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「さようなら」の後は、  作者: 汐月 羽琉
第二章 見る
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彼の目的

        ――さようなら の 30分前――



   ● ● ●



 次の日は日曜日。学校が休みだった私は、部屋に書き置きを残してこっそりと家を抜け出した。リビングに靴を持ち込んでそこから外に出たのである。

 ――君をある場所に連れて行きたいんだ。

 そう言った和馬さんの提案で、10時にあの森の中で会うことを約束したから。

 一度捕まったら、我が家の優秀な使用人たちがなかなか離してくれないことはよく知っている。わざわざ約束の時間に遅れるような真似はしたくなかった。

 慣れない路線バスで少し恥ずかしい思いをしつつも学校の近くまで出て、彼が待つだろう森へと急いだ。

「かずま、さーん……?」

 そんなに物騒な気配がするわけではないとはいえ、一人でいると何となく心細いこの場所。急いで来たのだがほんの少し遅刻してしまったため、恐らく彼の方が先に来ていると思うのだけれど。

 きょろきょろしていたその時、背後から肩を誰かに軽く叩かれる。

「ひっ――!!」

 驚いて、息が漏れたような間抜けな悲鳴を思わず上げた。ばっと勢いよく振り返ったら、そこには驚いたように目を丸くした和馬さんがいる。それに気抜けして胸を撫で下ろした。

「な、何だ……和馬さんか……」

 声ぐらいかけてくれればいいのに、という言葉が喉元まで出かけて、慌てて引っ込めた。

 彼は声が出せない――うっかり失念しかけていたその事実。自分の相変わらずの馬鹿さ加減に、思いきり張り倒したくなった。

 当の和馬さんはそんな思考を知る由もないので、驚き顔から笑顔に変わり、私をにこにこと見ている。

「『ごめんね、驚かせちゃったかな』?」

 唇の動きを何とか読み取り、ゆっくりと口にする。正解だったのか、彼はにこにことしたまま頷いた。私までそれにつられて笑ってしまうぐらいの、全開の笑み。

 相変わらず、温かく微笑む人だ。

「大丈夫ですよ。確かにちょっとびっくりしちゃいましたけど。何か出た!? って」

 冗談めかして私が言えば、和馬さんは声の出ない喉を鳴らして笑って、ジェスチャーで「行こうか」と示す。それに応じて、歩き始めた彼の背中を追った。

 和馬さんはだんだんと森の奥深くに入っていく。どこに行くのだろう。

「和馬さん?」

 私の声色から、何が訊きたいのか分かっているらしい。しかし彼は「とりあえず黙ってついておいで」という感じの不思議な微笑みを湛え、歩いていってしまう。

「もう……」

 どうやらそれ以外に方法はないらしい。仕方なく、大人しく歩くことに専念した。

 私たちが歩いていく方向は、恐らく森の中心の方だ。それは分かるけれど、ここで見放されても帰り道が分からなくて迷うことは必至だし、彼が変なところに連れていくとは思えない。

