守りたい
ふと目を覚ますと、目の前にはゆかりの顔があった。
子供のようにあどけない寝顔。頬を軽くつつくと、むずかるように唸って眉を顰める。そんな様子が可愛くて、おれはくすりと笑った。
部屋はまだ暗く、枕元の時計を確認すると午前3時だった。いくら日の出が早い夏と言えど、これでは暗いに決まっている。
ただ、月明かりの注ぐ窓辺は明るくて、おれはそっとベッドを抜け出した。
そのまま窓の方に向かおうとして、一度足を止める。タオルケットがめくれ、彼女の肩が露出しているのに気づいたからだ。
彼女の寝間着を着せようかとも一瞬思ったが、彼女が案外眠りの浅いタイプだということを思い出してやめた。しっかりとタオルケットをかけ直すと、ゆかりはどこか満足げな寝言を言って再びすやすやと眠りについた。それにまたも笑って、今度こそ窓辺へと向かう。
南向きに作られている窓の、ちょうど真正面の辺りに月がいる。
先ほどゆかりがそうしていたように、床板に腰を下ろした。彼女はよくこうして空を見ている。一度として同じ表情をすることのない空を、自分の中へと刻み付けようとしているかのように。
彼女のお気に入りだと分かっているから、最近はそこにクッションを置くようになった。結露するような季節でもないから別にいいだろうと思って。
やはり彼女お気に入りのビーズクッションが、柔らかく体重を受け止めてくれる。
空を見上げると、先ほど見ていた時よりは雲が増えているようだった。星々の輝きが消されてしまっていく。これを見たらゆかりはどう思うのだろうか。
――星はいつでもそこにいるのに、昼間は太陽が眩しいせいで消されてしまうのよね?
あれは、初めておれの部屋へと招いた日だった。お見合いから強奪してきた日でもあり、振袖を着ていたゆかりがとても綺麗だったことを覚えている。
おれの母は背が高くて小柄なゆかりとはサイズが合わず、とりあえず日常に着るものだけでもと両親が買い物に出ていた時だ。
――でも確かにいるから、夜になれば……太陽が隠れてしまえば、ちゃんと光ることができるのよね。何だか星の方が私みたいで、笑っちゃう。
強烈に光を放つ太陽が父さまで、それに負けてしまう星が私だ、と彼女は笑った。
――だけど、負けてばっかりだと思われるのも心外よね。
どこか影を背負っているような様子は、変わらなかったけれど。力のなかった瞳には強い光が灯り、前を見据えていた。彼女は、短期間に強くなっていた。
今でも迷い、後悔してはいても、それでも前には進んでいる。
今日はゆかりには申し訳ないことをしたと思う。彼女が酷く後悔しているように見えるのは、偏におれのせいなのに。おれの目が、彼女をそういう風に見つめているからなのに。
彼女が父親である上條代表に会いに行きたいと思っているのではないか――と。
ゆかりは否定してくれたけれど、多分、思っていないわけではないのだと思う。彼女の心にぽっかりと開いた穴は、お父さんの手でしか塞いではもらえないこと。おれでは完全に癒してあげられないこと。
ベッドの上の彼女をちらりと見る。
こうして手の届くところに彼女がいることは、とても幸せだと思う。それはきっとゆかりも同じだ。でも、彼女の場合は、それだけで済む話でもない。
ちゃんと決着を付けなくてはならない。おれたちが一緒にいてもいいという言葉を、ゆかりの父親からもらいたい。そういう意味では、おれもまたし幸せだと感じているだけでいいだけではないのだと思う。
それは、分かっている。でも何の行動もとれないでいるのはどうしてなのか。このままでいいのか。
でも今ゆかりが上條へと帰ったら、確実に二度と外へ出ることは叶わないだろう。彼女に確認するまでもなく、お見合いの日の上條代表を見ていれば誰にでも想像がつく。彼は娘を『上條を盛り立てていくような相手』と結婚させることに躍起になっているのだから、何が何でも取り戻そうとするに違いない。
そうしたらもう、おれは彼女と会うことができない。
何という自分勝手な理由、と思う。彼女以上にあの日のことを後悔しているのは自分なんじゃないか。上條代表の態度を見れば、あれ以上に上手い方法なんて存在しないというのに、まるでズルをして勝ったかのような嫌な思いがもやもやと胸の中で渦巻いている。
正義感だけ、正論だけを振りかざすのは、子供の証拠。
そう言ったのは確か、母だったか。
いつでも、正しくだけ在れるならよかった。
だけど、生きている限り人間というものは自分を贔屓するし、自分の大切な人を贔屓するし、いざとなればそれ以外はきっと見捨てる。残酷でもそういうものだ。
今のおれは、ゆかりと自分を贔屓している。
「かずま……」
彼女の呼び声に反応すると、どうやら寝言だったようで、それ以降何かが続くことはなかった。
ベッドの傍に戻り、そっとゆかりの頭を撫でる。
迷うけれど、後悔するけれど、悩みもするけれど。おれは、彼女のこの柔らかい表情を守りたい。
こんな優しい日々が永遠に続けばいいと――確かに願ったんだ。




