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「さようなら」の後は、  作者: 汐月 羽琉
第六章 終結
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決着をつけよう

 今日も、彼女は見つからなかった。

 カレンダーの今日の日付に赤いバツ印をつけ、深いため息をつく。

 これで今月も半分近くが赤色に染まったことになった。

 ――ごめんなさい、心配かけて。ろせなくなるまで逃げるから。大丈夫だから。

 そんな言葉を残して、完全に姿を消したゆかり。

 ――ゆかりちゃんが、どこかから電話をしてきたわ。和馬……お腹に、あなたとの子供がいるって。

 上條家の使用人だと名乗った人たちが一斉に引き揚げて行った後、母は手話でそう伝えてきた。恐らく、どこかから聞き耳を立てられているかもしれないことを懸念して、だと思うが。

 最初におれと母が、間もなく父が帰宅して、留守番をしていたはずのゆかりがいないことに大騒ぎになった我が家。

 最初は近所のどこかに買い物にでも行ったのかもしれないと思っていたのだが、何時間経っても帰ってこない。さすがにおかしいと思って宮苑次期代表に連絡を取った。

 彼が手を尽くしてくれて、間もなくゆかりが上條家へと連れ去られたことを知ることとなった。

 どうやって取り戻そう。そんな計画を練っていた頃だった。数人の上條家の使用人が突然に押しかけてきたのは。

 話を聞く限り、別荘への移動中に彼女が姿を消したらしい。

 うちにはいなかったのだから当然だが、ゆかりは見つからなかった。

 ――お嬢様がここに戻っていらっしゃったら、必ずご一報ください。

 そう言い残して彼らが消えた後に、母から聞かされた彼女からの伝言。

 子供? しかも、ろされようとしている? いったいどういうことか分からず呆けたような顔をしているおれに、「しっかりしなさい」と活を入れて、母はゆかりから聞かされたことを詳しく教えてくれた。

 ゆかりのお父さんである上條代表は、ゆかりが子を産むことを許してはくれない。

 説明されなくても、その理由は簡単に分かった。おれとの子だからだ。

 彼女には婚約者がいたのに、その人からおれは半ば奪い取ってきて、上條代表は己の面子を潰されたのと同然だろう。

 それでも、おれは彼女と一緒にいたかった。

 お見合いから逃げてうちに住むようになってしばらくした頃だっただろうか、彼女が確か夢にうなされながら泣いていたのが思い出される。

 ――ゆかり? どうしたの?

 枕元のライトをつけ、揺さぶり起こした。しかし彼女はおれの指をぼんやりと目で追うだけで、口を利かない。いや、何も言えないでいるようだった。

 心配してじっと見つめていると、しばらくして口角を上げた。最初の頃によくしていたような下手くそな笑い方で。

 ――お母さまが亡くなった日のこと、思い出してたの。

 彼女はそれからぽつぽつと、父親を壊してしまったのは自分自身だったのかもしれないと語った。

 ――私が、強く在ってほしいなんて願ったから……。

 違うよ、と否定することは容易かったけれど、できなかった。

 彼女は真剣にそうだと考えている。それを否定するのに相応しいものを持っていないのに、容易く「違うよ」なんて言えなかったのだ。

 それでもひとつ思ったこと。

 あの子は、本当に優しい子だ。

 彼女はどれだけ父親に辛く当たられても、彼を恨むことができないでいる。

 今回懸命に逃げているのだって、きっとそれが起因している。もちろん子供を護りたいという意識が強いだろうけど、それと同じくらいには父親の手を汚させたくないという気持ちがあるのではないのか。彼女が自覚しているのかどうかは分からないけれど。

 窓辺に座って、木々の隙間から垣間見える月を眺める。

 ここは彼女のお気に入りの場所だ。おれが風呂から出てくるのを待つ間、電気もつけずによくこうしてじっと見つめていた。

 そんな彼女がとても儚げに見えるせいできつく抱きしめたことは、一度や二度ではない。

 ゆかり――。

 今、君はいったいどこにいるの? お腹の子と一緒に無事なのか? 病気にはかかっていないの? 怪我はしていない?

 毎日毎日同じ思考回路に陥って、絵もここ最近はまともに描けないし、食事もなかなか喉を通らないのだ。

 ゆかり、ゆかり、ゆかり。

 宮苑次期代表と初めて会ったときに彼からもらった名刺を引っ張り出し、そこに手書きされたメールアドレスをなぞった。

 ――プライベート用の携帯の連絡先だから。何かあったら、ここに気兼ねなくメールしてきて。

 ゆかりをお見合いから攫う算段をつけたときに、そう言って手渡されたものだ。

 彼女が失踪して以来、宮苑次期代表とは密に連絡を取り合っている。

 ――今日も見つからなかったよ。

 さっき送られてきたメールを見直し、ため息をついた。

 彼女が『ひさ』と呼んで可愛がる宮苑代表は、ついこの間までのおれにしてみれば、一生直接に会うことなどない、天上の人だったのだ。初めてこちらから連絡をした時は、緊張で指が震えた。

