先駆者の孤独と思惑
時代の最先端を歩いている、という表現をよく聞くが、言い換えればどうしようもないくらいに孤独ってことだろう--と、幼い頃から漠然とした嫌悪感とも不安ともつかぬ思いが、ずっと胸の奥に居座っていた。
独創的という誉め言葉は周りに真の理解者がいないことを暗に示し、天才という言葉は常から外れた存在であることを強く意識させる。
今となっては『そうとは限らない』くらいの柔軟さは持ち合わせているが、やはり根底にはその思いがあるし、そういった側面があるのもまた事実なはずだ。
自身の父がそうだった。
母はすれ違い以前の問題から彼の隣を離れ、子は子で父のことを冷静に分析したつもりになってはいても、彼を真に理解しようとはしない。父が偉大な人物であることは分かっている。だからこそ、同情や憐憫がわき上がってきてしまい、健全な父子の関係は構築できずにいる。
そして、そもそも親子と言ったものがどういったものかなんて孤独な人間に分かるわけもない。
こんなことになったのも、すべてはあれが原因だったのだろう。
21世紀も半ばに差し掛かかろうとする頃、まさに彗星のごとく一つの技術が人類にもたらされる。
その彗星はSFと日常の境界を木っ端微塵にぶち壊してしまった。『アンドロイド』という一つの英知が人間にもたらされ、人はそれを快く受け入れようとした。
父はその『彗星』を最も早くから観測していた部類の人間だったのかもしれない。
高度な人工知能。人間に迫る関節機構。人間にない耐久力--アンドロイドは人間に多くの可能性を見せ、人間はその可能性に魅せられた。
程なくしてアンドロイドが『現代のオーパーツ』と呼ばれるようになり、社会には凄まじい変革の風が巻き起こる。イノベーション、という言葉で言い表すには規模が大きすぎるほどの変化だった。
いくつかの産業が大打撃を受け、文化までもが塗り替えられる。時代にそぐわぬ発明品が時代を塗り替えてしまった、とでも言うべきだろうか。人類にまだ受け入れの準備ができていなかったのだろう。
しかし、アンドロイドが確固たる立ち位置を確保するのに、殆ど時間はかからなかったのだろう。自分が高校に入学する頃には人間にとって『当たり前なオーパーツ』になっていた。SFでなくなった科学技術など、そんなものだ。あるものはある。目の前にあるものの存在を疑うなんて、懐疑主義者だけだ。
世界は大きく変化した。父はその変革の渦の中心にいたから被害は無かったのかもしれないが、母はたまったものではなかったのだろう。並みの精神力では耐えられないようなことも多く起こった。金だけはある父の元に子を残して失踪するのは当然の帰結だったとも思える。お守りをしてくれるロボットならば、父の元にたくさんいたしな……うん。その当時はおおかたポンコツだったけど。
そして、自分が親権争いにアンドロイドが有効であるという第一の例を作ってしまった。公的な機関は関わっていない示談ではあったが、そのエピソードは父の立場も手伝い、そこそこ有名な話にはなってしまった。今でも大学の専門分野での講義などで引き合いに出されるらしい。そして、勝手に俺の人生についてあーだこーだと議論されるんだとか。
放っといてくれ!
--それはともかく。
被害を被った産業にはかなりのアンドロイド嫌いがくすぶっているそうだ。機械に自分の居場所を徹底的に蹂躙されたのだから、良い気がするものではない。今この現代に再び産業革命が起こったようなものなのだ。影響は言いしれぬほどのものになっている。そういえ産業革命の頃も機械への反発ってあったらしいしな。便利になりすぎるというのも考え物だ。
この世界は綺麗な装丁と甘美なストーリーに彩られたSFではないのだ。新たな技術が生まれればそこに利権が生まれ、多くの人間が振り回される。人の夢が一つの産業になるというのはそういうことだ。
で。
半ば辟易としてきたこの夢のない世界だって、明日はやってくるし霞を食っていても生きてはいかれぬ。
人間というのは思っていたより強かなもので、器用に順応して日常生活を営むものが大多数なのだった。
「優真ー。無駄な抵抗はやめて布団から出てきた方が良いと思いますよー」
「すぬーず……」
無駄な抵抗だって、価値はあるさ……。大事なのは結果だけじゃない。心意気だ。
それを持つのが人間ってものだと思うよ、俺。
「残念ながら私にはスヌーズ機能なんて無いのでさっさと諦めてくださいな」
……ちょこざいな。
どれだけ技術が進歩しようとも朝は起きるのが辛いし、『あと五分』の魅力は変わらない。
誰か至急、どんな人間でも朝がすっきり起きられるようになるような機械を開発してくれ。がんばって買うから。今の、半分空想の世界に突っ込んでいる俺には、それがとても魅力的なものに思えた。
無慈悲にもカーテンが開かれる音がした。うむ。勢いが良い。朝の日差しが瞼を貫通して俺の目を苛む。これでは二度寝ができないではないか。
「それにしても、暖かくなってきましたね~。もう夏も盛りですから」
確かに、布団の中はちょっと暑い。だが、それが良いのだ。
汗をかきながらぐでーっと過ごす幸せを知らないのか。
「ほら、今日は一緒に出かける約束じゃないですか。起きてください。起きて、いつもより長めに身繕いをしてください」
「雛子。男でも、異性に寝起きを見られるのは恥ずかしいもので……」
「はいはい。たまには違う言い逃れを身につけてください」
慇懃無礼な物言いに観念し、とりあえずあと30秒だけ布団に潜って気合いを入れることに決める。
「優真のいけず……出かける時間がなくなっちゃいますよ。それならこっちにも考えがあります!」
……瞬間。脳裏を駆けめぐる悲惨な光景。
このままでは朝の微睡みと共に俺の尊厳まで奪われかねない!
