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「さようなら」の後は、  作者: 汐月 羽琉
第二章 見る
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逃げ出してばかり

「そうそう、そこで力を抜いて……ええ、いい感じよ。ゆかりさん、なかなかに筋がいいわね」

「う、でも……すぐにも、へにゃってなっちゃいそうです……」

「あらあら。最初からそんなに上手くできたら、私の先生としての立場がなくなっちゃうわ」

 くすくすと笑う由子さん――もとい『由子先生』を見てばつが悪くなって、私は苦笑いをこぼした。当のご本人は、和馬さんとよく似た笑みを浮かべてこちらを見ているけれど。

 あれから、由子先生に連れられて陶芸教室の部屋を訪れていた。

 週に何回か、先生や旦那さんが生徒さんを招いて教室をやっているらしい。ちなみに『由子先生』というのは、その教室の時に生徒さんたちが使う呼び方に私が揃えた格好だ。

 本人も好きに呼んでと言ってくれたし、どうせ教わるのなら、ただの一生徒としていたかった。他の皆と変わることなく。

「最初から上手くできる人なんていないよ。だから大丈夫」

 そこで話しかけてきたのは、和馬さんと同じように穏やかな雰囲気をまとう男の人。

「孝太先生」

 彼は由子先生の旦那さん――つまり、和馬さんの義父だ。由子先生と私の話を聞いていて笑っていたらしい孝太先生の頬には、何となくその名残がある。

「でも、ゆかりさんは確かに筋がいいよ」

 思ってもみなかった言葉を向けられて、褒められることにあまり慣れていない私の顔は一気に赤くなった。確認するまでもなく、真っ赤とまではいかなくとも、きっと色づいていることだろう。

「でも、まだまだですから……」

 小さな声に、二人は声を上げて笑い始める。何かおかしなことを言っただろうか、と不安になると、安心させるように頭を撫でられた。

 この家族はどうも、私を子供扱いする気があるようだ。和馬さんも由子先生も孝太先生も皆、慰めるように頭を撫でてくるのだもの。

「ゆかりさんはストイックだね」

「す、ストイック……それは、ないかと……」

 またも声を上げて笑う夫婦を見て、「からかわれたのかな?」と思うも、あまり気にならない。悪意はひとつもなく、私と親しくしようとしてくれているからこそだと分かるからだろうと思う。

 だけど笑いのツボがどこにあるのかイマイチ把握できないのも確かで、私は苦笑いをひとつこぼして作業に集中した。

 しばらくすると、ようやく湯呑みが出来上がった。何となく不恰好だけど、自分で作ったものだから、未完成だと言うのに愛着がわく気がする。作品を糸でろくろから切り離したのちは乾燥の過程に移るので、あとはプロたる二人にお任せした。

「ゆかりさん、時間は大丈夫そう?」

 私のものを含めた作品を日陰に運ぼうとしていた孝太先生が、気遣うように私と目線を合わせた。

 手を洗っていた私はそれに彼を見上げ、嫌な予感を覚えながら更にその向こう側にある壁掛けの時計を見やって――数瞬固まる。もう一度、今度は外して置いておいた自分の腕時計で時間を確認したが、壁掛けの時計が狂っているわけはない。何しろ、電波時計だったから。

「ま、まずい……ですね」

 背中を冷や汗が伝っていく。

 門限まであと30分。使用人が近くまで来てくれるのを待つとすると、ギリギリだ。

「あら、大丈夫? 和馬に送らせるわよ?」

「で、でも……」

 確かに今から使用人を呼んでも、道の混み具合によっては即アウトだ。メイド長との約束は「1分でも時間を超過しないこと」が条件。これからここに来ることもできなくなる。

 しかし、私は自分の立場を弁えているつもりではいた。そう遠くない未来、お見合いという名で婚約者との顔合わせをする。それなのにもし男の人と二人で歩いているところなどを誰かに見られでもしたら、大スキャンダルだ。

