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後藤 go to 強盗

作者: TOHNA

 男は、今まさに人生の岐路に立たされていた。

男の名前は、後藤ごとう 正人まさと。 三十路の半ばを過ぎた独身。賭博が生き甲斐のしがない男である。


これまで、この男は家計を顧みず欲望のまま賭け事へ金をつぎ込んだ。

預金もいよいよ底を突こうかという局面になったところ、後藤は躊躇うことなく禁じ手を打った。

泣く子も青ざめる、消費者金融である。

勝って倍にすればいい。後藤は安易にも500万円借り入れた。

 軍資金を手に意気揚々と出かけたが、案の定勝利の女神が微笑むことは無かった。むしろ、中指を立てながら「一昨日おこしやす」と嘲笑ったのだった。

紙片と化した馬券と軽い財布を手に、憤然と座席を立つに到るまでそう時間はかからなかった。競馬場に踵を返し、道中の飲み屋でヤケ酒を決め込んだ。店を後にし、おぼつかない足取りでどうにか自宅に戻った時、後藤はようやく事の重大さに戦慄したのである。

 返せるはずのない借金。返済期限は明日の午後6時。時間は非情にも刻一刻と進む。両親は5年前に他界し、遺産は葬儀にほぼ消えた。この男の辞書には勤労という単語が欠落しており、両親の残した僅少な貯金を食い潰す有様である。親戚とはとうの昔に絶縁し、友人とも音信不通。

 四面楚歌。後藤の脳裏にただこの言葉が浮かぶ。

どうにかしないとマズイ。しかし打つ手がない。

 賭博以外に使った例のない脳を酷使すること数分。夜逃げを決心し、玄関扉を開けたところ、一枚のチラシが足元に落ちた。

チラシを拾い上げ、内容を確認する。

「6月15日 11時 愛名銀行 東支店 オープン!

新規に口座を開設された方全員に500円分のクオカードを進呈します! 」

 「これだ!」

後藤は借金の当てを獲得するための道具を準備し始めた。人生最大のこの好機。絶対に逃すわけにはいかない。必要物を一通り確認した後、床に就いた。


 翌日11時過ぎ。新装開店した銀行の自動ドアを前に、異様な出で立ちの男が佇んでいた。

般若面にセーラー服、黒ニーソックスとローファーを着た後藤である。さらに女性用の下着を着用する徹底ぶりである。ちなみに縞パンである。残念ながら無駄毛は一切処理していない。

 高まる鼓動。かつてない緊張感を覚えた後藤は、数度の深呼吸を試みた。覚悟を決めた男はスカートの前を押さえつつ、内股歩きで自動ドアを抜けた。

「へっらっしゃっせぇえええ」

 気の抜けた警備員の声が小奇麗な店内に響く。平日の午前という時間帯のせいか、人はまばらだ。後藤は入口付近の発券機から番号札を取り、近くのソファーに腰掛けた。番号札には6と印字されている。電子案内掲示板には3番まで表示されており、このコスプレ男が呼び出されるのも間もなくである。

 待つこと数分。無機質な音声と共に、男の番号が掲示板に表示された。

案内された通り、後藤は2番窓口へと進む。

 「お待たせいたしました。お伺いいたします」

ポニーテールのこざっぱりとした行員が応答する。

「ええと、新しく口座を開設したいのですが」

「かしこまりました。開設されるのは普通預金口座でよろしいでしょうか」

「はい」

「かしこまりました。それではお手数ですが、こちらのお申込み用紙に必要事項をご記入いただけますでしょうか」

言い終えると行員はペンと申込み用紙を後藤に差し出した。

「わかりました」

ペンを取り、申込み用紙を一瞥する。

①氏名、②住所、③職業…その他諸々。

一つ一つ記入する後藤。

①Justice Behind the Wisteria

②私は過去、現在、未来のあらゆる時間、場所に存在しており、一つの場所に留まることは皆無である。だが、どうしてもというのであれば、仕方がない。次の場所を(文字数オーバー)

③生き仏(ただし、ご利益なし)、一級堆肥製造士、投資家(常時元本割れ)

必要事項を一通り書き終え、ペンと申込み用紙を行員に渡す。

「ありがとうございます。お手数ですが、身分証明書を確認させていただいてもよろしいでしょうか」

行員は事務的に応対する。

「どうぞ」

後藤は有効期限の切れた運転免許証を差し出す。

「ありがとうございます」

免許証を受け取り、行員は必要事項を確認し始めた。

すかさず後藤は計画を始動する。スカートの中をまさぐり、生暖かくなった物体を引っ張り出す。それを行員に突き付け、

「おるぁ。かにぇをだしゃんかい!ひゃやくしろぅ(おら、金を出さんかい。早くしろ)」裏返った声で後藤が叫ぶ。

手にはバナナ。前日、武器に使えそうなものを物色した結果、何をとち狂ったのかこの男はテーブルに置いてあった南国産の果物を手に取ったのだった。

常識で考えれば、こんなもので人を殺めることは不可能である。発想力の優れた読者の方は、「もしかするとバナナが凍っているのかもしれない」と疑ったかもしれない。しかし、答えは否。常温で保存された食べ頃のバナナである。

