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「さようなら」の後は、  作者: 汐月 羽琉
第六章 終結
31/32

二度と離れぬように

 目を覚ましたら、真っ白だった。

 視界が、というわけではないけれど、それに近い状況。

 ここはどこ?

 白いカーテン、白い壁、白い床。消毒液の匂いに、遠くに響く呼び出しの音。

 ――病院?

 どうして。逃げていたはずなのに、私、どうして病院になんているの?

「ゆかチャン……!!」

「ゆかちゃん!」

 見慣れた顔、聞き慣れた声。

 いずに、ひさ。

 少し視線を巡らせると、そこには。

「……ゆかり様」

 チカだ。

 どこか厳しい顔。両拳は膝の上で固く握りしめられている。

 その隣にはフーがいた。彼女も厳しい顔をしている。

「何無茶してんの……!」

 いずのこんな怖い顔も久々に見た。

 ひさは何も言わないけれど、やはり怖い顔。というより、言えないのかもしれない。

「あれ……? 何で皆こんなところにいるの……?」

 口を突いて出た言葉に、皆が皆、顔を見合わせて一斉にため息をつく。

「前上さんが教えてくれたのですよ。……もっとも、それは病院に担ぎ込まれた方の台詞ではないと思いますけど」

 チカがため息混じりながら苦笑して、私の求めていた答えをくれた。

「まえがみ……まえがみって、前上……?」

「その前上以外に誰がいるの……」

 ひさの呆れ声の後、いずも肩を竦めている。フーに至っては、チカと同じように苦笑いだ。

 『病院』。『倒れた』。つまり、それの意味するところをよく吟味して、血の気が引く。

「赤ちゃんは!?」

 勢いよく起き上がろうとした私の肩をフーが押さえつけて、強制的にベッドに戻してくる。

「寝ていらっしゃらなければ駄目です」

「ご無事だと、先生が。……心配したのですよ」

 安心させるように笑ってからぽつりと言われた台詞に、安心感から脱力すると同時に申し訳なくなった。

「ただこれからしばらくは絶対安静だって。無茶しすぎだよ」

 いずが呆れ半分、心配半分といった顔つきで言う。

「……ごめんなさい」

 ぎゅっと唇を噛みしめた。

 そんな様子を見てしまったからか、元々私には甘いいずはもう一度肩を竦めてから、ぽんぽんと頭を撫でてくれた。

 が、一方、それで矛を収めてくれないのがひさであり。

「何で俺らに何の説明もなくどっか行ったの!?」

「……うん。ごめんね」

「めちゃくちゃ心配したんだからね!?」

「うん」

「毎日毎日、探してたのに……!!」

「うん……」

「ゆかちゃんの馬鹿……っもが」

 不自然に言葉が途切れたと思ったら、「久弥さま、落ち着いてくださいませ」とフーが病室から強制退場させていく。どうやら彼女に口を塞がれたようだった。

 ああいうふうに怒っているのを目にすると、久々に彼の年相応な部分を見た気がする。それは嬉しいけれど、そこまで怒らせるほど心配させていたのだと思うと身が縮む思いだ。

「ひっさーも、逆に病状悪化させちゃうよねぇ」

 私の考えを知ってか知らずか、ちかも何か言ってやって、といずは苦笑いしている。

「いえ、言うも何も……もういらっしゃいませんから」

「あれー? あ、ほんとだー。フーちゃんったら動き速すぎじゃないー?」

 甲斐甲斐しく水差しに水を入れるなどしているチカは、何というかボケばかりの集まったメンバーで重要なツッコミ役のような気がする。フーはもはやスルースキルを身に着けているし。

