すぐそこにある恐怖
「優真、そんな何ともいえない顔になって、何かあったの?」
そりゃあ、何ともいえない顔にもなるさ。なんせ15年来の相方が記憶喪失だ。そういうのは安っぽい恋愛映画でやるべきもので、俺の生活でやらないで欲しい。
それを招いたのが俺である以上、逃げるわけにも行かないが。
ハードディスクのデータみたいに簡単に飛ばれたんじゃ……。
「ま、マスター! ともかく早く帰ろう! すぐに帰ろう! 今帰ろう!」
「どうしたんですか、朝陽さん。そんなに急いで」
朝陽が気を使ってくれたけれど、当の永久が怪訝顔。確かにアンドロイドの都合で帰りを早めるなど言語道断、というのが『まじめな』アンディーの共通認識であるだろうから、コレばっかりは仕方がない。
が、朝陽は理由をいえるわけもなく……。
「……お姉ちゃんが、味噌汁を火にかけっぱなしにしちゃったから」
夕陽がフォローした。
「あははは、朝陽さん、ドジですね……って笑い事じゃないじゃないですかあああ!?」
「おー、永久、ノリつっこみだな」
記憶の混乱がある割には結構元気だ。混乱しているとは言え彼女が彼女であることに変わりはない。
「優真、帰らないと! 私達の家が火の海に! 会社に迷惑がかかりますっ!」
夕陽の嘘は結構あっさりと信じられた。本来アンドロイドにそんな『ど忘れ』は存在していないが、諸々の原因によってそういった事故が起こることもある。
放置していたとしてもガスだろうが電気だろうが一切合切クラウド管理しているので焦がす前にすぐ気づくのだけれど。あるけれど、実害がない。そういったミスだ。強いて言えばガス代と地球環境に優しくないくらいかな。
「ちょ、ちょっと夕陽! お姉ちゃん、そんなミスは――」
お姉ちゃんのプライドに関わったのか優しい嘘なんて翻してしまいそうな勢いに!
いや、お前、それはちょっと――。
「優真」
夕陽がこちらをちらりと見る。アイコンタクトで意図を察知。これぞ原始のデータリンク。
「朝陽、マナーモード」
「………………っ!」
口だけぱくぱくして若干涙目になりつつ抗議を繰り返している。いやー、マナーモード機能、意外と便利なんだな。ともあれ、ゴメン、朝陽。今はこの手しかない。
「ほら、優真! 走らないと!」
「ああ!」
永久に急かされ、危険でない程度の速度で店の外へと向かっていく。人は多いが敷地も広く、ぶつかることはないだろう。
「ゆ、優真……?」
「雛子、急ぐぞ! もう二度と、父の世話にはなりたくない!」
雛子の手をとって、そのまま進む。
こんな時でも『柔らかい』とか『暖かい』とかいう雑念が湧いてきて、多少辟易させられた。
外に出て、シェアできるACV――アンドロイド制御の車を借り、前払い形式で金を払って乗りこむ。
「運転は任せて欲しい」
コントロールブロック……いわゆる『運転席』に座ったのは意外にも夕陽だった。
「経験があるのか?」
「他の機体だけど、一度だけ長距離の旅行に」
第八世代特有のネットワークのおかげか、有り難い。製品化された際にはこれがさらに数千倍もの規模になるというのだから恐ろしい話だ。人の英知をアンドロイドの学習能力が乗り越える日も近いかもしれない。
「任せた」
そんな空想はさておいて、今は一刻も早く家に帰りたかった。
これ以上永久によくない影響をあたえたくない。電気屋に居てはいけないと、直感が告げていた。
「うん、夕飯は任せてね、マスター!」
先ほどまでの酷い扱いなどけろりと忘れてしまったのか、見慣れてきた朗らかな笑顔でこちらを見ている。
「ごめんな、朝陽。お前には貧乏くじばかり引かせてる」
「マスターが引くよりは、そっちの方がましだからね」
なんか涙が出そうなくらいに良い子だな。ダイニングのテーブルにお茶を乗せた朝陽は、ニコニコ笑顔でキッチンの方へと引っ込んでいく。心を落ち着けるために、一口すする。うん、さっぱり味がしない。動揺しきっているな。
--色々あったし永久は休ませてあげたい。この記憶混乱がどれだけ長期化するかは分からない。色々な例を聞いてきたから。戻らなかったものから、十分後には元通りになったものまで。そのどれであっても、自分はきっと驚かないだろう。
