺家・鍋島家・立花家・高橋家・成田家・相良家・少弐家・秋月家・菊池家・大村家・松浦家等は、アマテラス神皇国統一戦争後に、キリヤ公国内のキリヤ列島地方へと移り住み、小さいながらも自治領を賜って委任統治経営者としての道を歩む事に成る。


 また武田家・北条家・島津家らは、キリヤ公国連合国との戦争後に、臣従する形でキリヤ公国連合国領域内に有る開拓領地へと転封させられて居る。


キリヤ公国連合国の加盟登録ナンバーは、仮加盟時代に登録した9番号と、そのままに成って居る。





 首都・皇都・近江国州・安土市。政庁中心部居城・安土城


 織田・和紗・信長がアマテラス神皇国の天下統一を果たす為に首都と成る大都市と居城の建設を進めて居る都市の事。


  キリヤ公国建国時は、築城中で、安土市も建設の真っ最中だったが、キリヤ公国連合国を加盟してから2年後に完成し、アマテラス織田自治神皇国の首都として栄えて行く事に成った。


 アマテラス織田自治神皇国が為された直後に、和紗は本拠地を岐阜市と岐阜城から安土城と安土市に移して居るが仮住まいの御殿館に和紗は引っ越しをして居る。


 その光景は伝え聞く勇治の故郷である日本の戦後時代の安土と安土城と瓜二つと言われる程に素晴らしい街並みと煌びやか城が立って居ると言う。



 儀式祭典聖都・平庵京。将軍王・平庵京別邸・将軍王御所殿(旧足柄将軍王御所殿)


平庵京


 アマテラス神皇国の首都で、アマテラス列島の中央部に位置して居り、歴代の将軍王がアマテラス列島を支配下に置く為、地理的に有利な山城国に都を置いたのが始まり。


 前将軍王であった足柄家が去ると、アマテラス織田自治神皇国を建国した織田家は、旧首都と成った平庵京を儀式祭典聖都と定めて、アマテラス織田自治神皇国でのイベント事が在ると、この都市を活用する事と定めている。







アマテラス列島地方



 ローレライ大海洋に浮かぶ4つの島々と周辺の島諸島から成るアマテラス神皇国と呼ばれて居る地域のこと。


 主な島の構成は北海島・本州島・四石島・九州島が本島で、唐太島国・万年島列島地方国・大笠原諸島地域・天城諸島・竜珠諸島りゅうきゅうしょとう対馬島国(対馬島)・大東亜島諸島から成り立って居る。


地域別では以下の通りと成って居る。


北アマテラス神皇国地方・唐太島・万年島列島・北海島国


アマテラス神皇国中央地方・アマテラス本州島・四国島


西アマテラス神皇国地方・九州島・天城諸島・竜珠諸島


アマテラス離島地方・対馬島・壱岐島・大笠原諸島・大塔島諸島・東鳥島諸島



アマテラス織田自治神皇国軍


 キリヤ公国連合国へと加盟国と成った際に編成されたアマテラス織田自治神皇国こと、通称名は織田軍のこと。


 総軍勢は100万人と言われアマテラス神皇国内では最大兵力と言われて居るが、外様・譜代大名の人口と兵力を合わせると更に増えると見られる。


 トップダウンで動く為、何時しかキリヤ公国連合国軍の歩兵師団の凡そ三割を占めると言われて居り、銃歩兵による圧殺戦術には定評のあると後世の歴史書には書かれて居ると言う。


 続けて海軍の整備にも力を入れて居るが、空軍が育つにはそれなりの時間を要して居る為、設立には遅れを呈して居るが、ロボット軍隊の宗ツセは早かったと言われて居る。



アマテラス織田自治神皇国陸軍


 キリヤ公国連合国へと加盟国と成った際に編成されたアマテラス織田自治神皇国こと織田家の陸軍のこと。


 凡そ60万人近く居ると言うアマテラス神皇国内では最大兵力と言われて居るが、外様・譜代大名の人口と兵力を合わせると更に増えると見られる。


 トップダウンで動く為、何時しかキリヤ公国連合国軍の歩兵師団の凡そ三割を占めると言われて居り、銃歩兵による圧殺戦術には定評のあると後世の歴史書には書かれて居ると言う。



 続けて戦車師団を含めた機械化部隊は、6000台。ロボット師団は4000機の保有を目指して居る。



アマテラス織田自治神皇国海軍


 キリヤ公国連合国へと加盟国と成った際に編成されたアマテラス織田自治神皇国こと、織田家の海軍の事で、以下の通りと成って居る。


 更には勇治との婚約者と成ったご祝儀代わりに、ナデシコ地方自治州区式・撫子型戦艦改型戦艦『横須賀市建造艦』を貰って居る。



アマテラス織田自治神皇国海軍・織田・和紗信長直属艦隊。



アマテラス織田自治神皇国海軍・第一艦隊・九鬼嘉隆艦隊



アマテラス織田自治神皇国海軍・第二艦隊・佐治信方艦隊。



 保有艦艇


 ナデシコ地方自治州区式・撫子型戦艦改型戦艦『横須賀市建造艦』


 ナデシコ地方自治州区式・撫子型戦艦改型戦艦『横須賀市建造艦』とは、神災転移により、マギアンティア世界へと転移してまったナデシコ地方自治州区で建造された、20世紀改修型タイプの撫子型戦艦のこと。


織田家に譲渡された物は、以下の通りと成って居る。


 一番艦・安土・二番艦・岐阜・三番艦・清州・四番艦那古野・五番艦・道三



撫子式軍用艦隊・六〇隻


織田散兵偵察隊


 アマテラス神皇国内に在る忍びの里に隠れ住む忍び衆の事を便利な輩だが、敵に回す厄介な存在であると考えていた和紗が、独自に組織した織田専属の諜報活動機関部隊のこと。


 普段の任務は、偵察部隊と諜報部隊に別れて行動して居り、その組織の取り仕切りには、主に甲賀地方出身者である滝川家と滝川・咲枝・一益とが取り仕切って居ると言う。


 清洲市と清州城



 アマテラス神皇国地方・尾張国の西側の理に在る城下都市の事で、足柄室町幕府将軍王朝の時代に入ってから先祖代々、尾張国・守護大名王家であった斯波家と斯波義統の本拠地であったが、斯波家の家老家たる織田家当主であった織田信秀が破傷風により病死をきっかけにして織田家の跡目争いによる御家騒動と成った。


 それを征した織田・和紗・信長は、父信秀から与えられて居た那古野城と那古野市から移り住み。


 織田家当主と尾張国の大名王家として最初の本拠地とした城下都市である。


 後に旧那古野城下市を中心とした尾張国・名古屋市が整備されると地方都市と成り、清州城は和紗の功績を伝える記念館と成った。


岐阜市と岐阜城


 美濃国の中心では在るが、やや南よりに在る城下都市であり、尾張国との国境からは僅かに50キロ地点に位置して居る稲葉山を中心とした城下都市で、元々の名を稲葉山城と井ノ口市と呼ばれて居たのを改名したのが始まり。


 元は美濃国守護大名王家であった土岐頼純の居城であったが、半ば寄生するかのように斉藤道三が場内に館を構えた事が道三の美濃国統治の始まりと言われて居る。


 特に美濃国攻めで勝ち取った稲葉山城と井ノ口町の改名の際に付けた岐阜城と岐阜市の名前の由来として、義父の城、義父の町と洒落た名前が由来と成って、師であり義父であった道三への感謝が滲み出て居る名と言えるが、道三の遺言書を片手に、いざ攻め落とそうとすると、結構な手間が掛かったと言う。