「起きた! 起きたから!」
掛け布団を蹴り飛ばし、アクロバティックに起床してみせる。絶対に心臓に悪い。
が、尊厳の為には命を張るのが男子と言うものだ!
--え、ちょっと違う?
「なんだ。残念ですね……せっかく、名案が閃いたのにー」
それがどんなものなのかはとりあえず聞かないでおくことにした。
いつも通り+α程度の身繕いをして(そうしないと怒られる)ダイニングへ。そこでは今日も元気に料理を作っているアンディーさんが待ちかまえているのだった。
このアンディーさんは長い付き合いからか俺を起こすのが面倒だってことを知っており、いろいろと理由を付けては逃げ回っている。アンディーの存在意義を根本から塗り替えるお人だ。
そういえば、『アンドロイド』を『アンディー』と呼称するのを差別的とする一派がいるらしいが、すっかり身に染み着いてて心の中で無意識的にそう呼んでしまっていた。気をつけないと。
「雛子さん、ごめんなさい。今朝も面倒なお仕事を頼んじゃって」
頼んだというよりは雛子が勝手にやっていることなのだが。そして、持ち主の世話を『面倒』と断じるあたりなかなかの強者。いかんせん、原因を作ったのは自分なので強くは言えないが。
料理を準備している彼女の腕には腕輪が巻かれており、そこには〈RE7NEXT〉の文字。
「いいのいいの。好きでやってることなんだから」
おそらく『いたぶるのが』好きでやっている感じだな。
「それにしても……永久! 明らかにマスターを傷つけようとしている人間を部屋に通さないでくれ!」
「優真は基本的に起きないし、朝から無駄な抵抗を試みたりで本当に面倒だから……」
これがアンドロイドの言葉だというのだから、悲しくなる。
確かに彼女のいうとおりなので、あまり反論もできない。くぅ。
「それに、雛子さんのはスキンシップの一環でしょうに」
「頻繁に常軌を逸するけどな」
永久は『何を言っているんだおまえは』という風に冷たく対応。
彼女の持ち主は一応自分と言うことになっているのだが、当の彼女は雛子には敬語で接し、俺には慇懃無礼な対応を取っていた。これだからデイブレイク社製のアンドロイドは後ろ指を指されるのである。
「……いけず」
ぼそりと呟く雛子は、こちらをからかっているのか本気ですねているのかいまいち分からない表情を浮かべていた。
「--雛子。今日はどこに出かけるんだ? 今の今まで秘密にされてたから、かなり気になっていたんだが」
少しからかいすぎたし、少し話の流れを変えようと思ってそう聞いた。
実際、雛子にも、もちろん永久にも感謝しているのだ。ただ、素直になれない自分が疎ましい。
「今日は、デイブレイク社のショールームに『アレ』を受け取りに行くんです!」
仕切り直したように、雛子はそう言う。いたずらっ子の笑みだった。
「アレ?」
心当たりがなかった。雛子だけで話が進んでいる……のかな?