素体の性能はいいから、リカバリも早いと信じたい。
「記憶混乱……私たちの記憶はサーバーにバックアップを取っているから混乱もあり得ない。性能差って、少し残酷」
夕陽と並んでソファに座り、ゆっくり語らう。
最新型ならば少しはメモリ関連の知識もあるかと踏んでいたが、実際どうなのかは分からない。自分の使用のことを誰よりも知っていないといけないから、かなり知識は深いはずだ。
セルフメンテナンスを極めたのが第八世代であるわけだし、何かしらの糸口はつかみたいのだが。
「アンドロイドの場合は、明確な性能差が示されちゃうからな。カタログスペックって、なんて残酷なんだろう」
書面上で自分の能力を比較されたらと思うと……しかも、どうやってもあらがえない感じで。
「でも、あんなの何にもならない。私は時速35kmで走れるけれど、きっと使う機会は無い。スペックなんて、ただの自己満足」
……最新型がスペックのことを全否定するだなんて。そこに誇りを持って居るものとばかり思っていた。
だが、きっとこれは最新型だから言えたことなのだろう。最新型以外がスペックのことを批判しても、それは持たぬ物の妬みでしかない。
「もっと大事なのは、きっと、もっと――データ化できないもの。0と1の間、って言うしかないもの」
「0と1の示した可能性そのものがそれを言うか」
「思考が発達すると、そのうち自己の否定を始める」
「……いや、そうかもしれないけど」
確かに、デイブレイク社が追い求めたのは常にそれだったのかもしれない。
日本には、未だに第二世代を使っているような人だっている。十年近く前の代物なのに。
それは言うまでもなく、スペック以外の何かに魅せられているから。いや、そんなモノに対するものでもないのか? ……。愛情によく似たものかもしれない。
「優真はスペックばかり追いかけて、永久のこと忘れていない?」
「はあ!? おまえ、それは無い! 俺は第一世代からアンディーと一緒に居たんだぞ!? 残念スペックに慣れた俺は何の贅沢も言わないのに!?」
まともな会話が成り立って、寿命が長ければそれでOKです。
「どうした、急にそんなこと言って。確かに俺は試作機のテストを引き受けている。けれど、それは試作機の性能を楽しむためではない」
「なんだか、永久の記憶混乱はそこに原因がある気がしたから。少し気にしているようだし」
「本当に? ……って、嘘をつくわけもないか。ネクストでも十分だろうに。超絶高性能だぞ、アイツ」
リード社のアンディーは人間味にかけるのが欠点といえば欠点なのだが、永久の場合は自我形成の多くをデイブレイク社の素体とメモリーチップでこなしているからその欠点も考えなくてOKだし。
マニアックなアンディーばっかり作っているユニバース社と迷走ばかりだった頃のデイブレイクのアンディーではかなわない名機だ。
「比較対照が第八世代だと、相手は悪い」
だがさすがに、相手は存在しないはずの最新型……これでは、どのアンドロイドだって勝ち目はないだろう。性能で勝負をする限りでは。
「悪びれもせずによく言うよ」
「悪びれるなんて機能は実装してない」
……冗談を言うアンディーも、なかなかおもしろいものだ。
彼女が第七世代で、第八世代にかなわないことを気にしていたとしたら――ここ最近の記憶がすっぽり抜け落ちるのも納得はできる。
二人のこと、二人の性能のことと、自分自身の第七世代でのこと、そこらへんを忘れているという仮説を立てよう。
「俺がやるべきことは――」
「とりあえず、ヘタレている場合じゃない」
「分かってるよ。俺は、やるときはやるヘタレだ」
「それができるヘタレは、たぶんヘタレってよばれない」
…………。
「ちょっと永久のところ行ってくる!」
とりあえず、聞かなかったことにした。
このメンバーは、シリーズ他作品に比べアンドロイドマシマシです。
ロボも好きですが、メカ娘も好きです。というかSFが好きです。
そんな愛を表現できたらいいなーといつも考えながら書いてます。
ところで、本日同シリーズの「たったひとつの私の幸せ」が完結しました。もしよろしければそちらもどうぞ。