「……私、倒れたの?」

「そこからー? そう、倒れたのー。2ヵ月以上も逃げ回ってたら、そりゃ疲れも溜まるよー」

 私の方に視線を戻して苦笑を深めたいずは、眠いのか少し欠伸をする。

「眠い?」

「うん、まあねぇ」

「……もしかして、ずっとついててくれたの?」

 いずはチカをちらっと見て、「言っていいのかなー?」という顔をする。その時点で割とバレバレなのだけど。

「顔に出ていらっしゃいます」

 チカは丁寧にツッコミを入れつつも、入り用になるに違いないタオルを並べてくれている――とか冷静に考えたところで、「ん?」となった。

「あれー? ……ってか、何でちかはそんなおかーさんみたいになってるのー?」

 ケラケラと笑ったいずも同じことを思っていたようだ。からかうようにそんなチカをつついている。

 いくら階級がふたつ下とはいえど、宇陀グループの立派な跡取りに私はいったい何をさせているのだろうか。

「冬華が席を外していますし。他の方に任せたら、水差しが割れるくらいは覚悟しておきませんと……」

 停めようとも思ったが、真顔でそう返されてしまってはぐうの音も出ない。否定できないところがまた悲しい。

 ひさもいずも驚くほど生活力には欠けているし、指先にさえあまり上手く力が入らない今の状況で自分がやっても、同じ羽目に陥るのは目に見えていた。

「まあ。うん、否定しない!!」

 いずもいずだ。分かっているのならいい笑顔で言うな、と言いたい。

 だがそこでようやくひとつの不自然さに気づく。

「……和馬は?」

 いて当然とは言わないが、彼らがいるのに和馬がいてくれないというのも少し悲しい。

 今回のことで完全に呆れられたかな? いや、彼がそんな性格をしていないことぐらいは知っているけど。

 いずはチカを見、チカはただ無言で眼鏡を押し上げた。

「二人して、隠し事してる時の癖が思いっきり出てるんだけど……」

 呆れると、いずの方は「えー?」と惚けたようにまたどこかを見ている。

 チカもチカだ。

「……何のことでしょうか」

 しばらくしてから白々しい声で言う。さっきのいずではないが、その時点で思いっきりバレているのである。

「何か危ないことでもしてるの?」

 じいっと二人を睨むと、いずは困ったように眉を顰めて、チカはくっと唇を結んだ。

「……大丈夫。危ないことじゃないよ」

「じゃあ何で二人とも言わないの……!」

 またも思わず起き上がりそうになって、今度はいずに押さえつけられた。

「だから、絶対安静って言ったよねぇ。駄目だよ、大人しくしてなきゃ。ゆかチャンは今一人の体じゃないんだし」

 諭すように布団を直される。

「かずは強い人だから大丈夫だよー。ね、ちか」

「はい。きっと」

 かず、と呼ぶほど、和馬と彼らはいつの間に親しくなっていたのか。

 この二人の頑固さはよく知っているつもりだし、これ以上問い詰めたところで無駄だということは何となく分かった。そうすると私も口を噤むしかない。

「それより、これからのゆかチャンがどうするか考えないと」

 ね、と再び頭を撫でられて、また頷く。私だっていずには弱いのだ。

「それでしたら、久弥さまを呼んで参ります。そろそろ落ち着かれた頃でしょうし……こういう話は冬華の領分ですからね」

 言って、チカはドアを開けて廊下へ出ていくと、間もなく頭が冷えたらしいひさと共にフーが戻ってきた。チカは最後に入ってきてドアを閉める。

「ひっさー、頭は冷えたー?」

「……冷えた」

 ちょっと不貞腐れているのは、フーに説教でもされたのだろうか。

「このタオルと水差しは親晃さまが?」

「うん、ちかー」

「でしょうね」

 いずの返しに即頷くフーはさすがだと思う。当のチカは、至って「普通です」と言いたげなすまし顔だ。この二人は本当に仲がいい。

「さて、ゆかり様」

「はい!?」

 何で自分は敬語になったんだろう、と思いながらも、フーが少し怖い顔をしているからびくびくと布団の中で縮こまる。

「まずはお腹の御子のことを最優先にお考えになりましょう? 法的に堕胎できる週数は超えていらっしゃいましたので、ゆかり様はとりあえず、無事に逃げ切りました。もういかに代表と言えど、今のうちは手を出せません……が」