「DA8シリーズ試作機--〈イタニティ〉と〈エーヴィヒ〉です」
雛子は無い胸を張ってそう言ったのだった。ああ、なるほど。
俺はその一言で、多くのことを理解した。
DA8か。ついに来たんだな。
デイブレイク社。リード社。ユニバース社。
世間一般で『アンドロイド寡占三社』と呼ばれる企業グループの名前だ。『夜明け』を意味するデイブレイク、人間性の例えにも使われた『芦』……REED、そして森羅万象を意味するユニバース。
ちょっぴり気取った名前なのだが、慣れてしまえばどうということはない。それに、この三社はそれぞれ名前負けしないほどの活躍をしているのだ。歴史の教科書に燦然と輝くその名を知らない日本人はそういない。
本来は他にも多くの企業が『あった』のだが、変革の波に自らも飲み込まれ、あえなく泡と消えたのだった。当時の技術レベルと釣り合っていなかったオーパーツを扱おうとしていたのだ。当然、扱いきれずに身を滅ぼす企業も出始めるし、革新の陰に隠れたそれらは今のアンドロイド業界に深く爪痕を残している。
それはそれとして。
DAの識別記号はデイブレイク社--我が父がトップを勤める企業が制作しているという証だ。
その第八世代(予定)の機体が〈エーヴィヒ〉と〈イタニティ〉となる。第六・七世代あたりからの迷走が目立ったデイブレイク社が送り出す、三社の内でも初となる第八世代……社内での期待は高まりっぱなしだそうだ。それに、社会的にも注目されている。
ちなみに『世代』の定義に関しては三社が話し合いを持ち、そのスペックやコンセプトから制定している。なので、デイブレイク社としては第八世代として開発していてもその条件を満たせず第八世代になれないこともあり、正確には今のところ『予定』の二文字がつくことになっている。殆ど条件を満たすのは確実なので、それぞれに与えられた型番は〈DA8ー1p〉と〈DA8ー2p〉となるが、製品版の本決まりの型番ではないので特に意味はない。『仮称』だ、いわゆる。第八世代にしてみせるのだという覚悟の名だ。
父にいわせてみれば、テストはこれからであり、その結果如何で運命が決まってくるそうだ。
「テスト……それに、二機もかぁ」
アンドロイドのテストではその素体(アンドロイドの体)とメモリーチップ(脳に当たる)の関係が争点となってくる。本来素体にメモリーチップを入れある程度稼働させておくとAIは勝手に『勉強』して自我を構成することになっている。
今までの--たとえば第七世代の--AIを流用することも可能なのだがそうすると頻繁にエラーやらなにやらが出てしまうそうだ。だから、デフォルト、つまりは工場出荷時のAIは第八世代のアンドロイドが『勉強』して作り上げたものが好ましいそうだ。確かに急に体が別のものになったら混乱はするよな。スペックとか急上昇してしまうわけだし。デイブレイク社のなんて、第七世代が迷走していたから特にそれが心配になる。落差が大きすぎる。
まあ、要するに。プリインストールされた自我は平凡なら平凡なだけ良いということだ。そこから先は購入者が勝手に教育してくれる。その平凡な自我の形成のために稼働テストにはAIの教育が含まれる。で、そこから得られたデータをコピーして編集して工場出荷用の自我が完成……という流れ。前世代のものの流用してデフォルトのものにするには原因不明のエラーが多いため、不可能。
ちなみに、ある程度教育されたAIを持つメモリーチップならば移植が可能だが、そうするとほとんど人格ができあがった状態でありアンドロイドから多様性が奪われテストやプリインストールするのは不都合が多いので、やはり流用は不可能。
多様性と安定性を保証するには、やはり新しい素体に、最新のメモリーチップを使ってテストするのが一番なのだ。
一応これでもデイブレイク社の御曹司なのでそこそこ詳しい方だが、まさか自身がそのテスターに選ばれるとは思わなかった。今まで何度もテストはしてきているが、社の命運のかかった期待だぞ。
そしてそれを今の今まで隠されるとは。
父は俺のことを小回りの効く職員くらいに思っている節もあり、こうした『仕事』が回ってくることも多々ある。子供の頃はタレント代わりというか、客寄せパンダというか……企業のイメージアップに使われたりと散々だったが、今は今で責任の重い仕事を投げて寄越されるので困ったものだ。
「雛子も手伝ってくれるんだよな」
「優真がやるというのなら私もつきあいますけど」
雛子は自分で話を進めていた割に、少し言葉を濁している。
「--どうした?」
「いえ。私の立場というか……いろいろと『怖いなぁ』と思いまして」
立場……怖い……。
「確かに……ちょっと力関係が逆転しかねないな……」
考えてみると、なかなか危うい事態であった。面倒な背景にある我々は、ちょっとしたことで面倒な事態になるのだ。
「今までは私の方が上だったんですがねぇ」
「あっさりそういうこと言っちゃうあたり、二人とも惚けてるんだから」
永久があきれ気味に言いながら、朝食の準備を着々と整えていく。持ち主を起こすのはサボっても、それ以外はしっかりやってくれるとても良い子なのだった。彼女の素体は〈RE7 ネクスト〉--現行最新のアンディーなのだった。その素体は今となっては名機の象徴とされている程で、それはこれからも変わらないのだろう。
「--なるほど。これで俺の朝の五分は死守されるわけだ」
力関係で俺が上になったならば、もはや朝の五分を奪われることはない!
