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「さようなら」の後は、  作者: 汐月 羽琉
第五章 静閑
23/32

ひとつひとつを懸命に

 あのお見合いの日から、一月ひとつき半が経った。

 夏の盛り、しかも今いる場所が森ということもあって蝉がけたたましく鳴いている。

「暑い、けど……涼しい」

 上條の屋敷にいた頃は空調がばっちりと効いていて、それこそ快適だった。

 もちろん今住まわせてもらっている、孝太先生の建てたログハウス風の家にもエアコンはあって過ごしやすい。しかも青々としている植物たちが目に鮮やかで、涼しげな空気を運んでくれるから、一歩外に出てもそこまで苦痛ではない。

 だけど、現在の方がずっとずっと夏らしく感じられる。どうしてかと考えてみれば、当然だ。

 『お嬢さま』は滅多に外へと出ることがなく、だいたいのことは使用人の皆にやってもらえた。たとえ出ることがあっても付き添う使用人が必ずいたし、誰かにスポーツをしようと誘われでもしない限りは動くということはほとんどなくて。

 それが今は、どうだ。

 やむを得ず家の中に閉じこもっていることは同じだけど、何倍か分からないぐらいには動き回っている。

「ゆかりちゃん、それ重いよ。運べる?」

「大丈夫、です!」

 孝太先生の心配そうな声を聞きながら、道具の入った重たい段ボールを持ち上げて台車に載せる。

「おおー……」

 感嘆の声が聞こえてきて、私は苦笑いしながら振り返った。

「孝太先生。そんな小さい子が成長したみたいな反応……」

「あはは、ごめんね。でも一月前のゆかりちゃんはその半分の重さでいっぱいいっぱいだったから」

 今日の先生ご夫妻の予定は出張陶芸教室。隣町である西深山にしみやま市の小学校まで行くのだという。

 私は陶芸には疎いからあまり知らなかったのだけれど、二人はこの世界では割と有名な人らしい。だがさすがに作品を売るだけでは生活するには少し心許ないとのことで、ここで教室を開いたり、呼ばれれば近隣の小中学校などに行ったりすることもあるということだ。

 だが「心許ない」というのはきっと謙遜だろうと思っている。ただ単純に、二人とも子供が好きなのだ。

 ただ、働くこともできず、そんな二人や和馬の絵の収入に頼らせてもらっている身としては、申し訳なくもある。だからこうして、車への荷物運びぐらいは手伝っているのだが。

「今日は久々に外に出るんだし……気をつけてね。危なく感じたらすぐに逃げるんだよ?」

 荷物の積み込みが終わってトランクのドアを閉めながら、孝太先生は心配そうに眉を顰めた。

「和馬、本当に大丈夫? あと2週間ぐらい待ってもいいんじゃないかしら」

 旦那さんの不安が伝染したのか、由子先生まで曇った顔。

 ご夫婦にとっては1週間ぶりの陶芸教室の日であると同時に、私にとっては一月半ぶりの外出の日なのだ。

 報道は直後には過熱していたけれど、2週間もすると今までの騒ぎは何だったのだろうと言うほどにぱたりと止んだ。多分、ひさが言葉通りに圧力をかけてくれたのだと思う。今度会うことがあれば、何度でも頭を下げなければならない。

 だが一時期は本当にどこをかけても私の写真が出回っていたし、週刊誌も面白おかしく書き立てていた。完全にどこでも見かけなくなるまでには更に2週間が必要だったし、先生方が心配するのも無理はない。

 だけどこれではいつまで経っても外に出かけられない。弱り切ってしまい、和馬を見上げた。

『大丈夫だよ。報道が下火になってからだって2週間だ。しかも宮苑次期代表たちが未だに警戒続けてくれてるっていうし』

 彼は安心させるように私の頭を撫で、自らの両親に向き直る。何かを手話で伝えているが、時折分かる言葉があるぐらいで私には理解ができなかった。

「『父さんと母さんも心配しないで。彼女の傍から離れないし、ちゃんと見てるよ』、だそうよ。分かったわ。和馬がそう言うなら大丈夫ね」

 その様子が分かったのか、由子先生が微笑みながら教えてくれた。

 二人ともまだ心配そうだったけど、もう時間もないし、反対をする気もなさそうだった。

 一緒に並んで手を振って車を見送った。孝太先生の安全運転でも、相手は速いからあっという間に見えなくなった。

 私を振り返った和馬はにこやかに笑い、人差し指を立てて胸の前に持って行ってから、今度はその指を前方に出す。

 私にも理解することができる、短い言葉――「行こう」。

「そうだね、行こっか」

 笑って用意のために一度奥へと足を向けると、和馬は私が理解してくれて嬉しいのか、にこにこ顔でその後ろをついてくる。

『本当にそういう格好でいいの?』

 着替えてきた私を見て、彼は少し首を傾げる。

「うん。上條にいた頃はしたことないから、これでいいの」

 今までだって別に華美なデザインが好きだったわけではないけど、下品でない程度にレースやらフリルやらが付いている服が多かった。

 でも今の服装は、ジーンズ生地のショートパンツに、白黒ボーダーのカットソー、動きやすいスニーカーだ。由子先生にこっそりとサイズを耳打ちして買ってきてもらったものである。

