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「さようなら」の後は、  作者: 汐月 羽琉
第五章 静閑
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騒ぎは広まる

      ――さようなら の 1分前――



   ● ● ●



『――誘拐などではなく自らの意志で失踪したということなのですが……』

『だとしたら何があったのでしょうね、それほどお見合いに不満があったのか』

『何にしても世間を騒がせるような行動は慎むべきだと思いますがねえ。もっと他にも方法があったでしょう。実際、警察が介入するという話も出ているらしいじゃありませんか』

 私の知らない人たちが、知らないはずの私のことを、思い思いに想像して好きにしゃべっている。画面の左上で踊る派手な文字は、「上條令嬢、お見合い会場から忽然と姿を消す」という見出し。

 自分のことなのに、まるで自分のことじゃないみたい。

 お見合いの日から、3日。センセーショナルな話題は相当に民衆の心――と言うよりはマスコミの心を掴んでいるようで、どこの局をかけても熱心に報道している。まるで合戦だ。

『失踪には協力者がいたという情報もあるようでして』

『お見合いは上條令嬢も納得の末にセッティングされたんじゃないんですか?』

『そういう情報が入ってきていますね』

『そうだとしたら、何というか無責任な話ですよ――』

 ぷつん、という小さな音を最後に、唐突な静寂が訪れる。小さな箱の中では今までアナウンサーやコメンテーターが顔を見合わせながら会話していたのに、一瞬にして黒い色に塗り潰された。

 驚いて振り返ると、そこには孝太先生がいた。

「孝太先生……」

「何にも知らない人が好き勝手に話をしてるんだ。気にしなくていい」

 たった今テレビを消したリモコンを置き、孝太先生は私の頭をよしよしと撫でてくれる。

「……私の知らないところで、『私』がどんな人間だか、決まってしまっているみたいです」

 それには微笑みながらも、自然と気分は暗くなった。

 自分勝手だとか、いい加減だとか、確かにその通りではあるのだけれど。でもやっぱり、こうして突きつけられると心が抉られる。

「後悔してるの?」

 向けられるのは、和馬と同じ目。強い瞳。迷いのない、そして私をいつも導いてくれる、大好きな目だ。

「してない……と言ったら、嘘になります。私、父のことも大好きなんです。大好きなんですよ」

 確かに酷いことをされたし、理不尽なことを言われ続けていると思う。それについては納得がいかないし、多分これからも理解できない。

 だけど、嫌いになったり憎んだりすることができるかとすれば、それは全く違う話。私が父に理不尽を強いていないかと言えば、強いているのだ。彼の望まぬことを私は勝手に選び取ったのだから。

 どの道を選んでも、私は大切な人を苦しめる。

「もう一度だけ笑ってほしい――そう願ってしまうのは、愚かなことなんでしょうか」

 孝太先生に訊いているようで、その実は違う。

 これほどまでにこじれてしまって、『お嬢さま』という立場から逃げて和馬を選んでもなお、父を愛する。求める。そんな自分に問うているのだ。馬鹿ではないのか、と。

 先生は、何も言わなかった。

 下手な慰めをしてもらうより、こうして無言を以て応じてもらう方がずっといい。

「ごめんなさい。変な質問、してしまって」

 私の下手くそな笑いを見かねたのか、またもよしよしと頭を撫でられる。そうやって身を任せながら、父の顔を思い出す。

 父にこうして頭を撫でてもらうことなんて、一度もなかったな。くだらないことを考えて、自分で笑ってしまった。

 そんなこと、いくら考えたって無駄だというのに。

 あの人にとって一番大事なのは『上條』なんだって、いつになったらちゃんと理解することができるのだろう。

『ゆかり、浮かない顔だね』

 ぼんやりとしていた私の耳に、軽やかな鈴の音が飛び込んできた。勢いよく反応しそうになって、慌ててその動きを抑える。

 モデルとなっているこの状況で動くのはよろしくない。和馬なら描けてしまうのだろうけれど、申し訳なさすぎるもの。

 そういうわけで視線だけを動かして和馬を見遣れば、ホワイトボードにはそんな言葉が刻まれていた。持ち運びができるような小さなサイズだから、短い言葉でもあっという間にスペースが消えていく。

『そういう表情も好きだけど、ゆかりはやっぱり笑顔が一番好きだから』

 白い地を埋め尽くす、黒い字。口説き文句のようなことを相変わらずさらりと言う人なものだから、思わず笑ってしまった。

「ちょっと……お父さまのことを、考えてて」

 『お父さま』という単語を出した瞬間に、いつもにこやかな和馬の表情が曇る。と、それを本人も悟ったのか小さく「ごめん」と書き足した。

「いいよ。それだけ心配してくれてるってことで、嬉しい」

 それは本心だ。

 私だって、父を好きでいようとするのを他人にまで押し付けようとは考えていない。身内だからこそ娘だからこそ、という理由から来る思いなのだ。どうしても打ち消しようのないこの感情は。

『この状況に参ってる?』

 父のことを考える一因に、テレビをつければ私の話題が流れるという状況があるからと思っているらしい。それはある意味正解であるし、曖昧に笑うことしかできなかった。

『宮苑次期代表が、何とか裏で圧力をかけてみる、って言ってたよ。今日、メールが届いてた』

 そんな私を見かねたらしい。和馬は絵を描くのをやめ、こちらへと近づいてきて目線を合わせてくれる。

 表で宮苑がメインとする業務は、一般人がよくテレビドラマで目にするだろう事件操作用品の開発や、警備。裏では、全国に散らばった黒河たちが手に入れてくる情報を売る情報屋のような一面も持つ。

 つまり、どちらにしても治安維持のために働く某公務員たちと関わりが深いし、情報屋ということからマスコミとも太いパイプが通っている。それを最大限に利用するつもりなのだろう。

「職権濫用ね……」

 だけど正直ありがたい。報道が下火になるまで、私はこの家から一歩も外に出られないから。捕まって連れ戻されてしまうだろうし。

 声を上げて笑う様子を見て安心したようで、和馬はよしよしと私の前髪を掻き混ぜる。それこそ、先ほど彼のお父さんがしてくれたように。

『大丈夫。あんな真似をしてまでさらった以上、ゆかりのことはちゃんと守るよ。何があっても』

 和馬の真剣な目に、ほっとする。撫でてくれる手をそっと掴み、温度を確かめた。

 あたたかい。彼はちゃんとここにいる。あれほど恋い焦がれた人が、今は目の前で笑ってくれている。こんなにも近くにいるのだ。

「ありがとう」

 そうやって彼の優しい笑顔を見て安心しているのは確かなのに。


 胸の中に重いものが次々と降り注ぐ。


 幸せであればあるほど、恐ろしくなるのだ。不安になってしまうのだ。

 いつか父が現れるのではないのだろうか。そしてこの小さな幸福を、奪っていってしまうのではないか――。

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