「デイブレイクとリードの行く末よりも朝の五分ですか!? 貴方にとっての朝五分ってそんなに重要なんですか……!?」
「デイブレイクとリードがどうなろうが心底どうでも良い--まあ、父が無職になるのはマズいが」
あえて口に出すことはしないが、そうでも思っていないとどうにもならないのだ。まだ、自分は18歳。やっと一角の大人と認められ始める年齢だが、それにしても二社の社運を背負うのは不可能だし、二社の人たちもそう思っているだろう。
今回のテストに多くの人の命運がかかっているなんて思っていたらなにもできなくなってしまうしな。
彼女は二つも年下なのに、同じ責任を背負っている。何故、デイブレイクの御曹司がリード社素体のアンディーを連れているのか。
そこにはとっても簡単な理屈がある。何故ならば『小谷雛子』がリード社の令嬢だから、なのである。たった一つの揺るぎない理屈だ。
我ら二人は二社の間のホットライン……になるように仕組まれた許嫁同士だ。
なんでまあ、21世紀も半ばをすぎたというのに平安時代みたいなことしてるんだよ、おまえら--という突っ込みは友人たちから何度も何度もされているが、そうなっているものはしょうがない。
デジタルな世の中でもアナログな『政略結婚』とかってことは案外生き残るものなのだ。
むしろデジタル名時代だからこそ、アナログをアンチテーゼとして、逃げ道として残しておくとも言える。
一応、いくつか理由はある。こんなよく分からんことが持ち上がったのはちょうどアンディーが第三世代にさしかかり始めた頃だっただろうか。そのころ多くのアンドロイド関連会社が潰れてしまい、当時はまだ確固たる地盤を築いていなかった二社が企業提携感覚でホットライン……いや、もっと後ろ向きな逃げ道を用意していたのだ。どちらかがピンチになったらどっちかが救える--そういう優しい関係の為に二社の御曹司と令嬢が利用されたわけだ。当時はまだそんな大それた名で呼ぶ程の存在でもなかったが。もっと的確な言い方をすれば、同時の自分達は互いに『人質』だった。
それに、当時問題になりはじめた通称アンドロイド偏愛、正式名称『ピュグマリオン・コンプレックス』を父が恐れたのだ。その神話に由来するゴッツい名前だがその指し示すことはとっても単純。ふつうの女性よりもアンドロイドの方が可愛いじゃん? とはっちゃけてしまうこと。元来の意味は少し違うが、現在ではアンドロイド偏愛も含意している。
子供の頃からアンドロイドと一緒にいると必然的にアンドロイドに親近感を抱きやすくそんなことになりやすいので、そりゃあもうアンディーに育てられた俺なんてまさにアンドロイド偏愛予備軍だったのだ。警戒されるのも仕方がない。
社長としての憂慮、父親としての憂慮--両方の心配が、こんなよく分からない関係を生み出した。
小谷雛子。二つも年下。社会人ではどうなのかは知らないが、学生にとっては二つも年が違うと大問題だ。彼女の友人たちと会ったりすると--どうも、変な目で見られている気がしてならない。彼氏彼女どころの話ではなく『許嫁』なのだから当然か?
「デイブレイクがあまりがんばりすぎると、リードの人たちが少し心配しますし--」
リードがちょい上くらいな今の方がバランスはちょうど良い。
これでデイブレイクはAIの柔軟性には定評があり(一部行きすぎたアンディーもいるが)教育関連機関では愛用されているのだ。教育というのはそれこそ人間が存在する限り消えない文化なので、そこに陣取っているデイブレイクはこれで安定した商売を展開しているのだ。
デイブレイクには安定が、リードには勢いがある。そこからデイブレイクの迷走分を考慮して、リードが少し上。
これが崩れるのはちょっと怖い。
どうせ、ろくなことがおこらない……。
「優真にそんなバランスゲームは無理だろうし、気にせず過ごすのが一番かもね」
「このやろう他人事だと思って」
主人の事情を他人事として処理するアンディーとは如何に。
「雛子さんは心配ですけどね」
たまにこいつの登録情報、ミスっているんじゃないかと心配になる俺だった。もしかしてマスターを雛子だと認識しているのでは……?
奴のメモリーチップはデイブレイク製……あまりケチも付けられないのが悲しいところだ。全部ブーメランになって俺……ではないな。父に返っていく。さすがに親をイタブる趣味はない。
「でも、優真はなにがあろうとこの気だるい感じでしょうから、そこは心配していないんですけどね」
色恋沙汰のはずなのに、社運だとか面倒なものが多々絡んでくる。
それが酷く煩わしいのに、それ無しでは成り立たない自分たちの関係が少し悲しかった。
毎日更新中です。
シリーズの他作品も含めて、どうかお付き合いください。