「多分これなら、幼なじみたちでも私が私だって分からないと思う」

 冗談めかして笑いながら、私は下駄箱の上に置いてあった伊達眼鏡をかけてみた。それからキャップを被ってしまえば、もう自分でもこれが私だということが冗談だと思えてくる。

 ポニーテールは前もそれなりにしていたけれど、ここまで来るとそれも別人を形成する要素のひとつになっていた。

 ギャップに対する驚きもあると思うが、思っていたよりは似合っている。それなり、といったところだ。ここまで足を出すのは若干の抵抗があるが。

『こういうゆかりも可愛いよ』

 しかし和馬の方は私の心情なんてつゆ知らず、真顔でそんなことをホワイトボードに記す。

「まーたそういう口説き文句みたいなことを……じゃ、行こうか」

 気恥ずかしさを誤魔化すためにちょっと苦笑いして、私たち外に踏み出した。

 服や食料品を買いに近くのショッピングモールに行くだけなのだが、わくわくする。多分、初めて和馬とお出かけができるからだと思うけれど。

 暑いなりに涼しかった森を一歩外に出ると、途端にむわっとした空気が私たちを襲った。ちょっと眉を顰めると、和馬の方も同じような表情をしている。

『暑いね』

 団扇であおぐような仕草は、「暑い」という意思を伝える手話。

「そうだねぇ」

 暑いけれど、こうして分かる言葉が増えていくのは楽しいし、喜ばしい。

 手を繋いでバス停に並ぶ。

 和馬の車で行ってもよかったのだが、私の社会勉強という目的もあって、公共交通機関を使うことにしたのである。何せ、電車もバスも片手で数えられるぐらい、しかも記憶が薄い幼い頃にしか乗ったことがないのだ。残念ながら今回は電車には乗らないけれども。

『ゆかり、大丈夫? 具合悪くなったら言ってね』

 暑いこともあって心配しているのだろう。私は笑って頷いた。

『最初にお金を払うからね。前から乗るよ。おれについてきてね』

 和馬はやっぱり心配性である。いや、それとも私がそれだけ頼りなげということだろうか。うん、きっと後者の線が濃厚だ。

「分かった」

 だから素直に頷いた。実際ものすごく自分でも自分が信用ならないし、従っておくのが一番無難である。

 彼の顔に安心の色が濃く見えたのとほぼ時を同じくして、バスがやってくる。

 私は和馬の後ろについてステップを上がった。運賃を払って車内へと向かっていく彼に倣い、私も何とかスムーズにこなすことができた。

 すぐにバスは発進し、ほっと息をつく。

 和馬は「よくできました」と言うみたく私の右手を軽く叩いた。それにはにかみ、車窓を眺める。

 慣れない眼鏡が邪魔だけど、見える景色は楽しい。いつもと乗り物が違うだけでこんなにテンションが上がるなんて、まるで子供みたいだと自覚はあるが、止められない。

 そんなに距離はない場所にあるので、すぐにバスはショッピングモールのバス停にたどり着いた。和馬に連れられて降り、中に入る――までは、上手くいったのだったが。

 何着か服を購入して、じゃあ夕飯の買い物をして帰ろうか、ということで食品のコーナーへと行った。そこで私はやらかしたのである。

 和馬がまるで珍獣でも見るがごとく私を凝視している。気まずい思いに身を縮めた。

「だ、だって、本当なのよ……?」

『あ、うん、嘘をついてるとは思ってないよ? ただ純粋に驚いてるだけで』

 彼はフォローしているつもりなのだろうが、あまりその狙いは上手くいっていない。がっくりと肩を落としても、それにすら意識がよくは向かっていないようで、和馬は放心状態である。

 和馬が食品の選び方を根気強く教えてくれながら、私たちは店内を一周した。今日はハンバーグということで、切らしていた玉ねぎや卵を買って、挽肉を買って。

 そして会計を私がやらせてもらうことになったのだが、端数の『1』が問題だったのだ。

『まさか1円玉を見たことがないとは思わなくて……』

 書き文字に三点リーダーが付く時点で、私の置かれている状況がいかに悲しいものであるか容易に理解できる。

 そう。私はレジで『3061円』という文字を見て、財布を見て、途方に暮れてしまったのだ。1円ってどれだ――と。

 そんな様子に気づいて結局和馬が支払ってくれたのだが、なぜ私が硬直していたのかまでは察することができなかったようで。原因を帰りのバスの中で知って、この表情である。

「だ、だって、今までは支払いなんてカードだったし、現金で払うこと自体が少なかったのよ……」

 服のお店では和馬が払ってくれたし、とごにょごにょ言えば、和馬は「うん、ごめん、おれが何というか考えが甘かった」という言葉がホワイトボードには踊った。私としては情けない限り。ただ普通に生きていきたいだけなのに、既に前途多難である気がする。

『でも、これから学ぶことがいっぱいあるっていうのは楽しいだろうし、ね?』

 またも、フォローか何かよく分からない台詞である。

 私が再びがっくりと脱力したのは、言うまでもない。

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