 でも普段ろくな運動をしていない私。ただ走るだけならまだしも、小道になって整備されているとはいえ、あまり足場がいいとは言えない森を歩くのは結構辛い。

 息が少し苦しくなってきた頃、和馬さんがようやく「着いたよ」という仕草をした。

 引き寄せられるように目線を向けると、そこにはそれほど大きくはないがしっかりとした造りの家があった。

「ここ……」

 もしかして、と思って見上げると彼はにこりとして首肯し、「そうだよ。おれの家」と唇が動いたのが分かった。

「和馬さんの家……」

 どうして?と思いながら首を傾げると、また「ついておいで」と言うように彼は優しく私の腕を引いた。そしてそのまま玄関のドアを開けて中に入っていく。

「え、ちょ、ちょっと、和馬さん……!?」

 待って、と私が言おうとするより一足早く、「あら、和馬」と女性の声が鼓膜を揺らした。焦って一気に血の気が引く。

「さっき出て行ったばかりなのにもう帰ってきたの? そういえばスケッチの道具を持っていなかったけれど」

 すると和馬さんは、指を折るなどして何回か手を動かしてまたにこにこと笑う。私は「?」という感じだったけど、女性にはそれが何を意味するのか分かったようだった。

「お帰りなさい、和馬」

 そう笑ったから。

「それにしても、和馬が女の子を連れてくるなんて初めてね。彼女かしら?」

 こんな可愛いお嬢さんを和馬が射止めるなんて、と私の顔をまじまじと見る女性。そして「どこかで見たことがあるわね?」とひとりごちている。

「うぇ……!? かかかか、か、かのじょ!?」

 私が上條の娘だと知られている、とかそういうことに気を取られるよりも、あまりに驚いたせいで間抜けすぎる声が漏れた。

 だって私は和馬さんの彼女では決してないし、そもそも可愛いというところからして間違えていると思う。華やかな顔立ちをしている他のお嬢さまたちに比べ、私は地味だという自覚があった。

「あら、違ったの?」

 私のそんな様子を見てか彼女はくすくすと楽しそうに笑いつつ、苦笑いをこぼしている和馬さんに視線を移した。水を向けられるカタチとなった彼は、そのままの表情でまた指や腕をすっすと動かす。

「『違うよ。彼女を困らせないであげて』……ね。分かったわよ。冗談だったのに」

 私にはわけの分からない手の動きでしかなかったものは、やはり女性にとってはよく意味の通るものなのだ。私の疑問の空気を読み取ったのか女性は品のいい笑みを浮かべる。

「手話よ。普段、私たちと話すときには、和馬は筆談を使わずにこうやって話すのよ」

 なるほど、と思った。確かに筆談よりまどろっこしくなくていいのかもしれない。私は手話を知らないから筆談しか方法がないけど、いちいち紙とペンを用意する必要はないし。

「初めまして。和馬の母の秋月由子(よしこ)です」

 再びにこりと微笑みかけながら名乗ってくれた女性。彼女が和馬さんのお母さま? あまりの驚きで目が点になる。

「か、和馬さんのお母さま……!?」

 寝耳に水だ。

 最初からお母さまに会うと知っていたのならば、もう少し心構えも違っていたのに。どうして教えてくれなかったのだ。そんな思いに駆られ、少し頬を膨らませて彼を軽く睨む。今度の彼は、申し訳なさそうな苦笑いを浮かべている。

「『どう説明しようか迷ってて、その間に着いちゃったんだ』、だそうよ。和馬らしいわね」

 居心地が悪そうにしている彼を見て笑う由子さんは、和馬さんのお母さまにしてはずいぶん若いように見える。私の気のせいだろうか。

「その辺りのお話は後でしてあげるわ。さ、いらっしゃい。和馬がこんなところまで連れてくるってことは、何かお話があるんでしょう?」

 やはりそんな疑問は、それはもうしっかりと顔に出ていたようだ。あわあわとする間もなく、和馬さんの目的に話がすり替わるので、私は一人でぐるぐるしていた。

「た、多分……」

 何も聞かずじまいなので断言はできないけど。

「おいしいお茶と大福があるから。食べましょうか」

 和馬さんとよく似た微笑みを浮かべる由子さんに導かれ、私は「お邪魔します……」と呟きながら和馬さんのおうちの中へと足を踏み入れた。和馬さんも後ろからついてきている。

 誰かの家に入った経験なんてそう多くはなくて、幼なじみのものか、どこぞの奥さまが主催するホームパーティくらいしかない。もちろん男の人のおうちなんて初めてだ。

 木材が中心の外装に合わせ、内装もそんな感じでシックにまとめられていた。配置にセンスの良さが垣間見える。連れていかれたリビングには、ご両親のうちのどちらかの作品だろうか、ところどころに皿や茶碗が飾られていた。