周囲の人間は何事かと注目するも、間もなく何事もなかったかのように振舞うのだった。警備員にいたっては、周囲を見渡し、警棒で笑った人間をしばかんとする有り様である。

ところが、一名だけ別の反応を見せた。

「ひ、ひぃ。お願いですぅ、どうか命だけは助けて下さいませぇ!」

バナナを突き付けられた行員である。瞳孔を大きく開き、両手を挙げ素で怯えたのだった。

「そんなバナナ」

後藤は思わず口走った。

「え?バナナ?」

行員は我に返り、後藤の握る黄色い果実をしげしげと見る。

しまった!やはりバナナではまずかったか。

後藤は今更ながら後悔したのだった。

双方、暫時沈黙。程なくして、この場にそぐわぬ不協和音が生じた。

栄養摂取を渇望する、胃の叫びである。

「あのー。これ、頂いてもよろしいでしょうか?」

空腹の行員は申し訳なさそうな表情を浮かべつつも、目前の果物に熱い眼差しを送りながら言う。

「え、ああ、うん」

反射的に行員にバナナを差し出す後藤。行儀よくいただきますと合掌し、バナナを食べ終える行員。

「ふう。ごちそうさま。おかげで少し落ち着きましたよ」

「そいつは良かったな」

「それでは改めて。本日ご担当させていただきます、鈴木すずき 怜奈れいなと申します。どうぞよろしくお願いいたします」

「あ、ああ。よろしく」

会釈をする鈴木に、つい応じる後藤。

「本日はどのようなご用件で当行にお越しでしょうか」

「そりゃ、強盗だよ。とにかく金が欲しいんだ」

「なるほど。それでは早急に現金が必要であると」


手を叩き、合点する鈴木。

「そうそう」

「では、すぐにご用意します」

そう言うと、鈴木は席を立ち、奥のスペースへ向かった。

機械の前に立つと、鈴木は制服から財布を取り出した。中から紙幣を取って機械の上に置き、

「さあ、今から諭吉さんを大量生産しますよ」

鈴木は、コピー機のスイッチを押したのだった。

轟々たる音を立てながら、自らに与えられた使命を果たさんとするコピー機。

「って、こらぁ!なにやってんの!」

後藤が叫ぶ。

「え?何って、お金を作るんですけど」

きょとんと小首を(かし)げる鈴木。

「鈴木さん、それお金ちゃう。偽札や」

「大丈夫。バレなければ犯罪ではありませんよ」

公然と力説する鈴木。

「いや、他の人見てるって!お願いだからやめてぇ」

必死に説得する後藤。強盗が偽札作りを止めるよう諭すという、なんとも滑稽な図。

「ふふっ、バレちゃった。テヘッ」

コピー機を止め、笑う鈴木。

「まったく。銀行が偽札作ってどうすんの」

げんなりとした後藤。

「行けると思ったんだけどなぁ」

「いけません」

「ぶーぶー」

「幼児退行しないの!」

「はぁ…俺はどうしてこうもツイていないんだろうな…」

己の境遇を嘆く男に、悪魔のような行員がそっと声をかける。

「まあまあ。そう嘆かずに。きっとこれからいいことありますって」

「そうかなぁ…」

「ええ。きっとそうですよ!だから、これを食べて落ち着いてください。出来立てのほやほやですよっ」そう言って、鈴木はあるものを差し出す。

「おお、ありがとうな。…うん、温かくて歯触りも良いな…って俺は山羊か!」

白黒コピーのお札を吐き出す後藤。

「うん。元気出たみたいですね」

「怒っただけだ!」

「本当に元気がない人は、怒る気力すらないものですよ?でも、あなたは怒った。だから、きっと大丈夫!」

「え?ああ。よくわからんけど、ありがとう。」

何故か納得する後藤。

「まだまだたくさんありますので、どうぞ」

先程作った印刷物を押し付ける鈴木。

「だから、もう食べないって。でも、ありがとうな」

「気になさらないでください。それと、お金はちゃんと準備しますから、安心してください」

「すまない。本当に恩に着る」

「それでは、今回のご融資は10年返済となります。お利息含め、毎月60000円のお支払いとなります。よろしいでしょうか」

「分割払いか。助かるよ。丁度資金のやりくりに困っていたんだ…って違う!何で借りることになっているの!」

「それが仕事ですから」

満面の笑みで鈴木は答える。

「正論だ、正論だけども!」

「大丈夫。存じ上げておりますよ。ふふっ、今のは冗談ですっ」