 少し言いにくそうに言い淀むのを見れば、彼女が何を言おうとしているかぐらいは分かる。

「あの人のことだから、死産に見せかけて……くらいは普通にするでしょうね。多分」

 ちょっと笑うと、全員が複雑そうな表情をする。申し訳なく思うも、事実だから仕方がない。

 フーが何事かをチカに耳打ちしている。私には聞き取れなかったけれど、直後、チカの纏う空気が緩んだ気がした。

「どこかの保護下に置いていただくのが一番いいのですが……如何せん」

「干渉しすぎちゃったからねぇ、宮苑と高谷は。もうここにいますよーってバラしてるようなもんだし」

「かといって、宇陀は中立だしね」

「ええ、残念ながら。表向きは」

 こともなげに言う彼は、大概胆が据わっている。それは『本音では』どう思っているのかをはっきり言っているようなものであるのに。

「親晃さま、本音が漏れ出ていらっしゃるかと」

 フーの鋭いツッコミである。

「誰が聞いているでもない。聞いていたとしても、構いませんよ」

 尤も、と付け足してから、彼は華やかな笑顔をフーに向けた。

「君がそれをさせないでしょう。冬華」

 彼女はわずかに目を見張った後、「当然ですが」とため息をついた。少し表情が引き締まったのは、ガードとして生きる彼女にとって最高の殺し文句であると同時に、発破をかけられたからだろう。

「……まあ、それはさておき。私としてご提示申し上げられる最善の策は、村田――ひいては総帥に保護を求めて、お話を通すことかと」

 フーの言葉に、その場にいた全員がひさを見た。

「俺かあ」

 へらりと笑った彼。

 コンツェルン傘下において、総帥に直接面会できるのは第一傘下のふたつの家の人間だけ。上條と宮苑のみなのだ。それより下の階級は、秘書を通してや御声を聞くことができる程度。例外として、総帥御本人が許可なさった人間も面会できるけれど。

 このメンバーの中、あの方に直接お会いしたことがあるのはひさと私だ。今の状況、私が向かうわけにもいかない。そうすると会えるのはひさだけ。

「いずみんは特別許可降りてなかったっけー?」

「僕は所詮第二傘下ですからー」

 言葉の重みは第一傘下には敵いませんよー、とクスクス笑っている。

 特別許可が下りれば、例外的に第二以下の傘下の人間においても総帥との面会が許される。いずには確かにそれが許されているが、この場合は第一傘下の人間の言葉の方がいいと彼なりに判断したのだろう。

