第4話 四番街
ヒロトは笑顔で挨拶を返した。初対面の印象は出来るだけ明るく、だ。特に子ども相手なら尚更。
「さ、じゃあ誰かにヒロトお兄さんの案内を頼みたいんだけどやってくれる人ー?」
「はーい!」
一斉に手が上がる。ヒルダさんは微笑みながら2人の男の子を指名した。
「じゃあ、ジェリコとロト。お願いね」
「院内をしっかり説明してあげてね。それとヴィンデルン通りを出ちゃダメよ」
2人ははーいと適当に返事をする。この二人で大丈夫だろうか。多少の不安を抱かないでもないヒロトだったが礼儀として二人に挨拶をした。
「よろしく!、ええっとジェリコ、ロト」
「よろしくな、にーちゃん」
二人はいたずらっぽい顔をにゃっとさせて笑った。
「じゃあこっちにこいよ」
ヒロトは二人に連れられて建物の中に入る。廊下は半分建物の中に入っていて庭を望めるようになっていた。突き当たりには少し広めの部屋がある。箱に入った野菜が見えた。
「こっちが台所でいつもレティシア姉ちゃんが料理してくれるんだ」
そう言ってそばかすの少年、ジェリコは芋を片手に説明してくれた。彼が美味しそうに食べてる芋は台所からくすねたのだろうか。思った通りの悪ガキのようでヒロトは苦笑を浮かべる。
「で、こっちが俺らの寝るとこ」
となりの部屋を覗いてみると7、8人分のハンモックが吊り下がっていた。壁にはクレヨンで絵が書かれていて棚の上には積み木や石ころやが転がっている。
「二人はハンモックで寝てるの?」
「そうだよ」
こんなに小さい子がハンモックで寝るのは大変じゃ無いだろうか。
「寝てる時に落ちたりしないの?」
「心配性だなぁヒロトにいちゃんは。もう慣れたから平気平気」
ロトがなんでも無いように応える。
「二人ともえらいんだな」
そう言うと二人は照れくさそうにはにかんだ。
「俺たちはここら辺りのことならなんでも知ってるんだぜ」
インストラクターが板についてきたジェリコは、得意げに通りの店々を紹介してくれた。
裏通りとあってこじんまりとした場所だったが、それがむしろここに住む人の生活感を醸し出している。道の側には小川が流れ、近くの上水道で洗濯をしている女の人や元気に走り回っているジェリコと同じくらいの子どもたちがいた。時刻は夕方になりつつあり街頭に照らされて辺り一面がオレンジ色に染まる。
しばらく歩いていると一家の店がヒロトの目にとまった。
「ここは何の店なの?」
「ベンツさんの店だよ、修理屋。院の時計が壊れた時この人が直しに来てくれたんだ」
ロトが説明をしてくれる。
『修理屋-ベンツ』の店頭にはランプ、ピアノ、小道具などが置かれていて店横では水車が回っていた。カラカラと水車が音を立てて回るのが小気味良い。店の一番奥の方では机に向かって仕事をしている男性がいた。きっとあの人がベンツさんだろう。職人っぽい雰囲気で彼の眼鏡の奥にはきらりと光るものがあった。前に院に来ているならいつかお世話になることもあるかもしれない。ヒロトは店の場所とベンツさんの顔を覚えておくことにした。
反対側に目を向けるとこれまた不思議な店があった。
「こっちは?」
「薬屋」
ロトがぶっきらぼうに答える。
「俺嫌いなんだ。あそこで貰うもの全部苦いから」
そう言ってロトは薬の味を思い出したのか顔をしかめた。ジェリコも頷いている。
確かに、良薬は口に苦しというけれどヒロトも二人の気持ちが理解できた。なぜなら、自分も小さい頃薬が大嫌いだったからだ。島の薬師、スズキさんはいい人だったけどじいちゃんに何度も諭されてやっと飲んだくらいだ。今でも得意とは言えない。
件の薬屋の店先には、ヒロトが見たことのない植物が所狭しと並んでいた。ほのかに甘い芳香がする。入り口を覗いてみると、店内からオレンジ色の光が覗いていて中には天秤やフラスコ、数々の薬品、煙を上げている蒸留器まであった。
ヒロトがもの珍しげに店内を覗いていると、ジェリコとロトは後ろでこそこそと話し合っていた。そして何らかの結論に至ったのか、二人はヒロトの袖を引っ張ってどこかに連れて行こうとする。ヒロトはもう少し見ていたかったが結局言われるままに後に続いた。
二人を追ってヴィンデルン通りの裏道を進む。住宅に囲まれた暗闇をひた走ると突然視界がひらけた。ヒロトの目に圧倒的な光量が飛び込んでくる。
「おおっ」
思わず感嘆の声を上げた。ヒロトの目に入ってきたのは金色に輝く街並みだった。幾本もある通りにそって光の筋が遠くまで続いている。はるか眼下には豆粒のような人が往来しているのがわかった。
「めちゃくちゃきれいだ」
ヒロトはぽつりと声を漏らす。
「だろ、あそこに見えるのは五番街。俺たちのいる四番街は途中で途切れてて吹き抜けになってるんだ」
ジェリコが得意げに話す。
「ここは俺たちの秘密の場所だからな」
ロトが念を押した。
確かにこの夜景は誰にも邪魔されたくないだろう。地上もきれいな街並みだったが、ここだって負けない。いやむしろ、この地で確かに生きる人々の営みを見たようでなんだかぐっとくるものがあった。
それはヒロトの故郷が自然に根ざした生活をしているからだろうか。ともかく、ネルスでは人が自然に頼らず自分たちの力だけで生きているのだ。ヒロトにとってそれはものすごく怖くて、魅力的なことのように思えた。
しばらく経ってふとヒロトは2人がいないことに気づいた。先に院に戻ったのだろうか、確かに随分と見とれて時間が経ったような気がする。待っていてもらちがあかないのでとりあえずヒロトは元の通りに戻ることにした。
しばらくして、
正しいと思った道を進んだヒロトだったが、焦って動き回ったせいか自分の居場所を完全に見失ってしまった。周りの家の光があるもののこの辺りは住宅が密集していて薄暗い。
立ち止まって居ても解決しないので手近の家を訪ねて道を訪ねることにする。しかし、
「よお、兄ちゃんどうしたんだ」
背後の暗がりから柄の悪そうな3人組が現れた。ヒロトの存在に構わず、ずかずかと歩み寄ってくる。
中央の男はシャツの前を完全に開け放ち鍛え上げられた腹筋を晒していた。もう1人の背の低い方はポケットに異様な膨らみが見て取れる。彼らの目は人助けをするというより飢えた獣のようにギラギラと光っていた。
どう見ても3人はカタギの人物には見えなかった。ヒロトはすぐに踵を返して立ち去ろうとする。が、
「おいちょっと待てよ、困ってるんだろ」
3人組はヒロトを追っかけてきた。
ヒロトはさらに道が分からなくなることに構わず、がむしゃらに路地を駆け抜ける。
2、3分はたっぷり走り抜き、タイミングを見て後ろを振り向く。しかし、驚いたことに追っ手はヒロトの数歩をぴったりと張り付いてきていた。
島での生活のことがあり体力に自信があったヒロトだったが正直これは予想外である。おののき必死に引き離そうとした。しかし追っ手もペースを上げて捕まえにかかる。だめだ、諦めかけたそのとき、
「こっち」
誰かがヒロトの手を引いた。