 でもひときわ私の目を引いたのは、その陶芸作品ではなかった。

「綺麗……」

 思わず漏れる呟き。

 私の目を奪ったもの――それは1枚の絵だった。

 どうやら少し古いもののようだが、保護がしっかりとなされているらしく全く色褪せてはいない。シンプルな額縁に収められた、小さな絵。

 この家が緑に囲まれている、そんな何てことはない風景の一瞬を切り取ったものだ。それなのに、心に訴えかけてくる何かがある。

 モノクロではないけれど、見覚えのある柔らかで優しいタッチ。描いたのはきっと――。

 彼を振り返ると、微笑んで首を縦に振ってくれる。

「和馬が初めて描いた絵よ」

 由子さんもにこりと笑った。

「初めての作品……」

『下手だから飾らないでほしいんだけどね。二人とも飾るって言って聞かないから』

 近くにあった広告の裏にペンを走らせて私に掲げつつ、本日何度目かの苦笑いをする和馬さん。

「そんなことない……飾りたくなるのも分かります。綺麗だもの」

 確かに今と比べたら拙いのかもしれないけれど、それでも私は好きだ。彼にしか描けない絵であることには違いない。他の誰にも決して真似はできないと思う。

 和馬さんは私の台詞に少し目を丸くする。そして照れたように笑ってから、何かのジェスチャーのようなものをしてみせた。

 意味が通じなくて私が首を傾げると、和馬さんはその表情のままでさらさらと文字を書いていた。

「『ありがとうって意味だよ』……?」

 覗き込んで書かれた文字を読み上げると、彼は頷いて更に笑った。私はお礼を言われたのか。それほど大したことを言ったわけではないと思うのだけれど、喜んでもらえたのならば嬉しくて、自然と私の顔にも笑みが浮かんだ。

「さあ、お茶が入ったわよ。大福も持ってきたから食べましょう」

 私たちの会話に、というよりは私の台詞に、くすくすと笑いながら由子さんがお盆を持ってやってくる。

「あっ……ありがとうございますっ」

 慌てて手伝いに行くと、「お客様なんだからいいのよ」とやんわり断られてしまった。

 それからふと、まあ確かに、私がやったら慣れないからひっくり返しかねないかもしれない――と思い当たる。こういうことはいつも使用人任せだし、かえって迷惑になるからやめておこう、と結論づけた。

 テーブルには湯呑みと皿に乗った大福が置かれる。どうやら豆大福のようだ。柔らかそうな見た目に食欲をそそられる。

「さ、どうぞ」

 また柔らかく微笑む彼女に「いただきます」と頭を下げて、お茶に口をつけた。

 程よい渋さに和んでいると、和馬さんは私を見て息を漏らし始める。きょとんとすると和馬さんは軽く首を振ったが、それから由子さんに目を移して何かを手話で話しかけていた。

 不思議に思いながらそれを見ていると、彼女もまたくすくす笑って頷いた。

「和馬が、可愛いでしょ、って。確かに可愛いわね」

「えっ!?」

 突然のことに目を見張り、きょときょとと視線を動かす。社交辞令だろう、と当たりをつけ、どうにか自分を納得させることですぐに落ち着いたが。

 しかしこうして見ていると、親子なんだなあ、と思う。笑うツボなんかがそっくりだ。

「私たちは血の繋がった親子じゃないわよ」

 私の考えを読み取ったようで、何ということはないとでも言うみたいに由子さんは言う。

「え?」

 確かに顔は似ていないし、由子さんも和馬さんのお母さんにしては若いけれど、行動が時折似ているところがあったから実の親子だと思っていた。

「和馬さん、養子なんですか……?」

 目を瞬かせつつも和馬さんを見て訊けば、彼は特に表情を変えることなくにこやかに頷く。

『そうだよ。かなり小さいころに今の父と母に引き取られたんだ』

 由子さんも首肯しているので、「そうなんですか……」と呟いた。

 私たちの世界でも後継ぎがいないと養子を取る家が少なからずあるから、それに関しては驚かない。

 しかしこのように良好な関係を築いている人は初めて見たので、それはかなり意外だった。親子といってもそれは法律上で、血の通わない、赤の他人みたいな人たちが多いのだ。

 私は何も言えなくて、二人も言葉を探すようにしている。

 穏やかな風が吹き込むあたたかいリビングには、沈黙が舞い降りた。

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