「こういう時ばっか。ずるいなあ、いずみんはあ」

 肩を竦めたひさは、苦笑いに見せかけて半分は面白がっているのだろう。

 この二人も相変わらず仲がいい。昔からまるで実の兄弟のようだったし。

「瞬兄さまはお元気?」

 現総帥の孫息子である瞬兄さま。昔から村田にいることを厭う人だったから、最近とんと会っていないし、この場にもいないから彼の近況も分からない。

 布団を引っ張り上げながらフーを見上げると、彼女はにっこりと笑った。

「ええ。さくら様とお元気に過ごしていらっしゃいますよ」

 さくら様、とは、瞬兄さまの婚約者だ。一度だけお会いしたことがあるけれど、とても綺麗な人だった。私よりも年下だということが信じられないくらいには。

「瞬さまにお話を通していただいてもよいのですが……」

「無理だねフー」

「無理だねぇ」

「それは……さすがに」

 彼女の提案に、ひさ、いず、チカの全員がペケを出す始末だが、それはそうだ。瞬兄さまは総帥を苦手にしていらっしゃるから。

 別に仲が悪いわけではないのだけれど、顔を合わせると「総帥の職を継げ」と言われるから嫌になったらしい。だから彼は総帥に寄りつこうとしない。

「私も無理だと思う」

 苦笑いすると、フーも同じような笑みを浮かべて肩を竦めた。

「私、総帥に手紙書くよ」

 会いに行けないのならば、心を込めて、お願いの手紙を書く。

「この子の存在が認めてもらえるように」

 そっとお腹に触れた。

 逃げ始めたころと比べてだいぶ膨らんだお腹は、この子が確かに生きている証。

 本当に強い子だと思う。あんなにも無茶をしたのに、すくすくと育ってくれた。

「……そうなさってくださいませ」

 フーが優しく笑ったその時、ブーブーと鳴り響くバイブ音。これはよく耳に馴染んでいる。携帯電話だ。

「あ。切り忘れてた」

「久弥さま……」

 フーが呆れたような表情を浮かべている。

「精密機器はまあ、ありませんので。何も言いませんが」

 チカがそれに続けて言う。

「その言い方、ちかパパにそっくりなんだけどー」

 ひさが文句言いたげに唇を尖らせ、メールだったらしく画面を覗き込んだ途端、「あ」という表情になった。

「ひさ?」

 首を傾げると、彼は謎めいた笑みを浮かべ、「誰からだと思う?」と尋ねてくる。

「誰からって……」

 そんなの分かるわけがないじゃない、と頬を膨らませようとしたら、ぐいっと画面をこちらに差し出された。

「え……」

 差出人の名前は――秋月和馬。

 その名前を忘れるわけがない。誰よりも会いたいと願っていた人。愛しくて愛しくてたまらない人。

「か、ずま……?」

 和馬がどうしてひさにメールを? ああ、私のお見合いの時に脱走計画を立てるために交換したとか言っていたっけ?

 情報処理が間に合わない。


------------------

From:秋月和馬

Sub:ありがとうございました


代表からどうにか許可を得ることができました。

ご迷惑おかけしました。

これからゆかりのところに向かいます。

-------------------


「かずの愛の力が先に勝っちゃったかあ」

「ねぇ。ちか、見てこれ」

 意味の分からない会話をしているひさといず。視線を往復させ、クエスチョンマークをひたすら飛ばしているしかなかった。

「何より、です。……ご説明なさった方がいいのでは。ゆかり様が呆けておいでですので」

「な、呆けてって……っ」

 確かに口は開いていたかもしれないけど!! と、チカの突然の毒舌に今度は口をぱくぱくとさせた。フーはただ苦笑いしているだけで戸惑っている様子はなく、どうやら取り残されているのは私だけらしい。

「説明してよっ」

 きっとチカを睨む。毒舌を根に持っているわけではないけど、憎たらしい。

「和馬さんは、上條代表の許へ直談判に向かったのですよ」

 どう言うか少し考えをまとめる素振りをしてから、通常運転に戻った様子で彼が説明してくれた。このエセ紳士……と歯ぎしりしたくなったが、それよりもインパクトのある事実の方に意識が持っていかれた。

「えっ……お父さまに会いに行ったの!? 一人で!?」

 さっと血の気が引いた。

「ほらチカー、絶対安静の人に血の気引かせてどうするのー」

 いずがケラケラ笑っていて、軽く殺意が沸く。何か言ってやろうと口を開きかけるとほぼ同時、聞こえた「……はぁ……」という深いため息。その正体は紛れもなくフーのものだった。

「とりあえず、男どもは全員役に立たないということで、口を噤んではいただけませんか?」

 何だか彼女の後ろに氷河が見えた気がしたのは多分、気のせいじゃない。

 だってその瞬間に、ひさとチカが一瞬で縫い付けられたかのように口を閉じたから。この二人は相変わらずフーに弱い。

「久弥さまがお願いして、涼さまについていっていただきました。さすがに村田の人間がいる前で醜い……失敬、卑怯な真似は、いかに上條代表とはいえどもなさらないでしょう」

 『役に立たない男ども』は、全員が「えー……」といった感じの顔つきをしていた。

 まあ確かに、醜いから卑怯に言い直したところであまり変わりはない。チカの毒舌はフーに似たのだろうけれど、いっそ清々しいから何も不快に感じない辺り、まだまだ彼女には及ばないと思う。