 織田・和紗の統治が始まってからは、アマテラス神皇国地方の東西南北をを結び付ける交通の要衝であり、軍事・商業交易路の一大拠点と成る首都都市と居城と成ったが、国内情勢の変化に敏感な和紗は、次から次へと引っ越しを繰り返す事で拠点を変えて行くので、首都都市であったのは数年程度と成ってしまう。



 和紗が安土市と安土城とへ引っ越ししてからは、織田家に養子に出さた斉藤道三の娘である斎藤(織田)帰蝶が自宅として使って居り、 その彼女の事は、実質的に新生斎藤家の当主の扱いと成って居るが、旧斎藤家系の者達は、和紗は亡き道三の後継者と見て居るので、旧斎藤家系家臣は、帰蝶の護衛軍団であり、美濃国の留守居軍と成って居る。



 美濃国州・政庁とした岐阜城は、織田家の重要な要塞であると共に岐阜市を支える政務の中心地でもあるが、日系国家からは織田信長などを題材にした時代劇ドラマの撮影所としても貸し出されて居る。


 その後年には、若き日の織田・和紗・信長を題材にした映画やドラマも含まれて居ると言う。



 アマテラス神皇国を統一後(伊達家・毛利家・上杉家の国土を覗く)の国土は、関東地方の武蔵国・上総国・安房国。


 甲信・東海地方の伊豆国・信濃国・甲斐国・駿河国・遠江国・三河国・尾張国・美濃国・伊勢国・志摩国・伊賀国。


 関西地方・越前国・若狭国・近江国・大和国・山城国・紀伊国・河内国・摂津国・和泉国・播磨国・丹波国・丹後国。


 四国島地方・淡路国・讃岐国・阿波国・土佐国・伊予国。


 九州島地方・豊後国・筑後国・肥前国・肥後国・日向国・大隅国・薩摩国・対馬国・壱岐国。

 

九州島地方離島地方・種谷島・五頭列島・天草諸島。


 織田家直臣直轄領支藩王国


明智独立自治支藩王国 


 近江国州・坂本地方・山城国州・丹波国州・丹後国州・ユーラシアン大陸・ベリトランス地方州領・ベリトランス市などを統治領として居る。


 首都は坂本市だったが、明智家がユーラシアン大陸・ベリトランス地方州領の統治を任された為、ベリトランス市を新首都とする事に成った為、移転した。


 主要都市は、丹波国州・州都福知山市・地方主要都市・篠山市・山城国州都・宇治市・主要都市・亀岡市・丹後国州都・宮津市・近江国州・坂本地方主都・坂本市と成って居る。



 因みに儀式祭典聖都・旧アマテラス神皇国地方州都・平庵京市は、明智家が管理人と言う扱いと成って居る。



 明智独立自治支藩領・ベリトランス地方州国 明智家新首都・ベリトランス市


フェリス侯爵王家の三女のライチェルが治めて居るフェリス侯爵独立自治領国の港湾工業として栄えている北東地方領の更に北側に位置して居るゲルニアン帝国の皇帝直轄地方州領地の事。


 かつてはゲルニアン帝国だったが、公帝戦争後のちに、キリヤ公国連合国の貴族諸侯王と名乗る事が許され、連合加盟諸国の一つの侯爵王家と成ったフェリス侯爵家の治めて居る領国のバンドー地方とは南北線と沿岸部を挟んで隣り合わせと成って居る土地。



 そして、ゲルニアン帝国の東の国防上の要であり、貿易港としても要地でも有る貿易・軍港が置かれて居る。


 また、更に北東部へと進むと、旧フランク王国だったアーラスカン共和国(後にアーラスカン独立自治共和国)・フランク地方と接して居り、同地域ではフランク革命以降、国家革命再建と政権交代により、ユーラシアン大陸の統一平定制覇を狙うゲルニアン帝国とは険悪な関係と成って居る為か、国境紛争が起きる事が多い。



 其処には東部ローレライ大海洋海域の制海権を握る海軍の大艦隊たるゲルニアン帝国海軍・ローレライ大海洋東部艦隊が、700隻ものガレオン船風の木造戦艦が勇壮な姿を見せて居たが、ゲルニアン帝国が公帝戦争を始めとする幾つか対立戦争に敗戦をしたことにより、キリヤ公国連合国が徐々に北進をして行く。


 特にビクトリナ南洋大戦が勃発した際には、キリヤ公国連合国の敵側として再び非公式な参戦をするが、ナデシコ自治州のナデシコ軍により、蹴散らされベリトランス市港と戦艦艦隊は廃塵し成ってしまう。


 後にアーラスカン戦争で、ゲルニアン帝国領へと攻め込んだアマテラス織田自治神皇国・明智独立自治支藩陸軍は、ユーラシアン大陸・ベリトランス地方州領・ベリトランス市を瞬く間に占領。


 この戦果と功績を認めた織田・和紗と勇治の二人は、明智・十華・光秀に大陸領の統治を任せる事に成った。 


柴田越前北陸独立自治藩王国 首都都市・北ノ庄市 居城・北ノ庄市


柴田越前北陸独立自治藩王国は、柴田・朱里・勝家が織田・和紗から越前国を任された事により立ち上げられた地方藩王国の事である。

 

織田家の筆頭家老として上杉大名王家国攻めを任されて居り、朝倉大名王家を征伐後に越前国州を本拠地として任せられ居たが、その後の情勢が一変した事により上杉家攻めは中止。


 代わりにアマテラス織田自治神皇国政権が成立後は、織田家直臣直轄領支藩王国の一カ国が認められ、柴田越前北陸独立自治藩王国の藩王と成り、織田家の地方藩王の一人と成って居る。 


 主にアマテラス神皇国地方・北陸地方の北国街道と北国航路による国内貿易で栄えていた旧朝倉家の経済市場を一乗谷市から北ノ庄市へと移し、敦賀市・敦賀港と三国町・三国港の2港による船舶貿易と農林水産業によって収入を得て居る。


 古くから唐太島国・万年島列島地方国・北海島国の3地域との結び付きが有り、越前商人達らは、北国船でアマテラス神皇国地方の北西部航路である北国航路を命懸けで行き来し、昆布を含めた多くの北国産物を機内へと齎して居る。


 それはキリヤ公国連合国時代に入ると、昆布を含めた北国産物の需要が高まり、益々の高税収入を得て行く事に成る。


 特に新キリヤ公国本国を始めとして、トウキョウ湾岸海洋都市・特別地方自治州区やナデシコ地方自治州区などの日系転移地域から引っ張りだこに成るほどだと言う。


その他の産業は以下の通りと成って居る。


 越前漆器 越前織 越前打ち刃物 越前和紙 越前箪笥


 カニ・サバ・タイ


 


前田独立自治北九州支藩王国 首都都市・柳川市 居城・柳川城


 前田・利美・利家が 織田・和紗から肥前国・筑後国・豊後国の三ケ国州を与えられ、前田独立自治北九州支藩王国を立ち上げる事に成った支藩王国のこと。


 九州島地方に古くから居た大名王家達らは、勇治とキリヤ公国本国政府の方針により領地をキリヤ公国本国が管理する領地への転封が為された形での利美の領地替えと成った為の自治国家の建国であった。



池田播磨独立自治藩王国 首都都市・姫路市 居城・姫路市


池田・緒千・恒興が、織田・和紗から旧黒田家領地である姫路地方を含めた播磨国一カ国を与えられた事により、建国する事に成った地方藩王国のこと。



 織田家旗下の姫武将として各地を転戦しつつ、武功を上げて行き、時代はキリヤ公国連合国の加盟諸国であるアマテラス織田自治神皇国時代と成ると、陸軍軍団長を率いる人物と成り、羽柴・陽菜が領地替えの為に引き払った播磨国を与えられ、池田播磨独立自治藩王国の藩王と成った。 