 恐怖感もあったと思う。ゆかりが消えてしまうかもしれない。おれの元にはもう一生帰ってきてくれないかもしれない、と。

 母から話を聞き終わった後。ゆかりが姿を消してしまったのです、とメールを送ったら、宮苑次期代表は落ち着いた文面で返してきた。

 ――聞いたよ。大丈夫、落ち着いて。君も心当たりを探してみて。こっちも探してるから。

 巨大なグループのトップに立つ未来を持つ人間というのは、こんなにも強くなるものなのか。そのメールを受け取ったときに思った。

 不思議と自分も落ち着いて、ゆかりが行きそうな場所を捜す作業に移ることができた。

 でも、彼女は見つからなかった。

 定期的に彼女の口座からお金が引き下ろされているのは分かっている。しかしその場所は一定しなくて、誰かがその辺りに行ってももういない、という状況が続いていた。

 お金が下ろされているうちは、十中八九無事なのだろう。そう信じて、毎日毎日、カレンダーに赤い印をつけ続けていた。見つからなかった日を数えるように。

 彼女が失踪したのは5月の初め。長いようであっという間に時は過ぎ去り、もうすぐ7月も半ばに入る。暑くなってきて、身重の体には相当辛いはずだ。

 お願いだから、ゆかりも赤ん坊も無事でいてくれ。

 両手を組んで、額にぎゅうぎゅうと通しつけながら月に祈る。

 月が不思議な力を持つというのなら、この思いを叶えてほしい。おれはもう一度、彼女の笑顔が見たいんだ。あの、周りの空気まで明るくするような笑顔を。

 そうして祈っている間に寝てしまっていたようだ。携帯電話が盛大に鳴る音で目が覚める。一瞬は状況が把握できなくて目をぱちぱちさせたが、目を刺す日の光で総てを察した。

 窓辺から飛び起きる。すると、勢い余ってすっ転んでしまった。

 打ちつけた腰のあたりをさすりながらも、メールが届いたらしいと確認して開く。

 差出人は、昨晩寝る直前にも考えていた宮苑次期代表だった。

 ――見つかったよ!

 件名に書かれていた文字に飛びつく。食い入るように見つめながら画面をスクロールさせて、文を追っていく。


---------------------

From:宮苑久弥

Sub:見つかったよ!


ゆかちゃんが見つかりました。


道端で倒れたところを通行人が救急車で運んでくれたみたいだよ。


一応母子共に無事だけど、ゆかちゃんは衰弱しきっているらしい。


このままだと赤ちゃんにも悪いのでしばらく絶対安静で入院だそうです。

---------------------


 あんなにも会いたいと思っていた彼女が見つかった。今すぐ病院に駆け付けたい。

 だけどその前に、おれにはまずしなければいけないことがあるような気がして。彼女が消えてからの2か月と少し、考え続けていたこと。

 ゆかりは戦って、間違った道かもしれなくても自分で考えて、その末に『代表から逃げる』という道を選んだ。


 でも、おれは?


 自分なりに色々と考えたつもりではいたけれど、戦うこともなく、父親の元から彼女を攫った。

 その時はよかった。幸せだった。

 でもおれが逃げてはいけないことから逃げたせいで、巡り巡って彼女を苦しめる結末に陥ってしまったのではないか?

 自分の欲を優先させたがために。

 唇を噛み、携帯電話を握りしめてから、もう一度宮苑次期代表に返信を送る。

 ――本気?

 送った文面に対する返答は、まるでおれが正気かどうか疑っているような、半信半疑といった感じのたった二文字だった。

 本気です、とすぐに返せば、ずいぶん長い間が空いた。

 ――分かった。これからごり押しして、アポを取りつける。30分後に迎えを寄越すよ。

 思いが伝わったのかどうか。宮苑次期代表は承諾してくれた。それならば、用意をしなくちゃならない。

 おれが彼に頼んだことはたったひとつ。『上條代表にお会いしたいのですが、連絡を取っていただけませんか』――それだけ。

 宮苑次期代表としておれよりもしっかりしているように感じる彼が『それだけ』のことに判断に迷ったのも、無理からぬところがあると思う。

 何せ上條と宮苑の関係は今のところ悪化の一途を辿っているだろうし、実の娘に対してでさえ冷酷な手段に出ようとする人物だから、おれだって本当は怖い。

 それでも約束を取り付けてくれると言った彼に対して、多分おれは一生感謝の念を忘れないと思う。

 着替えてからアトリエに向かい、数枚の絵を選んだ。

 上條代表に――彼女の父親に、これらを見せて、どうしても伝えたいことがあったから。

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