 それこそ父にどんな大目玉を食らうか分かったものではない。というか、大目玉で済めばいい方だ。想像しただけで頭が痛くなる。

 そんな様子に気づいたのかもしれない。

「……じゃあ、私も一緒に送るわ」

 それなら妙な誤解も招かないでしょう? と由子先生が助け舟を出してくれた。

 それでも『送ってもらう』という事実には変わりなく、遠慮も消えたわけではないので、迷うばかりで何も言えない。

「僕たちは、ゆかりさんとまた会えなくなる方が悲しいよ」

 でも、孝太先生のその台詞でようやく甘える気になれた。

「すみません……」

 その声は消え入りそうで、はっきりとした答えを告げられたわけではない。それでも二人は微笑んでくれた。とてもあたたかく。

 そして、まるでこの時を見計らったかのように教室のドアが開いて、和馬さんが入ってきた。

「『話はまとまった?』……って。どうやら和馬も同じ考えだったみたいね」

 くすくすと由子先生が笑い、孝太先生もつられて笑うからか、和馬さんまでにこにこと笑んでいる。本当に仲がいい家族だな、と思って、やっぱり私も笑顔になってしまった。

「じゃあ、行きましょうか。あまり時間もないみたいだし」

 彼女に急かされる形で私は急いで荷物をまとめる。普段何をするにもどん臭くて鈍い私にしては相当に頑張った方だと思う。

 孝太先生はお留守番で、和馬さんが車のキーを持って外に出ていくのを私と由子先生で追った。

 ここに来たときは見えなかったから、「車なんてあるのかな?」と不思議だったけれど、果たしてそれはちゃんとあった。家の裏側に停めてあったので、視界に入らなくて当然だったのだ。

「乗って?」

 スタンダードな乗用車の運転席に和馬さんが乗り込んでいくのを確認しながら、お礼を言って私も乗り込む。

 幼なじみなどの家の車に乗せてもらうことはたびたびあるが、それも我が家の車と似たようなタイプ――つまり、『黒塗りの車』だ。このような『普通の車』には初めて乗るため、まずシートの硬さに少し驚いた。

 でもこちらの方が断然座りやすいな、とか、そんなくだらないことを考えていたら。

「しかしゆかりさんは、他の村田のお嬢さまたちとはずいぶん違うのね」

 そんな由子先生の台詞に反応するのが随分と遅れてしまって、みょうちきりんな声が飛び出した。二人がそれに笑い始めて赤面する。

「うう……ち、違うって……どういうことですか?」

 自分は周りにいる『お嬢さま』たちからは逸脱していると思ってはいるけど、改めて誰かにそう言われるとどこが違うのだか分からない。やっぱり私は何を言っても『お嬢さま』でしかないということも、何となく分かっているから。

 そして改めて他人から「お嬢さまらしくない」と言われると、それはそれで不安になるのだ。上條令嬢としての立ち居振る舞いができないなんて、色々と問題がある。

 考えが顔色に出ていたみたいで、由子先生は慌てて否定した。

「悪い意味で言ってるんじゃないのよ? いい意味で、他のお嬢様たちとは違うのね、と思ったの」

 何か不安にさせたならごめんなさい、と謝られて私も急いで首を振る。

 しかし、そうなるとますます分からない。どこがどう違うのだろう? いい意味で違っているところなどあまり思い浮かばない。私の行動のひとつひとつを見て父が眉を顰める様子は、こんなにも簡単に浮かぶのに。

「偉ぶっていない、というのかしら」

 助手席から振り返って言う先生に瞳を揺らせば、またも手を伸ばしてよしよしと撫でられた。

「偏見なのかもしれないけど、私が出会ってきた『お嬢さま』は、傲慢で無知だった。その無知を恥じることもなかったの。そもそも、自分の愚かさに気づいていなかった」

 自由とは何か、生きるとは何なのか、どうして自分はこうやって生きていかなければならないのか。そういったことを考えることができていないのだ、と。

「皆、自分が何であるかとか、どうして『お嬢さま』で居られるのかということすら、よく分かってない。知る必要もないからなのかもしれないけれど。流されるまま、何の疑問も持たずに生きている」

 それは私にとっても耳の痛い話だった。私だって父親に流されるまま、何とはなしに毎日を積み重ねているのだから。

「――ゆかりさんはそれでも、自分の毎日に違和感を持ったから、あの森に現れたんでしょう?」

 言葉を重ねる由子先生は、私が何を思っているのかを分かっているようで。私の顔は相当に思考が読み取りやすいらしい。

 ああいう嘘の世界で生きるにはあまり相応しくない気がするけれど、彼女が優しく笑んでいるから、それでもいいかもしれない。

「じゃなきゃ、あんなところで偶然会ったりしないわ」

 そして今は、『違和感』という言葉に意識が持っていかれていた。

 疑問は確かにあったのだ。それというのも、きっかけはあったのだけれど。

 一般家庭の生活というものを幼い頃は知らなくて、自分たちの生活こそが世界共通だと馬鹿みたいな勘違いをしていた。

 でもそれが異なると知ったのは、中等部生の時。

 姉妹校となっている公立の中学との交流があって、その場で出会った子と仲良くなったのだ。

 使用人に無理を言い、あの時も確か父のいない時を見計らって、その友達の家を訪ねたことが一度だけある。

 そこは別世界だった。使用人はいないし、庭だってあんなだだっ広くないし、家のサイズもずっとずっと小さくて。

 あの頃の私は、その子の家だけが特別なのだと思った。

 しかしそんなの、当然だけどあるわけがない。周りの家だってそうだと、私たちの生きる世界こそが異常なのだと、『友達』に叫ばれて知った。

 ――ゆかりちゃんとあたしじゃやっぱり違いすぎるんだよ!!