 織田軍中では中将の位を得て居るまでに出世して居る事から、本拠地として居る姫路市・姫路城の名を取って、姫路中将と呼ばれる事に成った。



 織田家旗下・支藩王国


 筒井大和支藩王国 主都・奈良市 居城・大和郡山城


 織田家旗下の筒井家に由る与力大名王家国のこと。織田家から筒井家に大和国一国が任され居る。


初代支藩王は、筒井順慶。 


山名但馬支藩王国 主都・豊岡市 居城・豊岡城


 織田家旗下の山名豊国が建国した与力大名王家の国のこと。織田家から但馬国一国を任されて居る。


 初代支藩王は、山名豊国


 三好讃岐・阿波支藩王国 主都・徳島市 居城・徳島城


 織田家旗下の三好家に由る与力大名王家国のこと。織田家から讃岐国・阿波国の二国を任されて居る。

 初代支藩王は、三好・慶香・長慶。 


伊東日向支藩王国 主都・宮崎市 居城・宮崎城


 織田家旗下に入った日向国・伊東家の11代目当主である伊東義祐が建国した与力大名王家国のこと。


 島津家を打倒した事で領地回復を成し遂げ、織田家の与力大名支藩王国として日向国を任されて居る。

 旧首都だった日向市と日向城には戻らず、海外中継貿易を国の柱とした政策を進める為に南側の宮崎と言う平地に港町を造り、西へ15キロの地点に城下町を造る。


これは津波対策も兼ねての街づくりを目指したと言う。


初代支藩王は、伊東義祐。


宗・対馬・壱岐支藩王国 主都・対馬市 居城・対馬館城


 現当主は宗・義美・義智よしとしだが、先代の当主であり父親の義調よししげ祖父の貞國は健在。


 対馬国と壱岐国と言った離島諸島地方を統治して居る宗家と言う小大名王家で、キリヤ公国の勇治と織田家当主である和紗に二重従属臣従する事を決められる。


 その理由として、宗・義美が宗家を継いだ時代は、キリヤ公国連合国が台頭し、織田家がキリヤ公国連合国と共にアマテラス神皇国九州地方平定戦に措ける島津家打倒しようとして居た時であった。


 島津家から味方する様に要請されて居たが、宗家一族も其処まで馬鹿では無く、キリヤ公国連合国の勇治に臣従する事を決めて、キリヤ公国連合国の外務大臣である結城・梅晴・春宗に使者を送って居る。


 だが、これは織田家の案件だとした結城・梅晴は、織田家に宗家の管理を任せる事にしたが、和紗は宗家の治める対馬国が余りにも遠い離島諸島地方である為、国土防衛と経済振興事業などに不安が有る事から、キリヤ公国公王家と織田家に二重従属臣従する形を取る事を宗主国王の勇治と外務大臣の結城・梅晴に提案し、両者は合意した。



 アマテラス神皇国九州地方平定戦に措ける島津家打倒後は、織田家より、対馬国と壱岐国の二か国の離島諸島地方を任される事に成った。


 宗家は代々アマテラス神皇国他方を経由して来るゲルニアン帝国・竜珠王国・大華天帝国・クーロン・ガリアナ王国と言った国々との中継貿易を行って栄えて来たが、キリヤ公国連合国の台頭により、その存在価値が失われ掛けてしまう。


 だが、新トウキョウ湾岸海洋都市・特別地方自治州区の出現により、イズ地方及び南海洋諸島地区(伊豆地方・伊豆諸島・小笠原諸島の統合地区)の小笠原諸島地方が、アマテラス神皇国地方の対馬国から僅か50キロの沖合に転移して来た事で、状況が一変する。


 新トウキョウの人々は、小笠原諸島を経由して対馬国を通り、アマテラス神皇国の九州地方へと向かう行楽観光がとても気に入り、江戸時代または戦国時代の雰囲気が味わえると、同地にたくさんの観光客で、対馬国の経済は潤う事に成ったのだった。




総武禁止辞令法


武装闘争が続くアマテラス神皇国地方に措いて、中央地域と国土の6割5分を抑えた織田家は、伊達家・上杉家・毛利家を除いた地域らを領有する全ての武家に対して、私戦を禁止する法令を発布し、一切の私闘を禁止勧告を伝えた法律のこと。


 その内容には、アマテラス織田自治神皇国・将軍王政府とキリヤ公国連合国中央政府は、宗主国王・桐谷勇治と将軍王・織田・和紗・信長の名の下に、アマテラス神皇国地方に措けるあらゆる私戦を禁止するとして居る。


 これは事実上の島津家・武田家・北条家。


 そして、その他の武家自領地国に対する引き締め法と言えるが、独立心の強く足柄家政権の崩壊により、自由気ままに私闘による利権の取り合いをして来た100年間の自治権を放棄しろと言われても、納得がいかないと反抗的な態度を取って居るのが島津家・武田家・北条家らの三家は、後にキリヤ公国連合国と武力衝突と成り、自治権を含めた全てを失うが、何れも臣従を誓い、戦後の処罰を受けて居る事から、再び大名王としての復権にはそれほどの時間が掛かって居ない。


竜珠独立自治王国



  王都は那覇市 王宮は朱里城 王国本島は沖名和島 


 キリヤ公国連合国への加盟日申請日・マギアンティア世界統一暦・1555年・11月2日・午後12時00分頃。


 キリヤ公国連合国への加盟日・マギアンティア世界統一暦・1555年・11月17日・午前10時40分頃。


 アマテラス列島南西部に広がる島諸島で構成される尚王氏が治めて居る小国で、アマテラス皇国とユーラシアン大陸等の地域と中継貿易を生業とする事で成り立って居るが、近年では薩摩国の大名王家である島津家に戦で負けた事で、従属させられて居るが、ゲルニアン帝国とも島津家の傘下に入れられる随分前から属国扱いを受けている二重従属をして居る珍しい外交体制を取って居る国。


 現在の国王は尚麗ショウ・レイ王と言う人物。後にキリヤ公国連合国へと加盟する事に成る。構成地域は先島諸島・奄美諸島・吐噶喇列島・大湾島・大塔島諸島と成って居る。


 島津家が巻き起こした アマテラス神皇国・九州地方制圧を企んだ騒乱であるアマテラス九州平定征伐戦により、キリヤ公国連合国と対立した島津家。


 その戦いは島津家の敗戦が戦う前から決定と成って居ると悟ったショウ・レイ王は、密かにキリヤ公国連合国と接触し、捕らえられて居た皇太子ショウ・ユンの奪還と故国の独立を支援を依頼する。


 その策謀は功を奏し、キリヤ公国連合国の10番目の加盟国、竜珠独立自治王国と成った瞬間であった。



 王都・那覇市 


 沖名和島に在る竜珠独立自治王国の首都で、日本国の沖縄県の様な琉球文化と良く似た街並みが特徴的な王都。

 主に米・麦・根菜類・山芋・砂糖・塩・泡盛・絹・海産物・サンゴ・南国系フルーツ・あぐー豚等を主要産業として、キリヤ公国連合国と諸外国に売り込んで生計を立てて居る都市。


 王都・那覇市には、それらを一手に買い取る大店の仲買商人と加工商会の商人らの商会と工房が立ち並んで、大きな賑わいを見せて居る。 




沖名和島 


 竜珠独立自治王国の王都が置かれて居る本島に当たる島で、政治・経済・文化の中心地として知られて居ると共に、南北貿易の中継地として活用されて居る。


 だが、近年ではキリヤ公国連合国内各地に港が開かれて居るせいか、客足が減ったと言われるが、逆に竜珠独立自治王国商人達は貿易船でキリヤ公国本国や各自治国に売り込みに出て居ると言う逞しさを見せて居ると言う。