 とりあえずほっとするが、同時に耳に飛び込んできた足音に気を取られる。随分賑やかだったからだ。「院内では走らないでください」といった感じの看護師さんのものらしき声も聞こえてくるし。

「んー?」

 いずとひさが同時に首を傾げた。

「おいでになったのでは?」

 ちょっと微笑んで見せたチカと、それにわずかに笑んで頷くフー。

 え、と思う暇もなく、ドアが開け放たれ――息を弾ませた和馬が部屋に飛び込んでくる。

 目が、表情が、叫んでいる。ゆかり、って。

 言葉なんてなくても分かった。

「和馬……ッ!」

 チカとフーとの見事なコラボレーションによって、ベッドから起き上がるのは阻止されてしまった。それに唸る暇もなく、和馬に優しく抱きすくめられる。

「……かずが、ゆかちゃんに『馬鹿』って言ってる気がするぅ」

 へらっと笑ったひさの台詞は、多分的を射ているんだろう。和馬が何度も首を振っていたから。

 彼の怒った表情なんて初めて見る。それだけ私はこの人に心配をかけていたのだ。もう、ごめんねもなかなか言えなくて泣けてきた。

 ちょっと慌てた和馬に、懸命に声を絞り出して「ごめんね」を繰り返す。

「心配かけて、何も相談しないで、ごめんなさい……」

 持っていたホワイトボードに優しい文字で和馬は「いいんだよ」と記してくれた。

『分かってくれてるなら、それでいい』

 いつもの柔らかな表情だ。もう言葉は出てこなくなってしまって、ひたすらに涙をこぼす。彼の大きな手のひらが髪の毛を繰り返し梳いてくれていた。

「ラブラブしてるとこ申し訳ねーけど、一応俺もいるんだがな」

「お久しぶりでございます、涼さま」

「お久しぶりです。涼さま」

 声にはっと顔を上げると同時に、タイミングが被ったせいであまり何を言っているか分からない二人組――フーとチカだ――の台詞が飛んだ。

「あーハイハイ、オヒサシブリ。相変わらずかてーな」

 ていうか病院はどこもかしこも禁煙かよ、とため息をこぼしているその人は、間違いなく。

「涼さん……」

 私の婚約者になるはずだった人。お見合いの日以来一切顔を合わせていなかったが、変わらず元気そうだ。

「病院はもちろんですが、そもそも妊婦さんの前で吸わないでくださいね。あと僕の前でも吸わないでくださいね」

 一瞬で真面目な場合の口調になったいずがにっこりしている。彼は代の煙草嫌いなのである。親友にさえ目の前では吸わせないほど。というか、吸った直後でも近寄ろうとしない。

「喫煙者には肩身の狭い世の中だな。瞬兄が嘆きそうだ」

 自分自身が幼い頃から関わっていたわけではないため、彼の口から『瞬兄』という言葉が出てくると少し違和感がある。でもよく考えてみれば近しい親戚であるから、当然と言えば当然だが。