 そう、泣きながら。

 その子はずっと言っていたのに。ずっと、「うちはゆかりちゃんのおうちとは違うから」と言ってくれていたのに、その優しい助け舟に私は気づいてすらいなかった。

 言ってしまったのだ。

 ――これがおうちなの?

 たったそれだけの言葉、でも決定的な終止符。

 ――うちはゆかりちゃんちとは違うの! 最初から言ってるじゃない!! 比べて勝手に見下さないでよ!!

 本当はずっと、『友達』は無理をしてくれていたのに。

 最初はよかったのだ、と思う。自分の知らない世界をお互いに知ることができる、その好奇心から仲良くできた。

 でもだんだんと仲良くなるにつれて、自分たちの間の根本的な違いに気づいてしまう。

 ――見下せてよかったね! それで満足でしょ!?

 彼女はいつの間にか、私に対する劣等感の塊を腹に溜め込んでいた。そして私は、無意識に優越感のようなものを抱いていたのだ。

 言わなかった彼女の罪? それとも、おめでたくも気づかなかった、知ろうともしなかった私の罪?

 私は、無知だということにすら気づいていなかった罪の方が、ずっとずっと重いと思う。

 だって彼女はずっとサインを出していたのだもの。気づいて、って、言っていたのだもの。私がそれを無視し続けたのだから。

 あの家が彼女のお父さんがデザインした、彼女にとって自慢の家だったのだと知ったのは――完全に関係が断ち切れた後だった。

 きっと、ずっと偽っていたところにそんな爆弾をひょいと落とされて、我慢の限界に達してしまった。こぼれた水は決して盆には返らない。後悔しても、遅い。

「ゆかりさん?」

 唐突に黙りこくった私を心配したのだろうか。先生と、和馬さんまでもミラー越しに心配そうな目線を向けてくれていた。

「……いえ。自分が常識だって思っちゃいけないって気づかされた日のこと、思い出していたんです」

 悔恨を振り払い、にこりと笑った。

 いくらかまだ心配そうな表情ながらも、私の台詞に「そうなの?」と首を傾げる先生。

「……はい。中等部生の頃、気づかせてくれた友達がいたんです」

 今はもう、『友達』とは呼ばせてもくれないと思うけれど。

「そうなの。いい友達だったのね」

 先生の相変わらずあたたかく穏やかな笑みに、私は声が詰まって、ただただ頷くことしかできなかった。

 そして何も問われないうちに外を見る。

「……あ、ここでもう大丈夫です」

 正直、この空間にいるのはもう辛かった。

 自分はおかしいのだと知っている。殻を破りたいと思っているのも本当だ。でも、私は結局同じ場所に還るしかない。

 それはつまるところ由子先生の呼ぶ『お嬢様』と何も変わりはしないのではないか――一度そう考えついてしまうと、申し訳なさにいたたまれなくなる。

 ここに私がいてはいけない。

「あら。家の前まで送るわよ?」

「いえっ。かえってお2人に迷惑をかけてしまうので……」

 なんとお為ごかしな言葉だろう、と内心で自分を嗤うのに、逃げたいという気持ちには嘘をつけない。本当に弱くて情けなくて。

 こんな自分、大嫌いだ。

 泣きそうになっていたから、了解したらしい和馬さんが車を停めてくれた時には心底ほっとした。

 改めて景色を確認すると、歩いてもあと2、3分の距離だ。門限まであと10分ほど。敷地内に入ってさえいれば条件はクリアできるのだから、余裕だ。

「じゃあ、ありがとうございました」

 いつも通りのつもりで笑ったはずなのに、直後、失敗したなと思う。

 実際に浮かべていた笑顔は、パーティーなどの時に使う『よそ行き用』の笑顔。これでは今の私が平常心にないことを自らバラしているようなものだ。

 だから慌てて逃げるように踵を返したのに、「ゆかりさん!」との呼び声がかかって、すぐにその試みは失敗した。

 デジャヴ。ひさの姿が眼裏に蘇る。哀しそうな悔しそうな――それでいてまっすぐにこちらを射抜く目が。


「無知でも、何か失敗しても。それを後悔することができるのなら、君は愚かじゃない。――和馬はそう言っているわ」


 彼も、同じような瞳をしていたから。

 話しているのは先生なのに、和馬さんとかち合った視線が逸らせない。

 総てから逃げ出してしまいたかったのに。

 こちらをじっと見つめる和馬さんの目は、それを決してゆるしてくれそうもなかった。

 ――逃げるの?

 そんなわけもないのに、彼がそう言っている気がして。

 私はしばし立ち尽くしてから、ひさの時と同じようにその場から全力疾走で逃げ出した。

 逃げ出すことしか、できなかった。

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