天城諸島あまぎしょとう 


 竜珠王国が統治して居る薩南諸島を構成する諸島の一つで、サトウキビが取れる貴重な島であり、島津家の重要な交易地だが、実状は3年前に島津四姉妹に負けた竜珠王国は、島津家に統治権を取られた状態に在る。

 



竜珠諸島りゅうきゅうしょとうと竜珠諸島地方



 竜珠王国の在る島々事で、先島諸島・奄美諸島・吐噶喇列島・大湾島・大塔島諸島を併せたのが竜珠王国で、地名としての呼び名はでもある。


 同地は天城諸島と並んでサトウキビ栽培が盛んな土地柄で在ると共に、宝石サンゴの加工輸出の一大生産地としても知られて居る。



大湾島


 竜珠王国中でも最大島で、地球で言う台湾島と酷似して居る島。


 竜珠独立自治王国内で消費される食料供給源の8割近くが、この島で作られて居る。

 特に米・麦・根菜類・葉野菜が大半を占めて居る。




立花伯爵自治藩王国  藩都・柳川市 居城・柳川城


 アマテラス神皇国・九州地方平定征伐戦こと、略称名・九州島地方戦役に措いて、キリヤ公国連合国軍の援軍が到着するまで、最後の最後まで戦い抜き、島津軍の侵攻を防いだ功績は非常に高く、類を見ない攻城戦で一族総出で命懸けの働きに対して、キリヤ公国連合国中央政府と勇治は、独立自治藩王国として大友家と織田家から独立をしないかと持ち掛ける。


 当主である立花・雪花・道雪は、これを三度ほど断り、それでもやって欲しいと頼まれると、それでも固辞してまう。


 その話を臨席していた大友・須江は、私と我が家に遠慮して居るのなら気遣い無用です。遠慮なく受けなさい。


 それだけの功績を残したのですからと出世話を勧めてくれた。


 それならばと雪花は、自ら新たな提案として、先の戦での負傷した事で後遺症が残ってしまって居る自分が伯爵王と成るのは、些か無理が在る事を理由に、事前に申し出た当主交代の話を聞き入れてくれるのなば、お受けすると申し出た。


 その場で雪花は、やや歳の離れた妹である立花・薫・宗茂を立花家の新当主として推挙し、新しい藩王国の国主にするようにと嘆願する。


 薫は当主交代の話は覚悟して居たが、藩王の話までは覚悟して居なかった為に、「やっぱり姉の様に成るのはまだ早いです。」と言って、これを固辞するが、実の姉と親戚の義姉の二人からの推挙もあり、伯爵王となる事を受諾する。 


 雪花はキリヤ公国へと仕官すると共に配属先は近衛近習衆軍となり、勇治の近衛衆の一人となり公王顧問相談役兼秘書官の役目を任じられた。 


 また、立花家新当主の後見人として、親戚筋の義姉である高橋・紹子・運紹は、与力藩としての領土が贈られ、立花軍の司令官としてもお家を支える事成り、立花伯爵自治藩王国はこのようにして建国されたのであった。


 領土は土地開発が余り進んで居なかったキリヤ列島地方のキュウシュウ島地方・北キュウシュゥ島地方自治州区・南キュゥシュゥ島地方自治州区と決められ、立花家は桐谷勇治とキリヤ公国の直属家臣に取り立てられたのだった。


 首都都市は、お国入りした当初は北キュウシュゥ島地方自治州区の州都をハカタ市として居たが、キリヤ列島地方のキュウシュウ島地方の立花家連合国の宗主家国である事から、ハカタ市から200キロ南西部に在る平原地域に新たな首都都市を建設計画を立ち上げ、港と商業都市と首都機能を備えた柳川市を創る事に成った。



キリヤ公国連合国の加盟登録ナンバーは、11番号と成って居る。



立花子爵独立自治支藩王国 首都都市・ソノギ・ナガサキ市 居城・立花・雪花居城邸宅・花雪城館


 アマテラス神皇国・九州地方平定征伐戦こと、略称名・九州島地方戦役に措いて、キリヤ公国本国政府と桐谷勇治に仕える事に成り、立花家当主の代替わりを決意し、旧大友家家臣・立花家を隠居した立花・雪花・道雪は、隠居した事と九州平定戦役での武勲を祝う意味も込めて子爵位へと陛爵される。


 これに合わせて妹の立花・薫・宗茂と高橋・紹子・運紹の二人から、隠居領地を分けられた事により自領地を持つ事と成り、隠居先分家たる子爵自治支藩王国を建国する事に成った。


 当初の雪花はと言うと、この隠居領の話を断って居たが、別荘地だと思って貰って欲しいと言われ、二人から厚意を渋々受け取って居た。


 広さは長崎県程の広さを誇り、キリヤ列島地方北キュウシュゥ島地方自治州区南西部に位置するソノギ地区と言う地方と南キュゥシュゥ島地方自治州区の天代諸島地方を分割割譲し、其処を治める支藩王と成った。


 普段は立花家時代から仕えて居た直臣の中から、摂政代官を配置し、支配統治を任せて居り、キリヤ公国中央政府も公認の加盟国として、キリヤ公国連合国の加盟登録ナンバーは、12番号と成って居る。


 後に勇治と大勢の後宮入りを果たし、結婚式を挙げ終わると、雪花は時折り直轄藩都たるソノギ・ナガサキ市内に建てた居城、花雪城館に勇治を招くと、夜通し夜伽をし合う恒例の隠れ家場所と成ったと言う。


 ソノギ・ナガサキ市を中心にして、立花子爵独立自治支藩王国を治め事に成った雪花は、炭鉱山や銀鉱山、それに銅鉱山が有り、鉱物資源の基幹産業と成って居る。 

 底曳き網などの漁業を盛んにし、様々なタイ類・ハタ類・マグロ・伊勢海老類・サバ類・アジ類などの高級魚や宝石サンゴ漁に恵まれた漁場を有して居る為、魚介類加工品工場が多く点在して居る。


 農産物には、麦・ジャガイモ・みかん・びわ・イチゴ・マンゴー・牛・ニワトリなんかを基幹農産業として、盛んに生産されて居る。



高橋男爵独立自治支藩王国 首都都市・カゴシマ市 居城・カゴシマ城 城内邸宅高橋・紹子居城邸宅・桜山館


 勇治とキリヤ公国連合国中央政府から命じに応じて、立花伯爵自治藩王国の国土と成った南キュゥシュゥ島地方自治州区を統治する事に成った高橋・紹子・運紹を支藩国王とする衛星国家。


 建国時にはキリヤ公国連合国に立花・薫・宗茂と高橋・紹子・運紹との連名で、北キュウシュゥ島地方自治州区南西部に位置するソノギ地区と言う地方と南キュゥシュゥ島地方自治州区の天代諸島地方をアマテラス神皇国・九州地方平定征伐戦こと、略称名・九州島地方戦役に措いて勲功を上げた立花・雪花・道雪の隠居領として分け与えたいと届出をして居る。