『涼さんのおかげで、ゆかりとの子供のこと、許してもらえたんだ。……養子に入って、上條を継ぐと』

 和馬の台詞に目を見張り、涼さんを見る。

 私だけでなく、幼なじみたちも驚いていたが、しかし彼は特に何も反応しない。

「俺の好きでやっただけだ」

 ただそう答えただけ。意地を張っているのか、本当に何とも思っていないのかはよく分からない。多分、私には知られたくないのだろう。

「……そういうところ、瞬兄さまにそっくりですね」

 瞬兄さまも長い間、さくら様を陰から護っていたのだという。決して彼女には知られないように。

 自分が『護っている』ということを知られたがらない――そういうところが、似ている。

「は?」

 怪訝そうにする彼にくすりと笑って、頭を下げた。

「ありがとうございます……」

 何も返せないのに、どうしてそこまでしてくれるのだろう。

 和馬を見れば、彼は自分の人差し指を立てて唇に当てていた。きっと彼は知っているのだろう。だからこその、「秘密にするよ」というジェスチャー。

 とても気になるが、多分教えてくれることはない。もう、それでいい気がした。

「……だから、好きにやってるだけだっつの」

「それでも、本当に助けられたので」

 はいはい、と照れ隠しのように鬱陶しがりながら、「体は大事にしろよ」と涼さんは一瞥をくれる。

「ありがとうございます」

 微笑めば、照れでもう耐えられなかったのか、彼はそそくさといなくなってしまった。

「じゃあ僕らもお暇しようかー。また来るよゆかチャン、お大事にー」

「お大事に、ちゃんと寝てね!」

「安静になさってくださいませ、ゆかり様」

「お大事になさってください。絶対安静、ですからね」

 からかうような笑みを浮かべたいずに連れ出される3人。最後に言葉を残したチカがドアを閉め、病室は静寂に包まれた。

 数瞬の後、唇を奪われる。頬を赤くすると、和馬は今にも泣き出しそうな顔で再び私を抱きしめた。

『今までどこにいたの?』

 もう離さないと言うように包み込んだまま。私は少し表情を緩めた。

「最初に行った街で、メイド長だった――私によくしてくれた使用人だった人に会ったの。お父さまに辞めさせられていたんだけど」

 偶然だった。

 2か月と少し前、見知らぬ駅で電車を降りて、これからどうしようかと途方に暮れていた私。とりあえずホテルを探そうと歩き出そうとした時だ。

 ――ゆかりお嬢さま……?

 そんな声を聞いたのは。

 私は彼女の出身地など知らなかった。たまたまたどり着いたその場所が、辞めた彼女が住んでいる場所だったのだ。

 メイド長は私の話を聞いて、お辛かったですね、と優しく抱き留めてくれた。それだけで張り詰めていたものが総て緩んで、子供のように泣いてしまった。

「しばらくは、メイド長とその息子さんが匿ってくれてたの」

 迷惑をかけているようで、あの人たちにまで何かあったら嫌で、少しばかりの気持ちを手紙という形で残して逃げてしまったけれど。

「それからは、旅行とかで行ったことある場所を転々としてた。観光地なら人も多いし、見咎められないから」

 そうして色々なところを回っていた。慣れないことをしていたのだ、無理が祟って倒れたのも無理はないだろう。

 その時のことはあまりよく覚えていないが、ただ、助けてくれたのだろう人が「大丈夫ですか!? しっかり!!」と叫んでくれていたことだけは何となく記憶にある。

『突然ゆかりがいなくなって、辛くて苦しくて……寂しかったよ』

 別れる前と比べて少し痩せてしまったと思う。もしかしたら食事もできないほどだったのか。

「ごめんね……」

 首を振った彼は、常のように穏やかに笑う。

『ゆかりとこの子が無事で、本当によかった』

 ようやく伝えたいことも伝えられる、とホワイトボードの上の文字が続いた。

「え?」

 伝えたいこと、とはいったい何だろう。戸惑いから瞳を揺らすと、頬にあたたかい手が添えられた。

『そんなのひとつしかないよ』

 まっすぐに私を捉える彼の瞳は、真剣そのもの。

『随分、待たせてごめんね』

 和馬の手が、瞳が、震えている。まるで勇気を振り絞るみたいに。

『――おれと、結婚してくれませんか』

 はにかんで、書くのに少しつっかえながら、不器用に告げられた想い。

 そんなの、断るわけがないじゃないか。

「待たせてたのは私だよ……」

 両手で顔を覆う。涙が溢れる。


 自分が何者であるのかも分からなかった私。それを導いてくれたのがあなただった。

 自分の感情を認めずに諦めていた私。それを諦めさせなかったのがあなただった。


「はい……っ」

 ふたつ返事で応じると、和馬の腕の力がほんのわずかに強まった。

「もういなくならないって約束する……」

 当たり前だよ、と、ますます強くなった力で彼が言っているような気がした。

『大好きだよ』

 はにかむあなたがひたすらに、愛おしかった。



       ――古い自分との「さようなら」の瞬間が もう 目の前にまで迫っている――

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