15話 帰還と覚悟
「まんまと出し抜かれたという事ですか」
セリナは淡々と呟くその言葉からは感情は伺いきれず、突如として現れた巨大な壁を前に呆然と立ち尽くしていた。処理しきれない感情というのはこういう状況を指すのだろうかと思わされる。
ウェルトはその感情が見えないセリナに恐ろしさを感じていた。
狂人といえど、感情が無い訳ではなく、他者の自身の思うものと違う言葉は受け入れず心に響かないだけで聞こえていないわけではない。本当の意味で言葉が聞こえていないのは『聖刻』ではなく『邪刻』の方だ。『邪刻』には理性はないが『聖刻』には歪んではいるが理性がある。
どちらも危険な事には違いないが、結果の予想がすぐに出来る『邪刻』の方がまだマシかもしれなかった。騙された『聖刻』の狂人セリナが何を思っているかなど、ウェルトには事が起こるまで、いや起こってからでも理解できるとは限らないのだから。
そのように警戒するウェルトの心情など関係なくセリナが再び動き出す。
「さて、何をするにしてもこの壁は邪魔ですね」
セリナは癇癪を起こすような事はなく、割と平坦な声を出しながらハルアード達によって作られた巨大な壁に手を当て悩む仕草を見せる。ウェルトから見ると、特に怒り狂っているようには見えず、思っていたよりも遥かに冷静そうに見える。むしろどこか嬉しそうに、どことなく活き活きしているようにすら見えた。
「一体どのようにすれば、このような堅牢な物が……それに、何処まで伸びているのでしょうか?」
壁の端から端まで、時折材質や強度を確かめるように壁を軽く叩いたりしながらセリナは歩いていく。遺跡自体に貫通する土壁ができたせいか、歪みが出来ているようでギシギシと不吉な音も聞こえてきていた。そして天井すら貫き、轟音を上げながら発生した壁と天井の境目を見上げながら、土壁の真ん中辺りまで戻ってくる。
遺跡の上げる悲鳴を気にした様子もなく、セリナは『風刃の乱舞』を引き抜き、突きの姿勢を取る。そして、風がレイピアを中心とするように渦を巻き、暴風で形作られた槍が生み出される。
「『聖刻:スパイラル・エア』!」
『聖刻』によって増幅されたその魔法の槍が土壁に向かって放たれるが、槍の形に穴が穿たれただけでそれ以上の破壊の痕跡はない。普通の建物であれば全壊させ、城壁ですら貫通させ大穴を空ける威力を持つ魔法でその程度。どれだけ馬鹿げた強度なのか、発動させた本人達ですら知らないものであった。
「貫通力の高いこれで、たったこれだけですか。うふふ、これは面白いですね!」
穴がきちんと穿たれているだけでもかなり驚異的な威力ではあるのだが、それを指摘できる者はその場にはいない。
そしてセリナは新しいおもちゃを貰った子供の様に無邪気な笑みを浮かべていた。このような場面でなければどれだけの男がその笑顔で落とせるかわかったものではない。流石にはしゃぎ過ぎた自覚があったのか笑みはすぐに鳴りを潜め、真面目に切り替える。
「……ですが、どうしたものでしょう? ……そうですね、ウェルト殿こちらをお借りしますよ」
「『溶断』をか? 別に良いが……」
辺りを見回し、ウェルトが取り落としたまま放置となっていた『溶断』がセリナの視界に入る。常識があるのかないのかよく分からないセリナは、持ち主に断りを入れてから『溶断』を手に取る。
ウェルトは危惧していたセリナの騙された事への怒りが一切無いことが気になり、ハルアードに切られた腕の止血を行ないながら、意を決してセリナに問いかける。
「なぁ、一つ聞いてもいいか? ありゃ一体何だったんだ?」
「私にも分かりかねます。ですが、私を騙す胆力、遺物に対する知識、変形能力にこの魔法。あれこそ能力としてはあの方に相応しい。惜しいのは歯向かう自我でしょうか」
「あーそうかよ」
セリナにとっては騙された事自体はどうでも良く、騙そうとした精神力や他の強大な力の方の関心が強いらしい。この狂人の基準は自身ではなくあの方とやらへの忠誠心らしい。
ウェルトは話を聞きながら治療ともいえない応急手当をするが片手ではなかなか難しく、どうしても雑になってしまう。切られた目はこの場ではどうしようもないので、布を押し当て大雑把な止血しかできない。
「ですが、それもこの壁を抜ければどうとでもなる事です。あぁ、ウェルト殿、怪我の手当くらいはご自分でしておいて下さいね」
「へいへい」
ウェルトはセリナの背後でさっきから悪戦苦闘しながら応急手当をしているのだが、一切眼中にはないらしい。そして治療をしてくれる気もないようだ。元々してもらえる等と欠片も思っていなかったウェルトだが、断言されるのもあまり良い気分でもなかった。だが、甲斐甲斐しく治療されたら、そちらのほうが恐ろしく感じるため悩ましいところではあるが。