 そんな理由から、キリヤ列島・キュウシュウ島地方は、立花家が勇治から委任統治領として下賜する形で独立自治藩王国系国家と成った。


 高橋男爵独立自治支藩王国は、首都都市にしたのは、まだ開発開拓が途上に在ったが、都市機能が整備されて居る南キュゥシュゥ島地方自治州区の州都をカゴシマとした。



 支藩王と成った高橋・紹子・運紹は、小規模にがらも火山も在る土地柄を利用した土地開発を進め、サツマイモを始めとするイモ類の生産やサトウキビ、サヤインゲン、茶畑(後に高橋茶)・カツオ漁による各種加工品・芋焼酎を始めとする酒造業・キリヤ公国連合国の各地方から取り寄せて掛け合わせて品種改良を為して作った高橋豚なんかを基幹産業として居る。


 特に高橋豚は、ブランド豚として有名に成って行き、しゃぶしゃぶとトンカツに重宝される一品として有名と成って居る。


 また、鉄鉱山と金鉱山も幾つか点在しており、貴重な収入源と成って居て、大砲の製造所やガラス工場など工業力に力を入れて居る。


 それと火山が点在する事から、温泉も噴き出て居る為、湯治客も多い土地柄と成って居て、首都都市・カゴシマ市内やカゴシマ城・高橋・紹子居城邸宅・桜山館にも温泉が引かれて居り、市民は管理税さえ払えば、誰でも利用が出来る様に成って居る。


キリヤ公国連合国の加盟登録ナンバーは、13番号と成って居る。




キリヤ公国連合国・ユーロン南方海峡洋海諸島地方


 大華天帝国・クーロンの大帝であるリュンファー・クーロンがキリヤ公国連合国と友好通商条約と相互防衛同盟条約を結んだ証として、勇治とリュンが元首婚約同盟者関係となり、相互で管理すると定められた大華天帝国・クーロン地方領土のこと。

 

 ユーラシアン大陸から南へ千キロの海上に位置して居るダクラマカン大陸と言う大陸との間に在る亜大陸列島群で、キリヤ公国連合国へと委任統治領として譲り渡す事と成った。


 だが、余りにも広大な地域であり、人家の少ない土地柄であった為、勇治は支藩王国を作る事を決定。


 此れまでの戦いや連合国内で有力と見られる人物や諸勢力に委任統治領として任せる事にした。



 豊臣独立自治大公藩国 大公藩都・阪神市 居城・阪神城 


 キリヤ公国連合国中央政府と勇治からファン列島諸島の100ある諸島の東ファン列島地方領を任せる事と成った羽柴・陽菜・秀良が立藩建国させた自治藩国で、勇治が記念だと言つつ、秀吉に似て居るからと悪乗りして、国名と新しい苗字を陽菜に送る。


 それが豊臣であり、大公藩国の由来である。主都は大公藩都・阪神市で、居城は彼の大阪城と良く似た阪神城を拠点にして、活動をして居る。


 家臣団の構成は、尾張国時代からの幼馴染みと親戚や、陽菜自らスカウトした人材が多く居る構成と成って居る。


 この事が支藩として立藩させるのに十分であるとの判断材料に成って居た。


 と言うよりはアマテラス神皇国の戦国時代が終わった織田家内では、人材が余ってしまい、仕事先を斡旋させる事に苦慮している事からの栄転処置であった。


 家臣団

 豊臣・竹菜・秀長。 豊臣独立自治大公藩国・宰相

 蜂須賀・頃代・正勝。豊臣独立自治大公藩国・経済産業省大臣

 前野・恵那・康長。 豊臣独立自治大公藩国・農林水産省大臣 

 浅野・寧々・長政。 豊臣独立自治大公藩国・財務省大臣

 黒田・雫・隆孝。  豊臣独立自治大公藩国・豊臣軍・総軍総参謀長

 竹中・半那・治重。 豊臣独立自治大公藩国・総司令官兼国防軍大臣

 石田・咲枝・三成。 豊臣独立自治大公藩国・総務省大臣兼補給物資調達庁官

 福島・市夏・正則。 豊臣独立自治大公藩国・豊臣軍・第一軍団長 歩兵師団

 加藤・虎実・清正。 豊臣独立自治大公藩国・豊臣軍・第二軍団長 歩兵師団 

 大谷・紀子・吉継。 豊臣独立自治大公藩国・豊臣軍・第三軍団長 機甲師団

 加藤・茂美・嘉明。 豊臣独立自治大公藩国・豊臣軍・第四軍団長・銃砲特化歩兵軍団

 脇坂・安代・安治。豊臣独立自治大公藩国・豊臣軍・第一海軍艦隊司令官

 片桐・勝乃・且元。豊臣独立自治大公藩国・豊臣軍・第二海軍艦隊司令官

 平野・泰子・長泰。豊臣独立自治大公藩国・豊臣軍・第一銃騎兵師団

 加須屋・冴子・武則。豊臣独立自治大公藩国・豊臣軍・第二銃騎兵師団


徳川独立自治東照大公藩国 大公藩都・大江戸市 居城・大江戸城

 

大弯亜大陸の北側半分を国土して徳川家に委任統治させる事と成った自治藩王国で、徳川家も有力な人材が豊富であり、三河・遠江・駿河の三カ国だけを治めさせて置くだけでは勿体無いと考えた勇治は、アマテラス織田自治神皇国からの分離独立を持ち掛けた。


 最初は家臣団中には、住み慣れた土地を離れることへの不安と土地の取り上げられるのでは?という反発が強く、この話を持ち掛けらた当主の徳川・千代も戸惑って居たが、家臣団と領民達にこれは徳川家に取って出世であり、栄転であると腹を決めて独立を決意する。