「はぁ…本当に頼むぜ。今日中に工面しないと本当にヤバいんだ」

「かしこまりました。今度こそ準備いたしますので少々お待ちください」

「初めからそうしてくれよ」

鈴木は奥の部屋へ入っていった。

数分後、他の行員と共に窓口へ戻る鈴木。

他の行員は籠を満載にした台車を押し、鈴木の側へ止める。

「え、ちょ、ちょっと。なにその(かご)!?」

「重量を計ったので間違いはないはずです。」

満載にされた籠の中は銀色に輝いている。

「おお!美しい。一面の銀世界じゃないか…ってなんで全部一円玉なんだ!」

「一円と一面をかけました、もしかして?」

「やかましいわ。嫌がらせか、これは」

「お金の重みを実感して頂きたく、謹んでご用意させていただきました」

「そうか、確かに金は大事だよな…って運べるか、こんなに!」

重さおよそ5000kg。普通自動車3~5台分に匹敵する重量である。

「その点についてはご心配なく。当行の車でお運びします」

「そうか、それなら大丈夫だな」

「配送は通常配送でよろしいでしょうか」

「通常じゃないやつにするとどうなる」

「お急ぎ便となります。途中、公的な追手が現れるかと思いますが、当行自慢のドライバーが必ずバックミラーから消してみせます」

「攻め込む気満々じゃねえか!嫌だよ、そんなの」

「ちなみに、運賃は1km当たり(時価)となっております」

「金取るんかい!しかも時価ってなんだよ!」」

「日経平均株価、天候、行員の心理状況その他諸々の事情を総合的に勘案した価格です」

「要するに、テキトーってことじゃねえか」

「そうとも言えましょう」

「はあ。じゃあ、普通に配送してよ」

「かしこまりました。では、本取引のお手数料として、1620円頂きます」

「ああ。はい、どうぞ」

財布から金を取り出し、鈴木に手渡す後藤。

「ありがとうございます。丁度頂きます」

「って違う!俺は強盗だ!どこの世界に金を奪うために金を払う奴がいるんだ!」

「当行ではご融資の際、担当者が個人的にお手数料を頂いております。」

「そう。手数料なら仕方ない…わけないだろ!袖の下じゃねえか!」

「えー。少しくらい私に分け前くださいよぉ。」

頬を膨らませる鈴木。

「可愛く言ってごまかさないで!賄賂ダメ!ゼッタイ!」

「えぇー」

「えーじゃない。もういい。帰る」

うんざりした後藤は、窓口を後にしようとする。「ちょっと、待ってくださいよぅ。もっと続けましょうよ」と聞こえた気がするが、気にしない。今日は疲れた。大人しくこの町を出て、どこかでやり過ごそう。そう決心したのだった。

窓口から数歩離れた矢先、

「待ちたまえ」

背後から呼び止められた。

振り返ると、恰幅のよい中年の男がいた。

「先のやり取り、しかと見届けた。実に、愉快だった」

「はあ」

「私はここの支店長をさせてもらっている者だ。どうだね、うちで働いてみないか」

「えっ」

後藤は驚いた。支店長は続ける。

「実はあの子、今週入ったばかりの新入社員なんだ。慣れないためか、昨日まで表情がやや強張っていてね。だが先程、あの子は初めて笑った。君のおかげで緊張がほぐれたようだね」

「いや、そんな大それたことは…」

「どうやら君は人の緊張をほぐす才があるようだ。頼む。新人社員の指導役として、ぜひうちで働いてほしい」

「えっ。でも、俺強盗したし。それに、借金取りにも追われる身ですよ」

「心配ない。まだ誰も怪我をしていないし、お金も無事だ。借金についてはこちらで話をつけようじゃないか」

後藤はしばし逡巡した。そして意を決し、

「わかりました。どこまでお役に立てるか分かりませんが、頑張っていきたいと思います。これからよろしくお願いします」

「よし、決まりだ。明日からよろしく頼むよ。仕事内容等は明日話す」

こうして後藤は愛名銀行に就職したのだった。


あれから、数年。相変わらず男はギャンブルを続けている。

しかし、以前に比べ無茶な金遣いもなくなった。

 賭博以外の楽しみを見つけたのだ。

そう。仕事を通じて誰かの役に立つ喜びを、ようやく手に入れたのだった。

(終わり)


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