ウェルトが治療に苦戦している間に、セリナは『溶断』を使い土壁を切りながら先程穿った穴を広げていく。『溶断』の性質故か、それとも熱に弱いのか土壁は比較的容易に切り崩されていき、そう時間は掛からずに人一人が通れるだけの穴が開通した。
広間を二つに分断した壁の穴をセリナと雑な応急手当を終えたウェルトが潜り抜け、狭くなった広間の片割れとその奥の狭い小部屋だけの場所に足を踏み入れた。
「……誰もいないのですか?」
だが、そこにはもう誰も居なかった。隠れるスペースがある可能性も考えて少し捜索するが、何処にも影も形もなかった。その上、本来の目的である遺物さえも見つける事が出来なかった。
「例の物もありませんか。これは相手を甘く見すぎていましたね。ですが、一体どうやってここから……」
ただのコソ泥とハルアード達を過小評価し過ぎていた事を今更ながら反省するセリナ。だが、脱出経路が分からず頭を悩ませていた。何かが引っかかっているようだったが、何かに気付いたのか目つきが変わる。鋭く冷たいその目にウェルトは冷や汗を流してしまう。
「……ウェルト殿、貴方はあの者達の名前を覚えていますか?」
「は? いや、覚えちゃいるがそんな物がなんで?」
「何でもいいので、早く教えなさい」
「あぁ、えーと、あの大柄な坊主がハルアードだったか。大剣ってか双剣? まぁどっちでもいいか、それがマルスで、籠手の方がジュナスって呼ばれてたな。あとあの嬢ちゃんがレイアだっけか? 確かそんなもんだったと思うぞ」
そんな時に妙な事を聞かれたウェルトは思わず素で問い返してしまい、一瞬血の気が引いた思いだった。先の戦闘中に彼らが互いにどう呼び合っていたかを思い出しながら口に出していく。
「……レイア? どこかで……あぁ、そういう事ですか。ウェルト殿、本当にレイアで間違いないですね?」
「聞き間違いじゃなけりゃそうだぜ。っていうかあんたも聞いてたんじゃねぇのかよ?」
間違えていたら殺すとでも言わんばかりのセリナの剣幕に思わずウェルトは腰が引ける。そのくせ余分な一言が出てしまう自分の悪癖を呪いたくなってくるウェルトだったが、思わぬ反応が返ってくる。
「……そうですね、そこは私の落ち度です。……ですが見つけましたよ、アルステイン家の娘」
「素直に落ち度とか認められるのも怖えな……」
何やら物騒な雰囲気のする後半の言葉は無視すると決めたウェルトであった。素直に自省するセリナに恐怖も感じながら。そんなまともな人間のする反応なんて今まで見たことがなかった為、不気味に感じて仕方がなかった。
「正直、邪魔としか思っていませんでしたが、今回はウェルト殿は大いに役立ちました」
「……負けただけなのに釈然としねぇ評価だな、おい」
「ですので、次の依頼を完遂すれば家族共々、出国する事を認めましょう」
「はっ? なんだと!?」
思いもよらぬセリナの発言に、ウェルトは一瞬理解が追いつかなかった。
今まで散々どう足掻いても活路の見えなかった道が、散々と色々横槍を入れた挙げ句に敗北し、本来の目的の物も手に入れられず敵の逃亡を許した散々な結果の今回の依頼が元で、活路が見出だせる等と思える筈がないだろう。
だが、次の依頼で解放されると示された。セリナという狂人は理不尽ではあるが嘘はつく事はない。嘘こそあの方を最大限に貶めると思っているからだ。理不尽は貶める行為ではないのかと思う者もいるだろうが、独自の信条のみを基準とするのが『聖刻』の狂人である。考えるだけ無駄なのだ。
「正規のギルドのルートから、ミーグレイス連邦へ向かってもらいます。そして、あのレイアという娘を捕らえてきなさい」
「けっ! 負けたばっかの相手に挑んで仲間を連れ去ってこいってか、随分無茶な依頼だな」
理解が追いつききっていない内に次の依頼内容が伝えられる。ウェルトはそこでようやく実感を得る。先程は意図的に無視した不穏な雰囲気からは逃れられないらしい。だが、それ故に非常に重要な事だということが理解できた。
「断わっても構いませんが、その時は」
「やらねぇなんて言ってねぇよ。これ以上ない報酬だ、意地でも完遂してきてやる」
無茶な事だとしても、帝国を全面的に敵に回し、家族を守りながら逃げるよりは遥かにマシな内容だ。正攻法や正面突破だけが手段ではない。今まで何度も帝国の言いなりになってその手を地に染めてきた。今更、卑怯な手を使う事に抵抗はない。
「そうですか、それは結構。では、一度国に戻りますよ」
ウェルトの依頼の承諾を受け、セリナは満足げな笑みを浮かべ遺跡の入り口へ向かって歩き出す。一度本陣へと戻り、カームルド帝国へと帰還する。
もうここには用はない。一度帝国に戻ってから帝国にあるギルドの支部で正式な依頼と出国手続きが必要になる。
「……悪いがこっちも手段を選んじゃいられねぇからな」
手段を選ばない覚悟を決めた男が、レイアを狙い動き出す事になった。