 懸命に何もない土地の土地開発をして行った徳川家は、移り住んだその地に、日本の江戸時代と良く似た風景の街並みが広がる大都市を持った国家を建国して行く。


 国旗・三つ葉葵紋 


 軍旗・三つ葉葵紋軍旗と厭離浄土・欣求穢土の御旗


 総大将馬印の金扇の大馬印


長宗我部・独立自治新土佐藩王国 藩都・南高知市 居城・南海・浦戸城


 アマテラス神皇国の四国島地方から海南島諸島へと異動を命じられた長宗我部家が、独立自治藩王国として建国した国家。


 九州地方平定征伐戦での功労と長宗我部・智華・元親の当主としての将来に期待が持てると見たキリヤ公国連合国中央政府と勇治らによる推薦で、建国した独立自治藩王国。


 長宗我部家の主だった家臣達は、これに反発したが、当主である長宗我部・智華は、「勇治陛下と織田・和紗様からの推薦で、我が長宗我部家は藩王国の名誉を賜った。」


「これに何の不服が在ろうか?これは宗主国王より賜った出世道である。」


「謹んでお受けするが家臣としての責務である。」と言って故郷を離れることを決意する。


長宗我部・独立自治新土佐藩王国海軍 通称名・長宗我部海軍



長宗我部・独立自治新土佐藩王国海軍艦隊所属艦艇 通称名・長宗我部艦隊


第一艦隊・浦戸艦隊・旗艦・巡洋艦・浦戸 巡洋艦2隻・駆逐艦5隻・輸送艦隊4隻。


第二艦隊・高知艦隊・旗艦・高知 巡洋艦2隻・駆逐艦5隻・輸送艦隊4隻。



大友独立自治新豊後支藩王国 藩都・新大分市 居城・新大分城


 九州地方平定征伐戦で戸次川の戦いで、連合国司令部の命令を聞かずに、島津・衣恵与軍と先走って戦い敗戦してまった大友家と大友・須江・奏麟。


 その論功行賞及び処罰の最終的な決定は、領地替えによる大友家の移転とされた。


 大友家はファン列島諸島の30もの諸島地方の領地を持つキリヤ公国直属の独立自治支藩国として建国するように命じられた。


 家格は毛利・上杉・伊達家より格下、諸外国からは男爵王家扱いとされる身分とされた。


 大友家当主の大友・須江はこれを素直に受け入れると申し入れ、アマテラス神皇国から引っ越しして行くのであった。




龍造寺独立自治・新肥前藩王国 龍造寺諸島本島・佐賀島本島・藩都・南佐賀市 居城・南佐賀城


 アマテラス神皇国・九州地方平定征伐戦に措いて、多大なる被害を出した龍造寺家。


 その当主である龍造寺・信美・信隆は、勇治に命を救われ、自国の家臣と領民達を島津家から救ってくれた事に感謝し、命を救ってくれた勇治の家臣になりたいと申し入れた。


 其処で勇治はファン列島諸島の一部である30の島々を国土する支藩王に任じて、家格は子爵家扱いとされて居る。



キリヤ公国連合国の加盟登録ナンバーは、14番号と成って居る。




  龍造寺諸島本島・佐賀島本島・藩都・南佐賀市 居城・南佐賀城に付いて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 キリヤ公国連合国のユーロン南方海峡洋海諸島地方・ファン列島諸島・ファン列島諸島南部地方に在る龍造寺独立自治・新肥前藩王国の中心地で、特に名称が無かった事から、アマテラス神皇国地方・九州島地方の肥後国から引っ越して来た龍造寺家に因んで、龍造寺諸島本島と名付けられ、本島を佐賀島にして、南の佐賀市だから藩都を南佐賀市とし、居城である南佐賀城を築城して、城下町を整備した。


  





龍造寺記念病院


 龍造寺独立自治・新肥前藩王国として引っ越し来た龍造寺家が、城下町を整備した際に、キリヤ公国本国政府と連合国加盟諸国の援助を受けて創設した記念病院のこと。


 僻地でありながらキリヤ公国本国の公王都・キリヤ市の一流病院と変わらない設備と医者や看護師たちが常駐して居る病院として運営されて居るが、設立した理由には、戦地と成り得る可能性が高い地域に必要な基幹病院とする目的が有ったとされて居る。






江里口諸島地方地区 居城・江里口館城 主都・江里口城下市


 龍造寺独立自治・新肥前藩王国の最南端地域であり、龍造寺諸島の南東部に位置して居る江里口・絵里・常信が治める事に成った江里口諸島地方のこと。



 市内のど真ん中に館御殿城を構えつつ、防御力の高い城下町を整備した絵里は、泥だらけに成って、田畑や町に用水路・・・・そして湾港町を築いた名君として、銅像が立って居るが、その姿は幼い跡取り娘と一緒に成って、南側を指さして居る銅像が立って居る。



鍋島独立自治・唐津支藩王国 藩都・唐津市 居城・唐津城


 アマテラス神皇国・九州地方平定征伐戦に措いて、多大なる被害を出した龍造寺家の家臣であり、筆頭家老であった鍋島・尚美・茂直は、主君であり従姉妹である龍造寺・信美の国土近くのファン列島諸島の一部である30の島々を領地として賜り、独立藩王国の王に取り立てられた。


 家の家格として男爵王扱いで龍造寺・信美の与力王扱いと成って居る。


 キリヤ公国連合国の加盟登録ナンバーは、15番号と成って居る。


藩都・唐津市


 鍋島独立自治・唐津支藩王国の藩都・唐津市は、龍造寺諸島の西部に位置して居る大華天帝国・クーロンとキリヤ公国本国とを繋ぐ貿易港を有する商業湾港都市として整備されて居る。



 遂にでに唐津工業地帯を造った鍋島・尚美は、世界各地から唐津港を利用して入って来る鉱物資源を利用して、自国生産の工業製品を売り出して居る。


 特に鍋島家の工業地帯で造られた、細々した軍事工業製品は、キリヤ公国連合国が戦争へと突入した際に活用され、特に榴弾砲や自走砲は、定評がある威力と運用力に優れた物であるとされて居る。




松浦独立自治・平戸支藩王国 首都・平戸市 居城・クーロン・平戸城


龍造寺家がキリヤ公国と桐谷勇治の直臣に成るに伴い、今までは外籍独立大名王家だった松浦家は、先の九州地方戦役に措いて、里見艦隊と小早川艦隊の指揮下に入って戦った松浦党水軍と大村党水軍らの軍勢は、天草諸島地方及び八代湾海域に立て籠もる島津軍を三日掛けて制圧して行く作戦に参加する。


 戦後に成って名付けられた島原・天草沖海戦と呼称される戦での戦功が著しいとキリヤ公国本国政府とキリヤ公国・国防総省から見られ、報奨の他に何か望みが在れば叶えると勇治は申し入れをして居た。



 松浦家当主である松浦・知恵は、キリヤ公国本国海軍艦隊の地方艦隊司令官として採用され、アマテラス神皇国の転封政策も絡みつつ、領地替えと同時に独立する様に命じられる。


 その地位は男爵位扱いの松浦独立自治・平戸支藩王国を建国し、大村家とは隣国同士の土地に転封された。


 転封移転地域と成ったのは、ユーロン南方海峡洋海諸島地方の最南端地域である九龍諸島であった。


 九龍諸島の基本名称は、クローンしょとう又はくりゅうしょとうと成って居るが、一般的にクーロン諸島と呼ぶのが公式名と成って居る。



 松浦家が治める事に成った松浦独立自治・平戸支藩王国が建国地域と成ったのは、九龍諸島南部諸島で、松浦家が入ってからは、南クローン諸島地方・松浦諸島命名され、南クローン諸島地方・松浦諸島・平戸本島に首都本島市を造り、首都・平戸市とクーロン・平戸城を建て、クーロン・平戸港や城下町を整備して行く。



松浦独立自治・平戸支藩王国の領土


 全体の九龍諸島南部諸島を国土領とし、南クローン諸島地方・松浦諸島・平戸本島を中心にして、その周囲には、クローン・五島列島「西南部」クローン・北松浦島「北東部」南松浦島(南東部)等々の島々から成り立って居る。



 重巡洋艦・松浦。巡洋艦・平戸。巡洋艦・福江。駆逐艦・生月。駆逐艦・江迎。駆逐艦・二神。駆逐艦・的山大島。


 総人口は、約7000人で、総兵力は2000人から3000人程度。常備兵力は1800人と成って居る。



 松浦独立自治・平戸支藩王国軍 通称名・松浦軍


 松浦軍とは旧独立大名王家であり、龍造寺家の従属与力大名王家国であった松浦大名王家国の私設軍が、キリヤ公国連合国へと加盟国と成った際に再編成された支藩王国軍の事である。


 その始まりとは、ユーロン南方海峡洋海諸島地方の最南端地域が、故郷であるアマテラス神皇国地方・九州島・松浦地方と良く似ていた事から、その地方を国土とする事を申し出た松浦・知恵・隆信。


 ユーロン南方海峡洋海諸島地方編入当時は、其処がキリヤ公国連合国の最南端地域と言う要地と言う事も有り、彼女は南方海域の警戒区域を守備・警護すると言う任務を率先して引き受ける事で、勇治とキリヤ公国連合国中央政府への忠誠心と帰属意識が有る事を示して言えるだろう。



 そんな最前線を守備する松浦軍が、近代化軍として再編成されるが、アマゾネルス亜大陸と言う大陸に住まう所謂アマゾネルス族と言う女系先住民族を中心とした未開地域の部族連合国でるアマゾネルス女傑部族総長帝国及び部族間連合国と言う蛮地部族国家が、直ぐ傍に在ると言う事も知らずに、引っ越しをしてから半月後の事である。


 既に松浦家の家臣・領民・現地住民たるクーロン人たちらへの仮設住宅の建設が終って居た為、本格的な開発開拓が始まった南クローン諸島地方・松浦諸島。


 港や主要都市に市町村に、城下町の整備も進み、松浦・知恵は、現地住民たるクーロン人にも、泥だらけになって働いていた事から、新しい領主さまは素晴らしいお方だと大評判・・・・・であったのだが、此処で一騒動が起きてしまう。



 キリヤ公国連合国がユーロン南方海峡洋海諸島地方へと進出した事により、隣国のアマゾネルス族たちが、クーロン人がまた侵略しにやって来たと考えたらしく、追い払う為に、嫌がらせ行為や略奪行為を開始。


 松浦・知恵と松浦独立自治・平戸支藩王国の首都・平戸市や居城・クーロン・平戸城にクーロン・平戸港が襲撃を受けてしまった。


 松浦・知恵は、クーロン・平戸城内にまで攻め入られたが、最新の近代化武器・兵器を持って居た為に、アマゾネルス族たち地方部族軍らを撃退。


 しかしながら、その最中で松浦・知恵は、不意打ちを喰らい、中傷を負ってしまう。


 更には、龍造寺独立自治・新肥前藩王国の最南端地域であり、南東部に位置して居る江里口・絵里・常信が治める事に成った江里口諸島地方の江里口館城と江里口城下市にもアマゾネルス族たち地方部族軍らによる襲撃が起こり、領主である江里口・絵里は、軽傷を受けてしまう。


 他にも幾つかのユーロン南方海峡洋海諸島地方の東部諸島地域への襲撃事件が起きた為、勇治とキリヤ公国連合国中央政府閣僚幹部らは、大華天帝国・クーロン政府と 大華天帝国・クーロン大天帝たるリュンファー・クーロンに事の仔細を問い質す。


 するとリュンは、やはり来たかと答えると、ユーロン南方海峡洋海諸島地方をキリヤ公国連合国へと委任統治領として譲ったのは、アマゾネルス亜大陸と言う大陸に住まう所謂アマゾネルス族と言う女系先住民族を中心とした未開地域の部族連合国でるアマゾネルス女傑部族総長帝国及び部族間連合国と言う蛮地部族国家との国境紛争問題をキリヤ公国連合国に解決した貰おうと目論んだからであった。


 そんな大陸間戦争で活躍したのが、海軍で先鋒軍を務めたのが松浦軍であると歴史書には書かれて居る。



キリヤ公国連合国の加盟登録ナンバーは、16番号と成って居る。



 大村独立自治・彼杵支藩王国 


首都・クーロン長崎市とするが、居城は、クーロン・大村市近くのクーロン大村城と成って居る。



龍造寺家がキリヤ公国と桐谷勇治の直臣に成るに伴い、今までは外籍独立大名王家だった大村家は、先の九州地方戦役に措いて、里見艦隊と小早川艦隊の指揮下に入って戦った松浦党水軍と大村党水軍らの軍勢は、天草諸島地方及び八代湾海域に立て籠もる島津軍を三日掛けて制圧して行く作戦に参加する。


 戦後に成って名付けられた島原・天草沖海戦と呼称される戦での戦功が著しいとキリヤ公国本国政府とキリヤ公国・国防総省から見られ、報奨の他に何か望みが在れば叶えると勇治は申し入れをして居た。



 大村家当主である大村・菫は、キリヤ公国本国海軍艦隊の地方艦隊司令官として採用され、アマテラス神皇国の転封政策も絡みつつ、領地替えと同時に独立する様に命じられる。


 その地位は男爵位扱いの大村独立自治・彼杵支藩王国を建国し、松浦家とは隣国同士の土地に転封された。


 転封移転地域と成ったのは、ユーロン南方海峡洋海諸島地方の最南端地域である九龍諸島であった。


 九龍諸島の基本名称は、クローンしょとう又はくりゅうしょとうと成って居るが、一般的にクーロン諸島と呼ぶのが公式名と成って居る。



 大村家が治める事に成った大村独立自治・彼杵支藩王国が建国地域と成ったのは、九龍諸島北部諸島で、大村家が入ってからは、北クローン諸島地方・大村諸島命名され、北クローン諸島地方・大村諸島・大村本島に首都本島市を造り、貿易港として外に開けて居るクーロン長崎市を首都に定める。


 また西の稲佐山・北の銀比羅山・東の英彦山と言った東西北を山に囲まれた土地柄の中でも、北の銀比羅山の山頂に首都行政館・長崎支藩王府館を置き、首都での政務一切を此処で行われ事を定め。


居城から乗り物を使っての通いとする事にした。



 居城としたのは、クーロン長崎市から北へ行った場所に在るクーロン・大村湾を望むクーロン・大村市近くのクーロン大村城と成って居る。


 何でも大村家当主である大村・菫は、プライベートと仕事を分けたいと言う移行と軍港と貿易港と漁港の棲み分けを考えての事であるとして居る。



 主要都市・貿易首都都市・クーロン長崎市・軍港居城都市・クーロン・大村市・漁港工業都市・クローン・諫早市から成り立って居る。



 大村独立自治・彼杵支藩王国領土


 全体の九龍諸島北部諸島を国土領とし、九龍諸島北部諸島・北クローン諸島地方・大村諸島命名され、北クローン諸島地方・大村諸島・大村本島を中心地しながらも、他にも西彼杵島・東彼杵島・クローン・島原島と言った等々が点在して居る。





 大村軍とは旧独立大名王家であり、龍造寺家の従属与力大名王家国であった大村大名王家国の私設軍が、キリヤ公国連合国へと加盟国と成った際に再編成された支藩王国軍の事である。


 その始まりとは、ユーロン南方海峡洋海諸島地方の最南端地域が、故郷であるアマテラス神皇国地方・九州島・大村地方や彼杵地方と良く似ていた事から、その地方を国土とする事を申し出た大村・菫・純忠。


 ユーロン南方海峡洋海諸島地方編入当時は、其処がキリヤ公国連合国の最南端地域と言う要地と言う事も有り、彼女は南方海域の警戒区域を守備・警護すると言う任務を率先して引き受ける事で、勇治とキリヤ公国連合国中央政府への忠誠心と帰属意識が有る事を示して言えるだろう。



 隣国である松浦独立自治・平戸支藩王国は、九龍諸島を南北に別れて治める事に成った為、国防に関しては連携して事に当たる事に成って居る。


 万が一、九龍諸島に変事が起これば、更に北に在るファン列島諸島の龍造寺独立自治・新肥前藩王国が動き、それでも難しい場合は、更に北部の藩王国とキリヤ公国本国政府が動く事に成って居る。



 重巡洋艦・大村。巡洋艦・彼杵そのぎ。巡洋艦・多良岳。駆逐艦・西彼。駆逐艦・琴海。駆逐艦・伊王島。駆逐艦・諫早。



 総人口は、約7000人で、総兵力は2000人から3000人程度。常備兵力は1800人と成って居る。



キリヤ公国連合国の加盟登録ナンバーは、17番号と成って居る。



武田独立自治・新甲斐国自治藩王国 藩都・新甲府 居城・武田甲府政庁城


 キリヤ公国連合国とアマテラス織田自治神皇国に破れ降伏した武田家が、キリヤ公国の支藩王国としてお家を再建した際に建国した国家。


 


甲相駿三国同盟


 武田家・北条家・今川家らが、それぞれの理由で相争って居た事を解消し、各々目的と敵対勢力と戦う為に編み出された苦肉の同盟国計画のこと。


 武田信虎の弟である武田信友を北条・九江・早雲の婿に迎え、その妹である北条家三女たる早紀姫を今川義本の嫁入りさせ、最後に今川義本の妹である今川瑞穂を武田信虎に嫁入りさせた。



北条独立自治・新相模自治藩王国 藩都・新小田原市 居城・小田原城


 キリヤ公国連合国とアマテラス織田自治神皇国に破れ降伏した北条家が、キリヤ公国の支藩王国としてお家を再建した際に建国した国家のこと。


 しかしながら、アマテラス神皇国地方に措けるキリヤ公国連合国加盟諸国との武力衝突により巻き起こった騒動は、キリヤ公国連合国中央政府に、アマテラス神皇国地方・東国平定計画による武田家・北条家の征伐遠征作戦を決断。


 キリヤ公国連合国と武田・北条の両家と本格的な武力衝突と成った。


 これにより主戦派が立て籠もる事に成った小田原城は、北条・一花・氏綱が中心とした徹底抗戦派閥等ともにキリヤ公国連合国軍と交戦。


 しかしながら、これに対して北条・九江は、奥州独立自治王国の伊達・藤枝・政実。  

 アマテラス神皇国足柄幕府将軍王朝一三代目で、元足柄将軍王であった足柄・一輝・宗輝。


 元結城地方領・大名王家当主であった結城・梅晴・春宗。


 そして、上杉家前当主であった上杉・剣信・輝清と言った北条家とは敵味方を含めた因縁や縁ある面々からの説得を受けた事により、戦に成る前に箱根山城へと退去。


 其処で北条・一花と主戦派が立て籠もって居る小田原城に向けて挙兵を宣言し、桐谷勇治とキリヤ公国連合国軍を導く形で小田原城と小田原城下町の包囲軍に加わった。



 それから一月以上も耐え抜いて見たが、そんな小田原城と北条軍に対してキリヤ公国連合国本国政府側は、羽柴・陽菜・陽菜・秀良を中心としたアマテラス織田自治神皇国軍とアマテラス神皇国地方諸国連合による万里の付け城作戦により小田原城を包囲してしまう城を作り上げる。

 

 この様な止めを刺された北条・一花は、もう気が済んだでしょうと主戦派らの者達を説得し、小田原城は無血開城へと至ったのであった。


 

 その後、北条・一花は桐谷勇治の目の前に進み出て、降伏と臣従を申し出る事で北条本家を引き継ぐ事が許され、母親の北条・九江・早雲は隠居するが、戦を回避する事に奔走し、そうなる前にいち早く勇治とキリヤ公国本国政府に恭順の意向を示して居た事から、キリヤ公国連合国・爵位13階位貴族爵位制度の第3位・侯爵に叙せられる。



 因みに北条・一花は、臣従関係を強固にするべく、愛妾妃あいしょうひと言う形で血縁関係を結ぶ事に成る事から、公爵へと叙爵させられた。


 これが後のキリヤ北条公爵本家と北条侯爵家の創設と成るが、他にも北条家一族は、この大戦に措いて勝ったり、負けたりして、敵味方に分かれて争う事に成ったのも関わらず、キリヤ公国本国の爵位や要職に付いて居ると言う変わった生き残り方をして居る。


 一番に得をしたのは、隠居した北条・九江・早雲であったと、後世の歴史書には書かれ、歴史学者達らには流石は相模の表裏女狐と唸らせて居ると言う。




北条五色備軍団 

 黄・赤・青・白・黒の色の鎧や旗指物で彩った旧北条家軍及び北条新相模自治藩王国軍の5軍団の事で在る。


 北条黄備え軍団 軍団長・北条・紗英・綱成 拠点・新武蔵国州・川越城


 北条赤備え軍団 軍団長・北条・種夜・綱高 拠点・新相模国州・甘縄城


 北条青備え軍団 軍団長・富永直勝 拠点・新武蔵国州・栗橋城


 北条白備え軍団 軍団長・笠原・美晴・政尭まさたか拠点・新伊豆国州・下田城


 北条黒備え軍団 軍団長・多米 元忠 拠点・新上野国・平井城



北条家・当主一族衆


 北条・九江・早雲と武田信友との間に産まれた男女8人の子供の事を指して居るが、男子は養子に出して居る事から当主一族で在りながらも外戚扱いと成って居る。


北条家一族衆


 北条・九江・早雲の姉妹達とその両親達にから見て二等親に当たる一族達の事を指して居る。


北条家一門衆


 北条の姓名又は北条家と二等親一族に当たる家々の事を指して居る。また、養子又は縁組での関わり合いが在る2等親に当たる親戚も含まれて居るが、当主がその権利を認めないと、親戚関係とは見なされない事に成って居る。






 島津独立自治・新薩摩藩王国 藩都・新鹿児島市 居城・鹿児島城


 キリヤ公国連合国とアマテラス織田自治神皇国に破れ降伏した島津家が、キリヤ公国の支藩王国としてお家を再建した際に建国した国家。




 成田独立自治・武蔵支藩王国 藩都・忍沼市 居城・忍行田城


 北条家に従属させられて居たが、主家として付き従いキリヤ公国連合国とアマテラス織田自治神皇国と戦い破れ降伏した成田家。


 その後、娘で在り跡取りであった成田・甲斐・氏長が勇治の愛妾妃兼近衛衆の護衛官入りした事で、成田家は復権し、成田長泰は桐谷公王家とキリヤ公国の直参家臣と成って成田武蔵自治支藩王国を建国した。 





大弯亜大陸


 ダクラマカン大陸から北東に500キロ沖合にある亜大陸で、大きさはインドくらい在る。


 作物が肥えられる程に肥沃な土地であったが、絶海の孤島も同然の土地であり、長らく無人島地帯であったが、リュンファー・クーロン天帝がキリヤ公国連合国と同盟と成る記念に、キリヤ公国連合国へと委任統治領として譲り渡す事と成った


 キリヤ公国連合国へと編入後は、徳川家・武田家・北条家などか分割統治する事に成った。



 ファン列島諸島


 ダクラマカン大陸から北東に500キロ沖合に在る300以上もの島々からる列島で、インドネシア地方と似た様な面積を誇って居る。


 密林地帯等を含む様々な地形を有するが、絶海の孤島も同然の土地であり、長らく無人島地帯であったが、リュンファー・クーロン天帝がキリヤ公国連合国と同盟と成る記念に、キリヤ公国連合国へと委任統治領として譲り渡す事と成った


海南島諸島


 ダクラマカン大陸から北東に500キロ沖合に在るグリーランドくらいの在る絶海の孤島で、管理が面倒くさいと言う理由から、土地開発が一切されてない。


 リュンファー・クーロン天帝がキリヤ公国連合国と同盟と成る記念に、キリヤ公国連合国へと委任統治領として譲り渡す事と成った。


キリヤ公国連合国へと編入後は、長宗我部家が統治する事に成った。



九龍諸島


 名称は、クローンしょとう又はくりゅうしょとうと成って居るが、一般的にクーロン諸島と呼ぶのが公式名と成って居る。


 台湾と同等の広さを持った竜に酷似して居る諸島で、南北に30島つづの集まりを持ち、それぞれ一つづの本島地域を主軸とする60余り離島諸島のこと。


 ダクラマカン大陸から東に500キロ沖合に在る絶海の孤島で、ユーロン南方海峡洋海諸島地方の最南端に位置して居る諸島で、アマゾネルス女傑部族総長帝国及び部族間連合国の在るアマゾネルス亜大陸に一番に近い離島諸島地域と成って居る。


 ダクラマカン大陸から離れて居る事やアマゾネルス女傑部族総長帝国及び部族間連合国と言う蛮地部族国家との紛争が絶えないと言う理由から、非常に管理が面倒くさいが故に、長年に渡り大華天帝国・クーロンの放棄領土の一つとして、土地開発が一切されてない。



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